・*・ etoile ・*・

🎬映画 🎨美術展 ⛸フィギュアスケート 🎵ミュージカル 🐈猫

【tv】100分de名著「太平記」第1回

2022-07-24 01:41:12 | tv

【tv】100分de名著「太平記」第1回

"あわいの時代"を生きる

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。2022年7月は「太平記」。講師は「平家物語」でも講師を務められた能楽師の安田登氏。

 

「太平記」は漠然と足利尊氏の物語というイメージがあったくらいで、全然内容が分からないので楽しみ。安田先生の「平家物語」めっちゃ面白かったので期待大✨

 

『太平記』(Wikipedia)について

構成:全40巻 

成立:室町時代(1370年代?)

作者:不詳

内容:鎌倉幕府の滅亡~南北朝時代  足利義満の治世となるまでの50年の動乱を描く

 

平安時代=「公」(朝廷)の時代、鎌倉時代=「武」(武家政治)の時代

「武」に問題が起こることにより、「公」がまた現れる。「公」と「武」が入り乱れる時代。

 

前半の主要人物

 

「武」北条高時(Wikipedia

「公」後醍醐天皇(Wikipedia

「公」楠木正成(Wikipedia):武士だが後醍醐天皇側なので「公」

「武」⇨「公」新田義貞(Wikipedia):鎌倉幕府に仕えていたが途中から後醍醐天皇側へ

「武」⇨「公」⇨「武」足利尊氏(Wikipedia):新田義貞と同じ流れから後醍醐天皇と争う

 

伊集院光氏:「公」「武」入り乱れているのが分かる

 

ナレーション:「公」「武」入り乱れる『太平記』実は先立って成立した軍記物『平家物語』(Wikipedia)に影響を受けている。『平家物語』は平清盛の死を頂点に滅びへ向かっていく物語。『太平記』第一部(12巻まで)従来の「武の滅び」楠木正成の活躍を頂点に滅びに向かう

 

朗読:(安田登氏)

 

ナレーション:もうひで?が古今の変化を採って安危の所由を察するに覆って外無きは天の徳なり。明君これにて国家を保つ。載せて?つること無きは地の道なり。良臣これに則って社稷を守る。もしも徳欠くる則は、位有りといへども保たず(中略)其の道違う則は威有りといへども保たず。

 

現代訳:古から今に至る世の移り変わの中に、平和と乱世との由来を私なりによくよく考えてみると、万物をあまねく覆うものこそが天の徳だと分かる。明君はこの徳を身に備えて国を治めるのである。一方国家の運営を任せて疎んずるころの無いのが地の道である。だから良臣はこの道理に従って重要な国家祭祀を守って行くのである。また臣下が地の道を誤った政治を行うならば、権勢があってもその地位を維持することはできない。

 

伊集院光氏:聞き覚えはないが言っている内容はおごれる者は久しからずみたいなこと? 

 

国家を平和に保つのに必要なこと

 

〇キーワード:天の徳 地の道

君主=「天」 臣下=「地」 天地で一つ。両方相まってなくてはいけない。 

道徳とも読める。

 

伊集院光氏:大きな会社の創業者は漠然とこの会社はこうあるべきだという方針を体現している人で、重役は具体的にこうしようということをやる。それがきちんと機能していないともたないよということ?

 

天と地が一緒になって初めて上手くいく。

 

安部みちこアナウンサー:ベースになっている学問があるのでしょうか?

 

儒教「論語」(Wikipedia)がよく引用される。

 

政を為すに徳を以てすれば、譬えは北辰に其の所に居て衆星のこれに共するがごとし

君主が政をするには徳をもってすると北極星がそこのところにいて周りが拱手(両手の指を胸の前で組み合わせてお辞儀をする中国の敬礼)をする。

 

これが正しい政治である。君主は何もせず「北極星」であることが大事。

 

伊集院光氏:トップの上司が細かいことまで動いちゃうと、それがいいかというとあまりよくない。

 

人物の徳

 

一番ダメに描かれているのが北条高時

 

「太平記」では十四代執権北条高時が悪く描かれている。闘犬・田楽に狂い好き放題なことをして周りの武士たちを呆れさせる。

 

伊集院光氏:本来は天? 地?

 

儀式的には天。日本全体では天皇が天で武士は地。

 

伊集院光氏:ちょっと複雑なポジションにいて、天としても地としてもまずそう。

 

安部みちこアナウンサー:なぜこの時代にこんなに世が乱れたのでしょうか?

 

「あわい」の時代

 

間というのは  A とBの空いているところ。 あわいというのはAとBが重なっているところのことを言う。いろんなことが重なっている時代。現代もそうで変化している。

 

伊集院光氏:徐々に移り変わっている間に前の常識でやっていいのか、新しい常識に従うべきか混乱する。その時代であった常識で。現代もそう。

 

安部みちこアナウンサー:特別すぐれた人物として描かれている人物がいる。

 

楠木正成:後醍醐天皇に尽くすが2人の出会いが不思議。

 

ナレーション:後醍醐天皇は鎌倉時代に禅僧が宋から持ち込んだ宋学(Wikipedia)を熱心に学んでいた。朱子学とも呼ばれるこの儒教思想には「一人の王のもとに国家は統一されるべき」という考えがあった。

 

後醍醐天皇は天皇自らが政治を行うことを目指し、幕府打倒を企てる。しかし、その計画は二度にわたり幕府に露見し、後醍醐天皇は京都を脱出し笠置山に逃れる。援軍も少なく窮地に陥る中、後醍醐天皇はうたた寝をして夢を見る。

 

宮中の庭先思われるところに大きな常葉樹があり、南に向けて伸びた枝が特別勢いよく生い茂っていた。

 

その下に大臣など公卿が並んで座っていたが、南に面した席には誰も座っていない。はて誰が座る席なのだろうと訝しんでいるところに2人の童子が現れた。

 

童子は跪きこの世には帝が身を隠せる場所はありませんが、あの座席は帝のための玉座。しばらくそこにいて下さいと言うと天高く昇って行った。

 

そんな夢を見た後醍醐天皇は木に南と書くのは楠だと思い、翌日寺の僧を呼んだ。

 

「もしかして、この辺りに楠といっている武士はおらぬか」とお尋ねになると「河内国の金剛山の西に楠多聞兵衛正成といって、弓矢を取って優れた者ありと、人にも聞こえた者がございます」

 

帝は詳しくお聞きになり「それでは、昨夜の夢はこのことだったのだな」とお思いになられたので、直ぐに正成を召し出された。

 

後醍醐天皇の元にはせ参じた楠木正成は挙兵を快諾。初陣となった赤坂城の戦いでは攻めて来る敵を罠にかける。

 

朗読:(安田登氏・玉川奈々福氏)

 

寄せ手はいよいよ調子づいて四方の塀に手をかけて、同時に乗り越えようとしたところ、もともとこの塀は二重に築いてあって、外の塀をばっと切り落とすように造ってあったので塀の中から四方の釣り縄を一度に切って落とした。

 

塀に取りついていた兵士たち千余人は、上からおもりをかけられたように目ばかり白黒しているところへ、大木・大石を投げかけ投げかけして打ったので、寄せ手はまた今日合戦でも七百余人が討たれてしまった。

 

ナレーション:正成は奇策や計略を尽くし、幕府軍を翻弄。後醍醐天皇のために大いに働く。

 

ニュータイプ武士! 楠木正成

 

それまでの源氏と平家は両方天皇の血筋。楠木正成は全く出自が分からない。当時は「悪党」と呼ばれていた。悪党=強い。強い人たち。忍びを使ったり、偽情報を流すなど情報戦を行う。

 

伊集院光氏:血筋と腕っぷしみたいな時代にとんでもない人が出て来た。

 

「あわい」の時代だからこそ。中国のあわいの時代である三国志の時代に「人物志」という本が書かれた。

 

一流の人(一つの専門家)二流の人(二つの専門家)こういう人に国を任せてはいけない。なぜならその人はその専門家なので、それ以外はダメだと思ってしまう。三流以上の人に国を任せよと「人物伝」には書いてある。

 

楠木正成も武将ではありながら商人としても成功していて何でもする人。そういう三流の人が重要。

 

伊集院光氏:三流という言葉だけ聞くと、今の使い方だとダメな人だが、いろんなことが出来る人?

 

自由な発想があるし、非常識も気にしない。それが三流の人のすごさ。

 

楠木正成が素晴らしい活躍をしたので幕府側から離反し後醍醐天皇につく人物が出て来る。新田義貞と足利尊氏。

 

ナレーション:新田義貞と足利尊氏は源氏の血筋の武将。新田義貞は平家の血筋である北条家を見限り、天皇を支えることを決める。

 

足利尊氏は体調も悪い中、北条氏から討幕軍追討を命じられたことに不満を高めていた。

 

後醍醐天皇は隠岐に流されていたが脱出。鳥取県の船上山に籠城。足利尊氏は幕府側の司令官を任じられ京都に向かっていたが一転、討幕を表明。足利尊氏が寝返ると加勢する武将(赤松円心・佐々木道誉)が増え幕府は劣勢に立たされる。

 

関東では新田義貞が鎌倉に攻め上る。海と山に守られた鎌倉の守りが堅く、攻撃は難航。そこで新田義貞は稲村ケ崎で黄金の刀を龍神に捧げると、なんと海が干上がり新田義貞軍は海岸線から鎌倉に突入する。

 

鎌倉を制圧された北条高時ら一門は東照寺で集団自決。それは壮絶な光景だった。

 

朗読:あるいは腹を掻き切って炎の中に飛び込む者あり、あるいは父子・兄弟が刺し違えて重なり合って死ぬ者もあった。血は流れて大地にあふれこんこんとして大河のようになり、屍は道々に横たわって累々として葬送の野原のようである(中略)

 

九代の繁栄は一時に滅亡して源氏は多年の胸の思いを一朝に解き放つことができたのである。驕れる者は久しからず。この道理にのっとって天地は驕る者を助けなさらないと言われているけれど、目前の幕府滅亡の悲しみを見る人々は、皆涙を流すのであった。

 

伊集院光氏:出てきましたね。驕れる者は久しからず。あの新田義貞の方はすごく天と地が分かりやすい。

 

寝がえりの理由 新田義貞と足利尊氏

 

伊集院光氏:北条っていう天に着いて行けないな。だったら後醍醐天皇という天に自分は地として着きたいというのはすごくしっくりくる。

 

足利尊氏は前年に後醍醐天皇を討てという北条高時から言われるが、その時に自分の父親が亡くなって法事だった。悲しみも癒えていないのに、今回は体調が悪いのに酷い。なら寝返っちゃおう!

 

伊集院光氏:それにしても一気に滅びましたね。

 

それがあわいの時代の怖さでもある。北条高時は偉いので働けない。それが滅びの原因ではないか。

 

伊集院光氏:旧時代の価値観を捨てきれないっていうこと?

 

足利尊氏が室町幕府を作るが、彼はあまりかっこよくない。足利尊氏のかっこ悪さ「弱さ」が次の時代を作って行く。

 

伊集院光氏:おもしろいキーワード

 

北条高時だけが強い人で、後醍醐天皇も実は弱い天皇。中継ぎの天皇で楠木正成も出自がハッキリしない。新田義貞も足利尊氏も弱い。「強い」立場の北条高時を「弱い」立場の人たちが滅ぼす変化があわいの時代。

 

「強い」と留まってしまう「弱い」と動ける。

 

伊集院光氏:今までの実績で動けない状態と、捨てる物がない側が思い切った行動が出来るのは分かる。弱かったけど開き直って才能があった楠木正成は時代とフィットした。すごく分かる。

 

なるほど。後醍醐天皇って後白河法皇ほどではないけど、なんとなくいいイメージがなかったのだけど、視点を変えるとちょっと面白い。楠木正成との出会いについては、この時代はこんな話をすんなり受け入れてしまう土壌があったのか、「太平記」もやっぱり物語であるからこういう逸話が挿入されているのか?🤔

 

この鎌倉時代から室町時代の辺りって全然詳しくなくて、主要人物たちの名前はさすがに聞いたことあったけど、足利尊氏以外は具体的に何をどうしたのか漠然としていたので、この辺りのことが学べそうで楽しみ!

 

そして安田登さんの朗読が素晴らしく、とても楽しい!

 

もう既に3回まで放送されているけど、録画を見れていない。続きがいつになるか分からないけど、頑張ってみるつもり😅

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【tv】ぶらぶら美術博物館「最澄と天台宗のすべて」

2021-11-22 23:56:41 | tv

【tv】ぶらぶら美術博物館「最澄と天台宗のすべて」

 

 

開催中の美術展や博物展を紹介する番組。今回は、東京国立博物館平成館で開催中の「最澄と天台宗のすべて」を取り上げていた。既に鑑賞済み(記事はコチラ)だったけれど、復習のためメモ取りながら鑑賞。備忘録として残しておく😌 

 

今回の講師は東京国立博物館学芸員の皿井舞さん。

 

"天台宗は仏教の大学"と呼ばれている。今回の企画展では国宝17点、重要文化財46点、秘仏9点を展示。この後、九州・京都へ巡回するが、それぞれの特色を出した展示となり、展示内容が異なるのだそう。

 

旧寛永寺の敷地内であった東京国立博物館は、最澄の東国布教から江戸時代に天台宗が広がったことを中心に展示する。

 

「智顗」

 

まずは「聖徳太子及び天台宗高僧像」の肖像画10幅から。全て国宝。兵庫の一乗寺所蔵。10幅残るのは稀。平安時代11世紀の作品。

 

「智顗」(Wikipedia)は頭の上に皿状のもおを載せている。これは禅鎮というもので、居眠り防止に使う。

 

高僧も居眠りしちゃうのか❓😲

 

智顗が天台宗を開いた地へ最澄が学びに行った。天台山で開いたので天台宗と呼ぶ。

 

「伝教大師最澄」

 

「慈覚大師円仁」(Wikipedia)の夢に出て来た最澄は色白で180cmのイケメンだった。「智顗」と似ている。姿に習って描かれた。左上に四角いシミのようなものがある。実は「智顗」と書いてあった。後世に間違えられた。

 

日本天台宗の4つの柱は、円教・禅・大乗戒・密教。全ての人が悟りを開かれる。根本中堂は参拝者と同じ目線になっている。

 

「聖徳太子」

 

10人の中に1人だけ僧ではない人物がいる。「聖徳太子」(Wikipedia)三経義疏(Wikipedia)を著わす。「慧思」(Wikipedia)の生まれ変わりと信じられている。格別の存在。

 

日本の仏像を語る上で聖徳太子は欠かせない存在だけど、慧思の生まれ変わりと言われていたのは知らなった🤔

 

「薬師如来立像」

 

「薬師如来立像」は直近では50年前に公開。法界寺所蔵。平安時代11世紀の作。截金の最初期。檀像。本来白檀などの香木で造る檜や栢など針葉樹で代用。地肌に截金。

 

最澄が比叡山に入る時に刻んだのが薬師如来。根本中堂に安置される最澄が刻んだ薬師如来に近い。

 

この仏様は本当に美しかった! 秘仏なので保存状態が良く、截金がほぼ残っている。左右の袖で截金の模様も変えてあり、とても凝っている。秘仏なので見れるのは貴重な機会!

