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【art】「ボストン美術館 浮世絵名品展」鑑賞@江戸東京博物館

2008-11-30 23:46:10 | art
'08.11.22 「ボストン美術館 浮世絵名品展」@江戸東京博物館

これは見たかった。毎月恒例の砂風呂Pasir Putihの日。いつも一緒に行ってるbaruとFちゃんがダメになってしまいお一人様での入浴となった。江戸東京博物館は土曜日のみ19:30まで開館。帰りに寄ってみることにした。

多くの日本美術のコレクションを誇るボストン美術館。その数なんと5万点! その最大の功労者はスポルディング兄弟。彼らはその潤沢な資金をもとに、あのフランク・ロイド・ライトの指導のもと浮世絵を中心に収集。その数は約6,500点にのぼる。彼らの「決して展示公開しないように」との遺言により保管されている作品は、素晴らしい保存状態で当時の色を守っているのだそう。これはNHKの番組で紹介されていた。今回は同じく日本美術に魅せられたウィリアム・スタージス・ビゲローのコレクションを中心にした展覧会。こちらも保存状態がいい。錦絵(浮世絵木版画)の初期から幕末の北斎、広重の時代までを4つの章に分けて展示。その時代に描かれた肉筆画なども併せて公開されている。

【第1章 浮世絵初期の大家たち】
初期の作品は墨と紅のみで描かれている。遊女や役者絵が多い。墨と紅だけでは表現できるものも限られていたのかもしれない。面白かったのは西村重長の「げんじ五十四まいのうち 第十八番 げんじ松風」これは貼り付け箱絵と呼ばれるものだそうで、あまり大きな作品ではない。明石の君と明石の尼君が屋敷の内で佇む姿を描いたもので、絵の周りに吹絵という型抜きで描かれた花模様がかわいらしい。

【第2章 春信様式の時代】
初めて多色刷りを用い、錦絵の一大ブームを巻き起こし、春信様式を確立した鈴木春信。登場してから亡くなるまでの約5年間に大きな功績を残した。春信は大好き。女性が何とも愛らしい。線の細い柳腰で、庶民の女性を描いても品がある。「女三の宮と猫」が素晴らしい。表情の愛らしさは相変わらず。型押しで模様を浮き出させた半襟が美しく品がいい。細かな花模様も美しい着物の紫がいい。紫は高貴を表すと聞いた事がある気がする。源氏物語に登場する女性達はたいてい好きだけど、唯一惹かれない女三の宮。年若かったとはいえ、皇女という高貴な身分でありながら、うかつにも端近に立ち、猫が御簾を捲り上げた瞬間、姿をあらわにしてしまう。その姿を見た柏木は激しい恋に落ち、2人は過ちを犯し不義の子薫が誕生する。柏木は罪の意識から病死してしまい、女三の宮も若くして出家することになる。光源氏晩年の悲劇を演出する重要人物。その考えの足りなさ、自分のなさにイラっとするけど、春信の女三の宮はそんなところも魅力に感じるほどの愛らしさ。

「水仙花」は炬燵にあたる男女の絵。ぼんやりする男の注意をひくため男の足をくすぐる女がかわいい。春信の絵は男女の区別がつきにくい。髪形にわずかな違いがあるくらいで、他の絵師と違い男性も美しく女性的に描かれている。多色刷りにより部屋の装飾や小物なども細かく表現できるようになったのだそう。「伊達虚無僧姿の男女」はわりと大きな作品。春信にしては珍しくアップ。特に男の方がいい。虚無僧姿というのは仇討ちを狙う者の姿だそうで、その美しく優しい顔立ちからは哀しさが伝わってくる。それを引き立てる黒の衣装がいい。春信はこの黒を効果的に使うことを発見したのだそう。

ここでのもう一つの見ものは磯田湖龍斎の「雛形若菜の初模様」シリーズ。百数十点にのぼる作品で、初模様とはお正月に遊女が着る着物のことだそう。それぞれ華やかで美しいけれど、顔デカ(笑)

【第3章 錦絵の黄金時代】
そして黄金時代へ。鳥居清長の美人画は美しい。清長といえば八頭身美人。「当世遊里美人合」がいい。2枚組の作品で、それぞれ3人ずつ描かれている。女性たちの表情が豊か。右側中央の女性の紫の着物が素晴らしい。当時の絵師達がずいぶん女性に紫を着せていた事が分かる。一筆斎文調という絵師のことは知らなかったけれど、「二代目市川門之助の曽我五郎と二代目市川八百蔵の曽我十郎」の、それぞれ鳥と蝶の柄の着物が素晴らしかった。

ここでの見ものは喜多川歌麿と東洲斎写楽。どちらもそんなに点数は多くないけれどさすがの迫力。歌麿の「青楼仁和嘉女芸者之部 扇売 団扇売 麦つき」がいい。仁和嘉とは毎年8月に行われていたお祭りだったかな? ちょっと失念・・・。庶民の楽しみを描いている。歌麿といえば美人画大首絵だけど、これも有名な「当時三美人」と同じ構図。それぞれ売り子の姿になっているのがかわいい。やっぱり歌麿の美人は美人! そしてかわいい。「鷹狩り行列」では全身像を描いているけれど、これは寛政12年(1800年)に大首絵が禁止されてしまったからなのだそう。「当時三美人」に描かれた町娘達が大人気となってしまい、娘たちの名前を入れることを禁じられたりと、度々そういった弾圧にあっている。個人としては辛いけれど、それだけ影響のある絵なのだと思えばすごいことだ。

そして東洲斎写楽。有名な「二代目 嵐龍蔵の金貸石部金吉」 この人物が悪役だったことは初めて知った。さすがの迫力。背景の黒が役者の顔を引き立てるけれど、この黒一色の背景を刷り上げるにはそうとうな腕の刷師でないとできないそうで、さらに高級品である雲母(キラ)を使用している事からも、版元が写楽にかける期待が伺われるのだそう。しかし「二代目 瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木」もそうだけれど、エラの張りぐあいや小さな目をあえて強調して描く、その感じはおもしろい。

【下絵・肉筆・版本】
第4章の前に下絵、肉筆、版本をご紹介。これは特別にコーナーを設けてあるわけではなく、各章にそれぞれ展示されている。歌川広重の下絵がいいけれど、心惹かれたのは4点。まずは勝川春章の「三十六歌仙」後姿の女性は小野小町かな? そのなまめかしい後姿は美しく、重ねた十二単の着物が素晴らしい。勝川春章は北斎が勝川春朗と名乗っていた頃の師匠で、似顔絵師と呼ばれていたそうだけど、この絵に顔は描かれていない(笑) 喜多川歌麿の「画本虫撰」が素晴らしい! へちまと虫を描いているけれど、それぞれの描写が素晴らしく、へちまの花の黄色が利いている。並んで展示してあった「潮干のつと」の貝と海藻も素晴らしい。これは歌麿には珍しい風景画が収められているそう。歌麿といえば美人画だと思っていたけれど、さすがの画力に感動。そして葛飾北斎の「冨嶽百景」 これは北斎自ら監修した版本。あとがきに自信のほどが書かれているそうだけれど、各絵ごとに彫師を指定し、欄外にその名前を記載するほどのこだわりようは見事で、展示されていたページに描かれていた鶏はさすが! これはすばらしい。墨一色で印刷された鶏の羽根の一枚一枚まで表現され、今にも動き出しそうな迫力。この本を出版した時、北斎は75才。疲れたなんて言ってられないな(笑)

