豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

バーナビー警部のフォードとシトロエン2CV

2010年01月28日 | テレビ&ポップス

 バーナビー警部が愛車のフォード(かな?)で自宅に帰ってくると、向こうのほうに娘さんのシトロエン2CVが駐っていた。
 これも、ミステリ・チャンネルの“バーナビー警部ーー旧友の縁”から。“フル2”というので見たので画面が平べったくなってしまった。

 親父さんのフォードは警察車両(?)としては雰囲気がありすぎる。モース警部の真っ赤なジャガーほどではないにしても・・・。
 警察もののリアリティーより、映像の美しさを優先させたのだろう。

 フロスト警部のところでも書いたのだが、イギリス警察の、特に警部クラスの警官のクルマ(マイカー)と警察車両との関係はテレビ番組からは、よく理解できない。
 フロストなどは、捜査にも使っている(マイカーらしき)ボルボのガソリン代を不正請求しようとする場面があった。

 2010/1/28

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バーナビー警部とシトロエン2CV

2010年01月27日 | テレビ&ポップス
 
 バーナビー警部とシトロエン2CV、第4弾!!!!

 これも“旧友の縁”から。
 今度のはどんなシーンだったか忘れてしまったけれど、正面から見た2CV。

 こんな雰囲気のあるクルマは、もう出てこないのだろうか。

 2010/1/27

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バーナビー警部とシトロエン2CV

2010年01月27日 | テレビ&ポップス
 
 バーナビー警部とシトロエン2CV、第3弾!!!

 バーナビーの娘さんが愛車の2CVから降り立つシーン。
 フロント・ドアの二枚折れのガラスが懐かしい。

 快適な室内に慣れてしまったぼくたちは、こんなウインドウでは我慢できないだろう・・・。

 2010/1/27

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バーナビー警部とシトロエン2CV

2010年01月27日 | テレビ&ポップス
 
 “バーナビー警部”とシトロエン2CV。第2弾!!
 
 第2弾は、バーナビーの娘と、バーナビー警部の新しい部下のデイト(?)シーン。
 新任の部下(**巡査部長)が下宿している新聞販売店前のシトロエン2CV。

 これもサマになっている。

 2010/1/27

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バーナビー警部とシトロエン2CV

2010年01月27日 | テレビ&ポップス
 
 DVDレコーダーのなかに、ミステリ・チャンネルかスカパー時代の“バーナビー警部”ものが入っているのを見つけた。
 “旧友の縁”(「えにし」とルビが振ってあった)というタイトル。

 バーナービー警部の娘さんの学校時代の旧友をめぐっておこる連続殺人事件である。
 “バーナビー”と“ジュリー・レスコー”はこの手の、家族が絡む話が多すぎる。しかし、最近は、事件の背後の風景とクルマだけで許してしまうことにしている。

 今回の話では、娘さんの愛車、シトロエン2CVが頻繁に登場する。
 どの光景を背景にしても2CVが映えている。
 日本の風景では、どう頑張っても2CVはこのようには見えない。

 * 写真は、バーナビー警部“旧友の縁”(おそらくミステリ・チャンネル、253chから)。

 201/1/27

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軽井沢千ケ滝西区のスバル1000

2010年01月24日 | 軽井沢・千ヶ滝

 もう1枚、わが家の“スバル1000”の写真を。

 軽井沢、千ケ滝西区のわが家の近くで。
 祖母と母と妹がスバル1000の前に立ち、後部席の窓から従弟が顔を出している。

 ぼくが写したのだろうか?
 こんな頃もあったのだ。

 2010/1/24

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軽井沢西武百貨店とスバル1000

2010年01月24日 | 軽井沢・千ヶ滝

 在りし日の軽井沢西武百貨店前のスバル1000。

 スバル360の写真をブログに載せるために母親のところから借りてきたら、電話があって、スバル1000の写真も見つけたというので、今しがた借りてきた。

 母親と妹と従弟が写っている。日付けは入っていないが、妹が中学1、2年くらいの感じなので、1967年ころだろうか? 前のスバル360の写真が「昭和39年」(=1964年)なので、少し車の買い替えが早すぎる気もする。
 初代のスバル360とスバル1000との間に、もう1台新車のスバル360(グレーだったらしい)が入るはずなので・・・。