 

「両界曼荼羅」四天王寺

※画像なし(見つけられず💦)

 

最澄は唐に渡ったが時間が足りず、勉強が不十分だった。後に円仁が補完。持って帰って来るものが違う。真言宗の曼荼羅との違いは、千手観音の前の供養壇の有無。真言密教にはない。

 

真言宗の開祖である空海(Wikipedia)は長安に行き学んだ。最澄が学ぶより深い。最澄は空海にお経を読ませて欲しいと頼み断られている。最澄が亡くなって16年後に円仁が長安へ。

 

この話有名だけど、何故空海はお経を見せてくれなかったんだろう? 勝手に見せるべきではないと思ったのかな? まぁ諸事情により学びきれなかったのも最澄の都合であり運命なのだから、そこから最澄なりの宗教観を得たというのも、それはそれということかもしれない。上手く言えないけど、正解があるものではないと思うので🤔)

 

「相応和尚」

※画像なし(見つけられず💦)

 

和尚と書いて"かしょう"と読む。天台宗は和尚=かしょう。相応は円仁の弟子で9世紀を生きた人物。千日回峰行を始める。比叡山焼討以降成功したのは51人。

 

「不動明王坐像」伊崎寺

 

相応和尚が感得した姿。下の歯が上に突き出ている。

 

「六道絵」

※画像なし(見つけられず💦)

 

産みの苦しみ・病気・葬式 人間道。だんだん地獄になっていく。恵心僧都源信(Wikipedia)「往生要集」を書く。浄土教の高まり。美術が生まれる。

 

「天海大師坐像」

 

重要文化財。運慶の末裔である康音作。天海大師(Wikipedia)は徳川三代のブレーン。数え108歳まで生きた。105歳の時の姿。彩色。盛上彩色で織りを表現。

 

天海僧正だよね? 数え108歳まで生きたの? マジで?😲 それは知らなかった。たしかに明智光秀説もある人だからねぇ🤔

 

家光に長生きの秘訣を聞かれ、粗食・正直・毎日お風呂に入る・陀羅尼・時々おならをすると答える。

 

この時々おならはオヤジギャグ的なことかしら🤔

 

 

「根本中堂内陣再現」(📸maru)

 

梵天・?・丑神・子神は本物がお出ましになっている。塔燈は先代の物。火はLED。油断の語源。信長の焼討で消えたため、分灯していた立石寺から分灯。

 

「薬師如来坐像」願興寺

 

秘仏。寺外初公開。最澄が東山道(現中山道)を通った時立ち寄った際、古代寺院に薬師如来を彫って安置したのが願興寺のはじまり。最澄が彫ったものか? 寄木造なので最澄の時代の物ではない。

 

 

「薬師如来立像及び両脇侍」寛永寺

※画像なし(見つけられず💦)

 

薬師如来立像は石津寺、両脇侍は立石寺と最澄ゆかりの寺から移す。薬師如来立像は根本中堂のご本尊と同じ木。一木造=平安時代。最澄自刻むの薬師如来に似ている。

 

「元三大師良源」

 

日本最大の肖像仏。50年に一度開扉。205年前に出開帳。良源は比叡山中興の祖。火災にあった際、一代で復興。鬼大師・角大師・豆大師などと呼ばれる。不動明王の化身と言われ、鎌倉時代に人気。

 

何故巨大? 数か大きさで目立たせる。今回の搬入では日通の人が10人で運んだ。

 

10人で運べたんだ⁉️😳

 

みんな最後にビックリしている。

 

自身もビックリした😅

 

ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 20:00~21:00 @BS日テレ

BS日テレ - 「ぶらぶら美術・博物館」番組サイト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【tv】100分de名著「ヘミングウェイ スペシャル」第1回「老人と海」(2)

2021-11-08 00:15:53 | tv

【tv】100分de名著「ヘミングウェイ スペシャル」第1回「老人と海」(2)

死闘から持ち帰った不屈の魂

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。2021年10月は「ヘミングウェイ スペシャル」ということで、「老人と海」「敗れざる者」「移動祝祭日」の3冊を読み解く。今回は「老人と海」の第2回目。講師はアメリカ文学研究者の都甲幸治氏。第1回の記事はコチラ

 

備忘のために記事にして残しているのだけど、とても時間がかかって大変💦 なので、今回「老人と海」のみで「敗れざる者」「移民祝祭日」の記事はなしになります🙇

 

伊集院光氏:(第1回の感想として)シンプルな中にいろんなことが描かれているイメージ

 

主人公の老人サンチアゴは3日間かけてカジキを釣り、あとは帰るだけ。カジキの血の臭いを嗅ぎつけサメが襲ってくる。カジキを釣り上げて成し遂げたと思うが、実はこれからが重要。

 

朗読:(今回の朗読は俳優の寺脇康文氏。朗読部分は自分が重要だと思う部分のみ引用)

 

ナレーション:舟の横にカジキをつなぎ止め老人は港を目指す。

 

朗読:最初のサメがおそってきたのはそれから1時間後のことだった。カジキから流れ出た血のにおいをかぎつけサメがやって来た。老人はすぐさま銛を手にする。

 

ナレーション:サメがカジキに食らいついた瞬間、脳天に銛を突き刺し仕留めた。しかし、サメとともに銛も沈んでしまう。そこでオールにナイフを括り付け次の襲来に備えた。

 

朗読:二時間後カジキの肉をちぎって食べていると、二匹のサメの先頭のやつが目に入った。

 

ナレーション:ナイフ付きのオールで二匹のサメを撃退。しかし、カジキは1/4ほど食いちぎられてしまう。

 

朗読:こいつは1人の老人が冬を越せるくらいのかせぎになるはずだった。(略)何も考えずに、次に売って来るやつを待つ。それしかない。

 

伊集院光氏:普通の展開だと何匹も雑魚キャラを倒してからのボスキャラのイメージだけど、ボスを倒した後にサメですね。

 

いま考えられることってあるか、と老人は思った 直ぐに考えるなというが?

 

考えずに「いま」に集中する。考えると言葉を使って過去にあったことが未来のことを考えるということ。そうすると現在にいられない。しかも言葉を使って状況をつかむと感覚が鈍くなる。そうなるとサメに負けてしまう。じつはカジキと闘う中で「考えるな」と何回も出てくる。すごく大きいテーマなのではないか。

 

伊集院光氏:未来こうなるかもが動けなくしてしまうこともあるし、楽観で動きが緩慢になったりみたいなことを考えると、後は反射に頼れみたいなことなのか?

 

体の感覚、身体性を現代社会だと忘れがち。スマホでだいたい済むのではないかとうような。「からだ」を見直すことが強いのではないか。

 

カジキがサメに食べられてしまうというのは知っていたのだけど、まさかこんな死闘を演じているとは思わなかった! 窮地に陥った時「考えろ」と思うのが普通だと思うけれど、「考えるな」というのは興味深い。自分の漁師としての経験や感覚に委ねろということで、そこに絶対の自信があるということなのかな?

 

ナレーション:サメの襲来に続き3回目でナイフのオールをなくしてしまう。

 

朗読:「人間は負けるようにはできていない」しかし、この年ではこん棒で奴らをなぐりたおす力はない。

 

ナレーション:陽が落ちて疲れ果てた老人の前にまたもや二匹のサメが現れる。

 

朗読:こん棒でサメを撃退するも、夜になり老人に不安が広がる。

 

ナレーション:夜の冷え込みの中、無理をしいた老人の体は悲鳴を上げていた。もう闘うのはごめんだ。そう願う老人の前に現れたのは

 

朗読:サメの群れとの死闘を制するがカジ(までしかメモが残っていない💦)

 

ナレーション:サメの群れは撃退したものの、カジキの肉はほとんど失われた。老人の気力も限界。残骸となったカジキを連れて、老人は港へと舟を滑らせる。こうして3日ぶりに港に帰り着いた。

 

工夫を重ね闘う老人。ナイフが折れてもこん棒で闘い、こん棒がなくなればカジ棒の折れたので刺したりと、次々咄嗟の工夫をしていく。そのさまはスゴイ。いつもそこにあるベストを尽くす。

 

「叩きつぶされることはあっても、負けやせん」= A man can be desroyed but not defeated.

 

身も心もバラバラ。客観的に見たら負けている。負け惜しみ。負け惜しみだが、男性でも女性でもやがて年を取り体力や能力が落ちる。それでもその時のベストを尽くすのは、それぞれ抱えて行くこと。

 

伊集院光氏:結局のところ、負けたと言わない限りは負けじゃないということが、さらにこの人が何かまた出会うんだろうという感じを持たせてくれる感じ。

 

安部みちこアナウンサー:カジキを放してしまえばよかったのでは?

 

「カジキを手放さなかった理由」

 

1つ目はカジキへの極端な思い入れ。尊敬の念を持って一体化した以上、最後まで責任を持って連れ帰らなきゃいけないというある種の倫理観がすごくある。

 

伊集院光氏:カジキあるいは海からの、お前は俺を殺す権利があるのかという死闘。するとサメに対しては、お前は俺からカジキを取り上げる権利があるのかという闘いだから不戦勝はダメ。死闘の末サメがもぎ取るのは自然の摂理。

 

老人にとっては若い頃に漁師として向き合ってきた"死"とは別の、宿命としての"死"が身近になっているわけだよね。年齢的に漁師をいつまで続けられるかも分からない。もう最後かもしれない大物のカジキと出会えたことは、それこそ天からの啓示のような、運命のようなものを感じたのかもしれない。そういう存在を最後まで責任を持って連れ帰らなければならないと考えるのはとても理解できる。

 

もう1つの理由は、他の漁師に生き方を示すため。特に少年マノーリン(老人を慕い世話をする少年漁師)に自分の様を見せたいという思いがあるのではないか。

 

港に帰った老人はベッドに倒れ込んで眠りにつく、翌朝マノーリンが様子を見に来る。

 

朗読:マノーリンは老人の手を見て泣き出した。外へ出ると他の漁師たちが老人が舟にくくりつけたものを見ていた。

 

ナレーション:マノーリンは老人のためにコーヒーを買いに行った。店主は「たいした代物だな。初めてお目にかかったよ、あんな魚には」と言う。マノーリンは小屋に戻ると眠る老人のそばに座った。しばらくしてようやく目を覚ました老人は言う。

 

朗読:やられたよマノーリン。ぐうの音もでないほどな。

 

ナレーション:マノーリンからぺドリコがカジキをばらしていると聞き、頭はぺドリコにやるがマノーリンがくちばしが欲しいと言うので、好きにすれば良いと言う。老人の伝言を伝えに行く道すがらマノーリンはまた泣いていた。

 

「老人と少年マノーリンに伝えたい思い」

 

カジキの漁に出る前にマノーリンに漁の心構えを教えるシーンがある。マノーリンは老人の不漁が続いたため、親から老人と一緒に船に乗ることを止められていた。

 

老人の中にはマノーリンがいた。マノーリンがいたら助けてくれるにと何度も思う。だからこそ最後まで死力を尽くしいろんな工夫をして戦い続けた。生き様を伝えたいという気持ちがある。

 

伊集院光氏:彼は何かプライドとか勲章のようなものを持ち帰っている。それがいいなと思うのは、もちろん尊敬する少年にも伝わっているが、そのコミュニティの人たちがとんでもないヤツと闘ってきたなと思うわけですよね? もし一番安全に帰ることだけを考えていたら、それはないわけだから、そこにもグッとくるものがある。

 

コミュニティの人たちは同業なので、言葉に出さなくてもカジキの骨などで何が起きたか正確に読み取ることが出来る。その中で尊敬の念が集まってくる感じが分かるように書いてある。

 

マノーリンは老人を尊敬して身の回りの世話をしてくれているんだよね? その代わりとして老人はマノーリンに自分が持っている漁師としての経験や心構えどを教えている。不漁が原因で親から一緒に漁に出るのを止められているそうなので、親から弟子入りを頼まれたというわけではなく、マノーリンの意志なのかな?

 

そう考えるとマノーリンの涙がとてもグッとくるんだよね。おそらく、若くて腕のいい漁師もいるのだろうに、無口な老人に敬意を抱いていたことが間違ってなかった!とか、老人の生きざまに感動したとかもあるだろうけれど、何か崇高なものを感じたような気がする。それはマノーリン自身にも言葉にならない感覚なのではないかな?

 

あの後、マノーリンの方からまた一緒に海に出ようと言う。それに対して老人の答えは「まずは、仕留めるためのいい銛を手に入れんとな。それをいつも舟に乗せておくんだ。穂先はおんぼろフォードの板バネを使えば何とかなる。グアナバコアの町にいきゃ、研いでくれる店がある」

 

おんぼろフォードの板バネで作るのが重要。フォードは廃車になっているアメリカ人から見ればゴミ。ゴミから漁業の道具を作り、高い精神性に到達する漁をしている。

 

舞台はカリブ海に浮かぶキューバで、キューバ革命が起こる前。アメリカの属国で大したことないと思われている人たちが、ゴミ同然のものを使いスゴイことをやっていることを、この一文で表している。

 

うーん💦 よっぽどアメリカ文化やヘミングウェイを読み込んでいなければ、おんぼろフォードの板バネで銛を作ろうとしているというという一文で、これはアメリカ批判だな😏とは気づかないかなー💦 当時と現代とではまた違ってくるとは思うけれど、当時のアメリカ人はフォード=アメリカと思ったかもしれないけど、現代の日本人にはなかなか難しい😣 これは教えていただかないと分からない!

