・*・ etoile ・*・

🎬映画 🎨美術展 ⛸フィギュアスケート 🎵ミュージカル 🐈猫

【play】「ミス・サイゴン 2022」鑑賞 @帝国劇場

2022-09-09 00:39:26 | play

【play】「ミス・サイゴン 2022」鑑賞 @帝国劇場

 

 

もう10年以上になるのかな? 東宝は毎年「レ・ミゼラブル」と「ミス・サイゴン」を交互に上演している。今年は「ミス・サイゴン」の年で、日本初演30周年の記念公演となっている。

 

実は2020年も「ミス・サイゴン」の年だったのだけど、コロナ禍の緊急事態宣言を受けて全公演中止となってしまった💦 キャストも観客も2年間待って満を持しての再演となった。

 

前回見たのはなんと2016年だから6年も前になるのか スルーした年はなかったと思うのだけどどうだったんだろう?🤔

 

前回の感想記事(コチラ)にも書いたのだけど、一応、簡単に書いておくと「ミス・サイゴン」は「レ・ミゼラブル」と同じくアラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルクのコンビによる作品。クロード=ミッシェル・シェーンベルクが目にした1枚の写真から着想し、プッチーニの「蝶々夫人」を下敷きにして、ベトナム戦争時のベトナムを舞台としたミュージカル作品にしたもの。

 

「蝶々夫人」を下敷きにしていることからも分かるように、これは悲劇的な結末を迎える物語。現代の日本人からすると、西洋人が書いた「蝶々夫人」のストーリーに共感する部分は無いし、アジア人蔑視を感じいい気持ちはしていない。正直、今作も欧米人が見たアジアだと思っていた。

 

でも、今回見方が少し変わった。その辺りのことを書きたいなと思っている。

 

 

 

 

見に行っておいてなんなのだけど「ミス・サイゴン」は好きな作品かというとそうではない。上記の理由に加え、製作者の意図がどこにあるにせよ、テーマ的に女性蔑視もあると思うので、アジア人女性としてはスッキリとしないものがある。

 

でも、一方で非常に力のある作品だとも思っていた。熱量がとても高い。それが今回とても良く出ていたように思う。とにかく「火がついたサイゴン」から熱かった! 誰一人気を抜いている人などおらず、気合入りまくりでもう圧がスゴイ! 

 

どんな作品でも気を抜かないのは当たり前のことだけど、この作品については押し寄せてくるような圧を感じさせるのはとても重要な気がする。

 

そういう意味では冒頭からすごかった! 陥落寸前のサイゴンで兵士たちも女性たちも追いつめられている。その感じがビシビシ伝わって来る。

 

あと驚いたのは「ドラゴンダンス」の素晴らしさ。キレがあってポーズの一つ一つがビシッと決まる! 男性だけでなく女性ダンサーも加わっているけど、全然分からないくらい力強くて本当に圧倒された!

 

 

キャストは皆ホントに良かったのだけど、書ききれないので主役3人のみ追記する。

 

駒田一:エンジニア

 

エンジニアは初演から市村正親さんが演じている当たり役。自身も一度市村さんが休演された時以外は市村エンジニアを見てきた。そういう意味では自分の中では貴重な駒田エンジニア。

 

ツイートにもあるとおり悲しさを感じるエンジニアだった。

 

後半に分かることだけどエンジニアは実はフランス人とのハーフで辛い生い立ち。それを全く感じさせず本来のずる賢いヤツと見せて、後の告白でビックリさせるのもありかと思うけれど、駒田エンジニアはどこかずっと悲しさと孤独を感じさせるエンジニアで、それがとても良かった。

 

 

高畑充希:キム

 

今回はe+貸切公演での鑑賞。限られた日程の中で重要視したのが海宝クリスと高畑キム。

 

高畑充希は映画やドラマで見たことはあるけど、生で見るのは初めてだった。ミュージカル経験もあるとのことで楽しみにしていた。ツイートにもあるとおり歌も上手いし声もいいけど、お芝居で見せる感じ。

 

登場時にはまだ少女だったキムが、愛を知りタムの母親となり、そして彼のために人を殺し、悲劇的なラストを迎える。それが母の強さなのか弱さなのか分からないけど、とにかくその変化を明確に感じさせた。

 

キムがタムを守るためにトゥイを殺した後、お前のためなら命をあげようと歌う「命をあげよう」がキムの見せ場。これも素晴らしかったのだけど、個人的にはホテルでクリスの妻エレンに会ってしまうという、最悪の形で自分を支えてきたものが崩れ去ってしまった後からの演技が素晴らしかった。

 

この後半のジョンが訪ねて来てからのキムって、とにかくクリスに会える!クリスと結婚できる!アメリカに行ける!って突っ走ってしまう。そうなってしまうからジョンがきちんと話せず悲劇に向かうって設定になっているのだけど、その設定自体が納得いかないこともあり、かなり上手に演じていてもちょっとイライラしてしまうこともあった。

 

それまでの過程でキムにはクリスとの未来という道しかなかったのだということが、しっかりと伝わってきていたので、その未来は手に入らないのだという絶望が自分のことのように腑に落ちた。イヤもちろん今までも分かってはいたのだけど、初めてピタッとはまった感じ。

 

前半もとても良かったけれど、後半が本当に素晴らしくて、初めてしっくり来たキムだった。

 

 

 

 

海宝直人:クリス

 

前述した理由で今作は積極的に見たい作品ではなかった。でも、今回見ようと思ったのは海宝直人がクリス役だったから。出演作は必ず見に行く!というほどの熱量ではないけれど、ファンでございます🥰

 

コロナで中止になってしまった2020年も見る予定でチケット取ってた。今回はそのリベンジ。結果大正解! 海宝クリスのおかげで作品の見方が大幅に変わることになった。

 

まずはビジュアル面から。しっかり海兵隊員の体型を作っており、髪も短く刈り込んでいて軍服が似合う。そしてやさぐれていてカッコイイ😍

 

クリスが歌う「Why God Why」では、彼が一度帰国したものの、周囲の目が冷たく、またベトナムに戻って来たことが語られる。それは表面的には分かってはいた。

 

でも今回、海宝クリスの演技と歌唱で、心身ともに疲弊して帰国すると、アメリカでは反戦運動が繰り広げられていて、居場所をなくして戻って来たものの、大使館のドライバーという曖昧な立場で、全く自己肯定できずにいるというような、そういう行間がしっかりと埋まった感じ。

 

そうなるとクリスがキムの中に光を見てしまった理由がより分かる。もちろんクリスはキムに恋をしたのだし、本当にアメリカに連れて帰ろうと思っていたのだと思うけれど、その根底に自分という存在を丸ごと信頼して愛してくれる存在=自己肯定という側面もあったのだろうと。

 

その辺りについても前回や前々回でも書いてきたように思うけれど、彼もまた戦争の被害者なのだということがスッキリと落ちて来た。

 

今作って最後の悲劇に向かうために、やたらとすれ違いが起きる。最大のすれ違いは実物大のヘリコプターが現れるサイゴン陥落シーンで、ここもなんとかならなかったのかと思うけど、バンコクでのキム探しのグダグダさは、ちょっと雑さを感じてしまう。

 

その雑な感じの割りを食っているのがクリスで、クズ男に見られがち。でも、クリスはクリスなりの思いがあって、彼なりに頑張っていたよ! 少なくとも前半は! と、思えたのも海宝直人のおかげ。

 

クリスデビュー初日ツイッターのトレンドになった海宝クリス。納得! 歌が上手いのも声量がスゴイのも知っていたけど、想像を超えて来た! 海宝クリス爆誕しましたね😊

 

 

クリスのセリフの中で一番彼のことを表しているのは、ホテルでエレンに過去を語る曲の中での"アメリカ人ならやれるはずだった"という部分。クリスはそいうい思いで戦争に来たのだし、国のために戦っているはずだった。なのに祖国の人々からは白い目で見られてしまい、アイデンティティや自信を見失った。

 

キムを守るということが、その失ったアイデンティティと自信を取り戻すために必要だった。でも、失敗してしまった。だから、失敗してさらに心に傷を負う羽目になってしまった。それを救ってくれたのはエレンだった。

 

そういう意味だと思っていた。それは間違いないと思うのだけど、それだけじゃなくてクリスの姿がベトナム戦争時のアメリカを象徴しているのだということに遅ればせながら気づいた。そして当時のベトナムの象徴がトゥイでありキムなのでしょう。

 

例えばドラゴンダンスなどもベトナム人から見れば違和感があったりするかもしれない。そういう部分含めて白人から見たアジアだなという感じは変わらない。以前も書いたけど、製作陣の意図や思いがどこにあるにせよ、アジア人蔑視、女性蔑視を含む物語であることは間違いない。

 

そして、毎回書いているけどあのラストは納得ができない。「命をあげよう」でも歌っていた通り、親が子供に"生きるチャンス"を与えるために命をあげるという局面はあるかもしれない。キムにとってはあの瞬間だったのかもしれないけれど、タムにとってはそこじゃなかったのじゃないか。そもそも"チャンス"じゃないのではないか。

 

でも、作品としてはあの結末しかないのかなとも思う。母親として子供を手放すということは、心を殺すことなのだということなのかも。

 

その辺りのことが今回とても伝わってきたし、主要キャストがそれぞれの国を象徴している、そして誰もが"戦争"の被害者なのだということがスッと落ちてくる瞬間に巡り合えたのはとても良かったと思う。

 

そういう意味ではやっぱり名作なのだと思うし、自分にピタッとくるキャストに出会えたことはとても嬉しかった。

 

次回見るかはまだ分からないけど、今回は見て本当に良かったと思っている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【play】「ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート」鑑賞 @東急シアターオーブ

2021-08-14 00:54:11 | play

【play】「ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート」鑑賞 @東急シアターオーブ

 

 

2019年の初演時にはチケット取って楽しみにしていたのに、台風19号が関東直撃で自分が見る予定だった日の公演のみ中止に😭 もちろん払戻となったけれど、ものすごく見たかったので悲しかった😭😭😭 そんな「ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート」が再演!🙌🙌🙌 ということで、もちろんチケットゲット! 東京公演千秋楽のこの日、見に行って来た~

 

 

 

なんとこの日も台風8号が関東直撃か?との予報が出る中で、ドキドキしながら迎えたわけだけれど、なんとか反れてくれて幕間にはすっかり晴れた🙌 本来のスーパー晴れ女を発揮!!

 

 

 

 

「ジーザス・クライスト=スーパースター」(以下JCS Wikipedia)は、イエス・キリスト最後の7日間を描いたロック・ミュージカルで、1971年にブロードウェイで初演された。作曲者は「オペラ座の怪人」「キャッツ」でおなじみのアンドリュー・ロイド=ウェバー(Wikipedia)、作詞は「エビータ」のティム・ライス(Wikipedia)で、当時2人とも20代だった。

 

1971年という時代背景や作り手たちの若さや情熱が、ロックに乗せてガンガン来るものすごいパワーのある作品で、見る側にもかなりパワーのいる作品。でも、だからこそ良いカンパニーだった時の感動がハンパない。このカンパニーは圧巻だった!

 

 

舞台上には工事現場などにある足場のようなものが天井近くまで組んである。かなり大きなセットで舞台上のほとんどを占めている。なので基本セットチェンジはなし。

 

その足場セットの所々に演奏者がいて、演者たちは彼らがいないものとして演じたり時にはからんだり。そしてセットの上に乗ったり、ヘロデ王にいたってはビックリな場所から登場。

 

衣装ではあるのでしょうが、いわゆる紀元前のイスラエルを思わせるものではない。例えばジーザスはTシャツに黒のレザーパンツだったりする。直近映像で見た40周年のアリーナツアー版と、ジョン・レジェンド版でも現代的な衣装で、無機質なセットというのは、JCSの定番になりつつあるのかな? 

 

イエス・キリストの話ではあるけれど、本当に描きたいのはどの時代でも共通の問題だからなのかなと思う。なのでエルサレムでも、現代でも、それこそ劇団四季の歌舞伎バージョンでもハマる理由なのかなと思う。

 

アリーナツアー版も、ジョン・レジェンド版もコンサート形式だった。コンサートとはいっても役者たちは舞台を動き回り、時には踊ったりしながら歌うので、これはもうほぼミュージカル公演といえるのかも🤔

 

とにかく、芝居とコンサートのいいとこどりで、上述の演出も含めてアレンジがしやすい作品なのかもしれない。

 

 

メインキャスト全員について感想書きたいのだけれど、そうもいかないので何人かに絞って書くけど、とにかくキャスト全員超絶歌が上手い!

 

そんなに詳しいわけではないけど、ロックと一口にいってもいろんなジャンルがある。その中ではメタルっぽい印象。ギターがギュインギュイン鳴る曲が多くシャウト系。そのシャウトの力強さとハイトーンと声量で鳥肌。

 

そんな中、主要キャストで唯一女性のマグダラのマリア役のセリンダ・シューンマッカーはかなり大柄で、線の細いマイケル・K・リーのジーザスよりも大きい。この役以外で見たことがないので、この力強さが役作のみなのか分からないけど、受け身ではないマリアはなかなか新鮮で、ラミン・カリムルーのユダとガッツリ闘って間違いなく勝ったと思う😅

 

 

ジーザスはもちろん彼を裏切るユダにしても、ジーザスを処刑したいカヤパにしても追いつめられている。こういう大きな流れの中にいると、どんどんテンションが上がってしまい、もう自分の考えしか見えなくなってしまう。

 

とはいえ、皆自分で責任を取りたくないから押し付け合って、ピラトが決断を迫られることになる。ピラトとしてはジーザスに罪はあるとしても、命を奪うほどのことではないと考えている。それは責任を負いたくないだけではないと思うし、見ている側も同じ思いでもある。

 

同時にジーザスが危険な存在だと感じる気持ちも分かる。自分はキリスト教徒ではないので、あくまで第三者的な目線で見ると、本人がどう思っていようと、教え自体に共感する部分があろうと、自分の立場が上になればなるほど扱いに困る相手だと思う。

 

ジーザスの教えや行動自体に問題がなくても、その言動で多くの人が動く状況は、秩序を乱す人物だと感じることは理解出来る。そして、それが政治的に"危険"であると言われることも。だからジーザスが"無罪"ではないと考えるのも分かる。

 

でも死刑となるほどの罪なのかといえば違うだろうと。人を殺したわけでもないし。だから鞭打つだけでいいではないかという、ピラトの判断は至極まっとうだと思う。

 

でも、群衆はそれを許さない。とにかく殺せ殺せの大合唱。ピラトは鞭打つ間にジーザスが罪を認めてくれればと願うけれど、ジーザスとしては既に自分の運命として死ぬことが分かっているし、罪を認めることは神を否定することになってしまう。群衆、ピラト、ジーザスと見ている次元が違っているので、全くかみ合わない。

 

ここで一番追いつめられているのは、裁かれているジーザスではなく裁いているピラトの方。間違っていることは分かっているのに磔刑を言い渡す羽目になる。こんな役回りは嫌だなぁ😣

 

そのピラトの苦悩をロベール・マリアンが熱演。素晴らしかった! もうピラトに共感しちゃって辛かった。正しく物事を見れている人が、間違った決断を迫られて、結局追い込まれて折れてしまう😭 これはスゴイ!

 

しかし、恐ろしいのは集団心理。ああなってしまうと自分たちの望んだ結末にならないと気が済まなくなり、自分と違う意見は悪(アンチ)だと決めつけ、相手が音を上げるまでしつこく粘着する。SNSでよく見かける構図。前述したとおり今作が初演されたのは1971年でSNSなどない時代。でも、作者たちが言いたかったのはここなのかなと思う。

 

そしてそれは21世紀になっても変わらず、さらに即時に反応できるツールを得てしまったため、よりこの傾向に拍車がかかってしまったように思う。

 

そしてまたジーザスを妄信していた人々が、自分たちの理想の存在でなくなったと感じた時、裏切られたと責める様子も現代にも通じるものがある。この傾向が強い人と、そうでない人はいるのだろうとは思うのだけど、多かれ少なかれ人間にはそういう部分があるのでしょうね。特に集団になってしまうと・・・

 

もちろん集団心理は良い方向に作用することもあって、それが大きなうねりとなり社会を動かすこともあるのだけど、それを悪用される場合もある。情報が溢れる時代、正しい情報を得て選べるように気をつけたい。

 

というようなことを考えながら見ていた。神の御心は計り知れないけれど、作り手たちの思いはここなのかなと思った。

 

 

日本人キャストたちもとても良かった! 今公演は全て英語での歌唱。母国語ではない言葉の歌詞を覚えるのは大変だと思うし、さらにそこに感情を載せて行くのは難しいと思う。とても伝わって来たし、海外キャストに負けてなかったと思う。特にアンサンブルに躍動感があり、とてもカッコ良かった! 