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昔日の西武百貨店軽井沢店

2010年01月24日 | 軽井沢・千ヶ滝

 1965年冬の西武百貨店軽井沢店(千ヶ滝店だったかも?)の入り口。ただし冬季は休業中だった。

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わが家の初代“スバル360”

2010年01月24日 | クルマ&ミニカー

 たびたび話には登場するのだが、写真が見つからなかったわが家のはじめてのマイカー。
 “スバル360”の写真を見つけた。

 きょう叔母が私の実家に遊びにやってきた。昼食を一緒にすませた後、私の母親が古いアルバムを引っ張り出して、昔話を始めた。
 横からそのアルバムを覗きこむと、なんと、その“スバル360”の写真が貼ってあるではないか!
 
 母親が石神井の教習所の貸しコースで、軽免許取得のために練習しているところらしい。
 裏に「1964.6.15」と書いてある。
 わが家の最初のマイカーは、初代スバル360の何年落ちかを当時の値段で5万円くらいで買ったはずである。
 カラーは、ボディーがベイジュで屋根がダークブラウンだった。
 
 2010/1/24

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浅間モーターロッジ

2010年01月23日 | 軽井沢・千ヶ滝

 同じく浅間モーターロッジの建物が少し写っている写真。

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軽井沢グリーンホテルの玄関

2010年01月23日 | 軽井沢・千ヶ滝

 以前に載せた“軽井沢グリーン・ホテル”の同じ日に撮った、前のとは違う写真を見つけた。

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“あの日、玉電があった”

2010年01月22日 | 玉電山下・豪徳寺

 お小遣い本、もう1冊は、“あの日、玉電があった--玉電100周年記念フォトアルバム”(東急エージェンシー、2007年)。

 これも、神保町の書泉ブックマート6階の交通関係書コーナーで見かけて、思わず買ってしまった。

 この本の年表によると、玉電は、明治29年に「玉川砂利鉄道」として玉川-三宅坂間で開業したとあるから、以前ぼくが調べた結果と一致している。(このコラムの「玉電100歳」を参照)
 要するに、皇居前広場に敷くための砂利を多摩川の河原で採取して、和田濠に運ぶための貨物線だったのである。

 2010/1/22

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シトロエン “CITROEN”

2010年01月22日 | 本と雑誌

 お小遣いで買った本、もう1冊は、“ワールド・カー・ガイド4 CITROEN”(ネコ・パブリッシング、平成14年改訂2版)。

 このシリーズは、新版もあるようだが、旧版の表紙には“Citroen 2CV”のイラストが書いてあって、ぼくは旧版のほうが好きだ。
 早く買わないと絶版になってしまうと思いつつ買わないままでいたが、今回思い立って買うことにした。

 シトロエン2CVのクルマとしての価値はよく分からいけれど、とにかく形というか佇まいが好きなのである。
 ただし、残念ながら日本の風景にはちょっと合わない。
 “アメリカン・グラフィティー”で、主役のリチャード・ドレイファスも乗っていたが、あの映画のアメリカの田舎にもあっていなかった。
 バーナビー警部や、フロスト警部(出てきたっけ?)の、イギリスの田舎の風景にはよく合っている。
 もちろんフランス映画や、メグレ警視はいうまでもない。“裁きは終わりぬ”で、陪審員に指名された農夫が裁判所に出向くときに、フランスの田舎道をシトロエン2CVで出かけて行ったと思う。

