豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

島崎敏樹『心で見る世界』ほか

2023年10月29日 | 本と雑誌
 
 島崎敏樹『心で見る世界』(岩波新書、1969年)、同『感情の世界』(〃、1969年)、同『心の風物誌』(〃、1970年)、同『幻想の現代』(〃、1970年)、同『現代人の心』(中公新書、1968年)も、断捨離する。

 島崎敏樹の文章は、1968年当時の大学入試で頻出するという評判だったので、受験生時代に読んだと思っていた。ところがこれらの本の奥付を見ると1969年や1970年刊行のものもある。どうやらぼくは大学生になってからも、しばらくの間は島崎を読んでいたようだ。
 パラパラと眺めてみると、詩的な表現もあって、今ではすんなりとぼくの「心」には入ってこない。18、9歳の頃はこんな文章がよかったのだろうか、と思う。
 何度か書いたが、「男が憧れるのは(恋するのは、だったかも)、母性と処女性と娼婦性を兼ね備えた女性である」という、島崎の文章は、今でもぼくの印象に残っているので、捨てる前にその出典だけは確認しておこうと、一応すべてのページをめくってみたが見つからなかった。
 あれは島崎の言葉ではなかったのだろうか。そんなことはないと思うのだが・・・。

 「心」の問題で、大学生になってから影響を受けたのは、小此木啓吾の一連の「モラトリアム人間」論だった。その後にもっと影響を受けたのは山田和夫の『家という病巣』(朝日出版社)だが。
 予備校時代に、中央公論新人賞を受賞した庄司薫の「赤頭巾ちゃん、気をつけて」が雑誌の中央公論に載ったのを読んで、とんでもない同世代(18、9歳)の人間が世の中にはいるのだと衝撃を受けた。著者が実際には30歳過ぎだったことは後に知った。30歳は、今のぼくから見れば若い世代に属するが、18歳のぼくには「オッサン」だった。今度は逆に、そんな「オッサン」がよくぞあんな小説を書けたな!と衝撃だった。
 その後の「白鳥・・・」だの「黒頭巾・・・」だのは、みんな途中で投げ出した。一方で、「赤頭巾・・・」がサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のパクリだという記事を読んで、サリンジャーという作家の存在を知り、野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」(白水社)を読んだ。そしてサリンジャーを論じた小此木(初出は中央公論だったと思う)を読んだのだった。 

 70歳を過ぎた一昨年の秋に、サリンジャーの初期短編集を再読して、けっこう気に入った作品に出会ったことは前に書いた。しかし小此木の「モラトリアム人間論」からは、気持ちはかなり以前に離れてしまった。猶予しているうちに、満期が近づいてきたのだ。
 そして今回は、若き日に出会った島崎敏樹の本ともお別れである。

 2023年10月29日 記

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E・S・ガードナー『続・最後の法廷』

2023年10月28日 | 本と雑誌
 
 E・S・ガードナー/新庄哲夫訳『続・最後の法廷』(早川書房、1959年)も読んだ。

 上巻は、どちらかといえば個別事件のストーリー--被告の誤認逮捕、起訴、有罪評決から収監、そしてガードナーらの活動による冤罪の証明、釈放へという展開--に主眼がおかれていた。
 これに対して「続巻」のほうは12章からなるが、後半の章では個別事件は登場せず、誤判、冤罪事件一般の原因および改善の方策の提案に誌面が費やされている。
 第1章は「26年間を賭けた蘭の花」と題される(各章につけられたタイトルは訳者がつけたものだそうだ)。1924年にミシガン州デトロイトで発生した強盗殺人事件で有罪判決を受け収監されたヴァンス・ハーディが再審無罪を勝ち取るまでの物語である。兄の無実を信じつづけた妹からガードナーの「最後の法廷」委員会に救援の申し出があり、調査の結果無実が判明したのである。法廷では、被告(ヴァンス)は犯人ではないと証言した目撃者が法廷侮辱罪で収監されるなど、捜査や公判の段階で多くの疑問があったことが指摘される。
 妹が兄の無実を確信したのは、犯行時刻とされる時間帯に、兄は犯行現場から遠く離れた妹の家で妹と一緒にいたからであった。妹のアリバイ証言を捜査、訴追側は黙殺した。その結果真犯人は大手を振って娑婆を歩きまわっている。「26年の蘭の花」の意味は読んでのお楽しみにしておくが、ガードナーのペリー・メイスンもののようなエンディングになっている。
 きのう再審が始まった袴田事件のお姉さんを思わせる。袴田さんにも「蘭の花」が届く日が一日も早く訪れることを祈る。

 最初の数章では具体的な事件も取り上げられるが、ガードナーの筆は、個別事件の展開よりも、それらの事件に共通する誤判、冤罪発生の原因と対策に向けられる。
 被告人に不利な情況証拠だけを掻き集め、他方で、被告人は目撃された犯人ではないという目撃者の証言を公判に提出しないなど、自分たちに不利な証拠を隠蔽する検察の体質、さらには、有罪率の高さによる検察官の勤務評価など検察組織の問題点の指摘、単なる状況証拠の寄せ集めにすぎない訴追側の主張を疑わない陪審員、警官殺し事件などでは地元新聞に煽られ、処罰感情をむき出しにした地元住民(からなる陪審員)による有罪評決など、陪審員の能力に対する疑念、その他、科学的手段の導入が遅れ、杜撰な初動捜査を行なう1920~50年代アメリカ諸州の警察捜査の課題などに記述の重点が移っている。

 「“最後の法廷” の教訓」と題した最終章で、ガードナーは、誤判、冤罪を防ぐための対策として10点を指摘する。
 1.証拠の標準を高くすること。現状では陪審員は推定や推理に頼りすぎている。--被告人が有罪であることを検察側が立証できないかぎり、陪審は無罪(not guilty)の評決をしなければならないという「無罪の推定」にガードナーはまったく言及しない。有罪が立証されたというためには、検察側は「合理的な疑いを差し挟む余地がないまでに」被告人が犯行を行なったことを立証しなければならないという立証の基準への言及もなかった。この基準は本書刊行以降に確立したのだったか。
 2.納税者と警察の相互理解を深めること。良心的な警察官が政治的圧力や経済的不安から自由でいられるような待遇を保障しなければならない。 
 3.殺人事件の捜査技術を向上させること。訓練された優秀な検屍官の組織をつくること。
 4.誤審の可能性がある事件を再審する権限をもつ委員会を各州に設置すること。
 5.被告の弁護が十分かつ完全に行なわれたかを調べる権限を裁判所に与えること。--その権限が裁判所にはなかったのだろうか?
 6.訴訟手続の変更を許すこと。※この項は意味不明。
 7.更生不能な職業的犯罪者と更生可能な犯罪者とを区別して、後者の更生を促す行刑制度に改めること。民衆は犯罪者の厳罰を求めるが、彼らを職業的犯罪者にしなければ結局は納税者にとって節約になる。--強盗被害を前提とした保険料が代金に上乗せされるといった「犯罪の対価」を計算するなどはいかにもアメリカ的である。
 8.アメリカの裁判制度の長所を民衆に認識させること。依頼人(被告)の権利を擁護するためではなく、裁判制度を攻撃して民衆の司法制度に対する信頼を損なうような弁護士の活動を糾弾すること。---ガードナーは悪徳警官よりも悪徳弁護士に厳しいのが印象的である。
 9.民衆と法律実務家の理解を深めること。漫画家や軽作家(!)などは法律職を風刺するが、「最後の法廷」活動では多くの弁護士が無報酬で何年間も活動してくれた。
 10.法律と医学関係者との相互理解を深めること。専門知識のない検屍官を追放し、法医学の重要性を認識すること。--その後も州によっては検死担当者の資質に問題があり、杜撰な検死が行われている実態をテレビ番組で見たことがある。

 総じて、ガードナーは警察の腐敗、悪徳警官などのキャンペーンには批判的で、良心的な警察官に同情的である(例えば第7章「路地に追い詰めた男」など)。またセンセーショナルな記事で読者を煽って部数を稼ごうとする新聞報道にも批判的であり、そのような新聞記事や近所の噂話を安易に信じる民衆や陪審員にも批判的である。さらに、選挙によって選ばれる検察官や、選挙で選ばれる市長によって任命される警察署長や刑務所長(!)が選挙目当てで(少なくとも選挙を気にして)行動することにも批判的である(「さっさと犯人を逮捕しろ!」という圧力)。陪審制や検察官選挙制など、民主主義的制度に対する、ガードナーの批判的な態度が感じられる。
 本書の対象は、1920年代の禁酒法時代から、せいぜい1950年代後半(原書は1954年の刊行)までである。その後科学的捜査技術は長足の進歩を遂げたはずである。本書の冤罪事件の中には、今日であれば、法医解剖やDNA鑑定で一発で無実が証明されると思われるものもある。しかし共犯者や同房者の虚偽自白、目撃者や被害者の誤った目撃証言、自己に不利な証拠を隠蔽する検察官など、今日でも続いている問題もある。
 ガードナーのように弁護士の経験と法律知識をもち、作家として巨万の富を築いた(著書は総計7000万部を売り上げたという)人物が現われて、冤罪救済のために私財と時間を投じてくれることは期待できない。結局はわれわれ市民が関心をもち、新聞、雑誌、テレビが報道し、われわれが監視しつづけるしかないだろう。

