藤原彰・粟屋憲太郎・吉田裕・山田朗『徹底検証・昭和天皇「独白録」』(大月書店、1991年)を読んだ。
これも面白かった。文藝春秋がどのような意図で寺崎英成記『昭和天皇独白録』を公刊しようと考えたのかは分からないが*、「昭和天皇は一貫して平和主義者だった」と考えていた人たちにとっては「やぶ蛇」になってしまったのではないか。
『独白録』において、天皇自身の発言が明らかになったことだけでなく、同書の公刊を契機に、昭和天皇の15年戦争(日中戦争、太平洋戦争)への関与の実態が明るみに出ることになった。
* 『独白録』(文春文庫版)の巻末に付された「解説」代わりの座談会(伊藤隆・児島襄・秦郁彦・半藤一利)を読むと、当時はまだこの『独白録』が東京裁判における昭和天皇の免責、戦犯指名回避のために作成されたものであることが判明しておらず、伊藤に至っては「これはおもしろい、と思って読むのが一番素直じゃないですか」などと暢気な発言をしている(256頁)。
ひとり秦だけが『独白録』を東京裁判対策ではないか、英訳があるのではないかと推測しているが(224、227、251~2頁など)、伊藤、児島は、根拠もなしに秦の推測を否定するだけでなく、「英文が出てきたらカブトを脱ぎますがね(笑)」(伊藤)、「せいぜい秦さんにお探しいただきましょう(笑)」(児島)などと揶揄している(245頁)。
実際に、その後『独白録』の英文が出てきたのだが*、伊藤はちゃんと秦にカブトを脱いだのだろうか。
* 吉田裕がその存在を確認し、NHK「東京裁判への道」取材班がボナ・フェラーズ准将(マッカーサーの副官)の文書中から発見したという(粟屋憲太郎『東京裁判への道(上)』講談社、2006年174頁)。
この座談会でも、明治憲法下の昭和天皇が「立憲君主」だったかという昭和天皇免責論の中心論点が議論されているが、ここでも秦だけが明治憲法上の天皇の権限を正しく指摘しているのだが、これに対して、児島は「あなた(秦)、統帥大権を誤解しちゃいけませんよ・・・」、「幕僚長・・・が輔弼するわけですよ」などと明治憲法の明文規定を無視してまで(幕僚長に天皇を「輔弼」する権限などない)秦に反論している(248~頁)。
伊藤、児島がどうしてそこまで明治憲法下の昭和天皇の権限、権威を貶めようとするのか真意は分からないが、いずれにせよ『独白録』の公刊によって昭和天皇の戦時中の言動をめぐる研究が活発化したことは間違いない。それが編集者である半藤の意図だったかもしれない。
その成果の1つとして、本書『徹底検証・昭和天皇「独白録」』に結実する共同研究も行われたのであった。
* * *
さて本書は、藤原彰「『独白録』の資料的価値」、山田朗「『独白録』にみる大元帥・昭和天皇の役割」、吉田裕「『独白録』と『五人の会』」、粟屋健太郎「東京裁判と天皇『独白録』」と討論からなっている。
興味深く読んだのは、山田、粟屋の論稿と、討論である。
山田の論稿は、『昭和天皇の戦争指導』の著者による『独白録』の読解である。保阪『昭和天皇』の中に、昭和天皇の戦争指導論に関する研究を論拠なしに批判した個所があったが、あれは山田に対する批判だったようだ。しかし、本書で要約的に紹介された山田の戦争指導論を読んだだけでも、理は山田の側にあるという印象をもった。
山田が具体的にあげる「満州事変容認」「蒋介石との妥協」「ノモンハン事件」「太平洋戦争開戦決定と東條首相指名」「太平洋戦争中の戦争指導」、太平洋戦争開戦決定(1941年9月6日の御前会議)、統帥部への追従(52頁)、レイテ決戦への支持(57頁~)、沖縄戦、雲南作戦における発言など(60頁~)、『独白録』からでさえもかなり具体的に天皇の戦争、作戦への関与がうかがえる。(43頁~)。
天皇の意見のすべてが陸軍に受け入れられたわけではないが、かなり積極的に戦争指導に関与していたことを知った。
他方で『独白録』では触れられなかった天皇の軍事的関与(熱河作戦、張鼓峰事件における出兵禁止令など)、「戦況上奏」における下問による注意・督促(ガダルカナル撤退後のニューギニアにおける新作戦の督促、サイパン島奪還計画の要求など)などの方法による天皇の戦争指導の実例を知ることになった(64頁~)。
討論では、日独伊三国同盟締結の経緯の弁明、東條内閣成立への弁明、戦争終結の遅延への弁明、戦争被害への無関心などが批判される。その一方で、近衛、宇垣、平沼、松岡洋右、豊田副武らに対する悪感情、秩父宮、高松宮との軋轢などが天皇自身の言葉でかたられたことの評価などが論じられている。
粟屋は、東京裁判開廷備過程における昭和天皇や側近の言動を、『独白録』や寺崎英成関連文書や国際検察局(IPS)文書と照応しながら検討する。
粟屋の『東京裁判への道』(NHK出版、講談社学術文庫)はぜひ読まなければなるまい。
天皇がマッカーサーとの会談で、「私は、国民が戦争遂行にあたって政治・軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う」と言ったとのマッカーサーの証言も本書の著者らはその真偽を疑問視し、「戦後最大の政治神話」とまで評している(154頁)。
天皇の責任についても、近衛らだけでなく、木戸幸一も講和成立時に退位すべきだと考えており、天皇自身も一時は退位を考えたが、結局明確な責任表明のないままに終わったことが指摘される(152~6頁)。
そして国民の側にも戦争を支持した後ろめたさ(共犯意識)があったため強く天皇の戦争責任を追及できなかった(164~5頁)。対米開戦時には国民の間にも「一定の国民的興奮があった」という(167頁)。戦後間もなくに『木戸日記』を読んだ宮澤俊義が、天皇が不満に思っていた重臣らの態度は実はわれわれ国民自体のそれの反映だと述べていたことの紹介も印象的である(168頁)。
さらに、いわゆる「沖縄メッセージ」の発出など、戦後における昭和天皇の「象徴」とは言いかねる言動に現われた「戦後責任」の指摘(160頁)なども印象に残った。
本書のどこかに昭和天皇は頭のよい君主であったという記述があった。その天皇が、軍部のミスリードや自身の判断ミスによって戦争を回避できず、また終戦を遅らせる結果になったということだったのではないか。
昭和天皇は立憲君主としての立場を厳格に守って政府、軍部の一致した決定に異議を挟まなかった、戦時中の政治、軍事の決定はすべて近衛ら政府および東條ら軍部の責任であって天皇には責任がないと弁明する『独白録』のほうが、むしろ昭和天皇の実像をゆがめ、天皇を貶めるようにぼくには思われるのだが。
昭和天皇は生涯にわたってかなり詳細な日記をつけていたという。いつか公開される日が来るのかどうか。より真実に近いことが書かれているのではないかと想像するが、ぼくの生きている間に公開されることはないだろう。
2022年8月2日 記