

2013年に見た映画はDVD、テレビ放送での鑑賞を含めて99本。去年は98本だったから、やっぱり自分のペースはこんな感じなんだね(笑) 例年通り2013年日本公開作品限定。今年も、洋画邦画と分けて選出するほど見れていないので、一括して選出。これまた今年も洋画ばかりになってしまった。1作品試写会で鑑賞したため、見たのは去年だけど、公開は今年なので含めた作品あり。しかし、今年はあまりコレって作品がなくて、ちょっと無理やり選んだ感も・・・


とにかく映像がスゴイ! まるで自分が宇宙空間にいるかのようなリアルさ! コチラまで息苦しくなる。宇宙が舞台だけど実は人間ドラマというのも良かった。なんといっても91分という長さがいい! これ以上長いと間延びするし、見ている側の緊張も続かない。おもしろかった! これはIMAXで見たかったなぁ・・・
2位:『パシフィック・リム』

これはおもしろかった! 日本アニメオタクのギレルモ・デル・トロ監督が「日本に捧げた」と語ったとおり。日本のロボットアニメを実写で撮ちゃった感じ。ガンダム大好きなのでコレは楽しかった。パイロットの操縦方法がツボ! これもIMAXで見たかった!
3位:『クロニクル』

なんだかSFっぽい作品が続いてしまった・・・ SF苦手じゃないけど、好んで見るジャンルじゃないのに不思議(笑) ファウンド・フッテージ形式を採用することにより、超能力を手にしてしまった高校生たちという有り得ない設定にリアリティを持たせている。カメラの切り替えが絶妙で、映画としておもしろかったので上位にランクイン!
4位:『アンナ・カレーニナ』

ちょっと文芸作品も入れてみようということで・・・(笑) でも、これは好きだった。原作はロシアの文豪トルストイの超有名小説。グレタ・ガルボやヴィヴィアン・リーなど、往年の大女優主演で映画化されてきたけれど、これまでのいわゆる悲恋モノではなく、アンナを美化していないのが好きだった。舞台っぽい演出が良かったのと、ジュード・ロウの演技が素晴らしかったので上位にランクイン。
5位:『LOOPER』

この作品が去年試写会で見たけど、2013年公開なので今年のベストに含めた作品。よく考えるとツッコミどころ満載なんだけど、あまりに未来的過ぎない近未来の感じが好きだった。トウモロコシ畑にダイナーという逆にレトロな画の中に、未来から送り込まれるターゲットとか。そしてJGL出てるし! JGL好き

6位:『ルノワール陽だまりの裸婦』

芸術枠としてランクインした部分もあるけど、やっぱり"芸術"が生まれる背景を美しく描いていたと思うし、何よりリー・ピンビン撮影の画がどこを切り取っても美しい! モデル役のクリスタ・テレとリー・ピンビンの映像がルノワールの絵そのもので感動的!
7位:『スタートレック・イントゥ・ダークネス』

これは映画としても面白かったけど、完全にベネディクト・カンバーバッチ枠! 何だその枠?(笑) イヤ、感想記事にも書いたけど、いくらリブート作品とはいえ、これは『スタートレック』シリーズを見ていた方が絶対楽しめたと思うので・・・ 自身の勝手な都合なので仕方がないけど、やっぱり残念だった

8位:『母の身終い』

これは重かった・・・ 母親の決断についての是非はあると思うし、自分が母の立場だったら実行できるか分からない。現実問題として完全に肯定できるわけではないけれど、映画としては良かったと思う。その瞬間よりもむしろ、淡々とした母の日常の方が切なく感じるのは、やっぱり自分はまだ息子目線だからかも・・・
9位:『東ベルリンから来た女』

この作品のみ劇場ではなくWOWOWで鑑賞。これはとっても大人な作品。とにかくバルバラがカッコイイ! バルバラには秘密があるため、誰にも心を開かない。それがとってもミステリアス。いつも硬い表情なのに、それでもにじみ出る女性らしさ。彼女に惹かれて優しく見守るライナー医師が、熊っぽくてイケメンじゃないのもイイ(笑)
10位:『ウォーム・ボディーズ』

『キャビン』と『ロンドンゾンビ紀行』と悩んだ・・・ 『キャビン』もホントに面白かったし、『ロンドンゾンビ紀行』は完全なバカ映画で大好きなんだけど・・・ この映画もバカ映画でおもしろかったし、なによりRがカワイイ

うーん・・・ まぁ、一応10作品選んでみたけど、今年はコレという作品がなかったので、正直順位はあまり関係ないかも。ランクインしていない作品と、ランクインした作品の評価にもそんなに違いはない。ほぼ、今の気分と全体のバランスで選んだ感じ。
とまぁ、なんだかしまりのない感じになってしまっているけど、今年も自分のペースで映画が見れて楽しかった! 来年はもう少し見たいと思うけど、どうかな?(o´ェ`o)ゞ
最近はなかなか自分からTBしに行けてないけれど、それでもTB&コメントいただけてありがたいです! ありがとうございました!♪感謝☆(人゚∀゚*)☆感謝♪ 来年もよろしくお願いします

みなさま良いお年を~





'13.11.01 『ルノワール 陽だまりの裸婦』@TOHOシネマズシャンテ
なんだか急に映画が見たくなり、毎月1日は映画の日で誰でも1,000円じゃないか!と、気づいたわけです。といっても、どうしても見たい映画があったわけではないので、時間が合う作品の中から気になっていた今作をチョイス。
ネタバレありです!
「最愛の妻を亡くし、2人の息子は戦地へ、自身はリウマチを患いほぼ隠居生活を送るルノワール。ある日、彼のもとに亡き妻からモデルになるよう依頼されたとデデという若い女性が訪ねてくる。不審に思いながらも、彼女に強い印象を持ったルノワールはモデルとして雇うことにするが・・・」という話で、物語的要素を加えてはいると思うけど実話。俳優達にあまり見覚えがなかったせいか、まるでドキュメンタリーを見ているかのような感覚。でも、やっぱりこの美しい映像は映画だからこそ!
邦題のサブタイトルが「陽だまりの裸婦」となっているのでデデが主役なのだと思っていたけど、やっぱりこれはルノワールの映画。ただし、彼の生い立ちや人生、画家としての活躍などを描いているのではなく、彼の最晩年にモデルとなったデデと出会い「浴女たち」という作品が生まれ、そして彼がその一生を終えるまでを描いている。ルノワールのことについて詳しくは公式サイトや
Wikipediaを参照していただくとして、この映画の中では5~6人の女性たちに世話されて暮している。リウマチであったことと、筆が握れなくなった手に絵筆をくくりつけて絵を描いていたという話は聞いたことがあったけど、既に歩行も困難で、日常生活のほとんどを女性達の介護がなくては過ごせない状態となっている。ルノワールはリウマチを病んでから、静養のためカーニュ=シュル=メールにレ・コレットという農場を買い移り住んだそうで、これが日本人の感覚からしたらちょっとしたお城。冒頭、デデが自転車で訪ねてくるシーンから始まるのだけど、彼女が門を入ってから家にたどり着くまでかなり自転車で走った。全体像がつかめていないのだけど、山林の中に家があるというようなイメージ。でも、寝室のベランダはシュール・メールというだけに海に面している。この屋敷内に使用人たちがどのくらい暮しているのか不明だけど、戦時中ということもあって男性の数は少ない。でも、女性達は力仕事であっても、それがルノワールに関わることであれば、むしろ自分達でやりたいというような印象。例えば、ルノワールのアトリエは敷地内の少し小高くなった場所にあるけど、歩けない彼をイスに座らせ、女性達がイスの脚を持ち坂道を運んでいく。この光景は印象的だった。
デデはルノワールの妻からモデルになることを頼まれたと言うけれど、妻は既に亡くなっている。結局、真相は明らかにされない。単純にデデがウソをついていたのかもしれないけれど、ルノワールの身の回りのことをすべて取り仕切っていたという妻が、亡くなった後も心配で起こした奇跡と取れないこともない。後にルノワールが妻の幻影と対話するシーンも出てくるけれど、その辺りも彼の夢とも取れる感じになっているし、スピリチュアルなものを描いた作品ということでもない。デデは野心家な女性なので、むしろ前者の可能性が高いかもしれない。前述したとおりデデは実在の人物。彼女の存在がルノワールにインスピレーションを与えたと言われいるのだそう。映画の中ではルノワールが最高のおっぱいだと語っているけど、イヤらしい感じはしないのは芸術家だからなのでしょう。現代の感覚からすると、少し太っている気もするデデだけど、ルノワールの作品の肉感的過ぎる女性たちを見れば納得という感じ(笑) しかし、このデデ役のクリスタ・テレがルノワールが描く女性そのもの! かわいらしい色気がある。
ただ、ルノワールが描く女性は少女のように可憐な印象だけど、デデは野心的で気の強い女性。まぁ、この時代に女優を目指していたのだから、気が強くて当然という気はする。当時は育ちのよい娘さんのする職業ではなかったと思うので・・・ それに野心家なのは悪いことではない。野心のために不正なことをしたり、人を傷つけたりする人には共感できないけれど、進んで踏み台になってくれる人がいて、その人に敬意を払っているのであれば、そういう関係もあっていいと思うし。デデにはルノワールに対する敬意が欠けているような気もするけれど、嫌な女という気もしない。自己主張は激しいけれど間違っているとも思わないし・・・ 前述の女性たちを使用人扱いして非難され、癇癪を起こしてルノワールが絵付けしたお皿を割ってしまうのはどうかと思うけれど(笑) このシーンの女性たちの嫉妬渦巻く火事は見モノ!
ただ、デデには不思議な魅力があることは事実で、屋敷で最初に出会ったルノワール三男クロードも彼女に恋している様子。ルノワール自身にそういう気持ちがあったのかは不明だけど、脚のケガにより戦地から戻ってきた次男ジャンと彼女が恋に落ちると、少し嫉妬していたように感じた。男性はいくつになっても男性ということか? そう考えると、前述の女性たちのデデに対する怒りにも、嫉妬が混じっているということ。彼女たちもモデルになったことがあったようだけれど、もう若くはなくなった今では、モデルになることは出来ない。若く美しいデデに対する嫉妬。芸術家として、男性としてのルノワールを惹きつけていることに対する嫉妬。人間は複雑。その辺りを適度に生々しく、適度に美しく描いているのが良かった。その後、何事もなかったように一緒にいるのも逞しい(笑)
ルノワールには亡くなった妻マリーヌとの間にピエール、ジャン、クロードという3人の息子がいる。次男のジャンは後に有名な映画監督になるけど、この時はまだ21歳の若者。出征していたけれど、前述したとおり脚を負傷したことにより1915年にレ・コレットに戻ってくる。自分の息子が帰還したかのように喜ぶ女性たち。まだ若いジャンが、若く美しいデデと恋に落ちるのは当然の流れ。この辺りにも女性たちの嫉妬とか、愛する息子を取られる母のような気持ちもあるのかもしれない。若い2人の間にはジャンが煮え切らなかったり、また戦地に戻ると言い出したりでいろいろあるけれど、後に結婚することになる。ただし、今作ではそこまで描かれない。
リウマチを患ったルノワールが手に絵筆をくくりつけて描いていたというのは有名な話だけど、どうやら伝説の域を出ないらしい。でも、今作ではルノワールはそのようにして絵を描いている。確かにその方が画家の執念のようなものを見る側に与えることができると思うので、例え本当のことではなかったとしても、この演出はいいと思う。個人的にルノワールのこの伝説は、目を患ったクロード・モネが描き続けた「睡蓮」の、原色を塗りたくったような壮絶さと同様に、心打たれるものがある。そこまでして描きたいのだという部分にも感動するれど、やはり画家にとって描くことということは、人生そのものなのだろうと思ったら本当に胸が熱くなった。もちろん辛いことも、苦しいこともたくさんあっただろうけれど、自分全てであるという存在にめぐり合えたということは幸せなのかもしれない。でも、同時に不幸でもあるのかも・・・ 事実、彼の息子たちは、自分たちや母親よりも絵を優先してきたことに不満を持っている様子。
映画の中では既に妻は他界しているし、長男のピエールは1シーンしか登場しないので、家族の不満と言っても主にジャンとクロードの不満と言うことになる。でも、思春期真っ只中のクロードは仕方がないとしても、同じ芸術を愛する者として、ジャンには父への思いを画家ルノワールへの尊敬という形に変えることが出来ているように思う。ただ、映画ではルノワールの最晩年しか描かれていないので、実際のルノワールが家族を大切にしていなかったのかは不明だし、今作でも気難しく頑固で独断的な面はあるものの、ダメな父親ではないし、愛情表現が下手だけれど息子たちを愛していることがきちんと伝わるように描かれている。体を動かすこともままならないルノワールが、再び戦地へ赴くジャンを抱きしめるため立ち上がるシーンは感動
息子たちとの関係と、自身が生涯最高傑作と語る「浴女たち」製作の過程を交えて描く。デデはこの作品に大きな影響を与えたのだそう。それは、彼女の若々しい肉体と、完璧なおっぱいゆえなのかな(笑) 映画の中ではいつものように女たちが椅子を抱え、デデと共に河原に出かけるシーンがある。ドレスの裾をまくり水遊びする女たち。河原でのピクニック。風に舞う布・・・ 美しいシーンだった。実際に行われたことなのか、映画の中だけのことなのかは不明。「浴女たち」のアングルを見てもよく分からない。でも、このシーンは好き。
映画はルノワールが亡くなって終る。ジャンはアメリカに渡り世界的な映画監督になったこと、デデは女優を志しジャンと共にアメリカに渡り、2人は結婚したものの後に離婚。デデは女優として成功することは叶わず、いつしか皆の記憶からも薄れて行ったとクレジットされる。デデは手放しで感じのいい女性とは言い切れないかもしれないけれど、あんまり冷たい言い方だなと思っていた。でも、後から考えたら2人の偉大な芸術家の作品を生み出す力を与えた女性なのだという趣旨の、この映画を作ったこと自体がデデへの賞賛なのだなと気づき、少しうれしくなった。
フランス映画は好きなんだけど、あんまり見ている方じゃない。だから、役者さんもあまり知らない。ルノワール役のミシェル・ブーケは名前は知っていたけど、出演作を見たのは始めてかも? ほぼ体の自由がきかないというだけでも大変な役のに、それでも彼が偉大な画家であるということを感じさせる演技が素晴らしい。そして、1人の父親としては不器用で、臆病でもあるという部分も良かったと思う。ジャンのために立ち上がるシーンは感動的。アンドレ(デデ)のクリスタ・テレも良かった。デデは悪い娘ではないけれど、生活のために裸婦モデルになったり、いかがわしいお店に出入りしなくてはならない。そういうはすっぱな感じと、それでも2人の芸術家のミューズたる気高さは感じられた。決して自分を曲げないというのは、ある意味厄介ではあるけれど、きちんと筋が通っていれば潔さでもある。そういう部分に説得力があった。そして、何よりルノワールの描いた少女そのもの! ふくよかな裸体を美しいと思うかは別として、ルノワール好きとしては絵の少女が現れた!と、うれしくなった。きっと監督も同じ思いだったに違いない( ̄ー ̄)ニヤリ
そして! この映画を見たいと思った理由でもあるリー・ピンビンの映像が素晴らしい! 例えいかがわしいお店であっても、どのシーンを切り取っても美しい! 特に邦題にもある"陽だまり"の映像! ほとんどがルノワールのアトリエや、屋敷の中、そしてレ・コレットの敷地内(実際のロケ地かは不明)が舞台となっているけど、特にアトリエや庭での光が印象的。ホントにルノワールの絵画を見ているかのようなやわらかな光。黄色い光というか・・・ まさに陽だまり! この映像は素晴らしい!
ということでホントは劇場の大きな画面でこの映像を見て欲しかったけれど、書くのすっかり遅くなっちゃったから、もうやってない・・・
でもDVDでも十分伝わるハズ!
そうそう! 「浴女たち」はコチラになります!ドゥゾ♪(っ'ω')っ))

