2017.04.09 『LION / ライオン ~25年目のただいま~』@TOHOシネマズみゆき座
すごく見たくて試写会応募しまくったけどハズレ 母親も見たいというので、公開から2日経って2人で見に行ってきた~
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「インドの地方の村で、貧しいけれど母と兄、そして妹と幸せに暮らしていた5歳のサルー。ある夜、夜通し稼ぎに行くという兄について行くも眠くなってしまい、駅のホームで寝込んでしまう。目が覚めたサルーは兄を探すうち回送電車に乗ってしまう。気づくと列車は動いており、いつまで経っても止まる気配がない。結局、サルーは1,600キロ離れたコルカタで一人ぼっちになってしまう。言葉も通じない街で一人さまようサルーだったが・・・」というあらすじはほぼ導入部で、あまり上手くない。映画サイトなどでは大人になったサルーがGoogle Earthで探すっていうところからあらすじ書いていて、その方が分かりやすいけど、どうしてもここから書いておきたかった。というのも、意外にも子供時代の描写に時間を割いていて、それがインドの抱える問題を浮き彫りにしていたことと、インドという国の不思議さも感じたので。いきなりの熱弁でも分かるように、これはとても良かった。そして、これは実話。
毎度のWikipeidaによりますと、サルー・ブライアリーのノンフィクション本『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』を原作とし、ルーク・デイヴィーズが脚本、ガース・デイヴィスが監督を務めた2016年のドラマ映画である。となっているけど、このニュースネットで見た覚えがある。ガース・デイヴィス監督はなんとこれが長編デビュー! 英語版Wikipeidaによりますと、オーストラリアのテレビのディレクターで、2013年にはテレビシリーズ「トップ・オブ・ザ・レイク ~消えた少女~」でエミー賞にノミネートされたこともあるらしい。生年月日などが不明なのだけど、写真を見るとまだ若そう。
2014年10月、デヴ・パテルとニコール・キッドマンが主役にキャスティングされた。2人は第89回アカデミー賞で助演男優賞と助演女優賞にノミネートされている。ニコール・キッドマンが助演女優賞なのは分かるのだけど、デヴ・パテルくんは何故助演男優賞なの? この映画の主役はサルーなのではないの? だとすると一体誰が主演なんだろ? 2015年1月、ナワーズッディーン・シッディーキー、プリヤンカー・ボーズ、タニシュタ・チャテルジー、ディープティ・ナヴァルがキャストに加わった。2015年4月、ルーニー・マーラ、デビッド・ウェナム、ディヴィアン・ラドワが加わった。とのこと。
主要撮影は2015年1月よりインドのコルカタで始まった。4月半ば、撮影はオーストラリアへと移り、メルボルンとホバートで行われた。キッドマンの場面はオーストラリアで撮影された。まぁ、ニコールの登場シーンは全部オーストラリアだからね。
ワールド・プレミアは2016年9月10日にトロント国際映画祭で行われた。北米での劇場公開は2016年11月25日。オーストラリアでは2017年1月19日に封切られた。批評家・観客双方から高く評価されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには169件のレビューがあり、批評家支持率は88%となっている。特に、パテールとキッドマンに対しての賞賛が多く寄せられていて、映画自体は「才能あるキャストの心のこもった演技と実話がもたらす迫力、それを装飾するリアルな生活風景の魅力があふれ出る良作である」と賞賛された。とのこと。
冒頭、採石場のような場所を1人で歩く少年の姿から始まる。どこからともなく蝶の大群が現れ、彼を取り囲むように羽ばたく。あまりカラフルではないので美しいわけではないのだけど、幻想的な雰囲気。この光景を喜ぶこの少年はまだ5歳のサルー(サニー・パワール)。この子が後に迷子になってしまうことは知っているので、ここでか?と思うけれど、兄グドゥ(アビシェーク・バラト)が迎えに来てホッとする。2人は貨物列車に飛び乗り、積まれた石炭を袋に詰めていく。しばらくすると見つかってしまい追いかけられてしまう。ここか?と思うけれど、間一髪逃げ切る。このチェイスはハラハラするけど、2人のインドの少年が楽しそうでかわいく、コミカルな感じになっている。
