昨夕、所用での帰り、京浜東北線車内、オジサン二人が乗ってきて大声で話し始めた。楽しそう。
離れたこちらまでよおく聞こえる。
「おれ横浜の夜景が好きなんだよ」
なんて言っているから、ランドマークかどこか高いところからの風景かと想像していたら。
「5時から6時くらいになると家の電気が付き始めるだろ、それぞれの家庭のことがはっきり浮かんでくるんだよ。
東海道線はいいよな、レールの継ぎ目のところでがたんごとんとなるだろ、たまらんな」
と言いながら、躰横向きにしてずっと窓の外を見ていたわ。
うん、オジサン、私も好きです、窓から見る夜景。
臆面もなく大声でそんなこと話しているオジサンたちのこと。
で、ぼさぼさ。
もちろん私のことも含まっています。
この方たちよ、ぼさぼさで美を発揮しているのね。
*キンエノコロ
*ガマ
*チカラシバ
このぼさぼさばさばさぽよぽよくんたち、力強くてなかなかです。
お金があるからできるのよ、といえばその通りで身もふたもないが。
かといって、お金がある人が全てそのような介護をしているかどうかといえばこれまた。
介護といっても人それぞれの事情に応じて千差万別の形がある。
自宅での日常のお世話、施設入居等々。個人的には自宅介護が一番大変かと思うが正解なんてないのだと思う。
『父の生きる』 著者は詩人の伊藤比呂美さん。
2009・4~2012・4 の約3年間。
お母さんが亡くなった後、お父さんが熊本でひとりで暮らしていくための状況をすべて整えて。
1~2か月カリフォルニア、半月日本というサイクルで、日本と熊本を行ったり来たりしてお父さんの介護をした。
もちろんその間隔はお父さんの状態に応じて短くなっていくわけだが。
もう、「凄い」としか言いようがない。そのエネルギーに圧倒される。
おまけに日に数回、国際電話をかけてお父さんの様子を確認している。
電話をかけて様子を窺うということは、行ったり来たりして実際に介護するよりずっと精神的に大変だったと思う。
父上は亡くなるまでしっかりしていたようだ、精神的にも肉体的にも。もちろんお年の割には、が付く。
比呂美さんは父上のことを
「人に向かったときは快活で、人懐こくて、素直で、人に頼るのをいやがらない人」と評している。
年を取ったら、いや取らなくても人間関係でいちばん大事な基本的なことだと思う。が、なかなかできない。
長くなるが、心揺さぶられ心底共感し、一緒にため息つきたくなる文章をいくつか引用する。(順不同)
父に電話するのはほんとうにおっくうでした。毎日電話してますから、話さなきゃいけない用件があるわけじゃない。
用件がないのに、なんとか父と話そうと、父を独りぼっちにしておいちゃいけないと、すごくおっくうなのを無理矢理奮い立たせて、
必死になって、電話をしつづけてました。
それでも父が、退屈だ退屈だと呪い、独りだ独りだと呻くんです。その声に耳をすますのはほんとうにつらかった。
大きくてまっ黒な渦に呑み込まれていくようでした。
行ったり来たり、それがどんどん間近になってきていて。みんなが疲れ果てていました。
父は孤独に、私は移動に、カリフォルニアの家族は私の不在に。
夫がたいへんうっとおしい。夫の文句。
前の敵と戦っていたら、背後から一斉射撃された感じである。
父の愚痴を、書きとめて字に起こしてみると、愚痴は、ただのもがきでした。
私に対する攻撃でもなんでもなかったんです。父の孤独が、私にひしと寄り添ってきました。
だけど退屈だよ。ほんとに退屈だ。これで死んだら死因は『退屈』なんて書かれちゃう。
「おれには看取ってくれるものがいない、誰もいない、ルイじゃだめだし」と言い出したから辞めて欲しいと言うと
「ときどき愚痴をこばしたっていいじゃないか、あんたしか言う相手がいないんだし」
仕事がないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんもやることない。
とにかくもう生きているのも疲れちゃったからな。死なないから困ったもんだ。
こんどあんたがこっちに来るときはさ、こうやって早いうちにいつ来るって教えないでさ、おれに言わないでおいて、