       
 
 なお、上巻についていた訳者による紹介によれば(上巻245頁~)、E・S・ガードナーは、1889年にマサチュセッツ州で砂金掘りの山師を父に生まれ、西部の鉱山町を放浪する生活を送り、転校をくり返した挙句に高校を中退してボクサーになった。無鑑札で試合をした廉で検事補の取調べを受けたのを機にその検事補の事務所員となり、その後高校を卒業し一度は大学に入ったものの中退して、昼間は法律事務所で働きながら独学で勉強して21歳の時に司法試験に合格し、カリフォルニア州の弁護士になった。
 しかし西部劇、探偵小説、旅行記などの雑文をパルプ雑誌に書いているうちにその収入で食べていけるようになったので、自由な時間が拘束される弁護士業は廃業して作家に専念することになり、3日間で書き上げたペリー・メイスンものの第1作「ビロードの爪」(1933年)で大ブレークした。雑文を書き始めて10年目だった。
 最盛期には年間100万ワード(日本語で400字詰め原稿用紙で約1万枚)を電動タイプライターで書いたという。ペリー・メイスンものは「コスモポリタン」や「サタデー・イヴニング・ポスト」などに連載された。弁護士業をやりながら、ペリー・メイスンものを執筆していたのかと思っていたが、違っていたようだ。なお本書の箱のデザインも勝呂忠だった。

 ※上の写真は D・B・Hughes によるガードナーの伝記 “Erle Stanley Gardner --The Case of The Real Perry Mason” (Morrow,1978)。ロス・アンジェルスの “Fowler Brothers” という書店のショー・ウィンドウに飾ってあるのを見つけて1978年5月11日に買った(と扉にメモしてあった)。15ドルだったようだ。当時は1ドルは何円だったか。“Time” 誌の78年5月8日号に載った書評が挟んであった。25ページの欄外に “on airplane Pan-am,9:30 pm, Hawaii St. time ” と書きこみがあった。その先は読まないでいるうちに早川書房から翻訳が出たが、その後は原書も翻訳も読んでない。

 2023年10月28日 記

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瀧川幸辰『刑法読本』ほか

2023年10月27日 | 本と雑誌
 
 祖父の旧蔵書を、図書館に返還する話のつづき(その2)。

 ★瀧川幸辰『刑法読本』(大畑書店、昭和7年=1932年)。
 ボアソナードから始まって、ベッカリーア、フォイエルバッハら刑法学者の肖像画が数十ページごとに薄葉紙のカバーがかかって挿入されている。表紙は本当のクロス装で、箱入りのお洒落な本である。今どきこんなお洒落な概説書はないだろう。昭和7年と令和5年と比べて、どちらが豊かな時代だったと後世の人は思うだろう。
 刑法学で論じられている「因果関係論」は実は「責任論」にすぎないという瀧川の通説批判に、大学時代のぼくは影響を受けた。瀧川の言う通りだと思った。後に平井宜雄『損害賠償法の理論』(東大出版会)に結実する法学協会雑誌の連載を読んで、ようやく納得できる因果関係論に出会った。瀧川の通説批判は『刑法読本』でも論じられているが(67~9頁)、ぼくが彼の因果関係論批判を知ったのは、『犯罪論序説』(有斐閣)によってだった。
 『刑法読本』は、扉の口絵写真に写っている「刑罰からの犯人解放は、犯罪からの人間解放である」という色紙を手にするチャイナドレス姿の女性は誰なのだろう、という不思議な印象の方が中身より大きい。編集者時代に、京都大学出身で瀧川教授の教えを受けた世代の刑法学者に、「あの女性は誰ですか?」と伺ったことがあったが、先生は微苦笑されただけで答えてくれなかった。
 『刑法読本』はなぜ発禁処分となったのか。内容的には、社会紊乱や国体変革の恐れなどない穏当な刑法の概説的記述に終始していると思うのだが、あの口絵の標語と、最終ページ(195~6頁)に書かれた同じ標語を敷衍した数行が資本主義、私有財産制の否定とみなされたのだろうか。

 ★瀧川幸辰『刑法史の或る断層面』(政経書院、昭和8年)
 挿絵が入っていたり、本文各ページの下欄に欧文の脚注がついていたり、これもお洒落な本である。この本は祖父の蔵書の中でも、ぼくのお気に入りの1冊だった。法律書専門の古書店(目録)でもほとんど見かけない。
 ★瀧川幸辰『刑法と社会』(河出書房、昭和18年)
 新聞や雑誌に書いた随筆を集めたものだが、最後の「中学校時代のある思い出」が面白い。
 滝川は大阪北野中学時代に野球をやっていた。ところが当時の北野中学当局は、大阪朝日新聞の野球征伐論に便乗してか、野球を迫害したという。当時の朝日新聞は合理的な理由もなしに(中等)野球を批判していた時期があったのである。
 滝川は成績は悪くなかったのに、成績不良者に対する早朝の早出および放課後の居残り勉強への参加を強制された。「自分より成績不良の者が指名されていないのに、自分を指名するのは不公平だ」と教師に抗議すると、教師は「お前は野球をやってるからだ」と言ったという。学校側が敵視する野球をやっているうえに、他校の野球部が白ユニフォームに地下足袋姿だったのに、当時の北野中学野球部は、神戸のアメリカ人チームに似たハイカラなユニフォームに、スェーターなどを着ていたのが学校側の気に障ったのだろうと滝川は書いている。そんな時代もあったのだ。朝日新聞はいつから高校野球礼賛論になったのか。

 ★イェリネク/大森英太郎訳『法の社会倫理的意義』(大畑書店、昭和9年=1934年)
 「法は倫理の最低限」という標語で有名な著書であるが、もうしばらく手元にとどめておきたい。
 ★大森英太郎『刑法哲学研究』(関西学院大学法政学会、昭和29年)
 著者の大森氏は、東北大学助手を経て、関西学院大学教授になったが、昭和18年、鳥取を旅行中に鳥取大地震に遭遇し、鳥取の宿舎で亡くなったとのことである。38歳だった。
 ★橋本文雄『社会法と市民法』(岩波書店、昭和9年)
 ★橋本文雄『社会法の研究』( 〃、昭和10年)
 前者の表紙裏には「昭和九年九月十日午前六時四十分橋本君逝去、同十七日葬儀あり、秋霜の折」という祖父の書き込みがある(後者の年譜によれば9月16日死去とある)。後者は、著者の没後に恒藤恭・栗生武夫編で出版されたもので、恒藤の前書きによると、橋本が東北帝国大学で担当した「社会法」はわが国で初めて「社会法」を標榜した講義、講座であるという。
 ★尾高朝雄『実定法秩序論』(岩波書店、昭和17年)
 奥付の著作権者が「京城帝国大学法学会 代表船田享二」となっている。扉の「尾高朝雄著」の下に「京城帝国大学法学会叢刊」とあるが、著作権まで大学に帰属していたようだ。尾高の『法の究極にあるもの』(有斐閣)は大学1年の時に読んだ。終わり近くまで共感しつつ読み進めたが、最後にどんでん返しを食らった思いがした。法の究極にはやはり政治があると今でも思っている。民主社会では、主権者たる人民がその政治を動かせるのだが。

 ★イェリング/三村立人訳『権利闘争論』(清水書店、大正4年=1915年)
 「法の目的は平和である、しかしそこに至る手段は闘争である」という書き出しの一文(だけ)が有名である。三村訳では「権利の目的は平和に在り」とある。学生時代に読んだ日沖憲郎訳の岩波文庫版では「法」となっていた(1970年、定価は★1つ。ぼくが学生の頃は★1つは50円だった)。大正4年刊ということは、祖父は旧制高校生の頃に読んだのだろうか。
 ★ハンス・ケルゼン/阿武京二郎訳『規範学又は文化科学としての法律学--方法批判的研究』(大村書店、大正12年)
 丁寧に読んだ形跡があり、祖父の独特の難読の字体で随所に書き込みがあった。大正12年は祖父が大学を出て2年目である。
 ★J・S・ミル/松浦孝作訳『精神科学の理論』(改造社、昭和15年)
 この本は、ケルゼンよりさらに丁寧に読んでいる。社会学がテーマになっているからだろう。今回の書籍の中でも、一番に祖父の蔵書に戻さなければならない本かも知れない。
 ★田辺寿利『デュルケム社会学研究』(未来社、1988年)
 祖父の没後に献呈を受けたものらしい。