うーん・・・ 個人的には初期から中期の作品の方が好きだな・・・ 特に少女の清らかなかわいらしさの中に、それでもにじみ出てしまう色気を感じさせるのはルノワールならでわだと思うので・・・
芸術が生まれる瞬間に興味がある方オススメ、ルノワール好きな方是非! リー・ピンビン好きな方必見!!
『ルノワール 陽だまりの裸婦』Official site
なんだか急に映画が見たくなり、毎月1日は映画の日で誰でも1,000円じゃないか!と、気づいたわけです。といっても、どうしても見たい映画があったわけではないので、時間が合う作品の中から気になっていた今作をチョイス。


邦題のサブタイトルが「陽だまりの裸婦」となっているのでデデが主役なのだと思っていたけど、やっぱりこれはルノワールの映画。ただし、彼の生い立ちや人生、画家としての活躍などを描いているのではなく、彼の最晩年にモデルとなったデデと出会い「浴女たち」という作品が生まれ、そして彼がその一生を終えるまでを描いている。ルノワールのことについて詳しくは公式サイトや

デデはルノワールの妻からモデルになることを頼まれたと言うけれど、妻は既に亡くなっている。結局、真相は明らかにされない。単純にデデがウソをついていたのかもしれないけれど、ルノワールの身の回りのことをすべて取り仕切っていたという妻が、亡くなった後も心配で起こした奇跡と取れないこともない。後にルノワールが妻の幻影と対話するシーンも出てくるけれど、その辺りも彼の夢とも取れる感じになっているし、スピリチュアルなものを描いた作品ということでもない。デデは野心家な女性なので、むしろ前者の可能性が高いかもしれない。前述したとおりデデは実在の人物。彼女の存在がルノワールにインスピレーションを与えたと言われいるのだそう。映画の中ではルノワールが最高のおっぱいだと語っているけど、イヤらしい感じはしないのは芸術家だからなのでしょう。現代の感覚からすると、少し太っている気もするデデだけど、ルノワールの作品の肉感的過ぎる女性たちを見れば納得という感じ(笑) しかし、このデデ役のクリスタ・テレがルノワールが描く女性そのもの! かわいらしい色気がある。
ただ、ルノワールが描く女性は少女のように可憐な印象だけど、デデは野心的で気の強い女性。まぁ、この時代に女優を目指していたのだから、気が強くて当然という気はする。当時は育ちのよい娘さんのする職業ではなかったと思うので・・・ それに野心家なのは悪いことではない。野心のために不正なことをしたり、人を傷つけたりする人には共感できないけれど、進んで踏み台になってくれる人がいて、その人に敬意を払っているのであれば、そういう関係もあっていいと思うし。デデにはルノワールに対する敬意が欠けているような気もするけれど、嫌な女という気もしない。自己主張は激しいけれど間違っているとも思わないし・・・ 前述の女性たちを使用人扱いして非難され、癇癪を起こしてルノワールが絵付けしたお皿を割ってしまうのはどうかと思うけれど(笑) このシーンの女性たちの嫉妬渦巻く火事は見モノ!
ただ、デデには不思議な魅力があることは事実で、屋敷で最初に出会ったルノワール三男クロードも彼女に恋している様子。ルノワール自身にそういう気持ちがあったのかは不明だけど、脚のケガにより戦地から戻ってきた次男ジャンと彼女が恋に落ちると、少し嫉妬していたように感じた。男性はいくつになっても男性ということか? そう考えると、前述の女性たちのデデに対する怒りにも、嫉妬が混じっているということ。彼女たちもモデルになったことがあったようだけれど、もう若くはなくなった今では、モデルになることは出来ない。若く美しいデデに対する嫉妬。芸術家として、男性としてのルノワールを惹きつけていることに対する嫉妬。人間は複雑。その辺りを適度に生々しく、適度に美しく描いているのが良かった。その後、何事もなかったように一緒にいるのも逞しい(笑)
ルノワールには亡くなった妻マリーヌとの間にピエール、ジャン、クロードという3人の息子がいる。次男のジャンは後に有名な映画監督になるけど、この時はまだ21歳の若者。出征していたけれど、前述したとおり脚を負傷したことにより1915年にレ・コレットに戻ってくる。自分の息子が帰還したかのように喜ぶ女性たち。まだ若いジャンが、若く美しいデデと恋に落ちるのは当然の流れ。この辺りにも女性たちの嫉妬とか、愛する息子を取られる母のような気持ちもあるのかもしれない。若い2人の間にはジャンが煮え切らなかったり、また戦地に戻ると言い出したりでいろいろあるけれど、後に結婚することになる。ただし、今作ではそこまで描かれない。
リウマチを患ったルノワールが手に絵筆をくくりつけて描いていたというのは有名な話だけど、どうやら伝説の域を出ないらしい。でも、今作ではルノワールはそのようにして絵を描いている。確かにその方が画家の執念のようなものを見る側に与えることができると思うので、例え本当のことではなかったとしても、この演出はいいと思う。個人的にルノワールのこの伝説は、目を患ったクロード・モネが描き続けた「睡蓮」の、原色を塗りたくったような壮絶さと同様に、心打たれるものがある。そこまでして描きたいのだという部分にも感動するれど、やはり画家にとって描くことということは、人生そのものなのだろうと思ったら本当に胸が熱くなった。もちろん辛いことも、苦しいこともたくさんあっただろうけれど、自分全てであるという存在にめぐり合えたということは幸せなのかもしれない。でも、同時に不幸でもあるのかも・・・ 事実、彼の息子たちは、自分たちや母親よりも絵を優先してきたことに不満を持っている様子。
映画の中では既に妻は他界しているし、長男のピエールは1シーンしか登場しないので、家族の不満と言っても主にジャンとクロードの不満と言うことになる。でも、思春期真っ只中のクロードは仕方がないとしても、同じ芸術を愛する者として、ジャンには父への思いを画家ルノワールへの尊敬という形に変えることが出来ているように思う。ただ、映画ではルノワールの最晩年しか描かれていないので、実際のルノワールが家族を大切にしていなかったのかは不明だし、今作でも気難しく頑固で独断的な面はあるものの、ダメな父親ではないし、愛情表現が下手だけれど息子たちを愛していることがきちんと伝わるように描かれている。体を動かすこともままならないルノワールが、再び戦地へ赴くジャンを抱きしめるため立ち上がるシーンは感動

