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【cinema】maru's BEST MOVIE 2022

2023-01-15 17:55:52 | cinema

【cinema】maru's BEST MOVIE 2022

 

 

2022年も相変わらずのコロナ禍💦 コロナ対策も少しずつ緩和されてきたとはいえ、全然映画を見に行けていない。結局、新作を映画館で見たのは2作かな? 

 

試写会が開催されるようになって、オンライン試写が減ってしまったので、試写でも全然見れていない。週の半分が在宅勤務なので、予定が立てずらくて試写会に応募できない。

 

しかも今年は1本も映画の感想記事を書いていない💦 多分もう書けないと思う。いろいろ忙しくて長文の感想は無理だし、適当な感想を書くのも違う気がするし🤔

 

ベストの記事もどうしようかと思ったけどcocoに投稿したし、2021年と同じ形式ならそんなに時間もかからないので残しておく。

 

2022年は役120本を鑑賞、そのうちオンライン試写やWOWOW、Netflixなどで新作を約20本鑑賞。でも10本あげるほどではないので5本のみ。

 

 

1位:ギレルモ・デル・トロのピノッキオ

 

 

2位:スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム

 

 

3位:キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性

 

 

4位:ボブという名の猫2 幸せのギフト

 

 

5位:フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

 

1位以外の順位は適当😅 

 

【参考:過去のmaru's BEST】

maru's BEST MOVIE 2021

maru's BEST MOVIE 2020

maru's BEST MOVIE 2019

maru's BEST MOVIE 2018

maru's BEST MOVIE 2017

maru's BEST MOVIE 2016

maru's BEST MOVIE 2015

maru's BEST MOVIE 2014

maru's BEST MOVIE 2013

maru's BEST MOVIE 2012

maru's BEST MOVIE 2011

maru's BEST MOVIE 2010

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【cinema】maru's BEST MOVIE 2021

2022-01-08 02:38:34 | cinema

【cinema】maru's BEST MOVIE 2021

 

 

2021年もコロナ禍ということで2回しか映画館に行けなかった💦 Netflixに加入したり、オンライン試写に当選したけれど、それでもやっぱり新作をほとんど見れていない💦

 

いろいろ忙しいこともあるけど、年齢と共になかなか集中して文章を書くことができなくなってきて、映画の感想もほとんど書けていない。映画ブロガーさんの所におじゃまする余裕もなく、近年では年間ベスト記事を書いても、ほぼ誰も見ていない状況😅

 

今年こそ辞めようかと思ったけれど、去年と同じくcocoの「Twitterユーザーが選ぶ2020年映画ランキング」に投票したので、これを貼り付けて記事としておく😌

 

2021年はトータル137本を見て、そのうち新作が20本くらいは見たのかな? でも、10本上げるほどではないので5本を選出。

 

1位:『ラストナイト・イン・ソーホー』

 

2位:『ほんとうのピノッキオ』(感想はコチラ

 

3位:『スウィート・シング』

 

4位:『tick, tick...BOOM! チックチックブーン!』

 

5位:『ステージ・マザー』

 

5本のうち記事書いてるの1本だけ😅 『ラストナイト・イン・ソーホー』は書き始めてるからそのうち書き上がるかも? 他の3本はもう書かない。

 

こんな感じで来年はどうするかはその時次第で😌

 

【参考:過去のmaru's BEST】

maru's BEST MOVIE 2020

maru's BEST MOVIE 2019

maru's BEST MOVIE 2018

maru's BEST MOVIE 2017

maru's BEST MOVIE 2016

maru's BEST MOVIE 2015

maru's BEST MOVIE 2014

maru's BEST MOVIE 2013

maru's BEST MOVIE 2012

maru's BEST MOVIE 2011

maru's BEST MOVIE 2010

 

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【cinema】『ほんとうのピノッキオ』

2021-11-24 01:46:16 | cinema

2021.11.05 『ほんとうのピノッキオ』鑑賞@TOHOシネマズ錦糸町オリナス

 

約1年4か月ぶりに映画館に行って来た! 予告編とメイキング映像見て是非見たいと思い、映画館鑑賞再開第一弾に決定 楽しみに行って来たー

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「貧しい大工のジェペット老人は、村に来た人形劇の人形たちを見て感動。自分も少年の姿の人形を製作する。すると、その人形が動き出す。ピノッキオと名付けた人形は、好奇心旺盛で人形劇の一団に連れ去られてしまう。そしてピノッキオの冒険が始まる」というのは物語の導入部。どうやら原作に忠実ということだけれど、これはかなりダークなファンタジー。クリーチャーなどのデザインがかなりリアルというか、個性的なので子供はちょっと怖いかもしれない、でも、ダークファンタジー好きとしてはかなり満足な作品だった。

 

マッテオ・ガローネ監督作品。『ドッグマン』(感想はコチラ)の監督なのね😲 鑑賞したのは今作と併せて2本のみ。重いテーマを描きながらも、どこかユーモアが感じられるのが特徴的で、好きなタイプの作風。