     

 以上の他にも、まだ中川善之助さんの著書などが何冊か残っていることを思い出した。
 祖父は中川さんと同い年で、中学、高校、大学と同窓だった。学生時代から面識はあったが、親しく交流するほどではなかったようだ。中川さんはぼくが編集者をしていた雑誌の編集顧問だったこともあり、何度かお会いした。最後にお会いしたのは、亡くなられる前年の1974年の秋頃だったと思う。場所は九段の坂を登った所にあった「あや」(「綾」だったかも)という料亭だった。翌年暖かくなったら、先生を囲む座談会を先生ゆかりの金沢と仙台で開くことになった。
 先生は、金沢の料亭「つば甚」の屏風を蹴破った四高生の昔話などを楽しそうに語っておられたが、翌1975年の3月20日、仙台に向かう上野駅で急逝されたため、この座談会は実現しなかった。
 ★中川善之助『略説身分法学』(岩波書店、昭和5年)
 ★ 同 『身分法の基礎理論--身分法及び身分関係』(河出書房、昭和14年)
 ★ 同 『身分法の総則的課題--身分権及び身分行為』(岩波書店、昭和16年)
 ★ 同 『妻妾論』(中央公論社、昭和11年)
 ★ 同 『法学協奏曲』(河出書房、昭和11年)
 中川さんの本は軽妙な筆致で読みやすく、温故知新の新発見もあるのでしばしば参照してきたのだが、やはり祖父の旧蔵書と一緒の場所に置かれるべきだろう。 
 ★栗生武夫『法の変動』(岩波書店、昭和12年)
 ★ 同 『一法学者の嘆息』(弘文堂書房、昭和11年)
 『嘆息』の中には、有島武郎、柳原燁子らの恋愛と、最近(昭和10年頃)の宇野千代、福田蘭堂らの恋愛事件の比較論などがあったりして面白そうだが、もう過去の話である。ストリート・ガールと女給の区別の話などは戦前の裁判例を読む前提として知っておいて損はないのかもしれないが。

 以上、ひとまず箱詰めは済ませておくが、発送はもうしばらく待って気持ちの整理がついてからにしよう。

 2023年10月27日 記

 ※ ところが2024年9月に、いよいよこれら祖父の旧蔵書を返納する決意をして、旧蔵書を一括収納してくれている大学の図書館に打診の手紙を送ったところ、なんと一切不要であるとの返答が返ってきてしまった。亡くなった際にまとめて送付しておけばよかったものを、さて誰に貰ってもらったらよいものやら・・・。(2024年10月24日 追記)

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K・レヴィット『ヘーゲルからニーチェへ』ほか

2023年10月25日 | 本と雑誌
 
 40年近く前の1984年に亡くなった祖父の蔵書は、当時お弟子さんが在職していた関西のある私立大学図書館に一括して収蔵されることになった。
 祖父宅の書庫から搬出される前に、まだ現役教師だったぼくは、関心のある書籍を何冊か祖父の書庫から持ち帰った。しかし、祖父の蔵書の一部を手元に置いておくことにずっと罪悪感を抱いてきた。ぼくも定年となったので、この際手元にとどめてあった本をその大学図書館に送ることにした。収まるべき場所への「返還」なので、今回は「断捨離」などとは言わない。
 以下はその書籍の目録(その1)である。
 
 岩波現代叢書に収められた本がひとまとまりある。40年近く前に祖父が亡くなった頃のぼくの関心の対象がこのあたりにあったのだろうが、ほとんど読むことなく時間が流れてしまった。
 ★K・レヴィット/柴田治三郎訳『ヘーゲルからニーチェへ(Ⅰ・Ⅱ)』(岩波現代叢書、1952、3年)
 カール・レーヴィットは祖父の同僚で、友人だった。戦前に来日して日本の教壇に立っていたが、ユダヤ系だったため、身辺に迫った危険を逃れてアメリカに移住(亡命?)した。
 敗戦後に進駐してきたアメリカ軍の将校が、レーヴィットからの伝言を携えて祖父宅を訪ねて来たことがあり、祖父の知人が進駐軍のレッド・クロスに就職する際には紹介状を書いてくれたと聞いた。その後来日したこともあったようだが、祖父とは再会できたのだろうか。
 本書の解説を見ると、1897年生まれで祖父より1歳年長だが、祖父は「レーヴィット君」と呼んでいた。

 ★H・D・ラスウェル/久保田きぬ子訳『政治--動態分析』( 〃、1959年)
 原書の表題 “Politics:Who gets what, when,how” のほうが内容にふさわしそうである。
 ★R・ホーフスタッタ―/田口富久治・泉昌一訳『アメリカの政治的伝統--その形成者たち(Ⅰ・Ⅱ)』( 〃、1959、60年)
 ジェファーソンからF・ローズヴェルトまで、各時代を代表する10人の政治家を取り上げて、アメリカの政治的伝統を時系列に描いた書(らしい。目次を眺めただけなので)。興味深い人物評もあるけれど、アメリカへの関心がほぼなくなってしまったので、もう読むことはないだろう。

 ★H・J・ラスキ/飯坂良明訳『近代国家における自由』( 〃、1951年)
 ぼくは学習院大学法学部政治学科も受験した。もしここに行っていれば飯坂さんと出会っただろうし、その後の人生も当然変わっていただろう。確か飯坂ゼミの女子学生がミス・ユニバースか何かの日本代表に選ばれたという記事が新聞に載ったことがあった。司法試験の政治学の勉強で飯坂さんの教科書(確か学陽書房版だった)を読んだ。分かりやすかった。※飯坂・井出嘉憲・中村菊男共著『現代の政治学』(学陽書房、1972年)だった。
 ★ 同 /辻清明・渡辺保男訳『議会・内閣・公務員制』( 〃、1959年)
 辻さんと渡辺さんには、編集者時代に(中曽根内閣の)行政改革に関する増刊号を出した際に、企画会議や座談会でご一緒させてもらったことがあった。
 辻さんを大森のご自宅までタクシーでお送りしたこともあった。その車中で辻さんから、戦後間もないころ、わが社での編集会議を終えて、大森駅から人力車で(!)自宅に帰る途中の坂道を人力車が登れなくなったため、担当の編集者(ぼくの入社時には社長になっていた)が下りて後ろから押してくれたなどというエピソードをうかがった。
 昭和20年代の戦後東京を人力車が走っていたとは!

 以下は<岩波現代叢書>ではないが、一緒に掲げておく
 ★E・H・サザーランド/平野竜一・井口浩二訳『ホワイト・カラーの犯罪』(岩波書店、1955年)
 滝川幸辰『刑法読本』では、犯罪者は無産者、被害者は有産者という構図だったが(それが発禁の原因だろう)、戦後になって中産階層の犯罪者が増えてきた時代を反映した内容なのだろう。
 自然犯(殺人、強盗、放火など古今東西、誰でもが「犯罪」と認めるような犯罪)とは違って、現代のサラリーマン犯罪、政治犯罪、性犯罪などのように、制定法による定義なしには「犯罪」か否かの識別が困難な「犯罪」、そしてまた、上層階層が「犯罪」化を妨害するような「犯罪」が、本書の考察対象になっている(らしい。平野さんの解説しか読まなかったので)。「独占資本と犯罪」という、原書にはないサブタイトルを平野さんがつけた意図はこのあたりを示唆するものか。
 本書は<現代叢書>ではなく、<時代の窓>というシリーズの1冊だった。このシリーズには、スメドレー/阿部知二訳『偉大なる道(上・下)』や、ラスキ/辻清明訳『議会制度の危機』などが収められていたらしい。<現代の窓>創刊の辞によれば、このシリーズは実践と理論の結合を目ざす人に向けられているという。<現代叢書>は理論書で、実践は含まないという趣旨か。

