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【play news】「4Stars 2017」4人目はシエラ・ボーゲス!

2017-04-29 23:42:48 | play news

🌹【play news】「4Stars 2017」4人目はシエラ・ボーゲス!🌹

 

 

 

今年12月に開催される「4Stars 2017」 4人のミュージカルスターによるショー。開催決定の発表時(記事はコチラ)には、ラミン・カリムルー、城田優、パティーナ・ミラーの3人しか発表がなく、4人目は未定だった。そして、本日発表になった4人目は、初のソロ・コンサートと、ミュージカル・ミーツ・シンフォニー2017で来日中のシエラ・ボーゲス!


実は4人目はシエラなんじゃないかと思ってたんだ~ 当たった🎯 さて!チケット取るぞーーーー!

 

4Stars 2017|梅田芸術劇場


シエラのtweet

 


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【music】「シエラ・ボーゲス ミュージカル・コンサート」

2017-04-29 23:36:46 | music

🌹【music】「シエラ・ボーゲス ミュージカル・コンサート」🌹

 

 

 

チケット瞬殺だったシエラ・ボーゲスのソロコンサート。縁あって行けることになり、ずーっと楽しみにしてた。よみうり大手町ホールは500席とこじんまりとしたホール。木を基調とした内装が心地よく、音響もいいように感じる。そんな素敵なホールでシエラを聴けるの幸せ過ぎる

 

シエラの生歌を聴くのは5回目。最初はWOWOW「ザ・プライムショー」の収録時(記事はコチラ)で、次が4Starsを2公演(感想はコチラコチラ)、そしてI Love Musicals(感想はコチラ)。とにかく毎回素晴らしくて、是非ソロで見てみたいと思っていた。その夢が叶った! 

 

実は今回セットリストの掲示がなかった。ミュージカルは好きだけど何でも見たいというタイプではないので、知らない曲も多い。聴いたことはあっても、曲とタイトルが一致していなかったりする。適当なことを書くわけにもいかないので、自分の知っている曲だけになってしまうけど、とりあえず感想tweetしておいたので、それに追記する形で書いていこうと思う。

 

また今回、大事な部分は通訳を交えてのトークとなったけれど、それ以外は当然ながら英語。途中、ミュージカル仕立てのようなシーンもあって、必死に聞いたけどヒヤリング能力の関係で30%程度の理解 なので、通訳のないトーク部分については、自分はこう理解したということになります

 

 

 

ピアノ、チェロ、ヴァイオリンなど少人数のバンド編成。シエラ登場。黒の肩の出たドレス。長い裾はほとんどが透けていて、美しいおみ足が😍 20分間の休憩があったので、お着換えありかと思ったけれどなしだった。

 

1曲目は「Sound of Music」。最初から完璧な歌唱。1幕ではシエラと言えばの「Part of Your World」も歌ってくれた。この曲を生で聴くのは4回目だけど、ホントに毎回かわいくて楽しい。これはシエラがオリジナル・キャストだった『リトル・マーメイド』の曲だけど、これがBraodwayデビューだったようで、地下鉄を降りて、42nd Streetを歩いて、劇場に着いたらノーム・ルイスがいた! ノームがお父さん?!って思った的なことを話してくれた。たぶん。

 

1幕ラストは『秘密の花園』の曲で、これはリンカーン・センターでRaminと共演したって言ってたと思うのだけど違ったかな? あれ?(o゚ェ゚o)

 

自分にとって1幕でというよりコンサートで一番うれしかったのは「Think of Me」! 『オペラ座の怪人』がロンドン初演から30周年を記念して、パリにて初めての上演されることになり、クリスティーヌ役として出演することになったシエラ。フランス語も勉強したのに、なんと劇場が火事で焼けてしまい、公演が中止となってしまった まるでファントムの仕業みたいでしょ?的なことを言っておどけてみせる。なので、この曲はフランス語で歌うわと歌い始めたけれど、なんと"夏の日々~"と日本語で歌い始めた! 日本語でもさすがの歌唱。シエラの日本語カワイイ 最後は英語。日本語歌唱はうれしかったけど、やっぱり英語が一番感動したかな。そしてカデンツァがすごかった! これは感動して涙

 

 

通訳を交えて語られたコンサートのテーマは"愛"。言葉が違う私たちだけれど共通の言葉である音楽があるっていうのはシエラなら納得。おばあ様の手紙の朗読というのは、1940年代に海軍に参加していたおじい様に宛てたおばあ様のラブレター。シエラは子供の頃、祖父母の家の屋根裏でお二人のラブレターを読むのが楽しみだったのだそう。シエラが朗読して、舞台後ろに翻訳が表示されたのだけど、これが本当に愛にあふれた素敵な手紙だった これは2幕だったと思う。

 

ALW卿のお城のエピソードについては、通訳なしだったのでちゃんと理解出来てるか心配なのだけど、エリザベス女王のお誕生日(だったっけ?)にサー・アンドリュー・ロイド=ウェバーの自宅に女王を招くのだけど、歌ってくれないかという依頼があったらしい。ALW卿の自宅はお城で、庭には羊が放し飼いになっていたそうで、羊を日本語で説明。後にインスタで画像を披露してたけど、HEE TSOO GEEとJOE OH SAMAと床に書いてもらったらしい。後でシエラのツイ貼っておく! 女王様がいらしてからは、ミュージカル仕立てで見せる。さすがのエンターテイナーぶりを発揮! 女王様はあっという間に帰っちゃったっていうオチだったよね? これは楽しかった

 

 