 

作品について毎度のWikipediaから引用!『ほんとうのピノッキオ』(Pinocchio)は、2019年イタリアファンタジー映画カルロ・コッローディの『ピノッキオの冒険』を原作とした作品で、監督・脚本・製作はマッテオ・ガローネが務めた。主要キャストとしてフェデリコ・エラピイタリア語版ロベルト・ベニーニジジ・プロイエッティロッコ・パパレオマッシモ・チェッケリーニイタリア語版マリーヌ・ヴァクトが出演している。

 

2019年12月19日に01ディストリビューション配給で公開され、イタリア国内で興行収入1500万ユーロを記録してクリスマスウィークの興行成績首位となり、さらに歴代ガローネ監督作品の興行成績を塗り替え、2019年-2020年にかけてのイタリア興行成績第6位となった。英語吹替版は2020年8月14日にヴァーティゴ・フィルムズ英語版配給でイギリスアイルランドで公開、同年12月25日にロードサイド・アトラクションズ配給でアメリカ合衆国カナダで公開された

 

『ほんとうのピノッキオ』は批評家から高く評価された。ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では15部門ノミネートされ、このうち5部門を受賞した。また、ナストロ・ダルジェント賞では9部門にノミネートされ、このうち6部門と特別賞を受賞し、第93回アカデミー賞では2部門にノミネートされている

 

『ほんとうのピノッキオ』はマッテオ・ガローネにとって念願の企画であり、彼は6歳の時に最初のストーリーボードを描いている。歴代のガローネ監督作品が大人向けの内容だったのに対し、『ほんとうのピノッキオ』は大人と子供の双方を対象として製作された。同作に登場するキャラクターの大半はCGIではなく、補綴メイク英語版を施したキャストが演じている

 

2016年10月24日、トニ・セルヴィッロがジェペット役に起用されたことが発表された。2年後の2018年10月にロベルト・ベニーニがゼペット役に起用されたことが発表され、彼は起用に際して「素晴らしいキャラクター、素晴らしいストーリー、素晴らしい監督。マッテオ・ガローネ監督の下でジェペット役を演じることは幸せの一つの形です」とコメントしているマーク・クーリエはキャラクターデザイン、補綴、特殊メイクを手掛けている。2019年3月18日から撮影が始まりトスカーナ州ラツィオ州プッリャ州で11週間かけて撮影された。

 

2019年3月29日に最初のプロモーション・イメージが公開され、7月3日に予告編が公開された。12月19日にイタリアで公開された。イタリアでは公開週末に290万ドルの興行収入を記録し、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』に次ぐ興行成績第2位となった。その後、公開第2週末に190万ドル(第3位)、公開第3週末に53万806ドル(第6位)を記録している。最終的な国内興行収入は1500万ユーロ(1710万ドル)を記録し、『ゴモラ』の記録(1020万ユーロ)を抜いてガローネ監督作品の中で最大の興行収入を記録した。また、2019年-2020年にかけてのイタリア興行成績は『Tolo Tolo』『ライオン・キング』『ジョーカー』『アナと雪の女王2』『Il primo Natale』に次ぐ第6位となった

 

Rotten Tomatoesでは58件の批評が寄せられ支持率83%、平均評価7/10となっており、「カルロ・コッローディの原作を忠実に再現したマッテオ・ガローネの『ほんとうのピノッキオ』は、あらゆる要素を駆使して映像美を追求し、物語がまさに時代を超えたものであることを証明している」と批評している

 

第93回アカデミー賞の衣装デザイン賞にマッシモ・カンティーニ・パリーニが、メイクアップ&ヘアスタイリング賞にダリア・コッリ、マーク・クーリエ、フランチェスコ・ペゴレッティがそれぞれノミネートされている。

 

とのことで、ほぼほぼコピペいたしました😌

 

さて、今作は原作に忠実ということだけれど、自身はディスニーの映画を見たとは思うし、絵本を読んだこともあると思うのだけど?🤔 というような状態で、見ているうちにそうだった!と思い出す感じ。各場面のイメージは違っていたものの、ピノッキオに起きたことは、ほぼ自分が知っていたものだった。その"違い"が原作に忠実ということなのかもしれない。

 

ツラツラ書いているのは、実はあまり原作を覚えていないので、これが映像含め忠実なのだと言われても、自分にはそれが正しいかは分からないということ。言い訳です😅

 

冒頭、大工のジェペット(ロベルト・ベニーニ)が生活に困窮している描写がかなり続く。お金がないので食堂へ行き、椅子を直そう、テーブルを直そうと修理の仕事を得ようとするけれど、ことごとく店主に断られ、結局彼のおごりで食事にありつく始末。これはなかなか辛い😢

 

村全体が貧しい印象だけど、食べ物を恵んでもらわなければない状況はプライドが傷つく。この時、食事を食べ始めるロベルト・ベニーニの表情が良かった。恥ずかしさ、自尊心、そして食べ物を得られた喜び。

 

ところで字幕ではジェペットとなっているけど、ゼペットじいさんではないのね? ピノキオもピノッキオだしイタリア語だとこれが正解ということなのかな?