【第4章 幕末のビックネームたち】
ここでは何と言っても葛飾北斎と歌川広重でしょう。ということで2人の事は後ほど。展示の順番としては最後になるけれど歌川国芳の「鬼若丸の鯉退治」の鯉の迫力がスゴイ。どんだけデカイんだよと思うけれど(笑) そして幻の天才絵師と言われる歌川国政。芝居好きで役者の大首絵に才能を発揮。同じ役者を描いても写楽とは全く違った表情を切りとっている。生き生きとした描写もさることながら「市川蝦蔵の暫」の構図は今で言うポスターという感じ。斬新で全く古くない。グラフィック・デザインのよう。暫は江戸のヒーローで、困っている人がいると「暫!」と駆けつけて問題を解決していくのだそうで、歯を食いしばった横顔の迫力は素晴らしく、右側から斜めに描かれた四角の紋の袖は画面の3分の1を占めている。これは斬新で面白い。でも、彼が絵師として輝いたのはデビューして1年半ほど。時代の流れで売れるものをとの版元の要求に応えるうち、当初の輝きは失われてしまったのだそう。いつの時代もそうだけれど、売れるものとやりたい事が相容れないのは切ない。

北斎はやはり違う。上手く言えないけれど絵からオーラを感じる。遠くから見ても絵に惹きつけられる。やはり「冨嶽三十六景 山下白雨」が素晴らしい。有名な「凱風快晴」と同じ構図の赤富士だけど、ここでは白雨=にわか雨を表現していて右下には雷が描かれている。富士の美しい姿と雷が印象的。空の藍のぼかしもいい。「桔梗にとんぼ」も好き。繊細かつ大胆に配置された桔梗の描写が素晴らしく、花の紫は品がいい。その桔梗に向かって近づくとんぼの赤が画を引き締めている。羽根が少しちぎれているのが完璧すぎる絵の抜きになっているように思う。「雪松に鶴」がいい。うねった松の木を画面の中央に描き、その上に2羽の鶴を配置。鶴の羽根の描写も素晴らしいけれど、手前の鶴の羽根の青と、奥の鶴のくちばしの青がいいアクセントとなっている。わずかに空いた左の余白に墨のぼかしがほどこされているのがいい。

歌川広重の「五拾三次」シリーズ「油井 薩埵峰」「丸子 名物茶店」「庄野 白雨」が素晴らしい。「五拾三次」シリーズは今まで何度か見ているけれど、色の鮮やかさにビックリ! こんなに鮮やかだったとは・・・。特にベロ藍の鮮やかさがすばらしい。歌麿がこれを好んで多用していた事が分かる。「丸子 名物茶屋」には弥次喜多が描かれている。これは初刷りなのだそうで、「庄野 白雨」も傘に書かれた”竹のうち”という版元の名前から初刷りだと分かるのだそう。実は歌麿は風景画家として相当の自信を持っていたそうで、北斎に対しても尊敬と同時にライバル心を持っていたのだそう。でも、国政と同様に版元からの色の変更や、人物の書き加えなどの注文に傷つき、風景は描かないと宣言したのだそう。でも、ペリー来航により警備を強化するため砲台を設置するなど、江戸の風景が失われていくことを嘆いた広重は、後に「名所江戸百景」シリーズを描くことになる。そのシリーズの一枚「深川木場」は雪景色の木場を描く。絵の中央に縦に描かれた川の藍が利いている。その藍が凍った水の冷たさを感じさせる。

そして本日の一枚! 「両国花火」が素晴らしい。画面半分よりやや下に隅田川を描き、そこに掛けられた両国の大橋の上にはたくさんの人がシルエットで描かれている。川にはたくさんの屋形船。画面中央に川から打ち上げられた花火の軌道を描き、右上に花火が配置されている。星型とも花形とも見える花火の表現がかわいい。空の墨のぼかしと、川の藍のぼかしの対比が素晴らしいけれど、空のぼかしが入っているのは初刷りの証しとのことで、後の版では省略されているのだそう。空のぼかし部分には木目まで見えてこれは素晴らしい! 橋の欄干や柱、その上の人物達、船頭の躍動感、屋形船の賑わい、何一つ手を抜いていない見事な仕上がり。同時にこのぼかしの表現は彫師、刷師の腕の素晴らしさにも感服。当時江戸ではコレラが蔓延し多くの人が命を落としたことから、何か庶民に楽しみをと始められた両国の花火大会。広重はこの絵を仕上げて1ヵ月後に亡くなったのだそうで、まさに江戸庶民に捧げた渾身の一枚。この絵に惹きつけられるのは当然なのかもしれない。素晴らしい!

とにかくこれだけ多数の作品が色もほとんど褪せずに残っているのは素晴らしい。これは本当に見てよかった! 素晴らしい。


★江戸東京博物館:2008年10月7日~11月30日
「ボストン美術館 浮世絵名品展」Official site

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【art】「フェルメール展」鑑賞@東京都美術館

2008-11-26 01:24:11 | art
'08.11.21 「フェルメール展」@東京都美術館

これも見たくてやっと見てきた! 実は先週土曜日見に行ったけど、40分~1時間待ちというのでチケだけ買って帰ってきた。都美術館も金曜日のみ8時まで開いているので、ありがたい。上野の美術館口を出たら続々と向かう人の列。もしや…と思ったら案の定、皆都美術館へ向かう。改めてフェルメールの人気の高さにビックリ。ロッカーも全て埋まっていて空きはない。

1Fはフェルメールと同時期のオランダ、主にデルフトの画家の作品を展示。ここからすでに混んでる。オランダ絵画は色や光が美しいのでじっくり見たいところだけど、この分ではフェルメールは大変なことになっているだろうと思い、流して先に進むことにする。それでもフェルメールの同僚であったというペーテル・デ・ホーホの作品は素晴らしく、これは足を止めて鑑賞した。庶民の部屋の一室を舞台に描かれた絵は、光の取り入れ方や、まるでドアのこちら側から覗いているかのような構図、手紙などのモチーフまでフェルメールに似ている。これらは当日流行し、さかんに描かれたモチーフなのだそう。

まずは「幼児に授乳する女性と子供と犬」は窓辺のイスで授乳する女性と、その傍らで子犬と遊ぶ少女。ほのぼのとした日常の風景。この時期のオランダでは家庭や家族の大切さを描く事が流行していたのだそうで、実は絵の中にそれを象徴するものがたくさん描かれている。母親は聖母マリアを体現しており、暖炉の柱に施された彫刻の天使は家族の愛を表現しているのだそう。ちょっと忘れてしまったけれど、母親の頭上にかけられた鳥かごや、子犬も家族の大切さを象徴していたはず。女性の青い服とスカートの赤、そして赤ちゃんを包む黄色い布のコントラストがいい。

「訪問」の構図が一番フェルメール作品に近い。左側に窓があり、つきあたりの壁にはタペストリーが掛けられている。ドア越しに覗いているいかのような描き方。女性が着ている赤い上着が美しく青いスカートとのコントラストがいい。デ・ホーホはこの色の組み合わせが好きだったのかな。その赤い上着が窓に反射しているのがおもしろい。

「窓辺で手紙を読む女」はタイトルどおり正面にある窓の傍らで手紙を読んでいる女性を描いたもの。フェルメールの絵画にもよく出てくる手紙というモチーフ。当時、郵便制度の発展により手紙ブームが起きたのだそう。フェルメールの手紙にはどこか秘め事の香りがするけれど、この作品はもう少し平和な感じがする。正面の窓から見える風景は"広い世界"を表しているそうで、商用で出かけた夫からの手紙を読んで外の世界に思いを馳せているのかも。などと想像が膨らむ。

