よさそうだけど重そうだなぁと迷っている内に公開終了してた。DVDにて鑑賞。
「1920年イギリス統治下にあったアイルランドの地方の町コーク。医者としてロンドンの大病院に赴任することになったデミアンは、祖国の自由を求めつつも兄テディの抵抗運動に賛同できずにいた。出発の日、駅で理不尽に振舞うイギリス兵に抵抗する車掌ダンの姿に突き動かされ、抵抗運動に加わる。次第に兄と共に組織の中心になっていくが・・・」という話。これは重い。
アイルランドとイギリスの関係については漠然としか知らなかった。この作品の舞台となっている1920年代はアイルランド独自の言語ゲール語を禁じられるなど、文化的な抑圧だけではなく、武装警察「ブラック・アンド・タンズ」による理不尽な取締りが行われていた。映画の冒頭で名前を聞かれた青年が反抗してゲール語で答えたため、武装警察に暴行されて殺される。こういう圧政は日本もかつてアジアの国々に行ったことで辛い。生まれる何十年も前のことではあっても、罪悪感がうずくところではある。でも、人種や時代は違っても世界中で行われたことでもある。人間は権力を手に入れると同じような事をするのだろうか・・・。
デミアンは頭脳派で冷静、そして強い意志を持っている、兄のテディも意思強固ではあるが感情的になるところがある。2人はお互いを信頼し支えあい組織を動かしていく。裏切った仲間を殺害するという辛く重要な役目をデミアンに託したのも、テディがデミアンを信頼している証。こういう仲間同士を粛清するというのも良く聞く話しではある。疑心暗鬼が生む悲劇の場合が多いが、デミアンの行動はあくまで正義感に突き動かされている様子。心の葛藤も感じるけど、その強さに驚く。正しいこととも思えないけれど、決して激情にかられたわけでもなく、きちんと受け止めて行う精神力はすごい。それだけにダンに対して問う「それだけの価値がある戦いだろうか?」は重い。粛清の出来事だけではなく、辛く悲しい出来事が次々に起こる。恋人シネードの身に起こった悲劇も辛い。アイルランドの美しい田舎の自然の風景が悲劇を余計に感じさせる。美しく寂しく、どこか悲しい風景。それがデミアンの悲しげな瞳と重なる。
激しい抵抗運動によりイギリスはアイルランドと和平条約を結ぶ。ただし、表向きはアイルランドの独立を認めるようでありながら、実情はイギリス統治下におくという内容だった。デミアンには納得ができない。兄テディは現時点ではこれを受け入れ、ここから少しずつ独立を勝ち取っていこうという考え方。どちらの意見も間違っていないし、どちらの気持ちも良く分かる。ここからアイルランドは内戦へと向かい、兄弟には悲劇が待っている。やり切れない・・・。
テディ役のポードリック・ディレーニーは嫌がるデミアンを抵抗運動に引き込むなど、この手の映画ではちょっと嫌な人物になりがちな役を憎めないキャラにしていたし、シネードのオーラ・フィッツジェラルドは寂しくはかなげな外見ながら悲劇により強い女性になる姿を好演していたと思う。そしてダン役のリーアム・カニンガムが素晴らしかった。両親を亡くしているデミアンにとって彼は父親のような存在だった。時に厳しくも諭すようにデミアン達を導く姿が良かった。
デミアン役のキリアン・マーフィーが素晴らしい。彼の出演作は『28日後』と『プルートで朝食を』を見たけど、そのどちらの役者とも違っているという印象。見ているうちに引き込まれてしまい、キリアン・マーフィーではなくデミアンその人の人生を見ていた。頭がよく常に冷静に受け止め、自分のしていることをきちんと理解していたデミアン。その彼がいつのまにか誰よりも熱くなり、悩みながらも自分を貫いていく姿が痛々しい。抵抗運動の是非については正しいか正しくないのか難しいところだ。仲間を粛清するなど常軌を逸した行動と見えるかもしれない。でも、デミアンにそれを感じず、どこまでも高潔な人物に見えるのはキリアン・マーフィーの演技のおかげだと思う。彼はこの映画の舞台コークの出身だそうで、思い入れも深かったのかもしれない。
アイルランドは現在、アイルランド共和国と北アイルランドに別れており、北アイルランドは英連邦の一部としてイギリス領となっている。デミアンとテディどちらが正しかったのだろうか? 難しいところではある。
