'08.09.24 『グーグーだって猫である』@シネカノン有楽町2丁目
これは見たかった。猫が大好きだから。試写会応募しまくったけど惨敗(涙) シネカノン有楽町2丁目の小さい方で上映。ほんとに小さい。19:55開演の回のチケを18:00ちょい過ぎに買いに行ったら、あと4席! しかも、並びで取れるのは最前の2席のみ。危なかった・・・。
「独特の画風で人気の漫画家小島麻子。40歳超、独身、彼氏なし。13年と5ヶ月と1日一緒に暮らした愛猫サバ(Ca va? 元気?)を亡くし、気力を失ってしまう。数ヵ月後、運命的にグーグーと出会った麻子は再びマンガを描き始めるが、体調に異変を感じて・・・」という話。正直、見ている間はそんなにグッとこなかったけれど、ガツンとやられたシーンがあった。そのシーンのおかげで、この映画がとても好きになった。
「綿の国星」などの漫画家、大島弓子の実体験をもとにした作品の映画化。大島弓子のマンガはきちんと読んだ事はない。絵がふわふわとやわらかい印象なのに、セリフなどが哲学的だった印象。子供の頃には難しくて理解できなかった気がする。だから、この映画の雰囲気が大島弓子の世界観によるものなのか、映画独特のものなのか分からない。犬童一心監督の作品は『メゾン・ド・ヒミコ』しか見ていない。あの映画の時にも感じたけれど、ちょっと設定やセリフや演技やそういう全てが少々あざといくらいに作り物っぽい。日常の中にありそうで絶対にないシーンが多い。ストーリーとは関係ないそれが、実は重いテーマを緩和している。例えば散歩途中でいつの間にか殺陣の練習に加わっていたりする。見ていた時には正直、不自然に感じていた。麻子を応援するチアリーダーとか、老人疑似体験とかも、あざとさギリギリ。でも、不思議とイヤではない。多分、そんな全て作り物である感じを楽しむ映画なのかも。
吉祥寺が舞台。吉祥寺では近隣在住のbaruとたまに遊ぶ。結構好きな街。混んでいるけど渋谷や新宿ほどじゃない。CAFEとかお店とかもかわいいけど、どこかちょっとだけヤボったい感じも好き。もちろん褒めてます(笑) 井の頭公園内のpepacafe FORESTは行ったことがあるので、登場してうれしかった。ハッキリ2回出てきたけれど、それ以外にも映っていたような・・・。2回目のシーンは感動! 井の頭公園や武蔵野の自然の感じも美しく撮れていたと思う。
冒頭いきなりサバが死んでしまう。13年と5ヶ月と1日一緒だったサバ・・・。麻子が落ち込んでしまう気持ちはよく分かる。たかが猫じゃないかと思う人もいるかもしれないけれど、人見知りで好きな相手に自分の気持ちを上手く伝えられないような不器用な麻子にとって、一番身近にいたのは多分サバ。しかも13年も一緒に暮らしたのであれば、猫とはいえ立派な家族。そしてサバは麻子の生活の一部。先日鑑賞した『マルタのやさしい刺繍』の記事にも書いたけれど、愛している対象を失うことって、自分の一部を失うこと。それは日々の生活の中に深く入り込んでいるから。自分の日常に自然に溶け込んでいた存在を失うのは、自分を失うことだと思う。簡単には立ち直れない。その人(猫)だけがいなくなった日常を続けないといけないのだから・・・。サバとのお別れのシーンが美しく切ない。涙があふれた。そして、このシーンは後のシーンの伏線となっている。
サバを亡くして半年以上マンガを描くことができなかった麻子。ある日、グーグーと運命の出会いをする。このシーンはいい。恋愛と似ている(笑) イヤ恋に不器用な麻子はこの"運命"というものに心を動かされるのを待っているんだなと思う。"運命"というと大袈裟だけど、要するに自分の心に入り込んでくる感じ。そういのってある。人でも動物でも、映画でも、絵でも・・・。運命的に出会ったアメリカン・ショートヘアの男の子はグーグーと名付けられる。再びパートナーを得た麻子はアシスタント達を招集(@pepacafe)し、新作の構想を発表する。突然、人の何倍もの速度で老化していく少女の話。この時点では構想だけで全体は見えてこない。実際、この難病は存在し、今現在闘っている患者さんもいるのだけれど、おそらくこの作品は猫が人の4倍の早さで年を取っていく、ということに着想していんだと思う。だから、この時点ではやっぱりちょっと不思議な作品を描く人なんだなと思う。それは麻子の佇まいとも共通する印象。そして、それは麻子の恋愛でも感じること。感受性が豊か過ぎるがゆえに、感情を表現することが下手。相手の事を思いすぎて一歩も踏み込まない。一歩踏み込めないのじゃなく"一歩も"(笑) きっと傷つくのが怖いから・・・。
