気ままに

大船での気ままな生活日誌

東北桜三昧(2)秋田・千秋公園

2013-05-12 06:27:52 | Weblog
8日午後5時半、角館を発つ。こまち号で、大曲を経て(本当に大きく曲がり、スイッチバックみたいに進行方向が逆になる)、30分も乗ると、そこは秋田であった。はじめて泊まる町でわくわく。秋田の花見の名所は千秋公園である。花見は翌日の午前中いっぱいする予定だが、夕方、食事かたがた下見に行く。ところが、そこは城跡の広大な公園なので、はじっこをちょっこと偵察するに留めた。どうも、葉桜になっているらしいことが分かった。

翌朝、お濠を見ながら、久保田城に入場。桜、桜はどこ?というくらい少ない。よくみれば、あることはあるが、やっぱり、ほとんど葉桜だった。そこだけではなく、山の上の再建された御隅櫓の当たり、その下の本丸跡地周辺には多くの桜があったが、やはり葉桜。桜は終わっていた。

御隅櫓


周辺の桜


でも又兵衛桜をみつけて、にやり(爆)


資料館で勉強。久保田城は、慶長七年(1602)に、常陸の国から出羽国へ国替えとなった佐竹氏二十万五千八百石の居城である。というわけで、常陸太田市とは姉妹都市である。記念樹がひねくれているのは訳があります(笑)。


初代藩主は佐竹義宣。この方。


この方が、国替えのとき、常陸(茨城県)の美人をみな連れてきてしまったので、現在の秋田美人がある、という俗説があります。一方、そのせいで茨城県には美人が一人もいなくなったという俗説もありますです。でも、これは本当のことです。たまに美人もみかけますが、調べてみると、父母のどちらかが秋田県生まれなのです。ぼくが茨城県民であったとき、綿密に調査した結果ですから、間違いございません。

木村伊兵衛の名作”秋田美人”が町のあちこちに貼ってあります。よほど自慢なのでしょうね。ぼくはこの写真を京都の木村伊兵衛展でみました。伊兵衛が大曲に滞在したときに撮った農村の娘さんです。


この銅像は初代藩主ではなく、最後の藩主、佐竹義堯公です。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟を離脱して新政府軍に参加し、薩長と共に、奥羽列藩同盟の庄内藩を中心とした旧幕府軍を相手に戦った。このとき、弘前藩も離脱。盛岡藩・八戸藩連合と戦った。ぼくの現役時代の上司は盛岡の生まれだったので、酒を飲むと、離脱した藩の悪口を言っていた(笑)。


みるべき桜がなかったので、いろんなところに話が及んでしまった(汗)。でも、時間が余ったおかげで、二つの美術館を訪ねることができた。ひとつは、すでに報告済みの千秋美術館の”京都・日本画の青春”展。そしてもう一つは、今年の6月30日で閉館するという平野政吉美術館での”藤田嗣治の祈り/平野政吉の夢”展。フジタの大壁画”秋田の行事”ほか、すばらしい作品をたくさん観ることができた。これについては、別に、感想文を書く予定です。

こんどは桜の満開のときに来てみたい。

うつくしい新緑桜。


次回は、いよいよ日本一の桜、弘前の桜です。すごいですよ。



コメント
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