2Fに上がっていよいよフェルメール。階段を上がりきったところが最後尾という状態。混んでいる・・・。じっくり見たいので並んでいく。1点目が「マルタとマリアの家のキリスト」これは現存する唯一の宗教画で、フェルメール初期の作品。160×142とフェルメール作品の中では最大。本物か偽物かとの議論がなされたそうだけど"IVMeer"のサインが決め手となり、本物と認定されたのだそう。フェルメールといえばファン・メーヘレンによる贋作事件が有名。それ以来真偽の見極めが大変難しく、時間がかかるのだそう。ルカ伝から題材を得たそうだけど、ルカ伝が全く分からない・・・。どうやら聖母マリアの姉妹マルタの家へキリストが訪れているところらしい。通常はキリストを中央に描く事が多いそうだけれど、マルタを中央に配置している。これは2人をもてなすマルタの姿が”家事=美徳”ということを表しているのだそう。見ごたえのある大きさだけど、正直そんなにグッとこない。

続いて「ディアナとニンフたち」こちらは唯一の神話画。レンブラントの影響を受けていると言われているそうだけど、あまりよく分からない(笑) 「マルタ~」に比べると光を取り入れ中央のディアナが浮き立つように描かれている。ディアナの左にこちらに背を向けた女性が座っている。彼女はディアナ側の肩をはだけて背中を露出させている。その背中の白さがディアナを引き立てているように思う。このニンフはフェルメール唯一の半裸女性なのだそう。ディアナもニンフ達もすぐに神話の人物と分かるような衣装ではない。ディアナの頭上の三日月の冠もさりげなく描かれている。彼女がそっと出した足を洗うニンフ。その足元の水盤は純潔を表しているそうで、これは妻に捧げたものではないかと言われているのだそう。これは好きだった。

「小路」は現存する2点の風景画のうちの1枚。もう1点は「デルフト眺望」 画面中央から右に煙突が数本立つ3階建ての家を描く。赤茶のレンガ造りを思わせる建物の1階部分のみ漆くいが塗られている。そこに緑や赤の雨戸(?)とのバランスがいい。人物達は背景に溶け込んでいて、窓の開閉、光と影のコントラストが素晴らしい。画面左に描かれた三角型の屋根は16世紀デルフトの特徴的な形だそうで、この場所自体は特定されていない。その折り重なった屋根の連なりが奥行きを感じさせている。これはいい。

廊下を通って行くと円形のスペースに出る。ここに残り4点。全作品に各パーツを拡大し、鑑賞ポイントを表示したパネルがあわせて展示してある。前3点は背中合わせだったので見比べ出来なかったけど、ここからは手前に展示してあったので予習をしながら待てて良かった。しかし混んでる・・・。ちゃんと見たい人はきちんと並んで待っているのだから、割り込みはやめて欲しいし、ロッカーがいっぱいだったから仕方ないにしても、大きな荷物を人にガンガンぶつけるのはやめて欲しい。最低限のマナーだと思うんだけどな・・・。

「ワイングラスを持つ娘」は珍しく風刺的な気がする。多分、他の作品にもいろいろ込められているんだと思うけれど、これは結構あからさまな印象。グラスを持った娘が意味ありげな笑みを浮かべてコチラを見ている。彼女を誘惑しようとしている男性。彼も彼女も表情はどこか淫靡。特に女性はレンブラントの「放蕩息子の酒宴(レンブラントとサスキア)」を思わせるけど気のせいかな? 彼らはお酒の誘惑を表していて、左側の窓のステンドグラスに描かれた手綱を持った女神は自制を表しているのだそう。このステンドグラスは一見目立たないけれど、内側に少し開いた窓に描かれた女神はまるで3Dのように浮き出て見えた。これは見事。

「リュートを調弦する女」はいつもの左側に窓があり、つきあたりにタペストリーのある構図。画面手前に置かれたイスの影が光とのコントラストとなっているのだそう。テーブルにこちら向きに座っているけれど視線はコチラを向いていない。フェルメール作品によく登場する襟や裾に白い毛皮のついた黄色い上着を着ている。財産目録か何かにこの上着を思わせる記述があるようで、妻のものではないかと言われているそうだけど、これは中上流の女性しか着れなかったのだそう。という事はこの女性もその階級の人という事になる。おそらく自ら家事などはせず、午後のひと時リュートでも弾こうかと調弦を始めて、ふと窓の外に目をやっている場面。外の様子を覗き見る女性を覗き見る感じが面白い。フェルーメールはとっても写実的だと思っていたけれど、リュートは意外にきちんと描かれていない。弦もないし穴もない。これは意外だった。

「手紙を書く婦人と召使」は作品の完成度としては今回の中では1番高いかもしれない。なんてエラソウだけど(笑) 人物を目立たせるため視点を低く描き空間のパーツが細かく計算されているのだそう。他の作品に比べると室内は重厚な感じで、調度類や床のタイルも品がいい印象。女主人が被ったレースの帽子(?)が美しく、ふくらんだ袖の白さに清潔感がある。窓からの光を利用して手紙を書く女主人の姿は一見穏やかだけど、床には赤い刻印や丸めた手紙が散らばっており、届いた手紙に対して返事をしたためているのか、書き損じなのか想像がふくらむとの事だけど、女主人の後ろで軽く手を組み意味ありげな笑みを浮かべつつ、窓の外に目をやる召使の佇まいからは、普通の手紙ではない印象。それは秘めた恋というよりは、金銭がらみのような気がする。フェルメールは妻の実家で暮らし、その家業で貸金業の集金もしていたらしく、晩年はそちらに追われて絵を描く時間がほとんど持てなかったのだそう。そんな背景を考えると、召使の笑みも皮肉は感じに見えてくるのは考えすぎかな?

そしてラスト「ヴァージナルの前に座る若い女」これはかわいい。ヴァージナルというピアノのような楽器の前に座りこちらに顔を向けている若い女性。リボンをつけた三つ編みのような髪型がかわいらしい。白っぽいサテン地のようなスカートの質感がいい。肩から掛けた黄色いショールは加筆されたのでないかと言われているそうで、そう言われてみると確かに違和感。裾の方はなんでこんなモンブランのようになってるんだろう。肩の辺りの色やタッチとも違うので、加筆なのかもしれない。その辺りも含めて1993年から真偽が調査され、ルーブル美術館蔵の「レースを編む女」と同じキャンバスである事が判明し、本物と認められたのだそう。2003年にオークションで落札され、現在見つかっている中では唯一個人所有の作品。フェルメールが生きていた頃、1枚数千円で買われていたそうだけれど、25.2×20のこの作品は32億円で落札された。ゴッホを初め多くの画家がそうだけれど、とっても切ない・・・(涙)

3Fにも他のオランダ画家の作品が数点展示されていたけれど、すっかり疲れてしまってあまり見れなかったのが残念。最後パネルでフェルメールの全作品が展示してあった。これは面白かった。去年見た「牛乳を注ぐ女」が意外に小さいのにビックリ。

またまた長々書いてしまった。これはホントに素晴らしかった! 都美術館でもらってきた朝日新聞の別刷り特集によると、フェルメール作品を最多所有するニューヨーク、メトロポリタン美術館でも5点、母国オランダですらアムステルダム美術館とマウリッツハイス王立美術館合わせて7点しか所有していない。そんな中、7点一気に見れるのはホントにスゴイこと。これは本当に見てよかった!


