2014年秋にスペイン旅行をした。そのとき、一番、印象に残った建造物がバルセロナの、アントニ・ガウディ設計の大聖堂、サグラダ・ファミリアだった。何とも言えない、威厳に満ちたものだった。その後、サグラダ・ファミリアのドキュメント映画が近くのホールで上映された。この聖堂は1882年に着工されたのだが、ガウディが生きている内には完成せず、あとの人に託された。いまだに未完成なのだが、この間の建築に携わった人々のインタビューを交えながら、その歴史を振り返ってみようというものだった。
そして、先日、前述の映画でも紹介されていたサグラダ・ファミリアの専任彫刻家、外尾悦郎が出演した、Eテレの”こころの時代/宗教・人生/永遠に、彫り続けること”を視聴した。単身、バルセロナに渡り、39年もの間、教会の石を彫り続けた男の人生を辿り、行きついた彼の人生観と哲学を聞くというもの。印象に残った番組だったので、記録に残しておこうと思う。
1953年生まれの外尾悦郎は、大学の彫刻科を卒業後、教師をしていたが飽きたらず、1978年に渡欧する。どこかで石を彫りたいと願っていた。パリは出来上った街で自分の居場所はないとすぐに離れ、バルセロナにやってきた。そして、サグラダ・ファミリアに出会う。教会は未完成で、山のように彫刻されたがっている石が転がっていた。一も二もなく、ここだと、決めた。厳しい審査をパスし、ここでの石彫りがはじまった。はじめ、三カ月のつもりが、1年、2年となり、そして39年が経過した。
若き日の外尾悦郎
次第に彼の実力が認められ、重要な仕事を任されるようになる。そして、サグラダファミリアの中でも最も初期に建設され、ガウディの精魂がこもったファサードである”生誕のファサード”の未完成部分の彫刻を依頼された。そして、16年かけ、15体の楽器を演奏する天使たちを彫った。天使たちの仲間に入り、話しかけながら彫ったという。
これが完成し、生誕のファサードは2005年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
そのあと、生誕のファサードの門扉の制作を依頼される。ガウディは、門扉の名前だけを決めていた。慈悲の門、希望の門、信仰の門。果たして、ガウディならばどんな彫刻模様にするだろうか。それには、ガウディは何を視ていたか、彼の視線を知らねばならない。ガウディになりきって、心眼でそれを追う。そして、神に捧げるもの、”生命の賛歌”のテーマに行きつく。
門扉の名前だけが決まっていた。
慈悲の門 ここには、愛、慈悲の象徴として蔦が描かれる。緑と紅葉の葉が生い茂る。蔦は花を咲かせないが、虫たちの命を支える。葉の陰に昆虫たちが仲良く暮らしている。
希望の門 アイリスと葦が描かれる。かたつむりも。
信仰の門 やすらかなひとときを与えてくれる信仰。野バラがふさわしいと。
希望の門扉が2015年クリスマスの頃に完成し、生誕のファサードの三つの門扉が勢揃いした。ぼくらが訪ねたときは(2014年)、制作途中であった。
現在の外尾悦郎。63歳。
ぼくは彫刻家ではなく、石工だ、石を彫っているときが一番幸せだという。自分が彫っているのではなく、ぼくは、石に彫らされている、石に使われている道具に過ぎないという。彫っているうちに、自分の身体が石の中に、石の宇宙に入り込んでしまったような気持ちになり、こんな幸福な時間はないという。
現在は、イエスの塔を造っているそうだ。どんな塔になるのか、また機会があれば、見上げてみたいものだ。
アントニ・ガウディ
私がこの聖堂を完成できないことは悲しむことではない。必ず後を引き継ぐ者たちが現れ、より壮麗に命を吹き込んでくれる。
今、ブログと関連ページの「生誕のファサード」
↓
https://aoitrip.jp/sagrada-familia-facana-del-naixement/
ひとつだけをとって拝見しても「サグラダ・ファミリア」が単なるカトリック教会とは思えない印象を持ちました。
勿論、私はここにも行ったことはないですし、ギリシアの神殿や彫刻も知りませんが、むしろ後者のような世界を現在進行形で創りあげている印象をもちました。
元ページに戻ります。