 

食堂からの帰り道、村に旅回りの人形劇団が来ており、若い男性が呼び込みをしていた。チケットを買うお金のないジェペットは追い払われてしまうけれど、隙を見て荷台に積まれた人形たちを覗き見る。その美しさに心奪われたジェペットは自分も人形を作りたいと考える。

 

ゼペットじいさんがピノキオを作ったことは、原作を読んだことがなくても知っている人は多いと思うけど、まさかこんな理由だったとわ! 😲

 

ジェペットは大工の親方の工房へ行き、木材を譲って欲しいと言う。ジェペットが来る直前、ある木材が動き出し、驚いていたところだった親方は、厄介払いとばかりその木材をジェペットに譲る。

 

なるほど、ピノキオが動き出したのは、そもそも木材に秘密があったのね! とはいえ、結局この木が何故動くというか"命"を宿していたのかの説明は一切なかったのだけども😅

 

ジェペットは家に帰り人形を彫り始める。頭部が出来ると鼓動が聴こえ始める。気のせいかと作り続けると頭部が動き出す。驚くジェペットに早く作るように催促。徹夜で全身を仕上げ、ベッドカバーで洋服と帽子を作る。すると人形はジェペットをパパと呼ぶ。ジェペットは人形にピノッキオ(フェデリコ・エラピ)と名付け、嬉しさのあまり部屋を飛び出し「息子ができたー!」と叫び、近所の人を起こしてしまう。

 

すでに老人となっているジェペットがどんな人生を送って来たのかは描かれないので分からない。でも、未婚のままだったような気もする。老人となって初めて出来た家族が人形のピノッキオなんだろうと思うと、この喜びは切ない😢 そして、夜中に起こされたのに、ジェペットを優しく諭すにとどめる近所の人々も優しい😭

 

この辺りのこと絵本やアニメ映画では悲壮感漂よわないけど、実写だとやっぱりそこはかとなく何かしらの疾患があるのではないかと思ってしまう。だから食堂の店主もご近所さんも見守る感じなのかなと。考え過ぎか?😅

 

ロベルト・ベニーニは芝居が大きいというか、やり過ぎに感じることが多くてちょっと苦手なのだけど、今回はそのやり過ぎ感が逆に哀しさを感じさせていたと思う。

 

翌日、ピノッキオが暖炉で足を燃やしてしまったり、ピノッキオを学校に通わせるため教科書を買いに行くもお金がなく、上着を売って手に入れるエピソードなどがあるけど割愛。足を燃やしてしまうエピソードはともかく、教科書の下りはちょっと長くてクドかったかも。この辺りはベニーニのクドさが出た感じ。彼の見せ場ではあると思うけれど。

 

さて、無事?教科書を買ってもらったピノッキオは、ジェペットじいさんに連れられて学校へ向かう。ところが、近くに例の人形劇のテントがあり、ピノッキオはそれが気になって仕方がない。結局、ジェペットじいさんが帰った後、学校を抜け出し人形劇を見に行ってしまう。入場料がないので教科書を売ってしまうのは原作にもあるエピソードなのかな?🤔

 

人形劇の人形たちは実はピノッキオ同様"生きて"いる。なので人間が操るのではなく、人形自身が劇を演じている。これも原作どおりなのかな? ピノッキオが"生まれた"のは、親方の例の木を使ったからで、それこそが彼が"特別"な理由なのだと思っていたのだけど、村の人だけでなくピノッキオが出会う人々も、彼を人形だと認識しつつ、彼が動いて言葉を発することに違和感はないらしく、そういうものとして受け入れている。他の異形の者に対してもそうなので、そういう世界なのでしょう。

 

ひょんなことからピノッキオは人形たちに見つかり舞台上に上げられてしまい、そのまま人形劇の親方(ジジ・プロイエッティ)に連れ去られてしまう。そんなエピソードあった気がする!

 

人形たちはピノッキオに優しくしてくれるけれど、囚われの身である彼らの表情は暗い。親方は恐ろし気な人物だけど、状にほだされやすい面もある。この辺りちょっとコミカルではあるものの、なかなかダークでいい感じ。

 

ピノッキオが薪にされそうになったり、人形の一人が薪にされそうになったり、いろいろあったけれど、結局この親方はピノッキオを解放し、金貨5枚も持たせてくれる。いい人!😳

 

とはいえ、全く知らない土地で一人置いて行かれてしまったピノッキオ。当てもなく歩いていると、ネコ(ロッコ・パパレオ)とキツネ(マッシモ・チェッケリーニ)に会う。このネコとキツネはちょっと髭が生えたりしているものの、ほぼ人間のおじさんの姿。たしかネコが足に障害があり、キツネが目に障害があったと思う。逆だったかも?🤔 いずれにしても見ている側にはどう考えても良い人物ではないのは分かるのだけど、ピノッキオには分からない。

