ずいぶん馴染みのない神社に初参りしたものだけど。
12日の日曜日、「佐渡寒鰤祭り」が目黒の庄屋で催された。
幹事がそこに便乗して、我ら同級生一同の新年会をやろうと招集がかかったわけよ。
祭りには100名くらい、同級生は男女合わせて20名近く集まったかしら。
遠くはオヤジ同級生が上田からはるばると、神戸のノブコサンも参加予定だったはずが
肋骨2本骨折したとかで急遽不参加に。カズコサンは言う。
「だからね、こういう集まりの時は顔を出さなくちゃ。いつ行けなくなるか分からないでしょ」
ほんとにその通り。顔だけ出して。
ぶりのお刺身食べて(佐渡直送10キロ以上の大きさ、うまいのなんの)
ぶりしゃぶ食べて(刺身にはかなわない、と個人的感想)ぶり大根食べて。
食べるだけ食べてしゃべるだけしゃべって、皆の元気な顔を見たからもういいの。
ヨーコチャンに耳打ちしてそっと抜け出す。2時間近く大勢の中は限界、疲れる。
なに「あの人はそういう人よ、わがままなのよ」と知れ渡っているからいいの。
で、ひとり目黒線に乗って多摩川駅で下車。行きと帰りは違う路線に乗りたい。
予定していた「多摩川浅間神社」に初参り。氏神様じゃないのにとちょっと気が引けたわ。
浅間神社は、今から八百年前の創建だそうで。
鎌倉時代の文治年間(1185~90)、源頼朝は、豊島郡滝野川松崎に出陣したおり、
妻政子は、後を追ってここまで来たがわらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川畔で傷の治療をすることに
あいなったそうな。
逗留のつれずれに亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見えて。
富士吉田には、自分の守り本尊である「浅間神社」がある。
政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てたんですって。
村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇したとのこと。
これが「多摩川浅間神社」のおこり、と神社のホームページに。
白糸の滝 実に可愛い
社殿の上にさらに別の社殿が載った二階建ての建築様式の浅間造 めずらしい
食行身録乃碑 勝海舟書
お参りも済ませたことだし、この日二つ目のお目当ての場所、多摩川散策。
振り返って、こんもりした緑の森がお参りしてきた多摩川浅間神社。いいわあ。
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