 

 

今回、初めて見たマイケル・K・リー。韓国系アメリカ人とのこと。韓国人は喉がとても強い印象だけれど、登場した時にはとても線が細かったので若干心配に。そして、群衆にもてはやされてまんざらでもない様子で、腰を動かしてのノリノリぶりにビックリ! 居酒屋で飲んでる若者のようだ!😲

 

でも、一見はしゃいでいるジーザスは、自分の運命を知っているジーザスでもあって、その時に進むにつれて苦悩を深めて行く。もちろん、死ぬことが怖いこともあるけれど、何故に自分は死ななければならいのか、ならば何故自分を創造したのかと苦しむ。

 

教えを説いたけれども真理を理解した者はほとんどなく、自分の周りにいるのは自分が起こす奇跡を求める者ばかり。心ゆるした者が自分を裏切っていく。それも神の決めた運命。

 

イエス・キリストの話だと思って見てるから、これも試練だなどと思ってしまうけど、例えばプロジェクトリーダーだと仮定して、期日が迫っているのに、裏切る者が出て来たり、人任せで何も考えようとしない人ばかり、助けを求めても自分をリーダーにした上司は何の助言もくれない状況。普通に辛いかも😅

 

一度は民衆にキレてしまったジーザスだけど、ゲッセマネで神に思いの丈をぶつけ、そして運命を受け入れる決意をする。そこからはもう変な言い方だけど悟りを開いたかのように穏やかに、そしてどんどん神がかっていく。その感じがスゴイ!

 

上手く言えないけど、どんどん全体が白くなっていく感じで、最後には発光しているみたいだった😭😭😭

 

歌も超絶上手くて、そして華奢な体型からは想像がつかない声量! 素晴らしかった

 

 

そして、お目当てのラミン。絶対に合うと思っていたイスカリオテのユダ。いつもの声とは違うややダミ声っぽい感じの発声で、歌い方もロック調だった。

 

そもそもラミンがミュージカル俳優を目指したのは、学校の行事で「オペラ座の怪人」トロント公演を見て感動。その時の主演がミュージカル界の神様ことコルム・ウィルキンソンさん! 出待ちをしてコルムさんに、あなたのようになるにはどうしたらいかと尋ねると、コルムさんは特別なレッスンは受けておらず、バンドで歌っていたと答えたそうで、それで早速バンドを組んだじゃなかったかな?🤔 

 

親友のハドリー・フレイザーと一緒にSheytoonsというバンドもやっているし、バンド編成で「The Broadway to Bluegrass」としてツアーをしていたこともあったけど、どちらもロックという感じではない。メタルっぽい曲調なので、わりとハードな歌唱。いつもの艶のある声とは違うけどこの歌唱もいい。

 

ユダがジーザスを裏切ることは知っているので、複雑な思いで見ているわけなのだけど、今回じっくり見て初めてユダがジーザスを裏切るに至った理由がスッと降りて来た。もちろん今までも分かっていたし、感動もしていたのだけど、ああそういうことなのかとスッキリした。

 

冒頭からユダはジーザスに何度も、何故計画的に進めなかったのかと言う。なるほど! ユダの言いたいことがとてもよく分かった! ユダはジーザスの教えをとても良いものとして理解して、ジーザスを崇拝していたけれど、来るもの拒まずで行き当たりばったり的に見える布教活動を歯がゆく見ていたということなのね? 

 

教えのことなど理解せず、ジーザスが起こす奇跡ばかりを求める人たちを従えて何になるのか? 本当にもてはやされるべきは奇跡ではないだろう! 来る者拒まずで誰でも受け入れるけれど、誰でも彼でも受け入れるのはどうなのか? そして、娼婦を身近に置くのは誤解を招くのではないか?

 

娼婦というのはマグダラのマリアのことで、かの有名な「罪のない者だけが石を投げよ」という発言になるわけで、それはとても正しくて差別はいけないことだと思う。キリスト教徒ではないので、ジーザスを通して神が何を人間に伝えたかったのか、どのような世界を作ろうとしていたのか不明なのだけど、娼婦だからという理由で仲間に加えないという世界ではないのでしょう。

 

ただ、ユダの言い分もとても分かる。経営的な視点からいえばターゲットを絞った方がいいというのはあるし、評判を落とすようなことをすべきでないというのも理解できる。ユダは別にビジネスと考えていたわけではないと思うけれど、ビジネス的に考えるととても理にかなっている。

 

ユダの見ている世界と、ジーザスの見てる世界が違い過ぎて、ユダはジーザスをとても愛しているのに全く理解が出来なくなってしまう。その理解が出来ないこと、自分よりもマリアを傍に置くことによる疎外感と嫉妬、そういうもので混乱しきって、とうとうカヤパたちにジーザスの居場所を密告してしまう。

 

その結果ジーザスがどうなるかは分かっているけれど、もう自分でも止められない運命に突き動かされていることにも気づいている。だから、神になぜ自分を選んだのかと言う場面は涙が止まらなくなった😢 ユダもまた選ばれてしまった人であったのだったら、それは何故ユダなのだろう。

 

そして、最期にジーザスと対峙する。もう何が何だか分からない、全く理解ができないと泣き叫ぶラミンユダがかわいそうでかわいそうで😭 混乱の中で命を絶つシーンも特にセットがあるわけではなく、跪いて首をだらりと倒すことで、彼が亡くなったことが分かる。その直前までの混乱と、唐突な死がよりユダの哀しさを際立たせている。ラミンの演技がスゴイ!

 

この壮絶な死があって、逆のテンションの「スーパースター」は、だからこそこんな感じなのかと思ったりする。上手く言えないけど、この世の苦悩から解き放たれて、俯瞰で物事を見た場合に、あの曲というのは作り手の上手さだなと思う。見ている側もこの曲でノリノリになることで、辛過ぎる話を少し忘れることができて緩急になっている。

 

この曲のラミンのロック調の歌唱が素晴らしく、立ち上がって手拍子で盛り上がるお客さんもいて楽しい。自分がノリノリになるかは別として、こういう熱さのようなものが生の舞台の醍醐味なのだと再認識。

 

ライブ配信はコロナ禍というだけでなく、普段なかなか劇場へ行けない方々にとっても有難いことだし、映像であっても演者の熱量は伝わって来るけれど、やっぱり同じ空間で体感するというのは、全然違うものだなと改めて思う。

 

 

 

 

カーテンコールは何回あったんだろう? とにかく出演者はもちろん観客も熱かった! 全てが熱く素晴らしい公演だった

 

コロナ陽性者が出て5公演が中止、さらに台風8号が関東直撃か?という状況で、また2019年に引き続きまた見れないのか?と不安でいっぱいだった。本当に見れて良かった!

 

困難な状況の中、上演して下さった主催者、劇場関係者、関係各所、出演者、スタッフの皆さんに感謝です!🙏🙏🙏

 

ラミンのInstagram

 

 

また来てね~✋😃

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【play】「レ・ミゼラブル 2021」鑑賞@帝国劇場

2021-07-18 02:28:48 | play

【play】「レ・ミゼラブル 2021」鑑賞@帝国劇場

 

 

2年振りの上演。ここ10年くらいは「ミス・サイゴン」と交互に上演されているけれど、昨年は新型コロナウィルスにより「ミス・サイゴン」が全公演中止に😭

 

今年になってもコロナは収まる気配がなく「レ・ミゼラブル」もいつ中止になるか分からない状況の中で開幕。自分としても不安が全くなかったわけではないのだけど、ここは関係者の方々を信じて行ってきた!

 

作品についてザックリ書いておくと、文豪ヴィクトル・ユゴー(Wikipedia)よる長編小説「レ・ミゼラブル」(Wikipedia)を原作として、クロード=ミシェル・シェーンベルクとアラン・ブーブリルによりミュージカル化されフランスにて初演。その作品を聴いたキャメロン・マッキントッシュにより、トレバー・ナン演出版として1985年10月28日にロンドンにて初演されたのが今作「レ・ミゼラブル」(Wikipedia

 

25周年を記念してローレンス・コナーによる新演出がなされ、随時新演出版に切り替わっていき、ロングランを続けていたロンドン公演も2019年で旧演出版の上演は終了。ちなみにヒュー・ジャックマン主演の映画版(感想はコチラ)も旧演出版がベースとなっている。

 

日本では1987年6月11日に東宝により帝国劇場にて初演された。自分が初めて見たのは実はロンドンで、もう30年近く前になる。しばらく「民衆の歌」が頭から離れなかったのを覚えている。東宝版も何度も見ていて、近年では2013年(感想はコチラ)、2015年(感想はコチラ)、2017年(感想はコチラ)そして2019年(感想はコチラ)に見ている。

 

 

 

 

前述したとおり2年振りの上演だけれど、自分的にも観劇は1年4ヶ月ぶり。最後に見たのはラミン・カリムルー主演の「CHESS The Musical」(感想はコチラ)だった😳 「ミス・サイゴン」はじめ、チケット取ってた公演がことごとく中止になった😢

 

この日はe+貸切公演。10列目以内確実というチケット抽選に当選。ダウンロードしたら3列目となっていたけど、オーケストラピットがあるので実質1列目だった! ただし、かなり右端。

 

劇場によって違うと思うけれど、帝国劇場で言えばこの席は見やすい席ではなかった。ステージの高さと目線が同じくらいなので、例えばステージ上に何かを置いたり、寝転んだりすると全く見えなくなってしまう💦 とはいえ、コゼットと再会して複雑な気持ちを歌うエポニーヌがめちゃ近い😅

 

そして、この近さならではなのが、幕が開く直前に発声練習している声が聴こえてきたりする。そして、マイクを通した声ではなく地声が聴こえて来る。これはやっぱり貴重な体験。

 

 

今回、ジャン・バルジャンとジャベール以外は結構入れ替わりがあった印象。自分的キャストを記事(コチラ)にしたけど、ほぼ見たいキャストで見れた✨ 

 

前回は名札を入れ込む式のキャスト表が1カ所のみだったのだけれど、今回は上記の印刷版が数カ所に設置してあった。これもコロナ対策なのかなと思う。

 

 

シュガーさんこと佐藤隆紀は以前から評判が良く気になっていたのだけど、「CHESS the Musical」で声量と声の深さに感動して、是非バルジャンが見たいと思っていた。

 

前回の記事にも書いたと思うけれど、映像ではあるもののジャン・バルジャン役として一番見たり聴いたりしていたのはコルム・ウィルキンソン。生で「Bring Him Home(彼を帰して)」を聴く機会もあり(記事はコチラ)、自分の中のバルジャン像はコルムさんになっている。

 

ちょっとズングリとした体形の、深い味わいのある声で、包み込むような優しさのある人物というイメージ。そういう意味でシュガーさんは容姿含めとても自分のイメージに近いバルジャンだった。

 

バルジャンは根っからの悪人というわけではない。妹の子つまり甥っ子か姪っ子が飢えて死にそうになっていたため、パンを一つ盗んだだけで、脱獄を繰り返して19年間牢獄にいることになった。多分、妹たちのことを考えての脱獄だったと思うけれど、繰り返しているうちにおそらく本来の理由も見失い、ジャベールに極悪人の烙印を押された。

 

だから冒頭ではかなりやさぐれており、さらに仮出獄許可証のために人々に蔑まれ、自暴自棄の人間不信になっている。シュガーさんもやさぐれて粗ぶってはいるものの、どこかにいい人感がにじむ。

 

このいい人感はバルジャンが後にマリウスから聖者だと言われるゆえんでもあるので、とてもいいと思う。そして豊かな声量と深みのある声、そして歌がめちゃくちゃ上手い!

 

 

前回も良くて是非また見たいと思っていた濱田めぐみファンテーヌ。自分の中でパワフルな歌唱が印象的だったので、ファンテーヌにはちょっと強いかなと思っていたのだけど、新演出版ではコゼットのために必死で運命に抗う姿が強調され、割と強めに設定されているように思う。

 

そういう意味で「夢やぶれて」の歌唱がとても良く、ファンテーヌの堕ちて行く運命を思い泣いてしまう😭 そして、芝居がとても細かくて、咳き込んだりとどんどん病んでいく。

 

死の場面でコゼットに歌いかける場面では、ファンテーヌが見ているコゼットが見ている側にも見えてしまう。それがスゴイ! この後登場するであろうコゼットよりも小さい、ファンテーヌの記憶の中で遊んでいるコゼットが見える。

 

ファンテーヌはその死の瞬間、バルジャンにコゼットを託し、目覚めたら会いに行くと穏やかな心持ちになれたのだと思う。そして、バルジャン約束通りコゼットを守り育て、そしてマリウスに託してこの世を去る。その旅立ちを導くように現れる姿が神々しかった✨

 

どんな理由であろうとバルジャンが罪を犯したこと、そして罪を重ねたことは間違いない。その罪を赦し救ってくれた司教様への恩を、コゼットや人々を救うために生きることで返した。それを象徴しているのがファンテーヌが迎えに来るということなのかなと思う。

 

ファンテーヌが赦すことが、バルジャンの贖罪が終わったということなのかなと。なので、ここでの姿や歌唱が神々しいのはとても重要で、それを体現できるのは改めて素晴らしいと思った。

 

 

直近2回のジャベールは川口竜也で、川口ジャベもとても好きなのだけど、そろそろ違うジャベも見てみたかった。伊礼ジャベはシュッとしたジャベールで、ラミンがハドリーとの配信ライブ(記事はコチラ)で、ヨージヤマモトみたいなジャケットと言っていたのはどの衣装か分からない🤔 基本警官の制服だからね😅 でも、どれもめちゃ似合う!

 

伊礼彼方を見るのが初めてなので、勝手に冷酷な感じのジャベールをイメージしていたのだけど、意外に人間臭いジャベールだった。なので「星よ」よりも「ジャベールの自殺」の方が良かった気がする。もちろんどちらも良かったのだけど。

 

毎回、あの宙づりになる仕組みが分からない🤔

 

 

毎回書いているから今回も書くけど、個人的に「レ・ミゼラブル」は学生たちのシーンを見に行っている。1幕終盤に登場してきて、フランスの現状を憂いて革命を計画、そのうねりがジャン・バルジャンをも巻き込み、それぞれが明日への思いを歌って1幕終了。そして、革命シーンから2幕が始まる。

 

「レ・ミゼラブル」という作品が一番盛り上がる場面を引っ張るのが学生たちで、そのリーダーがアンジョルラス。個人的にはどれだけカリスマ性のあるアンジョルラスをキャスティングできるかで、作品の出来が左右されるのではないかとすら思っている。

 

木内健人は今回がアンジョデビューだそうで、他の作品などでも見たことがなかった。ラミンのようなカリスマ性の塊というよりは、自己陶酔型のように思った。もちろん革命を起こそうと思ったのは純粋に社会を変えたいからで、革命を起こすこと自体や"革命を導く俺"に酔っているわけではない。

 

でも、革命を起こすのだと思いついた時点から、その考えに陶酔しているというか・・・ 上手く言えないな🤔 とにかく、彼がその考えに陶酔して突っ走ることで、周りの学生たちも巻き込まれていく。実際、彼らの革命は市民の心を動かすことはできず、玉砕してしまうのだけど、アンジョルラスはやみくもに突っ走って周囲を巻き込む迷惑な人になってはダメで、そうはなっていなかった。

 

ちょっと線が細いけれど姿も良く、声量もある。歌も上手い。個人的にこれを聞きに行っている「群れとなりてー!」もとてもかっこよくて大満足!

 

 

キャスト表紙ってつぶやいちゃってるけど、正しくはキャスト表。今回、e+貸切公演だったのでチケット取る時点でキャストは分かってたのだけど、ティナルディエのことすっかり忘れてた😅 

 

登場してからしばらくして、あれ?もしかして?と思ってよく見たら斉藤司だった!😳 どうしてもテレビで見るイメージが強いので、あのちょっと甲高い声で来るのかなと思ったら、意外にも良い声でビックリ。ティナルディエなのでテレビの声のままでもキャラ的にOKだと思うけれど、ちゃんと歌っていたし、歌も上手かったので好感がもてた。

 

時々アドリブを入れてくる。そういうの浮き勝ちだったりするけど、ちゃんと笑えたのはさすが芸人。

 

 

以前も3列目の右端で見たことあって、マリウスがコゼットに恋した瞬間を目撃した後、コゼットへの複雑な思いを歌うシーンがめっちゃ近いことは分かっていたので、そのシーンが近づくとドキドキした。ちなみに群衆シーンなどでは、この両サイドにせり出した部分のセットも有効に使われている。

 

地上波テレビあまり見ないので、アイドルとしての生田絵梨花のことを全く知らないのだけど、やっぱりアイドルであるということと、前回見たコゼットのイメージがあったので、健気なエポニーヌを想像していたのだけど、「オン・マイ・オウン」が意外に自虐的に始まってビックリした。上手く言えないけど、どうせ自分なんかこんなもんよねと思ってる感じ。

 

歌い出しの"またあたし一人行くところもないわ"の所は、とても悲しくも出来ると思うけれど、そうではなくて"どうせ行くところもないから"というような感じ。でも、ふてくされているわけではなく、あくまで自虐的で、そうすることで心を保っているというような。でも、思いがあふれてきて、最後は初めて愛してるって口に出してみたみたいな。とても興味深かった。

 

 

バマタボアというのは娼婦になったファンテーヌにねちっこく絡み、ファンテーヌが拒絶すると暴力をふるい、駆けつけたジャベールにあることないこと言う最悪な男。この役を演じた宇部洋之が気持ち悪くてとても良かった。ホメてます!