明日行くよって突然言うようにしてもらいたい。そうでないと、いつ来るって知ってから待ってるのがばかに長くってしょうがない。
私が帰るとき、「ありがとう、いろいろと心配してくれて」と言った。
こういうところが、父はほんとうにすごいと思う。気持ちを言語化する能力。伝えようとするそのすなおさ。
4月17日 父が死んだ (父上は比呂美さんが病室に入って10分後急に亡くなる)
「おとうさんありがとう」
「ありがとう」とこれまでの父の存在に。
「ありがとう」と今日のこのときを迎えるために。
父は私が熊本に戻るのを待っていてくれたし、私が締め切りを終わらして病院に戻ってくれるのも待っていてくれた。
悔いている。(中略)
それでも私は悔いている。もっとそばにいてやれた。もっといっしょにテレビを見てやれた。
三月に帰ってくることもできた。夜だって、自分の家に帰らずに父の家に泊まってやることもできた。
それをしなかったのは自分の意志だ。
私は父を見捨てた。親身になって世話しているふりをしていたが、我が身大事だった。
自分のやりたいことをいつも優先した。父もそれを知っていた。
親をこうして送り果てて、つらつら考えた。
親の介護とは、親を送るということは、自分の成長の完了じゃないかと。
2012年4月17日 父 89歳死去
比呂美さんに圧倒される。
ちょうど私も父と佐渡で暮らしていたときに、新聞でちらっと読んだ記憶がある。
比べるのもおこがましいが、ここにもひとりっ子が遠距離介護をしているんだということに幾分慰められた。
この本を読んで、現実はかなり悲惨なのに不思議とそれを感じない。
むしろ、双方の深い愛情に支えられた静かな穏やかな日々の流れが感じられてしみじみとする。
私自身は、終わってみれば、介護の日々は両親がくれた貴重なものだったのではないか、と今は感じている。
そして、いよいよ自分が介護される側に回る日が近いと思うが、なんの、覚悟のカの字もできていないのよ。
困ってしまう。甘い!
バラ園を見に行くのは大好きなのだけれど・・・
我が狭い庭に毎日毎日バラがいたらめげるけれど、1本くらいはいいんじゃないのと。
図書館で見つけた『バラはだんぜん無農薬 9人9通りの米ぬかオーガニック』なる本を読んだのよ。
前書きに、条件の悪い庭でもとか手軽に育てられるとか書いてあったから、ペラペラとめくると、
なんの、バラを育ててる方の手軽って(ー_ー)!!
やっぱりバラはよそ様で「わー」とか「きゃー」とか言いながら鑑賞させていただくことにします。
イングリッシュガーデンのバラたち。
ああでもないこうでもないと。
苦労したわりには気に入らない。なんてバラにも見てくださっている方々にも失礼な。
バラに酔いました、むせました。はい。
私、山野草が大好きだけれど・・・
バラを見るとため息が出る。
バラっていろいろな表情があるもの。やっぱり華やかだもの。
それでいてひっそりつつましいのも隠れていたりして。
飽きない。
去年の日記では11月5日訪問している、そのときも満開。
年によってこうも違うものなのね。
そして、ガーデンの情景も微妙に違うのね、よく工夫がされてるな、と感心する。
そして、今回の横浜友3人のお気に入り 、おススメ *バーガンディ・アイスバーグ
バラって、周りのちょっとしたベンチや大きなコンテナ、壁面で3割増しに美人になる気がするのよ。
小道が続いていると、それだけで覗いて見たくなる、わくわくする。
自画自賛していたけれど・・・
見直すと、ちょっと、でうまく伝えられなくてへこんでいます。
ごめん、それにもめげずまだ続けます。
昨日は横浜友定例会『横浜イングリッシュガーデン 秋バラを観賞する』だったのよ。
ちょうど見頃の大正解。
朝一番のバスだったから、鑑賞する人たちも程よい数、我らの声が大きく響いちゃったりして。
で、家に帰ってコンデジ撮って来たバラ鑑賞。二度おいしい。
うーん、バラを褒めているのか写真を褒めているのか。
リピートリピート。
結局今朝になってもどうまとめようかまとまらない。お見せしたいのにまとまらない。
いったん回避。
9日にぶらりした赤レンガ倉庫への花壇がこれまた私好みだったから、こちらを先に、です。
