気ままに

大船での気ままな生活日誌

大相撲名古屋場所 放送中止

2010-07-06 21:27:07 | Weblog

NHKが、今回の大相撲名古屋場所は放送中止するという。ある程度想定されていたことではあるが、相撲フアンとしては非常に残念なことである。ただ、ダイジェスト版で、6時から放送するとはいうが、録画などみても、面白くもなんともない。

放送中止せよとの要望が多かったから、仕方がないからだという。しかし、この程度のことを大騒ぎして、世論を煽ったのは誰だ。NHKをはじめとする、マスコミではないか。こんな些細なことを、大ニュースにするなど、他の国では考えられないことだ。あほマスコミがつくりだしたアホ世論で、放送中止させられる。因果応報とはこのことだ。そのうち、お天道様のばちがあたるだろう。

でも、NHKの歌番組で少し、腹の虫が納まったよ。



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能の雅(エレガンス) 狂言の妙(エスプリ)

2010-07-06 18:35:00 | Weblog
サントリー美術館の国立能楽堂コレクション展”能の雅/狂言の妙”を観て来た。先日、根津美術館で”能面の心・装束の華/ 物語をうつす姿”をみたばかりで、最近、能づいている(笑)。今回は、能はだけだはなく、狂言の面や装束、それに加えて、絵画や各種文献も展示してあり、博物館的展示となっている。初心者の勉強会にはぴったりだ。

展示物は、国立能楽堂コレクションが大部分だが、一部、加賀百万石のお殿様コレクションもある。

会場に入ると、いきなり、特別展示の華やかな能装束がいくつか出迎えてくれる。いずれも重要文化財で、桃山時代のものだ。”紺地白鷺模様狩衣”(根尾・春日神社蔵)。装束の名前が文様そのもので、わかりやすくて良い。この装束は紺地に芦の生えた水面を20数羽の白鷺が飛び交っている模様の狩衣(装束の種類)なのだ。これは好きだったが、絵ハガキがなかったので紹介できない。白地松藤揚羽蝶文様縫箔もうつくしかった。すべて刺繍で文様をつくっているとのこと。

そして、第一コーナーは能面。翁面から、若い女性、般若、それぞれのお能のシテやワキに使われる面など、様々な表情の面がずらりと並ぶ。まず、白色尉(はくしきじょう)が現れる。翁面で、白い眉毛がぼうぼうとしていて、ボウボウ眉というそうだ。ぼくも最近、すこしだけ眉毛に白髪が混じってきた(汗)。そして長い髭。

そして、父尉(翁の父と説明があったが、相当な老人なのだろうか)、小尉(品格の高い役につけるとのこと;現代人にはかける値打ちのある人がいるかどうか;汗)、敦盛(女の面のようだった、16歳の敦盛が亡霊として現れるときに使われる)、山姥(山廻りに生きる鬼女)、小面(可憐な乙女、額の上から整然と流れる三本の毛筋が特徴、これは土佐の山内容堂所持だったという、龍馬伝では、現在、以蔵を拷問してにくまれ役になっている)、般若(嫉妬で青筋をたてている、以前の管総理のようだ、いらカン。選挙に負ければいらんカンで(爆)、また般若面に戻るだろう、そのあとは誰だろう、岡ちゃんブームにあやかり、岡田さんかな)等々。いろんな面があるのには驚いた。

能面;白色尉と小面


そして、次のコーナーは、能装束の数々。前述のように文様そのままの名前、そしてその後に、織りの技法とか装束の種類などで、唐織、縫箔、厚板、水衣、半切、狩衣、舞衣などの名が入る。華やかなものが多い。

ちらしの表紙を飾った、”紅地白鷺太藺模様縫箔”

”紅白段花筏模様唐織”と”萌黄地卍唐花模様袷法被江”


そして、狂言面のコーナーへ。面を付けずに演じることが多いが、特別な役には、面をつける。こっけいな役回りが多いので、面も能とは違って、ひょうきんなものが多かった。

”聟猿(むこざる)”と”空吹(うそぶき)”


狂言装束も、能がよそいき着とすれば、こちらは普段着という感じ。文様も稲穂だったり芭蕉だったりと、庶民的だ。

”浅葱地稲穂福良雀模様素襖江”と”浅葱地芭蕉蝸牛模様肩衣”


その他、百万絵巻や光悦謡本上製本(光悦風の字体のもの、ぼくは光悦の書は好き)などの、絵や狂言の台本のようなものの展示もあった。

なかなか面白そうだ、少しづつ、勉強していこうと思う。
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逗子 六代御前の墓

