豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“ガンヒルの決闘”

2008年02月29日 | 映画
 
 入試も一段落して、ようやく春休みらしくなってきた。天気もめっきり春めいてきた。
 東京は、だいたい2月の17日から20日頃の間に春がやってくることになっている。気温が低かったり、風が吹いたりしたとしても、この時期になると確かに光が変わるのである。
 
 4年生の卒業判定も終わり、わがゼミ生たちは、無事全員卒業が内定した。
 卒業判定発表の日には、ゼミ生たちが研究室に報告にやって来て、卒業の喜びを語っていった。
 ゼミ生たちには出来上がった「ゼミ論集」を渡し、ささやかな卒業祝として、去年のうちに軽井沢のメルシャン美術館で買っておいたモネの絵のコースターをプレゼントした。

 3月は、会議や卒業式などの日を除いて、1日8時間勉強をして、2時間は映画(DVD)でも見ることにしよう。
 5月初めの連休明けが締切りの大きな原稿執筆を抱えている。締切りまでの60日間を逆算すると、1日あたり結構やらなければならない。4月に入ると新学期の行事もあるし講義も始まるから、3月中にやれるところまでやっておかないと、5月の連休に遊びにもいけなくなってしまう。

 ・・と言いつつ、きょうは午前中に3時間ほど原稿を書いた後、昼飯を食べながら、“ガンヒルの決闘”を見てしまった。ま、今日はまだ2月最後の日なので許してもらおう。

 そして、この“ガンヒルの決闘”がよかった。時代はよく分からないが、もう子どもたちは、生まれてから一度も銃声を聞いたことがないと言っていた。舞台はオクラホマの片田舎ガンヒル(架空の町かな)。

 その町を支配する牧場主アンソニー・クインの馬鹿息子が、隣町の保安官カーク・ダクラスの妻(インディアンの娘だった)を犯して殺してしまう。クインと保安官は旧友同士だったが、保安官はガンヒルに乗り込んでいって、犯人である息子を逮捕する。
 父クインは、息子を護送させまいと保安官の滞在するホテルを部下たちに包囲させる。町中はすべてクインの言いなりの者ばかりだが、クインに暴力を振るわれた元愛人の協力もあって、保安官は鉄道の駅に到着する。

 “ガンヒル発最終列車”(これが原題である)で息子を護送して裁判にかけようとするのだが、息子の共犯者が脱走させようとして、誤って息子を撃ち殺してしまう。妻に先立たれ、一人息子も失ったクインは、カーク・ダグラスに決闘を挑むが、敗れる。
 歩み寄ったカーク・ダグラスに向かって、アンソニー・クインが、「おまえの息子は何と言う名前だったか? 立派な人間に育て上げろよ」と言ってこと切れる。

 キネマ旬報『アメリカ映画作品全集』の解説では、「浪曲調西部劇の水準作」などと失礼な評釈を加えているが、ぼくはラスト・シーンで不覚にも目頭が熱くなってしまった。☆☆☆はつけていい。

 アンソニー・クインがいい。昨日見た“リオ・グランデの砦”のジョン・ウェインとはえらい違いである。アンソニー・クインには表情があるが、ジョン・ウェインには「ジョン・ウェイン顔」しかない。
 カラーで撮影されたオクラホマ(?)の田園風景も美しかった。ちょうど今時分のような感じである。

 * 写真は、キープ(KEEP)版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[黄1] ガンヒルの決闘”。原題は“Last Train from Gun Hill”、1959年。

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“リオ・グランデの砦”

2008年02月28日 | 映画

 “リオ・グランデの砦”、“白昼の決闘”につづいて、ハズレ!だった。

 西部劇の形式を借りたホーム・ドラマである。砦の隊長、ジョン・ウェイン大佐(中佐だったかも)は“パパは何でも知っている”か“パパ大好き”のお父さん、モーリン・オハラは“うちのママは世界一”のお母さんか何か・・・。

 しかも、結構過保護なママで、士官学校を落第して、メキシコ国境に近い最前線の砦に配属された息子を訪ねて、砦までやって来たうえに、カネと父親の力で息子を除隊させろと要求する。
 「何なんだ、これは・・」という気持ちになって、途中でやめた。

 日本でいえば、志賀直哉の父子和解モノ、アメリカなら“エデンの東”のディーンと父親などに典型的な父子の葛藤モノといったところか。

 水野晴郎の解説には、「小柄なジョン・ウェインを大きく見せるために小型の馬を用意したり、小道具のライフルを小さなものにしたりといった映画マジックが駆使されている」と書いてある。
 こんな解説を読んでから見はじめたため、ジョン・ウェインって、身長何cmなんだろうか、あの馬もポニーなんだろうか・・などと、変なところで気が散ってしまった。ジョン・ウェインは、185cm位はあると思い込んでいたのだが、本当の身長は何cmなんだろう? 

 ちょっと、何のために西部劇を見続けているのか、わからなくなって来た。団塊は飽きっぽいのである。

 * 写真は、キープ(KEEP)版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[赤15] リオ・グランデの砦”。原題は“Rio Grande”1950年。

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“拳銃無宿”

2008年02月25日 | 映画
 
 きょうは“拳銃無宿”。

 ようやく、芦原伸『西部劇を読む事典』に紹介されている西部劇映画を年代順に観ていこうという当初の予定に従った選択になった。
 なお、「年代順」というのは、製作年ではなく、舞台背景となった時代の順番である。そして、同書がまっ先に取りあげていたのが、西部開拓初期のクェーカー教徒(作中では「フレンド派」と言っていた)の生活と信条が描かれているという“拳銃無宿”であり、そのつぎが“真昼の決闘”である(32~33頁)。