2幕の1曲目は「Stars」 シエラがインスタでプリンストン・シンフォニーと歌っている動画を見てたけど、まさか歌ってくれるとは思わなくてビックリ😲 これも良かった! 歌い終わった後、ファンティーヌよりジャベールがやりたいと言っていたような? たぶん。

 

『オペラ座の怪人』の中で一番好きな曲とのふりから「Wishing You Were Somehow Here Again」! これ生で聴くのは初めて。これはウレシイ! でもこれ途中からだったね 『オペラ座の怪人 25周年記念公演 in ロンドン』での歌唱は神がかかっていたけど、今回もすごかった! 本物だ----!と思ったわ~

 

 

2幕ラストは「Love Never Dies」!  生で聴いたことあるけど、これはホントに美しい曲。今回シエラの歌唱を聴いている時、次第に視界がボヤけて、体の感覚が抜けていき、まるで宙を浮いているような恍惚とした状態になった。こういう感覚を味わいたくてミュージカル作品やコンサートを見に行っているので、まさに至福の時。しかし、緩急高低自由自在。そして何という美しい声! 高い声が出る人はたくさんいるし、上手く歌える人もたくさんいる。でも、シエラの声はホントに澄んでいて心地いい。

 

歌はもちろん、トークでも楽しませてくれて、本当に楽しかった! 美しくてチャーミングな人柄が本当に素敵✨ 素敵なコンサートだったと思う。ホント見れて良かった!!

 

シエラのtweetをドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

 

 

 

これがHEE TSOO GEEとJOE OH SAMA

 

TOMの日本語バージョン

 

TOMのフルバージョン

 

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【Googleのロゴ】初代たま駅長 生誕18周年

2017-04-29 00:25:36 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

 

 

初代たま駅長 生誕18周年

まさかのたま駅長! そして怒涛の4日連続ロゴ更新!

 

初代たま駅長はもちろん知ってるけど、

一応毎度のWikipediaで調べてみた🐈


たま(1999年4月29日 - 2015年6月22日)は、

和歌山県紀の川市和歌山電鐵貴志川線貴志駅において駅長を務めた三毛猫

同駅名誉永久駅長。


2007年1月5日に和歌山電鐵から正式に駅長に任命されたことで話題を呼んだ。

その主な業務は「客招き」である。

任期はなく終身雇用であり、報酬年俸としてのキャットフード1年分であった。

 

とのことで、生い立ちは・・・

 

たまの母猫であるミーコは元々、

南海電気鉄道時代の貴志駅舎南側にあった倉庫内の作業員詰め所で飼われていた。

一駅隣の甘露寺前駅で生まれたという。

やがてミーコは貴志駅で4匹の子猫を出産し、そのうちの1匹が三毛であった。

兄弟達のうち1匹は死んでしまい、他の2匹は新しい飼い主に貰われていったが、

一番性格のおっとりしたおとなしい三毛の子は「たま」と名付けられて、

ミーコと一緒に小山商店で飼われるようになった。

 

なるほど( ゚д゚)ホゥ

 

駅長就任の経緯は長いので要約すると、要するにたまたちの小屋が立ち退き対象となり、

当時の駅長に相談したところ、たまを駅長とすることで駅舎で飼うことになったって感じかな?

 

仕事としては・・・

 

たま駅長たちの勤務日は月曜から土曜日で祝日も勤務しており、

基本的に昼間の勤務となる(時間は季節によって変化有り)。

また、2270系おもちゃ電車」のテープカットや利用促進のための

「貴志川線祭り」などのイベントで伊太祈曽駅等に出張したこともある。

 

とのこと。

なるほどね~ ほぅほぅ(*゚д゚))

 

2015年5月19日から鼻炎のため入院していたが、

復帰することなく同年6月22日に急性心不全のために死んだ。


同月28日に和歌山電鐵主催の神道形式による社葬が貴志駅構内で営まれ、

社長の小嶋光信が弔辞を捧げ、たまに「名誉永久駅長」の称号を追贈した。

 

とのこと

その他詳しいことはWikipediaで!

 

検索画面のロゴはこんな感じ

 

 

ちなみに初代たま駅長はこんな感じ

 


 

お誕生日おめでとうございます!

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【Googleのロゴ】マリー・アレル 生誕256周年

2017-04-28 00:16:15 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



マリー・アレル 生誕256周年

すみません どなたでしょう?

ロゴからするとカマンベールを最初に作った人なのかな?(o゚ェ゚o)


毎度のWikipediaによりますと・・・


マリー・アレル(Marie Harel)は、カマンベールチーズを発明した女性。

オルヌ県ヴィムーティエフランス語版 近郊のクルット(fr:Crouttes)で生まれた。

彼女がカマンベールチーズを発明したのは1791年頃のことであり、

フランス革命中に、ある非宣誓僧をかくまう代わりに、

その人物から助言を受け、製法を発展させた。

また俗説では、ナポレオン・ボナパルトがカマンベールを訪れた際、

彼女より振舞われたチーズの美味に感嘆し、カマンベールチーズと名づけたとも伝わる。

 

とのこと( ゚д゚)ホゥ

ただし・・・

 

一方、研究者の調査により、次の異論もある。

1702年にはヴィムーティエの市場でリヴァロとカマンベールが売られていた事や、

マリー・アレル本人がカマンベール村出身ではなく、近くのロアビル村の農婦であった事、

そしてナポレオンはナポレオン3世で、パリ=グランドル線の鉄道開通式に列席して、

その時の食事でカマンベールを所望されチュイリー宮殿に献上したのが彼女の夫ペーネルだった事により、

一家はカマンベールチーズの知名度を上げた貢献者と指摘されている。

 

なるほど~ ほぅほぅ(*゚д゚))

そして・・・

 

彼女の像はカマンベールで巨利を得たアメリカ人の資金を得て、

ヴィムーティエに1928年4月11日に初代のマリー・アレル像の除幕式が行われた。

その後、1944年ノルマンディー上陸作戦で像の一部は破壊され、

2代目のマリー・アレル像がナポレオン・ボナパルトの時代と

つじつまが合うように20歳若い姿で建立された。

 

ふーん。なんだかなぁ😣

と、気づけば全コピ(o´ェ`o)ゞ

 

このロゴ、画像をめくるとカマンベールが出来上がっていく


3頭の牛さんとともにGO!