2人は市場に石炭を持っていき、ビニール袋に入った牛乳2袋と交換してもらう。彼らはこうして生きているということ。下手したら列車から落ちて死んでしまうこともあるわけで、まだ幼いサルーがこんな危険なことをして、得られたものが牛乳2袋。でも、母親は彼らを温かく迎え、それをボール3つに分けて、グドゥとサルー、そして妹に飲ませる。狭い室内は薄暗く、家具もほとんどない。後に分かるのだけど、美しい母親は採石場で石を運んで生計を立てている。こう書くと悲惨な生活のようだけれど、彼らの会話からは愛情が感じられて、幸せそうな温かい雰囲気がある。
その夜、サルーは稼ぎに行くというグドゥに同行したいと言い出す。夜通し稼ぐのだから無理だと言うのだけど、サルーは聞かない。仕方なくサルーと自転車に二人乗りして出かけて行く。稼ぎというのは、列車に乗り込み席の下に落ちている小銭などを拾い集めること。それを夜通しやっている。それで一体いくら稼げるのだろう? グドゥだってまだ10代前半、せいぜい15歳くらいの少年。そういえば、この兄弟の父親が不在の理由って語られたっけ? 特に説明はなかったように思うのだけど、インドの地方の貧しい村で、おそらく小学校くらいしか行っていない女性が1人で、3人の子供たちと生きるということは、こういうことなのだろうかと思い辛くなる
グドゥが"仕事"をしているうちにサルーは眠くなってしまう。しかたなくグドゥはサルーを駅のベンチで寝かせ、自分が戻るまでここで待つように言う。サルーが目覚めると駅には人影がなく辺りは暗くなっていた。兄の名前を呼び探すが答えはない。必死にグドゥを探すうち、停車していた列車に乗り込む。列車の中を探すけれど、兄どころか人の姿もない。そのうち、眠り込んでしまう。次に気づくと列車が動いており、必死に下して欲しいと叫びながら列車内を探すけれど、どうやらこれは回送列車らしく人の姿はない。途中、駅で止まったりするけれど、客車のドアが開くことはなく、駅にいる人々に助けを求めるものの、驚いて見ているだけで助けてもらえない。結局、2日くらい列車は走り続け、コルカタに到着する。住んでいた村から1,600キロ。迷子になるとは聞いていたけど、まさかこんなに移動してしまっていたとは知らずビックリ。
コルカタの駅でのシーンが素晴らしい。駅に着いて初めてドアが開き、飛び降りたサルー。雑踏にもまれるサルー目線でカメラが動くため、見ている側もサルーと同じように不安になる。サルーは高いところに上って兄と母を呼ぶけど、誰も関心を示さない。やっとの思いで切符売り場の窓口に来るけど、言葉が通じない。インドって宗教と言語がいろいろあるんだよね。必死で自分の村の名前を言うけど通じない。後から分かるけど、幼いサルーは自分の村の名前を正確に覚えてなかった。まだ5歳だから無理もない。大混雑の窓口、サルーはじゃまにされて、押しのけられてしまう。頑張って必死に訴えるけど、言葉が通じない しかし、大人たちが誰もサルーが1人でいることを気にしないのか?と思っていると、次のシーンで疑問が解ける。
駅の通路には家の数人の子供たちが段ボールを敷いて眠ろうとしていた。要するに身寄りのない子供たちが駅でふらふらしていることは日常茶飯事ということ。子供たちの姿に安心したのか、少し離れた所に座るサルー。すると1人の少年が自分が二重にして敷いていた段ボールを譲ってくれる。彼の隣に並んで眠るサルー。一安心と思っていると、そこに現れたのは数人の男たち。逃げる子供たちを次々と捕まえて行く。サルーに段ボールを譲ってくれた少年も捕まってしまう。危険を感じたサルーは必死で逃げる。彼らが誰で、目的は何なのか一切説明はないのだけど、おそらく子供たちはどこかに売られてしまうのだと感じる。サルーがどうやって養子になるのか分からないけれど、この男たちに捕まってはダメだということは分かる。必死に逃げる幼いサルーに逃げて!逃げて!と応援するしかできないのがもどかしい💦
なんとか逃げ切ることに成功したものの、また1人になってしまったサルー。朝になって線路沿いを歩いているところに声を掛けて来る女性。彼女はサルーの地方の言葉が話せるらしい。やっと話が通じる人に会えて見ている側もホッとする。この女性は優しく自分の家に招き入れ、食事を与えてくれる。瓶のジュースを2人で分け合って飲み、体も洗ってくれて、ベッドで寝かせてくれる。自分の知り合いに顔のきく人がいるから相談してみるとさえ言ってくれる。きっと、この人の手引きで養子になるのねと思っていると・・・ なんと、現れた男はこの女性の愛人らしく、よからぬ相談。どうやらサルーをどこかに売ろうとしている様子。サルーが2人の話をどこまで理解できたかは分からないけど、少なくとも2人がいい人ではないことは分かったようで、隙を見て逃げ出す。ホントにドキドキの連続。そして、サルーはかなり賢い。当時、5歳だったそうだけれど、5歳児ってこんなに機転が利くかしらというくらい賢い。その辺りも彼がサバイバルできた理由なのでしょう。