「1920年イギリス統治下にあったアイルランドの地方の町コーク。医者としてロンドンの大病院に赴任することになったデミアンは、祖国の自由を求めつつも兄テディの抵抗運動に賛同できずにいた。出発の日、駅で理不尽に振舞うイギリス兵に抵抗する車掌ダンの姿に突き動かされ、抵抗運動に加わる。次第に兄と共に組織の中心になっていくが・・・」という話。これは重い。
アイルランドとイギリスの関係については漠然としか知らなかった。この作品の舞台となっている1920年代はアイルランド独自の言語ゲール語を禁じられるなど、文化的な抑圧だけではなく、武装警察「ブラック・アンド・タンズ」による理不尽な取締りが行われていた。映画の冒頭で名前を聞かれた青年が反抗してゲール語で答えたため、武装警察に暴行されて殺される。こういう圧政は日本もかつてアジアの国々に行ったことで辛い。生まれる何十年も前のことではあっても、罪悪感がうずくところではある。でも、人種や時代は違っても世界中で行われたことでもある。人間は権力を手に入れると同じような事をするのだろうか・・・。
デミアンは頭脳派で冷静、そして強い意志を持っている、兄のテディも意思強固ではあるが感情的になるところがある。2人はお互いを信頼し支えあい組織を動かしていく。裏切った仲間を殺害するという辛く重要な役目をデミアンに託したのも、テディがデミアンを信頼している証。こういう仲間同士を粛清するというのも良く聞く話しではある。疑心暗鬼が生む悲劇の場合が多いが、デミアンの行動はあくまで正義感に突き動かされている様子。心の葛藤も感じるけど、その強さに驚く。正しいこととも思えないけれど、決して激情にかられたわけでもなく、きちんと受け止めて行う精神力はすごい。それだけにダンに対して問う「それだけの価値がある戦いだろうか?」は重い。粛清の出来事だけではなく、辛く悲しい出来事が次々に起こる。恋人シネードの身に起こった悲劇も辛い。アイルランドの美しい田舎の自然の風景が悲劇を余計に感じさせる。美しく寂しく、どこか悲しい風景。それがデミアンの悲しげな瞳と重なる。
激しい抵抗運動によりイギリスはアイルランドと和平条約を結ぶ。ただし、表向きはアイルランドの独立を認めるようでありながら、実情はイギリス統治下におくという内容だった。デミアンには納得ができない。兄テディは現時点ではこれを受け入れ、ここから少しずつ独立を勝ち取っていこうという考え方。どちらの意見も間違っていないし、どちらの気持ちも良く分かる。ここからアイルランドは内戦へと向かい、兄弟には悲劇が待っている。やり切れない・・・。
テディ役のポードリック・ディレーニーは嫌がるデミアンを抵抗運動に引き込むなど、この手の映画ではちょっと嫌な人物になりがちな役を憎めないキャラにしていたし、シネードのオーラ・フィッツジェラルドは寂しくはかなげな外見ながら悲劇により強い女性になる姿を好演していたと思う。そしてダン役のリーアム・カニンガムが素晴らしかった。両親を亡くしているデミアンにとって彼は父親のような存在だった。時に厳しくも諭すようにデミアン達を導く姿が良かった。
デミアン役のキリアン・マーフィーが素晴らしい。彼の出演作は『28日後』と『プルートで朝食を』を見たけど、そのどちらの役者とも違っているという印象。見ているうちに引き込まれてしまい、キリアン・マーフィーではなくデミアンその人の人生を見ていた。頭がよく常に冷静に受け止め、自分のしていることをきちんと理解していたデミアン。その彼がいつのまにか誰よりも熱くなり、悩みながらも自分を貫いていく姿が痛々しい。抵抗運動の是非については正しいか正しくないのか難しいところだ。仲間を粛清するなど常軌を逸した行動と見えるかもしれない。でも、デミアンにそれを感じず、どこまでも高潔な人物に見えるのはキリアン・マーフィーの演技のおかげだと思う。彼はこの映画の舞台コークの出身だそうで、思い入れも深かったのかもしれない。
アイルランドは現在、アイルランド共和国と北アイルランドに別れており、北アイルランドは英連邦の一部としてイギリス領となっている。デミアンとテディどちらが正しかったのだろうか? 難しいところではある。