 ★ハナ・アレント/大島通義・大島かおり訳『全体主義の起源(2・3)』(みすず書房、1972年)
  (1) はどうしたのだろう。
 ★ 同 /阿部斉訳『暗い時代の人びと』(河出書房新社、1972年)
 この本が阿部斉さんの翻訳だったとは。
 祖父は戦争中のレーヴィット君のことなど思いつつ読んだかもしれない。パレスチナ人とイスラエル人がお互いの行為をジェノサイド(大量虐殺)と罵り合う時代に、アレントがイスラエルのことをどう考えていたのか関心はあるが、この本から今日の問題の解決が見つかることはないだろう。
 受験時代の世界史で、今日の中東問題は近代に入ってからのイギリスの三枚舌外交によってもたらされた悲劇であることを知った。たしか東大学コンの模試の解説冊子で、秀村欣二さんが解説していたと記憶する。フセイン=マクマフォン協定でアラブ支持を密約しておきながら、バルフォア宣言でユダヤ人国家の建設を支持し、さらにサイクス=ピコ密約でオスマン帝国の領土を大国間で分割することを密約していた! アラブから石油・農産物を獲得し、ユダヤ資本からは軍事費支援を得る目的だった。
 先日のNHKテレビ「映像の20世紀・アラビアのロレンス」も同趣旨だった。ロレンスは後に自分が英国政府に利用されていた事実を知って自らの過去を恥じ、アラブ人に謝罪し、英国政府からの叙勲を拒否したという。こんなことをやっているうちにイギリスは衰退し、100年後のいま、アメリカも衰退しつつある。 

 2023年10月25日 記

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予審判事マリアンヌとシトロエン2CV

2023年10月24日 | テレビ&ポップス
 
 昨日(10月22日)の午後4時から11時まで、「予審判事マリアンヌ」(BS560 ch、ミステリー・チャンネル)を見た。全6話一挙放送だったが、8時から9時の1回分は所用で見られなかった。
 なお、番組の正式名は「甘党女判事」とか何とか題していたが忘れてしまった。原題は「マリアンヌ」 “Marianne” で、彼女は判事ではなく予審判事だから「予審判事マリアンヌ」でいいだろう。ただし放送では、書記官(?)が彼女のことを “juge” (ジュジュ=判事)と呼んでいたようにも聞こえた。
 フランスのミステリー番組は「メグ警視」と「ジュリー・レスコー」以外は苦手なのだが、この番組は、予審判事の活動の実態を知るうえでも参考になったし、どのエピソードも及第点以上だった。
 何といっても、彼女の愛車がシトロエン2CVというのがよかった。(冒頭の写真は各回のタイトルバックから)

 フランスには予審判事の制度がある。予審判事というのは(正確なところは分からないが)、捜査官と裁判官の間のような役職で、捜査の適法性を担保しながら捜査をする機関である。
 英米の刑事司法では、事実を追求する捜査機関(警察、検察官など)と、事実を判断する司法機関(裁判官)を峻別して、プレイヤーである検察官に対して裁判官はアンパイアに徹する。これに対して、フランスでは予審判事が捜査しつつ、判断もするのである。日本でいえば、検察官と(令状発付を行なう)簡易裁判所判事を合わせたようなものか。
 日本にも戦前は予審判事制度があったが、その糾問的な態度や本裁判において予断を生じさせることが問題視されて、戦後は廃止され、戦後は英米流の当事者主義が採用されることになった。
 
 今日の英米や日本の刑事司法は「当事者主義」という考え方を原則にしている。「プレーしつつジャッジする」予審判事に対して、「プレーする者はジャッジしない」(裁判官はアンパイアに徹する)のである。
 「当事者主義」(adversary system)というのは、「(アップル)パイを切る者には、(切ったパイのどちらを食べるかの)選択権はない」というルールだと説明される。そのようなルールがあれば、パイは可能なかぎり正確に2分の1に切り分けることができるというのだ。しかし、当事者の能力に差がある場合には、このルールは不公正なルールになってしまう。
 中学生の兄貴が6歳の弟にパイを半分に切らせれば、6歳の子は正確に2分の1に切ることなどできないから、いつでも兄貴が大きい方のパイをゲットできてしまう。同様に、税金によるカネと人員をふんだんに使って捜査できる検察と、拘留中の貧しい被告人の間に「当事者主義」をそのまま当てはめたら、常に検察の勝利に終わってしまうだろう。実質的な公平を実現するためには、非力な被告人に弁護人選任請求や証拠開示請求などの防御権を保障することが必要になる。

 「マリアンヌ」を見ると、この予審判事は警察官(警部)と一緒に捜査に当たっていた。時おり検察官(検事総長だったか)も登場するが、個別事件の捜査には関与していないようである。検察官は公判段階から登場するのだろうか。「マリアンヌ」のような予審判事と警察官のコンビによる捜査が実際のフランスの実態を反映しているのか、フィクションなのかは分からない。「メグレ警視」では、警察官のメグレが予審判事と行動を共にすることはなかったと思うが。
 とにかくこの番組で一番嬉しかったのは、彼女の愛車が水色のシトロエン2CVだったことである。シトロエンが登場する場面を楽しみにするだけでも、6時間は長く感じなかった。
 容疑者の高級車販売業のいけ好かないオヤジが、彼女の愛車に向かって「ゴミ」とか言っていたけれど、今のフランスでは2CVはそんな評価なのだろうか。今年はパリも猛暑だったみたいだから、半開きのドア窓から入ってくる風だけの2CVはきつかっただろう。
 ミステリー・チャンネルには「名探偵の食事」といった番組があるが、「名探偵とクルマ」という番組もぜひやってほしい。

 2023年10月24日 記

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トマス・ハーディ『テス(上・中)』ほか

2023年10月23日 | 本と雑誌
 
 ホレーショ・ウォルポールの『オトラント城』をめぐって、ぼくは古本との相性がよくて、探している本は向うからぼくの目に飛び込んでくるなどと書いたが、まったく出会うことができなかった古本もいくつもある。

 トマス・ハーディ/山内義雄訳『テス(下)』(角川文庫、おそらく1980年)もその1冊である。
 1980年10月に、ナターシャ・キンスキー主演の映画「テス」が公開されるのに便乗して、角川文庫の「テス」全3冊も重版されたらしい。表紙のカバーもカバーの折り返しもすべて、映画の中のナターシャのスチール写真である。
 それから何年かして、『テス(上・中)』(角川文庫、1980年)が不ぞろいだったけれど、2冊で100円と安かったのを見つけて買った。高田馬場駅から早稲田大学に向かうバス道路に面した古書店の店頭だったと記憶する。
 そのうち、どこかの古本屋の店頭の廉価コーナーで『テス(下)』も見つかるだろう、とタカをくくっていたが、その後現在までまったく見かけない。

 途中で諦めたらしく、河出書房「世界文学全集」27巻のハーディ『テス』(1967年)というあの緑色の文学全集版を買った。裏表紙の扉に「相模大野ロビーシティー内古書 “旅の一座” で¥100」と書き込みがしてある。確かにそんな古書店があったような記憶がある。今もあるのだろうか。
 しかし、どっちにしろ結局ぼくは「テス」は読まなかった。「テス」は映画は見たが、本はオックスフォード出版局から出ていた Book Worms シリーズの Retold 版 “TESS of the d'Urbervilles” で済ませた。ひところ、行方昭夫さんが著書の中で、retold(rewrite)版でよいから速読せよと書いていたので、せっせと読んだ時期があった。
 ハーディは当時は好きな作家だったので、「テス」だけでなく、「キャスターブリッジの町長」「はるか群れを離れて」「日陰のジュード」「緑陰の下で」などを、同じオックスフォードの Progressive English Readers シリーズや、Penguin Readers シリーズなどで読んだ。ハーディらしい retold もあれば、ただの要約に近いものもあった。

 ハーディ『日陰者ヂュード(下)』(岩波文庫、1997年)も同じである。
 ケイト・ウィンスレット主演の映画「日陰のふたり」の上映に便乗した重版のようで、帯に映画「ふたり」のスチール写真が載っている。
 この本も(上)と(中)は結局見つからなかった。
 ハーディのしんどいストーリーを読むにはある程度の気力とゆとりが必要である。見つける前に、3冊本で読むほどの気力も暇もなくなってしまった。
 トマス・ハーディも断捨離である。本当は「テス」の下巻や、「ジュード」の上・中巻を持っている人にあげたいのだが。

 冒頭の写真は、「テス」「ジュード」、スティーヴン・キングなど、本来は2冊本、3冊本だけど、欠けている巻を結局見つけられなかった不揃いな本を何冊か並べてみた(ただし和久峻三はついでに捨てる本である)。

 2023年10月22日 記

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マークスの山(BS日テレ)

2023年10月21日 | テレビ&ポップス
 
 「マークスの山」(BS日テレ、141ch)の第5回(最終回)を見た。
 第1回からきちんと毎週見たドラマは久しぶりである(上の写真は同番組のエンドタイトル。部屋の照明器具が映り込んでしまった)。

 原作の高村薫『マークスの山』はかつて読んだけれど、その記憶もかなり怪しくなっていたので、ほぼ初見に等しかった。そして面白かった。最近のテレビドラマに比べると出色の出来であると思った。
 高村の原作自体が、同時期の他の直木賞受賞作に比べて群を抜く圧倒的な筆力で書かれていた。
 その原作では、「が-------」のような擬音が頻出してうるさかった記憶があるが、テレビドラマの方では、効果音が異様に高まる場面があった。あの原作の「-------」の場面を音声化しているのだろう。