ミルクを運んで・・・

濾してるのかな?

何かを混ぜてる?

型に入れて・・・

何かをかける? 菌?

寝かせる💤

箱に詰めて・・・

出来上がり👏

でも、これ見ても作れないね

もっと見るをクリックすると検索画面へ


検索画面のロゴはこんな感じ


Bon anniversaire ! 

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【Googleのロゴ】テオドール・キッテルセン 生誕160周年

2017-04-27 00:10:39 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



テオドール・キッテルセン 生誕160周年

すみません どなたでしょう?


毎度のWikipediaによりますと・・・


テオドール・セヴェリン・キッテルセン (Theodor Severin Kittelsen)は、

ノルウェー画家

ノルウェーで最も人気のある画家の一人である。

主に自然を描いた絵画 (風景画)と、伝説説話の絵画、

特にノルウェーの伝承に登場する妖精トロールを描いた絵画で有名。


とのことで、画家さんなのね?


父はテオドールの幼少時に、貧困の中で妻とテオドールを含む8人の子供を残して亡くなっている。

このため、テオドールはわずか11歳で時計職人弟子入りしている。


17歳の頃、ディートリヒ・マリア・オール (Diderich Maria Aall) が彼の才能を発掘し、

クリスチャニア(現在のオスロ)の

ヴィルヘルム・フォン・ハンノ (Wilhelm von Hanno) の芸術学校で学ぶことになる。

更にオールからの潤沢な支援によって、

バイエルン王国(現ドイツ)のミュンヘンに留学している。

しかし、1879年になるとオールがキッテルセンの支援を行うことができなくなってしまう。

このため金銭的に困窮したキッテルセンは、

新聞雑誌の製図工として働き稼がなければならなかった。


なかなか苦労されてるのね


1882年からパリへ留学するための奨学金が付与され、パリで芸術を学んでいる。

1908年には、ノルウェー王国の聖オラフ勲章を受章しナイトとなった。

しかし、これから間もなく体調を崩すようになり、

1910年にはラウヴリアを売却せざるを得なくなった。

1911年には、芸術家への給付金も支給されるようになるが、

1914年1月14日、ノルウェー南部のエストフォル県モス近くのイェロヤで死去した。

56歳没。


ノルウェーでは、自国の画家として高い尊敬を集め、広く知られている画家である。

しかしその一方で、国際的に認められた画家やアーティストに含まれることは少なく、

ノルウェー国外ではあまり知られていない画家でもある。


とのこと。なるほど~( ゚д゚)ホゥ


検索画面のロゴはこんな感じ

これは何?


Gratulerer med dagen!

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【Googleのロゴ】カッシーニ探査機 土星大気圏へと飛び込み!

2017-04-26 00:26:32 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



カッシーニ探査機 土星大気圏へと飛び込み!

なんのこっちゃ (o゚ェ゚o)


検索画面にニュース記事があるかなと思ったんだけど見当たらず

とりあえず、カッシーニ探査機について毎度のWikipediaから・・・


カッシーニ (Cassini-Huygens) は、

アメリカ航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)によって開発され、

1997年に打上げられた土星探査機である。

カッシーニは、金星→金星→地球木星の順にスイングバイを行なって土星軌道に到着した。

カッシーニには惑星探査機ホイヘンス・プローブ (2.7 m、320 kg) が搭載されており、

タイタンでカッシーニより切り離されてタイタンに着陸し、

大気の組成・風速・気温・気圧等を直接観測した。

カッシーニとホイヘンスよりなる土星探査はカッシーニ・ホイヘンス・ミッションと呼ばれ、

欧米18カ国の科学者約260人が参画している。

カッシーニの名は、天文学者ジョヴァンニ・カッシーニに、

ホイヘンスの名は同じく天文学者クリスティアーン・ホイヘンスに由来する。

当初はガリレオ同様に小惑星に接近する計画であったが、予算の都合により断念された。

 

とのことで・・・

 

2017年9月15日、カッシーニ本体を土星の大気圏に突入させて運用を終了する予定。

この方法によって、探査機に付着している可能性がある微生物などが、

土星の衛星を汚染するのを防ぐことができる。

過去にも多くの探査機が運用終了と同時に探査目的の惑星に突入させられている。

 

のだそう! ( ゚д゚)ホゥ


費用としては・・・

 

カッシーニの総費用は約34億米ドルと、近年の惑星探査においては最大規模の探査機となった。

カッシーニ以降、NASAはディスカバリー計画のように

低予算・軽量の探査機を打ち上げるようになっている。


高さ: 6.8 m

幅:約4 m

重さ:5.8 t

動力:原子力電池3基(放射性同位体熱電対)


とのこと。

なるほどねぇ~ ほぅほぅ(*゚д゚))



検索画面のロゴはこんな感じ


よく分からないけど、おめでとう

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【動画】村上佳菜子選手 現役引退によせて

2017-04-23 23:23:44 | 【動画】figure skate

⛸【動画】村上佳菜子選手 現役引退によせて⛸

 