2010-07-05 16:30:27 | Weblog
W杯で”凱旋帰国”した岡ちゃんが逗子に住んでいることを知り、途中まで書いて未完の、逗子に関連する記事のことを思い出し、今、つづきを書いている(汗)。

先日、鎌倉女子大公開講座の麻原美子先生の”平家物語”巻十二が終わり、あとは、付属巻ともいうべき、建礼門院の灌頂巻を残すだけとなった。平家が滅び、六代御前が逗子の田越で処刑されて、平家の血が途絶える。この巻十二で完了する語り本もある。その六代御前のお墓が、逗子海岸にそそぐ田越川の河口近くにある。何度かお参りしているが、巻十二読了を機に、訪ねてみた。

逗子駅から、田越川沿いに15分も歩くと、”六代御前最後之故址”と刻まれた大きな石碑に辿り着く。昭和29年に建てられたものである。裏面には”六代御前法要勤修の趣旨”とあり次のような文面が刻まれている。附近の住民が、夜毎に平家公達の処刑の夢を見て、きっとこれは、六代及平家の供養を絶った祟りではないかと、おののき、逗子佛教会の協力を得て、当刑場の露と消えた平家一門の大法要を行なった、とある。



六代御前についてあまりご存じない方のために、簡単に紹介しておく。平正盛から数えて平家直系の六代目に当たるので子供の頃から”六代(ろくだい)”と呼ばれている。清盛の曾孫に当たる。平家滅亡後、文治元年12月、六代12歳のとき、北条時政によって捕らえられ、鎌倉へ連行される。その間、文覚上人の助命嘆願の頼朝の返事を待っていたが、もうこれまでと、駿河の国、千本の松原で処刑寸前のところ、お許しの早馬が到着する。あわやというところだった。その後、六代は剃髪して妙覚と号した。そして27歳まで生き伸びたが、文覚の幕府反逆の企てを理由に隠岐国に流罪に処され、六代も捕らえられ、鎌倉に護送される。そして逗子の田越川にて処刑される。

その石碑から、山側に少し歩くと、六代御前のお墓がある。巨大な欅に守られるように、六代御前は静かに眠っている。もう、近所の方々の夢の中には現れてきていないだろう。





次回は、建礼門院(平徳子)の灌頂巻に入る。来週、京都に行く予定だが、建礼門院が先帝の菩提を弔っていた、大原の寂光院にも寄ってみようかなとも思っている。
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ぶらり赤坂

2010-07-05 10:19:31 | Weblog
サントリー美術館で”能の雅、狂言の妙”を観てから、赤坂をぶらり散歩した。ミッドタウンはあまり興味がないので、赤坂神社の方に向かった。その前に、美術館のビルの中の、七夕をテーマにしたフラワーアレンジメントをちょっと。

外に出ると、変わったオブジェがあった。何だべか。

檜坂に出た。向こうに、参議院選のポスターが。さすが東京。神奈川の倍はあるな。連坊さんが一番端っこにあった。一番じゃなくて二番じゃ、何故いけないのですか、が面白かったな。きっと今回は二番で当選だろう。これに引っ張り出され、雁首を並べたノーベル学者もみっともなかったな。どこから彼らの渡航費用がでたのだろう。文科省の裏金だろう。うふふのふ。

突如、勝海舟住居跡。そういえば、赤坂に住んでいた。氷川坂の下になる。彼の著書”氷川清話”もしばらく持っていた。龍馬好きな、元”海援隊”武田鉄矢が勝海舟を好演。ぼくも龍馬も海舟も好き。昨日の龍馬伝、面白かった。やっと龍馬らしい威勢のいいところをみせてくれたぜよ。気分がすっとした。

旧氷川坂を上がると、氷川神社が。ぼくは勘違いしていて、ここに海舟のお墓があると思っていた。それで訪ねたのだが。ここではなく、別邸のあった洗足池の畔だった。むかし参ったことがあるが、忘れていた。でも氷川神社はりっぱな神社だった。

茅の輪もまだあった。6月30日にくぐるものだけど、くぐってきた。お相撲の放送があるようにとお願いしておいたが、今日のニュースでは、オヤカタ衆が放送自粛をお願いしたそうだ。NHKから、耳打ちされたのだろう。あほ世論にも困ったものだ。


りっぱな、大銀杏があった。八幡さまの銀杏を思い出した。

裏側からみると空洞だらけだった。テレビによく出てくる評論家みたいだな。こんどの相撲のことでも、まともなことを言っているのは3人くらいだった。あとは、みかけだけの、頭の空っぽの奴ばかりだった。こういうのが官房機密費を平気でもらうのだろう。