またも1人になってしまったサルーは、大人たちや子供たちに交じり、ゴミを拾って生き延びているらしい。ある日、大きなスプーンを拾う。それを大事そうにポケットに入れる。スプーンで食べるものなどないだろうにと切なくなるけど、このスプーンがサルーの運命を変える。ある日、家のない人々が集まる高架下から、向かいのレストランを眺めていると、窓側の席で1人のサラリーマンらしき男性がスープを飲み始める。サルーはあのスプーンでサラリーマンのスプーンの動きをまねる。するとサラリーマンがサルーに気づく。しばし、2人で遊びが続き微笑ましい。この男性は食事を終えると、サルーのもとにやって来る。そして、保護したけれど言葉が通じないと警察かな?にサルーを連れて来る。ここで見ている側は一安心。とりあえず、悪い方向にはいかないだろうと思うのだけど・・・
てっきりこれで養子に出されるのかと思ったら、サルーは施設に移される。同じように保護された子供たちと共に連れてこられた建物内には、たくさんの子供たち。まるで刑務所のよう。広い部屋には所せましと男女の区別なくベッドが並ぶけれど、とりあえず1人1台は確保できるらしい。授業風景もあるので、一応教育も受けているらしい。でも、授業中に壁に頭を打ち付けている少年が1人。後に、彼が夜ある男性に呼び出されている描写がある。職員も承知しているらしいそれは、詳しく描かれないけれど、おそらく性的虐待だろうと思われる。ここも子供たちにとって安全な場所ではないのかと暗い気持ちになる😢
そんなある日、サルーはミセス・リード(ディープティー・ナバル)に呼び出される。ミセス・リードは施設の子供たちをオーストラリアに養子縁組する活動をしているらしい。そして、それは施設側にとっては歓迎できることではないらしい。サルーに彼を養子にしたいと考えている夫婦の写真を見せ、この人たちの子供にならないかと尋ねる。サルーとしては自分は迷子になっているだけで、本当の家族がいるわけだから、養子になる気はない。それは当然なのだけど、ミセス・リードはサルーの写真を新聞に載せて探したけれど、名乗り出て来る人はいなかったと話す。インドの新聞事情が分からないのだけど、話している言語が違う以上、コルカタで読まれている新聞に記事を載せても、母親の目に留まることはないだろうし、サルーの母親はそもそも字が読めない。なので、実際これでは探したことにはならないのだけど、ミセス・リードにしてもサルーがまさか1,600キロも離れた場所から迷子になったとは思っていないのだから仕方がない。サルーは少し考えてから、この話を受けることにする。
ミセス・リードと共にオーストラリアに渡るサルー。彼を待っていたのはスー・ブライアリー(ニコール・キッドマン)とジョン・ブライアリー(デヴィッド・ウェンハム)の夫妻。この2人が何故インドの子供を養子に迎えることになったのかは、後に語られるので、この時点では2人は子供に恵まれなかったのかなと思っている。この時のニコール・キッドマンの髪型がビックリなのだけど、エンドロールに映ったご本人の髪型なので仕方がない。
サルーは最初こそ戸惑ったようだけれど、彼なりに努力して2人と打ち解けようとする。ご本人のことは存じ上げないけれど、この映画どおりなのだとしたら、サルーは本当に頭の良い子だなと思う。瞬時に自分の置かれている状況を理解し、それを素直に受け止め、最善と思われる方法を取る。それもサバイバル能力だと思う。
しばらくして養父母はもう1人インドから養子を迎える。サルーの弟となるマントッシュは、どうやら虐待を受けてきたようで、なかなか扱いが難しい。養父母はそれを承知で迎えたらしい。青年(ディヴィアン・ラドワ)になってからも、彼はトラブルを起こし、それゆえ家族を悩ませる。サルーとの絆を感じさせるシーンもあるけれど、正直サルーの家族探しとはあまり関係がないので、彼の存在ごと省いてしまってもよいのかなと思ったりもするけど、それだと繊細なご本人が傷ついてしまうのかなとか思ったり。でも、大変申し訳ないけど、このレビューでは彼に関するエピソードは割愛させて頂く🙇