 都立大裏!の公園(もちろん目黒のほうの都立大)で殺人事件が発生し、事件に関わりのある人物の自殺や殺人事件が相つぎ、関係者が刺客に襲われる事件も起きる。
 殺人事件を捜査する碑文谷中央署の刑事(上川隆也)は、事件の背後に潜む政財界、法曹界の巨悪シンジケートに肉薄するのだが、警察、検察の上層部から捜査中止の圧力がかかる、といったストーリーである。原作にはあった所轄警察署の間の縄張り争いはカットされていた。
 「マークスの山」というのは、富士山に次いで日本で二番目に高い山にもかかわらず、登るのが困難なため余り知られていないという北岳のことである(冒頭の写真の背景が北岳だろう)。
 「暁成大学」山岳部の同窓生たちが、この北岳を舞台に何をしたかの究明がストーリーの主軸になるのだが、目撃者のことも、ラストシーンもすっかり忘れていた。
 
 最近のテレビ・ドラマとしては出来は良いほうだと思うが、主演の刑事役上川の恰好に最後まで違和感が残った。皺ひとつないスーツ、糊のきいたワイシャツの襟もとにはしっかり締められたネクタイ、バリッとしたステンカラー・コートを着ていながら、靴は白いスニーカーという恰好に最後まで馴染めなかった。チラッとのぞいたコートの裏地はバーバリーのようだった。
 どうしても視線が上川の足元に行ってしまう。足で稼ぐ刑事ということなのだろうが、その割には、スーツ、ネクタイが折り目正しいサラリーマン風であるうえに、ワイシャツの襟もバリッとしすぎていて、スニーカーにはなじまない。白のスニーカーは原作にあったのかもしれないが、文字で読むのと、画像で見せつけられるのとでは印象が違う。

 権力者たちの出身大学が「暁成大学」というのも(これも原作のとおりだが)なじめなかった。
 ストーリー的には「東京大学」だろうが、目黒近辺の私立大という設定だから「目黒大学」でも「柿木坂大学」でも「鷹番大学」でも「碑文谷大学」でも「上野毛大学」でもよかっただろうに、「暁成」とは・・・。
 「暁成大学」の正門や本館が画面に出てきたが、撮影したのはどこの大学だろう。よく撮影を承諾したと思う。
 
 北岳の所轄署の刑事役の大杉蓮もよかった。ところで、あの看護婦さんは犯人の何だったのか?肝心のところを見落としてしまった。

 2023年10月19日 記
 

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ロバート・ブロック『アメリカン・ゴシック』

2023年10月19日 | 本と雑誌
 
 ロバート・ブロック/仁賀克雄訳『アメリカン・ゴシック』(早川書房、1979年)は、実在の連続殺人犯をモデルにしたフィクションだが、強烈なノンフィクションを読んだ後では、印象はきわめて弱い。「事実は小説より奇なり」である。
 読んでもいないのだが、断捨離に迷いはない。

 ただ、訳者による解説の中に、本書はゴシック小説の流れに属するが、ゴシック小説の元祖はホレイショ・ウォルポール(首相ではない方のウォルポール)の「オトラント城」(1765年)にさかのぼるとあった。
 ウォルポール「オトラント城」には思い出がある。
 息子が学部生の頃の英文学か英文学史のレポートで、この小説へのコメントを割り当てられたが、参考文献がなくて困っているというのだ。同僚の英文学の教授に質問したら、ペーパーバックながら1000頁をこえるずっしりと重いイギリス文学史のテキストを貸してくれた。定番の教科書だという。黄金のドレス姿で玉座に座るエリザベス1世かヴィクトリア女王のような肖像画が表紙を飾っていた。
 かなり網羅的にイギリス文学史上の重要作品ごとに、その一部が抄録されていて、作者紹介と簡単な解説がついたものだった。残念ながら、ウォルポール「オトラント城」に関する記述はそれほど詳細ではなかった。

 そこで、ウォルポールを探して、神保町の古書店街に出かけた。
 英米文学の古書なら、小川図書だろうと当たりをつけていた。かつてサマセット・モームのハイネマン版「木の葉のそよぎ」を見つけた古本屋である。専大前交差点から数軒のところにある。さきの日曜日(10月15日)の雨の中のマラソン中継を見ていたら、神保町の古書店街を通って、この交差点を左折して走っていく選手たちがテレビに映っていた。

          

 小川図書の店頭の路上におかれた段ボール箱を漁ると、すぐに、箱に詰められた古書の中に、柴田徹士他編「英國小説研究 第5冊」(篠崎書林、昭和36年)というのが目に入ってきた(上の写真)。
 手に取ってみると、内多毅「Horace Walpole の小説 The Castle of Otranto について」という論説が載っているではないか! 
 ぼくは古本屋というか、古本との相性がよい。本のほうからぼくを呼んでいたとしか思えない体験を何度かした。
 さっそく買って帰って、息子に渡した。選択科目か一般教養科目だから、この2冊で何とかなっただろうと思うけれど、息子からは「ありがとう、よく見つけたね」と言われたけれど、どんなレポートを書いたのかは知らされなかった。感謝されるほどの時間をかけて探し出したわけではないから、それでいいのだが。
 この本(雑誌)も断捨離するか・・・。

     

 ついでに、佐木隆三『復讐するは我にあり(下)』(講談社、1975年)と、清水一行『捜査一課長』(集英社、1978年)も断捨離する。『復讐・・・』の上巻は見つからない。
 『復讐・・・』は佐木の第74回直木賞受賞作である。裏表紙に佐木へのインタビューが挟んであった(週刊読書人1976年2月9日付)。モデルとなった連続殺人事件の4人の被害者が、いずれも犯人と同じ階層の人間だったという指摘が印象的である。佐木に影響を与えたカポーティの『冷血』とはこの点で決定的に異なっているという。『冷血』では、被害者は富裕層で、犯人は下層だった。

 佐木さんには、陪審裁判をめぐって伊佐千尋さんと対談してもらったことがあった。
 ゲラは佐木さんが缶詰めになっていた新潮社の会議室(?)に届けたのだが、そこで中学時代の同窓の校條君に再会した。中学を卒業して以来10年ぶりくらいの再会だったが、その時は中学時代がとても昔のことのように思えた。それから現在までに50年近く経ったのだが、こっちの50年はあっという間だったような気がする。
 佐木さんが座っていた大きなデスクの後ろの壁には、畳2畳分くらいはありそうな沖縄の地図が掛けてあった。学校の地理の授業で使うような壁掛け地図よりさらに大きな地図だった。

 2023年10月19日 記

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『FBI心理分析官』『殺人者の自伝』

2023年10月18日 | 本と雑誌
 
 ロバート・K・レスラー他/相原真理子訳『FBI心理分析官--異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』(早川書房、1994年)、ジョーイ+デイヴ・フィッシャー/高田正純訳『殺人者の自伝--組織犯罪の25年』(早川書房、1976年)を読んだ。
 10月18日が資源ごみの回収日で、単行本も対象になっているので、捨てる前に読んでおくことにした。「資源」ゴミというのだから、焼却されたりしないで、誰か関心のある人のところに届くであろうことを祈る。

 『FBI心理分析官』は、「羊たちの沈黙」の原作かと思ったが、そうではなくあの映画のモデルになった実在のFBI捜査官が書いた本だった。著者のレスラーはあの映画には批判的のようで、実際には、あれほど単純に調査は進行しないし、ジョディ・フォスターのような訓練生にあのような調査をさせることはないと書いてあった。
 最初は、福島章の解説だけ読んで捨てようと思ったのだが、解説を読んで、本文をパラパラとめくっているうちに読みたくなって、結局全部読んだ。
 「面白かった」といったら語弊があるが、最終的に大量殺人を実行してしまう人間と、そういう犯罪に興味をもつが実際には実行しない人間との違いは何に由来するのか。その回答は、本書から得ることができる。

 FBIでプロファイリングを行なってきたレスラーが、自らがかかわった大量殺人事件の捜査における犯人像のプロファイリングと、犯人が逮捕された後にそのプロファイリングがどの程度正確だったかを分析する部分と、実際に大量殺人者にインタビューした結果、彼らがなぜそのような行為を行ったかを分析する部分からなる。
 登場するのは、シャロン・テート事件のマンソン、R・ケネディ暗殺事件のサーハン・サーハン、女子大生殺人事件のテッド・バンディなどの有名事件の犯人をはじめ、20件近くの大量殺人事件とその犯人であり、彼らに対するプロファイリング、その結果の検証、犯人に共通する特性の分析が書かれる。

