箱根の休養先(お相撲疲れの)からスマホ投稿です(笑)。
夏目漱石の美術世界展が芸大美術館で始まったというので出掛けてきた。漱石が美術好きだということは知っていたが、著作の中に、こんなにもたくさんの美術品が”出演”していたことを知り驚いてしまった。
ぼくがこれまで知っていたものといえばわずかで、先ずは、草枕で”風流な土左衛門”と命名された、ジョン・エヴァレット・ミレー作の”オフィーリア”。この展覧会では実物はなかったが、ぼくは1年半ばかり前、ロンドンのテートブリテンでこれを観て、感激した。漱石はロンドンに2年ほど留学しているから、もちろんこの美術館でみている。ついでながら、テートブリテンには、ターナーの絵がたくさんあり、この展覧会でも、第一章で、そのいくつかが展示されている。
序章 ”吾輩が見た漱石と美術”では、有名な岡本一平の”漱石先生”が出迎えてくれる。そして橋口五葉の装幀した”吾輩は猫である”。これは、千葉美の”五葉展”でもみている。五葉の装幀は、このあと第7章でもたくさんみられる。五葉の長兄が熊本の旧制五高で漱石の教え子だったそうな。
第一章は、ミロのビーナスが迎えてくれる、”漱石文学と西洋美術”。坊ちゃんや草枕などに出てくるターナーや、”夢十夜”に出てくる景色とそっくりな絵(ブリトン・リビエアーのガタラの豚の奇蹟)などがテートブリテンから来日している。
第二章は、漱石文学と古美術。漱石は仏教美術や王朝絵巻などには関心を示さなかったが、雪舟以降の水墨画、そして狩野派、円山派などの江戸絵画には熱い視線を送った。”夢十夜”との関連で蕪村の”漁夫臨雨行”、”こころ”に関連して、崋山の”黄粱一炊図”など。”虞美人草”にヒロイン藤尾の死の枕もとに置かれる酒井抱一作の屏風の”虞美人草図屏風”を荒井経が試作したというのもある。同様に試作した作品があとで出てくる。
第三章は、具体的で面白い。文学作品と美術/草枕/三四郎/それから/門。それぞれの作品に関連したものとして、”草枕”で、若冲、蕪村、池大雅、そして松岡映丘の”草枕絵巻”が観られるのはうれしい。そして、”三四郎”では清方のバイオリンを弾く女性を描いた”秋宵”が清方記念館から来ている。当時の山ノ手のお譲さんを彷彿させるということで。そして、原口という画家がヒロイン美禰子をモデルに描く画、”森の女”を佐藤央育が清輝の画風で試作している。そして、三四郎と美禰子が覗き込む画帖の人魚の絵。ウオーターハウスの人魚の絵がロンドン王立芸術院から。そして、”それから”では、青木繁の”わだつみのいろこの宮”。主人公、代助が展覧会場でこの絵をみる場面があるのだ。漱石は青木を天才と評価していた。漱石は美術評論家のはしりでもあるという説がある。
そして、第4章が漱石と同時代美術、第5章、親交の画家たち、と続き、第6章では漱石自筆の作品が出てくる。”あかざと黒猫図”は来ていなかったが、南画風山水画がいくつも。そして、第7章は、装幀と挿画。橋口五葉の漱石本の装幀と漱石自身の”こころ”の装幀画稿も。
非常に盛りだくさんの内容で、このブログ記事も後半は、はしょってしまった。漱石フアンそして美術フアンとして、とても面白い企画の展覧会だった。そのあと、三四郎とそれからなどの漱石を再読しているところだ。この展覧会の絵の場面が現れるたんびに、ふーん、なるほどと感心している。



夏目漱石の美術世界展が芸大美術館で始まったというので出掛けてきた。漱石が美術好きだということは知っていたが、著作の中に、こんなにもたくさんの美術品が”出演”していたことを知り驚いてしまった。
ぼくがこれまで知っていたものといえばわずかで、先ずは、草枕で”風流な土左衛門”と命名された、ジョン・エヴァレット・ミレー作の”オフィーリア”。この展覧会では実物はなかったが、ぼくは1年半ばかり前、ロンドンのテートブリテンでこれを観て、感激した。漱石はロンドンに2年ほど留学しているから、もちろんこの美術館でみている。ついでながら、テートブリテンには、ターナーの絵がたくさんあり、この展覧会でも、第一章で、そのいくつかが展示されている。
序章 ”吾輩が見た漱石と美術”では、有名な岡本一平の”漱石先生”が出迎えてくれる。そして橋口五葉の装幀した”吾輩は猫である”。これは、千葉美の”五葉展”でもみている。五葉の装幀は、このあと第7章でもたくさんみられる。五葉の長兄が熊本の旧制五高で漱石の教え子だったそうな。
第一章は、ミロのビーナスが迎えてくれる、”漱石文学と西洋美術”。坊ちゃんや草枕などに出てくるターナーや、”夢十夜”に出てくる景色とそっくりな絵(ブリトン・リビエアーのガタラの豚の奇蹟)などがテートブリテンから来日している。
第二章は、漱石文学と古美術。漱石は仏教美術や王朝絵巻などには関心を示さなかったが、雪舟以降の水墨画、そして狩野派、円山派などの江戸絵画には熱い視線を送った。”夢十夜”との関連で蕪村の”漁夫臨雨行”、”こころ”に関連して、崋山の”黄粱一炊図”など。”虞美人草”にヒロイン藤尾の死の枕もとに置かれる酒井抱一作の屏風の”虞美人草図屏風”を荒井経が試作したというのもある。同様に試作した作品があとで出てくる。
第三章は、具体的で面白い。文学作品と美術/草枕/三四郎/それから/門。それぞれの作品に関連したものとして、”草枕”で、若冲、蕪村、池大雅、そして松岡映丘の”草枕絵巻”が観られるのはうれしい。そして、”三四郎”では清方のバイオリンを弾く女性を描いた”秋宵”が清方記念館から来ている。当時の山ノ手のお譲さんを彷彿させるということで。そして、原口という画家がヒロイン美禰子をモデルに描く画、”森の女”を佐藤央育が清輝の画風で試作している。そして、三四郎と美禰子が覗き込む画帖の人魚の絵。ウオーターハウスの人魚の絵がロンドン王立芸術院から。そして、”それから”では、青木繁の”わだつみのいろこの宮”。主人公、代助が展覧会場でこの絵をみる場面があるのだ。漱石は青木を天才と評価していた。漱石は美術評論家のはしりでもあるという説がある。
そして、第4章が漱石と同時代美術、第5章、親交の画家たち、と続き、第6章では漱石自筆の作品が出てくる。”あかざと黒猫図”は来ていなかったが、南画風山水画がいくつも。そして、第7章は、装幀と挿画。橋口五葉の漱石本の装幀と漱石自身の”こころ”の装幀画稿も。
非常に盛りだくさんの内容で、このブログ記事も後半は、はしょってしまった。漱石フアンそして美術フアンとして、とても面白い企画の展覧会だった。そのあと、三四郎とそれからなどの漱石を再読しているところだ。この展覧会の絵の場面が現れるたんびに、ふーん、なるほどと感心している。