 まず、日本の題名がとんでもない。確かに「宿なし」のガンマンが、ケガして倒れていたところを助けてくれた敬虔なクェーカー教徒の農夫家族の娘に恋をし、その感化を受けて、拳銃を捨てて農夫になるまでの物語ではあるが、原題は“Angel and Badman”である。
 原題も「ちょっと・・」といった感はあるが、それにしても“拳銃無宿”はあまりにも内容とかけ離れている。“拳銃無宿”と聞けば、団塊のぼくらには、まずスティーブ・マックィーンの賞金稼ぎが思い浮かんでしまう。
 
 公開当時の日本は、そんなに西部劇全盛の時代だったのだろうか。それも、こんな邦題の西部劇が好まれる風潮があったのだろうか。日本公開は1949年、ぼくが生まれる前の年である。
 ただし、キネマ旬報の『アメリカ映画作品全集』の解説によれば、この映画は、ちゃんと「ジョン・ウェインが・・農民の娘(ゲイル・ラッセル)の安らかな心に魅せられるロマンスを描」いたもので、「純情派ゲイル・ラッセルの日本での人気を高めた作品」と書かれているから(125頁)、1949年の日本国民(映画ファン)は正しく観ていたわけである。

 二人が、農場のはずれに花を摘みに行き、草原に寝そべって語り合うシーンなどは、まるで“エデンの東”のジェームス・ディーンとジュリー・ハリスである。
 アメリカ人特有の楽天主義には毎回参ってしまうが、ぼくの嫌いな映画ではなかった。

 それよりも、きょう驚いたことは、数か月ぶりに近所の貸ビデオ屋に行って、西部劇映画ではどんな物があるのか探したところ、そもそも「西部劇コーナー」がないばかりか、店内をくまなく歩き回っても、西部劇のDVDは“帰らざる河”などわずか数点しかなかったことである。
 2003年の時点で、芦原氏も西部劇「ビデオ」の衰退を語っているが、さらに状況は悪化している。貸ビデオ(DVD?)屋において、西部劇映画はおそらくバッファロー以上に絶滅寸前である。
 ひょっとすると、ぼくみたいに500円DVDで済ませている人間のせいかも知れないが・・・。

 * 写真は、キープ(KEEP)版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[赤11] 拳銃無宿”のケース。ジョン・ウエイン主演、1947年。
 

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“ならず者”

2008年02月24日 | 映画
 
 本日の映画鑑賞は“ならず者”。

 芦原伸『西部劇を読む事典』で得た知識に従って、アメリカの歴史をお勉強しようという動機から行くと、あまりふさわしい選択ではない。
 確かに原題は“The Outlaw”だから、法律に関係ないわけではない(直訳すれば「法の外にいる者」である・・)。

 しかし、昨日ヨドバシカメラ吉祥寺店でこのタイトルを選んだ本当の理由を正直に言えば、芦原本の解説に、ジェーン・ラッセルが「洞窟で半裸のまま吊されたり、荒野を乳房を振り乱して遁走する」など、そのセックス・アピールで評判になった映画であると書いてあったからである(299頁)。
 いくらアメリカといっても、1943年にそんなシーンが許されていたのだろうかと半信半疑で観たのだが、予想通りの結果であった。上に引用した言葉を今日的な文脈で解釈したら、その期待(?)は見事に裏切られるだろう。

 内容は、ビリー・ザ・キッドもの、舞台はニュー・メキシコである。この映画に描かれているキッドはきわめて現代的である。ドク・ホリディから盗んだ馬をあくまで自分のものだと言い張るあたりは、最近の非行少年を扱った書物などで紹介されている非行少年の「自己中」ぶりとそっくりである。芦原氏は、キッドを義賊というか義憤に駆られた者とみているが、“ならず者”ではそのようには描かれていない。

 ビリー・ザ・キッドとドク・ホリディ、パット・ギャレットとの関係など、どこまで史実なのかはぼくにはまったく分からない。“荒野の決闘”では、ドク・ホリディはOK牧場の決闘の際に、ワイアット・アープの助太刀をして撃ち殺されていたが、“ならず者”では、パット・ギャレットに撃ち殺されている。
 映画なんてものはしょせんは娯楽で、観て楽しければいいのであって、ぼくみたいに、「お勉強」としてみるなどは邪道である。
 芦原本によれば、サム・ペキンパーの“ビリー・ザ・キッド--21歳の生涯”が一番史実に忠実だという(227頁)。

 一般には、ビリー・ザ・キッドは、バット・ギャレットに後ろから撃たれて死んだことになっているらしいが、この映画では、ギャレットが殺して埋葬したことにしておいて、実は愛人とともにどこかへ消えて行ってしまったことになっている。
 ビリー・ザ・キッド役の役者(ジャック・ビューテル)も、キッドとともにどこかへ消えてしまったようだ。芦原本には、キッド役を演じた多くの役者のことを書いたページがあるが、ジャック・ビューテルというのは名前が出ているだけである(225頁)。

 パット・ギャレット役は、“駅馬車”で飲んだくれの医者だったトーマス・ミッチェルという役者である。どうも、この役者の演技がぼくは好きになれない。アカデミー助演男優賞を3度も取ったというが、アメリカ人はいったい彼のどこが好きなのか・・。

 * 写真は、キープ(KEEP)版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[青41] ならず者”のケース。原題は“The Outlaw”ハワード・ヒューズ監督、1943年。
音楽はビクター・ヤングだった。

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“コロラド”

2008年02月23日 | 映画
 
 昨日は、近所の本屋には置いてない500円DVDを求めて、吉祥寺まで遠出をしてきた。
 ネットで調べると、吉祥寺のヨドバシカメラには、キープ(KEEP)の500円DVDのほとんどの在庫があるらしい。
 そのうえ、ネットによると、あの100円ショップのダイソーも300円(!)DVDを発売していて,その中には、“プリースト判事”や“若き日のリンカーン”など、他社のDVDにはないものも含まれている。
 近所のダイソーではDVDを扱っていないのだが、吉祥寺西友に入っているダイソーで、その300円DVDを探そうと思ったのである。