 

リトルコゼット、リトルエポニーヌ、そしてガブロッシュの子役たちも頑張っていたし、アンサンブルに至るまでアチャー😫となってしまうキャストがいないのは、やっぱり「レ・ミゼラブル」のレベルの高さを物語っていると思う。

 

毎回思うけれど、主人公の死で終わる作品なのに、何故か生きる希望が湧いてくる。何度見ても感動してしまい、ラストは毎回号泣😭 

 

 

カーテンコールでは、ジャベールの伊礼彼方がMCのような形で、バルジャンの佐藤隆紀と共にご挨拶。基本的にはお礼だったけれど、印象的だったのは観客の中に名古屋からいらした方がいたようで、どうやら新幹線が遅れて間に合わないとツイートしていたらしく、伊礼彼方が間に合ったか心配していたこと。結構ツイッター見てるものなのね😲 ちなみに、間に合ったようでよかった😃

 

とにかく、このコロナ禍で昨年から休演や中止などが続き、今回も上演が危ぶまれた中での公演。劇場側も密にならないようにキャスト表を数カ所に展示したり、陽性者が出た場合に備えて連絡先の登録を促したり(任意)と、様々対策を講じていた。

 

何が正解なのか分からないウイルスとの闘いは、全てが手探りだとは思うけれど、不便を感じることなく観劇できたのは、キャストやスタッフはもちろん、劇場関係者や東宝の皆さまのおかげ。大変ありがたく思っております。ありがとうございました🙏🏻🙏🏻🙏🏻

 

やっぱりレミは素晴らしい✨ そして、やっぱり生の舞台は最高🙌🙌🙌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【play】「CHESS THE MUSICAL」鑑賞@国際フォーラムホールC

2020-02-14 00:13:22 | play

【play】「CHESS THE MUSICAL」鑑賞@国際フォーラムホールC

 

 

 

昨年の8月末に公演決定のニュースを知ってからずっと待ってた。千秋楽のチケット取ったので公演始まってからもワクワクしてた。

 

まずは「チェス」という作品自体について詳しくはWikipediaを見て頂くとして、簡単に書いておくと。ABBAのベニー・アンダーソンとヴィヨルン・ウルヴァースが作曲、ティム・ライスが作詞した冷戦がテーマの作品。1986年にロンドンのウエストエンドで初演。初演時にフローレンスを演じたのは「キャッツ」のグリザベラ役でおなじみのエレイン・ペイジ。

 

いつものように感想をTweetしておいたので、それに追記する形で感想記事として残しておこうと思う😌 

 

【Act.1】

イタリアでチェスの国際大会が開催される。現チャンピオンのアメリカ代表フレディは恋人のフローレンスとともに参加。ソ連代表アナトリーとの対戦は、米ソの対決として注目を浴びる。対局はアナトリーが優勢で、追い込まれたフレディは試合を放棄してしまう。そんな中、フローレンスはアナトリーと恋に落ち、アナトリーはソ連に妻子を残し亡命する。

 

 

 

これまでにコンサートでラミン、ジョン・オーウェン=ジョーンズ、マイケル・ボール&アルフィー・ボーのデュエット、そして神様コルム・ウィルキンソンの歌唱で聴いて来た「Anthem」 それぞれ素晴らしくて、聞くたびに感動してきた。でも、英語の歌詞が聞き取れなかったこともあったし、芝居の中で見たわけではないので、きちんと理解出来ていたわけではなかった。

 

アナトリーが亡命する際に歌う曲なのだろうとは思っていたけれど、歌われるシチュエーションまでは分かっていなかった。アナトリーが歌うのは亡命を知り彼を取り囲んだ記者から祖国を捨てるのか?と聞かれたから。自分は祖国を捨てていないと言った後、静かに歌い出すのは美しかった祖国が置かれている現状を憂い、そして祖国に対する深い愛だった。

 

前述したとおりラミンの歌唱でも聞いたことがあったけれど、やっぱり一つの作品の中で歌われていること、そしてラミン自身がアナトリーとして歌っていること、そしてそれらを通じて自分がきちんと理解できていることがとても大きい。これは泣いた😭

 

そういえば、ラミンは国籍はカナダだけどもともとはイラン人。1978年生まれのラミンはイラン革命時、生後数ヶ月で両親がカナダに移民しているんだよね。本人はもちろん記憶がないだろうけど、時々Twitterなどでイランのことをつぶやいたりしていることがあるから、やっぱり祖国という思いはあるのだと思う。そんなことを思っていたので、余計に泣けた😭

 

そして改めて作品を見たこともない自分を、コンサートでの歌唱で感動させたラミンはじめ、JOJさん、アルフィー・ボー&マイケル・ボールさん、そしてコルムさんのすごさを感じた。一流の人々は何も知らない素人も感動させるものなのです😌

 

 

チェスの主要なキャラクターはフレディ、アナトリー、フローレンスの3人で、それぞれ重い人生を背負っている。フレディは両親が離婚し母親に引き取られるが、母はフレディを愛してはくれなかった。アナトリーは国を背負っており、勝つためにフローレンスを誘惑しろと命令される。フローレンスは1956年のハンガリー動乱で父親と生き別れている。

 

フローレンスがフレディと心が通じなくなってしまった時に、誰も誰かの味方ではないと歌う「Nobody's side」でのサマンサ・バークスの歌唱が素晴らしかった。少しハスキーな声が役に合っていたし、声量があって歌い上げてもやり過ぎ感がない。素晴らしい

 

【Act.2】

1年後、タイのバンコクでの世界大会。アナトリーはチャンピオンとしてフローレンスと共に試合に臨む。テレビの解説者となったフレディも来ており、フローレンスに復縁を迫る。ソ連側は強力なライバルを出場させるだけでなく、アナトリーの妻スヴェトラーナを連れて来ていた。さらにKGBやCIAも絡む。しかし、アナトリーは正々堂々と試合をして勝利する。フローレンスはアナトリーを愛しているけれど、妻と共に帰るべきだと告げ、アナトリーは妻とソ連に戻る。

 

 

この辺りのことは前述しているけど、本当にこのとおり。名曲は曲だけ聞いても素晴らしいし、一流のアーティストは歌唱のみで歌の世界を表現できるけれども、やっぱりお芝居の中で歌われてこそなのだと改めて実感。

 

 

舞台の中央に宝塚のような階段があり、その上にオーケストラがいるという変則的な配置。両サイドに舞台前方に突き出したバルコニー的な部分があって、そこで舞台向かって右側にフローレンスが立ち、左側にアナトリーが立って、お互い掛け合いのように歌うシーンなどがあったりする。

 

セットらしいセットは、チェスの試合が行われるテーブルくらい。階段やスクリーンを上手く使って表現されている。アンサンブルは階段上で踊ったりするので、かなり大変だったと思う。スクリーンには背景が映されたりもするけれど、例えば部屋の内部を映すという感じではなく、むしろイメージ映像のような物が多かった。チェス盤が映し出されたりして、その都度登場人物たちがチェスの駒の1つであることが印象付けられている。

 

スクリーンが一番効果的に使われたのはフレディが自分の生い立ちを語るところ。両親が不仲で離婚して、母親に引き取られるけれど愛してもらえなくてという流れがシルエットで映し出されるのだけど、幼いフレディの姿が切なくて切なくて😢 最後に膝を抱えて座っているフレディの姿で泣いてしまった😭 この時のルーク・ウォルシュの歌唱も良かった。

 

フレディはプライドが高くて自分勝手で嫌な人という印象だけど、辛い生い立ちゆえの傷つきやすさを隠すために攻撃的になっている。ルーク・ウォルシュのハイトーン・ヴォイスがそういう役柄にあっていたと思う。歌も上手かった。

 

 

冷戦時代の米ソの対立を背負わされてしまったアナトリーとフレディ。そして、祖国を捨てざるを得なかったアナトリーとフローレンス。フローレンスがアナトリーを帰したのは、自分は祖国を失ったからかもしれない。帰れる祖国があるならば、帰るべきだということなのかな。

 

チェスというタイトルには登場人物たちが、政治的な対立の駒となっているという意味が込められていると思うけれど、その駒を動かして勝利するのは自分だということが、最後のアナトリーの勝利に表されているのかな。そして、最後にアビーターが祖国は自分の中にあるものだと、祖国の定義を変えた瞬間、普段あまり祖国を意識したことなかったけれどもとっても感動してしまった😭 シュガーさんこと佐藤隆紀の朗々とした声が素晴らしく、歌も上手い!

 

 

1960年代後半にウーマンリブ運動が起き、少しずつ女性の社会進出が進んできて、80年代になるとそれがかなり浸透してきた頃なのかなと思う。その象徴がフローレンスで、対比となっているのがスヴェトラーナなのかなと思う。とはいえ、やっぱり2人はアナトリーに振り回されることになる。

 

でも、フローレンスはアナトリーを愛してることを強く感じながらも妻のもとに帰し、スヴェトラーナはアナトリーがフローレンスを愛していることを知りつつも受け入れる。どちらもとても辛いけど、それでも強く生きる姿が印象的。その辺りをサマンサ・バークスその葛藤を見事に表現していたと思う。そしてやっぱり歌が上手い! スヴェトラーナのエリアンナも良かった。

 

 

ファンなので来日するたびコンサートなどには行っていたけど、芝居のラミンはスゴイと聞いていて、是非見たいと思っていた。これまでに「プリンス・オブ・ブロードウェイ」と「エビータ」そして「ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート」で芝居をするラミンを見る機会があったのだけど、前2つは自己都合で見れず、ジーザスは台風直撃で公演中止で見れず😫 ということで初めて見れたわけです!

 

やっぱり歌手ではなく役者なんだなと実感。もちろん歌い手としても素晴らしいのだけど、役として歌うラミンはすごかった! 今まで何度かAnthemを歌うラミンを聞いたけど、今回本当にしっくりと降りて来た。ああ、そういうことだったのかと。字幕をちゃんと見れたことも大きかったのだけど、祖国を捨てる歌ではなく、祖国を愛する歌だと初めてきちんと理解出来た。

 

 

日本人キャストたちも皆歌が上手くて良かった。アンサンブルもダンスがとってもカッコよくて、特に二幕目のコサックダンスだったかな? 腰を落として座っているような形で、膝を前に曲げ伸ばしするアレ。ロシア的なダンスがとてもカッコ良かった。

 

 

大阪公演から始まり東京公演のこの日で千秋楽ということで、カーテンコールでは主要キャストの挨拶があった。ラミン、サマンサ、ルークとシュガーさん、エリアンナ、そして増原英也。えーと💦それぞれ何を話してたかな? サマンサが日本で歌うのを楽しみにしていた的なことを言ってくれたのは覚えているけど、ラミンが何を話したか忘れてしまった😅 

 

最後にシュガーさんの提案で、ラミンたち海外キャスト3人にComeback again!と叫んできました。また来て欲しいな~ コンサートもいいけどやっぱりミュージカル作品が見たいわ。っていうか、ホントラミンのユダ見たかった~😭 

 

 

一幕ラストで亡命するアナトリーが、その直前に移民局?で事務手続きをしてもらうシーンがある。5つくらい机が並び順番に手続きしてもらうのだけど、この日は一人一人握手をしていたので、てっきりそういう演出なのかと思っていたら、どうやら千秋楽ということでのアドリブだったらしい。ラミンってそういう人だよね😌

 

前述したカーテンコールの挨拶時に、日本人キャストが挨拶している時、ラミンたち3人には通訳さんが通訳していたのだけど、サマンサが少し離れていることに気づいたラミンが、さり気なく自分が後ろに下がって、サマンサを通訳さんに近い位置に誘導してたのを目撃! ラミンってそういう人だよね(2度目)😃

 

曲もとってもカッコ良かったし、黒を基調としたアンサンブルの衣装もスタイリッシュだった。その中でフローレンスは一幕のパンツスーツと二幕のスーツが白というのも印象的。これはチェスの盤面を表しているのかな? ヒール部分がキラキラしたパンプスも素敵だった✨

 

ということで大満足だった😃 また見たい! 毎年何かしらで来日してくれているラミン。次回は何を見せてくれるかな? サマンサもまた着て欲しいな~😍 そしてシュガーさんのバルジャンを是非見たいと思った!

 

出演者のTweet貼りたいけど、ラミンたち千秋楽ツイートしてないっぽい?🤔 

 

🐤シュガーさん

 

 

🐤ラミンがシュガーさんとBring Him Home歌った動画

 

🐤サマンサの渋谷区インスタ

 

また来てね~😃

 

ダイジェスト版の動画を見つけたので貼っておきます😌

 

ミュージカル『CHESS』舞台映像ダイジェスト版

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【play】「レ・ミゼラブル」2019年公演 鑑賞 @帝国劇場

2019-04-19 00:21:35 | play

🌹【play】「レ・ミゼラブル」2019年公演 鑑賞 @帝国劇場🌹

 

 

2年ぶりの公演! 「レ・ミゼラブル」は無条件で見るけど、今年はなんと濱田めぐみがファンティーヌ役で参加! これは絶対見たいということで、個人的ベストの組み合わせ考えた(記事はコチラ この時点では濱田ファンテの発表はなかった)けど、そんな公演日は1日もなし😢 理想に近い日ってことで、選んだのがこの日。ということで行ってきた~

 

言わずと知れたヴィクトル・ユゴー(Wikipedia)による長編小説「レ・ミゼラブル」(Wikipedia)を原作として、クロード=ミシェル・シェーンベルクとアラン・ブーブリルによりミュージカル化されフランスにて初演。その作品を聴いたキャメロン・マッキントッシュにより、トレバー・ナン演出版として1985年10月28日にロンドンにて初演されたのが今作「レ・ミゼラブル」(Wikipedia)だけど、初演から25周年を機にローレンス・コナーにより再演出がなされ、現在日本を含む世界で上演されているのはこの新演出版となっている。ロンドンのウエストエンドのみ旧演出で上演していたけれど、たしか今年から新演出版に切り替わるはず。旧演出版も好きだったので見れなくなっちゃうのは残念😢2012年にはヒュー・ジャックマン主演で映画化(感想はコチラ)もされており、こちらも新演出版がベースとなっているので、旧演出はもう本当に見れない😫

 

日本では1987年6月11日に東宝により帝国劇場にて初演され、それから何度も再演されてきた。もう10年以上になるのかな?2年ごとに上演してきた。自分が最初に見たのは実はロンドン。もう30年近く前になる。ロンドンで大感激して頭の中で"Do You Hear the People Sing?"がぐるぐるぐるぐる回りながら帰国。直後にチケット取って東宝版を見たのを覚えている。それから何回見ただろう? ここ最近では2013年(感想はコチラ)、2015年(感想はコチラ)、2017年(感想はコチラ)に見ている。

 

前置きが長過ぎるわけなので、そろそろ本題へ💦 あらすじ的なものは2012年の映画版感想に書いているので割愛。ザックリした感想をTweetしておいたので、それに補足する形で感想を書こうと思う😌

 

 

 

 

 

この日はプレビュー公演の初日。プレビュー公演というのは、公開稽古ということになるのかな? とはいえ、オーケストラも入っているし、セットもあるし、俳優たちも衣装をつけてメイクもしており、本番と同じように進行する。本公演よりも若干安いけれど、チケット代も発生している。今回は、本公演初日のキャストはこのプレビュー公演中にコンディションを見て決めるということだった。とはいえ2日目で初演キャストが発表されていたけれど😅 ちなみに、本公演初日キャストは今回と同じキャスト。

 

プレビュー公演を見るのは初めてだったので、どんな感じなのだろうとちょっぴり不安だったのだけど、全くそんな心配はなかった。前回から演出や歌詞など変えていると思うけれど、ところどころ違和感がある部分はあったものの、ハッキリここと指摘できるほどには気づかなかった。娼婦になったファンティーヌの最初の客が工場長になっていたのは、前々回からだったかな? 工場長が帰る時に他の娼婦が工場長と呼び掛けてるのは前回もやってた? そこぐらいかな?

