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【cinema】『ラスト、コーション 色|戒』

2008-02-24 00:56:49 | cinema
'08.02.20 『ラスト、コーション 色|戒』@シャンテシネ

久々に ちょっと緊張感のある悲恋モノが見たくなり行く。

「日本占領下の上海。女工作員のワンは特務機関の大物イー暗殺計画のため、彼の愛人になったが…」という話。アン・リー作品って実は初めて。話題の『ブロークバック・マウンテン』も見ていない。世の中的には巨匠ってことになるのでしょうか。これは…どうかな…。

冒頭の緊迫感はすごかった。4人の有閑マダムが麻雀をしている。ジョアン・チェン演じるイー夫人を中心に世間話をしながら麻雀に興じているようで、その目線や会話の端々で腹の探り合いをしている。その女同士の駆け引きが不安で、不気味でいい。皆、当時流行のパーマでウェーブを出した髪をまとめ、アイラインをしっかり引いた目元に細い眉、真っ赤な口紅、そして体のラインを強調したチャイナドレス。中洋折衷(って言うのかな?)の調度類もいい。この映画で1番好きだったのはこのシーン。このオープニングは良かった。マオ夫人と名乗るワンが麻雀を抜け出し、街のカフェへ向かう。当時を再現した上海の町並みも素晴らしい。カフェについてからのワンの行動も謎めいていて、ここまでは緊迫感があり目が離せない。そして一本の電話。一気に引き込まれるはずが、正直おもしろかったのはここまで。

そこから4年前に遡る。それが…。ワンがどういう経緯で工作員になったのかを見せるのはアリだと思うし、きっかけはどうあれ工作員になっているのだから悲劇的なんだろうとも思う。でも、なぜワンがあそこまでしなければならなかったのか説得力がない。要するに彼女の任務はイーに色を仕掛けろということ。女性としてそれを武器に使うには相当の覚悟がいるはず。だから見る前は悲劇的な生い立ちで工作員として生きるしかない悲しい女性か、理想に燃える女闘士かと思っていた。ネタバレしてしまうけど、大学生だったワンは演劇部の仲間に誘われて抗日をテーマにした劇に主演し大好評を得る。そこから仲間達は一気に活動に目覚めてイー暗殺を企てる。それがワンをマオ夫人に仕立て上げイーに近付くというもの。この計画自体が甘いし無謀なのは言うまでもないし、結果未遂に終わるにしても、そもそもフツーの学生達がいくら敵とはいえ人を殺す計画を簡単に思いついて、実行しようということに現実味がなさ過ぎて一気に興ざめ。

学生達というか若者がしばしば理想に燃え、その未熟とも言える純粋な無鉄砲さで暴走するのはよくあることで、それが革命のきっかけになることもある。でも、いくら正当化したとしても訓練された工作員でもない彼らが、人を殺す計画をするというのはどうか…。しかも、無謀に始めた結果ワンがあんな犠牲を払ってまで遂行しようというのもちょっと…。結果悲惨なことになるけど、それについても誰にも感情移入できないし、誰にも同情できない。例えば『白バラの祈り』だって学生達が理想に燃え、彼らなりに抗ナチ活動をした結果悲劇を迎える話だけど、あれは彼らの若さゆえの無謀な感じや、甘さなんかも含めてその純粋な清々しさに感動して心から泣けた。でもこれは…。まぁ、そういう「失敗」を経た上で話は続いて行くわけで、ここは彼らの過ちを描きたかったのかもしれないけど、ちょっと共感できず。

そして3年後、ワンは再び工作員としてイーに近づく事になる。今度こそプロとして。この展開も強引。そしてワンの心の揺れがイマヒトツ分からない。確かに幸せな状況ではないし気力を失っているようではあるけど、不幸のどん底というわけでもなさそう。例えかつて淡い恋心を抱いたクァンの誘いだとしても、何故愛人になること前提に工作員になるかのか。そんなにまでして倒さなければならない相手とも思えないのだけど…。

ただ、ここからのタン・ウェイの美しさ、妖艶さは見事。激しい性描写もさることながら、そんなシーンよりただ立っているだけでものすごい色気。イーが溺れる気持ちが良く分かる。周り中敵だらけで疑心暗鬼になっているイーの孤独は大変なものだろう。ワンを征服することで男として満たされたいと思うのかもしれない。まさに命懸けの色仕掛けだし(笑)

でも…。まるでAVかというくらい性描写が激しい。でもいやらしくはない。ボカシが笑える(笑) 要するに「心」と「体」を分けて考えることができるかってことがテーマで、男と女の究極の闘いってことなんだと思う。男は女の体を征服し心を手に入れたと思う。女は体を与えることで男の心を支配しようとする。愛の無い体の関係も、体の繋がりのない愛も自然ではないという事なのか…。結局ワンは負けたのか? でも、あれが女の「愛」という気もする。

タン・ウェイは素晴らしかった。この映画彼女じゃなかったらダメだったと思う。あと、ジョアン・チェンが良かった。老けてて初めは分からなかったけど(笑)買物と麻雀ばかりしている有閑マダムだけど、当時の女性はそれを甘んじてしていたのだろうし、おそらくイーとワンの関係にも気付いている。でも、全て飲み込んでる感じ。暗殺はともかく、2人がそういう関係になるように仕向けたんじゃないか?とすら思わせる存在感がすごい。全然入り込めずにいた中2人の演技が救ってくれた。逆にトニー・レオンが…。イーの人物像っていうか、どのくらい大物なのか説得力がないのは彼だけの責任じゃないけど、老けすぎ! しかも小さい(涙)彼にもう少し危険で妖しい魅力があったら、もうちょっと入り込めたかも。

町並みや美術は美しかったし、チャイナドレスも良かった。そしてタン・ウェイの美しさは見ごたえあり!


『ラスト、コーション 色|戒』Official site

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【cinema】『スウィーニー・トッド~フリート街の悪魔の理髪師』

2008-02-17 00:45:40 | cinema
'08.02.13 『スウィーニー・トッド~フリート街の悪魔の理髪師』@丸の内ピカデリー1

見たかった! やっと見てきた。ジョニデ&バートンで面白くないはずなし! まぁ、あくまで好みの問題だけど…。2人が大好きなもので(笑)

「悪徳判事ターピンの策略にはまり、妻子を奪われ、無実の罪でオーストラリアに15年間流刑されたスウィーニー・トッド。ロンドンに戻った彼は、ロンドン1まずいパイ店を営むミセス・ラベットの助けを借り復讐を誓うが…」という話。元は有名なミュージカル作品。スティーブン・ソンドハイムのこの舞台は未見。音源も聴いたことはない。スウィーニー・トッドというのは伝説の人物だけど、実在したかは不明らしい。

個人的には舞台のミュージカルを映画化するのはムリがあると思っている。舞台のミュージカルを見るのは好きだけど、本来セリフで語る部分を歌うわけで。しかも大仰に(笑) どうしても非現実的なのは否めない。ただ舞台だとそもそも全てが大袈裟なので見ていて違和感がないのかも。この作品もやっぱりノリきれない感じはあった。でも、バートンはこの非現実的な感じを、あえて作り物っぽさを残したロンドンの町並みとか、美男美女といわれる人物ですらどこか不気味な雰囲気を出したりと、全体的に作り物にしてしまうことで違和感をなくしている。まぁ、いつものバートン節といえばそうなんだけど(笑) お得意の町並みを俯瞰から舐めるように部屋の中にカメラが移動する画が好き。そして全員顔が青白い。

トッドとラベットは白塗り。そして目の下すごいクマ! 『コープスブライド』並のクマ。もう1組のヒーロー&ヒロインアンソニーとジョアナも手放しで美男美女と言うには…ジョアナはキレイだけどアンティック・ドールみたいな感じ。19世紀ロンドンの令嬢(実は違うけど…)っていうイメージには合ってるけど、それだけじゃなくて絶対にキモカワを狙ってるはず! メイクも眉毛が薄くて少しキモい。アンソニーもどことなく残念な感じ。そんなやや違和感の2人が歌う愛のデュエット(笑)がまた違和感。その違和感が絶妙。違和感があり過ぎず、なさ過ぎず。

ミセス・ラベットが「ロンドン1まずいパイ」と歌うシーンは悪趣味でいい!トッドが娘を思い歌いながら客のノドを次々切るのも・・・。歌は皆様自分で歌っているようだ。ヘレナ・ボナム=カーターの声がきれいでかわいくてビックリ。彼女は『コープスブライド』でも歌ったのかな? 『コープスブライド』の歌はダニー・エルフマンだったので、ジョニデが歌うのは初めて。歌は特別上手くはないけど良かったんじゃないかと思う。ROCK調な歌唱で、あえて声を作ったんだと思うけど割れた感じ。舞台だと聞きずらいと思うけど、映画なのでOKでしょう。

演技はジョニデ相変わらず上手い。特に盟友バートンの下では心置きなくやっている感じがする。スウィーニーは復讐にとりつかれて本当に大切なものを見失う哀れな男。その狂気を見事に演じている。ジョニデってジャック・スパロウを演じている時ですら割と無表情だったりするけど、この作品でも常に眉間のシワも深々と苦々しい表情のまま。そして淡々と娘を思いながら客のノドを切っていく。その狂気と正気の境が絶妙で、全く罪のない人を殺す殺人鬼なのに哀愁がある。

ヘレナ・ボナム=カーターもいい。スウィーニーがベンジャミン・バーカーだった頃から彼に思いを寄せていた。彼の窮地を救うため人肉パイを売り出すという暴挙に出るけど、何故だかかわいらしくて憎めない。ジョニデにも言えるけどやっぱり演技が上手い人というのは、どんな役にも何かしらの共感というか、惹きつける魅力を役に吹き込むものなのでしょう。そういう意味ではターピン判事のアラン・リックマンの悪徳ぶりも圧巻。こいつは最悪なんだけど恋するジョアナにプロポーズを受け入れてもらう為、ヒゲを剃って美しくなろうとする面もある。その部分をかわいらしく演じることで、見る側は滑稽に感じバカにすることが出来る。そしてスウィーニーが彼のノドを切ることが出来るのかドキドキすることができるのだと思う。

全体を通じたバートン調。ミセス・ラベットが夢見るシーンのお菓子のような色鮮やかな世界と、現実の徹底した暗さ、汚さ。でも汚らし過ぎはしない作り物感がいい。その作り物感が、人肉パイなどというとんでもないものをオブラートで包み込んでいる。その割、スウィーニーが客のノドを切るシーンは意外に生々しく、赤々とした血が印象的。多分、クリストファー・リーとかヴィンセント・プライスとかが活躍していた頃の怪奇モノの感じをやりたいんだろうなぁと思う。そして、ここが生々しい割りに淡々と進むので、人肉パイが意外にキモくない。どう考えてもそこが1番気持ち悪いはずなのに・・・。この辺りもバートンっぽいかな。

人々がパイをむさぼるように食べる姿も、傍若無人なターピンの破滅も、哀れなミセス・ラベットも欲に溺れ自分の幸せしか願わない人々に対しての皮肉。そしてスウーィニー・・・。なんというラスト。そういうオチかなと途中から思ってはいたけど、彼は結局自分の本来の目的すら見失ってしまう。彼の人生こそ最大の皮肉。これは自業自得、因果応報の話。

というわけで、いつものニヤリとしちゃうシーンはほとんどないけど、やっぱりバートンでおもしろかった。『チャーリーとチョコレート工場』しか見ていなかったり(あれもずいぶん皮肉がきいてたけど・・・)、ジョニデ目当のみで行くとちょっと違うと感じるかも。『スリーピー・ホロウ』が好きなら好きかも。個人的には『スリーピー・ホロウ』の方が好き。


『スウィーニー・トッド』Official site

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【art】「王朝の恋 - 描かれた伊勢物語展」鑑賞@出光美術館

2008-02-11 00:51:06 | art
「王朝の恋 - 描かれた伊勢物語展」鑑賞@出光美術館

これは見たかった! 「伊勢物語」については在原業平をモデルにした話だということしか知らない。在原業平とは六歌仙として有名な平安貴族。平城天皇の孫にあたる人物で美男としても有名。

俵屋宗達の筆と伝えられている色紙が一挙25点。やや痛んでいる部分もあるけれど、これが素晴らしい。色紙なので大きくない。でも、そこに一つ一つの物語のメインとなる場面がしっかりとした筆致で描かれている。細かく描かれた着物の柄や小物にも何か意味があるのかも知れない。そういう見方が分かるともっと面白いのだろうけど・・・。絵には賛と呼ばれる書が書かれている。賛とはその絵に対する賛辞を書き込んだもののことを言うけど、ここで描かれているのはその場面で読まれた和歌。この賛は烏丸光廣によるものだそう。正直全く読めない でも流麗な文字とその配置が素晴らしい。この烏丸光廣がこの絵に賛を書いていることが分かったため、俵屋宗達の筆である可能性が高くなったのだそう。そいうのもおもしろい。

次の部屋に進むと酒井抱一の「八ツ橋図屏風」がある。よく分からないけど、この物語の主人公ある男が京を出て東国に下る途中に通る名場面らしい。中央に曲がりくねった橋を配し、無数の杜若(かきつばた)が描かれた大作。先日みた「美の壺」によると、屏風というのは正面から見るだけではなく、左右から眺めると景色が全く違うのだそう。お昼時であまり人もいなかったので、ゆっくりと左、右、正面と眺めてみる。確かに違う。正面から見ているよりぐっと奥行きが出る。

左右の見え方の違いが良く分かったのは、俵屋宗雪の「不二山図屏風」と俵屋宗達の「月に秋草図屏風」 2枚とも作者については伝ということになっているが、その美しさは素晴らしい。「不二山図屏風」は東下りの一場面。中央に富士山を大きく描き、右に馬上から富士を仰ぐ業平と従者が描かれてる。右から見ると富士の大きさと、仰ぎ見る業平の優雅な、でも寂しげな姿が際立つ。左から見ると業平の姿はなく富士と従者が1人。ほのぼのした風景に見える。その対比がいい。「月に秋草図屏風」は次の部屋にある。これはススキと萩の花を描いたもの。月を暗く描き、萩の色を目立たせている。その萩のはなが細かく、遠くから見ているとボゥっと浮かび上がっているようで本当に美しい。右から眺めると萩の花が際立ち、左から見るとススキばかりになる。正面から見ているだけでは絶対に分からない仕掛け。昔の人はこんな楽しみ方をしていたのかと感慨深い。ちゃんとした見方が分かるとこんなに面白いものが見れるなんて、今まで無知だったばかりに損してた!

少し戻ってしまうけどⅢ-東下りのパートではあの野々村仁清の茶碗を見ることができる。「銹絵富士山文茶碗」がそれ。銹はサビと読むそうで、確かにサビたような渋い色合いの見事な茶碗。仁清の焼き物というと装飾的に凝ったものというイメージがあったけど、これは無駄なものを廃してシンプルな中に美を表現している。この感性は正に日本人の技であり、美意識と言えるのかもしれない。自分が無条件にこういう景色に惹かれるのも日本人ゆえかも。

Ⅳ-恋白露のパートに移動。先ほどの「月に秋草図屏風」はここにある。ここでは「嵯峨本」を見ることができる。「嵯峨本」とは江戸時代に出版された「伊勢物語」の事。49枚の挿絵入りの本で、大ベストセラーとなった。挿絵自体は版画だと思われるので、彩色もなく手で描かれた線よりはやわらかさに欠けるものの、それぞれの場面を的確に表現した絵と構図の美しさが素晴らしく、挿絵として見事。この本がベストセラーとなったことで、江戸では「伊勢物語」ブームとなり、宗達の色紙絵や、Ⅴで見られる数多くの屏風が生み出されることとなった。宗達の色紙絵の構図と比べてみると「嵯峨本」の影響がハッキリと分かる。こんな本なら是非欲しいと思う。

Ⅴ-伊勢物語を描くのパートでは「伊勢物語」の各場面を盛り込んだ屏風が展示されている。1隻の屏風に多いもので10以上の場面を配している。一見しただけで見つけるのはムリだけど、説明の図があるので良く分かる。題材として多く用いられているのは「筒井筒」の場面。筒井筒(つついづつ)とは百人一首で在原業平が読んだ和歌に由来したもので、幼馴染のこと。井戸のふちに手をかけ親しげに話すお童髪の幼い男女がかわいらしい。「伊勢物語屏風」に描かれた女性の美しさも忘れがたい。

出光美術館は初めて行ったけど、広すぎず落ち着いていて見やすかった。目の前に皇居が広がる大きな窓の前のソファーでは無料のお茶を飲みながら一休みできる。併設されている焼き物の展示もきちんと整理されていてよかった。いい展示を見るにはこうしたハコの充実も必要かも。そういう部分も含めていい展示会だった。


王朝の恋(出光美術館)HP

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【cinema / DVD】『靴に恋する人魚』

2008-02-05 23:51:54 | cinema / DVD
コレも公開時見たかった! DVDにて鑑賞。

「おとぎ話が大好きで夢見がちな少女ドドは足が不自由だった。手術が成功し歩けるようになった彼女は靴が大好きな美しい娘に成長し、王子様のような歯科医スマイリーと恋に落ちるが・・・」という台湾映画で、この映画自体がおとぎ話。

男の人にはちょっとキビシイかもしれない。私が2度チャレンジして2度とも30分以内に眠ってしまった『アメリ』ってこんな感じの語り口なのかなと思う。でも『デリカテッセン』の監督だからもう少し皮肉が利いているのかな? フリークス的な・・・。まぁ『アメリ』は関係ないけど(笑) とにかくすべてがおとぎ的。住んでる家も、勤めてる会社もすべてポップでかわいい。ドドの服とかファッションもどこかレトロでキュート。そして何より靴がかわいい。まるでお菓子みたいなデザインと色使い。赤と黄緑の取り合わせなんて考えられないくらいかわいい。日常はきこなすのはムリだけど、見ている分にはすごくいい。

いろんなおとぎ話がベースになっている。足の悪いドドが歩けるようになるのはタイトルにもあるように「人魚姫」だし、ドドが靴に執着して悲劇を招くのは「赤い靴」 会社で雑用をおしつけられて王子様に出会うのは「シンデレラ」 ズバリ「マッチ売りの少女」も出てくるし、モチーフとして「星の王子様」など・・・。女の子なら1度は読んだことあると思う。ベースを探るのもおもしろいかも。子供の頃はただ単純に憧れて読んでいただけのおとぎ話も、こんな風に誰かの人生になってみれば意外に波乱に満ちている。

ドドは歩けなかった反動で靴に執着している。満たされなかった思いを埋めようとしている。そう考えると買い物依存症にも見えてくる。医学的根拠とかは全然ないけど・・・。愛する人と幸せに暮らしているはずなのに、何故靴を買い続けるのか? ドドは幸せではないのか? そんな時悲劇が起きる。ドドは大切なものを失う。絶望した彼女は更に大切なものを失いそうになる。そんな時気付く本当に大切なもの。と書くとややクサイ(笑)

ドドが実際どこまで自覚できたかは別として、彼女は悲劇が起きる前はおとぎ的な人生しか生きていなかった。それは辛い現実から逃避するすべだったのかも知れないし、ようやく手に入れた幸せを失いたくなかったからかもしれない。だから靴に執着したのかも。でも、それは自分だけの世界で"自分"しか好きじゃなかったように思う。もちろんダンナ王子スマイリーのことは好きだったと思うけど、王子として自分の人生に存在していたスマイリーを愛していただけじゃないのか? "靴"に執着していたのは"自分"に執着していたということ。

人生は"自分"のものだけど、大切なものが"自分"しかないと結局幸せにはなれないのかもしれない。もちろん"自分"は大切にすべきで、"自分"の人生をとりまくすべてを"自分"のために愛したり大切にするのも当然。それは間違ってないし、わがままではない。ドドも決してわがままなわけではない。でも"自分"の視点しかないのは自分も大切な人も不幸になってしまうのかも。"自分"のために誰かに存在して欲しいなら、その人のために自分も存在しなくてはいけないのかもしれない。

なんだか小難しいことばかり書いて何を言ってるのか分からなくなってきたけど(笑) たぶん"自分"を捨てる必要って全然ない。でも、執着し過ぎてはいけない。ドドは悲劇を通して執着を捨て、自分のみの世界に存在している"王子"ではなく、1人の(いい意味で)不完全な人間であるスマイリーに向き合えた。そして初めて本当の幸せや大切なものを手に入れた。白い羊と黒い羊を。それはおとぎ話の主人公たちがちょっとだけ冒険して、自分の世界を出て新しい世界を手に入れるのと似ている。それは現代の自分達に置き換えれば、新しい価値観を手に入れることなのかもしれない。

ドド役は日本でタレント活動していたビビアン・スー。多分もういい年齢じゃないかと思うけど相変わらずかわいらしい。台湾ではどんな感じなのか分からないけど、ちょっと不思議な雰囲気も役に合ってる。日本語で話していた時より低い声でビックリ。そういえば英語圏の外タレさんたちも英語の時は低い声になる。日本語ってトーンが高いのかな? 関係ないけど・・・。王子様ダンカン・チョウはいわゆる甘いマスク(笑) 別段好みではないけど、王子役には合っている。謎のイラストレーター ビック・キャット役のラン・ウェンピンが個性的でおもしろかった。

意外に深々と考えてしまった。"自分"だけをあまりにも大切にしすぎると、大切な何かは得られないのかもなぁ・・・。どこまで意図して作っているのか分からないけど・・・。どこもまでもおとぎ的演出で、すべてがアニメ的な動き。そういうのが合わないとダメかも。私は結構好きだった。