 まず行った西友のダイソーも、残念ながらDVDは扱っていなかった。仕方ないので、道を挟んだヨドバシカメラに。
 ここは、あるわあるわ、山のような品揃えである。例によって、何を買って帰るか迷ったのだが、今回の基準ははっきりしている。いつも散歩に行く近所の本屋には置いてないものである。

 結局、“拳銃無宿”、“コロラド”、“ならず者”、“リオ・グランデの砦”、“ガンヒルの決闘”(以上はキープの500円DVD)、それに“西部開拓史”(これだけはワーナーブラザースの期間限定廉価版で1350円)を買った。
 ちなみに、ヨドバシカメラはすべて定価の1割引(+ポイント)なので、キープ版は450円。5枚買ったので帰りのバス代くらいは倹約できる。

 夜中になってから、“コロラド”を観た。1865年、南北戦争が終結に近づいたコロラドからドラマは始まる。

 北軍の大佐(グレン・フォード)は、戦争で精神に異常をきたしており、白旗を掲げている南軍に対して砲撃を命じ、100人も殺戮する。戦争終結後、コロラドの故郷に凱旋した大佐は、武勲を称えられて連邦判事に就任するが、異常はますます昂じ、判事の地位を利用してかつての部下まで絞首刑にする。
 かつての戦友であり、判事から連邦保安官に任命されたウィリアム・ホールデンの諌言にも耳を貸さないため、ホールデンは判事と対立する鉱山労働者を守る側に立つことになる。

 背景が、法律を専門とする者としては興味深い。

 当時アメリカ合衆国に編入されていなかったコロラドでは、鉱山(砂金の金脈)は発見した者の所有とされていた。ゴールド・ラッシュ時代に金脈を掘り当てた所有者たちは、その後南北戦争に北軍の兵士として参戦するのだが、数年後に帰郷してみると、戦争に行かなかった強欲な老人が、鉱山は自分の所有物だと主張して、かつての所有者である帰還兵たちの鉱山への立ち入りを暴力で排除する。
 3年間放置されていた鉱山は所有権が消滅するという連邦法(?)ができたらしく、この法律を盾に、判事も老人側を勝訴させ、鉱山に戻ろうとする帰還兵たちを片っ端から絞首刑にするのである。

 こんな法律が本当にあったのかどうかは分からないが、アメリカなら、いかにもありそうなことである。貧しい階層の出身者が大学進学の奨学金を得るために海兵隊に志願して、イラクで戦死する。その一方で軍需産業が潤うという、今日のアメリカの姿がオーバー・ラップする。

 グレン・フォードの異常行動の背景らしい戦時中の体験が描かれていないため、戦後の判事としての彼の常軌を逸した行動が十分に説得的でないし、ウィリアム・ホールデンとのかつての“友情”に結ばれた絆もいまひとつ説得的でない。二人に愛された女性が、グレン・フォードと終戦後さっさと結婚してしまうというのも理解できなかった。

 もうひとつ、久しぶりにカラー(テクニカラー)の映画を見たのだが、このところモノクロに馴染んできた者としては、寝る前にカラーを見るというのは、心身(眼)ともに疲れる。

 ドラマとしてはいまひとつだったが、“コロラド”の特筆すべき点は、あの博識の芦原伸『西部劇を読む事典』にすら掲載されていないことである。
 作品別の解説の項にも一切登場しないし、西部劇のB級スター列伝の「グレン・フォード」の主な出演作品にも“コロラド”は出てこない。巻末の作品索引にもないところを見ると、おそらく本文中には一切書かれていないのだろう。最近の索引は、パソコンによって本文データ中にある単語をくまなく拾うことができるのだから。
 
 芦原本にもない西部劇を見つけたということで、☆1つくらいとしておこう。 

 * 写真は、キープ(KEEP)版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[赤25]コロラド”(原題は“The Man from Colorado”)のケース。1948年作品。

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“駅馬車”

2008年02月21日 | 映画

 芦原伸『西部劇を読む事典』には、彼が選んだ「今のうちに観ておきたい西部劇70選」(270頁)と、「必ず観ておきたいクラシック西部劇30選」(315頁)というリストが載っている。
 「今のうちに観ておきたい~」というのは同書が出版された2003年頃に、既に町の貸ビデオ店の店頭から消えつつある西部劇ビデオ(ないしDVD)ということである。
 これらのリストによって、彼の考える西部劇ベスト100は分かるのだが、あれほどの西部劇マニアの彼がどの映画をベスト1と考えていたのかは、ぜひ知りたいところだが、書かれていない(と思う)。

 ぼくにとっては、西部劇映画のベスト1は“駅馬車”である。

 大した本数を見たわけでもないので、「ベスト1」だの何だのという資格はないのだが、個人的にはこれしかない。理由は2つある。
 1つは、“駅馬車”が親父と二人で見に行ったたった1本の映画であること。くそ真面目な勉強家だったぼくの父親は、映画などにはまったく関心を持っていなかったのだが、ぼくが中学生だった頃、ある日突然「“駅馬車”を観にいこう」と誘ってきた。
 たぶん映画好きの研究者仲間の誰かに影響されたのだろう。

 キネマ旬報の『アメリカ映画作品全集』の“駅馬車”の項目(淀川長治の執筆である!)をみると、1951、53、62年日本公開とあるから、1962年、ぼくが中学1年生のときだろう。出かけたのは日比谷映画だった。
 きのう再び見たのだが、ストーリーはほとんど忘れていた。