 

ただ、全体的に歌よりも芝居重視という感じだったように思う。全編歌のミュージカルだから、当然どのセリフも歌っているわけだけれど、感情が高ぶれば歌うより怒鳴っているし、時には囁いたりもしている。その辺りは好みが別れるところだと思うけれど、よりリアルに感じられて自分は好きだった。ただ、前半はそのセリフっぽい歌がやや硬い印象を受けたりもしたけれど、濱田ファンティーヌが登場した辺りからぐんぐん盛り上がって行った。

 

そうそう、今回のTweet何故か全て濱田ファテってツイートしちゃってた😣 はずかしい😖

 

 

もう毎回書いているけど「レ・ミゼラブル」は基本的に学生たちを見に行っています! もちろん主人公であるジャン・ヴァルジャンの物語自体にも感動しているけれど、この全編見どころの作品において一番の見どころだと思っている。学生たちのシーンは1幕後半に登場して、それぞれが明日に思いをはせる"One Day More"で最高潮に盛り上がって1幕終了。そして、その勢いのまま2幕目はバリケードでの戦闘場面へとつながる。要するにストーリーの一番盛り上がる部分を担っていると思うわけです。個人的にはここがどれだけ熱く、さらに華々しく散っていくかが成功のカギだと思っている。で、今回とても良かった。とにかく熱くて、でも暑苦しさのない清々しさがあって、皆が明日のフランスを作るんだという希望に燃えていた。でも、市民を扇動することはかなわず、孤立して玉砕してしまう。その壮絶な死はもうショックで、切ないという言葉では足りないくらい😭 とても良かった。

 

この砦の勢いそのままに、マリウスを背負って下水道に逃げ込んだヴァルジャンを追ってきたジャベール。ここの対決が熱過ぎた! この日は福井晶一ヴァルジャンと川口竜也ジャベール。福井ヴァルジャンは2回目だけど、常に怒っている熱いヴァルジャン。正直に言うと好みのヴァルジャンではない。ごめん🙇 実際に演じているところを見たわけではないけれど、CDなどで一番聴いたのはコルム・ウィルキンソン ヴァルジャンで、10周年記念公演でヴァルジャンをテレビで見ていることもあり、熱い時には熱いけれど、全体的に包み込むような優しさと大きさが感じられるコルムさんのイメージが強く、そういうヴァルジャンが好み。今回デビューの佐藤隆紀ヴァルジャンがどんな感じなのか分からないけれど、自分的には吉原光夫ヴァルジャンの方が好き。

 

なので、ところどころここはもう少しソフトにして欲しいなどと思いながら見ていたわけなのだけど、この下水道での2人の迫力がすごかった! もう本当に怒鳴り合い。特にヴァルジャンは死にかけているマリウスを何としても救わねばという思いがビシビシ伝わって来る。ここで、私を捨てたヴァルジャンを見てしまってはジャベールの世界が崩壊してしまうのは当然だわ。あの時、ジャベールは本当にはヴァルジャンを逮捕しに来たわけではないと思うけれど、さらに確信したのだと思う。自分が追いかけていたのは自分が作り上げたジャン・ヴァルジャンであって、本当のヴァルジャンではなかった。原作にはおそらくキリスト教しかもカトリックの教えがベースにあると思うので、ジャベールの世界が崩壊したのはその辺りの部分に触れて来るのかと思うけれど、キリスト教徒ではない自分にはよく分からない。なので、この自分が命懸けで追いかけていたのは、幻想であったと知ってしまったためという理由が一番しっくりくる。その上で、この熱い魂のぶつかり合いをしてしまったら、そりゃ抜け殻になってしまうよと。ここはもう本当にスゴイ! 川口ジャベの自殺シーンもよかった😭

 

 

今回のキャストの中で、自分的ベストメンバーの1人だった海宝直人マリウス。前回も見ているのだけど、今回とっても良かった! 前回より全然いい! とにかくキラキラ✨マリウスです。毎回書いてるけど、マリウスって皆が革命だと盛り上がっている中、一人恋に夢中になり、自分に恋しているエポニーヌの気持ちに一切気づかず、こともあろうに彼女を恋のキューピッド役に使ってしまうという空気の読めない男。でも、海宝マリウスの恋に落ちっぷりを見てると、もうしょうがないよと思ってしまう。学生たちの中で群を抜いた品の良さ、そしてお坊ちゃま感。だって実際お坊ちゃまだからね。

 

コゼットとの恋のデュエットも良かったけれど、エポニーヌの死の場面が良かった。マリウスはあの時初めてエポニーヌが自分を愛していることに気づくんだよね。彼女に死んでほしくないと思っているだけじゃなくて、自分を責めている感じが切ない。今回席が遠かったので、双眼鏡を使ってようやく表情が見える程度だったのだけど、本当に泣いていたのじゃないかしら?

 

そして"Empty Chairs Empty Tables"がとても良かった! 前回実はあまりピンとこなかったのだけど、今回は友の死の悲しさはもちろん、たった1人生き残ってしまった辛さが伝わって来た。'ああ友よ聞くな!'がホントにすごかったし、その時にキャンドルを手にした仲間たちがグッと一瞬腰をかがめ、そして去っていく感じが本当に切ない😢 

 

やっぱり一番聴いてたのはマイケル・ボール マリウスで、10周年記念公演でもマリウスだったので、やっぱり基準はマイケル・ボールさんになってしまうけれど、海宝マリウスはタイプは違うけれど、自分の中では理想的なマリウス。姿もいいしね😍 とはいえ、年齢的に今回が最後かもしれない🤔

 

 

今回の一番のお目当ては濱田ファンティーヌ。濱田めぐみは「アリス・イン・ワンダーランド」(記事はコチラ 全然書きかけ💦)と「ミュージカル・ミーツ・シンフォニー 2013」(感想はコチラ)で見ている。とにかくパワフルというイメージがあったので、ファンティーヌにはちょっと強過ぎるんじゃないかなと思っていた。実際はそんなことはなく、もちろん強い部分もあるのだけど、それはコゼットのために必死になっているからという感じ。ファンティーヌは登場時点では恋人に逃げらて、娘を人に預けて彼女を養うために働いているという既に不幸な状況。そこから坂を転げ落ちるようにどん底に落ちてしまう。その運命に翻弄される姿が毎回辛いわけだけど、その辺りの儚さと強さのバランスはさすがだった。そして歌唱が本当に素晴らしい。"I Dreamed A Dream"は鳥肌モノだった。

 

そして、ファンティーヌの死の場面。ファンティーヌがコゼットとどのくらい会っていないのか分からないけど、ティナルディエがどんな仕打ちをしているのか全く分かっていない時点で、おそらく数年は会っていないと思われる。そのコゼットが遊んでいる姿が見えてしまっているのことが初めてしっくり来た。もちろん今までのファンティーヌもコゼットの姿が浮かんでいたと思うのだけど、そうじゃなくて本当に見えちゃってる感じ。ものすごくリアル。体をビクッと起き上がったりして本当に演技が細かい。このシーンは泣いた😭 ここで泣いてしまったため、右目のコンタクトにゴミが入ってしまい、ぞの後ずっと痛い目で見続ける羽目になった😅 ホント素晴らしかった! 

 

 

キャストは全員ホントに素晴らしくて、アンサンブルまで あれ?(o゚ェ゚o)って人が全くいなかった。若干リトルコゼットの発声が児童劇団的だなという気はしたけれど、まぁギリギリOK。で、そんなキャストたちの中で、今回自分的に一番良かったのは小野田龍之介アンジョルラス! 2月に「ラブ・ネバー・ダイ」(感想はコチラ)のラウルで見て、歌の上手さと声量、そしてシュッとした佇まいに期待していたのだけど、期待以上だった!

 

Tweetにもあるけどとにかく歌が上手い! 例えば劇団四季のような独特な発声法をしているわけではないのだけど、歌い上げても囁いても言葉が全て明瞭に聞き取れた。イヤ、他のキャストもちゃんと聞こえてるんだけど、それは言葉として聞き取れるって感じで、小野田アンジョのは一音一音ハッキリ聞き取れるという感じ。これはスゴイ。

 

この作品は学生と砦が重要だと力説したわけだけど、さらに言うとどれだけカリスマ性のあるアンジョルラスをキャスティングできるかにかかっているとも思っている。前回までは上原理生が演じていて、もうカリスマ性の塊という感じだった。小野田アンジョはどうだろうと思ったら、上原アンジョとは別のカリスマ性があった。ギラギラしたカリスマ性ではなくて、もっと静かに燃えているような。そして、優しさも感じさせるアンジョルラスだった。例えば、ABCカフェでガブロッシュをそっと下す時とか。

 

背も高いし上背があるので見栄えがする。個人的にここを聴きに行っている'群れとなりてー!'も良かった! 地声で行ってくれたし、行くぞーという力強さというよりも、もう少し思慮深い感じ。全体的に思慮深いアンジョルラスだったように思う。そうそう! 2幕の砦のシーンで'世界に自由をー!'のところ上げて歌ってた! これ英語だとFreeーーーーって上げるのだけど、以前は歌詞が'自由を世界に'だったから上げられなかったのか? それを逆にしたことにより上げられたのか?🤔 とにかく、この部分も良かったということです!

 

 

生オケはやっぱりいい😃 このミュージカルは本当に全曲素晴らしいので、生オケで聴きたいところ。オケの音がとってもよく聴こえて来て、ここでこんな音入ってたのね?というシーンがいくつかあった。ガブロッシュが亡くなったシーンかな? どこだったっけ😅 あと、囁くように歌っている部分もちゃんと聴こえるし、さすがにマイクは使ってると思うのだけど、声がいわゆるマイクを通したような機械的な部分が全くなく、生の声が感じられた。これはマイクの性能がいいのかしら? 

 

 

やっぱり「レ・ミゼラブル」は素晴らしい! 毎回号泣です😭 原作がいいのはもちろんなのだけど、文庫本5冊の長編を2時間半にまとめているのもすごいし、その世界観を伝えて来る音楽もすごいし、セットや衣装も豪華。これは奇跡のミュージカルだと思う。ミュージカルは好きだけど何でも見たいというタイプではない。イヤ、見たいけど資金難なので厳選して見なきゃならない💦 そういう状況でも絶対に見たい作品。こればかりは外せない!

 

 

 

 

 

 

本日初日の看板は帰りがけに慌てて撮ったので曲がってるしアングルも下手すぎる😣 

 

主要キャストがアンサンブルとして登場しているの全然探せなかった💦 結婚式シーンで給仕をしてるアンジョルラスだけ見つけた。そういう部分も含めてまた見たいけど、5月分はチケット全てハズレ💦 補助席が解禁されて本日(4/18)から抽選受付なので、とりあえず申し込んでみようかな😌

 

また見たいよー!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【play】「ラブ・ネバー・ダイ」鑑賞@日生劇場

2019-02-15 00:12:45 | play

🌹【play】「ラブ・ネバー・ダイ」鑑賞@日生劇場🌹

 

 

 

 


昨年4月に再演を知ってから(その時の記事はコチラ)楽しみにしていた。作品自体もそうなのだけど、石丸幹二ファントムが見たかった! 以前、MMS(感想はコチラ)で「Till I Hear You Sing」を聴いて、絶対LNDファントムに合うと思ってたので! ということで、石丸幹二ファントムからチケット取って見に行ってきた!

 

「ラブ・ネバー・ダイ」は2010年3月10日ロンドンのウエストエンドで初演。この時のオリジナルキャストが後に『オペラ座の怪人 25周年記念コンサート in ロンドン』(感想はコチラと、コチラと、コチラ)で、主演を務めたラミン・カリムルーと、シエラ・ボーゲス。「オペラ座の怪人」の10年後を描いた作品で、オリジナルと同じくアンドリュー・ロイド・ウェバーが作曲。ロイド・ウェバーの続編製作の意図を受け、フレデリック・フォーサイスが書いた小説を原案とした作品。小説は未読なので分からないのだけど、結末は同じなものの内容は違っているらしい。曲の美しさや、主演2人の素晴らしさ、そして妖しい雰囲気にカルト的な人気を得る一方、メロドラマ的な内容やオリジナルと大きくキャラを変えてしまった役柄などが受け入れられず、さらに続編は不要と考えるオリジナル版ファンの方のバッシングなどにあい、2011年8月27日に突然クローズしてしまった😢

 

その後、オーストラリアでサイモン・フィリップスの演出により、よみがえった。この公演を収録したものがBlu-rayとして発売された。日本でも発売時には試写会が開かれるなど話題になった。ホリプロによる今公演は、このバージョンとなっている。Wikipediaもあるようなので、リンク貼っておく😌

 

自身は、このウエストエンド公演を何度も見られた方々から、お話を伺う機会があり、残念な部分はあるが埋もれさせるには惜しい作品であることを聞いており、なおかつBlu-ray版が素晴らしい出来になっているから興味があるなら是非見た方がよいとのことで、恐る恐る見てみたところ、オリジナル版の続編とは考えにくいが、単独の作品としては魅力的な作品だと思った。(感想はコチラ)

 

前回(記事はコチラ)も見に行って、その妖しい世界に感動した。再演されたら見てもいいかなくらいに思っていたのだけど! 前述したとおり、石丸幹二さんがファントム役に入ったということで、これは絶対見なくちゃとなったわけです😳

 

前置きが長くなった😅 いつものように感想をTweetしておいたので、それに追記する形で感想記事にしておく。

 

 

ぐずぐずしててチケット取るのが遅くなってしまい、最前列ながら2階席の端の方になってしまった💦 かなり右斜めから見る形。幸い見切れはなかったものの、背もたれを使うと舞台中央に柵が入ってしまうという悲しい席だった😢 これS席として売っちゃダメでしょう😣

 

冒頭ファントムが歌う「Til I Hear You Sing」の場面でのクリスティーヌ肖像画が見えなかったのはそんな席だから? 期待の石丸ファントムいいです キーはラミンが歌っているのより低い気がするけど、美声でとても情感がこもっている。

 

前回見落としていたのか、ファントムはピアノごとそのまま舞台上に配置される。ファントムは隠れ家から劇場全体を見ているということなのかな。メグたちの公演など、かなり長い間上から見ている。クリスティーヌたちが到着する港に場面転換するまで上空にいたと思う。これはオリジナル版(「オペラ座の怪人」のことです😌)よりもさらにファンタズマという劇場を支配している感が出ている。まぁオリジナル版は自分の劇場ではなかったからね😅

 

メグの咲妃みゆは歌も上手いしダンスも良い。今作のメグにとても合っている。キャストは全体的に歌が上手く皆よかったけれど、マダム・ジリーの鳳蘭だけ不満が残った。クリスティーヌやファントムに対する愛憎など演技はよいが、声が出ていない😣 お年を考えると仕方のないことだけれど、オリジナル版に比べるとセリフ多めではあるものの全編歌のミュージカルだから、それで歌が聞き取れない、もしくは発声的に苦しそうだったりすると聞いているのが辛い💦 特に1幕ラストはジリーの歌で終わるので。とはいえ、どの曲も美しいけど高低差が激しいから歌うの大変そうではある。

 

クリスティーヌの部屋はアールヌーヴォーで素敵。花モチーフなのかホタテ貝のような形の装飾がある鏡。これオペラグラス使ってじっくり見たけど、花などが彫り込まれていて素敵だった✨ 後にここからファントムがバーンと現れる。クリスティーヌの平原綾香は前回も見てとても良い印象があったのだけど、さらに良くなっている。特にグスタフとのシーンは母親としての貫禄のようなものも備わった。美しい声で難曲を歌いこなしている。高低どちらも完璧に聞き取れる。グスタフの熊谷俊輝くんのボーイソプラノが美しく、こちらも難しい曲を危なげなく歌っていた。出生の秘密を持つグスタフ。その存在が切ない😢

 

ファントムが現れてからは、かなり赤裸々な過去が明らかになるわけだけど、2人とても良かった。石丸幹二ファントムがセクシー。石丸怪人は怖さよりも切なさを感じさせる。そしてとてもカッコイイ😍 スタイルがいいので長めの丈の上着なども着こなしていた。

 

この作品の肝である「The Beauty Underneath」は録音だよね? ちょっと残念😢 これはなぜ録音なんだろう? 移動しながら歌うから? 毎度、このシーンはスゴイ! 回転舞台上をファントムとグスタフが歩いていくと、コニーアイランドの神髄ともいえる妖しい世界が展開する。舞台上に三角錐の柱のようなものが現れて、明かりがつくとその中にフリークスたちがいる。彼らを美しいと思うかどうかではなく、その裏にある美に気づくかどうかということがこの作品のテーマなんだと思う。見た目ではなくてその奥に潜んでいる美。それが分かるからファントムとクリスティーヌは惹かれあっているのだし、ファントムとグスタフも繋がっているのだということ。そう、グスタフはあの夜に授かったファントムの息子。このシーンは本当に好きだな。

 

 

 

 

 

第2幕はファントムvsラウルの場面から。ホテルのバーで泥酔するラウルの前に、バーテンダーと入れ替わって現れるファントム。いつ入れ替わるのだろうとドキドキしながら見ていたけど、なかなか入れ替わらない。ラウルの小野田龍之介は泥酔していても品のいいラウルだった。まぁDV夫だけど😅 ラウルが借金してしまったから、お金のためにクリスティーヌが歌うという設定だから仕方がないけど、オリジナル版ではあんなに颯爽としていたラウルが、まさかのアルコール依存症のDV夫になってしまうとは😣

 

でも、ラウルにはクリスティーヌを愛しているのに、彼女の本質であり、彼女が愛しているもの芸術を理解できないという苦悩がある。しかも、その彼女の芸術で生活しているわけだから、屈辱的なのも分からないでもない🤔 ラウルが本能的にグスタフを自分の子でないと察知していたかは別として、グスタフを愛せない理由には、彼にもクリスティーヌと同じ資質を感じており、自分一人が疎外されている感じがあったからかもしれない。今回、そういう部分まで感じさせる演出になっていたし、小野田龍之介の演技にもそれがあったと思う。このバーのシーンの薄い茶色の衣装では、ちょっとスタイルが悪く見えていたのだけど、後にタキシードで登場した際にはシュッとしててかっこよかった。歌が上手く声量もある。「レ・ミゼラブル」のアンジョルラスで見る予定なので楽しみ😳

 

そうそう! BD版も前回も記憶から抜け落ちていたのが、ファントムがグスタフにオリジナル版の「Phatom Of The Opera」の最後のクリスティーヌの声がどんどん上がって行く部分を歌わせるシーン。この時点でファントムはグスタフが自分の息子であることを知っているから、グスタフの中の芸術性を引き出すことに喜びを感じているのだろうし、クリスティーヌに2人の子供であることを強烈に意識させようとしているということなのだろうけど、これはオリジナル版ファンとしてもドキドキする場面だった。熊谷俊輝くんのボーイソプラノが美しい✨