フェルメール展:2008年8月2日~12月14日 東京都美術館

「フェルメール展」東京都美術館

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【art】「大琳派展 ~継承と変奏~」鑑賞@東京国立博物館 平成館

2008-11-17 01:00:53 | art
'08.11.07 「大琳派展 ~継承と変奏~」@東京国立博物館・平成館

ずっと見たくてやっと見てきた。なぜ美術館は5時頃に終わってしまうんだろう。ほとんどの人がそんな時間帯では行けないと思う・・・。東京国立博物館は金曜日のみ8時まで開館。やっと見れた。

琳派とは尾形光琳が確立した絵画・工芸の一派。光琳に憧れた酒井抱一とその弟子鈴木其一までの流れを言う。今回は光琳を中心として彼が敬愛した俵屋宗達、本阿弥光悦の作品もあわせて展示し、琳派のルーツから完成までを一気に見せるという感じ。何といっても俵屋宗達⇒尾形光琳⇒酒井抱一⇒鈴木其一と模写の連作(?)4作の「風神雷神図」が見れる事がスゴイ! こんなチャンスはめったにない! ということでこれを見に行ってきた。平成館については何度か書いたけれど、吹き抜けのエントランスを中央として左右に展示室がある。4点の「風神雷神」は割りと早い段階にある。でも、これがメインなので後ほどゆっくり語りたいと思う。
「風神雷神」以外で良かった作品はいっぱいあって、本当に書きたい作品がたくさんあるのだけど、全部はムリなのでそれぞれの章から何点かピックアップ。

まずは第1章:俵屋宗達・本阿弥光悦から。「唐獅子図・波に犀図杉戸」「白象図・唐獅子図杉戸」が素晴らしい。京都の養源院は徳川秀忠の正室於江が建立したのだそう。その杉戸に描かれた白い象。これはスゴイ。はっきり言うと象としては間違っているところが多い。宗達が実際に象を見たのかは不明だけど、多分この絵はその他の獅子、犀などと共に、本物を描こうと思ったのではなく、伝説の生き物を描こうとしたのかもしれない。これはグラフィックデザインとして素晴らしい。2作は阿形吽形に配置されている。これは「風神雷神」も阿吽の配置を取っていることを考えると興味深い。「伊勢物語図色紙・芥川」はさらって来た姫君が鬼に食われてしまったというシーン。この鬼はそのまま雷神。どちらが先に描かれたのだろう。「兎図」は雪景色の中に佇む兎の姿がかわいい。これは川合玉堂が持っていたことがあったらしい。川合玉堂は大好き。なんとなくうれしい。本阿弥光悦は書が素晴らしい。宗達が絵を描き、光悦が書を書くという今で言うコラボ作品がたくさん見られる。特に素晴らしいのは「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」これは銀を使った鶴が右から左へかけて羽ばたいていく宗達の絵と、その上に書かれた光悦の筆が素晴らしい。そして光悦といえば茶碗。「黒楽茶碗 銘 雨雲」が素晴らしい。切りっぱなしの口は斬新で、うわぐすりがはげたまま焼かれた器は自然のままの姿。こういうのは作ろうと思って作れるものではない。素晴らしい。

第2章:尾形光琳・尾形乾山。兄弟2人のコラボ「銹絵布袋図角皿」「銹絵鶴図角皿」が素晴らしい。布袋様や鶴などの絵や、添えられた書もいいけれど、正方形の皿の周囲に2cmほどの縁取りがしてあり、その外側に施された模様が素晴らしい。花紋のようなものが中央に描かれ、その両脇に格子模様が手描きで描かれている。これはちょっと洋風でありとってもモダン。10枚組として見つかったけれど、元は20枚組みだったのではないかと言われているそう。これはホントに素晴らしい。光琳の「秋草図屏風」も良かった。両脇に菊を配し、その中央にピンクのかわいらしい花が描かれていて美しい。菊は盛り上がっており浮き出ているのがおもしろい。光琳の「寿老人・山水図団扇」の寿老人が福々としてかわいい。ちょっとマンガっぽい。これは雪舟の写しなのだそう。光琳の「水葵蒔絵螺鈿硯箱」のデザインがいい。螺鈿が素晴らしい。

第3章:光琳意匠・光琳顕彰 ここでは酒井抱一が描いた「観音図」が興味深い。観音様の美しさもさることながら、光琳を尊敬していた抱一が自ら催した光琳百年忌の為に描いたという背景がおもしろい。抱一はさらに「光琳百図」「光琳百図後編」という図録を編纂している。後編には「風神雷神」も含まれてる。それぞれ2冊ずつからなるこの2編は個人画集とも言える作品といえるのだそう。砲一の光琳に対する思いが伝わってくる。

第4章:酒井抱一・鈴木其一 ここでの見ものは酒井抱一の「夏秋草図屏風」だと思われる。これは光琳の「風神雷神図屏風」の裏に描かれた作品で、左には風に吹かれしおれた草花を描き、右は激しい雨に打たれた草花を描いている。風神雷神それぞれと対比されている。これはおもしろい。抱一の「調布玉川図」は川で洗濯をする女性のたくし上げた裾からのぞく足が美しくも色っぽい。

しかし、今まで巨匠達を褒めてきたけれど、今回一番素晴らしかったのは鈴木其一。其の一と書いて"きいつ"と読む。名前は知っていたけれど、あまり良く知らなかった。多分、以前別の琳派展などで作品を見たこともあったと思うけれど、覚えていない。今回この展覧会で其一の素晴らしさを知った。まず良かったのは「東下図」 伊勢物語の東下を描いた絵そのものよりも、その周りを飾る表装が素晴らしい。絵の周囲に夏秋冬の花を描き、上下に春の花を描いている。この花が写実的でありながら淡い色使いで素晴らしい。続く「歳首の図」も同様に表装に描かれた梅が素晴らしい。でも、絵自体もおもしろい。左上に正月飾りを配し、画面の中央に鳥が描かれている。鳥が写実的でありながらかわいらしい。「暁桜・夜桜」がいい! 朝と夜の桜を描いているけれど、朝日の中にシルエットで浮かぶ桜もいいけれど、墨のような夜の黒に描かれた桜。その周りに朱をほどこすことにより桜の可憐さが引き立つ。「秋草・月に波図屏風」も素晴らしい。絹に描かれた枕屏風で、左に描かれた青の朝顔や秋草のボリューム感と、右に描かれたピンクの花がかわいらしい。波と月はどこだろうと思っていると、正面に来て初めてぼんやりと月と波が浮かび上がるという趣向。なんて粋なんだろう。

そして「蔬菜群虫図」これは素晴らしい! これには心を奪われてしばし動けなかった。中央にきゅうりなどの緑の野菜や葉、蔓などが描かれている。きゅうりはあまり主張しすぎていない。やや下のほうに小さなナスが数個描かれている。これは茎についたまま。ナスの色が鮮やかで形がかわいらしい。その下には大小さな赤い花が配されていて、この花の赤と紫のコントラストが全体を引き締めている。絵の一番下には右から左方向へ大きめの葉が描かれているけれど、枯れていたり虫食い穴があいていたりする。その全てが写実的でありながら繊細。特に花の描写がスゴイ。淡い色彩も素晴らしい。見た瞬間に伊藤若冲っぽいと思ったけれど、やっぱりそのように言われているらしい。これは4つの「風神雷神」を含めても一番好きだった。某番組風に言えば"今日の一枚"(笑) 今回、鈴木其一の作品の素晴らしさを知ったことは大収穫。

いよいよ「風神雷神図屏風」について。1点1点が大きいので、かなり広い空間にコの字型に4点一気に展示してある。この展示はうれしい。中央に立つと4点に囲まれるというまさに至福の時間。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を80年後に見た尾形光琳が模写し、さらに100年後酒井抱一が模写、最後に鈴木其一へと続く。その間約200年。すごいことだな。これだけの才能が200年。日本ってすごい。

まずは俵屋宗達から。なんといってもこれが元祖。これがなければ後の3枚もないのかと思うと感慨もひとしお。足を止める人もこれが1番多かった。4点の中では1番躍動感がある。銀を混ぜた墨で描かれた黒雲は他の3作と比べると少なめな印象。もしかすると色あせてしまったのかな? そんな感じでもなかった気がするけれど、描かれた年代が下がるほど色鮮やかになっていくことは確か。17世紀に描かれたということは約400年くらい経っているわけだけど、その大胆な構図や力強い輪郭、怖いけれどどこかユーモラスな表情など、全く古さを感じない。遊び人だった光琳が家業の呉服屋(かりがね屋)を傾けてしまい、生き方に迷っていた頃、この絵に感銘を受け模写した気持ちが良く分かる。屏風からはみ出してまで描かれた2神は今にも飛び出してきそうな迫力。顔の表情も1番いい。