 “駅馬車”がベストだと思う2つ目の理由は、主人公がジョン・ウェインであるうえに、彼が求婚する相手が商売女だったことである。

 キネマ旬報の淀川解説では「商売女」だが、水野解説では「酒場の女」、芦原本では「娼婦」となっている(139頁)。
 芦原本にも書いてあったが、当時のアメリカ西部の「サルーン」というのは、決してヨーロッパの「サロン」ではなく、場合によっては売春宿でもあったらしい。
 いずれにしろ、ジョン・ウェインはそのような女に求婚し、ジョン・フォードのカメラも、彼女を追出したキリスト教婦人然とした中年女や、騎兵隊大尉夫人などよりも、彼女を好ましい存在として描いている。

 西部劇は、アクションものの形を借りたラブ・ロマンスのことも少なくないが、“駅馬車”に描かれたロマンスは、ぼくはきらいでない。

 前にも書いたけれど、ぼくの大好きなサマセット・モームが『お菓子と麦酒』の「まえがき」で、10代でトマス・ハーディの『テス』を読んだモームは、テスのような乳絞り女と結婚したいと思ったと書いていたが、モームのテスに対する思い、あるいは、モームの温かい筆で描かれる『お菓子と麦酒』の女主人公ロージーのような女性への憧れが、“駅馬車”の二人にも感じられたのである。

 ぼくたちの大学受験時代、頻出の現代国語の筆者の一人に精神科医の島崎敏樹がいたが、彼の本のどれかに、「男が理想とするのは、母性と処女性と娼婦性を兼ね備えた女である」といった内容の文章があったのが今でも印象に残っている。

 もちろん不満はいくらでもある。インディアンの襲撃の必然性のなさ、ただ単にスペクタクル場面が必要というだけなのではないか。
 しかも、その襲撃シーンをほめる者もあるが、駅馬車に追いついたのに襲撃することもなく、ただ並走するだけのインディアン、駅馬車の馬に乗り移ったものの、ジョン・ウェインに撃たれたはずのインディアンが落馬した後に平然と立ち上がるシーンが映っている場面などもあった。
 飲んだくれの医者というのも、ステロタイプなうえに、いかにもご都合主義的な配置である。これでアカデミー助演男優賞というのも理解できない。

 でも、やっぱり、ぼくの西部劇ベスト1は“駅馬車”ということにしておこう。

 * 写真は、キープ版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[黒41]駅馬車”のケース。原題は“Stagecoach”。ジョン・フォード監督、1939年。
 ケース裏の解説に、“駅馬車”はジョン・フォードが「サマセット・モームの『脂肪の塊』に材を得た」などと書いてあって、ビックリした! 『脂肪の塊』はモーパッサンでしょう。他の解説は大丈夫なんでしょうか・・。

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“ララミー牧場”と“ライフルマン”

2008年02月19日 | テレビ&ポップス
 
 西部劇ネタのつづき・・。
 
 ぼくが子どもの頃に見ていたテレビの西部劇番組は前回書いたとおりだが、当時出ていた“テレビジョン・エイジ”というテレビ番組紹介雑誌(月刊だったと思う)の記事で、印象的だったのが1つある。

 それは、“ララミー牧場”に出演していた末っ子アンディ役と、“ライフルマン”のチャック・コナーズの息子マーク役の子役は、実の兄弟であるという記事だった。そして、二人が日常生活で仲良く並んでほほ笑んでいる写真が載っていた。
 
 “テレビジョン・エイジ”は見つからなかったのだが、先日ネットで買った「アメリカンTVドラマ50年」(共同通信社)をみると、“ララミー牧場”の項に、弟のアンディ少年(ロバート・クロフォード・ジュニア)と紹介があり(40頁)、“ライフルマン”の項には、一人息子マーク(ジョニー・クロフォード)とあるから(44頁)、やっぱりこの二人が実の兄弟(クロフォード兄弟!)であるという記事の記憶は間違いないだろう。ララミー牧場のほうが兄である。
 マークの写真は載っているのに、アンディの写真は掲載されていないが、“ララミー牧場”のアンディ少年の顔も、マークと似た面長で涼しげな目をした子役だった。

 なお、“ララミー牧場”のスリムとジェス[ロバート・フラー]とアンディは兄弟だと記憶していたが、この雑誌を読んで、ジェスは流れ者の他人だったことを思い出した。したがってアンディを「末っ子」というのは不正確である。

 ついでの思い出で、“バット・マスターソン”に出てくるワイアット・アープ役の俳優はブ男で、逆に“保安官ワイアット・アープ”に出てくるバット・マスターソン役の役者は不細工だった。主人公が違うのだから、まあ当然ではあるが・・。
 この雑誌で、その不細工ぶりを確認しようと思ったが、“バット・マスターソン”に関してはジーン・バリーの写真しか(39頁)、“保安官ワイアット・アープ”についてはヒュー・オブライエンの写真しか載っていなかった(55頁)。

 “ローン・レンジャー”は、主人公たちが馬に乗って西部の荒野を駆けめぐっていたように見えたが、実はほとんどのシーンがスタジオ撮影だったと思う。

 もう一つ、ついでに、“名犬リンチンチン”というのもよく見ていた。題名の語感が悪かったのか、後に“名犬リンティー”と改名されたはずである。“アニーよ銃をとれ!”も子ども向け西部劇だった。
 肩から拳銃ベルトをかけた“モーガン警部”なんてのもあったが、あれは西部劇の範疇に入るのかどうか。