 

何故アメリカ人のヘミングウェイがキューバ人の物語を書いたのか?」

 

ヘミングウェイが「老人と海」の舞台をキューバにした理由の1つにアメリカへの批判精神がある。

 

1918年赤十字の一員として第一次世界大戦に赴き負傷。第一次世界大戦で大勢の死をまじかで見たヘミングウェイは技術の進歩で世界が良くなるというアメリカ的な考えに疑問を持った。

 

それはアメリカの支配から脱しようと革命を起こした(キューバ革命:1959年アメリカの影響が強かった政府を倒した社会主義革命)キューバの人々への強い関心へとつながった。

 

「革命は起きて当然だ」

 

アメリカ的価値観に抗うキューバの人々の気骨をヘミングウェイは高く評価した。さらに日常の中に自然や宗教が息づくスペイン語圏の文化にも惹かれていた。

 

そうしたキューバの人々の精神性をアメリカ人でも分かるようにと「老人と海」を書いた。1952年「老人と海」出版。

 

しかし、アメリカ人には伝わらないだろうという冷めた視点も持っていた。それを象徴するのが「老人と海」のラストシーン。

 

ナレーション:老人が目覚めた日の午後、観光客の一団がテラスで海を見下ろしていた。一人の女性が大きな尻尾のついた白くて巨大な背骨が海に浮き沈みしているのに気づく。それは老人が死闘を経て持ち帰ったカジキの骨。

 

朗読:「サメが・・・」「知らなかったわ。サメにあんなに立派な骨があったなんて」「俺もだよ」連れの男が言った。

 

伊集院光氏:観光で来てカジキのステーキは食べるかもしれないし、ツナサンドは食べるかもしれないけど、果たしてそれがどういう形で、どこから来てどこへい行くのかには全く興味がないっていう。

 

「住人と観光客のすれ違い」

 

漁村の人たちはカジキの骨を見たら何があったか全部読み解ける。細かく説明しなくても。では、観光客の女性はというと「サメなんだ」と全然分かっていない。英語で会話がなされているというのがミソ。

 

伊集院光氏:最初に説明しようとした人まではギリあると思う。すごく大事なことだからいつも使っているスペイン語でサメのことを言おうとしたけど、一からちゃんと説明しようとしてSharkに食べられたカジキがって言おうとしたSharkで、ああサメねってなっちゃう人には、もうその輪に入る権利ないじゃん。来ても何も分からないじゃんていうのすごくある。

 

スペイン語のtiburónというのと英語でSharkで翻訳したことで大事なものが抜けてしまうというところ。言語が変わることによって、表面的な意味だけ分かっても、そこにある精神性はちょっと分からないよみたいなところがよく出てる。

 

英語ってだけじゃなくて、何でも分かった気になって、キューバのことも支配した気になって、実は何も分かってないじゃないかという、痛烈なアメリカ批判。

 

観光客の女性が"何かの骨"に興味があっても、その本質には興味がないということについては、それ自体は別に悪いことではないよね。本当は「老人が3日間死闘を繰り広げて仕留めたカジキで、そのカジキを狙ったサメとの死闘の末に生還した結果である」という部分を知った方が、人生に深みが出ることは確か。でも、早とちりでその機会を失うのも、ちゃんと聞いたとしても興味を持たないのも"観光客"であれば、特段問題ない。

 

でも、その"観光客"がアメリカを象徴しているのだとすると話は別で、今度は読者が試されているよね? 正直、自分はこの観光客の女性と男性に人を見下したような違和感を覚えるくらいはするかもしれないけど、これはアメリカを皮肉っているんだな😏とは気づけないかも。

 

安部みちこアナウンサー:ものすごく表面に批判を出したというわけではなかった?

 

ジョー・ディマジオ(1914-1999 アメリカのプロ野球選手)の話を老人はすごくする。ディマジオはイタリア系移民で、キューバ人もイタリア人もカトリックでラテン系で文化が近い。しかもディマジオは漁師の息子。漁師の息子が頑張っている。だったら海で俺も頑張らなきゃと思ったり、アメリカの読者はすごく親しみを持ってキューバの漁師も大リーガーが好きなのか、ジョー・ディマジオが好きなのかみたいな感じで違和感なく読める。1つ1つアメリカの読者と解釈がズレるようになっている。

 

伊集院光氏:巧妙! 子供の頃、学校の教科書で読みましたという人と、もう一回読みましたと言う人で全然深さが違う。

 

10代、20代、30代、40代、50になったが、もはや老人とそんなに年が変わらないと思う。そうするとやることなすこと負け戦で、負けるという形の勝ちがあるというのが沁みる。

 

伊集院光氏:53になって疑問を持っている。わりと目の前に見えている物だけで構成される合理的なモノとか、効率的なモノとかにかなり疑うようになってきて、そういうことの話をしてくれているような。

 

そうですね。

 

ヘミングウェイだけに限らず、作者は自分の思想や思考を作品に込めるものだと思う。その全てを理解するのは難しい。今作だけをとっても、ヘミングウェイの生い立ちや戦争体験、当時のキューバとアメリカの関係、さらにはジョー・ディマジオのことまで知らないと理解できない。例え知っていたとしても、ジョー・ディマジオを老人が口にする意図をくみ取れなければ、やはり正しく理解することは出来ない。なかなか難しい💦

 

まぁ、なのでこの番組を見て勉強しているわけで、今回のこの「老人と海」が単純に老人がカジキを釣り上げたのにサメに食われたという話ではないことはとても良く分かった。おそらく、カジキとの闘いも、サメとの死闘もヘミングウェイの戦争体験が反映しているのでしょうかね🤔

 

ということで、また興味のある作品が取り上げられたら、勉強のために見てみようと思います!🤗

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【tv】100分de名著「ヘミングウェイ スペシャル」第1回「老人と海」(1)

2021-10-23 01:53:45 | tv

【tv】100分de名著「ヘミングウェイ スペシャル」第1回「老人と海」(1)

大いなる自然との対峙

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。2021年10月は「ヘミングウェイ スペシャル」ということで、「老人と海」「敗れざる者」「移動祝祭日」の3冊を読み解く。今回は「老人と海」の第1回目。講師はアメリカ文学研究者の都甲幸治氏。

 

久々の「100分de名著」の記事。実は「伊勢物語」も録画してあるけど見れてない💦 この番組は勉強したくて見ているので、ちゃんとメモ取って後から見返せるように記事にして残したいと思っている。ただ作業が大変で💦💦 

 

今回頑張ったのは「老人と海」(Wikipedia)だったから! 有名過ぎてあらすじを知ってるけど、ちゃんと知りたいと思っていたので。通常は4回で1つの作品を紹介するけれど今回は3冊。「老人と海」は第1回と2回で紹介ということなので、この2回のみ見てみることにした。なので記事は「老人と海」のみになります🙇

 

キーワード:二人のヘミングウェイ

①マッチョ・男らしい

②弱い・傷つきやすい

 

伊集院光氏:やっぱりマッチョイメージ。批評家に言われても「言いたいヤツには言わせておけよ」というイメージ。

 

生前からメディアの力によって「パパ ヘミングウェイ」になった。弱く繊細で女性的なところは読まれないできた。両方見ていくと今までとは違う読み方ができる。

 

ヘミングウェイ(Wikipedia)自身については猫好きのイメージで、特段マッチョというイメージはないかも🤔 作品は読んだことないけど映画の『誰がために鐘は鳴る』は見た。戦争がテーマになっていたと思うけれど、その辺りが男らしいってことなのかな?

 

とはいえ、マッチョで強い=男らしい、弱くて繊細=女性という意見はフェミニストさんに怒られそうだけど大丈夫かしら😅 マッチョで強いのも、弱くて繊細なのも人それぞれで、男性だから女性だからというわけではないような?🤔

 

ちなみにヘミングウェイが飼っていたのは指が6本ある多指症の猫で、幸運を呼ぶヘミングウェイキャットと呼ばれている。

 

ヘミングウェイ基本情報①

1899年シカゴ近郊の生まれ。父親は外科医で母親は声楽家。母は双子の姉妹が欲しかったため、年子の姉との双子の妹として育てると宣言。ずっと女の子の格好で育てられた。ヘミングウェイの中で男性にも女性にもなり切れない状態が続いた。

 

伊集院光氏:落語家は江戸時代のことを書くので豪快な男と繊細な女の役を一人でやる。ある意味心の中にその両方を持っている人の抜群の上手さを見て来た。それが行ける人は文章を書く時にも才能が発揮されるようは気はする。

 

なるほど、ヘミングウェイの生い立ちはちょっと複雑なのね。こういう母親って時々いるけど、男の子を女の子として育てる、もしくはその逆をいつまで続けるつもりで育て始めるのだろう? それが子供にどんな影響があるかも含め全く考えてないんでしょうね。不思議ちゃんでは済まされない状況なのに、何故父親も止めないのだろう? 

 

このように育てられたことが、上で語れていた男性的な部分と女性的な部分が同居しているということに、少なからず影響しているのだろうし、そういう意図で紹介されたエピソードなのだと思うけれど、サラリと説明されただけで終了してしまっていたのはちょっと消化不良。

 

ヘミングウェイ基本情報②

18歳から1年間カンザスシティ・スター紙で新聞記者見習いとして働いた後、19歳でイタリア戦線に赴く。38歳でスペイン内戦の取材をし、45歳で第二次世界大戦のヨーロッパ戦線取材のためロンドンへ。

 

第一次正解大戦が始まった時、居ても立っても居られなかったが、迫撃砲弾を受け重傷を負う。懲りることなくスペイン内戦などを取材しに行く。最初の戦場体験が大きなトラウマになり、何度も戦場に向かってしまうことがあったのではないか?

 

今なぜ「老人と海」なのか? 

 

「老人と海」なら読んでいなくても読んだ気になっているのではないか? でも、実際に読んでみるとヘミングウェイの作家生活の集大成的な部分がある。内容、文章の完成度、そして自然との共生というテーマが色濃く入っている。そのことについて今回話したいと思った。

 

はい!はーい!! 読んだ気になっている人✋😃

 

朗読:(今回の朗読は俳優の寺脇康文氏。朗読部分は自分が重要だと思う部分のみ引用)

老人は老いていた。一人で小舟でメキシコ湾流で漁をしていたが八十四日間一匹も釣れない日々。老人は全身やせて枯れていたが目は別だった。海と同じ色で生き生きとしてくじてけていなかった。

 

ナレーション:キューバのハバナ近郊で暮らすサンチアゴは84日間一匹も魚が取れない日々を過ごす。老人の世話をしているのは彼を尊敬している少年マノーリン。85日目もいつものようにマノーリンに見送られ海へ漕ぎ出す。

 

朗読:きょうこそは運の潮目も変わるかもしれない。毎日が新しい日だ。

 

ナレーション:老人の中では海はラ・マールという女性形だが、若い漁師たちの中にはエル・マールと男性形で呼ぶものもいる。

 

朗読:そういう連中は敵のようにとらえたが、老人はめぐみを与えてくれる女性ととらえた。

 

ナレーション:生き物たちにはなしかけ、老人は釣り糸をたらし様子をうかがう。すると突然とんでもなく大きな当たりがきた。

 

朗読:一匹のカジキが食らいついたのだ。

 

老人が一人でカジキを釣り上げたけど、帰り道にサメに襲われてカジキをほとんど食べられてしまうというのは知っていたので、てっきり偏屈で孤独な老人が、勝手な行動をする話なんだと思っていた💦 彼を尊敬して世話をしてくれる少年がいたのね?😲 しかも、海に対して敬意を抱いているような人物だったとわ!

 

老人は海をラ・マール女性と言っていたが?

 

母なる海から獲物をいただく尊敬の念を込めてラ・マールという女性形を使っている。自然をねじ伏せて獲物をもぎ取り、お金に変えようとする人たちは敵のように男性として海を考えるが、老人の海の機嫌を伺いながら獲物をいただくという、ある種謙虚な気持ちが強い。

 

伊集院光氏:長年海で暮らしてきた感覚的なモノ?

 

「老人と海」基本情報

1952年、全国誌「ライフ」に一挙掲載。532万部が48時間で完売。一週間後に単行本出版。

1953年、ピュリッツァー賞受賞

1954年、ノーベル文学賞受賞

 

簡潔で語彙も多いわけではないが深い内容。新聞記者時代の経験で培った。

 

「文章は短く。最初の段落は短く。気持ちの入った言葉を使え。自信をもって書け。逃げ腰になるな。ムダな言葉は全部削れ。」という教育を受け、この教えを生涯深めた。

 

伊集院光氏:僕としてはありがたい。難解なために難解にしてあるような小説があるが、一行目からウェッとなる💦

 

それまでの文学はどれだけ凝った巧みな文章を書けるかという競争のような部分があったが、ちょうど20世紀初頭にモダニズム(19世紀末~20世紀初頭に起きた前衛的な芸術運動)という文学だけでなく様々な芸術作品に大きく関係する流れがあった。そのモダニズムの影響を受けて新聞記者で培った簡単な言葉と芸術的な技術を合わせたのを見つけたのがヘミングウェイ。

 

モダニズムのことがきちんと理解できていないのだけれど、ヘミングウェイがその影響を受けたということは、彼の作品は前衛的ということなのかな? 

 

伊集院光氏の"難解なために難解にしてあるような小説"っていうのよく分かる。小説だけでなく映画とかでもあるし。そういうのが楽しい時もあるけど、あまりそればかりでは疲れてしまう。そして、難解なことを簡潔な言葉で分かりやすく説明できるのはスゴイことだと思う。

 

ナレーション:カジキが食いついたままの老人の漁は2日目を迎えた。

 

朗読:(カジキとの死闘の描写)

 

ナレーション:ついに巨大なカジキが姿を現した。頭から背にかけては濃い紫色、側面には薄い紫色の縞、くちばしは長く剣のように細く尖っている。カジキは全身を海面に躍らせたのもつかの間スルリと水中に身を隠した。

 

朗読:やつらにはやつらを殺しにかかるおれたちほどの頭はない。おれたちよりもずっと高貴でいろんな能力に長けてはいても。

 

ナレーション:闘いは再び夜を迎えた。夜空に最初の星が現れ、じきに他の星々も現れる。老人は釣り綱で繋がっていたカジキを持った。

 

朗読:海で暮らし、これぞ兄弟と思える魚たちを殺す。それ以上何を望むことがあろうか。

 

「自然と対話する老人」

 

実はこの「老人と海」という全体の設定がすごく書く難易度が高い。冷静に考えると老人が小舟で海に出て一人で釣りをしているだけ。もし老人が無口だとセリフがゼロで作業をこなして帰るだけで、何が何だか分からなくなりかねない。

 

でも、生き物との対話を入れることで、気持ちのやり取りもあり、読者も飽きない構成になっている。老人は鳥にも話しかけているが、鳥を見下すことなく人間と同格の仲間として話しかける。

 

伊集院光氏:そしてそれがちょっと気持ちいい。小鳥を相手にしているのに僕を相手にしているようなそんな感じもする。

 

なるほど。朗読部分の文字起こしをしていないのは、かなりの部分で老人の独り言なのか、心の声なのか分からないけど、とにかく老人が話している部分が多いのと、あとはカジキとの死闘描写だったりするからだったのだけど、確かに読んでいると自分に語っているように感じるのかも。

 

もともと無口だったという設定で一人で漁をするようになってから、ただ思ってるのか喋っているのか分からなくなってきたところがあるが、老人は実は大事なことは口に出してはいけないと考えている。例えばカジキにこういう風にエサを食って欲しいとか、口に出すとダメになるから黙る。

 

伊集院光氏:勝手にしびれてる今! そういうい理屈にしたんじゃ追いつかない境地に達した人が海と対話しているから無口ともおしゃべりともいえない。

 

考えることなしに体が動かないと釣り縄が切られる状況で自分でもどうしてそう動いているか分からないれども、すごく最適に動いていくっていうことが、どう起きるかを追跡していく話。

 

なるほど! 釣りをしたことがないから分からないけれど、たった一人でカジキを釣り上げるのはおそらく大変なことなんだよね? それを成し遂げるには、もちろん経験を知識を生かして戦略を練るのだろうけれど、佳境に入った時にはもう考えるより先に、自然にから動いていくような、いわゆるゾーンに入った状態を追跡するってことかな?

