今朝の空はちょっともわもわしている気がする。きりっとした青空じゃない。
春の足音がちょこっと聞こえてくるような、そんな感じ。
お正月晴れ着訪問の初任同僚写真をしみじみと見返していて。
(50年前住んでた横浜、今もこの地に住んでいるわ)
どうして6畳一間の間借り先に晴れ着3人が来ることになったのかしら、
彼氏宅訪問ならまあまあ分かるけれど、ね。しかもバス停から15分以上も歩くのよ。
狭い部屋で4人して何をしていたのかしら。お正月料理なんてあるはずもないし。
ああ、疑問だらけ。今度会ったら訊いてみよう。(写真、貼り付けたくなりました)
20代前半の美女3人 若いって 羨ましい
そういえば、去年の1月はいいことがなかったなと。
5行書けばいっぱいになるような3年日記の去年のメモ書きを読み返す。
夫のバイク事故、幸い軽い打ち身程度で済んだからまあまあと胸をなでおろした。
同じ初任時代同僚の病名、余命までが分かって。一番親しくしていた年上の人。
「今日泊めて」とか言って急に来るの。それで二人して何するでもなくグダグダして。
しょっちゅう旅行して、そのたびにどこが気に入らないのかよく怒られたものだわ。
それで懲りずにまた出かける。
独身時代、暮れから正月にかけて京都・飛鳥の旅をしたことがある。
京都の宿「玉半」に泊まりたいとの彼女のリクエストで31日停まった。
そのころの私は移動するだけで満足していたから、玉半の部屋で紅白歌合戦なんか観て。
布施明が白い衣装で腕をあげると袖からひらひらが ♪ごらん 不死鳥
と歌い上げるのを感激して観ていたの、なにしろ間借り部屋にはテレビがなかったから。
テレビばかり観てるって、もっと旅を楽しめって怒られたわ。ほんとだね。
乗り物酔いでぐったりしていれば怒られ、トイレが近いからその心配を話すと怒られ、
なんで一緒に行くんだろう怒られに行くようなもんだと思ったけれど。
付き合いは家族ぐるみになり、彼女は余命通りの日々を生きて旅立った。
つらかった1月から3月、時々思い出す、スマホに残っている写真は見ることができない。
その間借りしていた家のおばちゃんに異変が起きたのも1月。
正月飾りがいつまでも玄関先にあるのを不審に思ってからのこと。
去年の暮れに施設に会いに行ったきりだ。オミクロン株が落ち着いたらまた会って来よう。
今のところ今年は何事もなく過ぎていきそうでよかったわ、ほんと。
とても元気にお話しをなされ、故郷の人の名前もすらすらと出てきてびっくり。
故郷にいる方の現況や在京の先輩たちの状況を約1時間も話した。
ご主人(元首都圏〇〇連合会会長)をなくされてもう7,8年になるかしら?
昔のことをよく覚えていて、話が弾んだ。
懐かしいね。
昔話に話が弾む、年を取っての楽しみのひとつかしら。
そのためにも健康でいることが大事になります、お互いに気をつけましょうね。