 

代々木第一体育館で開催されていた世界フィギュアスケート国別対抗戦2017。ゲストスケーターとして登場した村上佳菜子選手。これが現役最後の演技となるとアナウンスされた。実は、先日にTwitterでそんな噂が出ていたので、そうなのかなと思っていたけど、やっぱり引退してしまうんだね。しっとりとしたナンバーを情感タップリに滑りきり、必死に涙をこらえて笑顔でリンクを去る姿が印象的だった。

 

村上佳菜子選手はジャンプやスケーティングにちょっとクセがあって、正直に言うと好きなタイプの選手ではなかった。ただ、いつも笑顔で溌溂と演技する姿は好感が持てて、応援している選手だった。4歳年上の浅田真央ちゃんと仲が良くて、姉のように慕っているのも微笑ましく、真央ちゃんファンの自分としては、村上選手の存在が真央ちゃんの支えになっているのだろうと嬉しく思っていた。特にソチシーズンは鈴木明子さんと共に3人娘と呼ばれ、お互い支え合っている姿が印象的で、3人でオリンピックに行って欲しいと願っていた。結果は12位だったけれど、オリンピックに出ることが出来て良かった! 

 

シニアに上がった当初はアゲ対象選手だったように思うけれど、何故か途中からサゲ対象になってしまった印象。確かに、回転不足気味に降りてきてしまうクセがあったけれど、ちょっと厳しく取らているように思った。それでもくじけず挑む姿はいじらしく、応援していたけれど、なかなか結果が出なかった。22歳での引退は早い気もするけれど、浅田真央ちゃんの引退も大きかったのかなと思ったりもする。

 

今後はプロスケーターになるのかな? どんな道に進んでも頑張って欲しい! 

 

ということで、現役最後の演技をドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

Kanako Murakami EX 2017

おつかれさまでした!

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【動画】宇野昌磨選手 世界フィギュアスケート国別対抗戦2017 EX

2017-04-23 23:08:31 | 【動画】ShomaUno

⛸【動画】宇野昌磨選手 世界フィギュアスケート国別対抗戦2017 EX⛸

 

 

代々木第一体育館で開催されていた国別対抗戦。宇野昌磨選手のEXの演技。今季前半は「La Vie en Rose」を滑っていたけど、後半は「This Town」に変更。今季最後もこの曲となっている。「La Vie en Rose」も好きだったけど、こちらも男っぽくていいね👍

 

冒頭は4Loの予定だったのかな? 3Loになってた。まぁEXなので無理せずに。ホントにスケーティングが滑らかで、曲を的確に表現していて見ていて気持ちいわ 来季のプログラムも楽しみ!

 

ということで動画をドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

Shoma Uno. WTT 2017, EX

 

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【cinema】『LION/ライオン ~25年目のただいま~』

2017-04-23 02:31:23 | cinema

2017.04.09 『LION / ライオン ~25年目のただいま~』@TOHOシネマズみゆき座


すごく見たくて試写会応募しまくったけどハズレ 母親も見たいというので、公開から2日経って2人で見に行ってきた~


 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「インドの地方の村で、貧しいけれど母と兄、そして妹と幸せに暮らしていた5歳のサルー。ある夜、夜通し稼ぎに行くという兄について行くも眠くなってしまい、駅のホームで寝込んでしまう。目が覚めたサルーは兄を探すうち回送電車に乗ってしまう。気づくと列車は動いており、いつまで経っても止まる気配がない。結局、サルーは1,600キロ離れたコルカタで一人ぼっちになってしまう。言葉も通じない街で一人さまようサルーだったが・・・」というあらすじはほぼ導入部で、あまり上手くない。映画サイトなどでは大人になったサルーがGoogle Earthで探すっていうところからあらすじ書いていて、その方が分かりやすいけど、どうしてもここから書いておきたかった。というのも、意外にも子供時代の描写に時間を割いていて、それがインドの抱える問題を浮き彫りにしていたことと、インドという国の不思議さも感じたので。いきなりの熱弁でも分かるように、これはとても良かった。そして、これは実話。

 

毎度のWikipeidaによりますと、サルー・ブライアリーのノンフィクション本『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』を原作とし、ルーク・デイヴィーズが脚本、ガース・デイヴィスが監督を務めた2016年のドラマ映画である。となっているけど、このニュースネットで見た覚えがある。ガース・デイヴィス監督はなんとこれが長編デビュー! 英語版Wikipeidaによりますと、オーストラリアのテレビのディレクターで、2013年にはテレビシリーズ「トップ・オブ・ザ・レイク ~消えた少女~」でエミー賞にノミネートされたこともあるらしい。生年月日などが不明なのだけど、写真を見るとまだ若そう。

 

2014年10月、デヴ・パテルとニコール・キッドマンが主役にキャスティングされた。2人は第89回アカデミー賞で助演男優賞と助演女優賞にノミネートされている。ニコール・キッドマンが助演女優賞なのは分かるのだけど、デヴ・パテルくんは何故助演男優賞なの? この映画の主役はサルーなのではないの? だとすると一体誰が主演なんだろ? 2015年1月、ナワーズッディーン・シッディーキー、プリヤンカー・ボーズ、タニシュタ・チャテルジー、ディープティ・ナヴァルがキャストに加わった。2015年4月、ルーニー・マーラ、デビッド・ウェナム、ディヴィアン・ラドワが加わった。とのこと。

 

主要撮影は2015年1月よりインドのコルカタで始まった。4月半ば、撮影はオーストラリアへと移り、メルボルンとホバートで行われた。キッドマンの場面はオーストラリアで撮影された。まぁ、ニコールの登場シーンは全部オーストラリアだからね。

