豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

川田順造編『新版・近親性交とそのタブー』(その2)

2022年10月29日 | 本と雑誌
(承前)
 内堀基光(文化人類学)「インセストとその象徴」も、川田と同様にインセストは「われわれが想像するよりはるかに頻繁になされているともいわれている」といい(165頁)、インセストの中核は母と息子の関係であり(153頁)、「遺伝学的には人間は十分に近親交配的な存在である」と書いている(151頁)。「人間は近親交配的な存在である」というのは事実なのか、どのような経過でそのようなことになるのだろうか。
 最終的には、内堀は、インセスト「禁止の行動的基礎を追い求めることはおそらく不可能であり、・・・(インセスト・タブーには)解きがたい謎あるいは『迷宮』・・・が残される」、そして、「罪としてのインセストに対しては、常になぜそれが悪なのかという反対向きの想像力が働く」と結んでいる(166頁)。
 文化人類学者にとって「謎」であり、「迷宮」であるのだから、ぼくのような素人がインセストやインセスト・タブーを理解できないのは当然というべきだろう。

 小馬徹(文化人類学)「性と『人間』という論理の彼岸」も、ぼくの理解力をこえているが、端々で印象に残る文章に出会うことができた。
 トーテミズムにおいて、「動・植物は人間の始祖であり、一方では同氏族員や結婚相手でもあり得ることになる」(175頁)。「そこでは、動物と人間の結婚も論理的に可能になる。日本を初め、世界各地で無数の異類婚姻譚が育まれてきた。」(179頁)。
 母子婚を許す事例は報告されていない。「母とは、婚入して来た女性として、元々他者性を帯びた身内なのである。・・・オイディプス王の物語が、母子婚の可能性を逆説的な形で指し示している」(178頁)。
 「生殖としての性」の領域からは各社会が近親婚に指定している部分が排除されている。人間社会は・・・性行為の内から、近親婚と定義した部分を除外した生殖の営みだけを結婚として合法化して、家族・共同体の組織化と維持に利用して来たのだ。・・・しかし性現象は抑えようもなくそこから外へ溢れ出て、社会の構造原理であると共にその破壊原理ともなるという性の両義性が、ここに胚胎する」。川田は近親性交が穢れた行為として忌避される一方で、始祖神話には母子・兄妹等の近親性交はしばしば語られている事実を指摘している(182頁)。
 「人間は全ての出発点にインセスト。タブーを置いた。そして、インセストの禁止を通じて自然の差異(sex)を強化した性差(gender)と年齢カテゴリーを作り出し、、その差別化を前提とする交換のシステムである共同体を立ち上げたのである。社会的な交換は禁止が創り出す欠乏を埋め合わせる相互的な活動(・・・である)」(190頁)。
 「これに反してボノボは能うかぎり性の禁止を取り除いて解放した。・・・人間の性はタブーに反しない限りの生殖という狭い範囲に囲い込まれたが、ボノボの性は生殖から存分に開放されている。・・・性は半ば言語に代るコミュニケーションの手段と化している感もある。」(190~1頁)・・・「人間を見れば、最も親密な異性である姉妹と娘たち(それに母親)を性交の相手とすることをタブーとして封じ込めたがゆえに、その性の営みは想像力によって深く内面に根を下ろした性愛(エロス)へと高められた。・・。結婚とは、チンパンジー型の抗争的な生を生きたヒトが、群れ同士の熾烈な抗争を回避して生存を確保するために発明した画期的な仕組みであったに違いない」(191頁)。
 「(レヴィ=ストロース)は、結婚と家族を、人間が人間になり、人間が人間であり続けるための歴史上の、しかしそれゆえに一時的な必要悪として受けとめているかのようである。・・・工業化による生産力の革命的な飛躍を経て、人間は家族から独立した個人としても生きて行ける社会的条件を獲得した・・・女性は、もはや疎外されて力ない「交換の客体」ではあり得ない。・・・20世紀後半から欧米では家族の紐帯がずい分と緩いものとなって久しい」(192頁)。
 「・・・とはいっても、・・・近親性交や近親婚がタブーの対象から外される気配は微塵もない」と彼はいう(193頁)。
 結婚と家族が一時的な必要悪であるという考え方には共感する。わが民法典(条文)からはすでに「家族」という言葉は消えているが、「婚姻」は残っており、その性愛機能が反映された条文(嫡出推定など)も存在する。しかし、その内実はかなり揺らいできている。このような状況を文化人類学から眺めた俯瞰図を得ることができた。工業化を経験した後の現代社会におけるインセスト・タブーの文化人類学的な実態調査はあるのだろうか。

