気ままに

大船での気ままな生活日誌

上野公園は芸術でいっぱいだった

2014-01-29 10:54:28 | Weblog
ひとつ、ブログ記事をあげて、これから出かけようとしたら、スマホが電池切れであることに気付いた。充電している間に、もう一本、昨日の上野公園の出来事を書いておこうと思う。公園内ではいつも、路上演奏会や大道芸が行われている”芸術公園”であるが、その日は、さらに本格的な芸術活動が行われていた。今、東京都美術館で”芸大卒業終了作品展”が開催されているが、その屋外展が上野大仏の山の上で開催されているのだ。ちょっと覗いてみた。作品のひとつである青い小屋の前で女子学生が座っていて、説明もしてくれる。



青い小屋。その前の缶からなどの散らかっているものも作品とのこと。


中はこんなふう。赤い部屋。


これはケーキを表現している。


これはなんじゃもんじゃ。


土の中でちかちかと。よく観ると、映像ではないか。さらによくみると反対側に映写機が埋めてある


モダンアートは面白い!とまで言えるようになりたいもんじゃ。まだまだ、わいの頭が固いんじゃナ。

大仏山のふもとに手袋が。そうか、これもさっきのつづきの作品かな、と、しげしげみるが、ただの手袋のようだ。でも置き方がモダンアート風だ。あなどれないゾ。


そして、数歩先きの、道路上に、もう片方の手袋が。 セットで一作品かな。”手袋の行方”という題がついているかも知れない。もし、どなたかが落としていたとしたら、あまりに不自然な落とし方だしネ。ますます頭が混乱してきた。明日、また行って確かめて来よう。まだあれば、作品とする!


そうそう、もうひとつ、これもアートかもしれないと思った景色。都美で。車はいつもない。それに置き方もしゃれている。


でも帰るときには車はなかった。ただの偶然か(汗)


これはアート。


これもアート。パンダ舎の前。グルスキー風(笑)。


これは、ただの越前水仙です。


上野からの山手線が宝塚歌劇団列車だった。車内のポスターは宝塚一色。さすが、上野。芸術の街!!


ようやく充電がすんだようで。では行ってめーりますダ。




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遠藤彰子展 上野の森美術館

2014-01-29 09:33:38 | Weblog
相撲界に新星、遠藤が出現!美術界にも新星、遠藤現る!といいたいとこだけど、遠藤彰子画伯は新星というわけではない。1947年生まれというから、団塊の世代のベテランさんだ。でも美術界では、平櫛田中の”六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百から百から、わしも これからこれから”の名言があるように、彰子さんはまだ鼻たれお嬢だ。だから、新星現るといっても怒られないだろう。 ” そうよ、私の気持ちはまだ、せいぜいアラフォーよ、これから、これから”と常々思っているはずだから、むしろ喜んでくれるだろう。同世代のぼくがそう、思っているんだから間違いない!まだ、わしの気持ちは40前後ナノだ!!

上野の森美術館が巨大キャンパスで埋まった。どれだけ大きいかというと、こんなふう。


副題が”魂の深淵”をひらく”まず、ポスターに使われた絵がこれ。画題は。二つのテーブルのご馳走を中心に無数の様々な姿態の人々がどこまでも連なっている。下を流れるのは三途の川か(笑)。不思議な情景。まさに心の深淵を覗いた感じ。


四季シリーズ。夏。織られし白き糸。巨大なクモの巣に人間がからまれ、がんじがらめで身動きできなくなっている。自由なようでいて、ひとつも自由はない、現代人の姿か。


四季シリーズ。春。いくとせの春 いくとせの春を重ねて・・・


人間存在の暗い深淵に差し込む微かな光を頼りに描き上げたかのような作品群は、意識の領域も含む、世界に存在する全ての現象を封じ込めたかのような壮大な物語を築き上げています、との案内。

こういったどちらかというとコワイ風景が続いたあとに、一転、次ぎの部屋には明るい楽園風景の絵がずらりとあったり、また、会場から入ってすぐの”街シリーズ”の絵では不思議な立体空間にぼくらの頭をくらくらさせる。青空を下に覗き込むような絵があったり、螺旋階段がずっと下までつづいていて、まるでバベルの塔をひっくり返したようなものとか。登場人物には子供が多いのも特徴。

ときどきはこいう絵をみて、ふんわり頭にスパイスをかけるのも必要だと思った。刺激的で楽しい展覧会だった。昨日、最終日に観ました。






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