(昨夕。月もとてもきれいだった)
『小さいおうち』は、なんだかなあというちょっと冷ややかな感想だったが、
作者の中島京子さんにはちょっと惹かれるものがあって、もう1冊読んでみようと手にしたのがこの小説。
(表紙の12枚の絵は物語の12章と相まってなかなかです)
「50歳になっても、人生はいちいち驚くことばっかり」
息子は巣立ち、夫と二人の暮らしに戻った主婦の聖子が、ふとしたことで読み始めた60年前の「女性論」。
一見古めかしい昭和の文士の随筆(伊藤聖が60年前に書いたエッセイ「女性に関する十二章」ね)と、
聖子の日々の出来事は不思議と響き合って……
どうしたって違う、これまでとこれから――更年期世代の感慨と、思いがけない新たな出会い。
上質のユーモアが心地よい、ミドルエイジ応援小説。
こんな解説があれば、どうしたって手に取ってみようと思うもの。大正解、どんぴしゃり。
「どうやらあがったようだわ」
いきなりこう始まるのよ。梅雨の合間の晴れ上がった空を見上げてこうつぶやくの。
洗濯ものを干しながら考えるの。
どうやらあがったようだわ。って。そう月のものが無くなったのかと思ったのよ。
この一文だけですぐに小説の世界に引き込まれてしまう。
聖子さんは心の中で呟く。
結婚生活を円満に送っていくには、常にどこかで何かを譲ったり曖昧にしておいたりする
必要があるのは自明のことだが、これが「ま、いっか」の状態なら円満、「もう耐えられない」
の状態に傾けば円満と言えなくなる。多くの場合、その境界線は微妙で(略)
脳内独白は続く。
正直、子供が育ちあがっちゃうと、なんでいっしょにいるのかな?と思うことはしょっちゅうなのよ。
突然連れてきた息子の彼女にあれこれ矢継ぎ早に質問して、
「なんかさ、ちょっとうるさいよ、ママ」って言われて無粋な母呼ばわりされた気がして不機嫌になったりするの。
幼馴染の息子さんや事務所にふらっと現れる調整さんに・・・
そのの関係になりそうなところを年の功でうまくかわしたり。いいわあ。
夫の守さんてね、仕事がうまくいかなくていらいらしてたりすると、「寝る」って。
こういう時はさ、すべてを明日に持ち越して寝るのがいちばんだと思っている。
明日は明日の風が吹くとか明日のことを思い煩うな、今日の苦労はきょう1日にて足れりとか、
明日できることは明日やった方がいい。こういうのを思い出して寝るの、これが一番効く。って。
「たった数か月前まで、君の悩みは、息子が生涯童貞で終わるんじゃないかってことだったんだ。
明日を思い煩うのがいかにバカバカしいかってことだよ。明日のことなんて、誰にもわかりゃあしないのに。」
聖子さんは考える。
明日は今日予想できるものじゃない、とは、誰にも否定できない真実だ。
守の言う通りで、明日という日に意味があるのは、今日と違うことが起こるからなのだ。
聖子さんのひょうひょうたる生き方、微妙な感覚、しなやかな感性、それでいて世の母親となんら変わらない悩み。
うーーん、好きだわ。魅力的だわ。夫の守さんといい夫婦だわ。
あらまあっとくすっと笑えて、そうよそうよと大いに頷いて、いいのか聖子さんとはらはらして。
読んでいてなかなか忙しい。
軽く読めるけれど、どうしてどうしてなかなかに奥深い1冊だ。
それで物語の終わりは、そういえばここ二、三か月、月のものがないけど、こんどこそ、あがったのかなと考え、
でもでも、きっぱりとははあがらないのよ、予断は許さないのよ、と脳内独白を続けるの。
ずいぶん意味深だわね。
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