豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ハーバー・リー『アラバマ物語』--“アラバマ物語” 2

2007年10月29日 | 本と雑誌
 
 “アラバマ物語”の原作(翻訳本)の表紙です。
 古本屋の店頭の100円均一で買ったため、かなり痛んでいます。
 記憶というのはいい加減なもので、表紙は主人公の女の子(メリー・バーダムというらしい)のイラストだと思っていたのですが、なんと映画のスチールでした。道理で、先日はじめてこの映画を観たときに、主人公の女の子がこの本の表紙のイメージのままだったはずです。
 表紙裏に、「舞台はアメリカ南部の古い町/母なきあとの父と兄妹の心にしみる愛情を横糸に/婦女暴行の無実の罪をでっちあげられた黒人の若者をタテ糸に・・・」といった宣伝文句が印刷されている。映画ではあの黒人青年が冤罪だったのかどうか、少しぼかしているような印象だったのだけれど・・。
 1961年度のピュリッツァ賞に輝き、11ヵ国語に翻訳され、数百万部を売りつくしたそうだ。日本語版は菊池重三郎訳。菊池重三郎さんという名前はどこかで見覚えがあったので調べてみると、新潮文庫の「チップス先生、さようなら」の訳者だった。

 * 写真は、ハーバー・リー著/菊池重三郎訳“アラバマ物語”暮らしの手帖社(手元にあるのは、昭和44年10月発行の11刷)

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“アラバマ物語”

2007年10月21日 | 映画
 昨夜、“アラバマ物語”を観た。

 朝ベッドから起き上がるときには、いまだにかなりの痛みがあるのだが、起き上がってしまって20~30分もすると、何とか二足歩行ができるようになった。

 リハビリかたがた、ゆっくり歩きながら駅前まで散歩に出かけ、書店で500円DVDの“アラバマ物語”と“シャレード”を買ってきた。
 (吉永小百合主演の“まぼろし探偵”などもあった!全10巻か何かだったが、第1巻がなかったので、やめておいた。いつか買うぞ。)

 “アラバマ物語”には思い出がある。子どもの頃(といっても中学生になっていたかもしれない)、母親が“暮らしの手帖”をとっていて、毎号裏表紙か表紙裏に、この“アラバマ物語”の翻訳本の広告が載っていたのである。
 白いままの地に、“暮らしの手帖”の題字と同じく、おそらく花森安治のレタリングで“アラバマ物語”と書かれ、お転婆そうな女の子のイラストが描かれた表紙だった(と思う)。

 この本は、ずっと後に古本屋で入手したが、映画は今回はじめて観た。舞台はアラバマ州で、主人公のグレゴリー・ペックは弁護士だから、法廷ものだとばかり思っていたが、全然そうではなかった。確かに、白人の女を暴行したとして大陪審にかけられたが冤罪を主張する黒人青年の弁護をグレゴリー・ペックは引き受けているが、描かれているのは、まさに1936年10月のアラバマ州の小さな町それ自体であった。

 “To Kill a Mockigbird”という原題、始まりのタイトル・バックに映っているガラクタの詰まった箱、主人公一家の隣の家に住んでいながら、昼間は決して姿を見せない“boo”という謎の人物、晩夏の夕闇の中で風に揺れているbooの家の庭のブランコ・・、ちょっとスティーブン・キング風でもある。ただし、その不気味さの背景が、黒人を弁護する弁護士一家に対する南部の貧しい白人たちの敵意という点で、スティーブン・キングとはまったく違うけれど。

 子どもたちのイノセントさが、テーマの重苦しさを抑えている。今日では、このような「善意の白人」像は単純すぎるのかもしれないが、この映画に描かれている心象は、ぼくは嫌いでない。
 結末も意外であった。いうなれば典型的な「大岡裁き」なのだ。アメリカ人の、しかも硬派の弁護士があのような決着に納得するのか、と印象的だった。“To Kill a Mockingbird”という原題の意味も、タイトル・バックのガラクタの箱の謎も、すべて最後に分かる。

