豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“男はつらいよ”、“続・男はつらいよ”

2012年06月24日 | 映画

 まさか、いまだに書店で売られているとは知らずに、AMAZONの古本で買ってしまった『男はつらいよ寅さんDVDマガジン』の第1号(第1作“男はつらいよ”)と、第11号(第2作“続・男はつらいよ”)。
 第1号に至っては書店では今でも創刊号特別価格の790円で売られていた(第2号以降は1590円)。

             

 以前にも、『鉄腕投手 稲尾和久物語』だったかを、AMAZONで定価以上で買った後で、発行元の西日本新聞社のHPを調べたら、まだ定価で販売していたことがあった。
 でもまあ、今さら仕方がない。

             
 
 第1作“男はつらいよ”を観た。1969年、ぼくが大学に入った年の公開である。まったく別の世界にいたので、記憶は一切ない。
 これを観て、従来からの「謎」が一つ解決した。
 寅さんのテーマソングの歌詞に「おれがいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ 分かっているんだ 妹よ ~」というのがあるが、妹のさくら(正式には漢字で「櫻」らしい)は結婚して、博という旦那がいる。
 何でだろうと思っていたのだが、第1作では、まださくらは結婚していなかったのだ。

        

 その、さくらと博の結婚披露宴で、長年音信のなかった博の父・志村喬が挨拶するシーンが、この映画の中で一番よかった。 
 島田裕巳ならば結婚式も「通過儀礼」の一つと言うかもしれないが、そうではなく、小津や木下や黒澤らの映画を彷彿させる意味で、志村喬がよかった。
 そもそも島田は「父殺し」を通過儀礼と考えているようだが、父との「和解」も「父殺し」なのだろうか。

        

 さらに言えば、その結婚披露宴に先立って両家の関係者が記念写真を取るシーンも、記念写真のシーンを好んだ小津の映画を思わせる。

 2012/6/24

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“男はつらいよ 寅次郎真実一路”

2012年06月23日 | 映画

 島田裕巳『映画は父を殺すためにある--通過儀礼という見方--』(ちくま文庫)の影響下にまだある。
 ただし、島田がいう「通過儀礼」(父殺し)という見方ではなく、小津安二郎や木下恵介らとのつながりを求めて、それと「昭和のマドンナ」の残像を求めて、“寅さん”シリーズをせっせと観ている。

 全作品をDVDで網羅した『男はつらいよ 寅さんDVDマガジン』(講談社刊)というやつは、最近号ならまだ書店で売られていることを発見した。
 そして、つい最近(2012年5月29日)出たばかりの第36巻、“男はつらいよ 寅次郎真実一路”を買ってきて、さっそく観た。

 『真実一路』は山本有三の小説の題名だが、“寅次郎真実一路”は、阪東妻三郎のというか岩下俊作のというか、いずれにしろ“無法松の一生”である。

 人妻(大原麗子)に恋をした寅さんが、その夫(米倉斉加年)の死を願っている自分に気づいて、「おれは汚い」と苦悶するあたりは、“無法松”の台詞そのままである。
 無法松は、軍人の夫を失った未亡人と幼い息子に仕える車挽きの松五郎が、ひそかに未亡人に恋心をいだく話であるが、寅さんのほうは大原麗子に恋するあまり、失踪した夫の死を願う自分を「汚い」(「醜い」だったかも)と思うのだから、松五郎より罪一等重いというべきか。
 
             

 岩下の原作(角川文庫版、昭和33年)を引っぱり出してきて、斜め読みしたが、原作には松五郎が「自分は汚い」と悩む場面は見つからなかった。映画(稲垣浩監督)のオリジナルだろうか。
 ただし、原作では松五郎が奥さんの手を握るシーンがある。その日以後、松五郎は二度と奥さんの家を訪ねることはなかった(角川文庫版91頁)。
 
 本の中に、映画“無法松の一生”の検閲に関する白井佳夫の記事が挟んであった(朝日新聞1993年11月2日付)。
 この映画の公開当時(昭和18年)、「軍人の未亡人に車引きが恋するのはけしからん」といった理由で、十数分にわたってフィルムがカットされたという。そのためこのストーリーの肝心の部分はまったく観客に伝わらなかったという。

            

 今回の“寅次郎真実一路”のほうは、そんな心配はまったくなく、しっかりと“寅さんシリーズ”のテーマである寅さんの人妻に対する「恋心」と葛藤がちゃんと伝わる。
 おいちゃんかタコ社長のセリフにもあったけれど、あんな美人の人妻では寅が恋してしまうのも当然だろう。
 酔いつぶれて米倉の家に転がり込み、翌朝目覚めると家には大原と自分しかいないことに気づいた寅さんが、慌てて家を飛び出すシーンが一番よかった。

         

 そして、寅さんに連れられて家に戻ってきた夫を迎える大原もよかった。
 往年のサントリー・オールドのCMを思い出した。どっちが先かは分からないけれど。
 そんな大原麗子ももういない。美人薄命とは言うけれど。

         

 2012/6/23 記

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“男はつらいよ 寅次郎子守唄”、“寅次郎純情詩集”