 著者によれば、プロファイリングとは、発生した事件において、「何が」発生したのかを解明し、「なぜ」発生したのか、そして「誰が」起こしたのかを推測することである。
 大量殺人には、精神病的人格者(原文のままだが、今日の「人格障害者」か)による犯罪であることの痕跡が残る「秩序型」と、精神異常者による「無秩序型」があり、その混合型もあるという。
 犯罪現場に臨場した著者がまず把握するのは、「何が」起きたのか、「秩序型」か「無秩序型」かの判別である。いずれの犯人も幼少年期に不幸な家族体験をしていることが多いが、「無秩序型」は親が貧困、アルコール中毒、精神疾患などを抱えていて、目立たない学校生活を送っていることが多いのに対して、「秩序型」の親は経済的には豊かだが父親によるしつけが甘く、学校時代から攻撃的で話がうまかったりすることが多いという。

 大量殺人者のほとんどは白人であり、20代から30代の若者である(このことは福島の解説も指摘している)。そのため、ある殺人が大量殺人の一部であることが判明した場合、犯人像は一気に狭めることができる。
 連続する事件の発生場所の距離、遺体の遺棄の場所や遺棄の方法から犯人の居住地域も推測可能になる。殺害方法、遺体の状態からは犯人が軍隊経験を有する者かどうか、警察に向けた挑戦状などがあれば犯人の教育程度(ハイスクール中退かそれ以上か)、精神病院の受診歴の有無なども推測される。登場する大量殺人者の中には、17歳でシカゴ大学に飛び級入学した者や、スタンフォード大学の大学院生なども含まれている。
 
 彼らの最大の共通項は、幼少年時代の家庭環境の劣悪さである。彼らの多くは、実母や養親から愛されなかったり、父親から虐待にちかい厳格すぎるしつけを受けたりした経験をもっている。著者は親に愛されなかった子や、虐待を受けた子がすべて大量殺人者になるわけではないと何度も断ってはいるが、大量殺人者のほとんどが不幸な幼少年期を過ごしていることは事実のようだ。
 このことが原因となって、彼らは青年期になっても同年代の女性(というか他者)と自然な性関係を結ぶことができない。そして充たされない現実を離れて「空想」(妄想)を抱くようになる。普通であればそれは空想にとどまるのだが、彼らはその空想を実行に移してしまう。大量殺人は性的殺人であると著者はいう。
 犯行は動物虐待(惨殺)などの比較的小さな事件から始まって、次第に空想が拡大していくという指摘は、神戸の酒鬼薔薇事件を思わせる(小田晋「神戸小学生殺害事件の心理分析」カッパブックスなど)。

 著者は、「怪物と闘う者は、自分自身も怪物にならないように気をつけなければならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ」というニーチェの言葉を後輩たちへの警句として引用している(47頁)。
 実際にインタビューするうちに彼らに魅了されてしまって、犯人(受刑者)に捜査情報を流すようになった捜査官もいたという。
 アメリカの犯罪ものテレビドラマにはしばしばFBIのプロファイラーが登場してプロファイリングによる推理を開陳する場面があるが、ドラマではその推理がシャーロック・ホームズ的でご都合主義的な感が否めないが、さすがに本書は実話だけあって説得力がある。一気に読んだ。

   *   *   *

 ジョーイ『殺人者の自伝』も、表紙の帯に「38人を殺した男の素顔!」とあるから、大量殺人者の自伝なのだろうが、殺人を生業にしてきたような者が起こした殺人には興味はない。1970年代に何でこんな本を買ったのか記憶もないし、読んだ形跡もまったくない。そして今回も読む気が起きないので、そのまま資源ごみに出すことにした。
 ただし、CBS記者(元警察官)による前書きには、この本はわが国の恥部を描き出しているとあるが、本書には20世紀アメリカの裏面史の一面もあるのだろう。
 フィッシャーという補筆者は、自分は(少なくとも初めて会ってから数回)は彼(ジョーイ)に魅了されていたと書いている。大恐慌のさなかの1929年に生まれ、孤児院をたらいまわしにされながら育ったジョーイにも「一分の理」はあると言いたげである。「地獄をのぞく者は、地獄からのぞかれている」というレスラーが引用したニーチェの言葉通りである。
 職業として、プロとして殺人を生業としてきたジョーイだが、彼を利用した政治家や、ニューヨーク市警察内部の腐敗も語っていて、その点ではたんなる殺人者(ヒットマン)の自伝にとどまらない。いったん彼を利用した政治家たちは、主客転倒して、それ以後は彼が主人となり、彼から逃れることができなくなってしまう。
 この本も高村薫「マークスの山」を思わせる。
 愉快な本ではないが、不要の本ではなかったのかもしれない。しかし、ぼくの人生にとっては不要になった。もう資源回収は来ただろうか。

 2023年10月18日 記

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ガードナー『最後の法廷』余滴

2023年10月14日 | 本と雑誌
 
 E・S・ガードナーの『最後の法廷』にまつわる余滴をいくつか。
 同書の第6話「この事件から手を引け!」は、真犯人に迫った警部に対して上層部が圧力をかけて、警部を解雇して捜査を中止させてしまうというストーリーだったが、現在BS日テレ(BS141ch)で毎週放映されている「マークスの山」(高村薫原作)を思わせる。
 それはそうと、BS560ch の「AXNミステリー」が10月から「ミステリー・チャンネル」に変わった。何が変わったのか分からないが、「オックスフォード・ミステリー」や「女警部ヴェラ」などは引き続き放映されている。フランスの女性予審判事が主人公の新番組の予告編には、水色のわがシトロエン2CV も登場する。
 明らかに変わったといえば、同局のマスコット(?)の猫のイラストが変わった(下の写真)。

  

 さて、ガードナーの「最後の法廷」は、「アーゴシ―」という雑誌に連載された。
 「アーゴシ―」とはどのような雑誌だったのかと思って、常盤新平・川本三郎・青山南編『アメリカ雑誌全カタログ』(冬樹社、1980年、下の写真)を調べたが、残念ながら載っていなかった。 
 “Argosy” 誌をネットで調べると、1882年創刊、1978年廃刊のパルプ・マガジンとある。
 パルプ・マガジンというのも正確な定義は知らないが、わら半紙のような粗末な紙に印刷された雑誌、たとえば、かつての「噂の真相」あるいは軽井沢の旧道の三笠書房の片隅に置いてあったアメリカの犯罪実話雑誌のような紙質の雑誌のことだろうと想像してきた。今回、「アーゴシ―」誌で気になったので辞書を引いてみると、“pulp magazine” とは「(安物のザラ紙に印刷された)エログロ[低俗]雑誌」とあるではないか!(プログレッシブ英和中辞典)。
 雑誌の紙質については想像通りで異論はないが、ガードナーの「最後の法廷」を連載した雑誌を「エログロ、低俗」とはなんということか! 「アーゴシ―」を「パルプ・マガジン」と書いたネットの書込みが悪いのか、プログレッシブの語義が悪いのか。
 ちなみに “argosy” とは「大型商船、大商船隊、豊富な蓄え」とある(ジーニアス英和辞典)。

      

 ついでに、雑誌つながりで、蛇足をもう1本。
 『最後の法廷』の著者アール・スタンリー・ガードナーの伝記が、アルヴァ・ジョンストンという人の筆によって「サタデー・イヴニング・ポスト」誌に連載されたことが同書に紹介されている(14頁)。
 「サタデー・イヴニング・ポスト」というのは、サリンジャーの初期の短編の何編かを掲載した雑誌(新聞?)だが、以前にも書いたように、「サタデー・イヴニング・ポスト」に載ったサリンジャーの初期の短編はどれも好感をもって読んだ。かえってサリンジャー自身は有りがたがっていた「ニューヨーカー」に掲載された短編はあまり面白くなかった。
 ※サタデー・イブニング・ポストに掲載されたサリンジャーの作品は、「ヴァリオーニ兄弟」(1943年)、「当事者双方」「優しい軍曹」(ともに1944年)、「フランスの少年兵」(1945年)の4本だった(鈴木武樹訳、『若者たち』角川文庫、1971年)388頁以下の「年譜」による)。

 サリンジャーの短編が時おり掲載され、ガードナーの伝記が連載される「サタデー・イヴニング・ポスト」というのは、どんな雑誌だったのだろうか。この雑誌も『アメリカ雑誌全カタログ』には載っていなかった。
 ひょっとして、ノーマン・ロックウェルの挿し絵でも入った雑誌ではないかと思って、『アメリカン・ノスタルジア--ノーマン・ロックウェルの世界』(PARCO出版、1975年)をひっぱり出してみた(冒頭の写真)。すると、なんと! ロックウェルは「サタデー・イヴニング・ポスト」の表紙を40年にわたって描いていたというではないか。わが直観に我ながら感動した。