 そして、やっぱりこの映画の邦題が“アラバマ物語”であることにも納得がいくのである。

(* 写真は、映画“アラバマ物語”の1シーン。“暮らしの手帖”に載っていた原作の広告は、この映画に出ていた女の子をモデルにしたものだろう。ひょっとしたら、映画のスチールが広告に使われていたかもしれない。そのうち、原作を探して確認しておこう。)

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“怒りの葡萄” 3

2007年10月20日 | 映画
 
 もう1つ、“怒りの葡萄”映画のタイトルを。手書きがいい。しかも、映画会社名、出演者、監督、プロデューサーが(これも手書きで)紹介されたら、すぐに本編が始まる。そしてエンディングも、同じく手書きですっきりと終わる。
 最近のように、デジタル処理された機械的で大げさな題名のうえに、ウンザリするほど権利関係者だの、スポンサーの名前だのが延々とつづくのには、いつも閉口させられる。
 とくに、エンディングなど、あれを見せられ続けているうちに、映画の余韻もふっ飛んでしまう。映画館の観客たちは、何であんなものを最後まで黙ってすわって見ているのだろうか。

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スタインベック『怒りの葡萄』--“怒りの葡萄” 2

2007年10月17日 | 本と雑誌
 
 スタインベックの“怒りの葡萄”を読んだのは中学3年の秋だった。1964年、東京オリンピックの最中である。
 向井潤吉の水彩画の表紙カバーのかかった新潮文庫の3冊本でだった。
 
 今回ジョン・フォードの映画をはじめて観たのだが、描かれている情景が大変に懐かしかった。
 向井潤吉の絵のままなのである。

 ジョード一家が、オクラホマを追われてカリフォルニアへ向かうために、一家10人が乗り込み、家財道具を積み上げたトラック、コロラド、ニュー・メキシコを経由してカリフォルニアに至るルート66沿いの風景、カリフォルニア到着後のバラックの家、などなど・・。
 そのバラック小屋の鏡に映るトムの表情も、ヘンリー・フォンダそのものである。
 おそらく向井潤吉が、ジョン・フォードのこの映画の情景を思い浮かべながら描いたのだろう。

 トムが刑務所帰りだったり、カリフォルニアで仲間を守るために人殺しをして再び追われる身になったり、というようなことが原作にあったのかどうか、今では定かではない。

 中学時代に原作を読んだときに一番印象的だったのは、飢えて死に瀕した老人に、身重だった“シャロンのバラ”が乳をふくませるシーンだった。
 映画のなかでは“ローザーシャーン”という名前になっていた末娘が、“シャロンのバラ”だろう。原作のこのシーンは映画にはなかった。
 
 新潮文庫の下巻のカバー裏に、“1964.10.11 I finished to read.I think 《East of Eden》 is better than 《The Grapes of Wrath》.”などと、生意気な書き込みがあった。

(* 写真は、J.スタインベック/大久保康雄訳『怒りの葡萄』新潮文庫、上・中巻の表紙カバー。)

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“怒りの葡萄”

2007年10月16日 | 映画
 “怒りの葡萄”を観た。ギックリ腰のときに観るには、かなりヘビーな内容である。

 ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演。
 20世紀初頭(なのだろうか?)の、アメリカ中西部の農村の荒廃(というよりも、都市資本による農村の収奪)と、それによって土地を奪われた農民の流浪を描いた作品である。
 オクラホマで小作農を営む主人公一家は、資本家に土地を奪われ、なけなしの金で買ったトラックに一家10人と家財道具を積み込んで、カリフォルニアに向かう。葡萄摘みの仕事があると騙されての出発である。

 保安官は、資本家に買収されていて、立ち退き屋のならず者の言いなり、約束の賃金が支払われないことに文句を言った労働者は“アカ”呼ばわりされて、これまた経営者に雇われたならず者に殺されてしまう。

 まるで、現在中国で進行している都市開発をめぐる強制立ち退き劇を見ているようである。中国その他の国の人権弾圧を糾弾するアメリカも、100年前はこんなだったのである。
 ジョン・フォードは今日でいえばマイケル・ムーアである。

 仲間を守ろうとしてならず者を殺してしまい、追われる身になった主人公のヘンリー・フォンダが別れ際に母親に向かって語る言葉、
 --すべての人間はどこかでつながっている。闇の中にも僕はいるし、子どもたちが食事にありついて喜んでいるときは子ども達の中に僕はいる--
 は、“誰がために鐘は鳴る”の冒頭のジョン・ダンの詩と同じである。
 