2012年06月16日 | 映画
 
 島田裕巳『映画は父を殺すためにある』を読んで “男はつらいよ 寅さん”シリーズに興味をもった。今まで“寅さん”などまったく観たいと思ったことはなかったし、実際に観たのは、テレビで放映された2、3本程度である。
 そのうちの1本では、平田満が司法試験受験生役で、橋本公旦の憲法の教科書を読んでいたのが記憶に残っている(調べてみると、“寅次郎恋愛塾”(1985年)という作品のようである)。

 映画を通過儀礼(父殺し)という見方によって解釈するという島田の主張は、“寅さん”シリーズには当てはまらないと思うが、“寅さん”が小津安二郎、木下恵介、(さらには黒澤明、夏目漱石!)などとつながっているという指摘に興味をひかれた。
 熱しやすく、さめやすい性分のため、さっそくAMAZONで≪男はつらいよ 寅さんDVDマガジン≫(講談社)の古本を数冊注文したが、到着まで待ちきれない。そこで、「旧作7泊8日100円」のツタヤに出かけてレンタルDVDを借りてきた。

 小津映画につながる笠智衆、東野英治郎、志村喬、田中絹代、岡田嘉子らの出ているものはAMAZONで注文済みなので、佐藤オリエ、吉永小百合、松坂慶子、大原麗子、桜田淳子、かたせ梨乃など、懐かしい昭和のマドンナを基準に選ぼうと思って出かけた。ところが、彼女たちの出ている作品はみんな貸し出し中だった。
 仕方ないので、僕にゆかりのある場所を舞台にした作品を選んだ。

        

 1つは、佐賀県唐津が舞台の“男はつらいよ 寅次郎子守唄”(1974年、マドンナは十朱幸代)。僕の父方の先祖は佐賀県の出である。本籍は佐賀県藤津郡吉田村(現在は嬉野町)にあったが、実際には武雄や唐津に居住していたらしい。
 そんなわけで、唐津が舞台の“子守唄”を選んだ。唐津(正確には隣りの呼子港)で出会った月亭八方が置き去りにした赤子を寅さんが柴又に連れ帰ることから始まるドタバタ劇である。
 マドンナは十朱幸代だが、唐津の場末のストリッパー役で、我が(赤い殺意!)春川ますみが出ていた。

        

          *  
 
 もう1つは、去年の夏に女房と出かけた長野県別所温泉が舞台の“寅次郎純情詩集”(1976年、京マチ子、檀ふみ)。

        

 別所温泉にやってきた旅芸人の一座が演じていたのが、徳富蘆花の「不如帰」なのだが、これが寅さんの悲恋(?)の伏線になる。
 去年訪れた別所温泉のあちこちが出て来て、懐かしかった。
 下の写真は、上田の農村地帯を走る上田電鉄の電車。去年行った時は2両編成だった。

        

 そして、変わらない別所温泉駅の駅舎。

        

 島田は触れていないが、“子守唄”で、八方が赤子を引き取りに来るところは、小津の“長屋紳士録”を思わせるし、“純情詩集”で寅さんが泊った宿屋は、小津“父ありき”で笠智衆、佐野周二父子が泊った宿を思わせる。

 ちょうど今日は、芹沢俊介の『家族という意志』(岩波新書)を読んだ。3・11を契機に、家族というより、自殺や中絶、無縁死など、「いのち」を考える本である。
 偶然だが、きょう見た“子守唄”はいのちの誕生を、“純情詩集”はいのちの終焉をテーマにした映画だった。

 そう言えば、きのうは樺美智子さんの命日だった。

 2012/6/16 

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三浦展『郊外はこれからどうなる?』、島田裕巳『映画は父を殺すためにある』

2012年06月14日 | 本と雑誌

 三浦展『郊外はこれからどうなる?』(中公新書クラレ、2011年12月)と、島田裕巳『映画は父を殺すためにある』(ちくま文庫、2012年5月)を読んだ。
 両書とも、「どうせ何かの焼き直しだろう、まあ時間つぶしになれば・・・」くらいの気持ちで買ったのだが、どちらも意外に(失礼)面白くて、通勤の電車の中で2日間で一気に読んだ。

 先日読んだ川本三郎の『郊外の文学誌』は小説に現れた東京郊外の話、しかも中央線沿線が中心だったが、今回の三浦の本はもっと構造的に東京郊外を論じている。
 三浦は、もともとはパルコの所沢進出準備として郊外研究を始めたということで、消費生活が中心だが、居住形態を意識している点でぼくの問題意識にも一部答えてくれている。

 彼によれば、東京の「郊外」(三浦にあっては「郊外」=「山の手」だが)は4段階の発展を示したという。
 第1段階は漱石の時代の本郷など山手線内の東半分、第2段階は新宿、大久保など山手線内の西半分、第3段階が荻窪、吉祥寺など、そして第4段階は多摩センターから所沢に至る地帯である。
 