 

ワールド・プレミアは2016年9月10日にトロント国際映画祭で行われた。北米での劇場公開は2016年11月25日。オーストラリアでは2017年1月19日に封切られた。批評家・観客双方から高く評価されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには169件のレビューがあり、批評家支持率は88%となっている。特に、パテールとキッドマンに対しての賞賛が多く寄せられていて、映画自体は「才能あるキャストの心のこもった演技と実話がもたらす迫力、それを装飾するリアルな生活風景の魅力があふれ出る良作である」と賞賛された。とのこと。

 

冒頭、採石場のような場所を1人で歩く少年の姿から始まる。どこからともなく蝶の大群が現れ、彼を取り囲むように羽ばたく。あまりカラフルではないので美しいわけではないのだけど、幻想的な雰囲気。この光景を喜ぶこの少年はまだ5歳のサルー(サニー・パワール)。この子が後に迷子になってしまうことは知っているので、ここでか?と思うけれど、兄グドゥ(アビシェーク・バラト)が迎えに来てホッとする。2人は貨物列車に飛び乗り、積まれた石炭を袋に詰めていく。しばらくすると見つかってしまい追いかけられてしまう。ここか?と思うけれど、間一髪逃げ切る。このチェイスはハラハラするけど、2人のインドの少年が楽しそうでかわいく、コミカルな感じになっている。

 

2人は市場に石炭を持っていき、ビニール袋に入った牛乳2袋と交換してもらう。彼らはこうして生きているということ。下手したら列車から落ちて死んでしまうこともあるわけで、まだ幼いサルーがこんな危険なことをして、得られたものが牛乳2袋。でも、母親は彼らを温かく迎え、それをボール3つに分けて、グドゥとサルー、そして妹に飲ませる。狭い室内は薄暗く、家具もほとんどない。後に分かるのだけど、美しい母親は採石場で石を運んで生計を立てている。こう書くと悲惨な生活のようだけれど、彼らの会話からは愛情が感じられて、幸せそうな温かい雰囲気がある。

 

その夜、サルーは稼ぎに行くというグドゥに同行したいと言い出す。夜通し稼ぐのだから無理だと言うのだけど、サルーは聞かない。仕方なくサルーと自転車に二人乗りして出かけて行く。稼ぎというのは、列車に乗り込み席の下に落ちている小銭などを拾い集めること。それを夜通しやっている。それで一体いくら稼げるのだろう? グドゥだってまだ10代前半、せいぜい15歳くらいの少年。そういえば、この兄弟の父親が不在の理由って語られたっけ? 特に説明はなかったように思うのだけど、インドの地方の貧しい村で、おそらく小学校くらいしか行っていない女性が1人で、3人の子供たちと生きるということは、こういうことなのだろうかと思い辛くなる

 

グドゥが"仕事"をしているうちにサルーは眠くなってしまう。しかたなくグドゥはサルーを駅のベンチで寝かせ、自分が戻るまでここで待つように言う。サルーが目覚めると駅には人影がなく辺りは暗くなっていた。兄の名前を呼び探すが答えはない。必死にグドゥを探すうち、停車していた列車に乗り込む。列車の中を探すけれど、兄どころか人の姿もない。そのうち、眠り込んでしまう。次に気づくと列車が動いており、必死に下して欲しいと叫びながら列車内を探すけれど、どうやらこれは回送列車らしく人の姿はない。途中、駅で止まったりするけれど、客車のドアが開くことはなく、駅にいる人々に助けを求めるものの、驚いて見ているだけで助けてもらえない。結局、2日くらい列車は走り続け、コルカタに到着する。住んでいた村から1,600キロ。迷子になるとは聞いていたけど、まさかこんなに移動してしまっていたとは知らずビックリ。

 

コルカタの駅でのシーンが素晴らしい。駅に着いて初めてドアが開き、飛び降りたサルー。雑踏にもまれるサルー目線でカメラが動くため、見ている側もサルーと同じように不安になる。サルーは高いところに上って兄と母を呼ぶけど、誰も関心を示さない。やっとの思いで切符売り場の窓口に来るけど、言葉が通じない。インドって宗教と言語がいろいろあるんだよね。必死で自分の村の名前を言うけど通じない。後から分かるけど、幼いサルーは自分の村の名前を正確に覚えてなかった。まだ5歳だから無理もない。大混雑の窓口、サルーはじゃまにされて、押しのけられてしまう。頑張って必死に訴えるけど、言葉が通じない しかし、大人たちが誰もサルーが1人でいることを気にしないのか?と思っていると、次のシーンで疑問が解ける。

 

駅の通路には家の数人の子供たちが段ボールを敷いて眠ろうとしていた。要するに身寄りのない子供たちが駅でふらふらしていることは日常茶飯事ということ。子供たちの姿に安心したのか、少し離れた所に座るサルー。すると1人の少年が自分が二重にして敷いていた段ボールを譲ってくれる。彼の隣に並んで眠るサルー。一安心と思っていると、そこに現れたのは数人の男たち。逃げる子供たちを次々と捕まえて行く。サルーに段ボールを譲ってくれた少年も捕まってしまう。危険を感じたサルーは必死で逃げる。彼らが誰で、目的は何なのか一切説明はないのだけど、おそらく子供たちはどこかに売られてしまうのだと感じる。サルーがどうやって養子になるのか分からないけれど、この男たちに捕まってはダメだということは分かる。必死に逃げる幼いサルーに逃げて!逃げて!と応援するしかできないのがもどかしい💦