さて、サルーが養子になって20年が経ち、大学進学のため家を離れることになる。講義初日、自身のルーツはコルカタであることと、養子であることをサラリと語るサルーに、後に恋人となるルーシー(ルーニー・マーラ)興味を持った様子。帰り道、道の向こう側にルーシーの姿を見つけて会釈すると、ルーシーはおどけてみせる。サルーもおどけていいムード。この後、インド人留学生たちのホームパーティに呼ばれているのだけど、一緒に行かないかと誘われる。自分はオーストラリア人だからと躊躇するけど、結局一緒に行く。これがサルーの運命を変えることになる。
飲み物を取りに行ったキッチンで、ピンク色の揚げ菓子を見つける。実はこれ幼いサルーが兄にねだるシーンが入っていたのだけど、ここで伏線が回収される。この揚げ菓子を見たサルーは兄との記憶を思い出し、その事から自分は実は迷子になったことを思い出す。忘れていたんだね。それだけ幸せだったということ。さて、そのことを皆に話すと、インド人留学生たちは列車の速度が分かれば、距離が割り出せると指摘。サルーの記憶では駅のそばに大きなタンクがあった。距離を割り出して、コルカタからその距離にある駅をGoogle Earthで探せば見つけ出せるのではないかと言うのだった。Google Earthで探したことは知っていたので、これは( ̄ー ̄)ニヤリ
ここからサルーの家族探しが始まるわけなんだけど、この捜索がメインなのかと思っていたら、意外にもルーシーとのエピソードや、前述のマントッシュがらみのエピソードなどが描かれる。彼女がいたのも事実なのでしょうし、ルーシーが心の支えとなっていることも伝わってくるのだけど、観客としては捜索過程を見たかった。とはいえ、もっとゲームっぽい感じで捜索するのかと思っていたら、意外にも地道な作業だったので、それらを見せてもつまらないと思ったのかな? 地道な作業をエンタメ的に見せることはできると思うのだけど、そうはしていない。
捜索は意外に地味なだけでなく、次第にサルーの中でウエイトを占めるようになってくる。サルーはコテージのようなところで1人暮らししているようだけれど、そこに引きこもるようになってしまう。ルーシーとの仲も上手くいかない。何か彼女を傷つけるようなことを言ってしまった気がするけど、ちょっと記憶が曖昧。養父母に会うのも避けているようで、ジョンが釣りに誘いに来ても居留守を使ってしまう。後に、サルーがスーに語る言葉にもあったように、実の家族を見つけたいという思いと共に、養父母に対して申し訳ないという気持ちもあったわけで、その2つの思いを抱えながら、手がかりすらつかめない日々は実際辛かったということなのでしょう。エンタメ的演出をしなかったのは、その辺りを描きたかったからなのかなと思う。
実家を見つける前だったか後だったか記憶が曖昧なのだけど、スーとサルーの重要な会話がある。スーはマントッシュのことだけでなく、サルーまでが引きこもり状態になってしまったことで心労が重なり、体調を崩してしまう。そんなスーを見舞った際に交わされる会話。実はスーとジョン夫婦は子供に恵まれなかったのではなかった。スーは父親に虐待されていたらしい。確か酒乱だった気がしたけど違ったかな?記憶が曖昧。虐待の内容については詳しくは語られなかったので、暴力のか性的虐待なのかは不明。いずれにしてもスーが精神的にも肉体的にも深く傷を負ったことは間違いない。この経験から自分の子供を持つよりも、恵まれない子供たちを救いたいと考えるようになったそうで、ジョンと結婚したのも同じ考えだからだというのだった。ジョンが何故そういう考え方になったのかは語られないので分からないのだけれど、結婚して自分たちの子供を持たない選択をするというのは少し驚いた。でも、そういう考え方というか、心の癒し方もあるのかなとは思う。ただ、それは決して簡単な道ではないと思う。他人の子、それもマントッシュのように虐待により心が壊れてしまった子を受け入れることは、大変な忍耐と努力と愛情が必要なはずで、それを実行している2人は本当にすごいと思う。自分がどこまで理解できているかは分からないけれど・・・