 古橋信孝(古代日本文学)「自然過程・禁忌・心の闇」には、日本書紀、古事記、源氏物語などにおける近親相姦の事例が多数紹介される。日本霊異記に出てくる蛇と交わる女の物語の解釈なども示される(213頁~)。「近親相姦も獣姦と同じで、あまり表面化しないはずだ。(近親相姦は)法的に禁止されてはいるが、禁忌自体は当事者の心理的レベルにすぎないのだ。それを、一見科学的な、近親婚は悪い遺伝子が産まれる子に出る確立(ママ)が高いという説明が通行している./社会的に禁忌であり、あまり表面化しないが、確かに潜在している。性の禁忌はそういう問題としてあった」(208頁)。
 法学の世界でも、この「一見科学的な」理由で近親婚禁止の根拠が説明されることが多いが、再考が必要であろう。

 出口顕(文化人類学)「インセストとしての婚姻」は難しくてぼくには理解できなかった。
 渡辺公三(文化人類学)「幻想と現実のはざまとしてのインセスト・タブー」も難解だが、「婚姻も交換もない世界」を夢想するというレヴィ・ストロースの言葉が印象に残った。女は「欲望の対象、性本能を煽る対象であり、他方で他者を欲望させ、他者と縁組させて他者をつなぎ入れる手段でもある」が、しかし「女はやはり一人の生身の人間である」(134頁注16)という一文も。
 高橋睦郎(詩人)「自瀆と自殺のあいだ」の著者は、『禁じられた性』(潮出版社、1974年)の編者である。ともに近親相姦を扱ったアイルランドの詩と源氏物語の共通点として人間の自意識を指摘する。
 以上9編からなる本書は、2001年に川田と山極が世話役となって開催されたシンポジウムを書籍化したもの(その新版)である。
 「千代田区千代田1番地」のラビリンスから始まって、今度はインセスト・タブーの迷宮へと、今年はやたらと迷宮への旅がつづくようだ。みずから迷い込んだのだが・・・。

 2022年10月28日 記

川田順造編『新版・近親性交とそのタブー』(その1)

2022年10月28日 | 本と雑誌
 
 川田順造編『新版・近親性交とそのタブー』(藤原書店、2018年)を読んだ。
 きわめて面白い論考が多かった。まさに「目から鱗・・・」の文章にたびたび出会った。文化人類学や霊長類学の論理展開は正直理解できないところが多かったのだが、エピソード的に様々な情報を得ることができた。

 まず特筆すべきは、インセスト(近親相姦)は、われわれが思っているよりも多く実際に行なわれていると数名の論者が指摘していることである。
 編者の川田は、「現代日本でも実際に多く行われている母と息子の相姦の多くが」、亡くなった夫の姿を、母が成長した息子に感じ取るところに動機をもっている」のに対して、兄妹、姉弟間の相姦は、孤立ないし雑居的居住環境の中である種の強要によって生じるようだと序文で書いている(ⅲ頁)。
 川田は本論「性」の冒頭でも、近親者間の性交は実際には行われているにもかかわらず、タブーとされている社会が多いと指摘する(10頁)。