息子たちとの関係と、自身が生涯最高傑作と語る「浴女たち」製作の過程を交えて描く。デデはこの作品に大きな影響を与えたのだそう。それは、彼女の若々しい肉体と、完璧なおっぱいゆえなのかな(笑) 映画の中ではいつものように女たちが椅子を抱え、デデと共に河原に出かけるシーンがある。ドレスの裾をまくり水遊びする女たち。河原でのピクニック。風に舞う布・・・ 美しいシーンだった。実際に行われたことなのか、映画の中だけのことなのかは不明。「浴女たち」のアングルを見てもよく分からない。でも、このシーンは好き。
映画はルノワールが亡くなって終る。ジャンはアメリカに渡り世界的な映画監督になったこと、デデは女優を志しジャンと共にアメリカに渡り、2人は結婚したものの後に離婚。デデは女優として成功することは叶わず、いつしか皆の記憶からも薄れて行ったとクレジットされる。デデは手放しで感じのいい女性とは言い切れないかもしれないけれど、あんまり冷たい言い方だなと思っていた。でも、後から考えたら2人の偉大な芸術家の作品を生み出す力を与えた女性なのだという趣旨の、この映画を作ったこと自体がデデへの賞賛なのだなと気づき、少しうれしくなった。
フランス映画は好きなんだけど、あんまり見ている方じゃない。だから、役者さんもあまり知らない。ルノワール役のミシェル・ブーケは名前は知っていたけど、出演作を見たのは始めてかも? ほぼ体の自由がきかないというだけでも大変な役のに、それでも彼が偉大な画家であるということを感じさせる演技が素晴らしい。そして、1人の父親としては不器用で、臆病でもあるという部分も良かったと思う。ジャンのために立ち上がるシーンは感動的。アンドレ(デデ)のクリスタ・テレも良かった。デデは悪い娘ではないけれど、生活のために裸婦モデルになったり、いかがわしいお店に出入りしなくてはならない。そういうはすっぱな感じと、それでも2人の芸術家のミューズたる気高さは感じられた。決して自分を曲げないというのは、ある意味厄介ではあるけれど、きちんと筋が通っていれば潔さでもある。そういう部分に説得力があった。そして、何よりルノワールの描いた少女そのもの! ふくよかな裸体を美しいと思うかは別として、ルノワール好きとしては絵の少女が現れた!と、うれしくなった。きっと監督も同じ思いだったに違いない( ̄ー ̄)ニヤリ
そして! この映画を見たいと思った理由でもあるリー・ピンビンの映像が素晴らしい! 例えいかがわしいお店であっても、どのシーンを切り取っても美しい! 特に邦題にもある"陽だまり"の映像! ほとんどがルノワールのアトリエや、屋敷の中、そしてレ・コレットの敷地内(実際のロケ地かは不明)が舞台となっているけど、特にアトリエや庭での光が印象的。ホントにルノワールの絵画を見ているかのようなやわらかな光。黄色い光というか・・・ まさに陽だまり! この映像は素晴らしい!
ということでホントは劇場の大きな画面でこの映像を見て欲しかったけれど、書くのすっかり遅くなっちゃったから、もうやってない・・・

そうそう! 「浴女たち」はコチラになります!ドゥゾ♪(っ'ω')っ))

うーん・・・ 個人的には初期から中期の作品の方が好きだな・・・ 特に少女の清らかなかわいらしさの中に、それでもにじみ出てしまう色気を感じさせるのはルノワールならでわだと思うので・・・
芸術が生まれる瞬間に興味がある方オススメ、ルノワール好きな方是非! リー・ピンビン好きな方必見!!