 

なんとか逃げ切ることに成功したものの、また1人になってしまったサルー。朝になって線路沿いを歩いているところに声を掛けて来る女性。彼女はサルーの地方の言葉が話せるらしい。やっと話が通じる人に会えて見ている側もホッとする。この女性は優しく自分の家に招き入れ、食事を与えてくれる。瓶のジュースを2人で分け合って飲み、体も洗ってくれて、ベッドで寝かせてくれる。自分の知り合いに顔のきく人がいるから相談してみるとさえ言ってくれる。きっと、この人の手引きで養子になるのねと思っていると・・・ なんと、現れた男はこの女性の愛人らしく、よからぬ相談。どうやらサルーをどこかに売ろうとしている様子。サルーが2人の話をどこまで理解できたかは分からないけど、少なくとも2人がいい人ではないことは分かったようで、隙を見て逃げ出す。ホントにドキドキの連続。そして、サルーはかなり賢い。当時、5歳だったそうだけれど、5歳児ってこんなに機転が利くかしらというくらい賢い。その辺りも彼がサバイバルできた理由なのでしょう。

 

またも1人になってしまったサルーは、大人たちや子供たちに交じり、ゴミを拾って生き延びているらしい。ある日、大きなスプーンを拾う。それを大事そうにポケットに入れる。スプーンで食べるものなどないだろうにと切なくなるけど、このスプーンがサルーの運命を変える。ある日、家のない人々が集まる高架下から、向かいのレストランを眺めていると、窓側の席で1人のサラリーマンらしき男性がスープを飲み始める。サルーはあのスプーンでサラリーマンのスプーンの動きをまねる。するとサラリーマンがサルーに気づく。しばし、2人で遊びが続き微笑ましい。この男性は食事を終えると、サルーのもとにやって来る。そして、保護したけれど言葉が通じないと警察かな?にサルーを連れて来る。ここで見ている側は一安心。とりあえず、悪い方向にはいかないだろうと思うのだけど・・・

 

てっきりこれで養子に出されるのかと思ったら、サルーは施設に移される。同じように保護された子供たちと共に連れてこられた建物内には、たくさんの子供たち。まるで刑務所のよう。広い部屋には所せましと男女の区別なくベッドが並ぶけれど、とりあえず1人1台は確保できるらしい。授業風景もあるので、一応教育も受けているらしい。でも、授業中に壁に頭を打ち付けている少年が1人。後に、彼が夜ある男性に呼び出されている描写がある。職員も承知しているらしいそれは、詳しく描かれないけれど、おそらく性的虐待だろうと思われる。ここも子供たちにとって安全な場所ではないのかと暗い気持ちになる😢

 

そんなある日、サルーはミセス・リード(ディープティー・ナバル)に呼び出される。ミセス・リードは施設の子供たちをオーストラリアに養子縁組する活動をしているらしい。そして、それは施設側にとっては歓迎できることではないらしい。サルーに彼を養子にしたいと考えている夫婦の写真を見せ、この人たちの子供にならないかと尋ねる。サルーとしては自分は迷子になっているだけで、本当の家族がいるわけだから、養子になる気はない。それは当然なのだけど、ミセス・リードはサルーの写真を新聞に載せて探したけれど、名乗り出て来る人はいなかったと話す。インドの新聞事情が分からないのだけど、話している言語が違う以上、コルカタで読まれている新聞に記事を載せても、母親の目に留まることはないだろうし、サルーの母親はそもそも字が読めない。なので、実際これでは探したことにはならないのだけど、ミセス・リードにしてもサルーがまさか1,600キロも離れた場所から迷子になったとは思っていないのだから仕方がない。サルーは少し考えてから、この話を受けることにする。

 

ミセス・リードと共にオーストラリアに渡るサルー。彼を待っていたのはスー・ブライアリー(ニコール・キッドマン)とジョン・ブライアリー(デヴィッド・ウェンハム)の夫妻。この2人が何故インドの子供を養子に迎えることになったのかは、後に語られるので、この時点では2人は子供に恵まれなかったのかなと思っている。この時のニコール・キッドマンの髪型がビックリなのだけど、エンドロールに映ったご本人の髪型なので仕方がない。

 

サルーは最初こそ戸惑ったようだけれど、彼なりに努力して2人と打ち解けようとする。ご本人のことは存じ上げないけれど、この映画どおりなのだとしたら、サルーは本当に頭の良い子だなと思う。瞬時に自分の置かれている状況を理解し、それを素直に受け止め、最善と思われる方法を取る。それもサバイバル能力だと思う。

 

しばらくして養父母はもう1人インドから養子を迎える。サルーの弟となるマントッシュは、どうやら虐待を受けてきたようで、なかなか扱いが難しい。養父母はそれを承知で迎えたらしい。青年(ディヴィアン・ラドワ)になってからも、彼はトラブルを起こし、それゆえ家族を悩ませる。サルーとの絆を感じさせるシーンもあるけれど、正直サルーの家族探しとはあまり関係がないので、彼の存在ごと省いてしまってもよいのかなと思ったりもするけど、それだと繊細なご本人が傷ついてしまうのかなとか思ったり。でも、大変申し訳ないけど、このレビューでは彼に関するエピソードは割愛させて頂く🙇

 

さて、サルーが養子になって20年が経ち、大学進学のため家を離れることになる。講義初日、自身のルーツはコルカタであることと、養子であることをサラリと語るサルーに、後に恋人となるルーシー(ルーニー・マーラ)興味を持った様子。帰り道、道の向こう側にルーシーの姿を見つけて会釈すると、ルーシーはおどけてみせる。サルーもおどけていいムード。この後、インド人留学生たちのホームパーティに呼ばれているのだけど、一緒に行かないかと誘われる。自分はオーストラリア人だからと躊躇するけど、結局一緒に行く。これがサルーの運命を変えることになる。