 * 写真は、“ワールド・カー・ガイド4 CITROEN”(ネコ・パブリッシング、平成14年改訂2版)の表紙カバー。

 2010/1/22

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河田保育園、お不動さん

2010年01月19日 | 玉電山下・豪徳寺
 
 その『今よみがえる玉電と世田谷の街』(TAC出版)から、玉電山下駅から松原へ向かう玉電の写真。

 どぶ川(北沢川と言うらしい)から判断して、向って左側の奥が河田保育園(当時は河田母子寮といった)だと思う。
 何かの映画--“私は貝になりたい”か?--でフランキー堺が雨の中を走るシーンをこの保育園で撮影していたのを見た。
 河田保育園の東の踏切を渡ってすぐのT字路を左折して20メートルくらい行ったところにわが家はあった。

 そして、写真の右奥にぼんやりと見えている木立が、ぼくたちが“お不動さん”と呼んでいた山だと思う。
 お寺があって、線路との間がお墓になっていた。お寺の境内は小さな公園で、ブランコがあった。
 階段を下った東側の参道のはずれにはお地蔵さんが立っていた。

 ちょうどこの写真の玉電が走っているあたりの反対車線(三軒茶屋方面行き)に沿った家の子が赤堤小学校の同級生で、庭から線路に忍び込んで、電車に1円玉を轢かせて遊んだりした。
 メグレ警部を見ていたら、メグレ警部も子供時代にまったく同じことをして遊んでいた。子どもの考えることなど、洋の東西を問わずあまり違わないようだ。

 * 写真は、『今よみがえる玉電と世田谷の街』(TAC出版)107ページから。1964年5月、中本雅博撮影とある。
 光っているのはぼくの接写が下手なため。

 2010/1/19

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玉電と世田谷の街

2010年01月19日 | 玉電山下・豪徳寺

 小さな挨拶の原稿を書いたら、1万円足らずの印税が来た。
 原稿料など期待していなかったので、前から本屋で気になっていた本を買うことにした。

 1冊目は『今よみがえる玉電の時代と世田谷の街』(武相高校鉄道研究同好会編、TAC出版、2009年)。

 ぼくが1950年、昭和25年に生れ、1960年まで育った世田谷区豪徳寺(当時は世田谷区世田谷2丁目)というか、「玉電山下」界隈の懐かしい写真が山のように出てくる。
 残念ながら、玉電の三軒茶屋~渋谷間が廃線になった1969年頃の写真が多いが、それでもぼくが物心ついた1955年から60年頃の雰囲気は漂っている。

 ぼくの玉電にまつわる謎の一つは、玉電の渋谷駅はどこにあったのかということだったが、この謎もこの本で解決した。
 今のハチ公広場の南側に「玉電ビル」というのがあって、3階が井の頭線、地下鉄銀座線の渋谷駅、2階が玉電の渋谷駅、そして1階に都電の渋谷駅があったらしい。
 ぼくの記憶でも、地面ではなく薄暗いビルの中だったように憶えている。

 道玄坂から上り坂になり、今のマークシティー、WEST入り口のあたりから、この玉電ビルに入っていたらしい。現在の写真と重ね合わせると、何とか当時の路線を思い出すことができる。
 
 それに対して、大橋のあたりはあまりに変わりすぎてしまって、まったく再現不可能である。
 大橋か池尻のあたりの沿線には、たしか中将湯(津村順天堂)の工場があったはずである。その付近を通過するときは、車内にあの漢方特有のにおいが流れ込んで、我慢できなかった記憶がある。
 気になって、津村順天堂をグーグルで調べると、確かに1940~50年代に「目黒工場」というのがあったらしいが、所在地は書いてない。ちなみに、社長の別荘が上目黒にあったという記事もある。
 中将湯の「目黒工場」が大橋あたりにあってもおかしくはない。

 さて、この本の嬉しかったことの1つは、なぜか「玉電山下」だけ特別のコーナーが設けてあって、山下の懐かしい写真がけっこう多かったこと。
 残念ながら、小さい頃の僕や知っている人物、建物(石川屋、ウワボ菓子店など)は出ていなかったが、わが家の裏山、通称「お不動さん」の木立はしっかり写っていた。

 * 写真は、武相高校鉄道研究同好会編『今よみがえる玉電の時代と世田谷の街』(TAC出版、2009年)。

 2010/1/19

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