'13.12.21 『鑑定士と顔のない依頼人』@新宿武蔵野館
これは見たくて試写会応募しまくったけどハズレ・・・
人気でいつも満席らしく、いつ行こうか迷っていたら、お友達のmigちゃんが見るとtweetしてたので、合流して見に行くことに。武蔵野館予約できないからチケット売り切れないかヒヤヒヤしながら行ってきたー!
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「天才的な鑑定士で、著名なオークショナーでもあるヴァージル・オールドマンは、両親の遺産を屋敷ごと鑑定して欲しいという依頼を受ける。しかし、その依頼主は彼の前に姿を現すことはなく・・・」という話。見る前はてっきり美術鑑定重視の話なんだと思ってた。依頼主が若い女性であることは知っていたけど、まさか恋愛サスペンスとは思わなかった・・・ おもしろかったし、とってもよく出来ていると思うのだけど、正直ちょっと期待値が上がり過ぎていたかもしれない。オチも結構早い段階で分かってしまったので、自分の中ではどんでん返しではなかったし・・・ うーん・・・(笑)
『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品。見たいと思ったのはトルナトーレ作品だったから。といっても『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』『マレーナ』しか見ていないけど(o´ェ`o)ゞ やっぱり『ニュー・シネマ・パラダイス』は大好きだけど、実は『海の上のピアニスト』がすごく好き! あのティム・ロスは素晴らしかった! それぞれの作品の主人公達が、時代の流れであったり、出生の事情であったり、世間の目であったり、自分の努力だけではどうにもならない運命に翻弄されながら、運命を運命として受け入れ、生きていく姿が印象的。そんな監督と名優ジェフリー・ラッシュが組んだとあれば、これは見ないと!
もう1つ見たかった理由が主人公が天才鑑定士であることと、謎の依頼人から屋敷ごと鑑定依頼を受けるということ。その謎めいた感じよりも、単純に美術品をたくさん見れるのではないかという部分に惹かれた。実際には美術自体については、後半はほとんど出てこなくなってしまうけれど、とっても重要な要素であることは間違いない。前半の贋作を発見するところからのくだりは面白かった! あと、全体を通してヴァージルの変化と、価値の高いオートマタが組み上がっていく過程が、平行して描かれるのも面白い。その両方に関わるの人物が実はというのは、途中で分かってしまったけれど、それでも映画としては正しいオチだと思う。
公式サイトによると脚本も担当するトルナトーレ監督が、この作品の構想を思いついたのは、20年前に聞いた広場恐怖症の女性の話が元になっているらしい。この女性のことについては一切記述がないので、トルナトーレ監督がどんな内容の話を聞いたのかは不明。広場恐怖症というのは初めて聞いたので、毎度の
Wikipediaで調べてみた。広場恐怖症(ひろばきょうふしょう、広場恐怖、英: agoraphobia)とは、「もし何か(不安発作が)起きたら…」と恐れ、また、そこに人だかりのできることを恐れる恐怖症。従って広場に限らず、旅行や家の外に出ること・群集・不安発作時に避難できない場所などが、恐怖の対象になる。成人早期の女性に多く、パニック障害を伴うことがある。治療は、パニック障害に準じる。とのことで、"広場"が問題なわけではないらしい。何故か若い女性に多いんだね・・・ この広場恐怖症の女性の話はトルナトーレ監督の中にずっとあったようで、そこにオートマタを組み合わせるという考えが浮かんだことで、今回のこの作品が出来上がったのだそう。
オートマタというのは機械人形のこと。『ヒューゴと不思議な発明』(感想は
コチラ)でも出てきた、かなり大きな人形。オートマタについて詳しくは
Wikipediaで!この部品を"顔のない依頼人"の屋敷で発見したことも、ヴァージルがのめり込んでいくきっかけとなっている。実はこの部品は近代オートマタの発明を語る上で、欠かすことの出来ない存在であるジャック・ド・ヴォーカンソンのものであったから! この辺りは、後から考えると、ホントによく考えられた計画だなと感心する。だからこそ、ヴァージルのことを知り尽くした人物でなければ、計画できなかったとも言える。
さて! 前置きがだいぶ長くなったけど、美術品・広場恐怖症・オートマタというのが重要なキーワードなので。そして、最も重要なのがヴァージルの人となり。あらすじにも書いたとおり、天才鑑定家であり、著名なオークショナー。周囲からは一目置かれる存在。ただ、周囲と距離感があるのは彼の性格によるところが大きい。大きなクローゼットには高級スーツがビッシリ。その中から1着を選び、次に向かうのは手袋専用のクローゼット。ビッシリ並んだ手袋のかなから1つ選ぶ。彼が向かったのは高級レストラン。多くの客が家族、恋人、友人と食事や会話を楽しんでいる中、そんな人々に背を向けるように1人テーブルに向かう。用意されたのはイニシャル入りの食器! 全く表情を変えることなく、もくもくと食べ続ける。そんなヴァージルに好奇の目が向けられる。食事が終り、彼の前にロウソクが1本立ったケーキが運ばれて来る。店からの誕生日祝いで、特別に作らせたケーキであると説明されるも反応なし。そして、そのまま10cmはあろうかと思われるロウソクのが燃え尽きるまで、手をつけることなく待ち続ける。炎が消えた瞬間席を立とうとするヴァージルに、気に入らなかったのかと動揺が広がる。「味に問題はないが、誕生日は明日なので。」と告げて立ち去る。大事な客の誕生日を間違えてしまうのはどうか?という部分はあるかもしれないけれど、この場合は明日誕生日だったのだし、おそらく明日は来ないであろうということで"今日"お祝いしているわけで、給仕する際に「お誕生日は明日だと思いますが・・・」って付け加えれば完璧だったとは思うけれど、こんな態度はどうかと。ただまぁ、店の落ち度を責めるというよりは、時計がチラチラ映るシーンがあったので、ロウソクの炎が日付が変わるまで燃えていれば、あるいは食べたのかもしれない。そういうヴァージルの自分の基準を一切曲げない部分はスゴイとは思うけれど、これでは人に距離を置かれてしまうでしょう。まぁ、彼自身が距離を置いているのだから問題ないとは思うけれど(笑) ただ、この彼の性格が後に悲劇を招くことになるわけで・・・
前述のレストランでの別のテーブルの客の会話から、彼が著名なオークショナーであることが語られ、オークション場面へ。オークションのシステムをあまり理解していないのだけど、基本は今コールされているよりも上の値段をつけますよと意思表示するわけで、それが「100万円!」とか叫ぶのではなく、指を軽く上げるというような、ちょっとした動作で示す。するとオークショナーが「はい120万が出た、150万はないか?」みたいな感じで進めてるっぽい。となると、この金額の上げ幅はオークショナーの裁量によるものということなのかな? たしかにヴァージルの仕切りは見事! どんな小さな動きも見逃さず、客も息を飲むような絶妙なタイミングで値を上げていく。それも絶妙な上げ方で。まるで舞台のお芝居をみているような感覚。でも、実はここにも伏線が・・・ ここでワカメちゃんみたいなボブヘアーにセーラー服姿の少女を描いた絵が、ある男性に落札される。高級そうな服に身を包んだ人々の中、一人ラフな服装で長髪、ヒゲのこの老人はビリーという自称画家。このビリーは実はヴァージルとグルで、本来はもっと値打ちがある作品を、比較的安価で落札させているのだった。前述した手袋クローゼットの後ろには、厳重にロックされた秘密の部屋があり、四方の壁を女性の肖像画が埋め尽くしている。その部屋の真ん中に座り、眺めることがヴァージル至福の時らしい。食事時や自身の携帯電話ですら素手で触らない潔癖症のヴァージルが、手に入れた絵画は手袋を外し愛しそうになでるのが印象的。彼が愛しているものが最高の美術品であるから、芸術を愛でているという捉え方もできるけれど、やっぱりこれは間違いなくオタクであって、ヴァーチャルの女性しか愛せないってことだよね・・・ この部屋を見た時ある光景が自然と浮かんで、後にその予感が的中することになってちょっとビックリ。
ヴァージルは廃墟の中からある肖像画を発見する。素人が見たらその下に貴重な美術品があるなどとは全く考えつかないような、泥の塊のようなもの・・・ その下から現れたのは女性の肖像画。名前を覚えてないのだけど、有名な画家の作品ではないかと、周りの人々は色めき立つのだけど、ヴァージルは贋作だと言い切る。"贋作者は必ず痕跡を残す"そうで、瞳の中の光がVの字をしていることを指摘。イニシャルがVの有名な女性贋作者(こちらも名前を失念)の作品だと見抜く。ただし、著名な贋作者の作品であれば、それなりの値段がつくそうで、こちらもオークションにかけられる。この絵が出品される直前に現れたビリー。2人はこれを手に入れようということらしい。しかし、ビリーは死角にいた老婆の動きに気づかず、僅かに遅れて落札されてしまう。いくらオークショナーのヴァージルがビリーが落札者だとコールしても、大勢の客が見ていてはどうにもならず・・・ 激怒したヴァージルがあれは贋作ではなく、本物なのだと告白することで、駆け引きだけではなく、不正に入手していることが分かる。ビリーは今までも失敗したことがあったじゃないかと、軽くかわしヴァージルの怒りを静める。この時点で、ビリーのいい加減さにイラっとするものを感じるけれど、確かに100%成功というわけにもいかない気もする。長年に渡り組んできたビリーとヴァージル。でも、自分の絵については全く評価してくれないねと、冗談交じりに言うビリー。贋作の話になると「愛も偽装できる」と言う。実はこの時点でアレ?と思っていた。
さて、やっと"顔のない依頼人"の話に入る! 毎度、前置き長くてごめーん
ある日、ヴァージルの事務所に電話がかかってくる。いつもは秘書が相手していたようだけれど、本人がした方がいいと言われる。この秘書は要所要所で重要な役割を担っている。電話の主は若い女性。両親の残した遺産を鑑定するために家に来て欲しいと言う。ヴァージルを秘書だと勘違いしていることもあるけれど、本人のこともあまりよく知っているわけではない様子。いわゆるイマドキの礼儀もなっていない若い娘というわけではないけれど、こういうことには全く慣れていない様子。無知であることが失礼になっている感じ。この態度はヴァージルをイライラさせるけれど、秘密めいたところに興味を持っているようでもある。通常であれば断る案件だけれど、屋敷を訪ねることにする。最初は留守。翌日依頼主は電話をかけて来る。締め出しを食らったヴァージルは激怒するけれど、相手は泣きながら実は事故に合ってしまったのだと言い訳する。見ている側ですら、そんなわけないだろうと思うけど、疑りつつもヴァージルはまたこの相手と会う約束をする。次に訪ねると足の悪い管理人がおり、本人は不在だが屋敷内を案内すると言う。こんなやり取りが続く。バカにされていると怒りながらも、何故か屋敷を訪れるのを止めることができないヴァージル。
それは依頼人の両親の遺品の美術的価値があることもそうだけれど、謎めいた依頼人に興味を持っていることは間違いない。少しずつ小出しに彼に近づいてくる。やっと約束どおり会えるけれど壁越し。依頼人は広場恐怖症という病気を抱えており、部屋から一歩も出ることが出来ない。現在27歳だけど、両親がいる頃から壁の内側の部屋で生活していたため、管理人の男性とも会ったことがないということが分かる。次第に彼女について知りたいと思い始めるヴァージル。鑑定の仕事を仕切りつつも、依頼人クレアとの壁越しの会話を楽しむようになる。
ヴァージルが屋敷に惹きつけられたのには、もう1つ理由がある。屋敷の地下で歯車のような部品を見つけたから。これが何であるのか直ぐに見抜いたヴァージルは、密かにそれを持ち帰り、知人であるロバートの店を訪ねる。ロバートはまだ若いけれど、直せないものはないと言われる天才的修理士。この部品は実は18世紀に作られたオートマタの一部で、オートマタ発明で著名なジャック・ド・ヴォーカンソン(
Wikipedia)の作品だった。密かに修復を依頼するヴァージル。以来、彼は屋敷を訪れては部品を手に入れ、ロバートの店に持ち込んでいた。それぞれバラバラの部品だったものが、組み合わされて行く工程を眺めながら、いつしかロバートにクレアとのことを相談しているヴァージル。オートマタが組みあがって行くのと同時進行で、ヴァージルはどんどん人間らしくなっていく。一応、友人の話としてロバートに話しているけれど、もうその時点で見ている側はクレアに恋してしまっていることに気づく。
初老になって生まれて初めての恋に落ちてしまったヴァージルはもう止まらない(笑) その間も、クレアは急に家の鍵を変えてみたりして、心を許してくれたとウキウキしているヴァージルを突き放したりしている。なるほど( ̄ー ̄)ニヤリ 明確な理由は忘れちゃったけど、ケータイもスマホに変えちゃう。ケータイも素手では触れなかったのに、スマホは手袋してちゃ使えないので、素手でスマホを使い出すヴァージル。ロバートの助言に従い、帰ったふりをして彫像の裏に隠れ、クレアの姿を盗み見る。現れたのは若く美しい女性。素肌にガウンを着ただけの姿。キッチンで飲み物を用意しながら、かかってきたスマホに出るクレア。グラスを落として割ってしまい、足の指をケガしてしまうクレア。電話しながら椅子に座り、足の指をなめて止血するクレア。彼女は下着を着けていなかった! 女性経験のない初老DT(童貞)には刺激が強過ぎる!! で、この時点でなんとなく彼女とロバートがグルなんじゃないかと疑い出したわけです・・・ だって絶対わざとじゃん!(笑) まぁ、いろんな女性がいるから一概には言えないけど、いくら壁越しとはいえ男性と会うのに、下着もつけないガウン姿ってないと思うし、仮に彼が帰ったと思ってシャワー浴びたとしても、自分の家でガラス踏んで足怪我したら、足の指なめて止血なんてしないで、ティッシュとかタオルとか使って止血するでしょ。これは、彼に見せつけるための行動だと思ったし、だとしたら彼が隠れていることを知ってるわけで、ならばロバートから聞いたわけだよね・・・ 電話の内容もヴァージルのこと話してるっぽかったし・・・
姿を見る前からクレアに惹かれていた上に、若く美しい女性だったとあれば、ヴァージルの恋心はもう止まらない。全ての男性が美女だから好きになるというわけではないと思うけれど、この場合は絶対に美女じゃなきゃダメ。ヴァージルにとっても、見ている側にとっても。そして、クレアが美女であるということが、どんでん返しをより効果的にしている。どんどんクレアに夢中になって行くヴァージル。再び彼女の姿を垣間見たいと考えた彼は、また帰ったふりをしてクレアを覗き見る。電話がかかってきて慌てた彼はスマホを落としてしまう。怯えて壁の向こうの部屋に逃げ込んでしまうクレア。慌てて外に出るヴァージル。屋敷を出たところでクレアから連絡が入る。怯えるクレアの元に駆けつけるヴァージル。慌ててハンカチを落としてしまう。潔癖で手袋なしでは何も触れない彼が、汗をぬぐうため手袋で顔を拭くシーンが印象的。これが人間らしくなることなのかは別として、彼の世界が崩れてきていることは確か。
隠れていたのは自分であることを告白したヴァージル。あなたの姿を見たかったのだと言う。事実上の愛の告白。初めは拒絶するものの、隠し部屋に通してくれるクレア。彼を受け入れてくれたということ。そこからのヴァージルの浮かれっぷりがもう(笑) 寝ても覚めてもクレアのことばかりで、海外の超有名美術館との仕事も、クレアの元を離れたくないために断ってしまう始末。自ら化粧品売り場に出向き化粧品を購入。高級ブティックでドレスを購入。食事やシャンパンを用意するなど、もう恋する男! 恋する男はこうでなくちゃとも思うし、その姿をかわいらしく思う部分もあるけれど、何故か少し滑稽で気持ちの悪さを感じさせる演出が上手い。だって、逐一ロバートに報告するし、ロバートに密かにクレアとの食事シーンを見せて、彼女をどう思うか? 彼女は自分を好きと思うか?と聞くのもどうかと思うのに、とうとう結ばれた後、初めてだったんだと夢見ごこちで報告されても・・・┐(´-д-`)┌ まぁ、心はDTだからね(笑)
以下、ネタバレ!!
そんな幸せの中、突然クレアが姿を消してしまう。必死で捜索するヴァージルとロバート、そして管理人。以前から、ヴァージルが屋敷を観察するために利用していた向かいのカフェがある。店主に不審な目を向けられながらも、クレアのことで頭がいっぱい。店でビリヤードする若者たちに、向かいの屋敷から若い女性が出てこなかったか尋ねるなど取り乱していく。このカフェにはいつも小人症の女性がいる。この女性は重要人物。他のお客さんたちとカードをしながら、出たカードを全て記憶しているなど、サヴァン症とかアスペルガー症候群かと思わせる。ことあるごとに映るこの女性の状態と、管理人のクレアは重大な病気であるという発言から、もしや?と思っていたけれど、彼女が本当は誰であるか分かった時にはニヤリ。さて、クレアが心配過ぎて半狂乱のヴァージルは、なんとオークションを忘れてしまうという大失態。高級スーツに身を包み、全く隙のなかったヴァージルが、大汗をかき、髪もネクタイも乱れ、服には草までついている始末。心ここにあらずで始めたオークションは、いつもの切れ味がないだけでなく、出品作品を間違えて延々と説明してしまうという大失態。会場がザワつく中、それでもロバートからの電話を優先してしまう。間違いなく醜態で、もう哀れ・・・ なるほど、これは『嘆きの天使』なんだなと思い始める。
もう1つ隠し部屋があるのではないかというロバートからの連絡で、屋根裏部屋に閉じこもっているクレアを発見。彼女が広場恐怖症になるきっかけとなった事故を知る。まぁ、事実ならば悲劇だよね・・・ 事実ならば・・・ とか思っていると、ある夜屋敷の前でヴァージルがボコボコにされてしまうという事件が起きる。意識を失ったヴァージルを助けるため、屋敷の外に飛び出したクレア。病院に搬送されたヴァージルは、自分に付き添っているクレアを発見する。ヴァージルへの愛がクレアの広場恐怖症を克服させたという感動的シーンのはず。本当に広場恐怖症なのであれば。ロバートとその彼女と4人で食事している席で、クレアの両親の遺品カタログが出来上がったことがヴァージルから発表される。かなりの分厚さで写真も豊富。でも、クレアは遺品を売るのはやめようと考えていると言う。彼女の意思を尊重し、カタログを破るパフォーマンスをするヴァージル。拍手するロバートと彼女。このシーンで3人はグルだと確信。
クレアと婚約。ヴァージルの家で暮らし始める2人。当然、あの部屋も見せる。最初にこの部屋をみた瞬間の違和感のようなものが確信に変わる。引退を決意したヴァージルは、最後のオークションを見事につとめる。仲間たちに祝福されるヴァージル。彼の元にビルがやって来る。お祝いに君に絵を送ったと言う。家に帰ると絵が届いている。中から現れたのは、クレアの屋敷にあった彼女の母親を描いた作品。あれ?と思うはずなのに、クレアが出迎えないことに気をとられるヴァージル。使用人からロバート達と出かけたこと、最近頻繁にロバートと彼女が来ていたことが告げられる。見ている側には分かっているのに、まだ気づかないヴァージル。肖像画を隠し部屋に入れようとした瞬間! 全ての作品が消えていた・・・ 何故か最初にこの部屋を見た時、全てなくなるんじゃないかと思っていた。漠然とはしていたけれど、真っ白な壁のガランとした空間のイメージが浮かんだので・・・
残ったのは見事に復元されたオートマタと、クレアの母の肖像画。茫然自失となったヴァージルは思わず肖像画を落としてしまう。額から外れたその絵の裏にはビリーのサインがあった。肖像画部屋の存在はビリーしか知らなかったわけだし、もしかしたらロバートに話した可能性もあるけど、おそらくヴァージルの性格ならしてないと思う。ビリーが何故こんなことをしたのかについては、ちょっと腑に落ちない部分もあるけど、おそらく長年のヴァージルとの関係に不満を持っていたということかと。彼は自分を(不正な)美術収集のパートナーとして認めてはいるけれど、画家としての才能は認めていないということを冗談交じりに話していたので。あと「愛も偽装できる」って言ってたし。それはクレアのことを示唆してもいるけれど、実は彼のヴァージルに対する友情のことを言っていたのかも。それにしても、イヤなら関係を解消すればいいわけだし、画家としての才能を認めてもらえないといっても、ヴァージルは鑑定士だし・・・ そして、これ鑑定士としてのヴァージルも否定したってことだよね? だって、彼はビリーの作品だと見抜けなかったのだから・・・
ここから3つの場面が交互に描かれる。全てを失ったショックから廃人のようになったリハビリ中の姿、クレアたちに騙された事実が次々明らかになっていく姿、そしてクレアが以前話していたプラハの「ナイト&デイ」というお店を訪ねる姿。どの時系列が一番古く、一番新しいのかは分からない。だから、それぞれ見た人が組み合わせて行けばいいのだと思う。自らを作家だと話していたクレアと、編集者と思われる人との会話で「結末はハッピーエンドにも出来る」と話していたし、「ナイト&デイ」で一人か聞かれ"人を待っている"と答えていたので、クレアがやってくるというオチも考えられなくもない。ジュゼッペ・トルナトーレ監督もハッピーエンドであると語ってはいる。ただ、個人的にはやっぱり"クレア"が来るとは思えないかも。ラストのヴァージルの姿は、冒頭の高級レストランでの食事シーンと対比となっているので・・・ 高級レストランではヴァージルは手前の席に座り、他の客に背を向けていて、彼だけが1人であるということにも関心はなかった。でも、「ナイト&デイ」では彼は一番奥の席に座り、自分以外は誰かと一緒である現実を見ている。彼に寂しさや人を求める気持ちが備わったということが、ハッピーエンドであるといえなくもない? まぁ、トルナトーレ監督がハッピーエンドだと語っているのを知ったのは見た後だったので、見ている間は、人を拒絶していると、こういうことになりますというオチだと思っていた。だとしても、それを自覚できたならハッピーエンドかも? それは、さすがにヴァージルがかわいそう過ぎるか・・・
でも、ヴァージル不正してたし、いい人とも言い切れないし。その辺りも上手いと思う。不正入手している以上、警察に届けるわけにもいかない。
ジェフリー・ラッシュはさすがの演技。トルナトーレ監督は脚本を書いている時から、尊大で人間嫌いのヴァージル役にジェフリー・ラッシュをイメージしていたらしい。監督自らメルボルンの自宅を訪ねオファーし、受理されると4日間を一緒に過ごして役の輪郭を作り上げたのだそう。歩き方、手袋のつけ方、脱ぎ方までこだわった役作りは見事! とにかく、彼がクレアに夢中になって行く感じが、滑稽であり、気持ち悪くもあり、そして切なければならないと思うので、その辺りはさすがの演技! これはジェフリー・ラッシュ以外に考えられないと思う。ビリーのドナルド・サザーランドは出演シーンはそんなに多くないのに、さすがの存在感。最初から胡散臭くはあったけれど、詳しくは説明されない彼の動機についても、納得させなくてはならない。そういう意味では、切なさも感じられてよかったと思う。ジム・スタージェスが大きな役でビックリ! イヤ、結構映画出てるけど(o´ェ`o)ゞ 天才的な修復の腕を持ちつつも、女好きで気さくな青年。父親くらい年の離れたヴァージルに敬意をはらいつつ、友人として恋愛指南する。でも、実はそれらは全てウソだったわけで、恋愛指南しながら彼を笑っていたのかと思うとムカつくけれど、なんとなく実は彼もヴァージルに対してわだかまりを持っていたのではないか?と思ってしまう。その感じを持てたのはジム・スタージェスの憎めないキャラのおかげ。クレアのシルヴィア・ホークスは謎めいた美女だった時が良かった! ヴァージルの婚約者として"外"に出てきてからは、あまり魅力的ではなかったかなぁ・・・ まぁ、騙すって分かってたからかも(笑) 少しかわいらしい感じの美女。
結局、ヴァージルはクレアにより人生全てを失ってしまったわけだけど、美術品の鑑定眼は確かでも人間を見る目はなかったということ。1人の初老の男の転落人生ではあるわけだけど、見方を変えれば彼にとって初めての恋は辛い結末を迎えたけれど、その間は彼にとって最高に幸せだったとも言える。そして、彼は愛を知り"人間"になれたのかもしれない。前述したとおり、サスペンス映画として見るか、恋愛映画として見るかによって、結末も違ってくるのかなと思う。自分はサスペンス的な見方をしていたため、早い段階でオチや本当のクレアが誰なのか分かってしまったのが、見終わった後に感動できなかった原因かも。恋愛映画として見ると、マレーネ・ディートリッヒの『嘆きの天使』みたいだと思っていた。確かに、それは哀しい愛で、映画としては素晴らしいと思うけれど、誰かが徹底的に惨めになる姿は見たくないかな。何度も書くけど、監督としてはハッピーエンドなのだから、これは見方が違うのかもしれない。
美術品自体は鑑定依頼のあったものくらいしか説明がない。とにかくスゴイ数の美術品が登場する。ヴァージルの肖像画の間にはルノワールやモディリアーニの作品も! 絵画を見るのは好きだけど、そんなに詳しいわけではないので、ほとんど分からなかったのが残念・・・ 知識があったら面白いと思う! どのシーンも美しかった。屋敷がどんどん不気味に見えてくるのも興味深い。エンニオ・モリコーネの音楽も好き!
リピーターは1,000円で見れるそうだけれど、個人的にはもういいかな(笑) 拾えてない伏線もたくさんありそうだけれど(o´ェ`o)ゞ
くどいようですが、見方によって違う作品になりそうなので、とりあえず見てみて自分で感じた方がいいかも? ジェフリー・ラッシュ好きな方是非!
『鑑定士と顔のない依頼人』Official site
これは見たくて試写会応募しまくったけどハズレ・・・



『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品。見たいと思ったのはトルナトーレ作品だったから。といっても『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』『マレーナ』しか見ていないけど(o´ェ`o)ゞ やっぱり『ニュー・シネマ・パラダイス』は大好きだけど、実は『海の上のピアニスト』がすごく好き! あのティム・ロスは素晴らしかった! それぞれの作品の主人公達が、時代の流れであったり、出生の事情であったり、世間の目であったり、自分の努力だけではどうにもならない運命に翻弄されながら、運命を運命として受け入れ、生きていく姿が印象的。そんな監督と名優ジェフリー・ラッシュが組んだとあれば、これは見ないと!
もう1つ見たかった理由が主人公が天才鑑定士であることと、謎の依頼人から屋敷ごと鑑定依頼を受けるということ。その謎めいた感じよりも、単純に美術品をたくさん見れるのではないかという部分に惹かれた。実際には美術自体については、後半はほとんど出てこなくなってしまうけれど、とっても重要な要素であることは間違いない。前半の贋作を発見するところからのくだりは面白かった! あと、全体を通してヴァージルの変化と、価値の高いオートマタが組み上がっていく過程が、平行して描かれるのも面白い。その両方に関わるの人物が実はというのは、途中で分かってしまったけれど、それでも映画としては正しいオチだと思う。
公式サイトによると脚本も担当するトルナトーレ監督が、この作品の構想を思いついたのは、20年前に聞いた広場恐怖症の女性の話が元になっているらしい。この女性のことについては一切記述がないので、トルナトーレ監督がどんな内容の話を聞いたのかは不明。広場恐怖症というのは初めて聞いたので、毎度の