次が尾形光琳。宗達が国宝でこちらは重要文化財。4点の中では1番完成度が高いと思う。宗達は雷神をやや高い位置に配していたけれど、光琳は風神と雷神を同じ高さに描き、互いに目を合わせるように描いている。そもそも阿形吽形として描かれているけれど、光琳作品はまさに2神が阿吽の呼吸で風を送り、雷を落とすタイミングを計っているかのよう。2神の足元の黒雲もたっぷりとある。宗達の荒っぽさもいいけれど、様式としてこれは美しい。様式的だけれど筋肉の力強い表現は1番かも。個人的にはこれが1番好きだった。そしてこの「風神雷神図屏風」が後の「紅梅図屏風」へ繋がっていく。

酒井抱一の「風神雷神図屏風」は光琳作から約1世紀後に描かれた。光琳を崇拝しその100年忌を自ら企画するほどの熱の入れよう。抱一の2神はユーモラス。ちょっとマンガっぽかったりする。4点の中では最も色鮮やか。その鮮やかさが一層マンガっぽさを感じさせる。なので表情もかわいらしく、筋肉なんどの描写はあまりしていない。黒雲も雲というよりはゴツゴツとした感じでおもしろい。

最後が鈴木其一。其一の「風神雷神」は唯一屏風ではなく襖に描かれている。かなり大きな作品で、2神を一気に見るには、かなり離れて見なければならない。これは幽玄。全体的な色のトーンはぐっと抑えてあり、筋肉の隆起もかなり描きこまれている割には、力強さの表現というよりこの世のものではない存在であることを強調している気がする。黒雲は他の作品とは違い、体や美しい曲線を描いてたなびく布を浮き立たせる輪郭線のようでもあり、足元から広がる黒雲は水墨画のようでもある。この黒雲と抑えたトーンがこの作品を幽玄なものにしている。これは良かった。宗達の作品からすると、これは別モノという気はするけれど。

「風神雷神」を4点一度に見れる機会はめったにないと思うし、琳派の流れが良く分かった。とにかく、素晴らしい作品に触れるのは幸せ! ホント日本ってスゴイ!


★東京国立博物館・平成館:2008年10月7日~11月16日

「大琳派展 ~継承と変奏~」Official site


風神雷神BE@RBRICK

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【cinema】『1408号室』(試写会)

2008-11-13 01:27:09 | cinema
'08.11.10 『1408号室』(試写会)@一ツ橋ホール

シネトレさんで試写会当選。普段ホラー系はあまり見ない。怖くて見れないってこともないけど、やっぱりあまり見たいジャンルではない。それなのに応募したのはジョン・キューザック主演だったから。

知らなかったのだけど、イベント付き試写会だった。ホラーということで稲川淳二氏登場! ちょっと爆笑してしまった(笑) あと桜井美春という41歳のグラビア・アイドルがメイド姿で登場。いくつに見えるかと質問されて、22歳と答えている方がいらしたけれど、席が後ろの方でほとんど見えなかったので、ホントのところはどうなのか分からない(笑) 稲川淳二はもちろんホテルにちなんだ怪談を披露。いつもの口調ではあるけど早口だし、会場の音響があまりよくない上に、前の席のオバさま2名がずっと喋っていて3分の1くらいは聞き取れなかった(涙) というわけで夜中思い出すこともなくぐっすり眠れたのだけど(笑) というわけで本題へ・・・

「オカルト小説家のマイク・エンズリンは超常現象で有名なホテルに宿泊し、ミシュラン・ガイド方式で恐怖度合いをドクロの数で表示した本を書いている。ある日彼の元へ”1408号室へ入るな”と書かれたハガキが届く。ニューヨークにあるドルフィン・ホテルの1408号室では95年間に56人が命を落としていた・・・」という話。スティーブン・キング原作の映画化。スティーブン・キング原作の映画は『スタンドバイ・ミー』『グリーンマイル』『ショーシャンクの空に』『キャリー』『ドリーム・キャッチャー』を見た。キングといえばホラー作家という認識だけど内3本はホラーではない。『グリーンマイル』は奇跡の力を持つ黒人の死刑囚(冤罪)が出てきたし、これはたしか6巻くらいある長編の1部だったと思うので、ホラーではないにしても、超常現象的な感じなのもしれないけれど、原作を読んだ事がないので分からない。『キャリー』はおもしろかったけれど『ドリーム・キャッチャー』はオチがガッカリだった覚えがある。この作品も途中まではガッカリの予感がしていた。正直、見終わった後もそう思っていた。でも、感想を書こうと思っていろいろ考えているうちにホラーという手段を取ってはいるけど、本当に言いたいことは違うんじゃないかと思ってきた。

サミュエル・L・ジャクソンがホテルの支配人。1408号室に泊めろと言い張るマイクに対し頑なに拒否する。サミュエル・L・ジャクソンの作品ってそんなに見た覚えもないけれど『アンブレイカブル』で痛い目にあったせいかどうも印象が悪い。この役もちょっとあの骨折しやすい体質のマンガオタクを彷彿とさせる。だからてっきりサミュエルの仕業だなと思っていた。その疑いが全部晴れたわけでもないし、間違いなく招待状は彼が送ったのだと思っているけれど、どうやらそういう話ではない。そういう意味ではこのキャスティングはいいと思う。

1408号室に入るとしばらくしてラジオが大音量で鳴り出しカーペンターズの”愛のプレリュード”がかかる。電源を抜いたにもかかわらずデジタル時計がカウントダウンを始める。そこから不思議な現象が次々起きる。ネタバレになってしまうので詳しくは書かないけれど、初めこそ”誰か”の存在を感じるけれど、次第にもっと超越した存在、むしろ存在ではなくて”現象”という感じになってくる。なので、実は見ている側が恐怖を感じるのは初めの頃だけで、1408号室で繰り広げられていることが理解できない。いやもちろん起こっている事自体は分かっているけれど、それをどう理解していいのか分からないという感じ。上手く言えないけど・・・。もしかするとホラーを普段あまり見ないのでホラーの見方を間違っているのかもしれない。どうしてもサスペンス的にオチを期待してしまうのだけど、もしかするとオチ自体は「えー(笑)」って感じのものでもよくて、そこまでに至る過程でどれだけ怖がらせるかってことが重要なのかもしれない。だから『ドリーム・キャッチャー』や、その正体にガッカリした『IT』も、そこまではドキドキしたからアリなのかもしれないけれど・・・。それにしてもあまり怖くない。多分こうなんだろうなと思う展開どおりに進んでいく。

主人公のマイク・エンズリンは心に傷を負っているようだ。そしてその事が重要なんだと思うけれど、その辺りの掘り下げが足りない気がしないでもない。でも、きちんと伝わったのはジョン・キューザックのおかげ。ただ、もしかしたら彼の演技のおかげでギャグ的なシーン・・・ 例えば窓から出て壁づたいに隣りの部屋へ逃げようとすると隣が無くなってるシーンとかが、ギャグ(狙いかは分からないけど)でもなく、怖くもなくみたいな感じになってしまったかもしれない。壁のシーンなどは主人公の深層心理を表しているのかとも思ったけれど、そういうわけでもなくてオカルトなのかホラー分からない作り。まぁ、そもそもあまり区別はついていないのだけど・・・(笑) 前にも書いたけれど、どうも見方が分からないばかりにサスペンス的オチを期待して見てしまうと、初めに感じていた方向とどんどん違っていく。どうにも混乱。混乱させることも狙いなのだろうからこれは見事。でも、個人的にはおもしろかったのはサミュエル・L・ジャクソンとの対決までだったかも。トイレットペーパーが三角に折られていたのはツボ(笑)