 

ピノッキオがお金を持っていることを知ったネコとキツネは、ピノッキオに金貨がなる木があるから夜になったら連れて行くと言い、まずは宿屋でまずそうな食事をたらふく食べ、ピノッキオが寝ている間に宿屋を抜け出し、彼に食事代と宿代を払わせ、さらにピノッキオを待ち伏せして木に吊るしてしまう。ヒドイ💦

 

こんな絶体絶命どうやって助かるんだろうと思っていると、ピノッキオが気を失った頃、ライオンの顔をした御者が馬車でやって来て助けてくれる。この方結局一言も話さず。しかし、この造形の美しさ! ジャン・コクトーの『美女と野獣』の野獣を思わせる。

 

目覚めるとピノッキオは少女の妖精(アリーダ・バリダリ・カラブリア)の家にいた。美しい家ではあるけれど、妖精が暮らす家にしてはこじんまりした印象。緑の髪、白い肌の美少女が、背中に大きなカタツムリの殻をつけ、額に触角のある老女(マリア・ピア・ティモ)と暮らしている。どうやらカタツムリが家政婦というか、料理など身の回りのこともしているらしい。

 

もうこのカタツムリが見たくて見に行ったので、登場時からニヤニヤが止まらない😀 彼女はドレスの裾を引きずっているのだけど、その部分がいわゆるカタツムリの尻尾?部分になっていて、そこがネバネバしているのもおもしろく、とにかく最高のデザイン✨ このキャラ原作にも登場するのかな?

 

妖精が登場してピノキオが嘘をつくと鼻が伸びるエピソードは有名過ぎるので、覚えているというか知っているけれど、妖精って少女だったっけ?🤔 ピノッキオの嘘をたしなめるというよりは、何故鼻が伸びるのか説明するかのような会話の中で、ピノッキオの鼻が伸びて行き、最終的には小鳥たちが鼻をつついて削り、もとの鼻に戻るというエピソードになっていた。これも原作どおりなのかな?

 

ピノッキオは数日妖精の家に滞在するけれど、しばらくするとライオンの顔の御者の馬車で妖精たちに送られて別れる。

 

するとまたネコとキツネに会ってしまう。見ている側には木に吊るしたのはこの2人であることが分かっているけど、ピノッキオは気づいていない。今度こそお金を増やす方法を教えるというネコとキツネ。ピノッキオは乗り気ではないけど、結局押し切られて金貨を土に埋め、言われるままに水を汲みに行く。戻って来るとネコとキツネはおらず、もちろん埋めた金貨もなくなっている。まぁそうだよね😅

 

ピノッキオはチンパンジー裁判官(テコ・セリオ)の裁判所に行き、ネコとキツネにお金を盗られたことを訴えるけれど、この国では無罪であることが有罪だと言われ、やってもいない罪を告白して無罪となる。このエピソードはなんなんだろう😅 正しいことが認められない世の中を風刺しているのかな?

 

やっとの思いで村に戻ったピノッキオ。しかし、ジェペットじいさんはピノッキオを探しに海へ向かったとのこと。必死で泳いで探すピノッキオだけれど、ついに力尽きてしまう。海岸に打ち上げられた彼を抱き上げた人物が・・・

 

目覚めたピノッキオを優しく見つめるのは大人の姿の妖精(マリーナ・ヴァクト(声:ドミティッラ・ダミーコ))なんて美しい😍 もちろんカタツムリもいる!

 

大人になった妖精に、ピノッキオが自分も大人になりたいと言うと、妖精は良い子になれば人間にしてあげると言う。ならば良い子にならなければと学校に通い始める。

 

学校にはいろんな生徒がいるけれど、サボってばかりで成績が悪く、先生に木の鞭で打たれてばかりいるルチーニョロ(アレッシオ・ディ・ドメニカントニオ)のことがやけに気になってしまう。彼と遊んでいて遅くなり、妖精に家から閉め出されてしまう。なんとかもう一度チャンスをもらったピノッキオは、その後真面目に勉強してクラスで一番になり、いよいよ明日人間にしてもらえることになる。

 

一方、ルチーニョロの家は貧しく、彼は家の手伝いをしているようで、それが嫌で逃げ出したいと思っている。今夜、迎えの馬車が来るからそれに乗ってオモチャの国へ行くというのだった。ピノッキオや彼を見送りに行き、一度は断るものの、皆に誘われて馬車に乗って。あー😣

 

ピノッキオはいつも本能的にそれが良くないことであることは分かるようで、たいてい一度は断るのだけど、毎回流されて悪い方向へ行ってしまう。これは人は誘惑に弱いものだということを表しているのかな?

