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気ままに

大船での気ままな生活日誌

丹那トンネル殉職者慰霊碑から来宮神社大楠へ

2014-01-22 11:25:39 | Weblog
熱海梅園から来宮神社への道、これまで二度ほど通っているが、気付かなかった。ちょうどJR東海道線を跨ぐところに、脇道があって、そこを降りていくと、大きな石碑が目に入ってくる。丹那トンネル殉職者慰霊碑だ。

丹那トンネルの工事は、1918年(大正7年)に始まり、難工事のため、予定より大幅に遅れ、16年後の1934年(昭和9年)に完成した。事故による犠牲者は67名(うち熱海口31名、函南口36名)にのぼったとのこと。

殉職者慰霊碑


真ん中の銅版に67名全員の殉職者のお名前が刻まれている。


1921(大正10)年4月1日の大崩壊事故は、坑口から300mというから、まさに熱海梅園の真下で起こっていたのだった。梅園の供養梅をもう一度。


慰霊碑の下はトンネルの入り口。


トンネルの上に、何やら数字が。帰って調べたら、工期を皇紀であらわしたようだ。


この慰霊碑を見下ろすように、小さな神社がある。丹那神社で、犠牲者の英霊を祭神として祀っているとのこと。

お参りして、そこを離れ、また大通りに出て、来宮神社に向かう。途中、見晴しの良い場所となり、新幹線の通る新丹那トンネルが見渡せた。丹那トンネル工事の経験を生かし、崩壊事故はなくなったが、それでも、熱海口10名、函南口11名の犠牲者が出たという。ぼくらは、戦時はもちろんのこと、平和な時代でもこういう犠牲者の皆様のおかげで現在があることを忘れてはならない。


そして、ようやく来宮神社に到着。樹齢2000年の大楠に、ぼくは、ただただひれ伏すばかりだった。










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熱海梅園 梅咲きはじめ 蝋梅、水仙は見頃

2014-01-22 09:45:22 | Weblog
糸川の熱海桜の開花を確認してから、熱海梅園まで歩いた。梅まつりは1月11日から始まっていて、早咲きの梅が咲きはじめていることはネットで確認している。梅園に到着すると、係の人が、花がまだおみせするほど咲いていませんので、無料ですと言う。

でも、ぼくが期待していた以上に咲いていた。咲きはじめているのは、”八重寒紅”という品種の紅梅がほとんどだったが、”冬至”という名の白梅の何本かも可憐な花を開かせていた。また、中山晋平記念館の近くに、ピンク色のが咲いていたが、名札をみると、”紅冬至”とあった。なべて、いつもより出だしが少し遅いとのことだった。

早咲き紅梅白梅だけでなく、園内の蝋梅は今が盛りでだったし、水仙も見頃だったのはうれしかった。ちょっと得した気分。それに、これも中山晋平記念館の庭に咲いていたのだが、ヒマラヤ原産という黄花亜麻のあざやかな黄色い花にも驚いた。これだけ見せてもらえば十分。入場料とってもらってもいいくらいでしたよ。

梅園の入口 左の紅梅は咲いているが、右の白梅はまだまだ。鎌倉の荏柄天神もそうだった。


こんなに咲いているのもある。




白梅、”冬至”。


ピンク色の”紅冬至”。これは随分咲いていた。


蝋梅が狼狽するほどいっぱい。




水仙も。大部分の梅はご覧の通り。




黄花亜麻


供養梅。立札の横の梅。梅園の真下に丹那トンネルが通っている。その工事犠牲者のための供養の梅である。熱海の繁栄は丹那トンネル開通に依るところが多く、この供養梅が植えられた。


ここを離れて、来宮神社に向かったが、途中で、”丹那トンネルの殉職碑”をみつけた。次回は、このことについて書いてみたい。

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