 青木健一(集団生物学)「『間違い』ではなく『適応』としての近親交配」によれば、ヒトの場合、父娘または兄妹間の近親性交では29%の近交弱勢(子孫の生存率、適応力が弱まること)が伴うが、血縁者との間に儲けた子のほうが自分の遺伝子コピーを多く受けつぐことができるので、生存する子が近交弱勢のために減ったとしても後代に残せる遺伝子コピー数は多くなる可能性があると指摘する(38頁)。
 青木はまた、MHCという生物学的知見を論拠に、インセスト・タブーの起源に関するウェスターマーク説を支持する。MHCとは脊椎動物の免疫系の中で自己と非自己の認識に関わる分子だそうで、MHCが異なる個体は体臭も異なるので、一緒に育った家族間では体臭を介した刷り込みが働くと考えればウェスターマークの仮説は説明できるという(48頁)。 
 最後に青木は、現代日本の民法が「優生学的または倫理的配慮から」直系血族または3親等内の血族の間の婚姻を禁じているが、刑法には近親性交を処罰する規定はないこと、スウェーデンでは1970年代に半血きょうだい間の婚姻が認められるようになったことなどを紹介している(51頁)。「優生学」が登場するのは本書ではここが唯一であった。

     

 西田利貞(霊長類学)「インセスト・タブーについてのノート」は、インセスト・タブーの起源論で一番ぼくの腑に落ちた。
 西田は「インセスト・タブーの起源と進化は『近交弱勢(imbreeding depression)』を避けさせる遺伝的・文化的傾向をもった個体のほうが、より多くの子孫を残した結果であると考える」と結論する(138頁)。インセスト願望の抑圧が起源だろうと、インセスト回避の本能が起源だろうと、インセストを回避した種族なり集団なりが結果的に存続することができたということだろうと、ぼくも思う。
 西田は、ウェスターマークの「幼年時代の身体接触が、青年時に性的嫌悪を引き起こす」という仮説(『人類婚姻史』(江守五夫訳、社会思想社、1970年、84頁を参照)は、人類学の野外調査からも支持されるといい(同頁)、また、フロイトのエディプス・コンプレックス論は、幼少時に兄弟姉妹を分離して養育するユダヤの風習により、兄妹間に本来生じるべき性的嫌悪が生まれなかった場合のことであり、フロイト説は多くの民族の一部にしか当てはまらないという(144頁)。
 さらに、西田は日本にはインセスト・タブーはないと断言する。日本ではインセストを犯した者が自殺したり、何らかの罰を受けた実例はない、嘲笑くらいは受けるだろうが、万引き、剽窃、姦通、乱交、覗きなど嘲笑を受ける行為はいくらもあるが、人はそれを「タブー」とは呼ばないという(143頁)。島崎藤村は姪との近親相姦を小説『新生』に書いたため、姪は地域に住めなくなったというが、これも「嘲笑」程度の反応で、「タブー」というほどではないのだろうか。

 山根『家族の論理』では、ウェスターマークは不人気で、マリノフスキー、マードックもフロイトのインセスト願望説を支持したと書いてあったが、本書ではウェスターマーク説のほうが優勢のようである。
 ウェスターマーク説の再評価は、山極寿一(霊長類学)「インセスト回避がもたらす社会関係」にも見られた。山極は、ウェスターマーク説はフロイトだけでなく、人類学者の間でも長らく無視されてきたが、台湾のシンプア(媳婦仔)調査に加えて、霊長類の野外観察からも「ウェスターマーク効果」が認められるようになったという(63~5頁)。    
(つづく)
 
 2022年10月28日 記

ビクターのマスコット “His Master's Voice !”

2022年10月22日 | あれこれ
 
 先日、高校、大学時代の旧友が蒐集した雑貨(?)コレクションを見てきたので、ぼくの「お宝」(と言うほどでもないが)を・・・。

 ここで紹介するのは、あのレコード会社、音響メーカーのビクターのキャラクター・グッズである。
 ビクターの思い出は、昭和30年代にわが家にあった “電蓄” (電気蓄音機)にさかのぼる。まだぼくが小学生だった昭和30年代の初め頃、わが家には “電蓄” があった。まだあまり普及しておらず、ぼくの周辺では通っていた幼稚園の講堂でしか見かけたことがなかった。
 その “電蓄” がビクター製で、レコードプレーヤーのピアノブラック色の天蓋を開けると、その内側に、アサガオ形のスピーカーに耳を傾けるあの犬の金色のマークがついていた。
 でも当時の思い出としては、この犬のマーク よりも、ラジオのチューナーに付いていた同調を知らせる500円玉ほどの丸いメーター(正式には何というのだろう?)が印象的だった。電源を入れると、水色の地に黄緑色のマーカー(?)が点灯して、つまみを回すと円グラフのように広がったり狭まったりするのである。そしてチューニングがぴったり同調すると黄緑色が100%、円全体が黄緑色になるのだった。この背後から光で照らされた人工的な黄緑色が好きだった。