その他にも有形文化財、月岡芳年の”ま組火消し絵馬”や、包丁塚(赤坂は料理屋さんが多いとうことからつくられたらしい)や、忠臣蔵の浅野内匠頭の夫人が幽居した場所を示す史跡などがあった。りっぱな神社だった。

そのあと、溜池の方に向かった。むかしよく利用した全日空ホテルは、インターコンチに合併されていた。略称はなんていうのだろう。アナインターか。でも、これだと穴があったら入りたい、のイメージでよくないな。アナコンチかな。でも逆さ読みされると困るな。



都営バスで新橋に出て、駅前のライオンで遅い昼食(ビール)をとった。
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おんめさまのアガパンサス

2010-07-04 07:32:15 | Weblog
おんめさまの名で親しまれる大巧寺は安産祈願で有名な寺です。そのお寺で、アガパンサスが見頃になりました。お腹の大きい方は、お参りください。アガパンサスの花言葉”知的な装い”のように、みかけだけは(爆)知的な赤ちゃんが生まれます。

ビヨウヤナギ も咲いてます。美容柳ともいいますから、美人な赤ちゃんが生まれます。才色兼備の娘さんになるでしょう。男の子ならカリスマ美容師になるかもしれません。

あまぎのくさき(天城臭木)も見頃です。ここは避けて通ってください。おもらしの多い臭い子になります(爆)。むしろ、メタボでお腹の大きい人には向いてます。修善寺から歩き始め、天城越えして、お腹に天城臭木の葉っぱをなすりつければ、臭いで食欲不振になりお腹はへこみます。ついでながら、ぼくはこれで68.0キロまで戻しました、えへん。

印度浜木綿も。女の子なら、浜木綿子さんのような別嬪さんに。男の子なら、浜木綿子さんの息子、香川照之さんのような演技派俳優か、青少年のころは、鳥かごを売って歩くような苦労をして、最後は大金持ちになった岩崎弥太郎みたいになるかもしれませんね。龍馬にはなれません。

いい子を、安産で生みたい方は、どうぞおいでください。
お賽銭もよろしくお願いします。百円玉程度では効果はありません。最低、お札でお願いします。もう陣痛のきている方は、お参りは無理でしょうから、ぼくのブログをみるだけで十分効果があります。安産された場合には、ご連絡ください。銀行の口座番号をお知らせしますので、送金よろしくお願いします。
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ノウゼンカズラと猫2匹 妙本寺

2010-07-03 19:04:58 | Weblog
午後、妙本寺に出かけた。お目当てはノウゼンカズラである。あちこちで咲き始めていたので、どうしても観たくなった。二天門前に咲く、鎌倉では有名なノウゼンカズラである。予想した通り、咲き始めていた。ただ、二天門が改修中でシートで覆われていた。ここを背景にいつも撮っていたのだが、残念だった。


まだまだこれからだが、一部の枝にはオレンジ色の花が咲きそろい、日蓮上人像や祖師堂の屋根をバックに、夏の華らしく、燃えるように激しく咲き乱れていた。日蓮のようだ。日蓮は結構、気性が激しく、あちこちに喧嘩をふっかけ、極楽寺の忍性ともやり合ったと、何かの本で読んだことがある。







小雨がぱらついてきたので、祖師堂に雨宿りしようと向かう途中、紫陽花の下で雨宿りしている猫をみつけた。いつもみるニャンコだ。浄妙寺のいねむり猫とちがって、いつも起きている。日蓮上人さんに見張られているからだろう。

しばらく、みていたら、いつのまにか黒猫も雨宿りにきた。とても仲が良い。”仲良き事は美しき哉”(笑)。黒猫のタンゴでも歌ってきかせているのだろうか。白地に茶色の猫は、うっとりした顔で聞いているようだった。


祖師堂の前に、座った。目の前の天水盤に雫が落ちて、きれいな水の輪をつくっていた。

雨が止むまで、いつもは読まない、お寺の”通信(第20号)”に目を通した。その中のひとつに、”住職の一言”があった。
”目先の損得や他人の評価に惑わされて、うろうろするのは止めましょう”
もうぼくは、現役を離れ、そういうことは考える必要はないが、現役の、政治家のみなさん、学者のみなさん、サラリーマン(うーめんも含め、関係ないけど、お昼も宮城・白石のうーめん食べました、おいしいです)のみなさん、本当にそうですよ。

雨が止んで、帰りに、さっきの紫陽花の下をのぞいてみたら、二匹のにゃんこはもう、どこかに散歩に出かけていた。ぼくと同じだ(汗)
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還暦 平塚七夕祭

