豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

『住まいと家族をめぐる物語』

2011年12月29日 | 本と雑誌

 西川祐子『住まいと家族をめぐる物語--男の家、女の家、性別のない家--』(集英社新書、2004年)を読んだ。

 ゼミ生に大工さんの息子がいて、ゼミの時に「家族と住居」という報告をした。その時に彼が参考文献のひとつとして挙げた本である。
 数日前の病院の待ち時間と、年賀状を書き終わった今日の午後に読み終えた。面白かった。

 近代日本の家族の変遷を、家族の器としての住居との関係で論じた本である。
 近代日本の住居は“囲炉裏端のある家”から“茶の間のある家”を経て、“リビングルームのある家”へと移り変わり、そして現在は“ワンルームの家”も増加している、という。各時代はオーバーラップしながら変遷しているのだが、著者はそれを「二重構造」という。

 このような住居の変遷は、そこに住む家族の変容を反映している。
 “囲炉裏端のある家”に住むのは封建的な家長中心の「家」的家族であり、都市化とともに夫婦中心の小家族が「家庭」生活を送る“茶の間のある家”へ、さらに、戦後の団地世代以降は「食寝分離」、「就寝分離」を伴う“リビングルームのある家”へと推移していくのである。

 “リビングルームのある家”は(夫婦・子ども)部屋の個室化を伴い、家族の個人化が加速し、今日の“ワンルームの家”は家族の個人化の到達点である。
 この過程に並行して、家は女性化することになる。言いかえれば、女性は家に取り込まれることになる(専業主婦化)。逆に残業で帰宅の遅い男には家での居場所はない。女が家を出るのは「家出」だが、男が家を出るのは「蒸発」しかないという。なるほど・・・。

 著者が勤務する大学で開講した「ジェンダー文化論」というゼミの営みをもとに作られた本だという。
 時々の家族や家族の住居が描かれた小説や映画が引用されている。小津安二郎も1か所だけ登場するが(89~90頁)、少なくとも昭和以降は、小津安二郎の映画だけで「家族と住居(家)」について論ずることができると思う。

 本書に登場する木賃宿は岡田嘉子・坂本武の“東京の宿”(1935年)、当時の比較的裕福な大学生の下宿生活は“若き日”(1929年)、苦学生の貧しい下宿生活は“東京の女”(1933年)、貧しいサラリーマンの家は“大学は出たけれど”(1929年)、“東京の合唱”(1931年)などに登場し、当時のサラリーマンが東京の郊外に建てた一戸建ての家は“生れては見たけれど”(1932年)、などにそれぞれ描かれている。

 戦争直後の長屋生活はそのものズバリ!“長屋紳士録”(1947年)に、夫の復員を待つ妻子の間借り生活は“風の中の雌鶏”(1948年)に出てくる。少し時代が落ち着くようになってからの家は“晩春”(1949年)や“東京物語”(1953年)、“東京暮色”(1957年)などで見ることができる。“東京物語”や“早春”には当時の(=高度成長以前の)戦争未亡人、独身サラリーマン、工員などのアパートの部屋もたくさん登場する。

 そして、高度成長が始まった時期の東京に生活する上層サラリーマンの家庭と住居が描かれる“秋刀魚の味”(1962年)で小津の映画は幕を下ろすのだが、「家族とその器としての家」という本書の著者のテーマで小津安二郎の映画を語ることは十分に可能だろう。
 先日、夜中に目が冴えてしまって、久しぶりに“秋刀魚の味”を見たのだが、あの家は「茶の間のある家」の典型だろう。
 家事を切り盛りする岩下志麻がアイロンをかけ、同窓会から酔って帰宅した笠智衆がお茶を飲み、同じく夜遅くに帰宅した三上真一郎が岩下に夜食を催促するあの卓袱台が真ん中に置かれた畳敷きのあの部屋を一度は通って家族は各自の部屋に消える。
 2階にはいちおう岩下の個室らしき部屋もあるが、廊下を隔てる障子は開いたままで、弟の三上が「姉さん、上で泣いていたぞ」と笠智衆、佐田啓二に告げるシーンもある。

 茶の間から続く中廊下の突き当たりには、「台所」があって、質素な食卓と椅子は置いてあるが、まだ「リビングルーム」とは言えない。そう言えば、“お茶漬の味”(1952年)で佐分利信が一人お茶漬けをすするのもあんな台所の食卓だった。
 娘を嫁がせた夜に一人で帰宅した笠智衆がその椅子にがっくりと腰を落とすシーンで小津の映画生活は終わっている。
 
 その後にやってきた「リビングルームのある家」の家族生活を描いた映画監督はいるのだろうか。

 * 西川祐子『住まいと家族をめぐる物語--男の家、女の家、性別のない家--』(集英社新書)。
 2011年をクルマの話題で締めくくりたくはなかったので、こんな記事を書いた。クルマのことを書くとアクセス数が跳ね上がるが、それはぼくの本意ではない。来年は、できれば軽井沢と映画と本の書き込みでアクセス数を上げたいものである。
 これで2011年はおそらく最後だろう。1年間、何度か読んで下さった皆さん、有難うございます。良いお年をお迎え下さい。