 そのせいもあってか、大きくなってからも、ぼくはビクターがご贔屓だった。大学時代に買ったオーディオも、その後はじめて買ったビデオ・カメラもビクター製だった。
 そして、とくに集めたわけではないが、ビクター関連グッズがいくつか残っている。
 冒頭は、陶器のビクター。小さくて白い方はどこで入手したのか記憶にない。金色のほうも記憶はないのだが、台座に “Victor Millennium Gold Nipper” と書いてあるから、西暦2000年を記念したビクターのプレゼントに応募してゲットしたのだろう。
 そういえば、この犬はニッパー(Nipper)という名前だった。名前の由来はスピーカーかプレイヤーを製作するご主人様の工具のニッパーから名づけられたというエピソードを聞いた。そのご主人様の声がスピーカーから聞こえてくるのに、不思議そうに耳を澄ませて聞いているのだった。
 
       
       

 上のテレフォン・カードも何かの景品だろうと思う。未使用のままである。下のネクタイ・ピンは買ったものか懸賞で当ったものか、記憶はない。タイピンはお気に入りで使い込んだため、ずい分汚れが目立っている。
 実はぼくは20歳の誕生日に母親からジョン・F・ケネディの横顔が刻まれた銀の丸型のネクタイ・ピンをプレゼントされた。吉祥寺の春木屋で買ってもらったのだが、中学校のクラス会につけていったところ、国立音大生だった同級生から「思い出に欲しい」とせがまれて、あげてしまった。お返しにと言って、彼女はバッグから手鏡を出してぼくにくれた。そして店の紙ナプキンに彼女の電話番号を書いて渡された。
 電話をかける勇気もなく、ぼくは連絡をしなかった。その後彼女とは二度と会っていない。手鏡からは、彼女がつけていた香水の香りがしばらくのあいだ匂っていたが、やがてその香りも消えてしまった。彼女も72歳になっているはずだが、覚えているだろうか。そしてケネディの横顔が彫られたタイピンはまだ彼女の手元にあるのだろうか。ぼくは彼女からもらった手鏡を失くしてしまった。
 ※ と書いたが、先日物置を物色していたら、なんと段ボール箱の中から出てきた。捨ててはなかったのだ(下の写真。2024年10月3日追記)。   
   
    
 最後は、便箋と封筒のレター・セット。これも買った物かどうか・・・。封筒は何枚入っていたのか、最後の1枚になってしまったので、便箋2枚とともに使わないでしまってある。
   

 むかし取っていた月刊雑誌の『少年』に「ガラクタくん」(「がらくた君」かも)という漫画が連載されていた。主人公のがらくた君が自分の持っているガラクタの中から毎月1品を取り上げて、その品物にまつわる思い出を回想するという内容だった。
 どうもぼくたちの世代は、少年時代から懐古趣味を植えつけられているようだ。

 2022年10月22日 記

     
   

 ※ その後、ビクターの商標である「ニッパー」の由来が書いてあるビクターの(何かの製品に入っていた)栞を見つけたので、添付しておく(上の写真。2024年10月7日)。

福生、アメリカ街を歩く(2022年10月21日)

2022年10月21日 | 東京を歩く
 
 10月20日(木)、朝から天気がよかったので、思い立って福生まで出かけてきた。
 福生の喫茶店で高校、大学時代の友人が蒐集してきた大正、昭和戦前期の雑貨(?)コレクションの展示、販売をやっているというので。
 所沢で西武新宿線に乗り換え、東村山で西武国分寺線に乗り換え、小川で西武拝島線に乗り換え、拝島でJR青梅線に乗り換えて、ようやく福生に到着。あの辺の西武線は何線がどこに繋がっているのかまったく不案内なため、乗っている間じゅう<駅探>と睨めっこである。