でも超常現象自体は怖くなくなって行くけれど、その現象自体はちょっとおもしろい。上手く言えないけど何故それなのかという感じ。一度どんでん返しがあるため、間違った方向への伏線があるけれど、それを除いていくと、ホントに自然現象。そしてそれらはちょっとレトロ。で、たぶんそれは狙いなんだと思う。その狙いに関しては自分なりに答えを出してみたけれど、当たっているかは不明。でも、もし合っていたらネタバレになってしまうので追記に書こうと思う。勝手な解釈をしているだけだけど、もしそれが的はずれなのだとしたら、おもしろくなくはないです。というのが感想。上手くいえないけど・・・。

何度も書いているけど、私は多分ホラーの見方が間違っているのだと思う。そして、多分スティーブン・キング作品の見方も。だから、これは両方のファンの方が見たらすごくおもしろいのかもしれない。無理やりこじつけみたいにしてオチ考えなくても、怖がらせる現象だけで楽しめる人はいると思う。


『1408号室』Official site
【自分なりの見解】

多分だけど、これは神を信じろというキリスト教的なことがベースになっているのかなと思う。キリスト教徒ではないし、全く詳しくないのでよく分からないけれど。マイクは娘を病気で失うけれど、その死から逃げている。回想(?)シーンで彼の妻が、マイクに娘の死の様子を語っていることから、彼はその瞬間にはいなかったのだと思う。そして彼は妻のもとからも去り、神や超常的な存在は一切信じなくなった。だけど、彼も以前は神を信じていた。回想シーンで娘に神はいると言っていることでも分かる。だから、あえて超常的なものを否定しているのだと思う。きっと彼は心の中で神にすがった、でも願いは虚しかった。だから神の存在を否定したんだと思う。あの部屋で起きたことは、どんどん自然現象的な方向に向かい、受難とか受戒のような感じになってくる。見ている側としてはどんどん怖くなくなって混乱してくる。怖くないホラーって・・・。でも受戒ととらえると違って見えてくる。この作品が本当に言いたいのはそこなんじゃないかと思う。

マイクがあの部屋からチェックアウトする(死ぬ)ことなく現実に帰ってこれたのは、あの部屋を認めて、火をつけて燃やしたから。あの部屋を認めたことは神を認めたことだし、それは今まで逃げていた娘の死を認めたこと。そして、その事から彼が逃げていたことを認めたことなんだと思う。きちんとその事に向き合って、折り合いをつけたので彼は生還できたし、多分娘も救われた。それがラストシーンのテープ意味なんだと思う。

というのが少し咀嚼した後の感想。キリスト教徒ではないし、キリスト教のことも良く分からないので、全然的外れなことを書いているかもしれないけれど・・・。

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【cinema】『ブーリン家の姉妹』

2008-11-08 04:22:32 | cinema
'08.11.02 『ブーリン家の姉妹』@TOHOシネマズ市川コルトン

これは見たかった。やっと鑑賞。

「16世紀イングランド。ヘンリー8世には世継ぎとなる王子がいない。野心家のトーマス・ブーリンは妻の弟で王の側近ノフォーク公と共に、利発な長女アンを王の愛人にしようと画策する。美しく賢いアンに興味は示すものの、王が選んだのは穏やかで優しいメアリーだったが・・・」という話。これはスゴイ。なんという女だろう。見終わった直後は、感動とかいうのではなくただスゴイものを見たという感じだった。

『ブーリン家の姉妹』なのでこれはアンとメアリーの物語。だから王であるヘンリー8世ですら脇役。とにかく2人がスゴイ。アン・ブーリンは歴史上でも有名。既に王妃のいたヘンリー8世が、彼女と結婚するため、離婚を認めていないローマ・カトリックと決別し、独自の英国国教会を設立したことは有名な話。そして、心変わりした王がアンに反逆罪を着せ処刑したことも。でもアンが果たした最大の功績は、後にゴールデン・エイジと呼ばれた英国最大の繁栄をもたらしたエリザベスⅠ世を生んだこと。なのに彼女が命を落とした一因は王子を生めなかったからというのはなんとも皮肉。一方のメアリーは彼女が王の愛人であったという事もあまり知られていなかったのだそう。もちろん私も知らなかった。この映画の原作者は王の子供を生みながら、後に別の男性と結婚し、田舎で静かに生きたメアリーの存在に強く惹かれたのだそう。見終わった率直な気持ちとしては、メアリーのしなやかな強さに惹かれた。

少女の頃から利発で気の強かったアンは、父からその資質を見込まれ政略結婚の道具となるように育てられたのだろう。彼女にとって愛情とは自分に注がれるべきものであって、自分が与えるものではなかったように思う。自分の果たすべき役割を早い段階で理解し、その役割を完璧にこなすことにのみ邁進していく。自信があるのでプライドが高く、妹メアリーが先に結婚しただけでなく、王に愛された事に我慢ならない。こう書いてみると大人になりきれていない嫌な女(笑) でも、父や叔父から王の愛人になるように言われ自信もあったのに、先に結婚されただけでもプライドを刺激されたメアリーが、王の愛人の座も得てしまうのだから、これはかなり傷ついたとは思う。この気持ちは分かる。でも、そこからのメアリーに対する態度や仕打ちはヒドイ。でも、これも子供っぽいといえばそうかもしれないし、わがままだよなぁ(笑)

メアリーは少女の頃から愛らしく優しかった。政略結婚を嫌い商人に嫁いだのも「自分だけを愛してくれる人がいい」という理由。控えめで良い子という印象だけど、彼女も頭がよく、そして強い。少しうがった見方をすれば、彼女の中に王の愛人となった時、姉に対して優越感が全くなかったわけではないんじゃないかと思ったりする。本人に意識はないと思うけれど。王の愛人となる前、商人ケアリーとの結婚式を控えたメアリーとアンの会話は、一見妹を気遣う姉と、姉を慕う妹という感じだけれど、アンの言葉の端々に妹に対する屈辱感と、そのバランスを取る為に彼女を見下しているような印象を受けた。そして多分そういう感じは日常的にもあって、メアリーは気づかないうちに姉に対して劣等感を持っていたんじゃないかと思う。意識していないからこそ素直に姉を認め、一歩引いて自分は平凡な幸せを見つけようしたのかも。そして、しなやかな強さというメアリーの美徳を引き出した。だから王の求愛に戸惑いながらもしなやかに運命を受け入れ、王を愛するようになる。でも、絶対に無意識だとしても"王に愛された"という自信というか、自尊心みたいなものがあったはず。それは普通の事だし、あんな状況ではそこに幸せを見出していくしかないけれど、その自信がまたアンを刺激してしまったのではないかと思ったりする。

とにかく見せ方が上手い。まず配役が絶妙。アンはナタリー・ポートマン、メアリーがスカーレット・ヨハンソン。逆じゃないかと思った時もあったけれど、これはホントに正解! アンは実は真面目なんだと思う。真面目って言い方だと正確じゃないけど、自分の思うとおりにならないと気がすまないというのは、悪い方向に行くととんでもなく厄介だけど、正しい方向に向いていれば完璧主義ってことになるわけで・・・。ちょっと違うか(笑) でも、完璧主義とか潔癖みたいな感じがナタリー・ポートマンに合っている。メアリーがスカーレット・ヨハンソンだったことで、メアリーがただ流されているだけの女性にならなかった。そして本心はどうなの?という視点を持てたのも彼女のキャラのおかげ。これはホメている。アンのメアリーに対する気持ちって、実は怒り爆発する前から下地があって、妹のことを少し見下す事によって自分を高めていたのだと思う。そういう何気ない会話が伏線になっていておもしろい。そしてよく分かる。お膳立てされた王との狩りで、アンが深追いしたため王が怪我をするエピソードがある。その手当てをしたのがメアリー(実は叔父の咄嗟の策略変更) 実際深追いした場面は出てこないけれど、その話だけでアンの性格を知る事が出来る。そしてアンならやりそうだと思ったりする。そしてその性格が災いになることも分かる。そういうのが上手い。