2010-07-03 10:38:28 | Weblog


平塚七夕祭りも60周年を迎えるという。人でいえば還暦だ。おめでたいことだ。はじめた頃は、きっと、短冊や、ちょっとした飾り物をつけた竹飾りだけの質素なものだったに違いない。戦後の復興と共に、次第に華やかさを増し、現在に至ったのだろう。ぼくは、大船にきてから5年ほどだが、毎年行っている。3日間連続行ったこともある(汗)。それ以前は四半世紀、茨城県民だったので、訪ねたことはなかった。さらに、それ以前の青少年期は、神奈川県民であったので、二、三回は行ったことがある。その頃は、こんなに華麗な竹飾りや吹き流しなかったような気がする。

昨日、夕方、ワイフと茅ヶ崎駅前の和食屋さんで夕食をとり(ぼくは、カンパチとタコの刺身、ポテトのなんとか煮をつまみに、地元の湘南ビールと天青をいただいた)、夕暮れ迫るころ、隣りの駅の平塚に向かった。

七夕飾り見物はやっぱり夜がいい。織姫さまと彦星さまも年に一度の七夕の夜に出合うのだから。むむむ、でも、今年の平塚の七夕祭りは、7月1日(木)~4日(日)。7日にはもう後片付けが終わって普通の日。しようがないか。みんなが来やすい日をえらばないとね。金曜の夜で、もう会場はすごい人出。竹飾りの各賞審査も終え、”特選”という札を誇らしげにつけた竹飾りが何本かあった。常連のものばかりであった。

人形屋さんのもいつも特選だ。竹飾りのメインストリートから、右折してすぐのところにある。

メインストリートの、うなぎ屋さんもいつも華やか竹飾りで賞をとっている。うなぎも特選です(笑)。テーマは”ありがとう歌舞伎座”だった。さよなら歌舞伎座講演の最終演目が三つ飾られていた。ぼくも、最終公演を一幕みた。つまらない建築物に変わってしまうのが本当にさみしい。



龍馬も出ていた。おりょうさん、勝海舟も共同出演していた。”日本を今一度せんたく致し候”の垂れ幕が。今の日本に天上から降りてきてほしいぜよ、龍馬さん。事の軽重もわからない、あほマスメディア、あほ政治家どもをせんたくして欲しいぜよ。


やっぱりスポーツが一番。イチロー、真央ちゃん・高橋大輔、そして石川遼くん。宮里藍ちゃんとサムライブルーは間に合わなかったみたい。


記念撮影。きみたちが還暦を迎えるころ、どうなっているだろう、このニッポン。


酒呑童子。ドッキ。 急に酔いがまわってきた。もう帰ろう。


還暦を迎え、”老いてますます盛んな”平塚七夕だった。ぼくもあやかりたいな。
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屏風の世界/その変遷と展開 出光美術館

2010-07-02 09:13:45 | Weblog

出光美術館で開催されている”屏風の世界/その変遷と展開”を先日覗いていた。展示作品の中に岩佐又兵衛のが数点、含まれていること知り、是非にと思っていた。今年はじめ、東博で”洛中洛外図屏風舟木本”を観て、5月に”浄瑠璃絵巻”等を観て、そして、この日と、最近、連続して岩佐又兵衛を観ている。また今月、山種でも観る予定だ。ぼくが又兵衛フアンになってから、いろいろな美術館が次々と、ぼくのために又兵衛展覧会を開いてくれる。うれしいことだ。

第1部”日本式屏風の誕生”では、重要文化財の”四季花木図屏風(伝土佐光信)と”四季花鳥図屏風(能阿弥)”が展示されていたが、ぼくが、その部屋をぐるっと見まわして、一番、惹かれた、ひとつの屏風があった。いつかどかで観た風景のような気がしたのだ。”西湖図屏風(狩野元信)”(室町時代)だった。

実は20年ほど前、中国浙江省杭州市出身の仕事仲間の案内で、西湖(中国読みでシーフー)を訪れたことがあるのだ。うつくしい湖だったので印象に残っている。ただ、一度だけみた風景がぼくを惹きつけたのだから、やっぱりすごい絵だと思った。屏風では高い峰が描かれていたが、たしか西湖の廻りには高い山はなかったはずだ(笑)。説明文に、この屏風をじっと眺めれば、鶴をつれ、この地に隠棲した林和靖(詩人)の気分に近づけるだろう、とあった。屏風絵の中に鶴をつれた男がいた。この男が林和靖だろうか。屏風の前の椅子にしばらく座り、西湖をながめ、当時のことを想った。友人がこの辺りは中国でも一番美人の多いところだと自慢していた。あの西施も、浙江省の出身らしい。 芭蕉の句にもある。象潟や雨に西施がねぶの花