 

ヘミングウェイ自身もすごく釣りが好き。特に1940年にキューバのハバナ近郊に家を建てて20年間拠点にすると、自分でもクルーザーを持ってカリブ海を回って大物を釣っていた。

 

実体験に基づく描写力。よく知っているがゆえにちょっと調べただけでは気づかないような、例えばどういうプランクトンが発生するとか、ホンダクラ(海藻の一種で魚類などの住処になる)が流れて来ると、中にエビがいるなど細部の描写が分厚い。全体として量がないのに一つ一つが知っている人しか分からないことずくしで楽しくてしょうがない。

 

伊集院光氏:で、効いてくるのは、新聞記者時代のコツに書いてあった余計なことは限りなく捨てるとうことは、必要なことは書くが余計だと思ったら捨てるのが上手い。そこが釣りっぽい。俺ら読者が釣られる。過剰に揺らすと逃げるじゃないですか?その感じがする。過不足なく入れて来てキャッチしたらそのまま引っ張る。余計なことはしない。俺がカジキかと思い始めた。

 

まあ、俺がカジキだとは思わないけど、引き込まれるのは描写力が優れているからで、それは実体験に基づいた内容を、過不足なく描き込んでいるからということなのね。

 

ナレーション:3日目の朝ようやうやくカジキが弱りはじめ、徐々に海面に上がってきた。老人は残る力を振り絞り綱を引く。そして銛を胸ビレの後ろに突き刺した。

 

朗読:(カジキに銛を突き刺す描写)

 

ナレーション:長い闘いの末、ついに息絶えたカジキ。老人は舟の脇に括り付けるため引き寄せる。

 

朗読:おれはやつの心臓にさわったんだ。そう、二度目に銛を押し込んだときに。

 

伊集院光氏:この番組を長くやっていると他の名著に急に響き合うことがある。「遠野物語」(柳田国男著 クマと素手で闘う猟師のエピソードがある)クマと猟師の話にすごい似てる。猟師はクマに敬意を持ちながらクマを仕留めているという部分が似ている気がする。

 

「カジキと老人の関係」

カジキをただ獲ってやった、やってやったという風ではなく、尊敬の念を持ってやり取りして、ここでこういう縁で出会った運命。カジキが自分を殺しても自分がカジキを殺しても同じ。ほとんど愛の関係。仲間どうしというか、針とか銛で繋がった一体化した存在というところまでいっちゃう。

 

伊集院光氏:お前を釣る権利があるか?を今試しているだけだというか、そういう対話をしている感じ。最後心臓にさわったことで、主はお前、今からお前という感じかな?

 

老人がこれまでの人生で、どのように生業である釣りをしていたのかは不明だけど、少なくともこのカジキとの闘いについては、老人はもうそれ自体を楽しんでいるってことなのかな。もちろん自分が死んでもいいとは思っていないと思うけれど、そういう境地にはなっているというか。

 

心臓に触ったというのは、実際にカジキの心臓を貫いたということよりも、もっと感覚的なことなんでしょうかね? 生き物としてのカジキの芯の部分触れたというか、とても神々ものに触れたというような・・・

 

「老人と海」老人が遭遇するのは自分の体が思い通りにならないとか、海の状態とか気候とか自分の意志ではどうにもならないものと、騙し騙し交流しながら自分の仕事をやり遂げる。

 

現代社会において台風が来ても電車が動いているなら会社に行こうかという風な感じで、できるだけ不安定な予測不能な要素を排除して、将来死ぬ運命にあるということを忘れて暮らしているところがある。

 

「老人と海」を読むと現代の我々が無視していること、それを無視することは普通どころじゃないと感じさせてくれる。

 

なるほど。命あるものは全て死ぬ運命なのだけど、いずれ自分が死ぬことを知っているのはおそらく人間だけなのでしょう。でも、そのことをずっと考え続けることは無理だよね。生きていくには他に考えなければならないことがたくさんあるから。なので、時々こういう刺激を受けて、直接"死ぬこと"を意識しなかったとしても、命について触れることは大切なのかもしれない。

 

安部みちこアナウンサー:「老人と海」は3日間の話だが、もう既に3日目の前でカジキを仕留めてしまったが第2回で語ることがあるのか?

 

短い作品の中でももう7~8割来ているが、カジキを釣ってからもいろんな内容がある。なので、もう1回やる価値は十分ある。

 

第1回目でもう80%くらいまで来ているのか? 今回だけではヘミングウェイが今作で語りたかったことが、そこまで明確に解説されていないので、それは2回目ということになるのかな? 実は既に2回目もメモ取りながら鑑賞済みなので、近々UPする予定🤗

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【tv】ぶらぶら美術博物館「鳥獣戯画のすべて」

2021-05-16 00:45:22 | tv

【tv】ぶらぶら美術博物館「鳥獣戯画のすべて」

 

 

開催中の美術展や博物展を紹介する番組。今回は、東京国立博物館平成館で開催中(2021.5.15現在、緊急事態宣言により休館中)の「国宝 鳥獣戯画のすべて」を取り上げていた。見たいと思っていたのでメモ取りながら鑑賞。備忘メモとして残しておく。

 

甲巻・乙巻・丙巻・丁巻の4巻の全場面を一挙展示するという、史上初の企画展。


講師は東京国立博物館 絵画・彫刻室の土屋貴裕さん。今回の企画は土屋さんによるもの。


「鳥獣戯画」(Wikipedia)は国宝の中でも最も謎が多い作品。いつ誰が描いたのか全く分かっていない。高山寺に伝わっているが、いつ来たのかも不明。開祖である明恵上人(Wikipedia)が亡くなった際に、寺所有の美術品目録を作ったが記載がない。

 

【甲巻】

 

 

今展の話題でもある動く歩道での鑑賞。本来、絵巻物は巻き取りながら広げて鑑賞するもので、これにより物語が動いているように見える。それを再現するためには、動く歩道を導入した。


最も有名なのが「甲巻」だが、前半と後半で画力に違いがある。前半は動物たちもズングリしているが、後半はスマートで上手い。おそらく描き手が違うが、どちらが先に描かれたのかは不明。

 


①異時同図

平安時代後半の絵巻物に多用された"異時同図"で描かれる。例えば兎と蛙が相撲をしている場面で、取組みから投げ飛ばすシーンが同じ図の中に描かれている。別の2組を描いているわけではない。

 

 

②逆行性の構図

通常、絵巻物は右から左に向かって描かれるが、兎が猿を追いかける場面が左から右に向かって描かれている。

 

 

③土屋さんオススメの場面

甲巻と丙巻にしか登場しない猫が登場しており、兎に隠れて2匹の鼠が猫の様子をうかがっている姿が描かれている。後半の兎が猿を追いかける場面の直ぐ後。

 

【乙巻】

平安時代。動物が動物として描かれている。前半は日本にもいる動物、後半は外国もしくは空想の動物が描かれている。「動物生体図鑑」のような感じ。動物の並びの順番の理由はよく分からないが、甲巻と乙巻に登場する動物は重複していない。棲み分け?

 


犀(玄武):当時の人は空想だと分かっていた? 曖昧だったのではないか?

 


麒麟:花の角の方はメス。女子力がある。

 


:敷物として輸入されていた。手本帳を見て描いたのではないか?

 


山羊:もともと日本にはいなかった。飛鳥時代に海外から献上された。

 


:子供は犬化している。大人の虎は手本帳にあったが、子どもはなく身近な動物を手本にしたのではないか?

 十二神将の織物なので、乗るスペースが必要なため胴長に描かれている。

 


獅子:阿形と吽形で描かれる。背景に牡丹が描かれている。獅子と牡丹は定型。

 


:雨を呼ぶと言われているので、雲とセットで描かれている。

 


:普賢菩薩の乗り物。仏画を見ていたのではないか? :霊獣。獏 vs 象。霊獣と動物。

 

【丙巻】

新事実発見! 前半は人物、後半は動物が描かれる。

 


前半、ボードゲーム始まり。賭け双六で身ぐるみはがされた人、妻が泣いている。

 

耳に紐をかけて競う。次の選手が準備している。

 

首引き。若い僧と老尼が首に紐を賭けて競う。尼が若い僧の足をくすぐっている。

 


濃い線と薄い線がある。濃い線は後世に描き足したと思われる。丙巻は鎌倉時代に描かれたと思われていたが、実は平安時代なのでは? 鎌倉時代よりも前に描かれた可能性が出て来た。


後半は動物。鹿の上に猿が乗っていて、兎が鹿の爪をチェックしている。競馬の蹄鉄チェックのようなイメージ。レース前?


実は2009年に解体修理を行った際、前半と後半は表裏に描かれていたものを、剥がして1枚ずつにしたことが分かった。相剝ぎという作業で、江戸時代に行われた。表裏どちらが先に描かれたのかは不明だが、タイムラグがあると思われる。

 

【丁巻】

鎌倉時代。描かている人物を見ると、あまり上手くない? かなり早いスピードで描いている。墨の濃淡を計算している。

 

 

甲巻 法会場面


法会の場面。甲巻の兎と蛙の法会シーンと一致。甲巻を見て描いている。狐がお経を読んでいるシーンは、鼻をかむシーンに変えていたりとパロディの要素が見られる。

 


複数の侍が描かかれたシーンでは、一人だけ侍が振り返っており、顔がきちんと描かれている。本来はちゃんと描けるという自己主張? 
ただの下手ではない? 適当なんだよねという出演者の意見もあり。味という評価はあった? 丁巻が後世に残っているということは、単なるイタズラ描きではないのは?

 

【明恵上人ゆかりの美術品】

 

「重文 明恵上人像」


28年振りに公開される秘仏。60歳で死去。亡くなった後、50代の姿を彫る。平安時代終わり、1173年和歌山生まれ。東大寺で修行し、後鳥羽上皇より高山寺を賜る。


高山寺は学問寺であった。図書館や大学のような場所。そこに何故「鳥獣戯画」が伝わったのか? 書物などが持ち込まれた中に含まれていた?


明恵上人は厳しい修行をした人で、耳を切り献上した。像も右耳の上部分が欠けて表されている。CTスキャンにより胎内に巻物が収められていることが分かったが、重要文化財は簡単に解体できない。解体修理の機会があれば、その際に取り出して調査することになると思うが、いつになるかは分からない。

 

「夢記」


明恵上人は22歳から60歳で亡くなるまで、夢を記録していた。夢はお釈迦様からのメッセージだととらえており、仏教に結び付けて解釈していた。例えば、女性の姿を見た場合、女性は毘盧遮那仏を表しているのだと考え、その場面を絵に描いている。


女性と親しい関係になったなど赤裸々な記述もあり、明恵上人は焼き捨てるように指示して亡くなったが、弟子たちが残してしまう。

 


「重文 子犬」


明恵上人が運慶の息子である湛慶に作らせた。江戸時代には「重文 明恵上人像」と一緒に安置されていた。肉球も彫ってある!


この肉球を土屋さんが推しているそうで、壁に「重文 子犬」の肉球の画像を展示しているので注目!

 

昨年の7月に開催予定だったけれど、新型コロナウィルスの影響で開催延期となり、2021年4月に開催されたばかり。しかし、4月25日からの緊急事態宣言による東京都の休業要請により現在休館中💦 国宝は年間で展示できる日数の制限があるそうなので、再開されるかどうか微妙なところ🤔

 

美術品の管轄は文化庁なのかな? こういう時期だけに、なんとか特別ルールでお願いしたい🙏 是非見たい🙏🙏🙏

 

ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 20:00~21:00 @BS日テレ

BS日テレ - 「ぶらぶら美術・博物館」番組サイト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【tv】ぶらぶら美術博物館「テート美術館所蔵 コンスタブル展」

2021-04-17 01:51:56 | tv

【tv】ぶらぶら美術博物館「テート美術館所蔵 コンスタブル展」

 

 

開催中の美術展や博物展を紹介する番組。今回は三菱一号館美術館で開催中の「テート美術館所蔵 コンスタブル展」を取り上げていた。見に行く予定だったので、メモ取りながら鑑賞。備忘メモとして残しておく。

 

19世紀前半まで西洋絵画界では宗教画や歴史画が主流だった。風景は背景であり、それをメインに描く風景画家は三流という時代。風穴を開けたのがイギリスが世界に誇る風景画の巨匠、ジョン・コンスタブル(Wikipedia)はジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Wikipedia)だった。

 

コンスタブルは屋外にキャンバスを立てて油絵で風景を描いた先駆者。印象派やバルビゾン派にも影響を与えた。イギリスよりフランスで評価を得た。日本で35年振りとなる回顧展。コロナ禍で何とか開催💦

 

テート美術館から約40点の作品が来日。日本の美術館を信頼してくださり、学芸員は来ないが作品だけ貸してくれた。展示も自由でOK! 日本に対する信頼の強さを感じるとおっしゃるのは、今回の解説を担当する法政大学教授の荒川裕子先生。

 

ターナーがコンスタブルの絵を見て自分の作品を直した! そして、ウジェーヌ・ドラクロワが(Wikipedia)「キオス島の虐殺」を直したという逸話があるスゴイ人。

 

「ジェイムズ・アンドリュー師」

 

まずは肖像画から。肖像画を描かないと稼げない。肖像画はイギリスで長い歴史があり、誰もが描いてもらいたがり、孫子の代まで残したいというニーズがある。画家として成功したければ肖像画家になる。ナショナル・ポートレート・ギャラリーがあるくらい肖像画が大好き。コンスタブルは裕福な家庭出身。食べるのに困ることはない。

 

「ゴールディング・コンスタブル」

 

父親。農場主で製粉所所有。7年間家業を継ぐため修行した後、画家を志す。画家としては遅咲き。ターナーとのライバル関係で分が悪いのはスタートが遅かったため。没後100年で評価がターナーに追いついた。

 

「イースト・バーゴルド・ハウス」

 

コンスタブルの実家と土地。素人っぽいタッチ。代名詞である雲もイマヒトツ。コンスタブルは故郷を愛し、故郷の風景を描き続けた。

 

当時はロンドンで仕事をして、地方にお屋敷を持つのが一般的だった。屋敷と地所を描いてもらうことが多かった。風景画というよりは土地と不動産の肖像画。

 

コンスタブルは売れるより自分が何を描きたいかを優先したため、認められるのが遅く苦労した。ターナーは貧しい階級出身なので売れる作品を描いた。コンスタブルは芸術にまい進できる環境だった。自分のやりたいことをやっていたら、いつの間にか時代を先取りしていた。印象派やバルビゾン派の先駆者。

 

「デダムの谷」

 

サフォークのストゥーア川沿いの景色を延々と1802年から20年以上描く。構図は多少絵を加えているが、屋外にキャンバスと絵具を持ち出して描いていた。19世紀初めは画家が屋外で描き始めたが、ほとんどはスケッチのみ。コンスタブルは完成まで描いた。チューブ入り絵具が出来たので、クロード・モネ(Wikipedia)やピエール=ルオーギュスト・ノワール(Wikipedia)も屋外で描けた。コンスタブルの時代は豚の膀胱に絵具を詰めてピンで穴を開けて少しずつ出し、また穴をふさぐという面倒くささ。油絵具は乾きにくいので、屋外で描くのは考えられない時代。

 

見たまま感じたままに描くため、屋外で描いた先駆者。コンスタブルカントリーとして観光地になっている。それ以前は影響を受けたクロード・ロランのように理想の風景画。「ハガルと天使のいる風景」と同じ構図で実景を描く。誰もやっていない。

 

「フラットフォードの製粉所」

 

サフォーク時代の集大成。ロンドンに移る前の恩返し的作品。101.6cm×127cmの大作。全て外で描く。当時、風景画はあまり大きくない。しかし展覧会では目立たない。展示室の真正面の真ん中の段オンザラインを目指す。

 

大きいだけではなく技術も上がる。特に雲は少し湿気を帯びたような質感まで表現。緑の使い方。以前は茶色っぽく描いていた。あまりに生々しく描いたため、古典的なものを良しとしていたフランス画壇では評価されなかったが、ドラクロワなどに評価された。ターナー以上に評価。

 

木に白絵具を点々。"コンスタブルの雪"と呼ばれる。白を白のまま置く。印象派の筆触分割。印象派の時代は離れて見ると、自然に見えるというのが確立したが、この時代は粗いとか未完成だと思われた。下手なのでは?