 

ファントムとラウルから歌え、歌うなと迫られるクリスティーヌ。結果、歌うわけなのだけど、舞台の両脇にはファントムとラウルがいて、それぞれに歌いかける部分がある。愛とはこういうものだという内容なのだけど、それぞれで違う。それが本当に2人の男性に当てはまっていて、それこそがクリスティーヌの気持ちなんだろうと思った。歌ったことで結果、ファントムが賭けに勝ったわけだけど、クリスティーヌとしてはやっぱり芸術を選んだんじゃないかな🤔 歌い終わって楽屋でファントムとキスしちゃってるから微妙なところではあるけど、この曲は埋もれさせないって言ってたし、LNDを歌いたいと芸術家なら思うでしょう。この平原綾香の歌唱は本当に素晴らしかった! 圧倒的な歌唱だったと思う。Bravo!の声かかった

 

さて、いよいよラストに向かうわけですが、やや強引な展開ではあるかな😅 自身の新作をファントムに全く無視された形になったメグは、錯乱してグスタフを連れ去ってしまう。明言はしていないけれど、ハッキリと分かる形でファントムをサポートするためにメグが枕営業をしたことが語られている。ジリー親子が勝手にしたことかもしれないけれど、そこまでした相手が、自分を全く気にかけてくれない上に、親友であるクリスティーヌに夢中であるというのは辛い😢 クリスティーヌのことは友達として愛情を持っているけれど、今では大スターとなった彼女と自分の現状を思えば複雑。ファントムに認められることだけを心のよりどころとしていたのに、10年間結局一度も自分を気にもかけていなかったことを思い知った。それは心も壊れるよね😣

 

自暴自棄になったメグはグスタフを桟橋から海に落とそうとする。そこにファントムとクリスティーヌ、そしてマダム・ジリーが駆けつける。ファントムの心からの詫びと説得が効果を発揮したかに見えた時、クリスティーヌとは違うのだというあり得ない失言をしてしまうファントム😫 その言葉に取り乱したメグが銃を手にして暴発。なんとクリスティーヌに弾が当たってしまう。メグとマダム・ジリーは助けを呼びに走る。クリスティーヌはグスタフに本当の父親はファントムであることを告げようとする。一度ファントムフェイスを見せてグスタフに拒否されているファントムは、止めようとするけれど、あなたにはもうグスタフしかいないのだと言うクリスティーヌ。ファントムが父親でなくても、今まで父親だと思っていた人とは別の人が父親だと言われたら混乱するに決まっている。ましてグスタフはまだ10歳。彼は走り去ってしまう。ラウルがそれを追う。

 

2人きりになったファントムとクリスティーヌは愛を確かめ合う。しっかりとクリスティーヌを抱きしめ、求めに応じてキスをするファントム。そして息絶えるクリスティーヌ。ファントムの絶叫。この石丸幹二の絶叫が切ない😭 息絶える平原綾香の演技も良い。グスタフを連れて戻って来たラウルにクリスティーヌを託し、一人涙にくれるファントム。グスタフはファントムに向き合い、そして膝まづくファントムを抱きしめる。これって前回もやってたっけ? このグスタフがファントムを抱きしめた瞬間涙腺崩壊😭 そしてグスタフはファントムの仮面をはずし、そっとファントムフェイスに触れる。そして幕。

 

確かにこの展開はやや強引で、メグにクリスティーヌを撃たせるためのファントムの失言もちょっと無理がある。さらにヒロインが死んでしまうというのもどうなのかと思うけれど、この愛憎渦巻く物語の終わりとしてはこうでもしないと終われないかも。ファントムとクリスティーヌは幸せに暮らしましたとさっていうのは違うかもしれない🤔 クリスティーヌの資質はグスタフに受け継がれているということで、これからはファントムとグスタフの物語が始まるということだし😌

 

 

初演時の公演はYouTubeでいくつかの場面を見ただけなので、ネットで検索したり見て来た方に聞いた話でしか情報はないのだけど、どうやら1年半の公演期間かなり迷走していたようで、曲順が変わったり演出が変わったりしていたのだそう。オーストラリア版での新演出を経て、日本での公演、そして今回に至りとても素晴らしい作品になったと思う。WE初演時チープだと言われていた内容も、前回は感動しつつもメロドラマだなと思ったけれど、今回登場人物たちのそれぞれの思いや愛憎が浮き彫りにされていて、それらが絡み合った見応えのある作品になっていた。とても良かった。

 

とにかくセットが豪華! コニーアイランドを舞台にしているから、メリーゴーランドが出現したり、ファントムのマスクをデザインしたアーチが舞台の幕のように使われたり、妖しくも美しい世界観。クリスティーヌがタイトルソングを歌うシーンでは、衣装とセットが一体となってクリスティーヌが孔雀になるという趣向。このセットをデザインした女性は産休中だったところを、サイモン・フィリップスが口説き落としたということらしいけれど、このセットなくしては有り得ない! 衣装も素敵✨

 

そして、曲が素晴らしい。タイトルソングのオペラ的な曲調から、ロック調まで様々な曲が散りばめられていて、それらがとても妖しくて美しい。だけど歌うの難しそう。時々、オリジナル版の曲が出てきてニヤリ😀

  

 

 

 

オリジナル版が大好きな身としては、やっぱりこの作品を続編とは考えにくい。というのも、自分の解釈としてはオリジナル版でファントムは死んでいるから。それは原作で明確に亡くなっているということもあるけれど、あのままクリスティーヌの想い出を胸に生きていくのは辛過ぎる😭 それに、やっぱり犯罪者だからね。まして、2人の間に子どもがいる未来は考えにくい。でも、単品としての今作は好きだし、今回見て素晴らしい作品になったと思う。これはこれでアリだと思う。パラレルワールド的な存在として。

 

もしかしたら石丸幹二怪人が登場しなければ見なかったかもしれない。見て良かった! また見たい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【play】「ケン・ヒル版 オペラ座の怪人」鑑賞@シアターオーブ

2018-09-04 20:57:24 | play

🌹【play】「ケン・ヒル版 オペラ座の怪人」鑑賞@シアターオーブ🌹

 

 

4月にJOJさん出演情報(記事はコチラ)を知り、チケット購入してから待つこと4ヶ月。なるべく前情報を入れずにいたけど、以前見た感想記事によると、ちょっとアレなのだとか😅 まぁあまり期待せずに見に行ってきた!

 

ミュージカル公演や、ミュージカル系コンサートの感想記事のたびに書いているけど、ミュージカルは好きだけれど資金難のためあまり本数は見られない。なのでどうしても見たい作品を選んで見ているので鑑賞作品に偏りがある。海外での観劇歴も数少なく、海外どころか日本のミュージカル事情についても全く詳しくない。なので、作品自体や俳優さんの背景などについては書けない。感想もあくまで自分はこう見たという観点のものとなっております。毎度、どうでもいいと思うけれど、断り書きとして入れておく😌

 

えーと。乏しい知識の中から少し蘊蓄を書いておく。そもそもの原作である「オペラ座の怪人」(Wikipedia)は、フランスの小説家ガストン・ルルー(Wikipedia)による小説。ガストン・ルルーはもともと新聞記者だったらしい。あくまで個人的な見解だけど、子どもの頃「フランケンシュタイン」などのゴシック小説を読み、その影響を受けたのかなと思っている。ガストン・ルルーとしては怪奇小説として描いたのだろうと思うけれど、人間愛も描かれており、その辺りが人を惹きつけるのか、1925年ロン・チェイニー主演の映画を始めとして、度々映像化や舞台化されてきた。最も有名なものがアンドリュー・ロイド=ウェバー版(ALW版)と呼ばれるもので、現在もロンドンで30年以上に渡りロングラン公演されているのを始め、世界各国で上演されている。

 

で、このロイド=ウェバー版が作られるきっかけとなったのが今作であるということが書きたかった! そもそもはケン・ヒル演出により1976年に初演された今作。おそらくは1984年の改訂版上演時に、当時ロイド=ウェバー夫人であったサラ・ブライトマンに出演依頼があった。結局は出演しなかったけれど、「オペラ座の怪人」をミュージカル化しようという構想のあったロイド=ウェバーの注意を引いたらしい。以前、何かの記事で読んだことがある。

 

と、詳しくないと断り書きを入れたくせに豆知識を披露したのは、以前から作品自体にも興味はあったということを書きたかったわけです。とはいえ、今回チケット取ったのはJOJさんことジョン・オーウェン・ジョーンズさんが主演だったからなのだけど😌

 

ということで、前置きが長くなりましたが、そろそろ本題へ! いつものようにTweetしておいたので、それに追記する形で感想を書いていきたいと思う。一応、1幕と2幕に分けてあらすじ的なことも書いておこうと思う。

 

🌹【第1幕】

 

パリ・オペラ座に新しい支配人がやって来る。前任者や案内係ギリー夫人からオペラ座の怪人について聞かされるが、全く信じない。新支配人の1人リシャードは、幽霊のために開けておくように言われた5番ボックスを息子のラウルと共に使ってしまう。この日の公演中に主演歌手が舞台上に首を吊るされる。ギリー夫人は怪人の仕業だと言うが、リシャードは取り合わず、警察も自殺と判断する。ラウルは恋人のオペラ歌手クリスティーンの楽屋を訪ねるが、彼女は自分のために歌うのだと語る男と共にいるようだ。嫉妬したラウルはクリスティーンに冷たく当たる。

 

その後、姿を消したクリスティーンを追って墓場に向かうラウル。そこで彼女からあの男の声は父親が遣わした音楽の天使だと聞かされる。信じることが出来ないラウルは、クリスティーンが去った後、何者かに首を絞められる。一方、オペラ座のプリマドンナであるカルロッタは怪人から歌わないように脅迫を受けていることを告白。これに反発したリシャードはクリスティーンには歌わせず、カルロッタを「ファウスト」のマルガレーテ役に配役、カルロッタは口パクで歌わず、陰でクリスティーンが歌うことにする。公演は順調に進むかに見えたが、カルロッタの口からカエルの鳴き声がしてしまうのだった!

 

代役となったクリスティーンの身を案じたラウルは、彼女と共に安全な場所へ行こうと提案する。しかし、クリスティーンは音楽の天使のために自分が歌うのを聞かせたいという。公演が終わったら2人で逃げることにする。しかし、この一部始終をオペラ座の怪人が見ていたのだった。

 

マルガレーテ役で歌うクリスティーン。舞台は成功するかに見えたが、突如シャンデリアが落ちると声がする。劇場内のシャンデリアが揺れ支配人たちが動揺する中、舞台上のシャンデリアが落ちる。そして、クリスティーンが姿を消す。

 

あらすじとしてはこんな感じかな。シャンデリアの落下はカルロッタのカエル声のとこだったかも? ラウルが新支配人リシャードの息子に変更されていたり、既にクリスティーンと恋人どうしだったりと変更はあるものの、例えばクリスティーンの楽屋のくだりなどは原作に近い。墓場のシーンは原作ではカタコンベ的な教会で行われるのだけど、原作の雰囲気を伝えていると思う。

 

では感想追ドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

 


 

 

 

ミュージカルには2通りあって、お芝居の間に歌が入って来るタイプと、全編歌のタイプがある。ALW版「オペラ座の怪人」は後者のタイプ。前者はタモリ始めミュージカルが苦手な人たちが言う唐突に歌うタイプ。自分は後者の方が好み。今作は前者のタイプで、しかも芝居部分が長かった💦 ほぼ芝居という印象。こんなに歌わないミュージカルってあるかな?と思うくらい芝居多め。

 

そして結構コメディタッチ。これはどうしてコメディタッチなのかな? 確かに原作では怪人のことを信用しない支配人たちが、何か問題が起こるとギリー夫人などを呼び、事情を聴くたび怪人の話をされイライラしたり、2万フランが消えたことに対して検証しようとして不審がられたり、コミカルといえはコミカルな部分もあるけれど、別にコメディなわけではないと思うのだけど。イヤ特別笑えはしなかったけど、つまらなかったわけでもないのだけど😌

 

しかし1幕でJOJさん2曲しか歌わないのビックリした😲 イヤ、前述したとおりJOJさん目当てで見に行っているのでね😅 歌わないどころか登場場面も少なくて、ほぼほぼ支配人たちのやり取りなのはちょっとな~💦 という気持ちが表れているのが上のTweet。

 

🌹【第2幕】

 

ラウルたちの代わりに5番ボックスに座っていたペルシャの王子は、クリスティーンが失踪したのは怪人の仕業だと言う。ペルシャの王子は怪人のことをよく知っており、彼が音楽だけでなく建築などの才能があることも知っていた。また、彼はパンジャブラッソーという投げ縄の名手であり、これが首を狙ってくるので気を付けるようにと忠告する。

 

支配人2人とラウル、そしてペルシャの王子はクリスティーンの楽屋へ向かう。支配人の1人(役名を失念💦)が鏡の仕掛けに気づき、皆を呼ぶが話に夢中になっていて気づかない。そこへ怪人が現れ支配人は刺されてしまう。3人は楽屋から秘密の通路を見つけ、探検に乗り出す。

 

クリスティーンを地下の湖に連れてきた怪人は、彼女をほとりに縛りつけラウルたちの様子を見に行く。ラウルたちは地下の拷問部屋に迷い込んでいた。ペルシャの王子にはその部屋に見覚えがあった。昔、スルタンとその部屋で行われた拷問を見たことがある。絶体絶命のラウル、リシャード、ペルシャの王子、そしてギリー夫人。


クリスティーンのもとに戻った怪人は、彼女にウェディングドレスを差し出し、これを着て自分の妻になるように迫る。そうしなければ、オペラ座を破壊すると言われるも、クリスティーンは承知しない。

 

神父?もさらって来て強引に結婚式を挙げようとする。そこにラウルたちが登場。なんと刺された支配人は生きており、彼らを助けに来たのだった。追い詰められた怪人は、クリスティーンを殺すと脅す。が、愛するクリスティーンを殺すことは出来ず、彼女への思いを叫びながら自ら命を絶つのだった。

 

あらすじとしてはこんな感じ。もう少しエピソードがあったように思うけど覚えていない。正直、ラウルたちが拷問部屋を脱出した経緯も間違っているかも? でも、ずいぶんご都合主義でやっつけ仕事的な終わり方だなと思ったのは憶えてる。

 

ということで感想をドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

 

うーん。上演時間は1幕が70分で、2幕が65分と2幕の方が若干短いけれど、ほとんどがラウルと支配人たちの地下探検や、ギリー夫人の説明など。肝心の怪人はいつ出るのか?という感じでやや長く感じた。全体的にとにかく芝居部分ばかりで、特に支配人とギリー夫人の比重が多め。馬係の老人のくだりとか必要かね? 怪人もややコメディタッチにしているため、怪しさや怖さは感じない。これはこれでアリだとは思うし、見ている間退屈してしまうことはなかったけれど、楽しかったかと言われると疑問かな😅

 

前述したとおり原作にとても近いけど、ちょこちょこ変更がある。例えば仮面舞踏会のシーンをバッサリ切ったのは、もともとの製作時の予算的なことかなと思うけど、1925年のロン・チェイニー版の赤い死の衣装が、ALW版でも引き継がれていたことを考えるとちょっぴり寂しかったり。とはいえ、少ない出演者で上演しているので、これは無理かなぁ。

 

ラウルが子爵でパトロンから支配人の息子に設定変更は、話を分かりやすくする狙いかなとも思うけど、メグ・ジリーの名前変更や、クリスティーンの父親がバイオリン弾きからハープ奏者への変更は何故だろう? どうでもいい部分なので、別に気にならないけど、なら別に変更する必要もないような?🤔

 

全体的に感じたのは今作はそもそも小さめの劇場で上演することを前提としているのではないかな? 自分も20年くらい前に3つの劇場に行っただけなので全く詳しくないのだけど、ロンドンの劇場は古いのであまり大きくないのではないかな? シアターオーブのような大きな劇場で観る作品ではないのでは? セットや衣装、そして話のスケール感もこじんまりとしていた印象。まぁでも、とっても演劇っぽいセットは嫌いではない。

 

 

既存のオペラの楽曲を使っているため、曲自体は美しい。キャストは皆問題なく歌いこなしていた。特に作品中一番多く歌ったクリスティーン役のヘレン・パワーは歌も上手く、声が美しい。

 

 

お目当のJOJさんがほとんど歌わなくてガッカリ。全体で4曲くらいかな。まぁ2時間ちょっとの全編歌ではない作品なら少なくはないかもだけど、JOJさんを見に行った身としては辛い。とはいえ、JOJさんの歌唱は圧倒的で、オペラ歌唱ではないものの、歌いこなしていた。お芝居も良かったと思うけれど、正直このコメディタッチ演出では、怖くもないし、オペラ座を支配している雰囲気も感じられない。特にご都合主義でやっつけ仕事的なラストでは感動することもできないが、まぁそれはそれでアリかと。

 

今回、正直作品自体に期待していなかったため、A席で鑑賞。3階のバルコニー席で見たのだけど、この席からだと舞台両脇に配置された字幕を見てしまうと、お芝居自体が見えないことに💦 なので苦肉の策で字幕はほぼ見ずに鑑賞したのだけど、やっぱり細かな言葉のニュアンスなんかで笑わせる部分は英語力が足りずに笑えず😅 まぁ、これは自分が選んだのだから仕方がないけど、来日公演で字幕も見たかったらこの席はオススメできない。

 

 

アンコールまで歌があって楽しかったし、この日はスペシャルアンコールということで、終演後にJOJさんによる"Til I Hear You Sing"(「ラブ・ネバー・ダイ」より)を熱唱してくれる素敵なオマケつき! ちょっと疲れてるかなと心配したけど、流石の歌唱で感動! やっぱりロイド=ウェバーの曲はスゴイわ

 

何度もしつこいけど、JOJさんの歌とお芝居目当てだったので、見れて良かったし、それなりに楽しむことができた。でも、正直資金難で年間見れる本数が限られている身としては、次回来日公演がJOJさん主演でも見ないと思う🤔 全くダメというわけではなく、これはこれでアリな作品だとは思うけれど、1度見れば自分としては十分かな😌

 

というのが正直な感想。あくまで個人的な意見です!┏○ペコ

 

【オマケ】




ALW版は2幕でお墓の中から怪人が出てくる演出があるため、一介のバイオリン弾きにしては大き過ぎるお墓だけど、今作のが妥当でしょうね。どうでもいいことですが😌


ミュージカル オペラ座の怪人 ケン・ヒル版

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【play】「レ・ミゼラブル」日本初演30周年記念公演 鑑賞@帝国劇場

2017-07-18 00:22:29 | play

🌹【play】「レ・ミゼラブル」日本初演30周年記念公演 鑑賞@帝国劇場🌹

 

 

 

ここ数年、「ミス・サイゴン」(感想はコチラ)と交互に上演している「レ・ミゼラブル」(前回感想はコチラ)。 自分の中では大好きなミュージカルツートップ。もう一つは「オペラ座の怪人」。どちらもホントに好きなので、順位はつけられない! そんなレミの30周年記念公演ということで、とっても楽しみにしていた。スペシャルカーテンコールが行われた、スペシャルウィークのチケット取りたかったのだけど玉砕。ぴあなどではチケットあったみたいだけど、既にこの日のチケット取ってたので諦め イヤ、資金難なので何度も繰り返しは行けないので ということで、行ってきた!