 2011/12/29 記

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トヨタ “アクア” を見てきた

2011年12月27日 | クルマ&ミニカー

 池袋、サンシャイン通りの“アムラックス トヨタ”池袋展示場に行って、きのう26日に発売された“トヨタ アクア”を見てきた。

         

 1階のフロアにはブルーが1台だけ展示してあり、その他のボディーカラーはすべて3階に展示してある。
 そのブルーのボディーの“アクア”を見た第一印象は、「悪くない」。これまでネット上の写真で見た印象よりは、はるかに良い。ただし、展示場のカクテル光線に照らされて輝く展示車両は、どのクルマも街中で見るより数倍きれいに見えるが。

         

 全10色を見たなかでは、第1位=ブルー、第2位=ライムホワイト、第3位=スーパーレッド、の順。まったく「個人の感想」で、ぼくはどんな車でもこの3色(トリコロール)が気に入ってしまうのだが。
 還暦も過ぎたので、「元気の出る赤!」とも思っているのだが、アクアの赤はちょっと違った。もともと“aqua”(=水)というネーミングのクルマに赤は似合わないか。

         

 ただし、普通のホワイトとライムホワイトは並べてみると確かに違う色をしているが、街中で単体で見たら区別がつくだろうか。

         

 ブラック、グレー系統はこのコンパクト・カーには合わない。展示場でも隅の方に置かれていて、影が薄かった。
 イエローも個人的に好きな色ではない。その昔、SB食品の懸賞で当たった宣伝用ルノー(?)を思い出す(わかる人にはわかってもらえるだろう)。
 展示車もイエローだけはエアロパーツをまとっていた。その手の人が選ぶカラーなのだろう。 

         

 このクルマのテーマ・カラーらしいシトラスオレンジ、クールソーダともにいまいち。クールソーダはこの時期に寒々としていて、つい写真を撮るのも忘れてしまった(と思っていたがカメラの中に1枚あった)。

         

 さて、室内はどうか。大体は“ヴィッツ”の広さと質感と思えばよいだろう。わがランクスよりは明らかに狭く、運転席に座ると助手席が近く感じる。

         

 運転席の足元も狭い。フットレストが、かなりブレーキペダルに近い。

         
         
 シートも大きいというが、ぼくは今乗っているランクスもそうだが、どうもトヨタのシートと相性が悪く、ジャスト・ポジションが得られない。
 ほとんどの展示車がGグレードのアース・ブラウンという色のインテリアだったが、Sグレードに比べると圧倒的にGのインテリアの方がよい。
 フロア・シフト、サイド・ブレーキはよいが、シフト・ノブやエアコンのスイッチなどのプラスチックの加飾などもテカりすぎ。

 後席は、ちょうど試乗している人が降りようとしていたのでシャッターを切った。頭上はやや厳しそうである。改良されたインサイト・イクスクルーシブくらいか。

         

 アクアも悪くはなかったが、今乗っているランクス(8年目、2万6000キロ)を10万円か20万円で下取りしてでも買い替えようという気にはならなかった。

 “アクア”は燃費を強調するが、年に4000キロも乗らない私にとって、リッター35キロとか40キロはあまり決定的な要素にはならない。「エコ」というのも嫌いだ。本当に「エコ」を考えるなら、ハイブリッドだろうが電気だろうが、クルマなんかに乗ってはいけない。
 地球には申し訳ないけれど、ぼくは年に3000キロちょっとは自分の好きなクルマに乗りたいのである。

 アクアは、まだまだ、スイフト、デミオなどと並ぶ“one of them”にとどまる。

         

 2011/12/27 記

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メリー・クリスマス!

2011年12月25日 | あれこれ

 何か書き込まないと、2006年以来はじめて1か月間なにも書き込まなかったことになってしまう。

 そこで、ひとまず、“メリー・クリスマス”と、わが家のクリスマス・パーティーに上の息子が持って来たデコレーション・ケーキの写真を。

 息子とその彼女も含めて、今年は7名を招待したので、わが家の狭いテーブルの上には各人の皿とグラスを置くだけで精いっぱい。そこで今年はビュッフェ形式にした。
 何年か前の私の誕生日に息子からプレゼントされたレコード・プレーヤーで、パット・ブーンの“ゴールデン・クリスマス”というLPを聞きながら、シャンペンとワインで食事とおしゃべり。

          

 それぞれ心ばかりのプレゼントを交換したが、今年は、私たち夫婦にとって何物にも代えがたいプレゼントがあった。
 クリスマスの直前、上の息子に東京の大学から採用通知が届いたのである。
 晴れて息子も来年4月からは完全に独り立ちの社会人になる。
 これで、私たち夫婦の親としての役目は一応果たしたことになるだろう。

 これからしばらくは、下の息子を社会に送り出すことをサポートし、それが終わったら私たちの文字通りの「余生」が始まる。
 「子を養育することは親の義務であるが、それは履行することが楽しい義務である」と穂積重遠さんの『親族法』(岩波書店、1930年)に書いてあるが、本当にそう実感する。

 2011/12/25 記

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