 * 写真は、BS fan MOOK21『懐かしき場面写真とエピソードで綴る--アメリカTVドラマ50年』(共同通信社、2003年)の表紙。

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芦原伸『西部劇を読む事典』

2008年02月18日 | 本と雑誌
 
 芦原伸『西部劇を読む事典』(NHK生活人新書)は、これまでにもたびたび引用させてもらったが、ぼくにとっては大変に面白く読める本である。

 子どもの頃から西部劇は嫌いではなかったが、芦原少年のように昭和30年代に、大須の映画館に通いつめてB級の西部劇映画を観まくったというような経験はない(年齢も彼のほうが数歳上のようである)。
 思い出にある西部劇といえば、渋谷の東急文化会館の西側の壁面一杯に“荒野の七人”の看板がかかっていたことと、同じく“燃える平原児”のエルビス・プレスリーの大きな看板がかかっていたことくらいしかない。
 キネマ旬報の『アメリカ映画作品全集』で調べると、両方とも1961年の日本公開とあるから、ちょうどぼくが小学校4、5年生頃の記憶である。

 その頃、ぼくは、どこかの児童書出版社から出ていた子ども百科事典式の『西部劇事典』を持っていた。ビリー・ザ・キッド、デビー・クロケットなどの写真(イラストかも)や、コルト45、ウィンチェスター銃などの写真が載っていた。
 芦原本を読んでいるうちにその本の記憶がよみがえり、ひょっとしてと思って先日、神田神保町の古書会館(?)に入っている児童古書専門のみわ書房に探しにいったが、その手の本は見つからなかった。

 さて、芦原本は、「映画で辿る西部開拓史」「西部の民俗学」「西部英雄伝」などとつづいて、西部劇にまつわる彼の薀蓄が満載されている。この本を読まなかったら、たとえ時間潰しにしても西部劇など見なかったかもしれないが、この本で予備知識を与えられたために、500円DVDを結構楽しく見ている。

 ところで、ぼくは昭和25年生まれで、芦原少年が大須の映画館に通っていた昭和30年から35年頃は、まだ映画館などに行くことはできず、西部劇はもっぱらテレビで見ていた。
 残念ながら、芦原本には、テレビ映画の西部劇は一切紹介されていない。ぼくの世代にとってのテレビ西部劇の古典は、なんといっても“ララミー牧場”だろう。淀川長治の「西部こぼれ話」ともども是非もう一度見て見たいが、ビデオもDVDもないようである。

 その他にぼくが好きだったのは、前にもこのブログで主題歌の思い出を書いた“幌馬車隊”や、スティーブ・マックィーンの“拳銃無宿”、チャック・コナーズの“ライフルマン”、“ローハイド”、“保安官ワイアット・アープ”、“バット・マスターソン”などである。
 “ローハイド”でウィッシュボーン爺さんが作る豆料理をカウボーイたちが美味そうに食べるので、母親に頼んでハインツの豆の缶詰を買って同じような料理を作ってもらったが、不味かった。

 “ガンスモーク”や“ブロンコ”“シャイアン”(この2作は1週交代で放映されていたこともあった)“ボナンザ(カートライト兄弟という題名だったこともあった)”などは、少し大人向けで、ロイ・ジェームスが主人公の吹き替えをやっていた“ガンスモーク”などはキス・シーンが出てくるために見ることを親に禁止されていた。
 “カクタス・キッド”とかいう和製西部劇もあったように思う。カクタス石油の提供だった。

 こういったテレビ西部劇の題名をグーグルで検索したら「TVオタク第一世代」というのに出会い、そこに紹介されていた参考文献の『外国TV映画大全集』(芳賀書店)、『外国テレビ・ドラマの50年--テレビの黄金時代』(キネマ旬報)、『アメリカンTVドラマ50年』(共同通信社)というのを、これまたネットで買った。

 本当は、当時時おり買って(もらって)いた「テレビジョン・エイジ」という雑誌が懐かしくて、矢口書店、@ワンダーなどを探したのだが、まったく存在しなかった。上の雑誌も、あれこれ懐かしい思い出をよみがえらせてくれたが、そのことはまたおいおい書き込むことにしよう。

 * 写真は、芦原伸『西部劇を読む事典』(NHK生活人新書)の表紙。

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“赤い河”

2008年02月17日 | 映画
 
 人が物事を決定するときには、脳はどのようなメカニズムを働かせているのだろうか?
 昔、東海林さだおの「ショージくんの~」シリーズの中に、勤務中のサラリーマンが午前11時頃からその日の昼飯に何を食おうかと散々考えた挙句に、ようやく決定した食べ物を注文の瞬間に変更してしまうという、滑稽なエッセイがあった。

 何の話になるかというと、西部劇の500円DVDの決め方である。

 芦原伸著『西部劇を読む事典』(NHK生活人新書)の推薦に従って、時代順に“拳銃無宿”から見て行こうと決心したのだが、あいにく近所の本屋にはキープ版の“拳銃無宿”がなかった。他社版の“拳銃無宿”はあるのだが、英語字幕がついてないので、買うのならキープ社のにしたい。
 時代順の第2番目の“真昼の決闘”はパス。第3番目は“北西騎馬警官隊”、第4番目は“遥かなる地平線”、“ヨーク軍曹”と続くのだが、この辺は、キープ社版“水野晴郎の~”シリーズにも、ファーストトレーディング社版“Classic Movies ~”シリーズにも入っていない。
 
 ここから、本屋のDVDコーナーの前に立つたびに、ぼくの苦悩が始まるのである。時代順は維持できない。ではテーマ別で行こうか。しかし大きく時代を前後させたくもない。
 インディアンとの交流物は“白昼の決闘”でつまづいてしまった。“折れた矢”でリベンジするか、それとも、テーマを代えてみようか。代えるとしたら、南北戦争ものか、鉄道建設ものか、騎兵隊ものか、キャトル・ドライブ(牛の大量移動)ものか・・。

 結局今回は、cattle drive ものの、“赤い河”となった。ジョン・ウェインと若いモンゴメリー・クリフト(ちょっと少し前のトム・クルーズに風貌が似ている)、それに“西部の男”でロイ・ビーンを演じていたウォルター・ブレナンなども登場する。