麻子は倒れてしまい、手術を受けることになる。死を意識した麻子は恋する相手、青自に2つ話をしようとする。1つ目はグーグーの事、2つ目は・・・。1つ目は条件付で受入れられる。でも、その条件が2つ目を話すことを躊躇させる。2つ目は語られず、見ている側に委ねられる。その感じはすごく良かったと思う。繊細でありながら男っぽい青自は、麻子にとっても合っていると思うけれど、この時点では2人の関係は曖昧なままでいい気がする。上手く言えないけれどその方がこの映画に合っている。麻子の病気は女性特有のもの。手術が成功しても辛い。麻子はひどく落ち込んでしまう。そんな彼女を救うのは・・・。これはネタバレにならないように注意しないと! ずっと狂言回しとして冒頭から登場していたマーティー・フリードマンがここで意外な役として初めて麻子の前に現れる。ここからのシーンは感動。ボロボロ泣いてしまった。全体的にちょっとあざといくらい作り物っぽかったのは、このシーンのためだったのかと思う。このシーンは麻子の夢ともとれるけれど、現実にあったのだと思いたい。そういう風に見ている側に思わせないといけない。となると、この映画自体が自然体という作り物っぽさであることが生きてくる。って、犬童監督の作品がそういう作風なのかもしれないけれど(笑)
小泉今日子が良かった。麻子はいつも自分の感情や気持ちを抑えているような気がする。だけど、人を寄せつけないわけではない。だから、みんな麻子のことが気になる。でも、麻子はある程度の距離から踏み込んでは来ない。こちらが踏み込む事を拒否はしないまでも、踏み込めない雰囲気がある。そんな女性をホントに自然に演じていた。この自然って素のまま演じるってことじゃない。実はきちんと役作りをして計算してると思う。でも、それを感じさせちゃいけない。ナチュラル・メイクと同じ(笑) ずっと気持ちを抑えてばかりいる麻子に、もどかしさは感じてもイライラしなかったのはキョンキョンのおかげ。麻子の葛藤も伝わってきた。そして、常に気持ちを抑えていた麻子が夢(?)のシーンで、気持ちを表すのがいい。ちょっと理解されにくい麻子という人を、だからこそ魅力的な人物にしていたと思う。
青自役は加瀬亮。加瀬亮は好きな役者。飄々とした役はピッタリだけど・・・。この役期待していたより良くなかった。悪くはないんだけど。正直、青自という人物にあまり魅力を感じなかった。繊細でありながら男っぽいというのは、とっても魅力的だと思うんだけど、何となく謎の男っぽい描き方がわざとらしかった。1人だけ浮いている感じ。彼が麻子をホントはどう思っているのか、彼女を尊重して踏み込まないのか、実は彼にも自信がなくて踏み込めないのかイマヒトツ分からない。それが狙いなのかもしれないけれど・・・。
麻子のアシスタント、ナオミ役は上野樹里。上野樹里の出演作はドラマも含めほとんど見た事がないけど、何となくわざとらしい自然体が気になっていた。上手く言えないけど・・・。老人疑似体験シーンでも、あんな風に歩いたりしないだろうというくらいやり過ぎ。結構そいういう鼻につくシーンがあるのが気になる。だけど、時々すごくいい演技をする。彼氏に嘘をつくシーンとか、絵に対する気持ちを語るシーンとか。これからいい女優さんになるかも。森三中が意外にいい。正直、上手くはないけど思ったよりやり過ぎていなくて良かった。病院での大島とサラリーマンとの掛け合いはおかしい。あと、やたらと出てくる村上のあまり美しくない側転とか(笑)
カメオ出演(?)もなかなかおもしろい。楳図かずおは笑えた(笑) もちろん楳図役で登場。棒読みだけどセリフもあり。あとはチラチラ出てくる。元カレ(?)役の田中哲司は好き。そして冒頭から登場のマーティー・フリードマン! マーティーはほとんど英語で喋っているのでかっこいい。重要な役でもある。しかも、あのイデタチで(笑)
麻子はマンガを完成させる。ほんの少し紹介されるその作品が素晴らしい。生きること、死ぬこと、そして再生することが描かれている。絶望し、葛藤を超えた時、人は新しい感覚や境地を手に入れる。そういう事を麻子は自ら体験したからこそ描けたのだと思う。そしてその事がこの映画の描きたい事なんだと思う。そして、このマンガ読んでみたいと思った。
そして何より猫がかわいい! 紙袋に入るグーグー。お風呂の蓋の上で眠るグーグー。迎えに来るグーグー。猫を飼っている人ならグッと来るシーン満載。そして夢のシーンは猫好きならきっと泣いちゃうハズ! 「この地球で、みんな対等に生きている」ホントにそうだと思う。