   

 さて、福生駅西口に降りると、すぐに会場の喫茶店は見つかった。
 店内に入ると、友人のコレクションはこじんまりと入り口近くに飾られていた。ビクター(レコードや音響機器メーカー)の陶器の白い犬だけはぼくも持っている。ペイネの絵皿などもあった。ただし、ぼく自身が断捨離の最中なので、買うわけにはいかない。
 お茶でも飲んで帰ろうと思ったが、飲み物はないというので、モンブランを注文して、店の外のテラス席で食べた。福生で取れたのだろうか、中に栗の実が丸ごと入っていた。年寄りには食べごたえ十分のモンブランだった。
 秋の日ざしが強くて、着ていたセーターを脱いだ。

   

 福生駅の東口に回り、アメリカ軍の横田基地を目ざして東に向かって歩く。
 福生には「アメリカン・ハウス」というアメリカ風の建物があって、一帯がアメリカに来たような雰囲気の街並みだと何かに書いてあったので、一度見ておこうと思った。八高線の踏切を渡り、10分ちょっと歩くと、国道16号に突き当り、その東側に米軍基地が広がっている。

   
   
 国道に沿って南端から北端まで歩いてみたが、「アメリカン・ハウス」は見つからなかった。軍服のアメリカ兵が歩きまわっていたり、信号で停車したニッサン・マーチの中にアメリカ兵が4人乗っていたり、歩道をわがもの顔で歩く中年のアメリカ人夫婦(?)とすれ違ったりと、アメリカの雰囲気は多少は感じられた。

   

 しかし、アメリカが日本を占領していた頃の名残りを多少は知っている世代としては、それほど「アメリカ」風の雰囲気は感じられなかった。
 ぼくの子ども時代には、小田急線の車窓からは代々木の米軍宿舎(1964年東京オリンピックの選手村)が見え、現在の光が丘にも緑の芝生に囲まれて白い瀟洒(に見えた)な米軍宿舎が立ち並んでいた。ベトナム戦争に反対して朝霞基地から脱走したアメリカ兵をスウェーデンに送る運動もあったし、母方の実家のあった仙台の広瀬川に面した青葉山の裾野には昭和30年代になっても米軍基地や米軍宿舎が残っていて、花壇川前丁まで射撃訓練の乾いた銃声が聞こえていた。

   

 横田基地に背を向けて、西の方角に向かう。
 八高線の踏切を渡る際に、右手に駅のホームが見えていた。福生駅まで戻るのも能がないと思い、この駅に向かう。
 東福生駅だった。無人駅、線路は単線で、駅のところだけが複線になっている。跨線橋からは遠くの山並が秋の霞のむこうに青く連なっていた。かすかに富士山も見えたのだが、残念ながら写真には写っていなかった。

   

 1時間に2本しか電車はないのだが、15分ほどで来るようだったので、ホームのベンチに座って待つことにした。やがて電車が到着して停車したが、ドアが開かない。この辺りはドアは手動式で、ドアの脇のボタンを自分で押さないとドアは開かないのである。
 こんなことでも、多少の旅愁(?)を感じることができた。冒頭の写真は、東福生駅に入ってきた八高線の電車。

 帰りは、拝島から立川、西国分寺、新秋津を経由して帰宅。約9000歩の散歩だった。
 そして今日、10月21日は、ぼくの学生時代には国際反戦デーだった。

 2022年10月21日 記

ルディネスコ『フロイト伝』ほか

2022年10月13日 | 本と雑誌
 
 近親婚の禁止について原稿を書くことになった。
 きっかけは、定年後に、モンテスキュー『法の精神』(岩波文庫、河出・世界の大思想)、ディドロの『ブーガンヴィル航海記補遺』(森本和夫編『婚姻の原理ーー結婚を超えるための結婚論集』所収)、フーリエ「男の倦怠」(森本編所収)などを読んでいるうちに、彼らが近親婚に対してきわめて許容的であることを発見したことにある。
 それらを読むにつけて、われわれのインセスト・タブー(近親相姦の忌避)は、本当のところ何に由来するのかが分からなくなってきた。