そして2人がエロイ! スカーレット・ヨハンソンはもともとエロイけど、いつもの小悪魔的な感じではなく、可憐なエロさがある。ビックリしたのはナタリー・ポートマン。あのエロさはいわゆるエロとは違う気もするけれど。要するに落ちそうで落ちないから落としたいってところをつくわけで、ギリギリでかわすみたいな感じがものすごくエロイ。スカーレットはベッドシーンありだけど、脱がない女優ポートマンはなし。まぁ、正確には1シーンあるにはあるけれど、でも脱がない。いいけど(笑) とにかくこのかけひきのシーンはスゴイ。この映画の最大の見どころ。しかし・・・。たしかに追わせて手に入れたいと思わせることは、コチラを向かせる有効な手段だと思うし、アンはそれを完璧にやってのけたけれど、手に入れることをゴールにしてしまったらそれで終りでは? しかも、いかんせん情が足りないタイプなので、つなぎとめる事は難しい。激しい恋情は冷めてしまうけれど、その後どのくらい情を通わせるかってことが大切だと思うのだけど・・・。しかもあれだけ焦らして、さらにムチャな要求し過ぎ。あれではヘンリー8世じゃなくてもうんざりするかも(笑)

自分が王妃になりたいがためにムチャを言って現王妃を追い出しにかかるわけで、この辺りになるともうホント嫌な女ってことになる。でも、アンもメアリーも視点を変えれば犠牲者なわけで、そういう意味では流産しかけたメアリーが隔離されてしまうと、王の心が離れていく感じを目の当たりにすれば、アンが王妃という地位に固執する気持ちも分からなくはない・・・。だけど人を犠牲にして手に入れたその地位は意外に脆く磐石ではない。王の心が離れていくのをハッキリと感じつつも、自分から愛情を注げない彼女にはどうすることもできない。そもそも王のことなんか愛してない。追い詰められた彼女はついには禁断の手段をとろうとする。この辺りにくると現代の感覚からすると常軌を逸しているけれど、時代背景を考えればヘタしたら禁断を犯したかもしれない。そのくらい追い詰められている感じが伝わってきた。何をそんなに守ろうとしているのかとも思うけれど、行き着くところまで行ってしまえばもう戻ることはできないだろうし。

キャストは皆よかった。野心家の父トーマスを演じたマーク・ライアンズも良かったし、夫や弟の行動に反発しつつも、なんとか家と娘たちを守ろうとする母レディ・エリザベスのクリスティン・スコット・トーマスが素敵。20年間つれ添い流産、死産を繰り返し、あげく夫に裏切られる王妃キャサリンは『ミツバチのささやき』のアナ・トレント。この映画自体は未見だけれど、少女のかわいらしい写真は雑誌などで見た事がある。あの女の子が威厳と悲しみをたたえた王妃になったのかと思うとスゴイことだと思ったりする。弟ジョージ役のジム・スタージェスはわりと大きめな役ながら、目だった活躍のない役どころだったけれど、最後に大きな見せ場が。ジョージは意に染まぬ結婚をさせられ、禁断を犯す決断を迫られたあげく、この2つが原因で悲劇の最期を迎えることになる。その辺りの彼の弱さや甘えなんかもお坊ちゃまゆえと思うけれど、その感じはジム・スタージェスの佇まいと合っている。ヘンリー8世のエリック・バナが良かった。2m近い大男で巨漢だったヘンリー8世。肖像画を見るとかなりのコワモテ。アン・ブーリンの事を良く知らなかった時は、なんとやりたい放題なのかと思い、いいイメージはなかった。まぁ、結局アンのイメージが変わっただけで、やった事は同じなので好転もしない。映画は2人の愛憎をメインにしているから仕方がないけれど、アンに夢中になって国の宗教を変えてしまうなんて「目を覚ませ!」と言いたくなるけど、そうは思わずに見ていたのはエリック・バナの演技が良かったのでしょう。そしてやっぱりアンのかけひきが見事で、すごくエロくて魅力的だったからでもある。

スカーレット・ヨハンソンは演技派だと思っていたけれど、これはホントに良かった。この役に彼女を推薦したのは実はナタリー・ポートマンだったのだそう。この配役はいい。素直で控えめ、優しく、しやなかに強い。女性の美徳とはこういうものですというような役。こんな役は同性から見ると、意外に反発したくなったりもするのだけれど、スカーレット・ヨハンソン自身が持つ魔性みたいなものがいい具合に作用して魅力的。この役もしかするとアン・ブーリンより難しいかもしれない。でも、ナタリー・ポートマンの完璧なアンに負けていなかった。

そしてやっぱりアン・ブーリンを演じたナタリー・ポートマンがスゴイ! これだけ気性の激しい役ってあまりないかも。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ、『エビータ』のエヴァ・ペロンなど強く野心家の女性達は数々見てきたけれど・・・。スカーレットやエヴァを見た時は、彼女達より年下だったけど、アン・ブーリンよりも年上になってしまったからなのか、ずいぶん子供っぽい印象。そして痛々しい。目標達成までは手練手管で賢さや強さを発揮するけれど、思い通りにならなった時にはまるで駄々っ子のようになってしまう。意外に脆く逆境に弱い。王の心が離れて行くのが分ると、あれだけ堂々としていたのが不思議なくらい狼狽して、王をなじってしまう不器用さを哀れに思ったりする。禁断の手段を取ろうとするほど追い詰められた姿や、断頭台で最後の望みをかけてのスピーチはもう本当に"こんな事が望みだったのか"と思って涙が出た。自分で撒いた種とはいえ、なんという人生なのかと思ったりもする。彼女のその後の運命を知っているせいもあるけれど、王妃となって王冠を頂いた時ですら、全くうらやましくなかった。こんな人生を生きたいとは思わないし、友達にもなりたくないと思う(笑) でも嫌な女になっていない。どこか共感したり、時には応援したりしている。何より、2度目の王とのかけひきは目が離せない! この演技はスゴイ。

ブーリン家の姉妹は王妃と王の愛人になったけれど、田舎で平凡だけれど幸せに生きたメアリーと、自身は断頭台に消えたけれど、娘エリザベスⅠ世がイングランドを統治し、繁栄をもたらしたことにより、その母として後世までその名を残すことになったアン。どちらが幸せなのだろう。どちらも強い女性。でも、私はメアリーの強さが欲しいかも。

映像がキレイ。チューダー王朝のどこか暗い重厚な城の内部や、調度品がいい。そして衣装が素敵。メアリーには黄色などの暖色系、アンには緑や青などの強い衣装を着せているのも象徴的。あまりの事に見終わった後ぐったりしてしまうけれど、これはやっぱり見てよかったと思う。とにかく若手女優の競演が素晴らしい。2人の演技合戦は必見!