 舞台は1851年のテキサス。その未開地に一つがいの牛を連れたジョン・ウェインがやって来て、牧場を開く。14年後に、その牧場は大牧場となるが、南北戦争に敗れて疲弊した南部では牛は売れない。
 そこで、ウェインは孤児から育て上げたモンゴメリー・クリフトらとともに、数千頭の牛を連れて、数千km離れたミズーリに向かう。
 しかし、途中でカンサスのアビリーンへ向かう安全な道(チザム・トレイル)があるという情報が入るのだが、頑固なウェインはミズーリ行きを譲らず、モンゴメリー・クリフトと決別してしまう。
 ・・・というような話である。

 テレビは、どこも芸能人やらアナウンサーの東京マラソンの珍道中の中継ばかりの、きょうの午後この“赤い河”をみた。芦原本では、“必ず観ておきたいクラシック西部劇30選”に入っている(315頁)。
 まずまずの出来であった。

 * 写真は、“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画28 赤い河”ハワード・ホークス監督、1948年(キープ)のケース。

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“白昼の決闘”

2008年02月13日 | 映画
 
 入学試験の監督、採点は中休み。学年末試験の採点の一部はまだ残っているのだが、寒風のなか散歩に出かけて、また500円DVDの“白昼の決闘”を買ってきた。

 当初は、芦原センセイの教えに従って、時代順に“拳銃無宿”を買うつもりだった。しかし、キープ社版の“拳銃無宿”はなかった。キープ社のDVDには日本語だけでなく英語の字幕もついているので、できれば他社のものにはしたくない。
 時代順で行けば、次は“真昼の決闘”なのだが、これはすでに何度も見ているので、あえて今日見ようという気にならない。

 で、どうするか。
 芦原センセイの本を読んでいて、ぼくは開拓民とインディアンの関係が気になった。これまでの西部劇の記憶では、開拓民とインディアンは天敵のように争ってばかりいる印象だったのだが、芦原本を読むと、インディアンと白人との間には結構交流があり、インディアンの言語を習得して通訳になった白人や、結婚してインディアンの娘に子供を産ませる者もいた(逆はないだろう)。そういった子をスコウマン(squaw man)というらしい。

 言われてみれば、確かに、テレビの“ローン・レンジャー”でも、トントというインディアンがローン・レンジャーの斥候のような役をやっていた。

 で、気が変わって、インディアンとの交流モノということで、“白昼の決闘”か“折れた矢”かで迷ったのだが、結局“白昼の決闘”にした。

 「監督が三人も替わり、脚本家が四人もクビになった」ほど、セルズニクの情熱がこもった作品という水野晴郎の解説だったが、見始めた早々から退屈で、見つづけるのが苦痛になった。 
 
 最近、見る映画すべてが新鮮だったのだが、久しぶりに“ハズレ”だった。まず、ぼくはジェニファ・ジョーンズがあまり好きではない。そのメイクも、インディアンなのかメキシカンなのかも分からないような代物である。
 ジョセフ・コットンとグレゴリー・ペック兄弟の葛藤も、ステロタイプである。あの、“カインとアベル”物語そのままなのである。しかも、その兄弟間の葛藤も“エデンの東”などに比べて数段劣った描かれ方である。

 さらに、二人の男から愛された女が一人を選ぶのだが、その選択が正しかったかどうか生涯悩む、しかも選んだ瞬間から悩み始めるというのも、サマセット・モームの“Home”(日本語版でいえば『コスモポリタンⅠ』新潮文庫所収の「生家」)などと同じである。ちなみに新潮文庫の龍口直太郎解説によれば、モームの“Cosmopolitans”は1936年の刊行だから、“白昼の決闘”より10年早い。

 結局、兄のジョセフ・コットンが花嫁候補を連れて勘当された生家に戻ってくる手前で見るのをやめてしまった。もうどうなろうと、その先に興味はなくなってしまった。セルズニクは、“風と共に去りぬ”並みを当て込んで制作費に600万ドルをつぎ込んだというが、ペイしたのだろうか。

 ついでに、ジョセフ・コットンという役者も気の毒である。このDVDのケースの「白昼の決闘」の標題の上には、“グレゴリー・ペック ジェニファ・ジョーンズ”としか書かれていない。前に見た“第三の男”だって、どう見たって主人公はジョセフ・コットンだろうに、キープ社版のDVDのケースには“オーソン・ウェルズ主演”と麗々しく銘打たれていた。
 そういう位置づけの役者だったのだろう。

 唯一の収穫といえば、前に見た“西部の男”では、当時のテキサスには、いまだ合衆国政府の実効的支配は及んでいなかったが、今回は、鉄道建設に反対する牧場主の武装蜂起に対して、鉄道会社を守るために星条旗を掲げた騎兵隊が駆けつけるシーンがあった。
 キネマ旬報の『アメリカ映画作品全集』によれば、“白昼の決闘”の舞台は1880年のテキサスだという。“西部の男”もケースの解説によると、舞台は1880年代のテキサスだという。年代の問題ではなく、地域の問題なのだろうか。 

 * 写真は、キープ版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画43 白昼の決闘”のケース。監督キング・ヴィダー、1946年。 
 原題は、今度こそは“Duel in the Sun”で、まさに「決闘」だが、sunは「白昼」でいいのか・・。
 音楽は、テキサスもので、これまた定番のディミトリ・ティオムキン。時おり流れる“夢見る頃を過ぎても”ばかりが印象に残り、あまりティオムキン「らしく」なかったけど。


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“シベールの日曜日”