 

オモチャの国には大勢の子どもがいて、ルチーニョロもピノッキオも楽しく遊ぶ。しかし、翌朝2人は自分の耳がロバの耳になっていることに気づく。そして、声が奪われ、手足も変化し、ロバの姿になってしまう。そうだった! そうだった!!ロバになっちゃってたわ!!

 

ロバになったピノッキオとルチーニョロは売りに出されてしまう。ピノッキオはサーカスに売られ、火の輪くぐりなどの芸をさせられる。その姿を悲し気に見つめる妖精。そしてピノッキオは転倒して足をケガしてしまう。なんと!😫💦そこは全く覚えてなかった。

 

ケガをしたロバは使い物にならないと、足に重しを括り付けられたピノッキオは海に落とされてしまう。ヒドイ💦 必死にもがくピノッキオがついに力尽きた時、体が光る魚に包まれて元の姿に戻る。これは妖精が助けてくれたのかな? ピノキオであるということもそうなのだけど、もうロバが酷い目にあっているのが悲しくて辛い😭

 

しかし一難去ってまた一難とばかり、巨大な魚に飲み込まれてしまう。魚の腹の中にはもう長いこと閉じ込められているというマグロ(マウリッツォ・ロンバルディ)がいて、ピノッキオに愚痴をこぼしながら状況を説明してくれる。この辺りもなかなかダーク。

 

巨大魚の腹の奥が気になったピノッキオがさらに進むとなんとそこにジェペットじいさんが! じいさんも飲まれていたのだった😲 そうだった! そうだった! ジェペットじいさんは大工の腕を生かし、腹の中をそれなりに快適な空間に変えており、自分は年寄りだし、ピノッキオさえいればいいからここで暮らそうと言う。

 

ピノッキオは諦めてはダメだとジェペットじいさんを励まし、巨大魚が口を開けている今こそ脱出のチャンスだと言い、じいさんとマグロと共に脱出する! おー✨

 

なんとか海岸に辿り着いたジェペットじいさんとピノッキオは、廃屋を見つけてそこで休むことにする。衰弱したジェペットじいさんのために農夫から牛乳を分けてもらうため、ピノッキオは農婦の手伝いをする。翌日から毎日農夫の仕事を手伝い、給料をもらうようになる。無骨な農夫もピノッキオの働きぶりに感心する。

 

ジェペットじいさんと暮らす廃屋も少しずつ住みやすい空間になり、ピノッキオは働きながら勉強もする。

 

そんなある日、ピノッキオの前にネコとキツネが現れる。さらに身なりがボロボロになっているので、彼らなりに苦労はしている様子。またしてもピノッキオを騙そうとするけれど、ピノッキオはもう騙されない。

 

この辺りのことはピノッキオが賢い良い子になったという描写だけれど、単純にネコとキツネに騙された経験からきているだけでなく、お金というのは本来、労働の対価として得るものであり、それを正しく自分や愛する人のために使うべきであるということを学んだということなのかなと思う。

 

そして、賢く良い子になったピノッキオの前に妖精が現れ、ピノッキオを人間の子どもに変える。ピノッキオはジェペットじいさんの元へ急ぎ、2人は抱き合って喜ぶ。映画はここで終わる。

 

多様性を唱える現代では、型にはまった良い子を押し付けるのはどうか?とか、そもそも人形のままでいることも個性ではないのか?などと言われてしまいそうではあるものの、個人的にはやはり大人になるうえで、純粋無垢であることはもちろん悪いことではないが、無知のままでいると、選択を誤り失敗することがあるということを伝えたいのかなと思った。

 

そして重複するけれど、お金というのは労働の対価として正しく得るべきで、そして正しく払われるべであるということを言いたいのかなと思う。冒頭のジェペットのアレコレも、彼が施しを受けるのではなく、対価としてお金を得ようとしていたわけで、それがジェペットの正しさでありプライドだった。原作者の意図はどうだったのかは分からないけれど、映画を見た感想としてはそう思った。

 

結局、ロバになったルチーニョロがどうなったのか不明で、よく考えると放りっぱなしのエピソードもあるし、やっぱりとてもダーク。でも、それらをウットリするくらい妖しく美しい映像で見せるのとても好き。

 

この映像は基本的にCGなしで撮影されたそうで、ピノッキオの木の顔も特殊メイク。鼻が伸びるくだりも少しずつ伸ばして撮影したのだそう。フェデリコ・エラピくん頑張ったね!