 同書の解説(T・S・ブッヒュナー/東野芳明訳)によると、ロックウェルは「サタデー・イーヴニング・ポスト」(同書では「イーヴニング」と延ばしている)の表紙を描きつづけていたが、同誌(週刊誌だった)は経営難から一時休刊していた。ところが、1968年にロックウェルの才能を評価したある画商がニューヨークで彼の作品展を開いたところ、ロックウェル・ブームに一気に火がつき、その時からロックウェルはイラストレイターから芸術家になった。解説によれば、ロックウェルは「アメリカ国民が誇りに思っていた時代の記録者」であるという。
 手元の『アメリカン・ノスタルジア』には、ロックウェルの訃報を伝える東京新聞1978年11月10日の記事と、TIME誌1978年11月20日号の記事が挟んであった(冒頭の写真)。
 彼は、1978年11月8日にマサチュセッツ州の自宅で死去。1894年生れの84歳だった。22歳の時に「サタデー・イブニング・ポスト」の表紙を描きはじめ、以後同誌の表紙を360点描き、その他にも、リンドバークの大西洋横断時の「ポスト」誌や、アポロの月面到着時の「ルック」誌の表紙なども描いたという。東京新聞の記事は、見出しも含めてロックウェルを「イラストレーター」としているが、「イラストレーター」だろうが、「芸術家、画家」だろうが、ぼくはロックウェルの描く世界が好きである。
 
 そして、この時のロックウェル・ブームのおかげで、「サタデー・イヴニング・ポスト」も復刊したという。Wikipedia によると、「サタデー・イブニング・ポスト」は1897年創刊、1969年までは週刊誌、一時休刊の後、1971年に季刊誌として再出発したという。
 同誌には、ポー、フォークナー、スタインベック、サロイヤンらのそうそうたる執筆者が名を連ねており(サリンジャーの名はあがっていなかった)、ジャック・ロンドンの「野生の叫び声」が連載されたのも同誌だったが、F・ルーズベルトのニューディール政策に反対するなど、中西部の読者を対象とした保守系の雑誌だった(時期もあった)らしい。

 ところで、日本の雑誌はどうだろうか。 
 10代後半から20代の頃にぼくが読んでいた雑誌といえば、「平凡パンチ」「週刊プレイボーイ」などだが、これは前にも書いたので省略。同じ頃、五木寛之のような作家になりたいと思って、「小説現代新人賞」でデビューした彼の小説が掲載された「小説現代」を時おり買っていた。そういえば、「エラリー・クイン ミステリー・マガジン」(早川書房、途中から「ハヤカワ ミステリ・マガジン」に改称した)を定期購読していたこともあった(数十冊あったが「平凡パンチ」などと一緒に20年近く前にポラン書房に売却した)。
 表紙が印象的だったのは「推理ストーリー」(双葉社)だが、やや「パルプ・マガジン」的だったかもしれない。ただし「推理ストーリー」には推理小説だけでなく、犯罪実話や、正木ひろし、高木彬光による冤罪ドキュメントなども掲載されることがあったと記憶する。

 2023年10月14日 記

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E・S・ガードナー『最後の法廷』

2023年10月13日 | 本と雑誌
 
 E・S・ガードナー/新庄哲夫訳『最後の法廷』(早川書房、1959年)を読んだ。上下2巻本だが、不思議なことに表紙、扉、奥付、函などのどこにも「上巻」という表示はまったくない。
 ※上下2冊本ではなく、正続の2冊本だった。
 平成3年5月2日に、水道橋駅前の丸沼書店で、上・下2冊あわせて2000円で買ったレシートが挟んであった。発売時の定価は上巻が270円、下巻が280円だが、平成3年当時でも発売からすでに30年以上たっており、古本屋の店頭でも古書目録でもまったく見かけなくなっていたから、2000円ならお買い得だったので、丸沼の書棚で見つけた時は興奮した記憶がある。
 パラパラと読んだ形跡はあるが、買ったままで30年近くほったらかしの状態だったので、今回最初から読むことにした。ただしこの本は断捨離はしないだろう。この本に書かれたガードナーらの活動は、戦後のわが国における松川事件、八海事件などの誤判、冤罪事件を支援した広津和郎や正木ひろしらの活動にもつながる歴史的な活動の記録だとぼくは思う。

 ガードナーはカリフォルニア州の弁護士だが、弁護士ペリー・メイスンものなどの法廷小説を書いた推理作家として有名である。
 彼は弁護士業務から引退した後に、世の中にあふれる冤罪事件の真相を究明して、無実の受刑者を解放するための団体を立ち上げた。この団体は「最後の法廷」と称し、ガードナーは同志を募って、自らの出費で調査を行った。本書の原題 “ The Court of Last Resort ” はこれに由来する。
 ちなみに「最後の法廷」という名前に込められたガードナーの含意は、彼らの活動を活字化した記事を読んだ読者である民衆(原語は people だと思う)ないしは「世論」による判断こそが「最後の法廷」であるということだろう(32頁)。 

 ガードナーは、このような冤罪による受刑者を救済する団体のメンバーは、読者が信頼するだけの威信のある専門家であり、法の正義を実現するための公共心をもち、個人的な宣伝や金銭的な報酬を求めない経済的に余裕がある者でなければならないとして、知人の有名探偵や、高名な法医学者、元検事その他数名をメンバーとした。
 民衆すなわち世論に訴えるための媒体として、ガードナーと親交のあった経営者が発行する「アーゴシ―」誌が選ばれた。同社は、ガードナーの「最後の法廷」に協力して社内に調査委員会を立ち上げ、調査のための旅費を負担しただけでもアメリカ雑誌の歴史に名を残すに値する立派な雑誌である。もちろんガードナーの調査記事が掲載されることで販売部数も伸び利益も得ただろうが。
     
 上巻には「赤毛の男」「モリッツ・ピーターソン事件」「砂漠の中の決闘」「二個の薬莢と一匹の犬」「ヌード死体を訪問した男」「この事件から手を引け!」の6話が収録されている。

 第1話「赤毛の男」は1930年代のカリフォルニアで起きた少女暴行殺人事件である。目撃者の「犯人は赤毛の男だった」という証言だけで、付近に住む者の中でただ一人の赤毛の男が容疑者とされ、杜撰な面通しで「この男(容疑者)が犯人です」と目撃者が証言し、陪審は有罪を評決し、被告は死刑判決を受ける。
 当時カリフォルニア州知事だったアール・ウォーレン(後に連邦最高裁長官となり、リベラルな判決で有名だが、州知事時代には日系アメリカ人を強制収容するなど問題も多かった)は死刑執行を命ずるが、副知事が執行に反対し、弁護士の要請でガードナーの「最後の法廷」調査委員会の調査が始まる。
 すると、「あの赤毛の男が犯人だ」と証言した目撃者の一人が実は色盲で、赤と灰色を識別できないことが発覚する。公判記録を読み込んだガードナーは、現場付近の地図と調書に現われた被告の行動を時系列にたどった時間表を作成し、犯行時刻に被告が犯行現場にいることは物理的に不可能だったこと、すなわち被告のアリバイを証明する。さらに、犯行当時の現場付近には赤毛のホップ採取人が滞在しており、事件翌日に姿を消したことも判明する。
 調査結果が「アーゴシー」誌に掲載されると、ウォーレン知事は直ちに死刑を終身刑に減刑し、死刑の執行を差し止める。ガードナーの記事は、被告に対して知事が恩赦を与えるよう要求するところで終わっているが、その後おそらく被告は釈放されたものと思われる。
 ※訳者は「見証」の危険性を何度も指摘するが(106頁ほか)、「見証」の原語はおそらく “eyewitness” であり、「目撃者」「目撃証人」のことだろう(小山貞夫「英米法律語辞典」研究社、2011年)。本事件などは目撃者の証言の危険性を示す典型例である。

 第2話「モリッツ・ピーターソン事件」は、1933年にワシントン州で起きた78歳の老人撲殺事件だが、「最後の法廷」の調査活動の着手から結末までがいちばん具体的に分かるストーリー展開になっている。第1話とともに、ガードナーの「最後の法廷」活動の初心と、刑務所や司法・検察当局との交渉や、経済的な舞台裏を知るのに最も適している。
 この事件の被告は(以前にも無実の前科で収監されたことがあり)、その時の同房者の虚偽の証言によって本件で逮捕されるのだが、これも冤罪事件の典型である。また、この事件では事件の地元紙の「シアトル・タイムス」の記者も事件に興味を持ち、真犯人に肉薄していたのだが、ガードナーは地元の事情に精通した地元紙の役割も高く評価している(92頁)。