 

 

 

ロングラン公演の楽しみといえばキャストの組み合わせ。資金難ゆえ1回しか見れないからこそキャストにこだわりたい! 今回見たかったキャストはコチラだった。東宝のサイトでは、プリンシパルキャストの出演日を検索できるシステムが導入されていて、このキャストで探したけど1日もなかった そこから選択肢を絞って行ったのだけど、なかなか思うようにいかず。譲れないポイントで選ぶしかないということで、マリウス:海宝直人、アンジョルラス:上原理生、コゼット:清水彩花の日で探したけど、こちらもほぼなかった で、結局これだけは譲れないということで、マリウス:海宝直人、アンジョルラス:上原理生でチケット探して取れたのがこの日。

 

 

原作はいわずとしれたヴィクトル・ユゴーの文芸大作。翻訳版は文庫本で5冊になる長編。これを、作詞アラン・ブーブリルと作曲クロード=ミシェル・ショーンベルクのコンビがミュージカル化、1980年パリで初演。これ確か何かを記念しての特別公演だったように思う。フランス革命200年だったかな? この作品をプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュが演出家のトレバー・ナンらと共に英語版に作り直したものが、現在世界各国で上演されているミュージカル「レ・ミゼラブル」となった。2010年のロンドン初演25周年を機にローレンス・コナーによる新演出版が作られ、現在日本を始め世界で上演されているのはこちらのバージョン。オリジナル演出版はロンドンで現在もロングラン公演されている。というのが、Wikikediaをベースに自分の記憶や知識を加味した簡単な説明。


内容については2012年の映画版(感想はコチラ)に詳しく書いたので割愛。この作品に初めて出会ったのは実はロンドンだった。もうかれこれ30年近く前。まだ学生で初めての海外がパリとロンドン。憧れだったパリは本当に素敵で、その余韻が残る中、最後の夜ロンドンで見た。小学生の頃「ああ、無情」を読んだけれどジャン・バルジャンがパンを盗んだことしか覚えていず、英語もほとんど分からず、ミュージカルも数作しか見たことない状態。なのに大感激して号泣してしまった。翌日の飛行機の中ではずっと「民衆の歌」が頭の中でリピートしてた。

 

と、熱く語ってしまった(o´ェ`o)ゞ まぁそれくらい思い入れがあるということで、その期待を裏切らない素晴らしい公演だったということ。一応感想Tweetしておいたのだけど、今回少な目だったかな? まぁ、いつものようにTweetに追記する形で感想を書こうと思う。

 

 

新演出版を見るのは3回目(1回目の感想はコチラ)。初見時から旧演出に比べてとても熱い演出になっていると思っていたけど、年々熱くなっている。とはいえ、具体的にどこがって説明するのは難しいのだけど 自分が気づいた変化は、前回鑑賞時レンブラントの「放蕩息子の帰還」のようだと感じた司教様がバルジャンを赦すシーン。前回は3列目の右寄りの席で、このシーン自体は舞台の左(下手)側で演じられていて、バルジャンの背中を見ていた。今回は14列目の左寄りの席で、舞台の右(上手)側で演じられており、バルジャンの表情がよく見えた。司教様が歌っている間バルジャンはずっと嗚咽していた。これは泣いた。・゚・(ノД`)・゚・。 人はいつ誰に出会うかってことが重要だと思っていて、バルジャンにとってこのタイミングで司教様に巡り会えたことが、人生を大きく変えたわけで、自分の価値観や人生観が一変した瞬間に冷静でいられるはずがない。この嗚咽が演出の変更なのか、吉原光夫の演技によるものなのか不明なのだけど、これはとっても良かったと思う。

 

旧演出を最後に見てから10年以上時間が経っているので、よく覚えていないこともあるのだけど、新演出版ではとにかくシーンが流れるように変わって行き途切れる所がなく、無駄なシーンがなく退屈する場面がない。特に個人的にここを見に行っていると言っても過言ではない学生たちのシーンが熱い! カフェでの盛り上がりから一幕ラストの"One Day More"まで一気に見てしまう。途中マリウスとコゼットのシーンもあるけど気持ちが切れてしまうことがない。個々の演技については後に触れるけど、とにかく熱かった! ホントに気持ちが最高に盛り上がって1幕終了。

 

レミは2幕から登場してくるキャストはなく、1幕で全員が出そろう。自分の中にこう演じて欲しいとか、こう歌って欲しいというのがあって、その通りに演じてくれるととってもうれしいけど、自分の思いもしないアプローチでそれがとってもハマる時もある。今回は後者のパターンはなく、どちらかというと前者パターンだった。ちょっとイメージと違うかなというキャストもいたけれど、全員演技も歌も上手くて、しばしば(´ェ`)ン-・・となることの多かった子役たちも頑張ってた! 特にリトル・コゼットの鈴木陽菜ちゃんは声もキレイで歌も上手く、子役独特の発声法もなくてとっても良かった。

 

 

上にも書いたけど最初に泣いたのは司教様に赦されたバルジャン号泣シーン。次がファンティーヌの死。エポニーヌの死、ガブローシュの死、そして学生たちの死でもチラリと涙。マリウスの歌でもちょっぴり泣いた。でもやっぱり一番泣いたのはバルジャンの死からラスト。コゼットのために自ら身を隠したバルジャンは、死を意識する。司教様に赦されて生まれ変わったバルジャンは、ほんの少しの判断ミスでファンティーヌの人生を狂わせてしまい、正しい人になったためにまた追われる身となる。バルジャンの晩年10年間はコゼットを守り育てるために捧げられてきた。コゼットの存在はファンティーヌへの償いであり、バルジャンの生きる理由だったのだと思う。そして伴侶を得たコゼットをマリウスに託した今、自らの使命は終わったのだと考える。その終わりの時に司教様から頂いた銀の燭台に火をともす。これは泣くでしょう。・゚・(ノД`)・゚・。

 

前回鑑賞時は清水彩花コゼットに釘付けだったけど、今回はバルジャンに引き付けられた。学生のシーン目当てだし、海宝マリウス中心にチケット取ったけれど、やっぱりこれはジャン・バルジャンの物語なんだなと改めて思う。バルジャンの人生の終わり、そして神に召されて苦しみから解き放たれる瞬間が崇高で美しい。そして全員そろっての大合唱。これは本当に感動して涙が止まらない。゚(PД`q。)゚。

 

 

自分が見たかったのは上にリンク貼ったとおり、バルジャン:ヤン・ジュンモ、ジャベール:吉原光夫、エポニーヌ:昆夏美、マリウス:海宝直人、コゼット:清水彩花、アンジョルラス:上原理生だったけど、残念ながらこの組み合わせの日はなし😢 でも、この日のキャストも良かった。光夫バルは以前見ているけれど、今回の方が良かったと思う。より熱く、よりお父さんバルだった。そして、最終的には聖者になっていたと思う。次回はジャベールを見てみたい。でも川口竜也ジャベールがとても良かったので全然OK。

 

アンジョルラスの上原理生は相変わらず歌が上手くて声量がスゴイ。でも、ちょっと調子が悪かった印象。本来はもっとスゴイ気がする。とはいえカリスマ性が感じられたし、これを聴きに行っている「群れとなりてーーーーーーー!」が自分の歌って欲しいとおりに歌ってくれて大満足 声量豊かに響き渡った。

 

一番のお目当てだった海宝マリウス。前回とっても評判が良くて気になっていた海宝直人。「ミュージカル・ミーツ・シンフォニー 2017」(感想はコチラ) で初めて見て、とっても期待してた。結論からいうと期待を裏切らなかった! 歌の上手さと声量については既に知っていたわけだけど、演技も良かった。背が高くてスタイルが良く、容姿がよくて品があるのでマリウスにピッタリ。恋に落ちたキラキラ感というよりもフワフワ感という感じだけど、それがキャラに合っていると思う。映画の感想などにも書いたけれど、マリウスは革命のさなか恋に落ちて、自分に恋するエポニーヌにキューピッド役をさせてしまう空気の読めない青年だけど、海宝マリウスはそうはなっていず、イライラするどころか、しかたないなぁ感もない。多分それだけ自然で品がいいってことだと思う。このマリウスは好き

 


<script charset="utf-8" type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>

これは上の方に書いたとおり。以前の記事にも書いたけれど、主人公であるバルジャンは追われる身であることから、どうしても受け身にあならざるを得ず、物語の大きなうねりは学生たちが起こす革命ということになる。ここがどれだけ熱く、カッコよく、そして切ないかがとても重要。この場面は本当に見るたびに熱くなって行っている。特に「アー・ベー・セー・カフェ」から「民衆の歌」、そして「ワン・デイ・モア」までは何度でもリピしたい!

 

幸せなことよりも辛いエピソードが多く、たくさんの人が死に、主人公の死で終わる作品なのに、大きな感動に包まれて最後には勇気や希望のが貰える。やっぱり自分の中ではこの作品は特別。これからもずっと見続けたい。来年はまた「ミス・サイゴン」なのかな? 再来年までおあずけなの辛い これはホントに奇跡のミュージカルだと思う! また見る!!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【play】「ミス・サイゴン」鑑賞

2016-11-27 00:42:59 | play

【play】「ミス・サイゴン」鑑賞

 

 

ここ数年東宝は「レ・ミゼラブル」と「ミス・サイゴン」を交互に上演している。今年は「ミス・サイゴン」の年。この上演スタイルは今後も続くようで、来年は「レ・ミゼラブル」が上演される。

 

一応、簡単に書いておくと「ミス・サイゴン」は「レ・ミゼラブル」と同じくアラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルクのコンビによる作品。クロード=ミッシェル・シェーンベルクが目にした1枚の写真から着想し、プッチーニの「蝶々夫人」を下敷きにして、ベトナム戦争時のベトナムを舞台としたミュージカル作品にしたもの。

 

 

 

実は今回はスルーしようかなと思っていた。「ミス・サイゴン」は好きな作品ではあるけれど、自分の中では何があっても見たいという作品ではない。資金難なので、他に見たい作品やコンサートがあればそちらを優先したいと思っていたので・・・

 

でも、今回で市村正親さんがエンジニア役を卒業されるということで、これは見ないわけにはいかない! しかも、キム役にウエストエンド公演で同役を演じたキム・スハさんが出演すると聞き、是非見てみたいと思った。ということで、お2人が出演する日を狙ってチケットを取った。

 

 

 

 

ザックリした感想をtweetしておいたので、そこに追記する形で感想を書いて行こうと思う。

 

ということで、感想をドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

【ACT1】

 

前述したとおり、ここ数年交互に「レ・ミゼラブル」と「ミス・サイゴン」が上演されていて、一昨年(感想はコチラ)にも観ている。実は初演以来の観劇で、しかも新演出版も初めてということで、新演出によってよりアグレッシブに分かりやすくなったことや、なにより新鮮さがあった。そしてなにより自分が年を取ったこともある。初演時はキム目線で見ていたけれど、今では親世代。当然見方も変わって来る。前回はそんな視点の変化自体も新鮮で、とにかく圧倒されて見ていた。

 

今回は前回鑑賞から時間が空いていないこと、新演出版を見るのが2回目であり変更点なども分かっていたこともあり、とっても冷静な目で見ることが出来た。その分見る目も厳しめになっていたかもしれない。下のtweetにもある通り、ドーンと来なかった理由についてはいくつか思い当る節がある。その1つがこの厳しめ目線。そしてやっぱり作品に対する情熱のようなもの。自分の中大好きで何度でも見たくなる作品は「レ・ミゼラブル」、「オペラ座の怪人」そして「キャッツ」。「レ・ミゼラブル」ほどの深みはなく、「キャッツ」ほどのエンターテインメント性もなく、「オペラ座の怪人」ほども酔いしれない。というのが個人的な感想。

 

そのあたりが自分の中で優先度がやや低くなっている理由で、前回鑑賞時の記事にも書いたけれど、作り手の視点がどこにあるにせよ、作品の重要な要素に女性蔑視、アジア人蔑視が含まれているのは間違いないわけで、アジア人の女性としてはいい気分のする作品ではない。出演者のほとんどが幸せではなく、心に深い傷を抱えており、最終的にそれが解決することなく悲劇で終わる。ハッピーエンドでなければ気に入らないというわけではないけれど、その悲劇に納得できない場合はモヤモヤしてしまう。今作のラストにはそういう部分がある。その点については後に触れようと思う。


とりあえず第一幕で気になった点などについて書いておく。毎回どうやって始まったのか忘れてしまうオープニング。旧演出については思い出せないけれど、新演出ではキムが1人雑踏を歩いているところから始まる。エンジニアが声をかけてドリームランドで働くことになったらしい。こういう細かい演出が入っていたの気づかなかった。


「火が付いたサイゴン」の歌詞は前回から変わっている部分があったかな? かなりきわどい歌詞でドキドキする。女性キャストたちの頑張りがスゴイ。これかなりきわどいよね キムが自己紹介的に歌う歌詞も少し変わっていたような気がする。お目当てのキム・スハ。今作が初演されたロンドンのウエストエンドでキム役を演じたとのことで、かなり期待値が上がっている。韓国出身ということで、イメージとして強い声で声量豊かに歌い上げる系なのかと思っていたけど、美しい声で儚げに歌う。人の好みはそれぞれなので、力強い女性に惹かれる男性もいるかと思うけれど、すっかり自信を失って、現実を嘆いているクリスのような男性が一目ボレするのは、清純可憐で守りたくなる女性だと思うので、この感じはイメージどおり。

 

歌詞は全体的にいろいろ変わっている部分があったと思う。より分かりやすくなっているとは思うけれど、なんとなく違和感がある部分もあったりする。一番気になっているのは、ジョンがクリスにキムをすすめる場面で、クリスが「こんな子まだガキだぜ、卵一個で抱けるさ」と歌っていた部分の後半が、正確な歌詞は忘れてしまったけれど、抱けないという意味になっていたこと。クリスとしてはキムをそういう相手として扱いたくないと思っているということが強調されていて、より分かりやすくなっていたと思う。でも、自分としては前の方が好きだったかな。(でも抱かない)っていうカッコ書き部分まで説明してしまうのはやぼったい気がした。

 

クリスの見せ場の「神よ何故?」(Why God Why?)で改めてしっかりと聴く上野哲也の歌唱。うーん。まず声があまり通らないと感じた。歌い上げる部分で少し安定しない。真面目そうで優しいけれど、流されやすく裏目に出てしまう感じが合っているとは思うのだけど、何かがピンとこない。顔もスタイルも悪くないのだけど・・・ 第二幕の「エレンとクリス」のところかな? アメリカ人ならやれるはずだったって憤るところ。そこの演技はとっても良かったと思うし、全体的に全くダメだったというわけではない。でも何かが足りない。このあたりがドーンと来なかった理由の1つでもある。

 

あと、スハキムは前述したとおり好みではあったし、下の方にtweetしたけど日本語の発音もきれいだった。でも、時々アクセントが違う。気にならない時もあるのだけど、そこが重要なポイントだったりするとアレ?(o゚ェ゚o)っとなっちゃって、入り込めないというか気が反れてしまうところがあったのは事実。そういうわけで、前回は気づいたら泣いていた「サン・アンド・ムーン」も、唯一と言っていいほど幸せな曲「世界が終わる夜のように」でも、グッと来るものがなく、サラリと流れてしまった気がする。全然ダメというわけではなのだけど、感動。・゚・(ノД`)・゚・。となりたいわけなので、そうはならなかったのは残念