 そんな気持ちになれた時代だったのだ。この映画に描かれた暗黒時代のカリフォルニアと、現代とどちらがよい時代なのだろうか。

(* 写真は、映画“怒りの葡萄”の1シーン。ルート66を走るジョード一家のトラック。)

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“ナイアガラ” 3

2007年10月15日 | クルマ&ミニカー
 ついでに、映画“ナイアガラ”に登場したカナダ警察(国境警備隊?)のパトカー。
 併走していた白バイもオールド・ファッションなバイクだった。

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“ナイアガラ” 2

2007年10月15日 | 映画
 “ナイアガラ”の同じシーン(少し手前)。同じクルマを前から眺めると・・。ベージュのクルマもいいなあ。

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“ナイアガラ”

2007年10月14日 | 映画
 
 ギックリ腰になってしまい、1週間の安静といわれたため、大学は休んでいる。
 ようやく昨日あたりから、少し起きていられるようになったので、女房にビデオを借りてきてもらおうと思ったが、見たいものが何も思いつかない。
 そこで、書店で売っている安ビデオ(DVD)を買ってきてもらうことにした。銘柄指定で“アラバマ物語”か“グレンミラー物語”か“怒りの葡萄”、それらがなければ、「サンフランシスコかパリが舞台の観光映画風で、クルマがたくさん出てくる、単純なミステリー」と注文したところ、“怒りの葡萄”(500円)と、“グレンミラー物語/素晴らしき哉、人生!/ナイアガラ”の3本立て(1000円!)というのを買ってきた。
 たんに痛みを忘れるための気休めとしか期待せず、“ナイアガラ”を観たのだが、これがけっこう面白かった。というか、今日の気分にぴったりだった。舞台はナイアガラ、1950年代のアメリカ車がたくさん出てきて、ストーリーは軽いサスペンス。ラストも50年代のアメリカ映画らしい勧善懲悪。
 近頃映画などほとんど観ないのだが、主役は去年の夏に見た“ジェニーの肖像”と同じジョセフ・コットン(相手役はマリリン・モンロー)。出てくるクルマの車種などぼくにはほとんど分からないのだが、カナダ警察のパトカーまでもがオールド・ファッションのアメリカ車で、ファンにはたまらないだろう。
 当時のクルマのボンネットの先っぽが丸く盛り上がっているのが、わがランクスと同じで(今時あんなデザインはランクスだけでは?)チョット嬉しかった。

(* 写真は、会社の褒美でナイアガラ見物にやってきた旧婚カップルがアメリカとカナダの国境検問所を通るシーン。ボンネット前方の膨らみがいい。乗っている登場人物の設定からして、大した高級車ではないと思うが。)

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豆豆研究室の窓から

2007年10月04日 | あれこれ

 後期の授業が始まって、そろそろ3週目。 
 遅ればせながら、後期開始恒例の豆豆研究室の窓からの風景をアップします。
 “巴里の空の下”のようにどんよりと曇った日や、夏の強烈な西日を浴びてビルの壁がオレンジ色に燃えている日なんかが、ぼくの好きな窓景色なのだが、今回はなかなかそういう天気に恵まれない。
 しかも、ふたたび不動産バブルなのか、あちこちでビルの建設工事が行われていて、風景を縁取っている地平線(?)にクレーンが突き出ていて、見苦しい。
 やや不本意なまま、10月2日(火)の、日没直前頃の窓からの眺めを載せます。

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フィアット500、もう1回

2007年10月01日 | クルマ&ミニカー
 月が替わり、新学期も始まったので、例年通り(と言っても、このコラムは去年始めたばかりだが)、豆豆研究室の窓から眺めた秋空をアップしようと思ったけれど、今日はあいにくの雨催いだったので、別の機会に。
 かわりに、10月1日を記念して、昨日の続きで、“Car Sensor Edge”今月号の別冊付録“旅するイタリア”の表紙を飾っている“Nuova Fiat 500”。2台写っているけれど、イタリア語では複数をどう表記するのか分からないので、単数のままで・・。
 背景はフェラガモの本店らしい。(?)

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