2008年02月12日 | 映画
 
 ぼくが大好きな映画のひとつである“シベールの日曜日”のスチール。原題は、“日曜日のビル・ダブレイのシベール”(もちろんフランス語だが)だった。
 
 高校時代の友達がどこかから仕入れてきたスチール写真を、同じく高校時代の友達が拡大してくれたもの。40年近く、ずっとぼくの勉強部屋の壁に飾ってある。

 いつだったか、NHKの“迷宮美術館”を見ていたら、コローは、このビル・ダブレイの森を好んで描いたといっていた。
 ぼくは行ったことはない。

 ハーディー・クリューガーが、兵隊時代に子供を殺した記憶がよみがえって、墜落死してしまったあとに、主人公の女の子(シベール)が、警察官から名前を聞かれて、「もう名前なんかない!」といって泣くシーンが印象的である。

 20年くらい前までは何度かテレビでも放映されたが、今では、ネットで調べてもDVDすら発売されていないようだ。
 でも、この映画は、ぼくの“幻の映画”のままでいい。 


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“西部の男” ロイ・ビーン

2008年02月11日 | 映画
 
 先日、何の期待もせずに、ただの暇つぶしに500円DVDの“荒野の決闘”を買ってみたら、これが結構面白かった。
 何でも“~の決闘”としてしまう邦題とは裏腹に、西部劇というよりはラブ・ロマンスだったことも意外であった。原題が“My Darling Clementine”というのだから、当然といえば当然なのだが。
 主人公のヘンリー・フォンダが、友人(ドク・ホリデイ)の愛人を好きになるあたりは、その前に見た“第三の男”と同じ趣向である。
 
 昔の西部劇全盛期が懐かしくなって、何から見たら良いか勉強しようと思い立って、芦原伸『西部劇を読む事典』(NHK生活人新書)を買ってきて読み始めると、この本がまた面白くて、ためになる。
 西部劇の登場人物たちが、ただ目的もなくドンパチをやっていたわけではなく、それにはそれなりの背景と理由があったことを知らされた。
 要するに、開拓時代のアメリカ政府の土地政策がいい加減なのである。まずは牧畜業者たちに自由に土地を使って放牧することを許す。そのうちに、トウモロコシや麦や綿花を栽培する開拓農民たちに土地を無償で供与したりする。さらには、鉄道敷設業者に沿線の土地を分譲する。
 しかも、これらの過程で、先住民インディアンと条約を結んだかと思えば、白人にとって一方的に有利なその条約すら平然と反故にする・・・。

 牧童たちは理由もなしに開拓農民を襲ったわけではないし、インディアンも訳もなしに白人を襲撃したのではない。『西部劇を読む事典』で予備知識を得てから、同書に紹介されているお奨めの西部劇を時代順に見ながら、アメリカ開拓史でも勉強しようと思った。
 アメリカのことだから、“西部劇とアメリカ土地法の生成”式の論文もきっと数多見つかることだろう。おいおい探してみよう。昔読み始めて挫折してしまったビーアド『アメリカ合衆国史』や、H・N・スミス『ヴァージンランド』なども読み直してみたくなった。

 そこで、芦原本で時代順のまっ先に取りあげている“拳銃無宿”でも買おうかと本屋に出かけた。“拳銃無宿”は植民地時代の初期のクエーカー教徒の生き方を描いたものらしい。
 しかし、500円DVDの棚からあれこれのタイトルを取り出して、箱の解説を眺めているうちに、「法律の虫」が騒ぎ出して、西部劇の法廷もの(といってもバーの一隅の「法廷」だが)である“西部の男”(The Westerner)というのを買ってしまった。
 
 無法者にして裁判官(“magistrate”ではなく“judge”と呼ばれていた)だったロイ・ビーンの話である。芦原本を読んでなかったら許しがたい悪党なのだが、予備知識を得たうえで見れば、彼にも「三分の理」はあるのかもしれない。要するに、牧畜業者(“cattle men”)の利害を代弁しているのである。
 それにしても、主人公のゲーリー・クーパーが、ロイ・ビーンによって縛り首にされた開拓農民の妻(妹だったかも?)を愛していながら、ロイ・ビーンとも交流するというのは、どう考えれば良いのか・・・。「国家」なき開拓地にあって、国家に代わって牧畜業者と開拓農民の間を調整しているとでも言うのだろうか。

 ラブ・ロマンスとしては“荒野の決闘”のほうがはるかに上出来であるが、(少なくともアメリカ開拓期における)国家と法の関係の一端を垣間見ることはできる。どこまで時代考証をしているのかは知らないけれど。

 * “西部の男”(The Westerner) ウィリアム・ワイラー監督、1940年作品。音楽は、テキサスというとやっぱり、ディミトリ・ティオムキン。
 写真は、ファーストトレーディング“Classic Movies Collection 294 西部の男”のケース。

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豪徳寺、石川屋健在!

2008年02月08日 | 玉電山下・豪徳寺

 久しぶりに“豪徳寺”ネタ。

 一昨年の年末に、豪徳寺在住の(それこそ旧紅梅キャラメル工場だったか、同社の社長宅跡に建ったマンションに在住の)旧友から、「今年(2006年)あの石川屋が閉店したよ」という、ビックリするニュースが届いた。
 変なファスト・フード店などに建て替えられる前に写真を撮りにいかなければと思いつつ、あっという間に1年以上経ってしまった。

 ところが、である。きょうの朝といっても10時前後にテレビをつけたら“ちい散歩”というのをやっていて、きょうの街はなんと豪徳寺だった。“ちい散歩”というのは、しょうもない番組ばかりの最近のテレビの中では、ましなほうで時おり見ている。

 豪徳寺のどこを歩くのかと思ったら、いきなり豪徳寺駅の西側を南北に通る、あの懐かしくて狭い商店街である。
 
 そして、まず登場したのが“ウワボ”という雑貨屋であった。小学生だった僕が日々紅梅キャラメルを買いに行った“ウワボ”菓子店と同じ店なのかどうかは分からないが、あの辺の“上保”さんがやっている店だろう。
 つづいて、何と、次が“石川屋”なのである。ちゃんとテロップも“石川屋”と出ていた。ただし、昔ながらの肉屋ではなく、おそらくその軒先の屋台で、おばさんが焼き鳥を焼いていた。売っていたのがコロッケでなかったのは残念だが、とまれ、あの店がまだ残っているのは嬉しいかぎりである。