 

役者たちは皆良かったと思う。ネコとキツネの2人もどこか憎めなくて良かったし、妖精は少女も大人もウットリする美しさ。生徒に体罰を与える教師の狂気を感じる不気味さも良かった。ピノッキオのフェデリコ・エラピくんの無垢、無邪気、無知がゆえの愚かさ、そして経験を経て大人になって行く過程を真っ直ぐな心で演じていたと思う。彼のピュアさがピノッキオにリンクしていて、生意気にもバカな子にもなっていなかった。

 

唯一名前を知っていたロベルト・ベニーニ。前述したとおり大きすぎる芝居が苦手。でも今回はそれがこの人形やネコの容貌の人間が共存する不思議な世界を描くうえでプラスになっていたと思う。

 

とにかく映像が怪しく美しい。苦手な人もいるかもだけど、個人的には大好き😍 重いテーマが盛り込まれているけど、ピノッキオと冒険しながら一緒に体験している気持ちになって、改めていろいろ考えさせられた。

 

カタツムリを見るだけでもオススメしたい! ダークファンタジー好きな方必見! 大画面で是非!!

 

『ほんとうのピノッキオ』公式サイト

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【cinema】『ストーリー・オブ・マイ・ライフ / わたしの若草物語』

2021-09-17 01:32:48 | cinema

2020.06.20『ストーリー・オブ・マイ・ライフ / わたしの若草物語』鑑賞@TOHOシネマズ日本橋?

 

鑑賞したの1年以上前!😲 もうどこで見たのかも分からない😅 ずっと下書きに入っててなかなか更新できず💦 諦めようかとも思ったのだけど、手書きでメモしておいたものがあって、せっかく書いたのに捨てるのは悲しいので書いてみた!

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「四姉妹の次女ジョーは、ニューヨークの下宿で家庭教師をしながら作家を目指していた。思った形ではないものの作品も採用される。そんなある日、実家の母親から三女の病状が悪化したと知らせが入る。急いで故郷に戻るジョーは数年前のことを思い出す・・・」というのはあらすじではなく導入部。回想シーンと現代が入り混じる作品ではあるけど、ジョーが語り部となって回想するというわけではない。有名な「若草物語」には続編があるそうで、現代部分は続編がベースになっており、回想シーンが「若草物語」となる構造。話が行ったり来たりするけれど、混乱してしまうことはなく良くまとまっていたし、とにかくポップで元気になれる。

 

女優でもあるグレタ・ガーウィグ監督作品。監督作品としては前作の『レディ・バード』を見ている。半自伝的作品とのことで興味深く見た。前作に引き続き感受性豊かな少女が主役の作品で、どちらもシアーシャ・ローナンが演じている。ご本人とシアーシャはタイプが違う印象だけど、作品として考えるとシアーシャは合っていると思う。

 

作品について毎度のWikipediaから引用。『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(ストーリーオブマイライフ わたしのわかくさものがたり、Little Women)は、2019年に公開されたアメリカ合衆国ドラマ映画である。監督はグレタ・ガーウィグ、主演はシアーシャ・ローナンが務めた。本作はルイーザ・メイ・オルコット1868年に発表した小説『若草物語』を原作としている。

 

本作には、ジョーが理不尽な要求を突き付けてきた編集者に反論するシーンがあるが、このシーンは原作小説には存在しない。これはガーウィグ監督がルイーザ・メイ・オルコットの進取の精神を表現するために付け加えたシーンである。このシーンについて監督は「オルコットはジョーが作家になる夢を諦めて、夫や子供たちを支えることに専念するという結末を描きたくなかったはずです。しかし、オルコットは商業的な成功を望んでいたため、世間受けする結末を書かなければならなかった。もし、この映画でオルコットが本当に描きたかった結末を描き出せたなら、私たちは何かを成し遂げたと言えるのではないでしょうか。」という趣旨のことを述べている

 

2015年3月18日、エイミー・パスカルが『若草物語』の映画化に着手しており、サラ・ポーリーを監督に起用する意向だと報じられた2016年8月、グレタ・ガーウィグがポーリーの脚本をリライトすることになったとの報道があった2018年6月、ガーウィグが監督も務めることになり、メリル・ストリープ、シアーシャ・ローナン、ティモシー・シャラメ、エマ・ストーン、フローレンス・ピューが起用されると報じられた。エマ・ストーンが降板し、代役としてエマ・ワトソンが起用されると報じられた。本作の主要撮影は2018年10月5日にマサチューセッツ州ボストンで始まり、同年11月中旬に終了した。撮影は同州内のハーバードでも行われた

 

2019年12月7日、本作はニューヨークでプレミア上映された。日本では2020年3月27日に公開する予定だったが新型コロナウイルスの影響により延期。その後変更を経て、6月12日の公開となった。2019年12月25日、本作は全米3308館で公開され、公開初週末に1675万ドルを稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場4位となった

 

本作は批評家から絶賛されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには282件のレビューがあり、批評家支持率は95%、平均点は10点満点で8.62点となっている。また、Metacriticには56件のレビューがあり、加重平均値は91/100となっている。なお、本作のシネマスコアはA-となっている。とのこと😌

 

冒頭、ジョー・マーチ(シアーシャ・ローナン)が出版社に作品を持ち込むシーンから始まる。友人の作品だと言うけれど、編集長?社長?は彼女のインクの沁み込んだ指を見てジョー本人の作品だと見抜いている様子。仮想友人の性別までは偽っていなかったように思うけど、ジョーが自分の作品だと言わなかったのは、女性だというだけで門前払いされることが多いからでしょう。