 

自分としてはちょっと狂気を感じるようなトゥイが好きなので、藤岡正明のトゥイはちょっと男前。Twitterなどでもトゥイの方がいいじゃんという意見も見かけたけれど、ホント「クークープリンセス」から「トゥイの死」までの流れを見ていると、前回の感想にも書いたけれど、ここでトゥイと生きる道を選択できていたら、あんなことにはならなかったのに とはいえ、その選択肢が一切ないのがキムという女性だし、トゥイがタムを受け入れることはできなかったでしょう。 事実、激昂してタムを殺そうとしてキムに撃たれてしまうわけだし。そしてその一部始終を幼いタムが見ているのが辛い。無垢な魂が見つめる業。イヤ、キムも頑固なほどに真っ直ぐで純粋なんだと思う。そのことが、タムの存在により強調されている。その姿に泣いた。・゚・(ノД`)・゚・。

 

キム最大の見せ場「命をあげよう」 前述したとおり、強い声で最初からガンガン歌い上げる系だと思い込んでいたキム・スハ。実際はとても繊細に歌う。この曲オリジナル・キムのレア・サロンガを含め、何人かの歌唱を聞いたけれど、レアさん以外はかなり力が入っている人が多い印象。それって実は諸刃の剣で、その勢いに乗って大感動できる場合と、置いてけぼりな感じになってしまう場合がある。自分としてはやや後者の状態になることが多かった。なので、徐々に上げていく好きだったし、「4Stars」(感想はコチラコチラ)で生で聴いて、号泣状態になったレア・サロンガのイメージに近いと感じた。

 

段取りをつけて戻って来たエンジニアと3人、手を取り合って去っていく後ろ姿で終わる第一幕。この後姿でもタムの姿に涙 この後彼の身に起こることを考えると切ない。この演出はイイ。

 

【ACT2】

 

第二幕冒頭はサイゴン陥落から3年後、ジョンがベトナムに取り残された米兵と現地女性との間に生まれた混血児ブイドイの問題について訴える場面から。上原理生は超絶歌上手いし、声量があって声もいい。上原アンジョルラスは大好きなのだけど、正直この「ブイドイ」はあまり心に響いてこない。これ静かに抑揚なく始まって、終盤に向かってゴスペル調のコーラスも加わり、どんどん盛り上がって行く。技術的にも、感情の込め方的にも高度なものが必要なのかなと思うし、素人があまり偉そうなことは言えないのだけど、響いてこないのだから仕方がない。最終的には歌い上げて終わる曲なので、それで正解なのだけど、フルパワーで歌い上げれば響くかといえばそういうことでもないのだなと思ったりもする。この曲はJOJことジョン・オーウェン=ジョーンズ、アール・カーペンターの歌唱を聴いた。どちらも素晴らしく甲乙つけがたいけれど、個人的にはまるで独り言のように語り始めたアールさんの歌唱に心打たれて号泣だった。最後まで自分の思いを誠実に伝えようと思っているような。その感じが好きなので、熱く思いのたけをぶつけるような上原ジョンはイメージと違っていたと思うし、やっぱりまだ歌いこなせていないように感じた。絶対自分のものにできると思うので頑張ってほしい。エラそうでごめん🙇


第二幕の見せ場の1つ。本物のヘリコプターが舞台上に登場するサイゴン陥落のシーン。バンコクでホステスとして働くキムが、トゥイの悪夢を見てから、舞台上にクリスが登場して一気に場面転換。ここはアンサンブルの迫力もすごくて緊迫の場面。ただ、ここでのキム・スハの演技はちょっとアッサリし過ぎていたように思う。可憐なキムがあまりに取り乱し、怒鳴り散らすのも違うと思うので、そのあたりのことはいいと思うのだけど、クリスを乗せたヘリが飛び立つ前に、あきらめて去ってしまう部分がちょっとアッサリし過ぎだった印象。見ている側としては、すぐ近くにクリスがいるのに--- あきらめないで---となるところなので、ここはキムが思い切り絶望してくれた方がより切ないように思った。「ブイドイ」歌唱についても、ここでの歌唱についても、あくまで個人的な意見ではありますが・・・


さて、ここからはホントに何とかならなかったのかの連続で辛い。サイゴン陥落でキムとクリスがすれ違ってしまったのは、戦時中だし仕方がない。でも、キムが生きているだけじゃなく、自分の息子の存在も知っているのに、クリスの対応はあまりに人任せでグダグダに感じる。何故クリスはジョンと別行動をしていたのかが不明なのだけど、二手に分かれて探していたってこと? ジョンはブイドイを支援する活動をしているわけで、おそらくそういう組織に所属しているはず。その組織がエンジニアの届け出を受けたわけなのだから、キムの居所がきちんと把握できていないというのはおかしな話。まずはキムが働く店に行くのが手っ取り早く、その店が分からなかったからといって二手に分かれる必要はないように感じる。この辺りはベースとなっている「蝶々夫人」の流れに沿っているのだと思うけれど、40年以上前の話ではあるけど現代の感覚からすると不自然な感じがする。


ベトナム戦争に限らず、戦争では誰もが心に傷を負い、その癒し方はそれぞれ、ジョンとしてはこの活動に光を見出しているわけで、それは立派なことだと思う。そして、クリスが過去といまだに向き合えず、エレンという存在に依存していたとしても責めることはできない。あまりに大きな心の傷は完全に癒えることはないだろうし、回復する速度も方法も人それぞれ。頼れる存在がいるならば頼るべきだとも思う。だから現在のクリスの状況を卑怯だと逃げだとは思わない。でも、なぜジョンと共に会いに行かなかったのかは納得できない。エレンのセリフでキムを探しに行ったと言っていたので、それは間違いなのだろうし、あの結末に持っていくために、すれ違わせているのは分かるけど、どうも雑な感じがする。いきなり訪ねて行くと驚くからってこと?


たしかに、ジョンが訪ねるとキムは興奮してしまい、彼の言葉も耳に入らない状態になってしまった。前回はここの笹本玲奈の演技が自分にはやや過剰で、とりあえず落ち着け!と思ったものだけど、キム・スハの演技は自然だったと思う。キム・スハの演技が全体的にややアッサリめに感じたのは、前回の笹本玲奈の全編力の入った演技と対比されているからかもしれない。もちろん笹本玲奈の演技も素晴らしく、見ている間は感動していたので、ダメだと言っているわけではない。あくまで対比としてということ。個人的にはここはあまり興奮し過ぎずに自然に演じてくれた方が好きかも。キム・スハの演技は良かったと思う。


一方、キムがクリスの訪問を待たずにホテルを訪ねる流れは、エンジニアの入れ知恵も含めて納得できる。近くにクリスが来ていれば会いたいと思うのは当然。ただ、これはやっぱり本人からではなく、エレンからクリスに妻がいるという事実を突きつけられてしまう方がよりショッキングであって、ラストへの布石としてはインパクトがあるからこの流れなのでしょう。エレンとしても突然の対面にビックリしたとは思うけれど、精一杯優しく対応しようとしていることは伝わる。ただ、キムが去った後、戻って来たクリスとの会話で分かるように、タムの存在を知ってバンコクまで来たわりに、2人の間で自分たちがどうしたいのか、キムとタムのためにどうするべきなのか結論を出していかなったことにビックリする。2人は一体何をしにバンコクまで来たのか? 自分にはこの設定はちょっと雑に感じた。知念里奈の声はちょっとキンキンしていてるのが気になるけど、ここの演技は良かったと思う。今まであまり感情をあらわにしなかったキムが感情を爆発させるけど、ここのキム・スハの演技もやり過ぎ感がなくて良かったと思う。


そして、今作を代表する曲と言っても過言ではない「アメリカン・ドリーム」 とにかく、キムもエンジニアもアメリカに行くことに固執している。現代の自分たちからすると、アメリカに行ったからといって、必ずしも幸せになれるわけではないと思ってしまうけど、ベトナム戦争時のサイゴンを生き抜いた彼らには、アメリカは夢の国だったのでしょう。歌詞にもあるようにペチャパイがボインボインになることはあっても、残念ながらハゲが毛がボウボウになることはない。もしなるならドナルド・トランプ氏はあんな髪型じゃないだろう。アメリカにも不可能はある。それはきっとどこかで分かっているのだと思うけれど、それでも辛い現実から逃げたい、どん底の生活から抜け出したいという思いが、アメリカへの憧れになっているのかなと思う。そう考えるとキャデラックまで登場して華やかなシーンだけど、とっても切ない それは、エンジニアの夢が消え去って終わることでも伝わる。ここでの市村正親が素晴らしい。67歳歌って踊る。素晴らしい


そしてラスト。結局、クリスとエレンがどういう結論を出したのかはハッキリとは分からない。おそらく、バンコクに残して援助しようということになったのかな? でも、キムは答えを待たずに自ら命を絶ってしまう。せめてクリスの腕の中で逝けたことがせめてもの救い。でもやっぱりこの結末は好きではない。クロード・ミッシェル=シェーンベルクが、娘の将来を思いアメリカの父親のもとへ旅立たせるため、今まさに別れようとしている写真を見たことが、今作の誕生のきっかけだし、前述したとおりベースは「蝶々夫人」なので、キムがタムのために自分を犠牲にする話であることは分かるけれど、やっぱり何故話を聞きもせずに命を絶ってしまうのか? 17歳でクリスに出会って3年以上経っているとはいえ、キムはまだ20歳くらい。純粋で真っ直ぐで、何も持っていない彼女は、これしか方法がないと思い込んでしまったのでしょうけれど、クリスがタムを引き取ってくれる保証はない。仮にクリスとエレンの子供としてアメリカに行けたとしても必ずしも幸せになれるとは限らない。しかも、将来タムが自分のために母親が命を絶ったと知ったらどう思うのだろう・・・ もちろん、そのあたりを踏まえての問題提起としてのエンディングなのでしょうし、当時のサイゴンやバンコクには未来がなかったというのとなのかもしれない。ましてや米兵との混血児には。2016年の東京で観劇しているオバちゃんOLとしては、とってもモヤるエンディングだけど、この物語の終わりとしてはこれでいいのかも? 最後にエレンがタムを引き寄せる姿に少しだけ救われた。

 

キャストの感想は一応入れ込んで書いたつもりだけど、市村正親とキム・スハについてはtweetしておいたので貼っておく。



キム・スハについては感想内に書いたので1つだけ。日本語の発音がとってもキレイだったのだけど、時々アクセントが違っていて、それがちょっと気になったのもドーンと来なかった理由の1つであったりもする。でも、全体的には自分のイメージどおりのキムだったと思う。芯が強くて自分の運命を受け入れて、黙って耐えているような。静かに燃えているような。


 

市村エンジニア最後なのかと思うと感慨深かった。初演時から見ているけど、全体的に少しまるくなったかな? ご自身も小さなお子さんのパパだから、タムに対する視線が優しかったように思う。エンジニアは自身もハーフだから、タムに対してそういう思いがあってもいいと思う。前述したけど67歳。歌って踊る。スゴイ どうやら千秋楽のカーテンコールで続投したいという発言があったらしい? 再来年また市村エンジニアが見られるかも?

 

【Encore
カーテンコールでは市村さんのサービス精神が炸裂。何度も繰り返し楽しませてくれるのはさすが。最後はスタオベ


決して楽しい作品じゃないし、ラストもやっぱり納得できない。でも、好きな作品であることは間違いない。それは作り手やキャストのパワーを感じるから。そして楽曲の美しさ。「サン・アンド・ムーン」、「世界が終わる夜のように」など名曲ぞろい。やっぱり力のある作品だと思う。再演されたきっとまた見てしまのでしょう

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【play】「レ・ミゼラブル」鑑賞@帝国劇場

2015-05-31 00:53:53 | play

「レ・ミゼラブル」鑑賞

2015年5月29日@帝国劇場
 
 
見てます♬ やっぱりレミはいいね (@ 帝国劇場 in 千代田区, 東京都)

 

 

【レミ感想】右寄りではあるものの前から3列目で鑑賞。残業でギリギリになり、席に着いて膝掛けかけたら客電落ちる感じ 生オケの迫力はスゴイ!オペラグラスがなくても、役者さんの表情が見えて感動!ただ近過ぎて全体が見えないのは エポ超近い

 

 

てっきり18:30開演だと思い込んでいてギリギリまで残業。18:00頃会社出て徒歩で向かったところ18:15頃着きそうで、意外に余裕があってよかったぐらいに思っていたら、劇場前で係りの方が「間もなく開演です!お急ぎ下さーい!」と叫んでいる。え そこから慌てて走って劇場入り、tweetにもあるとおり、着席してひざ掛けかけたら客電落ちた! まぁ、多少脚色加えましたがそんな感じで焦った 間に合ってよかった!


かなり右寄りではあるけれど前から3列目。多分West Endでの鑑賞含め6回目だと思うのだけど、1番近い席だったと思う。パリでエポニーヌがコゼットのことを思い出すシーンが目の前! 昆エポニーヌが華奢でカワイイ。昆エポニーヌについては後に触れるけど、この近さはヤバイ(笑) 3列目だったので、オペラグラスは持参しなかったのだけど、必要ないくらいハッキリ表情が見える。でも、帝劇の舞台は広いので全員を見ようと思うと、見切れはしないんだけど見れない まぁ、どの位置でも全員の演技を一度にキッチリ確認することは無理だけど、そういうことじゃなくてもっと限定されちゃうというか・・・ まぁ、贅沢な悩み(笑)


【レミ感想2】新演出2回目だけど、前回よりもさらにアグレッシブというか、人間臭いというか… 旧演出は品が良かった気がする。もちろん新演出が品がないからダメってことじゃないし、旧演出が気取ってるってことでもないんだけど… 説明難しい

 

 

新演出になってからは2年前(感想はコチラ)と2回目。旧演出を最後に見てからかなり時間が経っているので、どうしてもセットとかの分かりやすい違いに目が行きがちだけど、よりリアルに人間臭くなった気がする。全編歌のミュージカルだから、状況説明的なものや、感情表現も歌ですることになるけど、以前の演出だと歌うことを重視していたように思う。もちろん役者さんの演技によるところも大きいので、セリフ的になる部分を多用する方もいるかと思うけれど、そういうことではなくて感情を込めて劇的になるよりは、歌であることを重視してるというか・・・ 上手く言えない

 

以前から感じていたことがあるのだけど、日本版と海外版の舞台写真を見ると、同じ作品でも日本の方が"奇麗"であることが多い気がする。清潔っぽいというか小奇麗というか・・・ そこにはフランス人の役を日本人が演じているという部分での"作り物感"もあるのかもしれないけれど、例えば汚れたドレスを着ていてもどこか身奇麗な印象。以前は海外版を汚いと感じていたのだけど、要するにそれはリアルだということ。それが新演出では違和感なくリアルに汚いし、リアルに貧乏。そして下品な部分はリアルに下品。ホメてます! 例えば、これが演出によるものなのか、森公美子さんの演技によるものなのか分からないのだけど、ティナルディエのひどさを歌うシーンで、パン?を持ってする手つきが・・・(ノ∀\*)キャ これチビッコ見ていいの? 素晴らしいです!(笑) イヤそれをすることが良いとか悪いとかではなくて、性的なことはタブー視する傾向がある日本で、この感じはスゴイと思ってニヤリだった。カナリアの羽が散っちゃうブラックな感じも好き(笑) これは演出によるものだね。


ティナルディエ夫妻と、そのお客たちの下品だけど楽しそうな感じは、これもまた人間の一面であるということで魅力的。その分、バルジャンやコゼットの清く正しい感じや、学生たちの真っ直ぐな情熱が際立つ。もちろん旧演出版でも伝わっていたのだけど、やっぱりどこか品の良さがあった。そして、自分としてはその品の良さが好きで、やっぱり旧演出版の方が今のところ好きなのだけど、演じられる毎に変化して、ものすごいものになる可能性を新演出版には感じる。それくらアグレッシブ。

  

【レミ感想3】お目当ての1人、清水コゼット。ちゃんと意思があってかわいいコゼット。そしてやっぱりここの演技!最後まで生きて!って必死で願っているので、バルジャンが召された瞬間がリアル!手紙を読んでマリウスにココ!とか、キスするとか

 

 

今回の鑑賞は東京公演千秋楽の3日前ということで、既にご覧になった方々の感想がTLにどんどん流れてきてた。で、皆様が絶賛されていたのが、コゼット役の清水綾花だった。 コゼットはバルジャンの娘となるし、男性多めのキャストの中にあって、女性としてはメインの役ではあるのだけど、前半のファンティーヌや、後半のエポニーヌの悲劇が劇的であるため若干影が薄め。子供時代はティナルディエ夫婦に虐待されて不憫ではあったものの、後半はバルジャンに愛されて、マリウスに愛されて玉の輿と、ちょっとうらやましいぞと思っているのに、バルジャンに対して反抗的だったりする部分もあるので、さじ加減を間違えるとわがまま娘に見えてしまう。でも、そうなってはいないとのこと。しかも、ラストの演技が素晴らしく、清水コゼットのおかげで涙の量が倍増しているらしい! 慌ててキャスト表チェックしたら、清水コゼットの日取ってた! でかした自分 ってことで楽しみにしてた!