 慌ててカメラを取ってきて画面を写したのだが、その後は“ゆりのき通り”とか何とか、ぼくの豪徳寺とは縁もゆかりもない場面になってしまっていた。
 パンのヤナセも、トミヤ洋品店も、茂呂運送店も、代一元(だったか、ラーメン屋)も、通称“上の市場”も出てこなかったけれど、あの商店街から、ウワボと石川屋をピック・アップしただけでも勲章モノである。
 本当は、玉電山下駅の狭い路地に軒を並べる店も映してほしかったけれど。

 * 写真は、きょう(2008年2月7日の“ちい散歩”の画面から。残念ながら豪徳寺商店街のシーンは終わってしまった後の風景。小田急線沿いを経堂方面に向かうところらしい。)

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東京の雪(2008年2月3日)

2008年02月04日 | あれこれ
 
 東京は久しぶりに雪が積もった。

 ぼくが大学を卒業した1974年3月25日の翌26日も東京は雪だった。あの日、ぼくは当時好きだったゼミの同級生の彼女に頼まれて、大学まで彼女の卒業証明書を取りに行った。彼女はその日の早朝から、入社する会社の合宿研修に出発していた。山手線の内回りに乗って、窓から東京の雪景色を眺めていた。

 きょうの雪に誘われて学生時代の日記をめくると、1974年3月27日の日記には、
 
 午前5時13分。パック・イン・ミュージック火曜日第2部、滝良子が終わって暫くの時が経った。深夜放送は、きょうを最後にしよう。
 学生生活はまもなく終わる。卒業式の二次会、あのゴーゴー・クラブの暗い廊下を走り去っていった彼女の後ろ姿が脳裏によみがえってくる。もう彼女と会うことはない。

 --愛は戦いである。しかもそれは、力による戦いより幾百倍も苦しい。なぜなら、愛の戦いにおける武器は、ひとり信のみなのだから。娘よ、このことを覚えておいてほしい。おまえが愛の戦いに苦しむとき、ためされているのは、おまえの信なのだということを。

 --などと、引用するためにキーボードを打っているのさえ恥ずかしくなる文章が認められている。「愛は戦いである・・」という文章は多分マルタン・デュ・ガールの“チボー家の人々”からの引用だと思う。
 自分に言い聞かせるための引用だったのだろうが、実は、その後の彼女の人生へのはなむけのような言葉だった。

 ぼくとは何の関係もなく、やがて彼女は、当時付き合っていた同級生の彼と別れ、その後、長いこと社内の妻子ある上司と不倫にあり、30歳を大きく過ぎてからその彼と結婚したと風の噂に聞いた。

 何事もないように、年賀状だけは毎年届いた。その噂を裏書きするようにある年、苗字が変わっていた。その頃は、彼女への未練はとうに消えていたどころか、ぼくも既に結婚して上の子どもができていた。
 今年の年賀状には、彼女の下の子どもが大学生になったと書かれていた。確実に一つの世代が代わったのだ。

 イルカの“なごり雪”を聴くと、いつもあの卒業の年の3月26日の山手線から眺めた雪景色を思い出す。ただしイルカの“なごり雪”がリリースされたのは翌年の1975年だから、卒業式の翌日の雪の思い出に、あとから“なごり雪”かくっついてきたようだ。
 ぼくがカラオケで“なごり雪”を歌うと、学生たちが上手いとほめる。それはそうだ。こめられた思いに年季が入っているのだから。

 (* 写真は、わが家の二階から眺めたきょうの雪。雪の屋根を俯瞰で眺めていると、チャン・イーモウの“紅夢”を思い出す。印象的な雪だった。密告した妾が拉致されて殺されるシーンのあの雪の屋根。早朝の雪の静けさの中に、殺される女の絶叫が響き、やがて雪の中に消えていく。あの映画の「紅」は雪の白さを際立たせるための脇役にすぎない。)

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“荒野の決闘”

2008年02月03日 | 映画
 
 テレビが死ぬほどつまらない。ニュース以外はほとんど見なくなってしまった。テレビ受像機で見るのは、東京でもDVDばかりになりつつある。

 昨年10月のギックリ腰以来、夕方散歩に出かけては本屋に立ち寄り、面白そうな本が何もないときは、500円DVDを買って帰るのが日課になった。買ってきたものの、時間がなくて見ていないものもある。
 とくにこの2週間は、野球少年の次男が足首を捻挫して、2階の自分の部屋に上がれず、テレビの置いてある居間で寝起きしているため、彼の勉強中や就寝中の夜中に見ることもできない。

 先日久しぶりに息子の帰宅が遅かったので、買いためてあった中から“荒野の決闘”を見た。
 原題は“My Darling Clementine”だったらしい。主題歌は“Oh my darling, oh my darling, ~♪”という、あの山男の唄である。山男たちも、この映画の中のヘンリー・フォンダのように、好きになった女性に「好きです」と言えなかったのだろうか。

 DVDのケースには、「駅馬車」と並ぶ西部劇の傑作と書いてあるが、これはラブ・ストーリーだろう。アメリカ西部劇版“藤沢周平”である。
 ラスト・シーンでヘンリー・フォンダ演じるワイアット・アープが、別れるクレメンタインにむかって言うセリフがいい。

 “I sure like that name, Clementin.”

 この点では、解説を書いている水野晴郎に賛成しておこう。

 その何日か前に見た“第三の男”もそうだったが、モノクロームというのは、何と落ち着いていて、きれいなのだろうか。

* “荒野の決闘”はジョン・フォード監督、1946年の作品。
 写真は、キープ“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画42 荒野の決闘”のケース。



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