 

持ち込み原稿は大量の直しや削除が行われるものの採用となる。意気揚々と下宿に戻るジョー。ジョーはニューヨークに出て、下宿の子どもたちの家庭教師をしながら作家を目指しているらしい。

 

ジョーが下宿の今の暖炉の前で佇んでいると、一人の青年が入って来る。この青年フリードリヒ・ベア(ルイ・ガレル)のことをかなり意識しているようで、スカートの裾に暖炉の火が移っているのも気づかない。後にダンスパーティーのシーンでも、彼を探していたりするので、この時点では恋しているだとは思われる。彼の方も本をプレゼントしたりとジョーに気がある様子。

 

でも、ベアに出版社用に書いた原稿を好みではないと言われ、ジョーは激怒し二度と話しかけるなと啖呵を切ってしまう。全編を通してジョーはこんな感じ。

 

確かに自分の作品を悪く言われるのはいい気持ちはしないけど、ベアは別に好みではないと言っただけで、そこまでダメ出ししたわけでもないし、そもそも率直な意見を言うと言っているし、彼はフランス人で英語は母国語じゃない。そこまで激怒しなくてもと思うけれど、こういう性格なのでしょうかね。ちょっと厄介かも😅

 

ジョーのもとに実家の母(ローラ・ダーン)から電報が届く。三女のベス(エリザ・スカンレン)の病状が悪いとのこと。母はジョーが戻って来ることを期待したわけではないようだけれど、ジョーは実家に戻ることにする。

 

前述どおり原作未読で、映像作品も未見なので、どの部分がどうなのかよく分からないのだけど、どうやら今作は「若草物語」だけでなく、続編も併せて描いているらしい。どうやら現在部分が続編で、回想シーンが「若草物語」らしい?🤔

 

ここから回想シーンとなるのだけど、その前に四女エイミー(エリザベス・ピュー)がマーチ伯母(メリル・ストリープ)と、パリの公園的な所でローリーことセオドア・ローレンス(ティモシー・シャラメ)と再会するシーンが入っていたのだけど、これはどの位置だったっけ? これは回想ではなくて現在。

 

このエイミーとローリーについてはパリでいろいろあるのだけど、とりあえずザックリ状況だけ書いておく。フローレンス・ピューもティモシー・シャラメも良かったのだけど、正直2人のアレコレにあまり惹かれるものがなかったので😅 ただし、この2人は主人公ジョーの人生に大きく関わることになる。

 

こちらも後にジョーの人生を変えることになるマーチ伯母は金持ちで、貧しい牧師となった弟の生き方を口ではバカにしつつも心配している様子。女性の幸せは結婚で決まると考えており、マーチ家の娘たちを良家に嫁がせたいと思っている。性格的には勝ち気で頭の良いジョーを気に入っているようだけれど、ジョーが結婚に否定的なため、画家を目指すエイミーをパリに連れて来た。

 

どうやらエイミーは金持ちの青年フレッド・ヴォーン(ダッシュ・バーバー)の心を掴んだらしく、2人は公認の仲となっている。でもエイミーのローリーに対する態度からは、彼に恋しているとしか思えない。これは一波乱ある予感。

 

ローリーがエイミーに招待されたヴォーン主催のパーティーでやらかしてしまい、エイミーの怒りを買うシーンなども出て来るけれど、正直そんなに面白くないので割愛😅 この2人はまた後程登場する。

 

さて、ジョーは実家に戻って来る。母親は再会を喜ぶものの、仕事の事など心配する。この時点で父親はいたかな? 忘れてしまったけど、回想シーンとなる「若草物語」の部分では、父親は従軍牧師として南北戦争に参加しており不在。そういう状況で、女ばかりの母子5人の物語が展開する。

 

現在でも回想シーンでも、姉妹にとって転機になるような出来事が日々の暮らしの中で描かれ、それが彼女たちの状況やそれぞれの性格を説明する形になっている。

 

例えばジョーがパーティーでローリーと出会い、この出会いがその後マーチ一家に大きな変化をもたらすのだけど、パーティーに連れて行ってもらえないエイミーが拗ねてジョーに絡むくだりから見せる。それが結構長く若い女性特有の騒がしさでオバちゃんは少々疲れた😅 

 

そして、それらを細かく描写するほど覚えていないし、書いても伝わらないと思うので、必要な部分以外はザックリ割愛する。毎度どうでもいいと思うけれど、断り書きとして書いておく😌

 

また、前述どおり現在と回想シーンが入り繰るので、見ている間は混乱しないけれど、感想を書こうとすると難しい😣 順番も怪しいし、適当に覚えているシーンや、大切だと思うシーンを書いていく。

 