オートマタというのは機械人形のこと。『ヒューゴと不思議な発明』(感想は


さて! 前置きがだいぶ長くなったけど、美術品・広場恐怖症・オートマタというのが重要なキーワードなので。そして、最も重要なのがヴァージルの人となり。あらすじにも書いたとおり、天才鑑定家であり、著名なオークショナー。周囲からは一目置かれる存在。ただ、周囲と距離感があるのは彼の性格によるところが大きい。大きなクローゼットには高級スーツがビッシリ。その中から1着を選び、次に向かうのは手袋専用のクローゼット。ビッシリ並んだ手袋のかなから1つ選ぶ。彼が向かったのは高級レストラン。多くの客が家族、恋人、友人と食事や会話を楽しんでいる中、そんな人々に背を向けるように1人テーブルに向かう。用意されたのはイニシャル入りの食器! 全く表情を変えることなく、もくもくと食べ続ける。そんなヴァージルに好奇の目が向けられる。食事が終り、彼の前にロウソクが1本立ったケーキが運ばれて来る。店からの誕生日祝いで、特別に作らせたケーキであると説明されるも反応なし。そして、そのまま10cmはあろうかと思われるロウソクのが燃え尽きるまで、手をつけることなく待ち続ける。炎が消えた瞬間席を立とうとするヴァージルに、気に入らなかったのかと動揺が広がる。「味に問題はないが、誕生日は明日なので。」と告げて立ち去る。大事な客の誕生日を間違えてしまうのはどうか?という部分はあるかもしれないけれど、この場合は明日誕生日だったのだし、おそらく明日は来ないであろうということで"今日"お祝いしているわけで、給仕する際に「お誕生日は明日だと思いますが・・・」って付け加えれば完璧だったとは思うけれど、こんな態度はどうかと。ただまぁ、店の落ち度を責めるというよりは、時計がチラチラ映るシーンがあったので、ロウソクの炎が日付が変わるまで燃えていれば、あるいは食べたのかもしれない。そういうヴァージルの自分の基準を一切曲げない部分はスゴイとは思うけれど、これでは人に距離を置かれてしまうでしょう。まぁ、彼自身が距離を置いているのだから問題ないとは思うけれど(笑) ただ、この彼の性格が後に悲劇を招くことになるわけで・・・
前述のレストランでの別のテーブルの客の会話から、彼が著名なオークショナーであることが語られ、オークション場面へ。オークションのシステムをあまり理解していないのだけど、基本は今コールされているよりも上の値段をつけますよと意思表示するわけで、それが「100万円!」とか叫ぶのではなく、指を軽く上げるというような、ちょっとした動作で示す。するとオークショナーが「はい120万が出た、150万はないか?」みたいな感じで進めてるっぽい。となると、この金額の上げ幅はオークショナーの裁量によるものということなのかな? たしかにヴァージルの仕切りは見事! どんな小さな動きも見逃さず、客も息を飲むような絶妙なタイミングで値を上げていく。それも絶妙な上げ方で。まるで舞台のお芝居をみているような感覚。でも、実はここにも伏線が・・・ ここでワカメちゃんみたいなボブヘアーにセーラー服姿の少女を描いた絵が、ある男性に落札される。高級そうな服に身を包んだ人々の中、一人ラフな服装で長髪、ヒゲのこの老人はビリーという自称画家。このビリーは実はヴァージルとグルで、本来はもっと値打ちがある作品を、比較的安価で落札させているのだった。前述した手袋クローゼットの後ろには、厳重にロックされた秘密の部屋があり、四方の壁を女性の肖像画が埋め尽くしている。その部屋の真ん中に座り、眺めることがヴァージル至福の時らしい。食事時や自身の携帯電話ですら素手で触らない潔癖症のヴァージルが、手に入れた絵画は手袋を外し愛しそうになでるのが印象的。彼が愛しているものが最高の美術品であるから、芸術を愛でているという捉え方もできるけれど、やっぱりこれは間違いなくオタクであって、ヴァーチャルの女性しか愛せないってことだよね・・・ この部屋を見た時ある光景が自然と浮かんで、後にその予感が的中することになってちょっとビックリ。
ヴァージルは廃墟の中からある肖像画を発見する。素人が見たらその下に貴重な美術品があるなどとは全く考えつかないような、泥の塊のようなもの・・・ その下から現れたのは女性の肖像画。名前を覚えてないのだけど、有名な画家の作品ではないかと、周りの人々は色めき立つのだけど、ヴァージルは贋作だと言い切る。"贋作者は必ず痕跡を残す"そうで、瞳の中の光がVの字をしていることを指摘。イニシャルがVの有名な女性贋作者(こちらも名前を失念)の作品だと見抜く。ただし、著名な贋作者の作品であれば、それなりの値段がつくそうで、こちらもオークションにかけられる。この絵が出品される直前に現れたビリー。2人はこれを手に入れようということらしい。しかし、ビリーは死角にいた老婆の動きに気づかず、僅かに遅れて落札されてしまう。いくらオークショナーのヴァージルがビリーが落札者だとコールしても、大勢の客が見ていてはどうにもならず・・・ 激怒したヴァージルがあれは贋作ではなく、本物なのだと告白することで、駆け引きだけではなく、不正に入手していることが分かる。ビリーは今までも失敗したことがあったじゃないかと、軽くかわしヴァージルの怒りを静める。この時点で、ビリーのいい加減さにイラっとするものを感じるけれど、確かに100%成功というわけにもいかない気もする。長年に渡り組んできたビリーとヴァージル。でも、自分の絵については全く評価してくれないねと、冗談交じりに言うビリー。贋作の話になると「愛も偽装できる」と言う。実はこの時点でアレ?と思っていた。
さて、やっと"顔のない依頼人"の話に入る! 毎度、前置き長くてごめーん

それは依頼人の両親の遺品の美術的価値があることもそうだけれど、謎めいた依頼人に興味を持っていることは間違いない。少しずつ小出しに彼に近づいてくる。やっと約束どおり会えるけれど壁越し。依頼人は広場恐怖症という病気を抱えており、部屋から一歩も出ることが出来ない。現在27歳だけど、両親がいる頃から壁の内側の部屋で生活していたため、管理人の男性とも会ったことがないということが分かる。次第に彼女について知りたいと思い始めるヴァージル。鑑定の仕事を仕切りつつも、依頼人クレアとの壁越しの会話を楽しむようになる。
ヴァージルが屋敷に惹きつけられたのには、もう1つ理由がある。屋敷の地下で歯車のような部品を見つけたから。これが何であるのか直ぐに見抜いたヴァージルは、密かにそれを持ち帰り、知人であるロバートの店を訪ねる。ロバートはまだ若いけれど、直せないものはないと言われる天才的修理士。この部品は実は18世紀に作られたオートマタの一部で、オートマタ発明で著名なジャック・ド・ヴォーカンソン(

初老になって生まれて初めての恋に落ちてしまったヴァージルはもう止まらない(笑) その間も、クレアは急に家の鍵を変えてみたりして、心を許してくれたとウキウキしているヴァージルを突き放したりしている。なるほど( ̄ー ̄)ニヤリ 明確な理由は忘れちゃったけど、ケータイもスマホに変えちゃう。ケータイも素手では触れなかったのに、スマホは手袋してちゃ使えないので、素手でスマホを使い出すヴァージル。ロバートの助言に従い、帰ったふりをして彫像の裏に隠れ、クレアの姿を盗み見る。現れたのは若く美しい女性。素肌にガウンを着ただけの姿。キッチンで飲み物を用意しながら、かかってきたスマホに出るクレア。グラスを落として割ってしまい、足の指をケガしてしまうクレア。電話しながら椅子に座り、足の指をなめて止血するクレア。彼女は下着を着けていなかった! 女性経験のない初老DT(童貞)には刺激が強過ぎる!! で、この時点でなんとなく彼女とロバートがグルなんじゃないかと疑い出したわけです・・・ だって絶対わざとじゃん!(笑) まぁ、いろんな女性がいるから一概には言えないけど、いくら壁越しとはいえ男性と会うのに、下着もつけないガウン姿ってないと思うし、仮に彼が帰ったと思ってシャワー浴びたとしても、自分の家でガラス踏んで足怪我したら、足の指なめて止血なんてしないで、ティッシュとかタオルとか使って止血するでしょ。これは、彼に見せつけるための行動だと思ったし、だとしたら彼が隠れていることを知ってるわけで、ならばロバートから聞いたわけだよね・・・ 電話の内容もヴァージルのこと話してるっぽかったし・・・
姿を見る前からクレアに惹かれていた上に、若く美しい女性だったとあれば、ヴァージルの恋心はもう止まらない。全ての男性が美女だから好きになるというわけではないと思うけれど、この場合は絶対に美女じゃなきゃダメ。ヴァージルにとっても、見ている側にとっても。そして、クレアが美女であるということが、どんでん返しをより効果的にしている。どんどんクレアに夢中になって行くヴァージル。再び彼女の姿を垣間見たいと考えた彼は、また帰ったふりをしてクレアを覗き見る。電話がかかってきて慌てた彼はスマホを落としてしまう。怯えて壁の向こうの部屋に逃げ込んでしまうクレア。慌てて外に出るヴァージル。屋敷を出たところでクレアから連絡が入る。怯えるクレアの元に駆けつけるヴァージル。慌ててハンカチを落としてしまう。潔癖で手袋なしでは何も触れない彼が、汗をぬぐうため手袋で顔を拭くシーンが印象的。これが人間らしくなることなのかは別として、彼の世界が崩れてきていることは確か。
隠れていたのは自分であることを告白したヴァージル。あなたの姿を見たかったのだと言う。事実上の愛の告白。初めは拒絶するものの、隠し部屋に通してくれるクレア。彼を受け入れてくれたということ。そこからのヴァージルの浮かれっぷりがもう(笑) 寝ても覚めてもクレアのことばかりで、海外の超有名美術館との仕事も、クレアの元を離れたくないために断ってしまう始末。自ら化粧品売り場に出向き化粧品を購入。高級ブティックでドレスを購入。食事やシャンパンを用意するなど、もう恋する男! 恋する男はこうでなくちゃとも思うし、その姿をかわいらしく思う部分もあるけれど、何故か少し滑稽で気持ちの悪さを感じさせる演出が上手い。だって、逐一ロバートに報告するし、ロバートに密かにクレアとの食事シーンを見せて、彼女をどう思うか? 彼女は自分を好きと思うか?と聞くのもどうかと思うのに、とうとう結ばれた後、初めてだったんだと夢見ごこちで報告されても・・・┐(´-д-`)┌ まぁ、心はDTだからね(笑)