『グーグーだって猫である』Official site
これは見たかった。猫が大好きだから。試写会応募しまくったけど惨敗(涙) シネカノン有楽町2丁目の小さい方で上映。ほんとに小さい。19:55開演の回のチケを18:00ちょい過ぎに買いに行ったら、あと4席! しかも、並びで取れるのは最前の2席のみ。危なかった・・・。
「独特の画風で人気の漫画家小島麻子。40歳超、独身、彼氏なし。13年と5ヶ月と1日一緒に暮らした愛猫サバ(Ca va? 元気?)を亡くし、気力を失ってしまう。数ヵ月後、運命的にグーグーと出会った麻子は再びマンガを描き始めるが、体調に異変を感じて・・・」という話。正直、見ている間はそんなにグッとこなかったけれど、ガツンとやられたシーンがあった。そのシーンのおかげで、この映画がとても好きになった。
「綿の国星」などの漫画家、大島弓子の実体験をもとにした作品の映画化。大島弓子のマンガはきちんと読んだ事はない。絵がふわふわとやわらかい印象なのに、セリフなどが哲学的だった印象。子供の頃には難しくて理解できなかった気がする。だから、この映画の雰囲気が大島弓子の世界観によるものなのか、映画独特のものなのか分からない。犬童一心監督の作品は『メゾン・ド・ヒミコ』しか見ていない。あの映画の時にも感じたけれど、ちょっと設定やセリフや演技やそういう全てが少々あざといくらいに作り物っぽい。日常の中にありそうで絶対にないシーンが多い。ストーリーとは関係ないそれが、実は重いテーマを緩和している。例えば散歩途中でいつの間にか殺陣の練習に加わっていたりする。見ていた時には正直、不自然に感じていた。麻子を応援するチアリーダーとか、老人疑似体験とかも、あざとさギリギリ。でも、不思議とイヤではない。多分、そんな全て作り物である感じを楽しむ映画なのかも。
吉祥寺が舞台。吉祥寺では近隣在住のbaruとたまに遊ぶ。結構好きな街。混んでいるけど渋谷や新宿ほどじゃない。CAFEとかお店とかもかわいいけど、どこかちょっとだけヤボったい感じも好き。もちろん褒めてます(笑) 井の頭公園内のpepacafe FORESTは行ったことがあるので、登場してうれしかった。ハッキリ2回出てきたけれど、それ以外にも映っていたような・・・。2回目のシーンは感動! 井の頭公園や武蔵野の自然の感じも美しく撮れていたと思う。
冒頭いきなりサバが死んでしまう。13年と5ヶ月と1日一緒だったサバ・・・。麻子が落ち込んでしまう気持ちはよく分かる。たかが猫じゃないかと思う人もいるかもしれないけれど、人見知りで好きな相手に自分の気持ちを上手く伝えられないような不器用な麻子にとって、一番身近にいたのは多分サバ。しかも13年も一緒に暮らしたのであれば、猫とはいえ立派な家族。そしてサバは麻子の生活の一部。先日鑑賞した『マルタのやさしい刺繍』の記事にも書いたけれど、愛している対象を失うことって、自分の一部を失うこと。それは日々の生活の中に深く入り込んでいるから。自分の日常に自然に溶け込んでいた存在を失うのは、自分を失うことだと思う。簡単には立ち直れない。その人(猫)だけがいなくなった日常を続けないといけないのだから・・・。サバとのお別れのシーンが美しく切ない。涙があふれた。そして、このシーンは後のシーンの伏線となっている。
サバを亡くして半年以上マンガを描くことができなかった麻子。ある日、グーグーと運命の出会いをする。このシーンはいい。恋愛と似ている(笑) イヤ恋に不器用な麻子はこの"運命"というものに心を動かされるのを待っているんだなと思う。"運命"というと大袈裟だけど、要するに自分の心に入り込んでくる感じ。そういのってある。人でも動物でも、映画でも、絵でも・・・。運命的に出会ったアメリカン・ショートヘアの男の子はグーグーと名付けられる。再びパートナーを得た麻子はアシスタント達を招集(@pepacafe)し、新作の構想を発表する。突然、人の何倍もの速度で老化していく少女の話。この時点では構想だけで全体は見えてこない。実際、この難病は存在し、今現在闘っている患者さんもいるのだけれど、おそらくこの作品は猫が人の4倍の早さで年を取っていく、ということに着想していんだと思う。だから、この時点ではやっぱりちょっと不思議な作品を描く人なんだなと思う。それは麻子の佇まいとも共通する印象。そして、それは麻子の恋愛でも感じること。感受性が豊か過ぎるがゆえに、感情を表現することが下手。相手の事を思いすぎて一歩も踏み込まない。一歩踏み込めないのじゃなく"一歩も"(笑) きっと傷つくのが怖いから・・・。