 

「マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人」

 

マライアと40歳で結婚し、ロンドンへ出て7人の子をもうける。ロンドンの中央にアトリエを構えるが、大作を描くのに時間がかかるので、小型で売れ筋の作品で生計を立てる。

 

「ヤーマスの桟橋」

 

海辺はリゾート地。家に飾りやすい。画面の1/3が空。雲が上手くなる。イギリスではよくある雲? 天気の移り変わり早い。湿気。ロイヤル・アカデミーの誰かが「コンスタブルの絵を見ると傘が欲しくなる」と語った。

 

「ハムステッド・ヒース「塩入れ」と呼ばれる家のある風景」

 

ハムステッド・ヒースはロンドンの北にある。1970-80年代に日本人が多く住んでいた。山田五郎氏のお父様も住んでいた。ロンドンまで地下鉄で15分くらいなので、田端くらいの感覚。ヒース=荒野。広大な空き地。19世紀ロンドンは霧の都と呼ばれ大気汚染が深刻化していた。

 

妻のマライアが胸を病んでいたので、療養のためハムテッドへ。夏の間だけ住んだが、後に一家で移住している。ロンドンより高台で見晴らしがよい。この空で磨きをかける。

 

「雲の習作」

 

雲が好き。2年間で100枚くらい描く。自然の表現に空が必要。空が全ての絵画の基調。感情を写し出す。気象学的が発達し、夏の暑い日にはこんな雲がイギリスではさかん。

 

コンスタブルの時代、古い絵画の伝統と科学的な知識の葉境。17世紀オランダ(例としてフェルメール「デルフトの眺望」)土地が低く空や雲を描いていたが、見たままを描くコンスタブルは、その雲が何故発生したのかサイエンス意識。裏にも観察日記あり。

 

「チェーン桟橋、ブライトン」

 

6フィート絵画(127cm×182.9cm) 展覧会で目立つため大きくターナーでもこの大きさはあまりない。ブライトンは湘南的な感じ。ロンドンから特急で1時間くらい南の温かいリゾート地。左に描かれているのはロイヤル・アルビオン・ホテルという現在も営業中の三ツ星ホテルで、この頃建ったばかり。

 

繁華街は描かず海岸描くも人が多く、ロンドンのピカデリーみたいで嫌だと語る。コンスタブルは結構悪口が多い。コンスタブルの手紙は人の悪口だらけ。性格が悪かったのかも? 生前にあまりウケなかったの理由。妻のことは大好き。療養に連れて来た。

 

当時、海水が結核に良いとされていた。海水浴用の馬車が並ぶ。中で女性が水着に着替え、馬車のまま水辺に行く。評価は割れた。白い点が不評。今見るとおかしくない。でも売れなかった💦

 

売れない作品が数百枚。コンスタブルが亡くなった翌年い売り立て45ポンド。当時のターナーの作品が1000ポンド。この大きさではなしに等しい。ターナーを尊敬しつつも僕とは違う人間だと語る。

 

「草地から望むソールズベリー大聖堂」

 

虹がかかった有名な作品の習作。ソールズベリーはストーンヘンジの近く。ソールズベリー大聖堂は時計好きは必ず行く。イギリスで一番古い1386年に作られた時計が現存する。

 

ソールズベリーにはコンスタブルの古くからの友人ジョン・フィッシャー大主教と、その甥が住んでいた。妻が亡くなった後、心を癒すために訪れていた。知っている所しか上手く描けない。名所ではなく、その場所に愛着があるから描く。

 

1832年のロイヤル・アカデミー展を再現! ターナー VS コンスタブル

 

「ウォータールー橋の開通式」

 

130.8cm×218cm。コンスタブル最大の作品。いかに目立ちたいか😅 力入れ過ぎ😅😅 ウォータールー橋、テムズ川、セント・ポール寺院。協会を描いた初めての作品。中央に後の国王ジョージ4世。輝かしい場面。あわよくば国王からの庇護を期待? 野心作。

 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」

 

いつものターナー。ターナーのメインの絵は別の部屋に展示してあり、今作は脇の部屋。とはいえ、隣のコンスタブルの絵に負けてしまうとうことで、水面に赤を加えた。1点だけで絵の印象を変えた! 天才的。それを見たコンスタブルは「ターナーがやってきて銃をぶっ放していった」とつぶやいた。逆転させた。

 

「ウォータールー橋の開通式」を展覧会後も描きたす。描き過ぎて買い手がつかない😢 ターナーの方が一枚上手。

 

「虹が立ったハムステッド・ヒース」

 

晩年の作品。荒野の虹。実際は水車はなし。妻が亡くなったあたりから、見たままではなく今まで描きためたものを組み合わせて作っている。絵画的に作っているが、にわか雨が上がって虹が出たという自然らしい風景が描けるようになってきた。ある意味、理想風景画に戻った。

 

技法的に新しい。"コンスタブルの雪"も使われている。亡くなる前年に描いた作品。61歳になる直前、心臓悪い。子供たちがテート美術館に寄贈。コンスタブルの評価が遅れたのは生前あまり売れず、子どもたちに作品が残り、大切に保管して長く持っていたこともある。1880年代後半、生き残った7人目の娘が手元に残していた作品を一気に寄贈。まとまって見てやっと認識。

 

ターナーは自分が死んだら作品を国家に寄贈するように言い残していたため、直ぐに目についた。コンスタブルは隠されていえ一気に来たと同時に時代的に印象派が評価されていたため、印象派の本家ということで再評価された。早過ぎた。

 

現在の自分たちは風景画の評価が確立されてから見ているわけだけど、なかなか認められない時代の中で、コンスタブルという画家が風景画を一つの芸術として認識させることに一役買ったということは、とても興味深かった。

 

記事書くの遅くなってしまったので、実はもう見て来た😅 ということで、近々感想記事UPする予定。

 

ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 20:00~21:00 @BS日テレ

BS日テレ - 「ぶらぶら美術・博物館」番組サイト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【tv】ぶらぶら美術博物館「特別展 小村雪岱スタイル - 江戸の粋から東京モダンへ」

2021-03-15 00:05:59 | tv

【tv】ぶらぶら美術博物館「特別展 小村雪岱スタイル - 江戸の粋から東京モダンへ」

 

 

開催中の美術展や博物展を紹介する番組。今回は、三井記念美術館で開催中の「特別展 小村雪岱スタイル ー 江戸の粋から東京モダンへ」を取り上げていた。これは見に行きたいと思っているので、メモ取りながら鑑賞。備忘録として残しておく。

 

解説は小村雪岱(Wikipedia)の熱烈なファンで、今展の企画も担当された山下裕二先生(Wikipedia)。2020年に没後80年を迎えた小村雪岱の足跡を紹介する企画展。資生堂のロゴなどを担当した、元祖グラフィックデザイナーと言える存在で、本の装丁から舞台美術まで幅広く手掛けた商業芸術家。

 

「泉鏡花『日本橋』装幀」

 

デビュー作にして代表作。山田五郎氏によると初版本であれば箱で74万8千円とのこと。裏に春夏秋冬が描かれている。和モダンだが竹久夢二(Wikipedia)とは違う。夢二はアールヌーボーだが、雪岱はアールデコを感じる。雪岱は10代後半で日本画家を志し、國華社(Wikipedia)に入り古典の模写を行い、しっかりした基礎がある。

 

小村雪岱という名前は知っていたけど、作品はあまりちゃんと知らなかった。たしかにこの『日本橋』の装丁は衝撃的だったかもしれない。グラフィックデザインでありながら、芸術的。アールデコというのも納得。

 

泉鏡花(Wikipedia)に強い憧れを持っており、20代で鏡花に会っている。雪岱という名前も鏡花が名付けたし、妻も鏡花が紹介している。鏡花自身も大変雪岱の作品を気に入り、作品の装丁をほぼ手掛けている。

 

「泉鏡花『鏡花選集』装幀」

 

袖珍本と呼ばれる着物の袖に入る大きさの本。ものすごく売れた。

 

Q:鰻屋の横にうどんの屋台があるというのはどういう状況?

A:鰻の臭いにつられて来るが、鰻は高いのでうどんを食べる。

 

泉鏡花の『日本橋』の装丁は、もともとは鏑木清方(Wikipedia)が手掛けていた。雪岱が奪った形であるが、清方は雪岱をとても評価していた。そんな経緯もあり、鏡花が亡くなった後に出された『鏡花選集』は清方にと譲った。そして雪岱は、鏡花の墓のデザインも手掛けている。

 

この時代、泉鏡花が画家に与えた影響ってとても大きかったんだなと感じる。「鏑木清方 幻の《築地明石》特別公開」(記事はコチラ)でも、「初冬の花」という作品のモデルとなった芸者さんに会ったのは、泉鏡花を囲む会だったし。

 

「 邦枝完二 『繪入草紙 おせん』装幀」

 

朝日新聞にて連載開始すると、部数が伸びたと言われている。背表紙に邦枝完二作、小村雪岱画と連名。挿絵画家が連名になっていることは異例。邦枝完二(Wikipedia)は絵に関して注文したことはなく、全て完璧だったと語っている。その後もコンビで『お傅地獄』などを手掛ける。

 

おせんは実在の人物で、笠森お仙(Wikipedia)のこと。谷中の鍵屋の看板娘で、明和三美人の一人。鈴木晴信(Wikipedia)も浮世絵に描いたことでも有名で、大人気だった。鍵屋では晴信の絵や手ぬぐいなどのグッズを販売し、とてもよく売れていた。

 

昭和8年から『おせん』連載開始、挿絵を担当。晴信の絵に似ていたことから、昭和の晴信と呼ばれていた。そのことから、こんな展示も。

 

鈴木晴信「夜更け」

 

遊女と禿を描いた作品。遊女の弓なりのポーズと、敷居の斜めのラインに注目すると・・・

 

「おせん 縁側」

 

おせんのポーズと縁側のラインに一致! 山下先生は企画展の準備中に気が付いた。おそらく雪岱は春信の作品を見ているが、そのまま写すのではなく、エッセンスとしているところがセンスがいい。

 

これは間違いなく狙ってやったよね😅 昭和の春信と呼ばれたのが先なのか、狙ってやった結果そう呼ばれたのか不明だけど、とにかく春信がモデルとなったお仙を描いたことを踏まえて真似のは間違いないと思う。

 

春信作品に比べて胸元を大きくはだけているがエロくはない。清潔感がある。性的に見ていない?

 

幼少期の体験が絵教しているのではないか? 父親を亡くすと母親は婚家から離籍されてしまったため、生き別れになってしまった。要するにマザコン。山下先生はマザコン画家が好き。岩佐又兵衛(Wikipedia)など。

 

山下先生が何故マザコン画家が好きなのかに言及はなかったように思うけれど、たしかに雪岱にしろ又兵衛にしろ、生い立ちからしたらマザコンになってしまうよね。それは仕方がないと思う。

 

雪岱は"個性に興味はない、写生と模写にも興味はない"と語っている。無機質=モダン。

 

「おせん 雨」

 

傘の角度、線の組み合わせ、余白が完璧。雪岱調と呼ばれる。カラー印刷ではない新聞連載では白黒で映える。

 

これは素敵✨ たしかに、これはグラフィックアートだわ。ちなみに右下に描かれている黒頭巾がおせんなのだそう。

 

山下先生の雪岱との出会いは約30年前の神保町の古書店。何気なく手に取った図録が1987年にリッカー美術館での雪岱をテーマにした企画展のものだった。リッカー美術館は日本初の浮世絵美術館で、企画展の1年後に購入。大変感銘を受ける。

 

当時、当代美術学科助手だったが、小村雪岱の資料は全く無かった。正統派ではないため芸術家として認知されていない? でも、グラフィック界では有名だった。

 

「青柳」

 

肉筆画もあるが今回の展示は版画。当時、雪岱が住んでいた日本橋の風景。現在の八重洲一丁目に住んでいた。弟子の山本武夫が限定300(枚か組か聞き逃した💦)を防空壕で摺ったと言われている。戦火から残すという意味合いもあった。

 

「青柳」は春。直線の組み合わせ。色味が少ない。赤の差し色。三味線と鼓があり稽古前?後? 画面に人がいないのに人の気配を描くことを留守模様という。吹抜屋台という俯瞰図の手法を使っている。

 

落葉」

 

「落葉」は秋。落葉の中に花びらが混ざっている。描いていないが木がある。最低限しか描かない。見る人にゆだねる。俳句っぽいという意見に山下先生が感心していた。

 

「雪の朝」

 

「雪の朝」は冬。大胆。鏑木清方が"素材よりデザインを考えて当てはめる"と語ったとおり。障子越しの温かさ。シンプルなのに情緒がある。

 

夏がない? 元はあったと考える。『日本橋』の装丁の裏にヒントがあるのではないかと思っている。月が描かれていたのではないか? 

