豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

東京モーターショー 断捨離の途上で(7)

2019年03月14日 | 東京を歩く

 断捨離シリーズもネタ切れというか、面白みにかけてきた。

 今回は1960年代に、毎年晴海で開催されtれいた“東京モーター・ショー”の入場券。

 上から1962年の第9回。当時はまだ“全日本自動車ショー”などと言っていたらしい。
 次が昭和38年(1963年)の第10回。東京オリンピックの前年のため、「東京オリンピック基金募集協賛」と銘うってある。
 第11回のチケットには“11th TOKYO MOTOR 東京モーターショー 入場券”以外何も書かれていない。裏面も白紙である。1964年開催のはずである。
 
 最後が1965年の第12回。
 この年は一転して、チケットにあれやこれやと色々なことが書いてある。
 会期は昭和40年10月30日~11月11日、会場は東京・晴海、時間は午前10時~午後5時(但し日曜・祭日は午前9時より)。

 おまけに右下に抽選番号がついている。裏面に景品が書いてあって、各自動車会社から提供される車が当たったようだ、
 いすゞ賞 いすゞベレット1300 2ドア に始まって、ダイハツ・ベルリーナ F30、マツダ・ファミリア 4ドア SSA、日野コンテッサ1300 スタンダード PD100 などなど、懐かしい名前がつづく。
 
 この年の半券の裏に「不二スバル自動車」のスタンプが押してあるところを見ると、わが家でスバルを購入していた販売会社からもらった入場券で出かけていたのかもしれない。
 私の記憶では、クルマ好きだった友人に誘われて出かけたように思っていたのだが、券はぼくが貰ったものだったのかもしれない。

 戦後間もなくのような、馬鹿でかいアメリカ車の時代は終わっていて、オシャレなヨーロッパ車に人気は移っていたころである。
 アルバムを探せば、流線型の、しかし大型ではないイギリス車の前で撮った写真が出てくるはずである。
 いずれにせよ、クルマが憧れだった時代の思い出である。 
 

 チケットの半券のついでに、“ミロのビーナス展”そのほかの半券も、思い出にアップしておく。

 一番上は出光美術館の入場券。
 昭和49年1月~2月開催の“出光コレクション サム・フランシス展”の入場券。
 サム・フランシスが何者だったかも記憶にないが、はっきり覚えているのは、行った日が雪の翌日で、出光美術館の窓から眺めた皇居の雪景色がきれいだったこと。
 しかもなぜか、その当時好きだった結城昌治の「公園には誰もいない」という確か講談社文庫の表紙の雪景色とイメージが重なる。

 “ミロのビーナス”は1964年4~5月に国立西洋美術館で開催された。超満員で、立ち止まることが禁止されて、ただビーナスの前を流れるように歩いた記憶しかない。中学生100円だったらしい。

 “英国博覧会”は1965年9月~10月開催。これまた東京晴海会場とある。一般150円。
 裏面に「英国製品でより豊かな生活を!」とある。


         


 さらについでに、ファンだったソフィア・ローレンの“ひまわり”のチケットも・・・。

               


 さらに、さらに、もう最初の“モーター・ショー”と何の関連もないけれど、中軽井沢ー東京間の古い特急券も・・・。

         

 ほかにも、学生時代の定期券だの、生徒手帳だの、成績表だの、がらくたが大量に出てきたので、「断」も「捨」もままならず、ひとまず自分の部屋に救済したが、いずれは捨てなければならないだろう。


 2019/3/14 記

 

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東急名画座ほか 断捨離の途上で(6)

2019年03月10日 | 映画

 今回は、古い映画館のチケット(半券)や次週予告のプログラムなど。

 学生時代によく通った映画館は、渋谷駅前の東急文化会館の4階(5階かも)にあった東急名画座だった。
 大学に通うため東横線の渋谷駅ホームに立つと、目の前に東急名画座の3本立ての看板が目に入ってくる。
 そのうちの2本見たい映画だった場合には見に行く(大学はサボるか早めに切り上げる)というルール(?)を自ら立てていた。

 この映画館は、東宝東和提供のメロドラマ系をよく上映していたように記憶する。

            
 
 
 もう1軒が新宿駅東口の雑居ビルに入っていた名画座ミラノである。

 この映画館が入った雑居ビルの2階に、かつてはスケートリンクがあったことは以前に書き込んだ。
 子どもの頃、母に連れられてここにスケートに来たが、手袋を忘れていたため、近所のウエスタリアで、手の甲の部分がタータンチェックの手袋を買ってもらったことがあった。
 なぜかその手袋の色形を鮮明に覚えている。

 今回、この映画館と東急名画座が系列館だったことを知った。ひょっとしたら当時から知っていたのかもしれないが、忘れていた。

 名画座ミラノも、通学の途中で山手線が新宿駅に近づくと、車窓からビル壁面の看板が目に入ってしまう。
 1年間に何百本も見るというような映画ファンではなかったが、月に1、2回は通ったと思う。

                
 
 そして、池袋の文芸坐、文芸坐地下にも時おり行ったらしい。
 現在ではサンシャインに向かう道の左側にあった。“人間の条件”をオールナイトで上映したりしていた。
 
 “エデンの東”を予告する文芸坐のパンフが出てきたところを見ると、リバイバル上映された、そのまた後に2番館、3番館として、ここで上映していたのだろうか。

 早稲田近辺の映画館はほとんど行った記憶はないが、プログラムなどが残っているところを見ると、何回かは行ったのだろう。
 むしろ、何も出てこなかったが、飯田橋のギンレイ(銀嶺?)や飯田橋名画座には行った記憶がある。

        

 最後の、西荻セントラルは、懐かしい西荻窪駅北口の映画通りにあった映画館である。

 中学生の頃、三原堂の前からバスに乗って通学していたが、映画館に入ることは禁止されていたので、入ったことはない。
 バスを待っていると、商店街のスピーカーからコニー・フランシスの“可愛いベイビー”などが流れていた。

               

 なんで、西荻セントラルのパンフなどがあるのだろうか。


 2019/3/10 記 


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