コニー・フランシスを載せたので、ついでに、ヘレン・シャピロのレコードも、ジャケットの写真といっしょに載せておこう。
こちらは八木誠さんの解説から、1973年に発売されたレコードだということがわかる。東芝EMI(EOR-8168)となっている。「オリジナル・ロックン・ロール・シリーズ」の1枚で、このシリーズには、クリフ・リチャードやビーチ・ボーイズなどのアルバムも入っていたらしい。ちなみに、シリーズの監修者の1人に、あのニッポン放送社長というより、カメ&アンコウの亀淵昭信さんの名前もあった。
解説によると、彼女がデビューするまでのイギリスの女性ボーカルのランキング(New Musical Express 誌)では、1位シャーリー・バッシー(“Gold finger ~”という声が聴こえてくる)、2位アルマ・コーガン、3位ぺトラ・クラーク(解説では“ペテュラ”となっているが)だったのが、1961年に彼女がデビューすると、1位へレン・シャピロ、2位シャーリー・バッシー、3位クレオ・レイン(この名前は知らない)という顔ぶれにかわったという。1962年も彼女が1位である。
「子供じゃないの」、そして「悲しき片想い」はともに1961年のリリースである。ぼくは、もう少し後、たぶん1962年になってから弘田三枝子の日本語で最初に聴いたような気がする。いまへレン・シャピロの「悲しき片想い」を聴いても、“ウォー ウ ウォウ ウォー, オー イェー イ イェイ エー”という(歌詞カードによれば正確には“Wo wo wo oh yeh yeh yeh”だが)、あのヘレン・シャピロの声と弘田三枝子の声は似ている。弘田三枝子がカバーしたポップスって、今でも入手できるのだろうか。
ということが気になって、「弘田三枝子」で検索したら、彼女のレコードのジャケットをupしているサイトに出会った。そして、ヘレン・シャピロをカバーしたシングル盤もちゃんと見つかった。何と「子供ぢゃないの 悲しき片想い」がカップリングされている。「ぢゃ」という表記にも驚いた。いくら40年以上前といったって、「ぢゃ」はないぢゃないか。
ちなみに自分でも調べたら、“ジャパニーズ・グラフィティ 20”というシリーズの第2巻に「ルイジアナ・ママ 恋の片道切符」というのがあって、このなかに弘田三枝子の「ルイジアナ・ママ」や「悲しき片想い」も入っていた(「子供ぢゃないの」は入っていない)。もうひとつ“懐かしのポップス・ヒット”第1巻というのには、「悲しき片想い」、「子供じゃないの」が両方とも入っている。ちゃんと「子供じゃないの」という表記になっている。小野耕世編「60年代のカタログ」(主婦と生活社、1975年)260頁による。
これらを見ていたら、また弘田三枝子のあの歌声が聴いてみたくなった。彼女は田辺製薬だか東京田辺だかの「アスパラ」という薬のCMソングを“アスパラでやりぬこう!”と元気よく歌っていた。駒沢学園か駒沢女子高か駒沢大学付属か、とにかく駒沢と名のつく女子高生だった。またしても欲しいものが1つ増えてしまった。しばらくは古本屋の店頭の古レコードに気をつけることにしよう。見つけたときの喜びを夢見て。どうもぼくには見つかるような気がする。
ただし、ここに書いたことも、実は1973年のカーペンターズ“Yesterday Once More”や、映画“アメリカン・グラフィティー”がヒットしたときの懐メロ便乗商法にのせられて、一回思い出さされた思い出の思い出かもしれない。ロックン・ロール・シリーズが1973年の発売らしいというのも、どうも怪しい。ヘレン・シャピロなんか、まさに“Every Sha-la-la-la, Every Wo-o-wo-o”だし・・。
(2006年 9月10日)