 

「赤とんぼ」

 

女性の鬢の描き方が特徴的。とても長い。歌川国貞(Wikipedia)の影響ではないか? エッセイにも国貞が好きだと書いている。春信より国貞っぽい顔。

 

確かに! 柳腰の体つきやポーズなどは春信っぽいけど、顔はちょっと違うかなと思っていた。春信の方がもう少しかわいらしい。雪岱のはキリリとした印象。なるほど国貞の影響なのね!

 

肉筆画が少ないのは何故か? 忙しくて描いている時間がなかった。肉筆画を描かないと画壇で評価されないが、評価は気にしていなかったのではないか?

 

「月に美人」

 

元は団扇絵。表装した人も洒落ている。浴衣生地。粋! 月はほとんど見えない。闇の部分は水面なのか? 空なのか? オシャレだけど怖い。

 

「こぼれ松葉」

 

地面に松葉。落ちて来る一枚の松葉を見ている。余白を大きく取っていているが、大きな松があることが分かる。あえて描かないことで動きが見える。膝の辺りの右側に松葉を一つ配置することで奥行きが出る。西洋の遠近法とは違う。

 

たしかに! あの一枚があるのとないのじゃ全然違う! そういうところで違ってくるんだね。

 

「柳橋」

 

大きな作品。橋に2人、船に2人の女性。雨、湿度の高い感じ。

 

この作品もいいな~ 左の柳なんてぼかし過ぎちゃって、もはや何だか分からないし😅でも、背景を極力ぼやかしたことで、4人の女性たちが浮き立つ。

 

この他、「大菩薩峠」の舞台美術のデザイン画なども展示。

 

イヤこれは絶対見たい! 今展は日時指定制。コロナ禍なのでそれは安心なのだけど、16時までしかやってない 午後半休するかな。

 

ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 20:00~21:00 @BS日テレ

BS日テレ - 「ぶらぶら美術・博物館」番組サイト

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【tv】ぶらぶら美術博物館「没後70年 吉田博展」

2021-02-17 01:06:11 | tv

【tv】ぶらぶら美術博物館「没後70年 吉田博展」

 

 

開催中の美術展や博物展を紹介する番組。今回は、東京都美術館で開催中の「没後70年 吉田博展」を取り上げていた。これは見に行きたいと思っているので、メモ取りながら鑑賞。備忘録として残しておく。

 

解説は学芸員の小山明子さん。もともとは油絵や水彩画を描いていた吉田博(Wikipedia)は、40代になってから本格的に木版画に取り組んだ。日本画と西洋画を融合させた作品を数多く生み出す。今回は、その木版画を中心とした展覧会となっている。

 

プロローグ

 

「穂高山」

 

「穂高山」は30代の頃の油彩画。吉田博は登山家でもあったので、実際に登って描いている。穂高山は3000m級の山。既に写実性と独特の色使い。

 

久留米出身の吉田博は神童と呼ばれていた。元の姓は上田。中学生の時、美術教師だった吉田嘉三郎(Wikipedia)に才能を認められ養子となった。17歳で上京し不同舎に加わる。

 

20歳でアメリカに渡り活動の場を広げる。ちょうど官費でヨーロッパで学んだ黒田清輝(Wikipedia)が戻って来て白馬会(Wikipedia)を作った頃。所属していた明治美術会(Wikipedia)が旧式となってしまった。薩摩出身の黒田と旧幕府側という側面もあり、エリートに対する反発もあった。

 

友人の中川八郎(Wikipedia)と共にアポなしでデトロイト美術館に作品を持ち込み、気に入られて二人展を開催。大評判となり絵も売れた。現在に換算すると数千万を稼いだらしい。当時日本にはアメリカ人が美術品の買い付けに来ていたため、彼らの好みを知っていた。

 

海外だけでなく日本でも評価を得ていて、第一回文展で入賞しも文部省買い上げとなっている。

 

「明治神宮の神苑」

 

「明治神宮の神苑」は44歳の時の作品。木版画ではあるけれど下絵のみ担当し、渡邊版画店(現 渡邊木版美術画舗 Wikipedia)が作成したもの。渡邊版画店の渡邊庄三郎(Wikipedia)が新版画(Wikipedia)を考案した。今作は明治神宮完成を記念して画家たちに下絵を描かせたもので、吉田博も依頼を受けて下絵を描いた。

 

とはいえ、今作が木版画を手掛けるきっかけとなったわけではなく、本格的に取り組むきっかけとなったのは、1923年に関東大震災が起き、多くの木版が燃えてしまい、窮地に陥った太平洋画会(Wikipedia)を救うため、アメリカへ美術品の売り込みに行ったことだった。アメリカで木版画が大人気で、質の良くない作品も売れており、だったらもっとすごいものを見せてやる!と意気込んだため。

 

第1章 それはアメリカから始まった

 

「エル・キャピタン」

 

ヨセミテ公園の世界最大の花崗岩を描いた「エル・キャピタン」はアメリカ市場を狙った作品。西洋画の題材を日本風に描いているのが特徴であり人気の秘密。色使いが独特。左端の枠外に"自摺"と書かれており、自ら摺った作品であることが分かる。

 

木版画は基本、下絵、彫り、摺りと3つの工程をそれぞれが担当する分業制だが、吉田博は専属の摺師と彫り師を抱えており、彼らに指導するために自らも技術を習得した。しかもアラフィフで😲

 

第2章 奇跡の1926年

 

「剣山の朝」

 

1925年から本格的に木版画に取り組み、1926年に多くの傑作を生んだ。「剣山の朝」もその中の1つ。まるで海外の風景のよう。ダイナミックな構図と版を重ねたグラデーションで奥行きを出している。山田五郎氏によるとこの色は印刷所泣かせとのこと。

 

パーティを組んで夏に1ヶ月かけて登り、手前に描かれたテントで野営して描いた。登るのにも技術がいる。登山家でもある吉田博ならでわ。地質学的にも正確。

 

「光る海」

 

「光る海」は瀬戸内海を描いた作品。海面のキラキラした光は丸鑿で彫っている。印象派の作品からインスピレーションを受けている? そもそも印象派は日本の木版画である浮世絵から影響を受けたが、その印象派から日本の画家が影響を受けるという不思議な連鎖。

 

また「光る海」はダイアナ妃も所有しており、初来日時に購入した「猿沢池」と併せて、ケンジントン宮殿の執務室に飾っていた、お気に入りの作品だった。

 

山田五郎氏による豆知識としては、ジークムント・フロイト(Wikipedia)もコレクター。現代ではノラ・ジョーンズが有名で、父親でシタール奏者のラヴィ・シャンカールの祖国であるインドシリーズを集めているとのこと。

 

「帆船 朝」

 

帆船シリーズ「帆船 朝」「帆船 午前」「帆船 午後」「帆船 霧」「帆船 夕」「帆船 夜」の6枚からなるシリーズ。同じ版木で色を変えている。クロード・モネ(Wikipedia)の「積みわら」を連想させる。

 

第3章 特大版への挑戦

 

「渓流」

 

「渓流」は80cmの特大版。版木を変えて摺りを重ねて1枚の作品になる木版画は、見当という印を目当てに摺りを重ねるわけだけど、これだけ大きいと合わせるのが大変だろうと山田五郎氏が驚いていた。紙も一枚ものなので、おそらく特注なのではないかとのこと。

 

一般的に木版画は十数回重ねて摺るそうだけれど、なんと吉田博の作品は30枚摺るのだそう。今作の水の部分は自分で彫ったそうで、根を詰め過ぎて歯を痛めてしまったのだそう💦 しかし、これはスゴイ! 水の音が聞こえて来るような迫力。まさに絵の鬼!

 

第5章 TOKIOを描く

 

「上野公園」

 

「上野公園」は桜の季節を描く。当時から都美術館もあったし、この辺りは活動の中心だった。浮世絵的な作品で海外市場を狙った? 色が渋い。枝ぶりが写実的で、雨が降った後の水たまりなども印象的。

 

当時は黒田清輝の白馬会と、吉田博の太平洋画会はしのぎを削っていたが、実は今展が開催中の都美術館の近くに黒田記念館がある。現在、東京国立博物館平成館で吉田博の「精華」が展示されていることもあり、東京国立博物館と連携した企画「めぐる美術 黒田清輝と吉田博」を開催中。と、告知が入った😅

 

第8章 印度と東南アジア

 

「フワテプールシクリ」

 

長男とインドへ行く。「フワテプールシクリ」を描いたのはムガール帝国のアクバル大帝(Wikipedia)ゆかりのファーテプール・シークリー。逆光の表現や、室内の光との描き分けが素晴らしい、薄い色を重ねて描いていく。

 

登山家でもあるためヒマラヤへの強い憧れがあり、長男とともに写生旅行を敢行。約1ヶ月で考えられないくらいあちらこちら周る弾丸ツアー。移動の列車内で眠り、目的地に着くと写生三昧だったのだそう。とにかくパワフルな人だったのね。

 

第9章 日本各地の風景Ⅱ

 

「陽明門」

 

戦時下の日本を描く。「陽明門」は言わずと知れた日光東照宮の陽明門を描いた作品で、なんとこれ96回摺り!! 出演者からも96回も摺るなら描いた方が早いとの声が😅 イヤ、確かにそうだけど木版画を極めたかったのでしょう。

 

第10章 外地/大陸を描く

 

特に作品の紹介はなし。1937年従軍画家に志願して中国へ渡る。戦争に賛成ということではなく、画家としての好奇心が勝ったということではないかとのことだった。

 

エピローグ

 

「農家」

 

「農家」は1947年に描かれた遺作。この3年後の1950年に73歳で亡くなった。この「農家」は板橋区成増で描かれた。これ素朴でいい。

 

この当時、吉田博は下落合に吉田御殿と呼ばれるアトリエ兼自宅で暮らしていた。この吉田御殿にGHQが目をつけ接収しようとするも、英語が堪能な吉田はアトリエの必要性を説明し難を逃れた。また、英語が話せる画家がいると外国人が集うサロンのような場所になった。吉田博の社交性を感じさせるエピソード。

 

木版画だけでなく油絵や水彩画も描き続け、亡くなる直前まで写生旅行をしていたという、まさに絵に生きた人生。もちろん努力もしたのだろうし、辛い思いをしたこともあっただろうけれど、これだけ絵を愛した人生は清々しいものを感じるし、作品からそれを感じる。

 

写実性と不思議な色味が気に入り、見てみたいと思っていたけど、今回ご本人のことを知りますます見たくなった! 3月28日までだからそれまでに緊急事態宣言解除されるかな? これは絶対絶対見たい!!

 

ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 20:00~21:00 @BS日テレ

BS日テレ - 「ぶらぶら美術・博物館」番組サイト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【tv】100分de名著「モモ」(第4回)

2020-11-04 00:12:46 | tv

【tv】100分de名著「モモ」(第3回)

「受動」から「能動」へ

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。8月はミヒャエル・エンデの「モモ」(Wikipedia)で、今回はその第2回。講師は臨床心理学者・京都大学教授の河合俊雄氏。セラピストの視点で読み解いていく。第1回の記事はコチラ、第2回の記事はコチラ、第3回の記事はコチラ

 

伊集院光氏:家の本棚に「モモ」を見つけて読み始めたので楽しみ。

 

モモが「時間のくに」から帰って来ると、親友のジジもベッポも町の人たちも灰色の男たちに洗脳されていた。一人ぼっちになったモモのところへ灰色の男たちがやって来て、真夜中に会って話をしようと言う。モモは怖くなりトラックの荷台に潜り込み眠ってしまう。

 

モモはホラのもとでも言葉が熟すのを待っている間に眠り、気づくと円形劇場に戻っていた。モモはただでさえ能動的だったが、さらに能動的になる。これが次の転機につながる。いったん完全にアクションを止めてしまうところから転機が訪れるところがおもしろい。

 

朗読:のん(朗読部分については、印象的な部分のみの抜粋もしくは要約となっております🙇)

 

モモは夢を見る。夢の中でベッポやジジ、子どもたちが苦しみもがいていた。目覚めたモモは決意する。

 

朗読:モモは逃げる気がなくなった。いままで逃げまわったのは、じぶんの身の安全をはかったからだが、本当に危険なのは友だちのほうだった。

 

彼らを助けることができるのはじぶんしかいないと考えると、じぶんのなかにふしぎな変化がおこったのを感じた。不安と心ぼそさがはげしくなって、その極にたっしたとき、その感情はとつぜんに正反対のものに変わってしまった。不安は消えました。

 

モモが円形劇場に戻ると、灰色の男たちが叫んだ。「われわれはうんざりしたんだ。ひとりひとりの人間から一秒、一分、一時間とちびちび時間をかきあつめることにはな!」全ての人間の時間をまとめて自分たちのものにするため、マイスターホラのもとへ案内するようにモモにせまる灰色の男たち。そのかわり友だちは返してやると言う。

 

朗読:モモは口をきこうとしました。さむさで考える力までうばわれかかっています。なんどでもやってみて、やっとことばがだせました。「たとえできたって案内はしない」

 

伊集院光氏:いったん眠ったことで機が熟すというか、それこそ第三夜でやった「星の時間」が来る感じ。

 

受動的になったからこそ「無」から立ち上がれた。モモの立ち上がりは自然(じねん)という概念で説明することができる。

 

自然

自ら:主体的な意志を持った自分自身が何かをする

自ずから:ひとりでにそうなるさま勝手にそうなる

 

ここでのモモは「自ら」と「自ずから」が一致した。それが自然。「自ら」ばかりだと俺が俺が的に空回りする。でも、「自ずから」を待っているだけでは何も起こらない。その両方「自ら」と「自ずから」が合致する瞬間があり、それがホラの言う「星の時間」

 

主体が立ち上がるというのは、狭い自我だけのアクションではなく「星の時間」をつかんだ自分自身が、もっと広い自己と共に立ち上がるということが言える。

 

そしてモモの受動から能動のあり方というのは、ずっと耐えて来て最後の最後に立ち上がるという、日本の昔話にもよくあるので日本人として感情移入できる。

 

伊集院光氏:自分の師匠の(三遊亭)円楽が「果報は寝て待て」を、落語のシャレもあると思うが「果報は練って待て」と話していたのが、ちょっと「自ら」と「自ずから」がちゃんとクロスする瞬間が来ますということが「星の時間」と同じだというのがすごく腑に落ちる。

 

読んでいる間も、読んでいる文字以上に深い意味があるとは思っていたけど、恥ずかしながら形にならかった。この時のモモの"眠り"にはそういう意味があったのね。そして、機が熟すというのは単純に時間とか動向とかの流れのタイミングを計るというだけではないということなのね。確かに、ずっと耐えて最後の最後に立ち上がるのは日本人的。エンデは日本文化に強い関心があったというのは、この辺りのことなのかな。

 

はぐれていたカメのカシオペイアが現れ、再び一緒にホラのところへ向かう。

 

カシオペイアとの再会をよろこぶモモ。ホラの所へ行くことにする。2人の後を灰色の男たちが追う。「さかさま小路」でモモが振り向くと、男たちは逆さまに歩きながら消えていった。モモを迎えたホラは灰色の男たちの秘密を明かす。