実家発見シーンは興奮した。一時は自暴自棄になって、これまで調べた地域に印をつけた地図を破いたりもしてたサルーだけど、ある日Google Earthを見ていると採石場らしき場所が見つかる。実は繰り替えし母が働く採石場の場面が出てきたりしていて伏線となっていた。そして、あの冒頭の蝶に囲まれたシーンが蘇る。自分が住んでいたのはこの辺りなのではないか? そこから辿って行くと鉄道の線路があり、駅の近くにタンクもある! そして家も見つける。直ぐにサルーはルーシーを訪ねる。ルーシーとは別れてしまい、彼女はニューヨークに留学していたようだけれど戻っていたらしい。彼女は驚いたようだけれど、実家を見つけたと興奮するサルーと共に喜んでくれる。
サルーはインドを訪れる。実家の近くの街でホテルに泊まり、そこから徒歩で向かう。記憶を頼りに狭い路地を歩く。その背中に幼いサルーが重なる。実家発見! でも、そこに居たのはヤギ。近所の人に尋ねるも、サルーはインドの言葉も忘れてしまったらしく、英語しか話せない。そこに老人が現れる。彼は英語が話せるらしい。自分は以前ここに住んでいたサルーであることを伝えると、彼は自分についてくるように言う。しばらくすると、大勢の人々に囲まれて現れたのは母と妹だった。母はサルーが帰って来ることを信じて、近くに住み続けていたのだった。よろこびの涙を流して抱き合う母とサルー。シーンとしてはここで終わり。
その後、線路を歩く姿が映され、幼いサルーと兄の姿に。そこに、クレジットが流れる。兄はあの日列車に轢かれて命を落としていたのだった。そして、タイトルの意味が明かされる。実はサルーは自分の名前も間違えて覚えていたのだった。本名はシェルゥでヒンディー語でライオンを意味するのだそう。再会シーンから泣いてたけど、兄のこととライオンの意味で泣いた~💦
インドでは毎年8万人の子供たちが行方不明になっているのだそう。8万人って?! その子たちはいったいどこにいってしまうの? どんな運命が待っているの? 考えると心が痛くなる。数年前はBRICsなどと言われていたし、世界的に見てもインドは成長著しい国の1つなのではないかと思うけれど、辛い境遇を生きる子供たちがたくさんいるという現実に打ちのめされる。
キャストはみな良かった。必要なかったのではとも思うけど、ルーニー・マーラは冷静にサルーを励まし支えとなるルーシーを好演していたと思う。出しゃばり過ぎず、印象を残した。出しゃばり過ぎないということではジョンのデヴィッド・ウェンハムも影が薄くなりがちな役どころながら、優しく家族を見守る父親を演じていて良かった。スーのニコール・キッドマンが素晴らしい。美貌を隠すような変な髪型もいとわず、普通の主婦を演じていた。とはいえ、やっぱり普通の主婦ではないので、その辺りのさじ加減が絶妙だったと思う。
デヴ・パテルは今作を熱望して自ら売り込んだのだそう。インド以外で育った俳優を想定していた監督にとって、インド系イギリス人であるデヴのことは頭にあったとのこと。ご本人に近づけるため、体重を増やし筋力トレーニングにも励んだそうだけれど、その外観アプローチもさることながら、『マリーゴールド・ホテル』などで見せるコミカルな演技とは違い、思慮深くでも熱い思いを持った青年を熱演していた。素晴らしい演技だと思う。
そして、何といっても幼いサルーを演じたサニー・パワールくんがカワイイ! 恵まれない子供たちのための学校に通っているところを見出されたらしい。撮影当時5歳だったそうだけれど、本当に演技するのが初めてなのかと思うくらい自然。自分が何をしているのか的確に理解している。素晴らしい! そしてキラキラした目が印象的。ちょっと甥っ子2号の小さい頃に似ていて、より一層感情移入してしまった😢
前半をインド、後半をオーストラリアと2つのパートに分けて描いていて、それぞれが対比となっている。インドの混沌とした映像がスゴイ。迷子になったサルーの顔にいつもカピカピになった鼻水が光っているのがリアル。まだ鼻水を拭いてくれる保護者が必要な幼子が、たった1人で生きていることが伝わって来る。オーストラリアの風景もトーンが抑えてあったのが印象的。
これが実話って本当にスゴイ! エンドロールのご本人たちを見ないと信じられないくらい。毎年8万人の子供たちが行方不明になるインドで、たった5歳でサバイバルし、オーストラリアでGoogle Earthで自らのルーツを見つけるなんて奇跡。でも、奇跡はご本人が起こしたんだよね。諦めないことって大切!
うーん。誰にオススメって難しいな・・・ ちょっと辛い時もあるけどパワーをもらえる作品なので、パワー不足の方は見てみるといいかも? デヴ・パテルくん好きな方必見です!
『LION/ライオン ~25年目のただいま~』Official site