麻子は倒れてしまい、手術を受けることになる。死を意識した麻子は恋する相手、青自に2つ話をしようとする。1つ目はグーグーの事、2つ目は・・・。1つ目は条件付で受入れられる。でも、その条件が2つ目を話すことを躊躇させる。2つ目は語られず、見ている側に委ねられる。その感じはすごく良かったと思う。繊細でありながら男っぽい青自は、麻子にとっても合っていると思うけれど、この時点では2人の関係は曖昧なままでいい気がする。上手く言えないけれどその方がこの映画に合っている。麻子の病気は女性特有のもの。手術が成功しても辛い。麻子はひどく落ち込んでしまう。そんな彼女を救うのは・・・。これはネタバレにならないように注意しないと! ずっと狂言回しとして冒頭から登場していたマーティー・フリードマンがここで意外な役として初めて麻子の前に現れる。ここからのシーンは感動。ボロボロ泣いてしまった。全体的にちょっとあざといくらい作り物っぽかったのは、このシーンのためだったのかと思う。このシーンは麻子の夢ともとれるけれど、現実にあったのだと思いたい。そういう風に見ている側に思わせないといけない。となると、この映画自体が自然体という作り物っぽさであることが生きてくる。って、犬童監督の作品がそういう作風なのかもしれないけれど(笑)
小泉今日子が良かった。麻子はいつも自分の感情や気持ちを抑えているような気がする。だけど、人を寄せつけないわけではない。だから、みんな麻子のことが気になる。でも、麻子はある程度の距離から踏み込んでは来ない。こちらが踏み込む事を拒否はしないまでも、踏み込めない雰囲気がある。そんな女性をホントに自然に演じていた。この自然って素のまま演じるってことじゃない。実はきちんと役作りをして計算してると思う。でも、それを感じさせちゃいけない。ナチュラル・メイクと同じ(笑) ずっと気持ちを抑えてばかりいる麻子に、もどかしさは感じてもイライラしなかったのはキョンキョンのおかげ。麻子の葛藤も伝わってきた。そして、常に気持ちを抑えていた麻子が夢(?)のシーンで、気持ちを表すのがいい。ちょっと理解されにくい麻子という人を、だからこそ魅力的な人物にしていたと思う。
青自役は加瀬亮。加瀬亮は好きな役者。飄々とした役はピッタリだけど・・・。この役期待していたより良くなかった。悪くはないんだけど。正直、青自という人物にあまり魅力を感じなかった。繊細でありながら男っぽいというのは、とっても魅力的だと思うんだけど、何となく謎の男っぽい描き方がわざとらしかった。1人だけ浮いている感じ。彼が麻子をホントはどう思っているのか、彼女を尊重して踏み込まないのか、実は彼にも自信がなくて踏み込めないのかイマヒトツ分からない。それが狙いなのかもしれないけれど・・・。
麻子のアシスタント、ナオミ役は上野樹里。上野樹里の出演作はドラマも含めほとんど見た事がないけど、何となくわざとらしい自然体が気になっていた。上手く言えないけど・・・。老人疑似体験シーンでも、あんな風に歩いたりしないだろうというくらいやり過ぎ。結構そいういう鼻につくシーンがあるのが気になる。だけど、時々すごくいい演技をする。彼氏に嘘をつくシーンとか、絵に対する気持ちを語るシーンとか。これからいい女優さんになるかも。森三中が意外にいい。正直、上手くはないけど思ったよりやり過ぎていなくて良かった。病院での大島とサラリーマンとの掛け合いはおかしい。あと、やたらと出てくる村上のあまり美しくない側転とか(笑)
カメオ出演(?)もなかなかおもしろい。楳図かずおは笑えた(笑) もちろん楳図役で登場。棒読みだけどセリフもあり。あとはチラチラ出てくる。元カレ(?)役の田中哲司は好き。そして冒頭から登場のマーティー・フリードマン! マーティーはほとんど英語で喋っているのでかっこいい。重要な役でもある。しかも、あのイデタチで(笑)
麻子はマンガを完成させる。ほんの少し紹介されるその作品が素晴らしい。生きること、死ぬこと、そして再生することが描かれている。絶望し、葛藤を超えた時、人は新しい感覚や境地を手に入れる。そういう事を麻子は自ら体験したからこそ描けたのだと思う。そしてその事がこの映画の描きたい事なんだと思う。そして、このマンガ読んでみたいと思った。
そして何より猫がかわいい! 紙袋に入るグーグー。お風呂の蓋の上で眠るグーグー。迎えに来るグーグー。猫を飼っている人ならグッと来るシーン満載。そして夢のシーンは猫好きならきっと泣いちゃうハズ! 「この地球で、みんな対等に生きている」ホントにそうだと思う。
『グーグーだって猫である』Official site