第二部”物語絵の名場面”には、お待ちかね(笑)、又兵衛さんの登場だ。”三十六歌仙図屏風”が光っている。上段に歌合わせをしている三十六歌仙が、そしてそれぞれの和歌の色紙も。左右隻の端が、人麻呂と紀貫之で、並べると、二人がにやにや何か話している様子でなる。小野小町のうわさ話でもしているのだろうか(笑)。業平は右隻の方にいる。みな何かを話しているのに、ひとりぽつんという感じ。ひとりひとり、個性豊かに描かれている。双眼鏡でみたい感じ。一方、下段には、平家物語、伊勢物語、和漢の故事、風俗、山水が団扇に描かれ、波の上に貼られている。

三十六歌仙図”人麻呂”と”赤人”は、それぞれ個別の紙本墨画淡彩図があり、双眼鏡でみなくても、繊細な筆使いがよくわかる。又兵衛作の、もうひとつ六曲一双の蟻通・貨狄(ありどうし・かてき)造船図屏風もあり、計4点も観られてうれしかった。本当は十六歌仙図をここに掲載したかったが、重い図録は買わない主義だし(汗)、絵ハガキもなかったので、ちらしの裏にモノクロでのせてあった”蟻通・・”を代表でここに載せる。

蟻通・貨狄造船図屏風

その他、この二部には、宇治橋柴舟屏風(桃山時代、紙本金地着色)や源氏物藤裏葉(伝土佐光信)そして業平東下り図屏風(伝俵屋宗達)など、いいものが集まっていた。

業平東下り図屏風


第三部”風俗画の熱気と景観図の大空間”も楽しい展示物が多かった。今年も行く予定している祇園祭の”祇園祭礼図屏風(桃山時代)と江戸名所図屏風(江戸時代)、そしてちらし表紙絵に採用された”南蛮屏風”、世界地図・万国人物図屏風(江戸時代)等々。

祇園祭りでは、今も続いている、なぎなた鉾や月鉾が描かれていたし、江戸名所では、上野から品川辺りまでの、生き生きした人々の姿が描かれ、楽しそうな話声が聞こえてくるようだった。湯女に背中を流してもらっている男、遊郭であそんでいるような場面、そして今もある上野東照宮、不忍池や湯島天神、芝の増上寺などの景観。洛中洛外図のような、当時の風俗、風景が細かく描かれている。智恵子抄ではないけれど、”東京には空がない、ほんとの空が見たいと言う”。江戸には、本当の空がある、そんな気持ちにさせてくれる絵である。

江戸名所図屏風(部分)


そして、ちらしの表紙を飾る、華やかな、南蛮屏風(桃山時代)。光の当て方を工夫して、金色の雲を効果的に浮き出させているという説明があった。さらに、部屋のあちらこちらに、古九谷の大皿や古伊万里の壺、そして硯箱、香呂等いろいろな焼き物、工芸品も展示されていた。

いいものをみさせてもらった。次回もぜひ行こう。いいタイトルだな。
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お日さまと鉄塔君のランデブー

2010-07-02 07:42:47 | Weblog
うつくしい小百合さまのようなお日さまが顔を出した。


プレイボーイの 石田純一さんのような鉄橋が目をつけた。


流し眼をおくったら、お日さまは心が千々に乱れた。


近寄るべきか、はたまた、はなれるべきか。心の中の意見は二つに別れた。



でもイケメンだし、ちょっとつきあってみようかしら。心の意思統一がようやくでき、近づいた。


そして、大接近。鉄塔くんは、機を逃さない。いきなり や、ややめてください、それだけは


あまりの早業にお日さま こんなプレイボーイとはつきあえない、さっと雲がくれした。


鉄塔くんの恋は不成功におわった。空は鉄塔くんの心象風景のように、さびしさが漂っていた。


30分のドラマだった。
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七月はじめの朝

2010-07-01 09:47:47 | Weblog
七月一日。1年の後半期のはじまり。
朝散歩の大長寺境内、裏山でみた七月はじめの夏景色。

山門をくぐると、紫陽花はまだ真っ盛り。でも、そろそろかな。

本堂も簾をかけて、夏にご用心。


若竹も、こんな太く、おおきく伸びて。ほおづきの実も一人前に。


ご住職のサトイモ畑も涼しげに。


裏山では、山百合も咲き始めていた。


あの人、この人の顔を思い浮かべた、七月はじめの朝。
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