そんな幸せの中、突然クレアが姿を消してしまう。必死で捜索するヴァージルとロバート、そして管理人。以前から、ヴァージルが屋敷を観察するために利用していた向かいのカフェがある。店主に不審な目を向けられながらも、クレアのことで頭がいっぱい。店でビリヤードする若者たちに、向かいの屋敷から若い女性が出てこなかったか尋ねるなど取り乱していく。このカフェにはいつも小人症の女性がいる。この女性は重要人物。他のお客さんたちとカードをしながら、出たカードを全て記憶しているなど、サヴァン症とかアスペルガー症候群かと思わせる。ことあるごとに映るこの女性の状態と、管理人のクレアは重大な病気であるという発言から、もしや?と思っていたけれど、彼女が本当は誰であるか分かった時にはニヤリ。さて、クレアが心配過ぎて半狂乱のヴァージルは、なんとオークションを忘れてしまうという大失態。高級スーツに身を包み、全く隙のなかったヴァージルが、大汗をかき、髪もネクタイも乱れ、服には草までついている始末。心ここにあらずで始めたオークションは、いつもの切れ味がないだけでなく、出品作品を間違えて延々と説明してしまうという大失態。会場がザワつく中、それでもロバートからの電話を優先してしまう。間違いなく醜態で、もう哀れ・・・ なるほど、これは『嘆きの天使』なんだなと思い始める。
もう1つ隠し部屋があるのではないかというロバートからの連絡で、屋根裏部屋に閉じこもっているクレアを発見。彼女が広場恐怖症になるきっかけとなった事故を知る。まぁ、事実ならば悲劇だよね・・・ 事実ならば・・・ とか思っていると、ある夜屋敷の前でヴァージルがボコボコにされてしまうという事件が起きる。意識を失ったヴァージルを助けるため、屋敷の外に飛び出したクレア。病院に搬送されたヴァージルは、自分に付き添っているクレアを発見する。ヴァージルへの愛がクレアの広場恐怖症を克服させたという感動的シーンのはず。本当に広場恐怖症なのであれば。ロバートとその彼女と4人で食事している席で、クレアの両親の遺品カタログが出来上がったことがヴァージルから発表される。かなりの分厚さで写真も豊富。でも、クレアは遺品を売るのはやめようと考えていると言う。彼女の意思を尊重し、カタログを破るパフォーマンスをするヴァージル。拍手するロバートと彼女。このシーンで3人はグルだと確信。
クレアと婚約。ヴァージルの家で暮らし始める2人。当然、あの部屋も見せる。最初にこの部屋をみた瞬間の違和感のようなものが確信に変わる。引退を決意したヴァージルは、最後のオークションを見事につとめる。仲間たちに祝福されるヴァージル。彼の元にビルがやって来る。お祝いに君に絵を送ったと言う。家に帰ると絵が届いている。中から現れたのは、クレアの屋敷にあった彼女の母親を描いた作品。あれ?と思うはずなのに、クレアが出迎えないことに気をとられるヴァージル。使用人からロバート達と出かけたこと、最近頻繁にロバートと彼女が来ていたことが告げられる。見ている側には分かっているのに、まだ気づかないヴァージル。肖像画を隠し部屋に入れようとした瞬間! 全ての作品が消えていた・・・ 何故か最初にこの部屋を見た時、全てなくなるんじゃないかと思っていた。漠然とはしていたけれど、真っ白な壁のガランとした空間のイメージが浮かんだので・・・
残ったのは見事に復元されたオートマタと、クレアの母の肖像画。茫然自失となったヴァージルは思わず肖像画を落としてしまう。額から外れたその絵の裏にはビリーのサインがあった。肖像画部屋の存在はビリーしか知らなかったわけだし、もしかしたらロバートに話した可能性もあるけど、おそらくヴァージルの性格ならしてないと思う。ビリーが何故こんなことをしたのかについては、ちょっと腑に落ちない部分もあるけど、おそらく長年のヴァージルとの関係に不満を持っていたということかと。彼は自分を(不正な)美術収集のパートナーとして認めてはいるけれど、画家としての才能は認めていないということを冗談交じりに話していたので。あと「愛も偽装できる」って言ってたし。それはクレアのことを示唆してもいるけれど、実は彼のヴァージルに対する友情のことを言っていたのかも。それにしても、イヤなら関係を解消すればいいわけだし、画家としての才能を認めてもらえないといっても、ヴァージルは鑑定士だし・・・ そして、これ鑑定士としてのヴァージルも否定したってことだよね? だって、彼はビリーの作品だと見抜けなかったのだから・・・
ここから3つの場面が交互に描かれる。全てを失ったショックから廃人のようになったリハビリ中の姿、クレアたちに騙された事実が次々明らかになっていく姿、そしてクレアが以前話していたプラハの「ナイト&デイ」というお店を訪ねる姿。どの時系列が一番古く、一番新しいのかは分からない。だから、それぞれ見た人が組み合わせて行けばいいのだと思う。自らを作家だと話していたクレアと、編集者と思われる人との会話で「結末はハッピーエンドにも出来る」と話していたし、「ナイト&デイ」で一人か聞かれ"人を待っている"と答えていたので、クレアがやってくるというオチも考えられなくもない。ジュゼッペ・トルナトーレ監督もハッピーエンドであると語ってはいる。ただ、個人的にはやっぱり"クレア"が来るとは思えないかも。ラストのヴァージルの姿は、冒頭の高級レストランでの食事シーンと対比となっているので・・・ 高級レストランではヴァージルは手前の席に座り、他の客に背を向けていて、彼だけが1人であるということにも関心はなかった。でも、「ナイト&デイ」では彼は一番奥の席に座り、自分以外は誰かと一緒である現実を見ている。彼に寂しさや人を求める気持ちが備わったということが、ハッピーエンドであるといえなくもない? まぁ、トルナトーレ監督がハッピーエンドだと語っているのを知ったのは見た後だったので、見ている間は、人を拒絶していると、こういうことになりますというオチだと思っていた。だとしても、それを自覚できたならハッピーエンドかも? それは、さすがにヴァージルがかわいそう過ぎるか・・・

ジェフリー・ラッシュはさすがの演技。トルナトーレ監督は脚本を書いている時から、尊大で人間嫌いのヴァージル役にジェフリー・ラッシュをイメージしていたらしい。監督自らメルボルンの自宅を訪ねオファーし、受理されると4日間を一緒に過ごして役の輪郭を作り上げたのだそう。歩き方、手袋のつけ方、脱ぎ方までこだわった役作りは見事! とにかく、彼がクレアに夢中になって行く感じが、滑稽であり、気持ち悪くもあり、そして切なければならないと思うので、その辺りはさすがの演技! これはジェフリー・ラッシュ以外に考えられないと思う。ビリーのドナルド・サザーランドは出演シーンはそんなに多くないのに、さすがの存在感。最初から胡散臭くはあったけれど、詳しくは説明されない彼の動機についても、納得させなくてはならない。そういう意味では、切なさも感じられてよかったと思う。ジム・スタージェスが大きな役でビックリ! イヤ、結構映画出てるけど(o´ェ`o)ゞ 天才的な修復の腕を持ちつつも、女好きで気さくな青年。父親くらい年の離れたヴァージルに敬意をはらいつつ、友人として恋愛指南する。でも、実はそれらは全てウソだったわけで、恋愛指南しながら彼を笑っていたのかと思うとムカつくけれど、なんとなく実は彼もヴァージルに対してわだかまりを持っていたのではないか?と思ってしまう。その感じを持てたのはジム・スタージェスの憎めないキャラのおかげ。クレアのシルヴィア・ホークスは謎めいた美女だった時が良かった! ヴァージルの婚約者として"外"に出てきてからは、あまり魅力的ではなかったかなぁ・・・ まぁ、騙すって分かってたからかも(笑) 少しかわいらしい感じの美女。
結局、ヴァージルはクレアにより人生全てを失ってしまったわけだけど、美術品の鑑定眼は確かでも人間を見る目はなかったということ。1人の初老の男の転落人生ではあるわけだけど、見方を変えれば彼にとって初めての恋は辛い結末を迎えたけれど、その間は彼にとって最高に幸せだったとも言える。そして、彼は愛を知り"人間"になれたのかもしれない。前述したとおり、サスペンス映画として見るか、恋愛映画として見るかによって、結末も違ってくるのかなと思う。自分はサスペンス的な見方をしていたため、早い段階でオチや本当のクレアが誰なのか分かってしまったのが、見終わった後に感動できなかった原因かも。恋愛映画として見ると、マレーネ・ディートリッヒの『嘆きの天使』みたいだと思っていた。確かに、それは哀しい愛で、映画としては素晴らしいと思うけれど、誰かが徹底的に惨めになる姿は見たくないかな。何度も書くけど、監督としてはハッピーエンドなのだから、これは見方が違うのかもしれない。
美術品自体は鑑定依頼のあったものくらいしか説明がない。とにかくスゴイ数の美術品が登場する。ヴァージルの肖像画の間にはルノワールやモディリアーニの作品も! 絵画を見るのは好きだけど、そんなに詳しいわけではないので、ほとんど分からなかったのが残念・・・ 知識があったら面白いと思う! どのシーンも美しかった。屋敷がどんどん不気味に見えてくるのも興味深い。エンニオ・モリコーネの音楽も好き!
リピーターは1,000円で見れるそうだけれど、個人的にはもういいかな(笑) 拾えてない伏線もたくさんありそうだけれど(o´ェ`o)ゞ
くどいようですが、見方によって違う作品になりそうなので、とりあえず見てみて自分で感じた方がいいかも? ジェフリー・ラッシュ好きな方是非!