 わが民法は「直系血族、3親等内の傍系血族」の間の婚姻を禁止している(734条1項)。
 民法は血縁関係のない直系姻族間や養親子間の婚姻(元配偶者の父母や元養親子の間の婚姻など)も禁止しているのだが(735~6条)、こちらについてはすでに廃止論がいくつか発表されている。
 それに対して、直系血族および3親等内の傍系血族(兄弟姉妹など)の間の婚姻を禁止する民法734条1項についてはほとんど議論がない。わずかに、3親等内の傍系血族のうち叔父とメイの間の婚姻について許容的な見解がみられる程度である。
 多くの家族法の教科書や論文には、「社会倫理的」な理由および「優生学的」な理由(「遺伝的」とか「生物的」という場合もある)から、血族間の婚姻は禁止されると書いてあるのだが、そこにいう「社会倫理」の具体的な内容は明確でないし、「優生学的」(遺伝的)な理由についても、医学的なエビデンスが示されているわけではない。

      

 インセスト・タブーと言えば、まず「インセスト願望」抑圧説のフロイトだろうということで、家族社会学の立場からフロイトのインセスト・タブー論にアプローチした、山根常男『家族の論理』(垣内出版、1972年)を読んだ。
 学生時代に買った古い本で、今日の家族社会学、フロイト研究の地平からどのように評価されているかは知らないが、基礎知識のないぼくには、フロイトの理論を理解するうえで大へんにわかりやすかった。最近の家族法学の世界では語られない「社会倫理的」理由の具体的内実も知ることができた。ただし、今日の家族、結婚を考えるうえでその説明が妥当かどうかは留保が必要だろう。

       

 ついで、フロイトの原典(邦訳だが)にチャレンジすることにした。
 インセスト・タブーないしエディプス・コンプレックスといえば、「性理論三篇」というのが出発点らしい。この論文は人文書院の著作集、岩波書店の全集、ちくま学芸文庫に収録されているが、すべて品切れになっている。そこで図書館で見つけた『フロイト全集6巻(1901-06年)』(岩波書店、2009年)を借りてきた。
 まだ全部を読んではないのだが、フロイトによれば、多くの人は「思春期になってはじめて性に目覚める」と思っているが、この通俗的な見解は誤りであり、しかも由々しき結果を招く誤りであるという(221頁)。「そうかな・・・」というのが正直な感想である。たいていの人は思春期に目覚めるのではないか。「幼児性欲」といわれても、自分ではまったく記憶にない時期のことだから、正しいとも間違っているとも断言はできない。
 そこで、もう1冊借りてきた『フロイト、性と愛について語る』(中山元訳、光文社古典新訳文庫、2021年)から「エディプス・コンプレックスの崩壊」を読んでみた。フロイト本人の論文より、巻末の中山氏の解説のほうが分かりやすかった。
 ちなみに、この本も、『全集6』に収められた「性理論三編」(渡邉俊之訳)も、訳の日本語がこなれていて、大変に読みやすかった。理解できなかったのは、ひとえにぼくの理解力不足によるものである。      

 ところで、フロイトや近親相姦についてはネット上で膨大な量の関連ページがあって、人びとがこんなにフロイトや近親相姦に関心があったのかと驚かされる。
 フロイトの症例研究の対象(患者)は多くは神経症、ヒステリーの女性や、同性愛、サディズム、フェティシズムその他であって、近親相姦の事例は(現在までに読んだ範囲では)登場しない。ネット情報の中には、フロイト自身が近親の女性と近親相姦関係にあったとするものがあった。そのためにフロイトは近親相姦の症例について語らないのかと思い、彼の伝記を読んでみることにした。
 
       

