気ままに

大船での気ままな生活日誌

デンセン・カワウ 髑髏・キンギョソウ お色気トウロコシ

2014-08-31 08:49:05 | Weblog

おはようございます。今日は朝からいい天気。昨日も日中は降らずに、おまけに涼しく、のんびり大船フラワーセンターですごした。そこで、珍しいものみせてもらいましたので、みなさんにもお裾分けしたい思います。

まず、フラワーセンターへ行く途中の柏尾川。いつもカワウをみるが、川面でもぐりのお仕事をしているときとか、空を飛んでいるときばかり。それが、なんと電線にずらりと並んでいる、デンセンマンならぬデンセンカワウ!はじめ、カラスかと思った。

観音さまもみていた、ななつの子。

そして、フラワーセンターへ行ったら、ななななんと、髑髏の子がいっぱい!

本当はね、元はこんなきれいな、キンギョソウだった!どんな美人もいずれは髑髏になるんや

ああ、ほんとに、ドクロは可愛いネ、とぼくがつぶやいたら、あたちだってドクロだよと寄ってきたのがいっぱい、いたのには本当におどろいた。

 

でもね、本当に色っぽい、野葡萄のような粒をもったトーモロコシに出会えたのもうれしかった。お色気トウロコシグラスジェムコーン。

どうぞ、お食べ下さい。でもね。ゆでても、あまりおいしくないそうです。鑑賞用ですね。

お色気では、わたしたちも負けませんわよ。



 

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続・ぶらり小田原

2014-08-31 06:12:56 | Weblog

さて、三好達治旧居跡を見て、諸白小路をフェルメールの名画なぞ鑑賞しながら、上ると、すぐ旧東海道が現れてくる。その真向いに、山角天神社の鳥居が。石段を昇ると、境内に芭蕉の句碑と紀軽人(きのかるんど)の狂歌碑が並んでいる。何故、芭蕉か、と思って説明文を読むと、天神さまは梅と関わりが深いから、芭蕉の名句を選んだという。紀軽人は小田原の呉服屋の主人だったが、江戸に出て、太田蜀山人などと親交し、狂歌師として名を残した。のちに小田原に戻り、狂歌を広めた。

フェルメール鑑賞

天神様鳥居

芭蕉句碑 有米家可耳乃都登日能伝る山路閑難(うめがかにのっとひのでるやまじかな)。文政3年(1820年)建立。それにしても、わかりにくい当て字だこと。

紀軽人歌碑 月はさす花は いたたく酒宴を 雪より外に つもりてはなし

天神様を出て、坂道を登る。この山を地元の人は天神山と呼んでいる。その先にお城があるのだが、その途中で足を止めねばならぬ史跡がある。清閑亭、旧黒田長成侯爵別邸である。現在放映中の大河ドラマの主人公、黒田官兵衛の子孫である。福岡で生まれ、明治26年ケンブリッジ大学に留学、貴族院副議長を務めた。この邸宅が無料で公開されている。国の登録有形文化財。

 

そこを離れ、お城に向かう途中、二宮報徳社の鳥居が。その横の石碑に”奉献、横綱常陸山”の名が。鳥居を奉献されたのだろう。常陸山は平塚の八幡さまにも石碑があるので、ほほーと思って撮った。水戸出身の名横綱と知られ、生涯勝率は9割以上、また相手に取らせるだけ取らせてから、ゆっくり料理したという。本当の横綱相撲で、今の横綱など足元に及ばない。

二宮報徳社は、今回はパスして、藤棚と蓮池で有名な箱根口から小田原城内に入る。その入り口に郷土文化館がある。そこで、特別展”小田原提灯の用と美”が開催されていうことを新聞で知ったので、覗いた。小田原提灯を中心とする、昔の灯火具や、提灯が描かれた浮世絵などが展示されている。撮影禁止で紹介できないのが残念。野呂勝治氏の個人コレクションだったが、ここに寄贈されたとのこと。
 

さらに、お城の前の広場まで出て、一休みし、天守閣に登ろうとしたところ、ポツリときた。もう時間も4時半を過ぎていたし、もう止めろというおてんとうさまの合図と思い、小田原駅に向かった。なかなか充実した”ぶらり小田原”であった。

 

 



 

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