こんばんわ。
茅ヶ崎市美術館で"小さな版画の展覧会"が開催されている。小さな版画とは、一つは「蔵書票」で、もうひとつ版画年賀状のこと。
版画年賀状はお馴染みだが、蔵書票って?知らない方が多いと思う。蔵書印ならよく見るけど、それに代わるもので、本の所有者を示すために見返しに貼る小さな版画のことだそうだ。なんでも夏目漱石が橋本五葉に依頼してつくったのが最初期だとか。それ以来、これが普及して、さらに本来の蔵書票としてではなく、小さな版画として愛好され、蒐集家も現れた。今回は、書物研究家・斎藤昌三のコレクションの中から約50点ほどが展示されている。残念ながら会場内は写真撮影禁止でカタログ等からのいくつかをここに載せるのみです。
橋口五葉が制作した蔵書票(使用者は斎藤昌三)。「少雨荘」は斎藤の雅号。五葉らしい女体画。
前川千帆が制作した蔵書票(使用者:竹下正一)千帆は、恩地孝四郎・平塚運一とともに”御三家”と称された、近代日本を代表する創作版画家だそうだ。
前川千帆が制作した蔵書票(使用者:竹下正一)。 千帆の回顧展が千葉市美術館(2021)で開催されたようで、見たかった。
第2部は”榛(はん)の会”の年賀状の部。榛の会とは、童画作家であった武井武雄が主宰して、昭和10年から29年にかけての20年間にわたって、版画を趣味として自刻、自摺りの版画による賀状の交換をしていたグループ のこと。茅ヶ崎地元の馬渕録太郎・聖親子や、恩地孝四郎、棟方志功ら、そうそうたる顔ぶれの年賀状が楽しめる。
一部拡大してみよう。
恩地孝四郎 「第13回 榛の会」年賀状 1947年
板祐生
武井吉太郎 「第14回 榛の会」年賀状(1948年)
馬渕聖
旭正秀
稻垣稔次郎 「第13回 榛の会」年賀状 1947年
プロのつくる版画年賀状、さすがですね。会員は50人と制限され、入会するには厳しい審査があり、また毎回会員同士による審査評価もあったようだ。出来が悪いと次の会に参加できなかったという。20年間に毎回参加できた人は8人しかなく、レベルの高さが伺える。
紙の宝石といわれる蔵書票そして版画家らの版画年賀状、楽しかったネ、またちょっと寄ってみようかな、茅ヶ崎美術館。↓
では、おやすみなさい。
いい夢を。
大きければ良いという物ではありませんね。
そこに小さくとも、宇宙が観えます。
自分の世界を描く・閉じ込める、作業のなんと丁寧なじかんでしょう。
有難うございます。
>本の所有者を示すために見返しに貼る小さな版画のことだそうだ。
ほ~っ、初めて知りました。
三つの蔵書票はとても魅力的ですが、こんな凝ったものを見返しに貼るのですか。
なんだかもったいない気もしますね(笑)
>第2部は”榛(はん)の会”の年賀状の部
福岡の姉が長年、絵手紙年賀状をやっていますが、上の版画年賀状はとても凝っていますね。
>恩地孝四郎 「第13回 榛の会」年賀状 1947年
私の生まれた年ですが・・・はて?何が描かれているのでしょう?
>板祐生
はっはっは、自分の顔なのかな?
>武井吉太郎 「第14回 榛の会」年賀状(1948年)
これいいです、上の二つより好きです。
>馬渕聖
やかんかな?「昭和弐拾産年春」ですか。
アートですね。
>旭正秀
これは楽しいです。
>稻垣稔次郎 「第13回 榛の会」年賀状 1947年
火鉢に手をかざしているのでしょうか?
懐かしい光景です。
>会員は50人と制限され、入会するには厳しい審査があり、また毎回会員同士による審査評価もあったようだ。出来が悪いと次の会に参加できなかったという。
え~っ、現代の私には難解なものばかりですが・・・。
いや、芸術は奥が深すぎます(泣)
>楽しかったネ、またちょっと寄ってみようかな
ということはmarboさんは、「恩地孝四郎 「第13回 榛の会」年賀状 1947年」もご理解されたのですね。
板祐生さんの作品は分かりやすく親近感がわきます。
有難うございました。
おやすみなさい。
恩地孝四郎 「第13回 榛の会」年賀状は、室内履き、スリッパと靴下様のもの、と見ましたがどうでしょうか。
火鉢の手あぶりもしばらく気づきませんでした。
>福岡の姉が長年、絵手紙年賀状をやっていますが、上の版画年賀状はとても凝っていますね。
今は版画より絵手紙風が多いですね。芋版もひととき流行りましたね。
蔵書票、もう一度、見てみたいです。2月25日まで行けるかな。そろそろ怒涛の花見が始まるので(汗)。