 

🎥映画『モモ』(1986年)より

 

「灰色の男たちは盗んだ時間で出来ている。だがここでは時間が逆に流れる。それで時間が体から抜け出してしまったのだ」

 

「時間の花を見ただろう? 灰色の男たちは人々の心からその花弁を盗み葉巻にしてふかすのだ」

 

朗読:時間の花から花びらをむしりとり、それを灰色にかたくなるまでかわかして、それで小さな葉巻をつくるのだよ。だが生きた時間では灰色の男たちのからだには合わない。だから葉巻に火をつけふかすのだ。こうやってけむりになってはじめて時間はほんとうに完全にしぬからだ。

 

続けてホラは時間を奪われた人間を救う最後の手段をモモに伝える。まずホラが眠りにつき時間を完全に止める。すると時間を盗めなくなった灰色の男たちが貯蔵庫に向かうはず。そこでモモが時間の花を取り出せないようにじゃまをしたら、男たちは消えて行くというのだった。しかし、そのためにホラがモモにあたえられるのは時間の花一輪分、つまりたった1時間。

 

朗読:「それでもやってみてくれるか? これがさいごの、たったひとつの道だ」モモはこんなことがやりおおせるとは思えなかった。「ワタシモイッショニイキマス!」カシオペイアの背中に文字が光る。カメがいったいどんな力になれるのでしょう! それでもモモにはほんのひとすじの希望の光。ひとりきりではないと勇気がわき「やってみます」ときっぱり言った。

 

伊集院光氏:いろんな心理学要素が入ってそうなシーンですけど、ただ単純に物語としてもおもしろい。

 

すっかりオバさんになってから読んだので、この「時間の花」を乾かして葉巻にして吸わないと消えてしまうという設定が、何故この形なのだろうと思ったのだけど、時間を消費し続けるということの描写なのかな? そういうのはきっと子どもの方が感覚でとらえて行く気がする。

 

【灰色の男たちの葉巻の秘密】

 

「時間の花」は根源につながっている。それに対して葉巻というのは、根源につながっていない。一本吸うと終わる空虚な物。満たされないからずっと葉巻を吸い続けなければ、灰色の男たちは生き続けることが出来ない。

 

考えてみると、何かの依存症になるとか、空虚だからずっとネットにつながっていないといけないとか、現代に通じるところがあるように思う。

 

伊集院光氏:見事にいろんな比喩をからめてて、しかも普通に子どもが聞いてもいてもワクワクするようなシーンを絡めながら。すごい物語を書く才能。

 

若干作り過ぎている。

 

伊集院光氏:専門家からするとちょっと分かりやす過ぎるということなんですね?

 

だから、そこで好みが分かれるところ。でも、はじめは斜にかまえてても、だんだん好きになっていくところはあると自分でも思う。

 

伊集院光氏:モモっていう物語自体がモモっぽい。しゃべりたくなる。俺はこう思うっていう、こう解釈したでいいんじゃないかと盛り上がる。

 

なるほど、依存的な描写でもあるのか。満たされないからずっと吸っていなければならない。分かりやすくタバコに例えいているということなのね!

 

【モモに託された最後の作戦】

 

これはおもしろい。「時間の源」にいるホラが何とかしてくれよという感じ。役割分担からすると全く逆。ラジカルなイニシエーションとして考えることができる。

 

イニシエーション(人類学用語):若者が成人として承認される手続き、儀式。

 

個人のイニシエーションを受ける時に、世界のイニシエーションが起こっている。モモ個人の問題ではなく、世界自身が止まってしまう。世界が生まれ変わらないといけない。世界を再生させる任務を小さな女の子が担っている。そこにこの物語のおもしろさがある。

 

モモは友だちを救いたいと思っているだけで、世界を救おうなどと大それたことを思っているわけではないけれど、でも自分の世界を救うことがつながって行き、結果的に世界を救うことになるということの描写なのかな。それは、何もスーパーヒーローでなくても可能であるということなのかな🙄

 

ホラが眠りにつくと灰色の男たちが「どこにもない家」になだれ込んできた。時計が全て止まっていることに気づいた男たちは、盗める時間がなくなったことを知る。半狂乱で出て行く男たち、その後をカシオペイアを抱いたモモが追う。

 

彼らの貯蔵庫は町はずれにあった。凍った時間の花がしまってある巨大な金庫の扉は開きっ放し。ためておいた葉巻を長持ちさせるため男たちは人数を減らすことにする。

 

コインを投げては消すメンバーを決め、ついには6人になった。モモは残った6人が葉巻を取り出せないように金庫に近づく。「時間の花」で触れれば扉が閉まるとカシオペイアが教えてくれた。

 

驚いた男たちはモモをつかまえようとするうちに葉巻を落とし次々に消えて行った。ついに最後の1人となった灰色の男がモモに迫る。

 

朗読:「さあ、花をよこすんだ!」男が言うと、ちびた葉巻が口からポロリと落ちた。男は倒れてしまう。花をくれと懇願するも、モモは花を胸に押しあてて首を横にふる。ことばはどうしてもでてこない。さいごの灰色の男はゆっくりうなずきながら「いいんだーーー これでいいんだーーー なにもかもーーー おわったーーー」そしてこの男もきえてゆきました。

 

最後の灰色の男が消えると、モモは金庫の扉を開けた。閉じ込められていた「時間の花」は自由になり、もとの持ち主のもとへ戻って行く。世界は再び動き出す。

 

伊集院光氏:意外な終わり方。勝負のつき方、最後の灰色の男の言葉とか・・・ 意外でした。

 

【意外? 灰色の男たちの最期】

 

モモは灰色の男たちに打ち勝ったが、実際は戦ってはいない。どちらかというと自滅していってくれた。善が悪に勝つっていうわけじゃない。灰色の男たちを生んでいるのは結局われわれの心なんだ。こちらの心の持ち方次第で、灰色の男たちは消えて行ってしまうみたいなことがある。

 

伊集院光氏:僕がすごく思ったのは、貧富の差みたいなものと、搾取みたいなものが進んで行くと、こういうことになっていくんだろうと。要するに搾取される側の人が、これ以上やったら死んじゃいますよってとこまで搾取しちゃうわけじゃないですか、この灰色の男たちは。搾取できなくなると、ここで共食いが始まると思う。最終的にむなしさだけが残って死んでいくっていう。物語としてはめでたしめでたし感はあるんだけど、やっぱり途中の工程には誰が悪くて何が合悪かったんだかあんまりよく分からなくなる。

 

悪いヤツなんだけど灰色の男がいるから「時間の根源」に行けた。悪いヤツだけど役に立っているというか、意味があるというか・・・ 何かの症状を持つとか、何かが怖かったりするのは困るんだけど、それと向き合うことによって、心がもっと豊かになるというか、もっと何か知ることができる。毒にも意味があると考えると、そこに儚さを感じるところもあるんじゃないか。

 

自分の中では、最後の1人になった灰色の男の最期の言葉はとても腑に落ちたんだよね。腑に落ちたと言うとちょっと違うんだけどいい言葉が見つからない💦 多分それは伊集院さんのおっしゃってることとほぼ同じで、行きつくところまで行ってしまった者の末路というか・・・ 灰色の男たちも少人数で、少しずつ人間の時間を盗んでいたら、上手く共存できていたかもしれないのに、行き過ぎてしまえばこうなるしかないってことで、その「人間の時間」をエネルギーとか食糧とかに置き換えると、とっても怖い😨

 

モモは友だちみんなと再会し、カメのカシオペイアはホラの元に戻る。カシオペイアの甲羅に"オワリ" これでめでたしめでたしと言っていい?

 

 

【ハッピーエンド その後】

 

灰色の男たちが本当にいなくなったとは言い切れないという後味が残る。それが作者の短いあとがきに出ている。

 

朗読:ひとつだけ、この物語のさいごにつけくわえてお話しておきたかったのは、つぎのことです。わたしが長い旅に出ているときのことでした。ある夜、汽車でひとりのきみょうな乗客とおなじ車室にのりあわせました。

 

きみょうと言ったのはほかでもありません、およそ年齢のさっぱりわからないひとだったからです。いずれにしてもこのひとが、その夜の長い汽車旅のあいだに、この物語を話してくれたのです。

 

「わたしは、いまの話を、」とそのひとは言いました。

 

「過去におこったことのように話しましたね。でもそれを将来おこることとして話してもよかったんですよ。わたしにとっては、どちらでもそう大きなちがいはありません。」

 

そのひとはつぎの駅でたぶんおりたのでしょう。しばらくしてわたしが気づいたときには車室の中にはわたしひとりきりでした。

 

ざんねんなことにそれ以来、二度とこの話し手に出会えないままです。けれどももしそのうちひょっとして会うことがあったなら、わたしはいろいろなことを質問したいと思っています。

 

【あとがきに潜むエンデのメッセージ】

 

過去にあった話とも将来の話ともとれる?

 

「モモ」はいろんな意味で現代文明の問題あるいは現代人の心の問題を指摘しているが、それは灰色の男がいなくなったから終わったのではなくて「灰色の男」は繰り返し現れるというメッセージとして受け取れる。

 

伊集院光氏:若手の芸人というのは、常にアルバイトを探しているけど、定期的なアルバイトに就けない。急にオーデイションが入ったりするので。時間の調整がすごく難しい中で、例えば食べ物を配達する自由参加のバイト(Uber Eatsなど)が出て来るとありがたい。とにかく空いた時間を全てバイトに充てられるので。だた、これは限りがない。だから、本来ならばその時間に本を読んでおこうとか、他のお笑いのコントを見る時間が全てお金に変わっていく。これが後にどういう影響があるんだろうと思う。すごい恩恵を受けているが、それが行き過ぎた時にどうなる?

 

エンデが一番言いたかったのはこのあとがきなのだと思う。要するに人間は繰り返しこういうことを繰り返してきたし、これからも繰り返すだろうと。"現代人"と言うけど、どの時代でもその時代を生きていたのは"現代人"なわけで、その時々状況は違うだろうけれど、本質的な部分は変わらないんじゃないかなと思う。行き過ぎた結果、戦争になったり、大恐慌になったり。リーマンショックだって要するに行き過ぎだからね。

 

安部みちこアナウンサー:今の現代人はモモのように救えるのか? 今まさに時が止まっているようになっているが?

 

伊集院光氏:モモの役割をしてくれるのは何なのだろう? 本当は買いかぶりかもしれないけれど、芸能はそういう役目を・・・

 

【豊かな時間と芸能の役目】

 

豊かな時間を思い起こさせるものは、昔は儀式や宗教だったが、それが弱まって行った中では、芸能はすごく大事なんじゃないか。

 

伊集院光氏:本当はテレビとかもそうなのだが、やっぱりテレビは気がつくとお得というキーワードが多い。のんびり見ていたら時間が経ったねというテレビの役割も本当はあるのに、ある意味皮肉なことにこの番組も読むと長くなる作品に対して、100分間で教えてくださいという番組だけど、大事なのは僕は今読み始めたんです。結局、ここからきっかけでみなさん「モモ」を読み始めてもらうと、矛盾しなくなると思う。ある意味「モモ」+100分かけるという豊かさだと思うから。

 

安部みちこアナウンサー:ここ入口に読み始めると膨大な豊かな時間が生まれますからね。どの本も。

 

伊集院光氏:そんな気がする。そこちょっと、お互い頑張りましょう!

 

心理療法って夢を聞いたりとか、箱庭を作ってもらったりするが、ある種回り道というかファンタジーの世界に開けることが、心の本質に届くし、それが思わぬ解決をもたらしてくれることがあるので、やっぱりファンタジーはリアル。架空だからこそ、ある種の真実を伝えることができる。

 

伊集院光氏:いつもは100分経って4回終わって読み始めるところを、もう読み始めている。より味わいたいから家で音読している。音読すると入って来る感じがある。奥の深い本当に奥の深い作品。この番組の役目ももう一回考えようと思った。

 

芸能や芸術の分野もこれだけ多種多様なものが生まれて、さらに過去からの積み上げもあるわけで、その辺りも行き過ぎが来ている分野もあるのかなとも思う。その行き過ぎから行き詰って、そこから枝分かれして来たものもあっただろうし、これかもあるのかなと。そういう意味で今、テレビという媒体は完全に行き詰っていると思う。

 

いろいろ言いたいことはあるけど、いろいろ面倒なことになりそうなので自粛🤫 でも、ひとつだけ言いたいのは、視聴率の問題とか、事務所の力関係とかあるのだろうけれど、例えばちょっと変わったおもしろい番組が始まって、出演者もテーマにあった人たちで、視聴者もそのテーマに興味のある人がSNSなどで盛り上がっていたのに、その番組が話題になってくると、お笑い芸人と、ジャ〇ーズと、〇〇48が加わって、結局どの番組も同じになって行く気がする。

 

お笑いや、ジャ〇ーズや、〇〇48がダメと言っているわけではないし、彼らは彼らに求められたことをきちんとこなしていると思う。でも、結局全部同じ番組になって行ってしまうというか・・・ 住み分けした方がいいと思うんだよね。SNSが発達して、今テレビ以外から情報を得ている人はたくさんいるし、ほとんどテレビを見ないという人も増えていると思うけれど、やっぱりテレビの影響力ってまだまだあると思うので。

 

そういう意味ではこの「100分de名著」ってとってもおもしろい番組だと思う。「アルプスの少女ハイジ」から「般若心経」まで幅広いし、100分というのもいい感じ。結末まで解説するからネタバレはしてしまうのだけど、例えば「般若心経」なんてむしろネタバレしてくれないと無理だし😅 既に読んでいた作品も答え合わせ的な感じで楽しいし。それこそお得感だと思うのだけどね。

 

なんだかダラダラまとまらないくなってきた💦 「モモ」関係なくなっちゃってるし😅 まぁでも、「モモ」は今読んでも10年後読んでも"今"の問題として読める作品だと思う。子どもの頃に読んでいたらと思うけれど、いつ読んでも遅くはないとも思う。おもしろかった!

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【tv】100分de名著「モモ」(第3回)

2020-09-24 00:19:22 | tv

【tv】100分de名著「モモ」(第3回)

時間とは「いのち」である

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。8月はミヒャエル・エンデの「モモ」(Wikipedia)で、今回はその第2回。講師は臨床心理学者・京都大学教授の河合俊雄氏。セラピストの視点で読み解いていく。第1回の記事はコチラ、第2回の記事はコチラ

 

マイスター・ホラとは? 