 

結論から先に言うと素晴らしかった! まず登場からカワイイ 美人というよりかわいらしい顔立ち。一人ツッコミが気になるソロも不思議ちゃんにも、自意識過剰にもなっていない。バルジャン登場で、過去の真実を話して欲しいというシーンも、反抗的な感じではなく、自分の意思をしっかり持った大人の女性になりつつあることを感じさせる。歌は上手いけれど、声は若干低めかな? 一人残されてしまったことで自分を責めるマリウスを、優しく包む感じはすっかり大人の女性。でも可憐さは失わない。私がいるわっていうセリフが、私を見てよにはなっていない。

 

そして皆様絶賛のラスト。死にゆくバルジャンによりそう姿がもう マリウスに連れてこられて、バルジャンを認識してからはもうバルジャンしか見ていない。原作を読んだ時、バルジャンが何も言わず姿を消して悲しんでいたけれど、しばらくしたら忘れてしまったって書かれていて、ものすごく違和感があった。コゼットはうすうすバルジャンが本当の父親ではないことは知っていたのかもしれないけれど、だからって忘れてしまったってことはないでしょう(笑) これはそもそもがそうなのか、翻訳のニュアンスが微妙なのかは謎だけど(´ェ`)


長い長い原作を約3時間にまとめたわけだから、バルジャンが召されるラストも時間としては数分。その数分のシーンで、バルジャンと過ごした10年間を思わせなければいけないので、それはなかなか難しいと思うのだけど、清水コゼットの10年間はとっても幸せだったのだろうなと思わせるし、バルジャンはコゼットをしっかりと育てたのだなと感じる。ずっとバルジャンしか見ていなくて、ずっとバルジャンの言うことにうなずいている。バルジャンの声のトーンが変わり、椅子から立ち上がると同時に、コゼットが泣き出すので、見ている側にバルジャンが召されたことが分かる。

 

その後、バルジャンが書いた手紙を読み始めるコゼット。何が書いてあるのかは分からないけれど、泣きながら読み始め、時々くすっと笑い、寄り添うマリウスに、ここ見てみたいな感じで指差す。そして最後に手紙に口づけをする。バルジャンの手紙がコゼットを救ったことが分かる。彼女はバルジャンの思い出と共に、マリウスと一緒に生きていくのでしょう。予算の関係でこの日の公演しか見ていないので、今回から加わった演出なのかは分からないけど、何度も今作を見ている方々が、清水コゼットのここの演技を絶賛しているのだから、やっぱり清水綾花の演技によるものなのでしょう。これは素晴らしかった!

 

お芝居や映画は、主役だけが素晴らしくてもダメなんだよね。でも、一人だけ目立てばいいというものでもない。清水コゼットのように、コゼットという人物に肉付けをしつつ、ちょっとしたしぐさでその人物の思いや、状況などが伝わる演技こそ、助演に求められているものなのかなと思った。バルジャンにとってコゼットがどういう存在であったか、2人の間にどういう時間が流れたのかを、その演技で伝えることが出来るのは本当に素晴らしい 是非また見たい!

 

【レミ感想4】こちらも見たかった昆エポニーヌ。あんなに細くて小さいのに声量がスゴイ!わりと低めの声だけど好き OMOもよかったけれど、マリウスの腕の中で死んでいくシーンが。・゜・(ノД`)・゜・。 原田マリウスのやっとエポの気持ちに気づいたって感じがより切ない。

 

前から見たいと思っていた昆夏美エポニーヌ。小柄で華奢でかわいらしい容姿。エポニーヌにはかわい過ぎるかな?と思ったりもしたけど、とっても良かった。エポニーヌはティナルディエ夫妻の娘。宿屋を経営していた時には、ドレスや人形などを買い与えかわいがっていたようだけれど、10年後のパリで父親の稼業(?)であるスリなどを手伝っている。年頃の娘なのにボロボロの服を身にまとい、言葉づかいも乱暴。恋する相手マリウスは優しく接してくれてはいるけれど、彼女に恋しているわけではない。マリウスを見かければ、いろいろアピールするけど、かたぶつマリウスは全く気づかない。マリウス気づかな過ぎだろうと思うけれど、見ている側は彼女の気持ちを知ってるけど、時々「その髪好きだわ」と言ってみても伝わらないかもなぁ。昆エポニーヌは外見が華奢で少女っぽいこともあり、それゆえ彼女が恋しているとは思ってもらえない感じが増して切ない

 

エポニーヌが切ないのは、自分が恋している相手から、いわゆる恋のキューピッド役を頼まれてしまうこと。しかも、その相手が子供の頃に憐れんでいた相手。彼女こそまさに親の因果が子に報いの典型的なパターン。ビクトル・ユゴーはそういう意図で彼女のことを書いたのかな? マリウスとコゼットが恋に落ち、自分には決して振り向いてもらえない、自分には誰もいないし何もないと歌うOn My Ownは、本当に切なくてかわいそうで抱きしめてあげたくなった

 

でも一番よかったのはtweetにもあるとおり、マリウスの中で息を引き取るシーン。ミュージカル苦手の人であれば、死にそうなのに歌ってるなよってところでしょうが、ミュージカル好きは泣きながら見ているのです マリウスは自分の手紙をコゼットに届けたかったということもあったと思うけれど、やっぱりエポニーヌを逃がそうと考えていたはずで、その彼を庇って銃で撃たれてしまうのが悲しすぎる。ここにいたり初めてマリウスもエポニーヌの気持ちに気づくのも切ない。でも、マリウスがもっと早く気づいていたら、きっとあんな風に仲良くはいられなかったかもしれないなと思ったり・・・ エポニーヌにも幸せな未来があったかもしれないけれど、それでも恋するマリウスの腕の中で逝けてよかったと思ってしまう。昆エポニーヌは少女のままのような真っ直ぐさがあった。恋だったので報われない気持ちを抱えていたけど、マリウスを庇ったあの瞬間からきっと愛に変わって、そして満たされて死んでゆく。その切なさが良かった。

 

 【レミ感想5】こちらも見たかった福井バルジャン。時々ロングトーンが伸びなかったのは調子が悪かったのか?でも、カッコイイバルジャン 砦でも学生と同年代じゃ?というくらい颯爽としていたのに急激に老けるw マリウス救出で腰を痛めたのか?と思うくらい老ける落差が良かった。時が来たんだね



ジャン・バルジャン役もトリプルキャスト。2年前の前回公演では吉原光男バルジャンを見たので、今回は福井晶一バルジャンが見たいと思っていた。全体的にとってもかっこいいバルジャン。tweetにもあるとおりバリケードでも白髪頭ながら颯爽としていて、さすがに学生たちと同世代は言い過ぎにしても若々しい。長い長いマリウス救出の後、次に登場するマリウスに自分の過去を告白するシーンでは、急激に老けてビックリ。腰も曲がっちゃってるし、足元もおぼつかない様子。吉原バルジャンがあまり老けなかったので、より印象が強かった。


時々ロングトーンが伸びなかったり、声量がやや足りないかな?と思う時もあったけれど、とっても気持ちの伝わるバルジャンだったと思う。召されるシーンでは清水コゼットに目が奪われていたので、やや不利だったかも?(笑) うーん、個人的には吉原バルジャンの方が好みかなぁ・・・ 体も大きいし声量があるので迫力があった。あんまり年とらなかったけど、お父さんバルジャンで好きだった。あくまで個人的な好みです


【レミ感想6】回数見れないのでチケットは上原アンジョ&原田マリウスで取った。やっぱり良かったお2人!マリウスのあのキラキラ感w アンジョのキレキレでナルな感じも好きw そしてこれを聴きに行ってる「群れとなりてー!」が大満足!学生のシーンはやっぱり切なくて大好き

 

財政難なので1回のみの観劇。急遽MMS2015(感想はコチラ)に行ってしまったので・・・ チケットをどうするか悩んだのだけど、主要キャストが全員自分の見たいキャストの組み合わせはそもそも無理。ということで、ここは自分のこだわりである、学生重視で上原理生アンジョルラス & 原田優一マリウスで、福井バルジャンで、できれば昆エポニーヌの日ってことで探してこの日になった。見れて良かった!


他の組み合わせを見ていないので、分からないのだけど、自分はアンジョルラスとマリウスとして登場した瞬間キタ!と思ったし、周りの方々もキタ!ってなって、連れの方に説明している人多かった。もちろん声をひそめているので会話は聴こえないのだけど、間違いなく2人のことを話していたと思う。


今回気づいたのは学生たちといる時マリウスって結構笑ってるということ。これは新演出によるものなのか、原田優一の演技によるものなのか、他のキャストで見ていないので不明。コゼットに心奪われてカフェに来て、その様子を皆にからかわれてる時、一人心ここにあらずな感じだったように思うのだけど、意外にもからかわれてる相手に笑顔で返したりしてた。それが見ている側にマリウスと学生たちの距離感を分かりやすくしていたと思う。原田マリウスは出てきた時からキラキラしてたけど、恋に落ちてからのキラキラ感がスゴイ。燃える太陽の矢が胸に飛び込んじゃって、虹の空に飛んでしまったのでね(笑) 


映画版の感想(コチラ)にも書いたけど、マリウスって実はお坊ちゃまで、革命のさ中恋に落ちて、自分に恋するエポニーヌの気持ちには一切気づかず、恋のキューピッド役を頼んでしまうという空気読めない若者だったりするのだけど、原田マリウスはもうしょうがないよねと思ってしまうキラキラ感。それが仲間の死を乗り越え、ジャン・バルジャンからコゼットを託され男になって行く。その感じがとっても良かった


一方の上原理生アンジョルラス。衝撃のデビューを見逃してしまったのを心底悔やんでいる 他の出演作は「ミス・サイゴン」のジョンしか見ていないので分からないのだけど、アンジョルラスは最大の当たり役だと思う。正直ジョンではそんなにグッとくるものはなかったし。アンジョルラス経験者のRaminがカーテンコール登場時スタオベした気持ちがよく分かる! 原作では美貌で近寄りがたい雰囲気の青年だった。世界各国で上演されている作品だから、過去にも現在にもそのように演じる役者さんもいると思うけれど、今まで見てきたアンジョルラスたちは熱く燃える革命家という印象。カリスマ性を感じさせるのが正解だとは思うけれど、一番それを押し出していたのは25周年のRamin。もちろん自分が見た中でってことだし、Raminの演技も録画視聴だけど

 

上原アンジョルラスはとにかく歌が上手くて声量がスゴイ! それだけでアンジョルラスだなと思う。濃いめの顔立ちは自分の中のアンジョルラス像とは違うけれど、背が高いので舞台映えがする。バリケードで撃たれて落ちてくるガブローシュをガシッと受け止めるがカッコイイ。熱い型のアンジョルラスだと思うけれど、ただただ突っ走るだけではない。リーダーではあるけど"仲間"感が強い印象。でもやっぱり魅力は歌。自分の中でこの作品を見る際、ここが見たいっていうポイントはいくつかあって、学生たちのシーンは最上位。追われる身であるバルジャンはどうしても受け身にならざるを得ないため、物語を周りが動かす必要がある。学生たちの大きなうねりが物語を盛り上げているので、悲劇に向かうことが分かっていても、毎回自分のなかで盛り上がってしまう。その最大盛り上がりポイントが、いよいよ革命を起こそうとアンジョルラスが皆を鼓舞するシーン「民衆の歌」の手前で叫ぶ ♬群れとなりて-------!♬ は、本当に大好きでこれを聴きに行っている。これ、その前がわりと早口でセリフっぽくなったりしつつ、いきなり歌い上げるので裏声っぽくなる人もいるのだけど、できれば地声のまま行って欲しい! 25周年のRaminはすごかった! キーンってなってた! 上原理生の声は美しい声というわけではないけれど太くて力強い。何より声量がすごくて"群れとなりて-------!"を歌って欲しいとおりに歌ってくれるのがウレシイ! そうそう! そう歌って欲しいのよと、心の中でなってるわけです! また2年後?出演してくれたら絶対見に行く!

 

【レミ感想7】砦が落ちるシーンとか、ファンティーヌが死ぬシーンとか泣いたし、ラストは相変わらず大泣きだけど、最初に泣いたのは司教様に赦されているシーンの、福井バルジャンの背中の演技だった。・゜・(ノД`)・゜・。

 

とにかく泣き所満載な作品。まぁ、泣きポイントは人それぞれだとは思うけれど、やっぱりバリケードが落ちて学生たちが死んでいくシーンは毎回泣く その時感じることは見るたび少しずつ違ったりするのだけど、やっぱり「何とかならなかったのか?」と思っていることが多いかな・・・ まだ若い彼らには銃を持って戦う以外の闘い方はなかったのかと・・・ 物語としては散っていく美しさというのもあるのだけど。

 

そして毎回号泣のラスト。これはもはやどこに感動しているのかとか分からないというか、何も考えていないというか・・・ 目の前で一人の人間が神に赦されて召されていく、その光景に感動してしまっているというか・・・ そして、全員登場しての合唱。どの作品もラストに向かって進んで行くわけで、盛り上がって終る場合もあるし、静かに収束する場合もある。レ・ミゼラブルは、まずラストに向かうまでのうねりがすごいし、ラストが静かに訪れて、最後に大きく盛り上がって終わる。この構成がもう感動せずにはいられないし、やっぱり描かれていることの重さというかそういう部分が、上手く言葉にできないけれどダイレクトに響いてくるので、毎回気がついたら号泣している感じ。そして、この感じを体験したくて毎回見に行っている。

 

でも、今回とっても心に残っているのは、司教様がバルジャンに正しい人になりなさいと説くシーン。司教様に対してひざまづき、頭を下げている福井バルジャンの背中の演技が素晴らしく、気づいたら泣いていた。ずっと虐げられてきた(と思っていた)から、自分の身に起きていることが信じられない気持ちと、自分を恥じている感じ。多分バルジャンの中で形になっていないながらも、感動で心が震えている感じっていうのかな? バルジャンの背中側から見たその構図はレンブラントの「放蕩息子の帰還」を思い起こさせた。まさに赦し、赦される構図。これは狙いなのかな? 髪型も坊主だし・・・ 忘れられないシーンとなった。


「放蕩息子の帰還」レンブラント・ファン・レイン

 

【レミ感想最後】旧演出の三角形フォーマットでずっと足踏みのODMも好きだったけど、新演出の後ろから前にスッと出て来てフォーメーションが変わるの好きだわ。カッコイイ! おしまい┏○ペコ

 

旧演出ではアンジョルラスを中心に三角形の形で行進してたと思う。新演出も最初は三角形の形っぽいけど、そのうち4列になって人が入れ替わる。最後の方までアンジョルラスは3番目辺りにいて、サッサッって感じで前の人をよけて出てくる。そこがカッコイイ! 文章だと伝わらないので動画を貼っておこうかな。これは見つかったのはオーストラリア公演版。


ドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

One Day More - Les Misérables Australia


【レミ感想_追加】ファンティーヌの最初の相手って工場長だったのね?!アイツ最低だな あと、前から砦でアンジョはグランの髪触ってたっけ?25周年のラミン&ハドリーを思い出して( ̄ー ̄)ニヤリ
 

オマケ的感想。以前は全く気づかなかったのだけど、これって新演出から? 前回もそうだったのかな? ファンティーヌが工場を辞めさせられた理由は、まぁ女工たちの嫉妬であって、その原因は工場長のセクハラ。しかも彼女に子供がいると知り、騙されたと逆恨みしてクビにした。これについては女工たちの手前もあったのかもしれないけれど。今回気づいたのは娼婦になったファンティーヌを最初に買ったのが工場長だった! ファンティーヌもハッ!てなってたので間違いない。最低なヤツ!(*`д´) より彼女の憐れさが増したけれど、女性としてはこれは辛かった


いつも遠くの席で見ていることが多くて、あまり細かく見れないのだけど、今回は近かったのでかなりよく見えた。グランっていうのはグランテールのことで、いつもお酒を飲んでて、一人革命に疑問を持っている。原作ではアンジョルラスにちょっと見下されていたと思うのだけど、舞台版では皆と違う視点を持っている人物として描かれている感じ。旧演出でも新演出でもアンジョルラスの親友というわけでもないと思うけれど、25周年コンサートで実生活で親友同士のラミン・カリムルーとハドリー・フレイザーが、アンジョルラスとグランテールを演じたことで、ブロマンス的な要素が加わっていて話題になった(笑)  バリケードでどの辺りだったかな? 死を覚悟して向かう前だったかな? アンジョルラスがグランテールの耳の後ろ辺りに、そっと手を伸ばすシーンがあって、25周年のハドリーグランテールが、ラミンジョの髪を触ったのを思い出してドキドキしたということが言いたかったわけです(笑)

 

と、つらつら書いてきましたが、やっぱりこの作品は素晴らしい! 愛すること、愛されること。赦すこと許されること。生きるということ、その意味。すべてを美く力強い旋律でつづる。いわゆるハッピーエンドとは違う、究極のハッピーエンド。

 

何度でも何度でも見たくなる。次回は複数回見に行けるように頑張る!!

 

帝国劇場 ミュージカル『レ・ミゼラブル』

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする