'07.12.21 『earth』(試写会)@一ツ橋ホール
Yaplogのトラバによる試写会プレゼントに当選! 見てきた。
チラシに「主役、地球、46億歳-。」と書かれていたけど、まさに主役は地球と地球上の生物達。ホントに地球ってすごい! CG合成なんじゃないかと思うくらいの絶景の数々。何万という鳥や動物達の群れ。刻々と移り変わる四季の風景。どれもこの地球上で実際に見られる風景とは思えない。撮影日数延べ4500日、撮影全世界200箇所以上、それらを世界に数台しかない超ハイスピードカメラで撮影。その映像がすごい! 機影が一切映っていないけどどうやって撮影したんだろう?
映画は見渡す限りの氷の世界、北極から始まる。長い冬眠から覚めたホッキョクグマの親子。じゃれ合いながらもエサを求めて旅に出る。この他、アフリカゾウ、クジラの親子、カリブー、渡り鳥など様々な動物達の旅をとらえる。遠い記憶を探り仲間を導くリーダー達がいじらしい。その過酷な旅を彼らはもくもくと続ける。ただ生きるために・・・。全ての動物達がただ「生きる」ためだけに生きる姿は感動的。そこに何の打算もない。ボロボロになりながら生きるために前に進む彼らに頭が下がる。自分は日々こんなに必死に生きているのだろうか?
ライオンやチーターなど、生態系の強者が弱者である草食動物の子供を襲う姿は残酷ではある。でも、この映画はその姿も淡々と映し出す。ナレーションもどちらの立場にも立たない。襲う方も襲われる方もまさに命がけで、どちらにも生きる権利があるのだ。最期の姿も見せない。見せる必要はない。すべて自然の営みの一部であって、残虐さを見せることが目的ではないから。
この映画を「美しい地球と動物達の映画」と見ることもできると思う。でも、これは痛烈な人間への皮肉だしメッセージだと思う。ゾウに襲いかかるライオンや、インパラを追い詰めるチーターを酷いと思って見ているならば、昼間は互いを牽制しあいながら、わずかな水を分け合う彼らの現状を生み出したのは一体誰なのか? 今、地球の生態系の頂点にいるのは人間。人間は普段あまり自分達を動物の一員だとは思わない。でも、間違いなく地球上の生物だ。頂点にいるならそれなりの行動をしなくてはいけない。ライオンもチーターも無駄な殺生はしない。自分達の空腹が満たされればそれ以上は殺さない。人間だけが無駄な殺生をし、自然を無駄に破壊する。人間は文明を手に入れた為に、ストレスを抱えることになった。そのストレスを解消する為、娯楽を生み出した。娯楽という概念があるのは人間だけだ。そのために地球に大きな代償を払わせることになってしまった・・・。一番残酷なのは誰なのだろう。
私は映画はエンドロールまで見ることにしている。気になったキャストや、使われた音楽を確認したいから。今回、エンドロールの途中で、施錠されて「非常時以外閉め切り」と張り紙のある扉を、勝手に鍵を開けて出て行った中年男性がいた。明かりが入って迷惑だっただけでなく、そこから次々に列になって人が出て行ってしまい、全く画面が見えなくなってしまった。別にエンドロールを見て行けと言っているわけではない。でも、この映画の主旨を理解しなかったのだろうか? 自分さえよければいいという行動はどうだろう? そんなことでは地球なんか救えないのではないだろうか? 出来事としては些細なことだし、個人攻撃で偉そうだけど、どうしても書いておきたかった。人間は身勝手になり過ぎた、自分も含めてそう思う。
温暖化により北極の氷がどんどん溶けてしまっている。1匹の雄のホッキョクグマがやっとの思いで氷の上に辿り着く。空腹と疲れでボロボロだ・・・。彼はある賭けに出る。そして・・・。彼の辿る運命が、そのまま人類の辿る運命に思えてくる。人類は何度も文明や国を滅ぼしてきた。そして、とうとう地球を滅ぼしてしまうのかもしれない・・・。
これは勝手に私が思ったこと。映画自体は淡々と自然の移り変わりや、動物達の営みを映し出している。その映像に時に圧倒され、時に笑わされたり、ホロリとさせられたりする。ナレーションも教訓がましいことは言わない。淡々と説明するにとどめている。すべてが押し付けがましくなくて良かった。それだけにラストの補足は余計だった気もするけど、言わないと分かってもらえないという気持ちも分かる気はする。とにかく映像が美しい。この美しい地球を残したいと心から思える。
『earth』official site
Yaplogのトラバによる試写会プレゼントに当選! 見てきた。
チラシに「主役、地球、46億歳-。」と書かれていたけど、まさに主役は地球と地球上の生物達。ホントに地球ってすごい! CG合成なんじゃないかと思うくらいの絶景の数々。何万という鳥や動物達の群れ。刻々と移り変わる四季の風景。どれもこの地球上で実際に見られる風景とは思えない。撮影日数延べ4500日、撮影全世界200箇所以上、それらを世界に数台しかない超ハイスピードカメラで撮影。その映像がすごい! 機影が一切映っていないけどどうやって撮影したんだろう?

ライオンやチーターなど、生態系の強者が弱者である草食動物の子供を襲う姿は残酷ではある。でも、この映画はその姿も淡々と映し出す。ナレーションもどちらの立場にも立たない。襲う方も襲われる方もまさに命がけで、どちらにも生きる権利があるのだ。最期の姿も見せない。見せる必要はない。すべて自然の営みの一部であって、残虐さを見せることが目的ではないから。
この映画を「美しい地球と動物達の映画」と見ることもできると思う。でも、これは痛烈な人間への皮肉だしメッセージだと思う。ゾウに襲いかかるライオンや、インパラを追い詰めるチーターを酷いと思って見ているならば、昼間は互いを牽制しあいながら、わずかな水を分け合う彼らの現状を生み出したのは一体誰なのか? 今、地球の生態系の頂点にいるのは人間。人間は普段あまり自分達を動物の一員だとは思わない。でも、間違いなく地球上の生物だ。頂点にいるならそれなりの行動をしなくてはいけない。ライオンもチーターも無駄な殺生はしない。自分達の空腹が満たされればそれ以上は殺さない。人間だけが無駄な殺生をし、自然を無駄に破壊する。人間は文明を手に入れた為に、ストレスを抱えることになった。そのストレスを解消する為、娯楽を生み出した。娯楽という概念があるのは人間だけだ。そのために地球に大きな代償を払わせることになってしまった・・・。一番残酷なのは誰なのだろう。
私は映画はエンドロールまで見ることにしている。気になったキャストや、使われた音楽を確認したいから。今回、エンドロールの途中で、施錠されて「非常時以外閉め切り」と張り紙のある扉を、勝手に鍵を開けて出て行った中年男性がいた。明かりが入って迷惑だっただけでなく、そこから次々に列になって人が出て行ってしまい、全く画面が見えなくなってしまった。別にエンドロールを見て行けと言っているわけではない。でも、この映画の主旨を理解しなかったのだろうか? 自分さえよければいいという行動はどうだろう? そんなことでは地球なんか救えないのではないだろうか? 出来事としては些細なことだし、個人攻撃で偉そうだけど、どうしても書いておきたかった。人間は身勝手になり過ぎた、自分も含めてそう思う。

これは勝手に私が思ったこと。映画自体は淡々と自然の移り変わりや、動物達の営みを映し出している。その映像に時に圧倒され、時に笑わされたり、ホロリとさせられたりする。ナレーションも教訓がましいことは言わない。淡々と説明するにとどめている。すべてが押し付けがましくなくて良かった。それだけにラストの補足は余計だった気もするけど、言わないと分かってもらえないという気持ちも分かる気はする。とにかく映像が美しい。この美しい地球を残したいと心から思える。