 エリザベト・ルディネスコ『ジークムント・フロイト伝ーー同時代のフロイト、現代のフロイト』(藤野邦夫訳、講談社、2018年)である。
 これがまた大著で、2段組み本文だけでも482頁もある。とにかく全ページに目は通したが、読みとばした個所も少なくない。「面白い」と言いたいのだが、フロイトの学説だけでなく、ギリシャ神話やシェークスピアに関する基礎知識がないとすんなりと読むことはできない手強い本だった。若い頃の不勉強、読書不足を後悔するばかりである。
 例えば、「ハムレットはキリスト教化した罪の意識をもつ神経症のオレステスだった。/フロイトはエディプスとハムレットのあいだに分割され、気づかないうちに主体を決定づける無意識と主体の自由を妨害する罪の意識のあいだに分割される現代の主体を考えだし、自分の学説を『家族ロマン』という悲劇的人間性の人類学として構想した。・・・近親相姦と殺人という無意識の悲劇は、罪の意識のドラマでもくり返される・・・」(100頁)などという文章がある。大いに興味を引かれるのだが、ぼくには理解できなかった。

 ただ、エピソード的に興味深い話は随所に出てきた。
 ます、フロイトはウクライナの(!)ユダヤ人商人の家に生まれたという。世紀末のウィーンかベルリンの生まれかと勝手に想像していたのだが、ヨーロッパの辺境の人だった。そして、ネット上で言われているような彼自身の近親相姦は、噂にはなっていたようだが、実際には証明されていないという(66頁)。これだけ浩瀚な書物の著者がそう言うのだから、恐らくなかったのだろう。
 ただし、19世紀当時の東欧のユダヤ人の家系では、家族は父親のしつけと近親結婚で管理されていたという(19頁)。そのせいか、フロイトの家系には精神疾患を発症したり、夭折したり、自死した者も少なくない。本書巻末には病歴や死因も付記されたフロイト一族の家系図がついている(xv~xvi頁)。
 幼いころから優秀だったフロイトは、母親から他のきょうだいと比べて偏愛されていたという。
 
 フロイトにとっての「性差」を論じた章も興味深かった。ぼく自身が法の世界における男女性別二元論に疑問をもち、「性別スペクトル説」に共感をもっているからだが、フロイトも「性的一元論」を唱え、その帰結として「両性性」を唱えたという(335~6頁)。解剖学が女性的なものや男性的なものを決定するのに十分だったことはないといい(337頁)、セクシャリティの「本能的性質」を否定したともいう(336頁)。
 「男性と母親や姉妹との近親相姦という観念を同化する必要」があると書いてあるが(343頁)、この「同化」というのはどういう意味なのか?

 ランクの「出生の心的外傷」説というのが紹介されていた(328頁)。「出産」という母親との最初の分離が心的外傷として残るというのだが、確かに、生まれた直後の赤ちゃんは、生まれてきたことを喜んで泣いているようには見えない。外界(この世)に産み落とされ、母体から分離された不安におののいて泣いているように見える。そのことが「心的外傷」として残るのかどうかはわからないけれど。
 その他にも、わがディドロへの言及(246頁)、がん(上皮腫)に侵されたフロイトが人生の最後に読んだ小説がバルザックの「あら皮」だったこと(464頁)、そして最期にモルヒネが過剰投与されたという(466頁)。1939年のイギリスでは、セデーション(鎮静)による消極的安楽死ないし尊厳死がすでに行われていたのだ。
 フロイト本人は1938年だったかにウィーンを去ってイギリスに亡命したが、亡命資金が足りなかったために年老いた妹たちをウィーンに残してこなければならなかった。彼女たちが後に強制収容所で殺されることになるにもかかわらず、フロイトはヒトラーに対して曖昧な態度をとりつづけた(386頁~)。
 弟子たちとの反目や抗争(随所)、弟子による症例捏造事件(333頁)なども興味深い。ただしユングやアドラーらとの確執は、精神分析学や心理学の基本的知識のないぼくには理解できなかった。
 
 フロイトは「成人のうちに抑圧された子どもを発見した最初の人だった」(335頁)という文章が、一番印象的だった。これがフロイト理論の核心だろう。
 ぼくの「うち」(無意識下)には、抑圧された何が潜んでいるのだろうか。
 しかし、ぼくの本題は民法734条である。あまりフロイトに時間をかけているわけにはいかない。はやく「性理論三編」を読み終えて先に進まなければ。

 2022年10月13日 記