 

飲み物を取りに行ったキッチンで、ピンク色の揚げ菓子を見つける。実はこれ幼いサルーが兄にねだるシーンが入っていたのだけど、ここで伏線が回収される。この揚げ菓子を見たサルーは兄との記憶を思い出し、その事から自分は実は迷子になったことを思い出す。忘れていたんだね。それだけ幸せだったということ。さて、そのことを皆に話すと、インド人留学生たちは列車の速度が分かれば、距離が割り出せると指摘。サルーの記憶では駅のそばに大きなタンクがあった。距離を割り出して、コルカタからその距離にある駅をGoogle Earthで探せば見つけ出せるのではないかと言うのだった。Google Earthで探したことは知っていたので、これは( ̄ー ̄)ニヤリ

 

ここからサルーの家族探しが始まるわけなんだけど、この捜索がメインなのかと思っていたら、意外にもルーシーとのエピソードや、前述のマントッシュがらみのエピソードなどが描かれる。彼女がいたのも事実なのでしょうし、ルーシーが心の支えとなっていることも伝わってくるのだけど、観客としては捜索過程を見たかった。とはいえ、もっとゲームっぽい感じで捜索するのかと思っていたら、意外にも地道な作業だったので、それらを見せてもつまらないと思ったのかな? 地道な作業をエンタメ的に見せることはできると思うのだけど、そうはしていない。

 

捜索は意外に地味なだけでなく、次第にサルーの中でウエイトを占めるようになってくる。サルーはコテージのようなところで1人暮らししているようだけれど、そこに引きこもるようになってしまう。ルーシーとの仲も上手くいかない。何か彼女を傷つけるようなことを言ってしまった気がするけど、ちょっと記憶が曖昧。養父母に会うのも避けているようで、ジョンが釣りに誘いに来ても居留守を使ってしまう。後に、サルーがスーに語る言葉にもあったように、実の家族を見つけたいという思いと共に、養父母に対して申し訳ないという気持ちもあったわけで、その2つの思いを抱えながら、手がかりすらつかめない日々は実際辛かったということなのでしょう。エンタメ的演出をしなかったのは、その辺りを描きたかったからなのかなと思う。

 

実家を見つける前だったか後だったか記憶が曖昧なのだけど、スーとサルーの重要な会話がある。スーはマントッシュのことだけでなく、サルーまでが引きこもり状態になってしまったことで心労が重なり、体調を崩してしまう。そんなスーを見舞った際に交わされる会話。実はスーとジョン夫婦は子供に恵まれなかったのではなかった。スーは父親に虐待されていたらしい。確か酒乱だった気がしたけど違ったかな?記憶が曖昧。虐待の内容については詳しくは語られなかったので、暴力のか性的虐待なのかは不明。いずれにしてもスーが精神的にも肉体的にも深く傷を負ったことは間違いない。この経験から自分の子供を持つよりも、恵まれない子供たちを救いたいと考えるようになったそうで、ジョンと結婚したのも同じ考えだからだというのだった。ジョンが何故そういう考え方になったのかは語られないので分からないのだけれど、結婚して自分たちの子供を持たない選択をするというのは少し驚いた。でも、そういう考え方というか、心の癒し方もあるのかなとは思う。ただ、それは決して簡単な道ではないと思う。他人の子、それもマントッシュのように虐待により心が壊れてしまった子を受け入れることは、大変な忍耐と努力と愛情が必要なはずで、それを実行している2人は本当にすごいと思う。自分がどこまで理解できているかは分からないけれど・・・

 

実家発見シーンは興奮した。一時は自暴自棄になって、これまで調べた地域に印をつけた地図を破いたりもしてたサルーだけど、ある日Google Earthを見ていると採石場らしき場所が見つかる。実は繰り替えし母が働く採石場の場面が出てきたりしていて伏線となっていた。そして、あの冒頭の蝶に囲まれたシーンが蘇る。自分が住んでいたのはこの辺りなのではないか? そこから辿って行くと鉄道の線路があり、駅の近くにタンクもある! そして家も見つける。直ぐにサルーはルーシーを訪ねる。ルーシーとは別れてしまい、彼女はニューヨークに留学していたようだけれど戻っていたらしい。彼女は驚いたようだけれど、実家を見つけたと興奮するサルーと共に喜んでくれる。

 

サルーはインドを訪れる。実家の近くの街でホテルに泊まり、そこから徒歩で向かう。記憶を頼りに狭い路地を歩く。その背中に幼いサルーが重なる。実家発見! でも、そこに居たのはヤギ。近所の人に尋ねるも、サルーはインドの言葉も忘れてしまったらしく、英語しか話せない。そこに老人が現れる。彼は英語が話せるらしい。自分は以前ここに住んでいたサルーであることを伝えると、彼は自分についてくるように言う。しばらくすると、大勢の人々に囲まれて現れたのは母と妹だった。母はサルーが帰って来ることを信じて、近くに住み続けていたのだった。よろこびの涙を流して抱き合う母とサルー。シーンとしてはここで終わり。

 

その後、線路を歩く姿が映され、幼いサルーと兄の姿に。そこに、クレジットが流れる。兄はあの日列車に轢かれて命を落としていたのだった。そして、タイトルの意味が明かされる。実はサルーは自分の名前も間違えて覚えていたのだった。本名はシェルゥでヒンディー語でライオンを意味するのだそう。再会シーンから泣いてたけど、兄のこととライオンの意味で泣いた~💦