『靴に恋する人魚』Official Site

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【cinema / DVD】『フランシスコの2人の息子』

2008-02-03 22:15:01 | cinema / DVD
公開時気になっていたのでDVDにて鑑賞。

「教育熱心な小作人フランシスコは、子供達のうち年長の2人ミロズマルとエミヴァルを歌手にしようと考える。誰もが彼の夢を不可能だと思ったが・・・」という話で、これは実話。実話をもとに映画化するからには成功物語なわけで、結果も展開もある程度読めてしまう。人の人生をこんな風に言うのはどうかと思うけど、ストーリーとして目新しいところは特にない。貧しい生い立ちから夢を実現させた人の話は今までたくさん見てきた。それでも何本も作られ、たくさん見られているというのは、やっぱりそこに見る人に感動や勇気を与え、惹きつける魅力があるからだろう。

この映画の良いところは、その描き方が少々コミカルで押し付けがましくないこと。泣かせよう感動させようと力が入っていない。いや入っているのかもしれないけど(笑) 一家の生活は貧しく、悲しい出来事も起きる。でも常に明るく前向きなのはラテンの血ゆえ? 悲壮感が漂うこともほとんどない。もちろん悲しくて涙が出たりもするのだけれど・・・。

フランシスコがいい。一家がより悲惨な状況に追い込まれていくのは彼の無謀ともいえる夢のせいでもあるけど、子供達の一生を小作人のままで終わらせたくないと学校を作るなど奔走したり、とにかく一生懸命なのだ。そしてその夢は”自分のため”や”家族の生活のため”だけではないのが伝わる。学がなくお金もない自分がしてあげられることを必死でやる。その姿は父親として正しいと思う。そんなフランシスコを時に苦言を呈しながらも、温かく見守り家庭を支える母もいい。この映画の前半部分は’70~80年代。たぶん、家族や家庭というものの理想的な形だと思われていた「父が導き、母が支える」という形がまだ残っていた時代なのかもしれない。もちろん今だってそのような家庭は多いだろうし、その理想だけが正しいわけでもない。でも、少し憧れたりもする。その感じが押し付けがましくなくていい。

少年時代のミロズマルとエミヴァルを演じた少年達が良かった。繊細な感じと年長であるがゆえ、家族のために街頭で歌う決心をするその責任感とか・・・。そして歌が上手くて声が美しい。よく分からないけど、おそらくブラジルの民謡とかそんな感じの曲を歌っているんだと思うけど、これが詩も曲も少し切なくて美しい。それを美しい声で健気に歌う姿がいじらしい。2人は悪徳プロモーターにだまされ酷使されてしまうが、2人の才能に気付き改心したプロモーターと再び旅興行に出る。その3人の姿がいい。でも、この旅で悲劇が起きてしまう。傷心のミロズマルは音楽をやめてしまうが、再びアコーディオンを手にする。このシーンは後のミロズマルが「自分が音楽しか道がないのは父親のせい」的な発言をするけど、そことリンクして切ない。切ないながらも「自分にはこれしかない」という人生が少しうらやましくもある。

ここから青年時代になってしまう。青年時代役の俳優も悪くはなかったけど、急にトーンが変わってしまった感があった。正直、彼らの歌っている曲も歌もいいと思えなかった。なんとなくミロズマルに感情移入しきれなくなる。でも、彼が提供した曲は他のデュオが歌って大ヒット。問題は彼の歌唱力なのか? そんな時意外な人物が現れる。ミロズマルが苦闘の末に作った曲を何とか世に出そうと奮闘するフランシスコがいい。「いい曲なんだ」と力説する曲をあまりいいと思えなかったのが残念ではあるけど、それは好みの問題なので・・・。

とにかく描き方や掘り下げがやや浅い感じがしたり、少年時代のミロズマルがずいぶん褐色の肌だったのに、青年時代はそんなじゃなかったりとツッコミどころもありますが。フランシスコの滑稽なまでの父性愛と、心配しながらも見守る母の母性愛がいい。母は見守るだけだけど、稼ぎのない夫に代わって働き支えるミロズマルの妻との対比もいい。形は違っても支える強さは女性の強さ。現代の女性は外に出て行ける。それは現代の女性の強さでもあり、時代の変化でもある。フランシスコは妻が働きに出るのをよしとはしなかっただろうし・・・。

何より少年2人の歌声と澄んだ瞳! 彼らの歌声を聞くだけでも見る価値あり。


『フランシスコの2人の息子』Official Site

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