このところ、暇さえあれば小津安二郎の映画を観てきたので、小津という人のことをもっと知りたくなった。
書店で探すと、笠智衆の『小津安二郎先生の思い出』と、貴田庄という人の『監督小津安二郎入門』(ともに朝日文庫)とがあったので買ってきた。
どちらも簡単な本なので一気に読んだ。いろいろな知識というか情報を得ることができた。あらかじめ読んでいたらもっと深く観ることができたかもしれないが、かえって先入観に惑わされて素直に映画自体を観ることができなかったかもしれない。
一番同感したのは、世の中では“東京物語”が小津安二郎の最高傑作とされているのだそうだが、笠智衆は“父ありき”を監督の代表作と考えていたらしいという件であった(笠・50頁~、同211頁)。ぼくは10本弱しか観ていないから偉そうなことは言えないが、“東京物語”と“父ありき”とどっちが良いかと言われれば、ぼくは迷うことなく“父ありき”を選ぶ。
それは、ぼく自身が教師をしており息子も教師を目ざしていながら、ぼくと息子との関係は笠智衆と佐野周二のようではないからかもしれない。
あの映画を観て、ぼくは子どもを寄宿舎のある地方の学校にでも入れておけばよかったかな、と思った。夏休みにだけ寮生活を送る息子に会いに行き、近所の料理屋に連れ出して自分は酒を飲みながら、息子に飯を食わせてやる(下の写真のシーン参照)。
やがて就職した息子と温泉に浸かりに行って、酒を酌み交わし、川で釣りをし、帰りがけに息子から小遣いをもらう(下がそのシーン)。そういう父子も悪くないが、人生で数週間しか一緒に生活できないというのも辛いものではないか。
読まなかったほうがよかったと思うのは、この2つのシーンが同時に撮影されたなどという舞台裏が書かれていること(笠52頁)。最初のシーンは少年時代で息子はまだ子役(津田時彦というらしい)、つぎの場面では息子はもう秋田の鉱山学校の先生になっており、役者も佐野周二に代わっている。この2つの場面が同時に撮影されたと知っていたら、とくに佐野とのシーンの感動はかなり減殺されていただろう。
なお、このシーン(少年時代のほう)の撮影風景の写真が貴田233頁に載っている。
小津は、自身が宇治山田中学の生徒だった時に寄宿舎で事件を起こし(稚児騒動!)、退寮、停学処分を受け、そのときの寮監を生涯恨んだという(貴田・30頁~)。その後、大学受験に2年続けて失敗した小津は、短期間小学校の代用教員をしたことがあったという(同・38頁)。
そのせいか、小津の映画では確かに先生がよく出てくる。“父ありき”では父子ともに教師だし、“一人息子”でも笠智衆ももとは先生なら、日守新一もやがて代用教員になる。“晩春”の笠智衆も大学教授である。“晩春”の演技を「いつもにこにこしていて、まるで白痴である」と酷評した評論家がいたという(笠・68頁)。
大学教授がいつもにこにこしていて何が悪いというのだろうか。
読んでおいたほうがよかったこととしては、“一人息子”で、これまた教師である笠智衆(大久保先生)が田舎の小学校教師を辞めて上京する際に、駅に見送りに来た教え子たちが日の丸を振って万歳をするシーンがGHQの検閲でカットされたという事実を知ったことなど。
東京に出たものの、志を遂げることができずに豚カツを揚げている大久保先生の失意は、そのような華々しい見送りのシーンがあればもっと痛く胸に響いただろう。
ちなみに、笠37頁にスチールが載っている“一人息子”の信州での1シーンはぼくにはまったく記憶がない。このシーンもカットされたのか、ぼくがよそ見でもしていたのだろうか。
戦後の復帰作である“長屋紳士録”や“風の中の牝雞”は映画界では評価されなかったという(貴田・145~6頁、170頁など)。しかし、いずれもぼくはそれほど悪い作品とは思わなかった。敗戦後に、戦災孤児や生活苦から売春に走る人妻を描いてどこがいけないのだろうか。昨日も書いたけれど、田中絹代が階段から突き落とされるシーンなど生涯ぼくの記憶に残りそうである。
ただし、題名はぼくも好きではないし、他の小津作品との平仄も合わないように思った。「牝雞」などはつい最近まで「牝鶏」と思っていたのだが、今でもなんと読むのか分からない。
“長屋・・・”で笠が演じた「覗きからくり」なども、観たときは何のことかまったく分からず、何が始まったのかと思ったが、本を読んで分かった(笠・82頁)。分からなくて当然である。
小津の映画の中で流れる音楽では、ぼくは“一人息子”の最初と最後に流れる“Old Black Joe”が一番好きである。
登場する男優ではもちろん笠智衆、女優では、前にも書いた“戸田家の兄妹”の長女(吉川満子)の家の女中役の女優が一番である。原節子よりも、田中絹代よりも、高峰三枝子よりもいい。その次が坪内美子、田中絹代かな・・・。
今日は本を探しにお茶の水に出かけたのだが、清楚な白い半袖シャツに膝が隠れるくらいの丈のスカートを穿き、日傘をさして街を歩いている女性の後ろ姿がみんな田中絹代に見えたしまった。
小津が生涯独身で、母親を愛したという話は、最初にぼくに小津という映画監督の存在を教えてくれた大学時代の恩師の境遇とよく似ている。ともにご自身は結婚しなかったのに(しなかったから?)、結婚、親子、そして死に生涯関心を抱きつづけた。ただし、小津のほうには井上雪子から原節子までさまざまな女優とのロマンスや芸者との関係があった点は、ぼくの先生と決定的に違うけれど。
小津の戦争体験(毒ガス兵器を使用する部隊に所属したらしい)と映画への影響なども興味深く読んだ。
いずれにしても、もっと小津に関わる本も読んでみたいし、映画も観たくなった。
2010/8/30