時間を司る人物で、老人と若者の姿を行き来して彼自身が時間を体現しているといえる。

 

朗読:のん(朗読部分については、印象的な部分のみの抜粋もしくは要約となっております🙇)

 

「どこにもない家」にはたくさんの時計があった。珍しい光景に目を見張るモモ。そこへ優しそうなおじいさんが現れる。

 

朗読:おまえをここにつれてこさせるために、わざわざわたしのカメのカシオペイアをおくったのだよ

 

マイスター・ホラはモモのことも灰色の男たちのこともよく知っていた。なんでも見えるメガネで町の様子を見ていたから。そのメガネをモモがかけてみると灰色の男たちが見えて来た。

 

朗読:彼らは人間の時間をぬすんで生きている。ほんとうはいないはずのものだ。人間はかれらに支配させるすきまであたえている。

 

ホラは自分の役目は人間一人一人に定められた時間を配ることだと語る。そして、この家には人間に配るための「時間のみなもと」があると言う。「時間のみなもと」を見たいかね?

 

灰色の男=ほんとうはいないはずのもの

 

前回のフージーさん(虚無感に囚われて灰色の男に誘惑される)を思い出してみると、灰色の男は人間の心の隙が生み出した存在と言える。

 

伊集院光氏:人間が感覚的な軸みたいなものを失うというか、そこがブレた時に他の軸を欲しがることがある。他者からの。最新のことで言うと、先にグルメサイトを見て点数を確認してからじゃないと、おいしいと思えないという関係に似ている?

 

灰色の男はな何分何秒まで計算してそれが価値。同じようにグルメサイトが何点かということに我々はいつの間にかしばられていて、今食べている物のおいしさや充実感から遠ざかってしまう。時間の豊かさを失う話とよく似ている。

 

せっかく行くのだから失敗はしたくないし、だったら評判はどうだろうと思うのは普通のことだよね? その評価を数値化してあれば分かりやすいから、参考にするのはありなのかな? あくまで参考にしつつ、自分の基準で店の雰囲気、味、その時の会話など、全てをひっくるめた「時間」を楽しめたならそれは「豊かな時間」ということなのかも?🤔

 

「時間のみなもと」とはどんな所?一言で言うと人間の豊かさの源泉。ベッポが一掃きごとの掃除に充実感を得ていたのが「時間のみなもと」であり、人間の豊かさの源。そういう感覚を思想化して抽象化したものが仏教。

 

華厳経:仏の一毛孔のなかには一切世界がはいり (と、メモしてあるっぽいけど、間違っているかも?🤔)

 

コンサートやスポーツなどの充実した時間は「時間のみなもと」から送られている。

 

灰色の男たちは「時間のみなもと」とはつながっていない?

 

つながっていないから、灰色の男たちは時間を盗まないといけない。我々はどうなのか?灰色の男たちに近づいているんじゃないか?

 

典型的なのは「まだ」という意識で生きていて、何かがあるともう終わってしまった、過ぎてしまったと思う。今を生きていない。

 

伊集院光氏:僕もそういうところがある。分刻みの旅行のスケジュールを立ててしまう。70何分しかないってなると、これに何分使って、この新幹線に乗ってってやっていくと、本当はたまたま行ったお寺を満喫し終わりました、次に行きましょうという話だが、もはや時間が優先なので、1時間45分で満喫っていう。これは「時間のみなもと」とはつながっていない。

 

結局、伊集院さんではなくシステムやプログラムが満足している。全然時間どおりに行かない国で、ちょっとおもしろいことがあると、平気でプログラムを変えて行く人たちは、時間の本源に近いと言えるかもしれない。

 

国内はともかく海外はツアーで行くことが多いから、どうしても分刻みのスケジュールになるよね? 自由時間も限られてるからどうしても分刻みになる。観光メインだとたくさん回りたいから自然とそうなってしまう。そして、意外に達成感があって嫌いじゃないけどな。でも、バリ島のウブドでボーっと朝食食べてたら2時間経ってたみたいな旅行をしたら、とても新鮮だった。ウブドみたいなリゾート地ではリラックスして過ごした方が楽しいし、逆に都市部に行ったら分刻みのスケジュールの方が楽しい時もある。使い分けたらいい気もするけどな🤔まぁ、「モモ」で言いたいのは、そういうことではないんだよね😅

 

 

ホラはモモを抱きかかえ長居道のりを行く。モモを下したのは金色に輝く円天井の下。

 

朗読:大きな池があり、その水面を動く大きな振り子がある。

 

振り子が動くと大きな花のつぼみが伸びて来た。振り子が近づくにつれてつぼみは花開く。それはモモが見たことがないほど美しい花だった。やがて振り子がゆっくり元に戻ると花はしおれてしまう。

 

朗読:別の花が暗い水面から浮かびあがり、花を咲かせはじめる。

 

 

振り子にあわせ咲いては枯れていく時間の花。これこそが「時間のみなもと」

 

 

伊集院光氏:美しくも神秘的なシーン。

 

金色の円天井やまん丸な池など幾何学的な形が強調されている。存在の根源や全宇宙を表す曼荼羅に似ている。曼荼羅は古代インドにおいては洞窟での迷走中に発生したエネルギーが天井に当たり、幾何学的に広がった図案とされている。

 

「時間のみなもと」の描写は立体的な曼荼羅を示している。さらに振り子が振れると花が咲く。動く曼荼羅というか時間の曼荼羅と言えるのではないか。

 

伊集院光氏:日時計もそうだけど、あれを時間だけ切り出して機械仕掛けにしていくと、どこか摂理と離れるから。これは一番最初の時計というかまさに「時間のみなもと」の感じがして、それを文章にこうしてキレイに表すというのがスゴイ。

 

このシーンは本当に美しくて、自分がイメージしていたものとも近かったこともあり、思わずテレビ画面を撮影してしまった😅 後に映画のシーンが紹介されるけれど、ここはとても西洋的なイメージになっている。自分は仏教徒というわけではないけれど、やっぱり日本人の中には仏教的なイメージというのが刷り込まれているのかな? 今回、番組としてこの映像にしたのは、河合先生が作品の中の仏教的な要素について語られていることもあると思うけれど、自分の中でも花のイメージは蓮の花だったので、この画像はピッタリだった✨

 

生命の時計、生命を時計に合わせて生きてしまうが、生命が時を作る。

 

エンデの描こうとした世界観

 

モモ:あなた死なの?

ホラ:もし人間が死とはなにかを知ったら、こわいとは思わなくなるだろうね

モモ:あたしはこわくない

 

おもしろいのは「あたしはこわくない」 近代人は死を怖れる。死んであの世に行き、また帰って来るという世界観で行きていると死は怖くない。モモは灰色の男たちに代表される近代人の世界観で生きていないので、死が怖くない。

 

あなたは死なの?

 

ホラの充実した世界が、同時に無であるという指摘は仏教でいう「空」とても仏教に通じる世界観がある。

 

色即是空ということ? 「空」を説くというのは仏教の独特なところなのかなと思っているのだけど、その辺りの感覚をエンデも持っていたということなのかな? 西洋の文化でも「空」に近い感覚はあるのかな? そして、輪廻転生的な考え方もあるのかな? キリスト教の天国に行くというのは、仏教でいうところの極楽浄土へ行くということに近いのかなと思うけれど、そこからまた帰って来るという輪廻転生的な考えはあるのかしら? いずれにしても、死=新たな世界への旅立ちと考えると、怖くはない気がするし、そう説くことで布教してきた歴史があるということなのかな?🤔

 

映画『モモ』(1986年)より

 

ホラから「時間のみなもと」でたくさんのことを教わったモモ。その経験を友達につたえたくなる。

 

モモ:友だちに伝えていい?

ホラ:まだだ、まず待つことを学ぶのだ

 

朗読:星が話してくれたことを話していいかたずねると、話してもいいがモモの中でことばが熟されないと語るのは無理だから、待つことを覚えなくてはダメだと言われる。

 

ホラにうながされモモは眠りにつく。目を覚ますとそこは円形劇場の跡だった。モモの中には「時間のくに」の記憶がハッキリとあった。

 

朗読:一番記憶にあざやかに残っているのは、金の円天井の下で見聞きしたこと

 

伊集院光氏:商売柄もあるがグッと来るものがある。聞くエキスパートのモモが次の段階として話したくなっている。話すに移るにあたって言葉が熟するまで待つ。その待つっていう・・・

 

前回紹介したジジが灰色の男たちの支配を知らせるためのデモ行進を失敗した。気が熟すまで待つことが大事。上手くいくタイミングを「星の時間」として表現されている。ホラは「星の時間」が分かる時計を持っている。

 

モモが時計について聞くと

 

 

メモ取るのが面倒だったので、画像で撮っておいた😅 モモの質問に対するマイスター・ホラの答え。

 

「星の時間」を言い換えると時計では測れない質的なタイミングの事だと言える。心理学のルールとして子供にオモチャを持ち帰らせてはいけない。ルールーとしてあるが、認めてあげるべきタイミングが訪れる。ルール違反だと分かっても勝負すべき瞬間がある。最初からルールを破るのでは意味がないし、それでは失敗に終わる。ここだという時にそえを破ることも大事。

 

伊集院光氏:すごくよく分かる。ラジオの生放送に旬なゲストの方が来てくれるが、その人が軽くスキャンダルを抱えているとすると、生放送に入る前に事務所のマネージャーが、そのこと(に触れるのは)NGだと言う。でも、喋ってもいいタイミングがある。それは100回やって、100回違うけど。

 

安部みちこアナウンサー:やっぱり伊集院さんが感じ取るんでしょうね

 

伊集院光氏:たまに失敗しますけど。イヤ、でもホントにそのタイミングしかおそらくない。

 

「星の時間」は人との関係で訪れる。今聞けるとか、ここで絶対言わないといけないとか。そういう時間が一番出て来るのは恋愛関係。ピンポーン! 星の時間ですよ! とか教えてくれたらいいんだけど。

 

伊集院光氏:そういう腕時計があったら欲しい!

 

「機が熟す」という言葉があるわけだから、絶好のタイミングを待つという感覚は昔からあったということだよね。そういうことを、サラリと教えてくれる感じがとてもいい。子供たちにはこういう作品を読んで欲しいな。やっぱり本は読んだ方がいい! 想像力が養われるし、こうやって冒険小説のような形をとって、とても大切なことを教えてくれる。

 

目覚めたモモは友達が来るのを待つ。しかし、誰も訪ねて来ない。実はモモが時間の国で眠っていたのはたった一晩ではなかった。全てを知るカシオペイアがモモに伝える。「ミンナイナクナッタ」

 

朗読:モモは丸一年経ったことを知らされる。でも、ジジとベッポは待っててくれるハズだと言うが「スベテハスギサッタ」と言われてしまう。モモは初めてこの言葉の意味が骨身にしみ、心がいまだかつてないほど重くしずんだ

 

町はすっかり灰色の男たちに操られ、人々はただ時間を節約することだけに励んでいた。常連客だけが来ていた居酒屋はファストフード店になり、殺気立った雰囲気。店主のニノはかろうじてベッポとジジの消息を教えてくれたが、会話を続けてくれない。さらにカシオペイアともはぐれてしまう。モモは独りぼっちになってしまう。

 

朗読:モモほどの孤独はだれもしらないだろう。モモは宝のつまったホラ穴にとじこめられている気がした。誰も入ってくることはなく、自分が中にいることを知らせるすべもない。モモは時間の山にうずもれてしまった。

 

伊集院光氏:ちょっと浦島太郎的な展開ですね。

 

モモはもともと身寄りのない子で、円形劇場Jにやって来てからは、ベッポやジジをはじめとした町の人々に見守られてきた。町の人たちに出会った頃は、一人でも寂しさを感じたことはなかったけど、親友もでき町の人たちとも知り合ったことで、逆に失った時の寂しさを知ったわけだよね。そして初めて孤独を感じている。孤独とはどういうものかということを教えているのかなと思う。

 

モモが「時間のくに」にいる間に、ベッポは一心不乱に掃除をしており、ジジは物語の語り手として有名でお金持ちになったが、全てを語りつくしモモと話すためにとっておいた話も語ってしまい空っぽになってしまっていた。ジジはモモに話をすることで豊かな時間を過ごしていたが、空っぽゆえに空虚な作り話をする状態に。

 

伊集院光氏:ラジオパーソナリティーとして売れてスケジュールが忙しくなると、新しい話が出来る経験が亡くなっていく。そうすると、かなり際どい話をしたり、親友のプライバシーに少し触れちゃうような話を始めたりする。ゾッとする話。

 

どんな職種であっても経験や体験から知識が増えて、それが生かされていくわけだから、経験や体験する時間がなくなってしまえば、知識は枯渇してしまうよね。企業で研修をするのは知識を増やしていくことなわけだし。作家や芸術家などクリエイティブな職業や、ラジオパーソナリティーじゃなくても、普通に友達と会って話す時も、何も経験も知識もなければ会話についていけないし、自分も会話を作りだすこともできない。伊集院光氏のおっしゃることはよく分かる。

 

ベッポはモモがいなくなったことや、灰色の男たちを見たことを警察に話すが、上手く話せず精神病院に送られる。そこに灰色の男たちが現れ、モモを返してもらう代わりに時間を貯蓄することを承諾してしまう。以前、ベッポはシンプルな生き方の中で豊な時間を過ごしていた。そのベッポも正気を失ったように掃除をしてしまう。充実するのではなく、どれだけ早くするかという灰色の男の論理に完全にはまってしまう。

 

町の子どもたちも施設に入れられる。施設は人間社会が上手く機能するためにいろいろな人を収容する。近代では社会の周縁にいる人が施設に押し込められがち。現代では障碍者や高齢者が施設に囲い込まれる傾向がある。そういう意味ではエンデの描いている文明批判は、今の世の中で強まっている。

 

伊集院光氏:経済的に効率的であることが全てになってくると、規格外の人たちを受け入れない方が早いということになってくる。まさに今この状態だと。

 

経済的であることも効率的であることも良いことではあるのだけど、あまりにもそれを追求し過ぎると歪が生まれ、そこからはみ出したものを異端とし、規格外として排除してしまうことは、物質的に豊かであっても幸せとはいえないよね。幸せの形は人それぞれだけど、社会から不適合の烙印を押される、または押して排除することは、本当の豊かさとは言えない。エンデの言いたいことはこの辺りのことなのかな?🤔

 

その方がその人たちのためだと言っているが、失われているのは多様性の豊かさ。

 

伊集院光氏:今まさにこの今読み解いてもらった第3夜の状況って、本当に今現代社会の問題とリンクしてるから、最終話どうなっていくのか?

 

エンデが今作を書いたのは1973年。オイルショックがあって、日本ではずっと続いていた高度成長が明確に終わった時期なんだよね。その感じは世界的にもそうだったのかしら? エンデの生まれたドイツも敗戦国で、そこから東西ドイツが分断して、この時期にはベルリンの壁が存在していた。そして米ソの冷戦時代の真っただ中。その中で、経済的で効率的であることが求められ、人々が豊かさを失っていくことに危機感を感じていたということなのでしょうけれど、それが現在ではさらに加速している感じが興味深く、ちょっと怖い😅

 

次回は最終回! 楽しみ✨

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする