おはようございます。今、京都に来ています。昨日は、植物園、半木の道、上賀茂神社と廻り、満開の枝垂れ桜を楽しみました。それらは、帰宅後に報告するとして、今日は、たまっている展覧会関係を。
藤沢浮世絵館で当地ゆかりの伝説にちなんで”小栗判官物語と遊行の縁”展が開催されている。この展覧会を3月1日に見て、すぐそのあとに、東博での”両陛下と文化交流展”に行ったところ、岩佐又兵衛の通称、”をぐり”、小栗判官絵巻があり、おどろいた。また、その前には、三の丸尚蔵館でこの”をぐり”の表紙裂を見ていて、短期間に”小栗判官物語”3連発という奇跡に歓喜したものだ(笑)。
藤沢ゆかりというのは、遊行寺に長生院小栗堂があり、照手姫、小栗判官と十勇士のお墓がるのだ。そればかりか、名馬(暴れ馬)、鬼鹿毛(おにかげ)の墓まである。
ここでは、遊行かぶき等の説経節おぐりではなく、”小栗略縁起”を基にした内容が紹介しておこう。”史実”である。室町時代、足利持氏に謀反の疑いをかけられた常陸の国の小栗判官と家臣10人が、一族の住む三河に落ちのびる途中、藤沢宿近くの豪族、横山大膳邸に身を寄せる。しかし、大膳は彼らから金品を奪おうと、人喰い馬、鬼鹿毛(おにかげ)をしかけるが、乗りこなされる。次には毒入り酒を飲まされようとするが、事前に妓女、照手姫から聞いていて拒むが強要され、毒殺され、上野ヶ原(藤沢市)に投げ捨てられる。しかし、判官は閻魔大王の慈悲と夢告に現れた大空上人により蘇生。土車に乗せられて、熊野の湯の峰温泉へ送られる。つぼ湯で湯治し、復活した判官は、謀反の疑いを晴らしたあと、横山を成敗し、照手姫と再会。その後、仲良く暮らす。子息が遊行寺の池の畔に、父と十勇士の墓を建てる。照手姫は尼になり菩提供養した。
以下、ここで展示された、照手姫、小栗判官、十勇士らの浮世絵をいくつかを紹介します。
月花 相模 (横山の花 照手姫 小栗判官)揚州周延
東海道五十三次藤沢小栗判官(国貞)
見立て富士十六景 藤沢(豊原国周)
武英名馬競 小栗小次郎助重 (国芳)
東海道五十三次 藤沢照手姫・小栗(国貞)
小栗十勇士(国芳)
とても楽しい展覧会でした。
それでは、皆さん、今日も一日、お元気で!
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