Sivaji The Boss Tamil (??????) - Full Movie 1080p HD
『ボス その男シヴァージ』のFull Movieがあった!
これ大好き! 久々に正統派バカ映画を見た! もちろホメてます!!
主演はもちろんSUPER STAR ラジニ・カーント
タミル語で日本語字幕なしの3時間超は辛いけどね・・・
『ボス その男シヴァージ』のFull Movieがあった!
これ大好き! 久々に正統派バカ映画を見た! もちろホメてます!!
主演はもちろんSUPER STAR ラジニ・カーント

タミル語で日本語字幕なしの3時間超は辛いけどね・・・

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

ハッピーホリデー!
クリックすると年末年始の検索画面へ
一応、毎度の
Wikipediaより・・・
年末年始(ねんまつねんし)は、
1年の終わりから翌年の初頭の期間の総称である
(具体的な期間は使用する場面によって異なる)。
ってまぁ、そうだよね(笑)
っていうか、このホリデーロゴシリーズは続くのかな・・・
イヤ、カワイイからいいんだけど!
ちょっと大変だなと思っただけ・・・ 自分がね(o´ェ`o)ゞ
検索画面のロゴも同じ


Happy Holiday

ハッピーホリデー!
クリックすると年末年始の検索画面へ
一応、毎度の

年末年始(ねんまつねんし)は、
1年の終わりから翌年の初頭の期間の総称である
(具体的な期間は使用する場面によって異なる)。
ってまぁ、そうだよね(笑)
っていうか、このホリデーロゴシリーズは続くのかな・・・
イヤ、カワイイからいいんだけど!
ちょっと大変だなと思っただけ・・・ 自分がね(o´ェ`o)ゞ
検索画面のロゴも同じ


Happy Holiday

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

Googleより、メリークリスマス!
クリックするとクリスマスの検索画面へ!
一応、毎度の
Wikipeidaより・・・
クリスマス(英: Christmas)とは、
イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭(降誕を記念する日)。
12月25日に祝われるが正教会のうちユリウス暦を使用するものは、
グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う。
キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、
およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、
クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、
教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。
なお、キリスト教で最も重要な祭りと位置づけられるのはクリスマスではなく、
復活祭である。
とのことで、さすがに情報量がハンパないので続きはWikipediaで!
検索画面のロゴも同じ


そうそう! 検索画面はこんな感じになってるよ!


雪の降る街をサンタがソリに乗っているのだけど・・・
小さすぎたか(o´ェ`o)ゞ
ということで!
†゚*。Merry Christmas。*゚†

Googleより、メリークリスマス!
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一応、毎度の

クリスマス(英: Christmas)とは、
イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭(降誕を記念する日)。
12月25日に祝われるが正教会のうちユリウス暦を使用するものは、
グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う。
キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、
およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、
クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、
教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。
なお、キリスト教で最も重要な祭りと位置づけられるのはクリスマスではなく、
復活祭である。
とのことで、さすがに情報量がハンパないので続きはWikipediaで!
検索画面のロゴも同じ


そうそう! 検索画面はこんな感じになってるよ!


雪の降る街をサンタがソリに乗っているのだけど・・・
小さすぎたか(o´ェ`o)ゞ
ということで!


毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

冬至!
クリックすると冬至の検索画面へ
一応、毎度の
Wikipediaで調べてみたよ!
冬至(とうじ)は、二十四節気の第22。
一年で最も昼が短い。十一月中(旧暦11月内)。
現在広まっている定気法では太陽黄経が270度の時で12月22日頃。
恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、
基点となる冬至は定気と同じ定義である。
文学ではその瞬間とし、日のほうは冬至日(とうじび)と呼ぶ。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の小寒前日までである。
西洋占星術は、冬至を磨羯宮(やぎ座)の始まりとする。
とのことで、
日本には次のような風習がある。
柚子湯
1838年(天保9年)の『東都歳時記』によれば、
流行し始めたのは江戸の銭湯からであるという。
小豆粥
小豆粥には疫病にかからないという伝承がある。
「ん」の付く食べ物を食べる
なんきん(カボチャ)・れんこん・うどん等である。
特にカボチャを食べる風習は全国に残っており、
これを食べると中風にならず、あるいは長生きするなどの伝承がある。
ただし、この風習は江戸時代の記録になく明治時代以降の風習とされる。
とのことデス!(●・w・●)ゝ
GoogleChromeでは動画になってて、Google手袋を編んでます!
動きが地味で伝わりにくいので、いつもの分割はなし(o´ェ`o)ゞ
検索画面のロゴはこんな感じ


よい冬至を!
なんだそりゃ?

冬至!
クリックすると冬至の検索画面へ
一応、毎度の

冬至(とうじ)は、二十四節気の第22。
一年で最も昼が短い。十一月中(旧暦11月内)。
現在広まっている定気法では太陽黄経が270度の時で12月22日頃。
恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、
基点となる冬至は定気と同じ定義である。
文学ではその瞬間とし、日のほうは冬至日(とうじび)と呼ぶ。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の小寒前日までである。
西洋占星術は、冬至を磨羯宮(やぎ座)の始まりとする。
とのことで、
日本には次のような風習がある。
柚子湯
1838年(天保9年)の『東都歳時記』によれば、
流行し始めたのは江戸の銭湯からであるという。
小豆粥
小豆粥には疫病にかからないという伝承がある。
「ん」の付く食べ物を食べる
なんきん(カボチャ)・れんこん・うどん等である。
特にカボチャを食べる風習は全国に残っており、
これを食べると中風にならず、あるいは長生きするなどの伝承がある。
ただし、この風習は江戸時代の記録になく明治時代以降の風習とされる。
とのことデス!(●・w・●)ゝ
GoogleChromeでは動画になってて、Google手袋を編んでます!
動きが地味で伝わりにくいので、いつもの分割はなし(o´ェ`o)ゞ
検索画面のロゴはこんな感じ


よい冬至を!

なんだそりゃ?


2本目はこの前途中までしか録画出来てなかった『ロンドンゾンビ紀行』バカで最高!おじいちゃんと孫がマシンガンを撃ちまくるのも笑えるけど、ゾンビになっても争ってるフーリガンとかw 最後イギリス万歳だなと思ったら原題COCKNEYSvsZOMBIESなのね!なるほどニヤリ☆ Posted at 09:24 PM


「祖父が入居している老人ホームが資金難で閉鎖されると聞き、銀行強盗を企てる兄弟。従姉と友人たちの協力もあり、なんとか成功するも、ロンドンの街にはゾンビ化した人々があふれており・・・」という話。まぁ、話っていってもねぇ(笑) これはバカであることを狙って作っているので、いわゆるMJ(みうらじゅん氏)言うところのバカ映画とは違うけれど、見ている間も見終わってからも「バカだなぁ(笑)」と思ってしまったので、自分にとっては完璧なバカ映画! ホメてます!!
これ『ショーン・オブ・ザ・デッド』にオマージュを捧げているそうだけれど、未見なのでどの辺りがオマージュなのかはサッパリ・・・

とにかく全部がバカ! テリーとアンディの兄弟が祖父を救うために銀行強盗を思い立ったのだって、そもそもは破天荒過ぎる両親が銀行強盗した挙句銃殺されたんじゃなかったっけ? 銀行強盗じゃなかったかもしれないけれど、とにかく銃殺されたのは事実! でも、それをコメディタッチで見せるのが好き。バカ映画だって言っているのだから、だいたい分かると思うけれどこれはコメディ。ただし、爆笑する感じじゃなくて、(。´pq`)クスッとか( ´,_ゝ`)プッとかいう感じのコメディ。って何だそれ?(笑)
邦題は『ロンドンゾンビ紀行』ってなっているけど、ロンドン中を徘徊するからかな? ゾンビもだけど、兄弟たちも。兄弟たちは老人ホームを救うため、従姉妹と友人2人と銀行強盗を企てる。友人のうち1人は軍に入隊して、頭を負傷し額に金属板が入っているという設定。その影響かかなり凶暴な性格。もう1人はギャンブル好きで借金で首が回らない気の弱いデブ。従姉はセクシー系で銃の腕がスゴイ。肝心の兄弟はどこか頼りないという設定。どんな設定?(笑) このメンバーが銀行強盗に行くけど、何故か受付嬢は大口取引の相手と勘違いし、すんなりお金を渡してくれちゃう。途中でバレてしまうけれど、受付嬢と銀行員を人質に取り辛くも逃亡に成功! というか、既にその頃にはゾンビがロンドン中に溢れていて、銀行強盗どころではないという感じ。
そこからは、警察とゾンビからの逃亡ということになるわけだけど、老人ホームに向かい祖父たちを助けなきゃならないってことで、逃げ出そうとする人質との駆け引きなども交えてのロンドン紀行となる。ただし、見ている側には、既にゾンビだらけなんだから、警察には黙っているから逃がせとか、競馬の借金とか、老人ホームが閉鎖されてしまうとか、それどころではないだろう!と思うわけだけど、何故か皆そこにこだわっているのが笑える(笑)
ゾンビについては、冒頭の建築現場で作業員が扉を開けてしまい、地下に封印されていた"何か"を起こしてしまったということぐらいしか説明がなく。以前何があって封印されていたのかとか、どうやったら全滅できるのかということに関しては全く説明なし。一応、ゾンビものの常識(?)に則り、頭を打ち抜いたら死ぬということになっているし、ただただ人間を食べるために襲ってくるだけで、動きものろい。しかも、メイクももう(笑) 今どき学園祭でももう少しクオリティ高いよというレベル。もちろん狙っているわけで、それが笑える。ゾンビになっても対立しているフーリガンとか(笑)
そして何といっても見どころは老人ホームのおじいちゃんたち! 兄弟の祖父は老人ホームのリーダー的存在! きちんと上着着用だし(笑) この祖父を中心に何とか逃げる。笑ったのがゾンビの真ん中で昼寝していたおじいちゃん救出エピソード! このおじいちゃん耳が遠いので、ゾンビに囲まれて大騒ぎしているのに、全く気づかず昼寝していた


金属版頭の友達はゾンビ化してしまい、兄弟に倒されるのだけど、彼の貸し倉庫に銃やらライフルやらがギッシリ! そこから武器を調達して、いざ老人ホームへ。その間、銀行員とデブの友人も亡くなっている。ロンドンバスで老人ホームに到着した兄弟と従姉と受付嬢。祖父たちと合流し武器を手に戦う。老人ホームを脱出しなくては! 老人たちが銃をぶっ放す! 爽快!!
老人ホームを脱出した兄弟+従姉+受付嬢+老人たち。テムズ川に停泊中の船に乗り込む。迫り来るゾンビの群れ。舵を取るおばあちゃん。出航! 鎖を解いていなかった・・・


キャストはほとんど知らなかった・・・ 従姉のミシェル・ライアンはFHM誌が選ぶ最もセクシーな女性100人に選ばれたそうで、確かにセクシー! 皮のジャンプスーツみたいな出で立ちの姐さんって感じだったけれど(笑) 祖父のアラン・フォードがカッコイイ! マシンガンぶちかますところもいいけど、上着着用でダンディ。『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』に出ていたそうだけれど、全く覚えていない。あの映画もう一度見たいなぁ・・・ 弟アンディ役のハリー・トレッダウェイと兄テリーのラスムス・ハーディカーは何をやらせてもダメで頼りないけど、憎めない感じをかわいらしく演じていた。ラスムス・ハーディカーは双子の兄ルークと『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』(感想は

ロンドン・オリンピック直後の2012年8月31日に少数の劇場で公開されるも満員御礼となったそうで、なるほどイギリス人好みな感じもする。どこがって言われると困るけど(o´ェ`o)ゞ とにかくバカで最高! オススメ!!

