'05.05.12 「ゴッホ展」鑑賞@国立近代美術館
実はゴッホは苦手だった。小学校3~4年生の頃教科書に載っていた「星月夜」(写真)を見てすごく怖かった。何故空をこんな風に描くんだろう?どうかしてると思った。子供心に狂気を感じたのかもしれない。その後も何点か絵を見る機会はあったけど強烈すぎて受け止めきれなかった。
影響を受けた本や物や画家の絵と、ゴッホによる模写、そして描かれた絵という流れで見せる展示の仕方。後の「ひまわり」「夜のカフェテラス」「糸杉のある道」等そこに至る過程がよく分かった。感じていた違和感の原因の一つはデッサンの崩れというか不安定さにある気がする。「アルルの部屋」にしてもどこか縮尺が変に見える。後ろの人が「ゴッホはスケッチなんてしないで本能で描いちゃう感じだよね」と話していた。私もそうだと思っていた。でも違う。展示の割と早い段階に「織機と織工」(写真)がある。それを見てゴッホは機械の造形や仕組みや用途を完璧に理解した上で描いているんだと思った。画家として当然かもしれないけど、その理解度や研究は実は並外れていたんじゃないかと思う。きちんとデッサンして、その上でああ描いているんじゃないかと・・・。専門知識はないから感じただけ。しかもそれを上手く表現できないし(涙) 勝手な感想なので間違ってると思うけどそんな気がした。小学生の頃怖いと感じたた「星月夜」の空の渦巻きはスーラの点描画を研究して生まれたものらしい。そして実はあの渦巻きもきちんと計算されているのだそう。
ゴッホには狂気、自殺など暗いイメージがある。人とだけではなく自分の中の何かと折り合いが上手くつけられない人という印象。でも残された作品やミレー、スーラ、浮世絵の模写などを見るとそのひたむきさに愛おしさを感じる。あまりにも強い感受性。絵そのものも素晴らしい。でもゴッホが改めて素晴らしい画家だったのだと分かったことがとてもよい体験だった。「星月夜」と同じタッチで描かれた「糸杉のある道」を心から素晴らしいと思えた。
もっと書きたいけど、あまりにも強烈(いい意味で)でうまく言葉がまとまらない(涙)
国立近代美術館サイト ゴッホ展
実はゴッホは苦手だった。小学校3~4年生の頃教科書に載っていた「星月夜」(写真)を見てすごく怖かった。何故空をこんな風に描くんだろう?どうかしてると思った。子供心に狂気を感じたのかもしれない。その後も何点か絵を見る機会はあったけど強烈すぎて受け止めきれなかった。
影響を受けた本や物や画家の絵と、ゴッホによる模写、そして描かれた絵という流れで見せる展示の仕方。後の「ひまわり」「夜のカフェテラス」「糸杉のある道」等そこに至る過程がよく分かった。感じていた違和感の原因の一つはデッサンの崩れというか不安定さにある気がする。「アルルの部屋」にしてもどこか縮尺が変に見える。後ろの人が「ゴッホはスケッチなんてしないで本能で描いちゃう感じだよね」と話していた。私もそうだと思っていた。でも違う。展示の割と早い段階に「織機と織工」(写真)がある。それを見てゴッホは機械の造形や仕組みや用途を完璧に理解した上で描いているんだと思った。画家として当然かもしれないけど、その理解度や研究は実は並外れていたんじゃないかと思う。きちんとデッサンして、その上でああ描いているんじゃないかと・・・。専門知識はないから感じただけ。しかもそれを上手く表現できないし(涙) 勝手な感想なので間違ってると思うけどそんな気がした。小学生の頃怖いと感じたた「星月夜」の空の渦巻きはスーラの点描画を研究して生まれたものらしい。そして実はあの渦巻きもきちんと計算されているのだそう。
ゴッホには狂気、自殺など暗いイメージがある。人とだけではなく自分の中の何かと折り合いが上手くつけられない人という印象。でも残された作品やミレー、スーラ、浮世絵の模写などを見るとそのひたむきさに愛おしさを感じる。あまりにも強い感受性。絵そのものも素晴らしい。でもゴッホが改めて素晴らしい画家だったのだと分かったことがとてもよい体験だった。「星月夜」と同じタッチで描かれた「糸杉のある道」を心から素晴らしいと思えた。
もっと書きたいけど、あまりにも強烈(いい意味で)でうまく言葉がまとまらない(涙)
国立近代美術館サイト ゴッホ展