『ブーリン家の姉妹』Official site
公式サイトの「性格診断チャート」やってみた。メアリーだった! ちょっとうれしい

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【art】「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」鑑賞@Bunkamuraザ・ミュージアム

2008-11-02 00:40:11 | art
'08.10.25 ジョン・エヴァレット・ミレイ展@Bunkamuraザ・ミュージアム

ずっと見たくて、でも何故か行こうとすると予定が入ってしまって行けなかった。10月に入ってL'la Padoから以前応募しておいたプレゼントの招待券が届いた! 素敵☆ ということで終了前日25日に行ってきた。

実はジョン・エヴァレット・ミレイという画家の本人のことはあまり知らなかった。正式にはサー・ジョン・エヴァレット・ミレイとのことなので、爵位を授かった人のようだ。多分、日本でも画家自身の知名度は高い方ではないのではないかと思う。ちなみに「落穂拾い」はミレーで、これは別人。でも、彼が描いた1枚の画は画家本人より有名なんじゃないかと思う。それを見に行って来た。「オフィーリア」 この展覧会のメインでもあるこの絵は会場の中間よりやや前に展示されている。これが見たくて行ったので、この絵については後からたっぷり語るとして、まずはその他心に残った作品の事を書こうと思う。

全体を7つのパートに分けて展示。"Ⅰ ラファエル前派"このパートのラストが「オフィーリア」で、この絵までは渋滞になっていたし、わりと宗教画が多かったので、ここはチラ見程度で流してしまった。"Ⅱ 物語と新しい風俗"は特に心惹かれるものはなかったけれど、「信じてほしい」は夫宛の手紙をとりあげ、後ろ手に隠す妻と、返して欲しいと懇願する夫の姿がおかしい。ミレイが知っていたとは思わないけれど、源氏物語の夕霧と気の強い妻、雲居の雁の一場面を思わせる。

"Ⅲ 唯美主義"からは少し余裕を持って見れるようになった。「「ああ、かようにも甘く、長く楽しい夢は、無残に破られるべきもの」-トーマス・ムーア『ララ・ルーク』より」という長いタイトルの絵は、ベラスケスの影響が見られ衣装の黒が印象的。ちなみにこの絵のように詩や物語の一節をイメージして描かれた作品がけっこうあって、そのたび長いタイトルとなっている。「エステル」は着物をイメージしたかのような黄色い衣装がおもしろい。"Ⅳ 大いなる伝統"の「遊歴の騎士」はかなり大きな作品で、裸身の女性が騎士に助けらるシーンを描いたもの。この作品はロンドン留学中の夏目漱石も見たのだそう。

"Ⅴ ファンシーピクチャー"個人的にはここと、"Ⅶ スコットランド風景"が好きだった。まずは「初めての説教」と「二度目の説教」の連作から。これはかわいい。「オフィーリア」を別格とすると1番のお気に入り。5才のミレイの長女エフィーを描いた作品。温かそうな赤いケープを着た少女が、緑のビロードが貼られたベンチのようなイスに座っている。紫のベロア素材のスカートから伸びた赤いタイツの足。皮のハーフブーツを履いた足先は、床に届いていない。ウェーブのかかったやや茶色い金髪に縁取られた少女の顔がかわいい。上目遣いの表情が豊か。今にも泣き出しそうなその顔には、反発や怒りも感じられる。5才の少女なりの自己主張。でもそんな少女も続く「二度目の説教」では寝てしまっている。かわいい! 説教というタイトルから、外出先ではしゃぎ過ぎたおしゃまな少女が叱られているシーンかと思ったけど、説教って神父様によるお説教のことかも? 長女エフィーは「わすれなぐさ」でも描かれていて、美しい娘に成長した姿を見ることができる。「ベラスケスの想い出」は描かれている少女が、有名な「ラス・メニーナス」の王女マルゲリータを思わせる。「旦那様宛の手紙」は黄色い衣装と、ボンネットが美しく、少女の真剣な眼差しが印象的な美しい作品。

"Ⅵ 上流階級の肖像"の中に「エフィー・ミレイ」と息子「ジョージ・グレイ・ミレイ」の肖像があったということは、ミレイ家は上流階級ということなのか。まぁ、いいとして(笑) ここでの見ものは「ハートは切り札-ウォルター・アームストロングの娘たち、エリザベス、ダイアナ、メアリーの肖像」という長いタイトルの作品。タイトルどおり3人の年頃の娘たちがカードゲームをしている。表情は真剣で楽しそうな雰囲気ではない。中の1人右の女性(順番的にメアリー?)が、コチラに持ち札を見せる。その表情は不安そう。「こんな感じなんだけど・・・」といった雰囲気。カードゲームのことはさっぱり分からないので、持ち札を見てもいいのか悪いのか全く分からない。でも、おそらく勝負するには微妙な感じなのでしょう。実はハートは求婚者を意味するそうで、年頃の彼女たちが真剣な理由も分かるというもの(笑) ドレスも美しく、部屋の装飾も美しい。かなり大きな作品で見ごたえあり。

最後"Ⅶ スコットランド風景"ここは美しかった。ミレイの美しい色使いと、細部まで手を抜かない細かな描写が素晴らしい。バイロンの詩から題材を得た「月、まさにのぼりぬ、されどいまだ夜にならず」の夕日が美しい。「穏やかな天気」は11月11日聖マルティヌスの祝日には何故か毎年好天になるという。その好天の日を描いた作品。湖が美しい。ここで1番好きだったのは「露にぬれたハリエニシダ」森の中を描いた1枚。絵の下半分に露に濡れたハリエニシダを配し、上半分の両側に木を配して、中央に空間を作り、ハリエニシダから奥へと続く遠近感を出している。ハリエニシダの細かい描写が素晴らしく、白を気が遠くなるくらい載せることにより、露に濡れたみずみずさを描いている。これは良かった。

さて、最後に「オフィーリア」についてたっぷりと(笑) 言わずと知れたシェイクスピア作「ハムレット」の悲劇のヒロイン、オフィーリア。恋人ハムレットは常軌を逸し(たフリをし)彼女を冷たくふる。さらに父を殺されてしまう。たび重なる悲劇に精神を病んでしまうオフィーリア。ある日、様々な花で作った冠を枝にかけようと手を伸ばし、足を滑らせ川に落ちてしまう。ハムレットの中では王妃ガートルードのセリフで語られる彼女の死の場面をそのまま再現した絵。忠実な自然描写を目指し、背景となる風景を求めたミレイが選んだ場所がサリー州ユーウェルという町にあるホッグミル川。会場の外に川の写真が展示されていたけれど、美しいけれど小さな川。立ち上がればなんなく足が届きそうな気すらする。こんな川で命を落としてしまうというのがまたオフィーリアの悲劇を感じさせる。背景には本当に細かく様々な花が描かれている。その一つ一つに実は意味が込められている。例えば彼女が手にしたスミレは誠実、純潔、若い死を表している。柳は見捨てられた愛、ケシは死、パンジーはかなわぬ愛。バラは愛、そして兄レイアーティーズが彼女を"5月のバラ"と呼んでいたことにちなんでいる。とにかくその一つ一つが繊細で美しい。そして、美しい水の中に浮かぶオフィーリア。花をモチーフにしたレースのドレスは主張し過ぎず、そのレースは裾の方に流れた、手にしていた花冠の花と一体化している。水を含み大きく膨らみ、今まさに腰の辺りから沈もうとしている。その重みが感じられる。広げた手は殉教を表しているそうで、少し開けられた口は性的な表現でもあるとのこと。この絵には死と性(生)が描かれているのだそう。性的なものというとタブー視される傾向にあるけれど、有名な絵画は実は性的な要素が描かれていることが多い。でも、あからさまではないエロスは人を惹きつけるのだと思う。というわけでウットリ。死を扱ってこんなに心を捉えるのは、おそらくオフィーリア本人が死を恐れていないから。正気を失ってしまった彼女は、死のその瞬間も歌っていたと描写されている。まさに恍惚。その感じを見事に描いてる。

この「オフィーリア」はロンドン留学中の夏目漱石がいたく気に入ったようで、小説『草枕』にも書くほどだったらしい。漱石の本は何冊か読んだけれど『草枕』は未読。今度読んでみよう。

というわけで「オフィーリア」には心を奪われたし、その他の作品も良かった。ギリギリだったけど行って良かった。しかもL'la Padoさんのおかげでタダ。大満足!


「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」(Bunkamura)

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