 第4話の「二個の薬莢と一匹の犬」も印象的である。
 2人の男が、キャンプ地の寝袋の中で就寝中に、彼らを逮捕にやって来た保安官を射殺したとして起訴され、有罪とされた。しかし、そのような状況で寝込みを襲われた2人がどうやって拳銃を取り出し発砲することができたのか。しかも、検察側は、被告らは6発発砲したと主張するのだが、懸命の捜査にもかかわらず現場からは2発の薬莢しか発見されていない。
 さらに現場では、被告の飼い犬が保安官に飛びかかっていたのだが、その事実はなぜか法廷ではまったく触れられていない。保安官は前かがみで祈るような格好で絶命していたのだが、ガードナーは、犬に飛びかかられた保安官が前かがみになったところを背後から(被告ではない)誰かに撃たれたと推測する。読者(ぼく)は、実は真犯人は、被告2人の隣地に住み、被告と近隣紛争を抱えており、保安官に虚偽を申し立てて逮捕に向かわせた男こそが、秘かに背後から保安官を射殺して、罪を隣人になすりつけたのではないかと推理するが、ガードナーはそのような「犯人探し」はしない。ただ杜撰な初動捜査を証拠に基づいて批判するのである。

 第5話「ヌード死体を訪問した男」も、杜撰な初動捜査による冤罪である。
 数日間の出張の帰りに不倫相手の女性宅に立ち寄った男は、彼女が全裸で死んでいるのを発見する。男は驚いて現場を立ち去ったものの、ほどなく逮捕される。
 検屍した医師は、検屍の経験がほとんどなかったにもかかわらず、「死後12時間ないし24時間以内」と推定する。しかし死体を扱った葬儀屋でさえ「これほど腐敗するには80時間以上かかったはずである」と証言するような死体の状態だった。死後80時間なら容疑者の男にはアリバイが成立する。疑問を突きつきつけられた担当検事の不誠実、官僚一般の無関心、政治的圧力などにもかかわらず、ガードナーの調査結果が公表されると、知事は減刑のうえ被告(受刑者)を仮釈放する。

 全体を通して印象的だったことの1つは、ガードナーたちの「最後の法廷」委員会が必ずしも常に再審を求めるわけではなく、知事による恩赦や特赦を求め、場合によっては(有罪判決は不問にして)終身刑から短期刑に減刑させ仮釈放させることで妥協する場合もあることである。調査の時点では受刑者となって刑務所に収監されている無実の被告をひとまず自由の身にすることが最優先なのである。刑罰の執行機関である州知事にかなりの裁量権が与えられており、選挙によって選ばれる知事や検事が世論の動向に配慮するなど、日本とは制度も背景も異なるためもあるが、日本の冤罪救済活動が再審無罪判決による完璧な雪冤を求める傾向にあるのと対照的である。

 2つは、20世紀のアメリカにおいても、警察、検察による証拠のねつ造や隠滅の事例がいくつも見られることである。例えば、目撃証人が捜査段階で「被告は私が目撃した人物ではない」と捜査官に対して証言していたにもかかわらず、その目撃証人に対して法廷では目撃情報を証言させなかったりする(訴追側の主尋問に関する事項しか被告側は反対尋問することができないというルールがあるらしい)。
 第6話の「この事件から手を引け!」などでは、容疑者の無実を主張した捜査担当の警部に対して、上層部が圧力を加え警部を解雇してしまう。ガードナーたちが調査を始めると、公判記録の速記録、警察の事件調書、予備審問における証言速記録など、この事件に関する公的な記録がすべて紛失していることが判明する。冤罪の事実が明らかになることを危惧した何者かが盗み取ったことは間違いない。そのようなことが可能な人物は(事件のあった)ミシガン州のかなり上層部の人間であり、真実が明らかになることを恐れる人物(真犯人)ではないかと読者(ぼく)は想像するが、ガードナーはその手前で筆をとめる。

 3つはアメリカ各州の刑事司法手続の非合理性、不正義の指摘である。例えば、一度陪審が有罪を評決すると、原則として被告はもはや事実認定の誤りを理由に上訴することができなくなる(155頁)。陪審が無罪を評決した場合には訴追側が争うことができなくなるので被告にとってきわめて有利だが(二重の危険禁止ないし一事不再理の原則)、誤判による有罪評決の場合に被告はきわめて不利な状況に追い込まれる。
 また上訴するには原審の公判記録の写本を取らなければならないが、判決の分量によっては約750ドル(当時の日本円で27万円)も請求されるという。ほとんどの受刑者にとってそのような金額を準備することは不可能であり、彼らはあきらめて刑期の満了か仮釈放を待つしかない。

 4つは、第3話「砂漠の中の決闘」の被告が典型的だが、無実の被告の何人かは、生活の糧をすべてみずからの労働で獲得する開拓者時代以来の技術と独立精神をもつ、典型的なアメリカ人であるとガードナーが見なしていることが印象的だった。彼らは、恩赦などによって刑務所から解放されると、再び森林地帯や砂漠にもどって木材の伐採や砂金掘りによって生計を立てる生活に戻るのである。
 第3話の主人公ビル・キースは、1920年代にはいまだ人の住まない未開の地だったパームスプリング近郊の谷間に移り住み、周辺を開墾して台地に小屋を建て、材木伐採で生計を立てていた。土地をめぐる紛争から、彼を狙った元保安官をキースは反撃して死に至らせる。被告側の正当防衛による無罪主張に対して、陪審は妥協的に過失致死罪を評決し、彼は収監される。
 州下院議員やガードナーの活動にもかかわらず、彼は恩赦、特赦、仮釈放などをすべて拒否し、5年の刑期を満了して出所する。弁護士費用などで財産をほとんど失った70歳の彼は、残ったわずかな土地と小さな家で、木材伐採人として再出発をする。ガードナーは彼に「アメリカ人の独立精神」を見るのである(145頁)。
 ちなみに、パームスプリングと言えば、トロイ・ドナヒューだったかエルビス・プレスリー主演の青春映画「パームスプリングの週末」を想起するが、100年前まではそんな土地だったのだ。

 2023年10月13日 記

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きょうの浅間山(2023年9月29~30日)

2023年10月01日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 9月29日(金)、天気がよいので、軽井沢にドライブに出かけた。
 関越道は、週末でしかも月末ということもあってトラックがいつもの平日より多かったものの、それでもほぼ順調だったのだが、最後の上信道、高岩山トンネルが工事中のため、トンネルの手前から大渋滞が始まり、トンネルを抜けるのに30分以上かかってしまった。それでも車窓からは、清涼な空気感が漂う妙義連山など秋の山並みを眺めることができたので、それほど苦にはならなかった。

 昼すぎに軽井沢に到着。窓を開けて秋の外気を入れてから、追分そば茶家に昼食に。いつも通り、天せいろともりそばを注文して、二人でシェア。
 窓の外を見ると、信濃追分駅から国道に向かう脇道を、番号のついたゼッケンに、リュックサックを背負った小学生が三々五々歩いてくる。店のおばさんによると、この日は(西部?)小学校の遠足で、八風山に登ったという。八風山というのはどの程度の山なのか知らないが、低学年の子には結構きつい遠足ではなかったか。バテ気味の子も見かけたが、みんな元気そうだった。

   
   

 その後プリンス・ショッピング・モールに出かけて、孫たちの誕生祝いを物色する。
 冒頭の写真は、ショッピング・モールの人造池から眺めた浅間山、と言いたいところだが、浅間山は離山の後ろにわずかにすそ野がのぞいているだけ。ショッピング・モールや旧軽井沢からは浅間山はほとんど見ることができない。
 昭和20年代に起きた浅間山麓を米軍の訓練基地化する計画に対する地元民の反対運動でも、旧軽井沢の人たちはほとんど参加しなかった。旧軽井沢、新軽井沢の人たちにとって、姿が見えない浅間山は関心の対象ではなかったのかもしれない。
 29日は天気がよく、青空に映える浅間山はあのハート形の噴火口もくっきりと見せていたが、写真を撮らなかったら、翌日は朝から曇天で、浅間山の姿を見ることはできなかった。残念なことをした。

 下の写真は9月30日の佐久農協販売所前の踏切を通過するしなの鉄道。晴れていたら、線路の向こうに浅間山が見えるはずなのだが・・・。

   

 発地市場、ツルヤ、佐久農協をめぐって、野菜を大量に買い込んだ。東京に比べると驚くほど安いらしい。
 天気がよければもう1泊しようと思っていたのだが、曇天のうえ、翌日曜日(10月1日)も雨という予報だったので、30日に帰ることにした。
 今朝(10月1日)、NHKラジオの道路情報を聴いていたら、上信道の碓氷軽井沢インターと八風山トンネルの間は雨のため50キロに速度制限されていると言っていた。

 2023年10月1日 記

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