 ぼくは、第5段階の「郊外」は軽井沢にあると思う。
 ツルヤに買い物に行くたびに思うのだが、ここ数年高齢者(夫婦)の姿がめっきり増えたのである。会社を定年後、東京では手に入らなかった住環境(とブランド価値)を求めた人たちが“第5の山の手”を軽井沢に見出したのではないだろうか。
 まだ現役だが、東京に居住する必要がない職種の人たちもいるかもしれない。 

                      

 島田裕巳の本は、副題にもある通り、「通過儀礼」という見方から映画を分析したもの。

 「通過儀礼」というのが分かってないので、説得的な映画評論になっているのかどうかは僕には判断できないが、ぼくにとってまさに「通過儀礼」だったのであろう、中学3年生の時にみた“エデンの東”や、この数年の間にすきになった小津安二郎の映画の解釈は納得できた。
 ただし、取り上げる映画には多々異論がある。
 映画における「父殺し」がテーマなら“エデンの東”が最初に来るべきだろう。“フィールド・オブ・ドリームス”や“スター・ウォーズ”では鼻白むし、“桜の園”などは格が違いすぎる。
 
 「通過儀礼」という見方はともかくとして、島田がこの本で指摘したいくつかの点に、まったく同感したり、合点がいったりした。

 たとえば、小津安二郎のロー・アングルは、女の尻に対する小津のフェティシズムを表現しているのではないかという指摘(187頁)や、菅原通済の下品なセリフなどにみられる小津の児戯的な性意識(183頁)などはまったく同感。
 ただし、小津映画を扱うならなら、“父ありき”の息子(佐野周二)がまったく精神的には「父」を「殺す」ことをしないでおいて、最後に父子がわずかな日々を一緒に過ごしたとたんに父が脳溢血でまさに「死んで」しまったことの解釈や、島田の文脈にピッタリのはずの“一人息子”が何ゆえ母子物語だったのかの解釈を示してほしかった。
 “東京物語”で母(東山千栄子)が死ぬことも同様。東山の死によって、父(笠智衆)も「殺された」のだろうか。

 木下恵介の“野菊の如き君なりき”の政夫役だった笠智衆が、民さんを弔うために出家して、“男はつらいよ”シリーズで、題経寺の住職になったというのも、納得してしまう(211頁)。
 その他にも、“寅さん”シリーズと小津安二郎や夏目漱石との関連性がいくつも指摘してあって、僕はこれまでまったく興味のなかった山田洋次の“寅さん”シリーズを観てみたくなった。
 寅さんは、シリーズが進むにつれて次第にその性格が変わっているという。寅さん自身が、「徐々に変わるんだよ。いっぺんに変わったら体に悪いじゃないか」というセリフを吐いているらしい(203頁ほか)。
 このセリフも気にいった。最近はやりの「彼はブレない」という評価がぼくは大嫌いである。

 全然知らなかったのだが、昨年から「男はつらいよ 寅さんDVDブック」という月刊本(DVD)が講談社から出ていたらしい。慌ててネットで検索して、島田が言及していた数冊を一気に注文してしまった。

 2012/6/15 記

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草軽電鉄 廃線50年後

2012年06月03日 | 軽井沢・千ヶ滝

 昨日6月2日午後7時から、テレビ東京(7ch)の“土曜スペシャル”という番組で、「にっぽん廃線歩き ノスタルジック鉄道紀行」というのをやっていた。

 そして、わが愛してやまない“草軽電鉄”の廃線跡を旅人が歩いていた。

 かつて草軽電鉄が走っていた痕跡を元国鉄マンが探って歩くというコンセプトで、しかも上州三原駅から草津温泉駅までが中心だったので、鉄橋の橋げただとか、駅のホームのコンクリート、線路や枕木などを探す場面が多く、軽井沢周辺は、新軽井沢駅の今昔、旧軽井沢駅舎跡、三笠通りだけだった。

       

 旅人は、いま草軽鉄道を走らせたら流行るだろうな、と嘆息していたが、かつての草軽電鉄を知る地元の人たちは、「とにかくのろいのよ。軽井沢まで3時間もかかるんだから」、「55キロを3時間。自転車よりも遅い」、「雪が降ったら、走らせるのが大変だった」と、こもごも草軽電車の困難を語っていた。

        

 ぼくは草軽電車に乗ったことはなく、ただ旧軽井沢駅前の踏切を横切って、旧軽井沢駅に停車する姿がわずかに記憶の片隅に残っている程度である。それでも、草軽電車は懐かしい存在である。
 だけど今さら客寄せのために草軽電鉄を再興させて、ほぼ壊れかけてしまった“軽井沢”がさらに崩れていくのは見たくない。

       

 テレビの画面に映った旧線路跡の風景を眺めているだけで、かつてこの坂道をゆっくり登って行った草軽電車の姿は十分に目に浮かんでくる。

       
       
 新・旧軽井沢駅舎、旧軽井沢や千ヶ滝郵便局、中軽井沢駅前の観光案内所、培風館・山本山荘、小松ストア、明治屋、明治牛乳、物産館、三笠書房などなどともに、草軽電車もぼくの“幻の軽井沢”の風景の一つとして、思い出の中にしまっておこう。

 2012/6/3 記

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