とってもワイルドな花壇でした。
そんなわけで、イングリッシュガーデン、ちょっとお待ちくださいませ。
用足しに行く前にちょっと、と立ち寄った公園。
入って行くとバラのお手入れに向かう男性氏が待っていてくれて。いや何の意味もなく。
「きれいに咲いているでしょ」と自慢げ。ほんと。
「前、ここにバラなんて咲いてなかったですよね」と私。そうなのよ、見かけなかった。
「いやあったんですよ、20年咲かなかっただけ。それを移植したら1年半でこんなにきれいに咲いたんだ」
とさらに自慢げ、そしてにっこにっこ。
バラはお金がかかるでしょ、作りたがらないのよ、どこの自治体も。
ほら、おれらボランティアでやっているから。
まず、土作りからだわ。米ぬか入れてお茶柄も入れてあと牛糞と油粕ね。
化学肥料は入れちゃだめよ。土がどんどん固くなっていくから。あっ、それから米ぬかは鉢植えに入れないで、強すぎるから。
そうするとミミズが育ってカマキリも出てきて。
バラはね、光と風と水が大事よ。
土作って光と風が当たるここに移植したら、ちゃんと咲いたでしょ。
知り合いの人が黒点病が出て困っているんですけどなんか対処がありますかね、と聞くと。
もうバラと病気は友達だから当たり前ですって。
予防と病気にかかった葉を見つけ次第撤去するしかないんですって。
インターネットやってるんだったら宣伝しておいてくれない?
「日野中央公園ではバラが見頃です。美しいから見に来てください」って。
はい!と固く約束しました。そういうわけで。
日野中央公園はとても広いです。
お子さんと遊ぶときに、散歩の折に、犬の散歩の折に、運動の折に、デートの折に。
ちょっと立ち寄って眺めてくださいませ。
君なりき なんてその昔、木下恵介監督の映画がありましたねえ。観てない、はい。
で、菊。
もうダメ、ハイキング先輩女子の方の「キクはキクでいいねかっちゃ」のフレーズが毎年頭の中に渦巻くのよ。
ほんと、白山菊か何菊かなんて菊の分別をしつこく追及する私の性癖。厄介だわ。
そのお方のおっしゃる通り。と思いつつ持って生まれたものは治らない。
そして、この彼岸のとある日、ばったりその方と再会。佐渡、スーパー前の道で。
歯に衣着せずの愚痴をしっかり聞いて、お元気だ!と懐かしかった。
10月は大佐渡縦走ですって。
*ノコンギク
*アキノノゲシ
毎度おなじみなのですが、下二枚は チョウ(にしておく)を探してくださいませ
『ウォーリーを探せ』ならぬ『チョウを探せ』
とっても地味かつ小さい
お分かりになりました?
秋のワンシーンです。
佐渡土産の風邪が治りません。こんなに長く持つものなのでしょうか。
風邪なんて引いたことなかったから、呆れています。
熱を出すエネルギーなんて体内のどこにもないから熱は出ません。
代わりに咳と痰が、よくぞそんなに作れるものだな、と感心するくらい製造されています。
鼻づまりもいっこうに改善することなく、いつもくんくんやっています。
夫はさぞ煩いことと思います。知りません。
鼻声も治る気配なく、いっそう魅力的な声に変わっています。お聞かせしたい。
そんなわけです。
いつまでも佐渡の画像を溜め込んでいるから治らないのかしら。
遅ればせながら可愛い実たち。
*ガマズミ 大好きだから2枚もサービスします
*ツリバナ ? 不安です
*ハマナス いちどドンデン山で見かけてびっくりしたことがあります 海岸のそばですよね
同じく海岸好きな *トベラ (えっ?今変換したら *海桐 とでた言い得て妙)
で、*キリ (桐)
ごめんなさい だいぶ前 近所公園
*ヤマボウシ *ぜひ知りたい *コブシ
雨です。
このところ晴天が続き、湿度も低かったので庭はからから、恵みの雨。
そんなわけで、雨もいっか、と。
雨でも融通が利かない私は洗濯しました。夫婦二人分。
1日の仕事が終わったのでこれから引っくり返る予定、掃除はしない、決定。
素晴らしい青の風景。
みなとみらい地区、ふだんはほとんど歩かない汽車道から撮ったら。
コンデジがいいお仕事してくれてご満悦。
汽車道をほんの少しづつ海の方に移動しながら。
都会の風景。