 

インドでは毎年8万人の子供たちが行方不明になっているのだそう。8万人って?! その子たちはいったいどこにいってしまうの? どんな運命が待っているの? 考えると心が痛くなる。数年前はBRICsなどと言われていたし、世界的に見てもインドは成長著しい国の1つなのではないかと思うけれど、辛い境遇を生きる子供たちがたくさんいるという現実に打ちのめされる。

 

キャストはみな良かった。必要なかったのではとも思うけど、ルーニー・マーラは冷静にサルーを励まし支えとなるルーシーを好演していたと思う。出しゃばり過ぎず、印象を残した。出しゃばり過ぎないということではジョンのデヴィッド・ウェンハムも影が薄くなりがちな役どころながら、優しく家族を見守る父親を演じていて良かった。スーのニコール・キッドマンが素晴らしい。美貌を隠すような変な髪型もいとわず、普通の主婦を演じていた。とはいえ、やっぱり普通の主婦ではないので、その辺りのさじ加減が絶妙だったと思う。

 

デヴ・パテルは今作を熱望して自ら売り込んだのだそう。インド以外で育った俳優を想定していた監督にとって、インド系イギリス人であるデヴのことは頭にあったとのこと。ご本人に近づけるため、体重を増やし筋力トレーニングにも励んだそうだけれど、その外観アプローチもさることながら、『マリーゴールド・ホテル』などで見せるコミカルな演技とは違い、思慮深くでも熱い思いを持った青年を熱演していた。素晴らしい演技だと思う。

 

そして、何といっても幼いサルーを演じたサニー・パワールくんがカワイイ! 恵まれない子供たちのための学校に通っているところを見出されたらしい。撮影当時5歳だったそうだけれど、本当に演技するのが初めてなのかと思うくらい自然。自分が何をしているのか的確に理解している。素晴らしい! そしてキラキラした目が印象的。ちょっと甥っ子2号の小さい頃に似ていて、より一層感情移入してしまった😢

 

前半をインド、後半をオーストラリアと2つのパートに分けて描いていて、それぞれが対比となっている。インドの混沌とした映像がスゴイ。迷子になったサルーの顔にいつもカピカピになった鼻水が光っているのがリアル。まだ鼻水を拭いてくれる保護者が必要な幼子が、たった1人で生きていることが伝わって来る。オーストラリアの風景もトーンが抑えてあったのが印象的。

 

これが実話って本当にスゴイ! エンドロールのご本人たちを見ないと信じられないくらい。毎年8万人の子供たちが行方不明になるインドで、たった5歳でサバイバルし、オーストラリアでGoogle Earthで自らのルーツを見つけるなんて奇跡。でも、奇跡はご本人が起こしたんだよね。諦めないことって大切!

 

うーん。誰にオススメって難しいな・・・ ちょっと辛い時もあるけどパワーをもらえる作品なので、パワー不足の方は見てみるといいかも? デヴ・パテルくん好きな方必見です!

 

『LION/ライオン ~25年目のただいま~』Official site

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【Googleのロゴ】アースデー 2017

2017-04-22 01:57:39 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに


アースデー 2017


毎年書いてる気がするけど、一応毎度のWikipediaで調べてみた


アースデイ(別名:地球の日Earth Day)は、

地球環境について考える日として提案された記念日である。

4月22日のアースデイが広く知られているほか、それ以外の日のアースデイも存在する。


とのことで、国際連合のアースデーは・・・


最初にアースデイの概念が提起されたのは1969年

国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)における環境関連の会議である。

スプートニク・ショックをきっかけに米ソの宇宙協力を呼びかける平和運動などを行っていた

ジョン・マコーネルが提案したこの概念を最初に採用したのはサンフランシスコ市で、

同市の市長であったジョセフ・アリオトは翌年の3月21日

(北半球における春分の日)に世界初のアースデイを宣言した。

当時の国連事務総長であったウ・タントもこの提案を支持し、

現在に至るまで3月21日は国連によるアースデイとして続いてる。


とのことで、4月22日のアースデーは・・・


ウィスコンシン州選出のアメリカ合衆国上院議員であったゲイロード・ネルソンは、

1970年4月22日に環境問題についての討論集会を開催することを呼びかけた

この呼びかけに呼応した人間の数は2000万人以上であったとも言われている。

その後、4月22日のアースデイ集会という運動形態は、全世界へ広まっていった。


とのことで、日本においては・・・


日本においては、1990年から2000年までを一つの区切りとして、

毎年4月を中心にアースデイに関連する催しや取り組みが続けられたが、

2001年以降もTOKYO FMJFNの共同主催で行われている、

EARTH×HEART LIVE」など様々な解釈や形態のもと継続的に行われている。


とのこと。


このロゴ、どうやら「アースデーに心がけること」を描いているらしい?


スタート!

狐?が地球の夢を見てる?

海底ではサンゴが死んでいる💦

温暖化で南極の氷が溶けている💦

これじゃいけない!!

植物を植えよう!

畑を作っていたら黒猫がやって来た!

これは? 魚や肉ではなく野菜を食べようってこと?

電車や車ではなく自転車に乗ろうってことかな?

風力発電や太陽光発電をみんなで考えようってことかな?

電気をこまめに消す、待機電力を使わない、設定温度を下げるってことかな?

地球のことを考えながら眠ろう!

もっと見るをクリックすると・・・

この画像をクリックすると「アースデーに心がけること」が表示される



検索画面のロゴはこんな感じ


地球を大切に

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