アガサ最後の写真(2015.01.23撮影)
アガサが家にやって来たのは2001年10月27日土曜日。
猫は既に何匹も飼ったことがあったけれど、捨て猫を拾ったり、野良猫が家に入ってきたりという感じだった。アガサの前にマミという子を飼っていた。名前の由来はお母さん猫だったから。妊娠したので捨てられてしまったみたいで、来た時にはお腹が大きかった。自分の子どもたちはもちろん、同じ頃近所で出産したダメ母さんの子どもたちまで面倒見るような、本当にいい子だった。子どもたちが次々家に入って来るようになって、残念ながら1匹、また1匹と交通事故だったり、どこかで変なもの(農薬?)を食べてきたりで、亡くなっていった そして、子供たちを見送ってから、家に入って来た。猫なりの縄張りとか法則があるからなのかもしれないけれど、何となく子どもたちのために一歩引いて、彼らを見送ってから自分の幸せを求めたような気がしていじらしかった。元々野良猫だったから、家でご飯食べたり、お昼寝したりしていたけれど、夜にはどこかに出かける生活をしていた。引っ越すことになって、新しい家の周りで迷子になってはと、完全に家猫にした。残念ながら、それから2年ほどで鼻気管炎がもとで亡くなってしまった。年齢的には10歳くらいになっていたと思う。前述したとおり、この子が本当にいじらしくて良い子だった。もちろん猫だから、いたずらして怒られることもあったけれど、とにかく穏やかで、いつもじっと我慢しているような健気な子だった。直情型の自分としては、猫のマミの我慢強さを尊敬すらしていた。おかしな話だけど(笑)
かくれんぼ(2013.3.5撮影)
大開脚(2013.6.28撮影)
そんなマミが亡くなって1年半。どうにも我慢が出来なくなって、猫が飼いたいと家族が思い始めた頃。車で出かけた両親が偶然通りかかったペットショップに立ち寄った。そこにいたのがアガサ。8月24日生まれで生後約2ヶ月。前日ペットショップに来たばかりだったそう。直ぐには決心がつかず、一度は帰って来たのだけど、その時抱かせてもらったアガサのことが忘れられず、それから数日後母親が飼う決心をした。予防接種を受けるため、1週間後に引き取りに行くことになり、10月27日自身も同乗し車で迎えに行った。ペットショップの箱の穴から、小さな鼻先を出して、まだちゃんと鳴けずに「ミィミィ」小さな声を出していた。床に下すと本当に小さくて、手の平に乗ってしまいそうなくらい。子猫から飼ったことはあったけれど、こんなに小さな頃から飼ったのは初めてて、戸惑う事ばかり。カリカリ餌は食べていたけど、粉ミルクでふやかしてあげたり、ササミを茹でてあげたり。トイレは直ぐにできたけど、子猫の暴れっぷりは大変だった! レースのカーテンにぶら下がって破いてしまったり 母親は子猫のアガサを寝かしつけたりしてた(笑)
スヤスヤ(2012.6.30撮影)
大雪とアガサ(2013.1.14撮影)
避妊手術をした時、迎えに行ったら必死でしがみついて来たアガサ。飼い主に似て臆病で神経質で、甘えっ子だった。だって、ウチしか知らないし・・・ まだ若かった頃、郵便局のオジサンが頭を撫でてくれたことに驚いて脱走してしまい、母親が必死で捕まえたことがあった。その時のことがショックで、トラウマになってしまったようで、それから数か月アガサが少しでもビックリするようなことがあると、猛獣のように吠えて手がつけられない状態になったこともあった 仕方がなく、アガサのベッドがある部屋に閉じ込めるような形で、獣医の先生に教えてもらった母猫と同じホルモンの出るアロマディフューザーのようなものを焚いたりしたこともあった。何故、その期間だけそんなことになってしまったのか、そして何故それ以降は大丈夫になったのかよく分からないけど、あの時はアガサも自分たちも辛かった
爪を切るのも大変で、2~3本ずつ数回に分けて切るような状態。当然病院に行くのも大変。猫用の移動キャリーに入れる時点から格闘で、ギャーギャー鳴きながら車で病院に向かい、病院でも大暴れ。先生にもアガサにとっても大変 家から出さないのであれば予防接種は2年に1度にしましょうと言われてしまうほど(笑) 予防接種の影響もあったとは思うけれど、病院から戻ると毎回2日くらいグッタリしちゃうので、精神的にも辛かったのかも・・・
新しいベッド(2013.12.1撮影)
母親について私の部屋に入って来たのに気づかず、2時間以上閉じ込めてしまい、恐怖からかおしっことウンチをされてしまったこともあった 大変だったこともたくさんあったけど、その全てが愛おしく思える。マミは完全に大人だったけれど、アガサはずっと子供のままだった。だからこそかわいかった。甘えっ子で抱っこしてと膝によじ登ってきたり、座っていれば膝に乗って来たり、肩にしがみついて抱っこされたり・・・ 7歳くらいからは、眠くなったら自分で2階の自分のベッドに眠りに行ってた。どんどん手がかからなくなっていったけど、晩年はちょっとボケが出てきてた。亡くなってしまったし、かわいそうだから詳しくは書かないけれど、なかなか大変だったし、ショックでもあった。13歳になっていたし、兆候もあったので、覚悟はしていたけれど、こんなに急に別れが来るとは思わなかった・・・
箱入りアガサ(2013.3.5撮影)
1月24日の朝、もぐるタイプの自分のベッドから自力で出てこれなかったのだそう。名前を呼ぶと、必死の声で鳴いたそうで、おそらくハッキリ鳴いたのはそれが最後。9:50am母親の腕の中で、眠るように息を引きとった。その前にちょっと抱いていた時、手をもがくように動かして、小さな声で鳴いた。母親の腕に抱かれて、目から光が消えてしまったような気がして、慌てて心臓に手を当てたら動いていなかった・・・ 苦しくなかったわけではないと思うけれど、大好きだった母親の腕の中で、眠るように逝けたので、よかったと思っている。
膝乗りアガサ(2013.3.28撮影)
亡くなった日は母親と2人1日中泣いていた。それから2~3日は何を食べても味がしないし、何かというと泣いていた。少し迷ったけれど、気分転換になればとバレエのレッスンに行き、その後の新年会に出席して少し気持ちが楽になった。金曜日には試写会と懇親会にも参加してきた。アガサの最期の数日を思うと、楽しんでは申し訳ない気がしていたけれど、早く良い思い出にしてあげるのも、アガサのためなのかもしれないと思った・・・
肉球(2012.11.11撮影)
去年blogをgooに移した際に、旧blogにもあった"Agatha☆"というカテゴリーを作った。残念ながら、この記事が最初で最後の投稿になってしまった
13年5ヶ月生きていたアガサ。そのうち13年と約3ヶ月一緒に過ごすことができた。アガサと過ごした日々は、自分にとっても大切な日々。その思い出を胸に、これからも生きていきたい。
ありがとうアガサ! 安らかに