とりあえず、回想シーンである「若草物語」部分の状況や設定について書いていく。マサチューセッツ州の田舎にマーチ一家は住んでいる。両親と4人姉妹の6人暮らしだけど、前述どおり父親は不在。母親は慈悲深く、一家も決して裕福ではないのに、もっと貧しい一家のため朝食を届けようと提案するような人物。

 

4人姉妹は美人の長女メグ(エマ・ワトソン)、作家を目指すジョー、病弱で心優しいベス、ちょっと生意気なエイミー。実は四女を演じるフローレンス・ピューが、三女のエリザ・スカンレンより老けて見えて、てっきり三女と四女が逆だと思っていた。三女は人形遊びなどをしている幼さがあって、そういう演出もあったと思うけれど、フローレンス・ピューは声もハスキーで一番年下という感じがしないかも😅 

 

チラリと書いたけれど、メグとジョーはダンスパーティーに出かける。おそらく若い男女の出会いの場ということなのかな? ダンスが好きで結婚に女性の幸せがあると考えるメグはとても楽しそうだけれど、どちらにも否定的なジョーは退屈してテラスへ。するとそこにいたローリーと意気投合。その場でダンスに興じる。この後ローリーはマーチ一家に大きく関わることになる。

 

こちらもチラリと書いたけれど、クリスマスの朝に母は娘たちが楽しみにしていた御馳走を、もっと貧しい一家へ届けようと提案。おすそわけ程度なのかと思ったら、まさかの全部提供にビックリ!😲 そして、この家族への善意がが後に悲劇を招くことになる。

 

母と4姉妹が食事を運ぶ様子を窓から見ていたのが、マーチ家の向かいに住む資産家の孫であるローリーで、彼女たちが戻って来るまでにご馳走を用意してくれている。これがきっかけで資産家のミスター・ローレンス(クリス・クーパー)との交流が始まる。

 

ミスター・ローレンスは、まだ若かった娘を亡くし心を閉ざしていたけれど、4姉妹とくにピアノが大好きな三女のベスの訪問を楽しみにするようになり、彼女を娘のようにかわいがる。

 

またローリーの家庭教師ジョン・ブルック(ジェイミー・ノートン)は、長女メグに一目ぼれ。露骨なアプローチこそないけど態度に現れまくりでメグも次第に彼に惹かれて行く。

 

そんな中、父が病で倒れたとの連絡があり、母がニューヨーク(だったかな?)に向かうことになる。ジョンが付き添うことになり一家の信頼を得る。

 

ちょっと記憶が曖昧だけど、この母の留守の間に三女のベスは貧しい一家のことが気になり、様子を見に行こうとジョーたち姉妹を誘うも賛同が得られず一人で訪ね、猩紅熱をうつされてしまう。ジョーたち3人は必死に介護するも病状は悪く、結局母親を呼び戻すことになる。

 

父親は放っておいて大丈夫なのか?と思ったけれど、まあ病院にいるわけだし、この場合はもともと体の弱いベスだけに、やはり娘優先なのかなとは思う。ただし、両親の病院での様子などは一切描かれず、その後何事もなかったかのように父親が戻って来るので、ちょっと取って付けた感がある。

 

原作がどんな感じなのか不明だけど、当時の家庭で父親の不在はかなり大きなことのように思っていたのだけど、今作では戻って来てからも父親の存在感は薄い。あくまで女性の映画ということなのかな。イヤだってミスター・ローレンスより影が薄いので😅

 

さてベスは一命をとりとめるも、猩紅熱って一度かかると厄介なのかな? そんなセリフがあったような?🤔 とにかく、このベスが体調を崩したことで、現在のジョーが戻ってきたわけなので。ベスの親切がまさなの悲劇につながってしまった。

 

あの時、ベスが少し意地を張って貧しい一家の家に行ったのは、いつも庇われたり世話を焼かれることの多い自分の存在証明でもあったと思うので、その辺りはとても切ない😢

 

一方ローリーがジョーに惹かれているのも明白で、ジョーも彼を好きではあるけれど、結婚という制度に否定的であるジョーとっては、良い男友達という位置でいて欲しいという感じ。四女のエイミーはローリーに好意を持っている。後にそれは愛情に変わるけれど、この回想シーン「若草物語」の段階では、単純にジョーと張り合っているという印象。

 

正確なセリフは忘れてしまったけれど、いつもジョーのおさがりや二番煎じで割に合わないという主旨のことを、激怒しながら言っていたので、そういう側面はあったのでしょうが、とにかくいちいちジョーに絡むのはちょっとウザい。

 

それに対してジョーもエイミーをからかうので、とうとうジョーが書いた原稿を燃やしてしまうという暴挙に出る。これはやってはダメでしょう😡 翌日ジョーは口をきいてくれず、ローリーと出かけてしまう。どうしたらいいかメグに聞くと、追いかけて謝りなさいと言われる。

 

追いかけて来るエイミーを無視して、凍った湖を滑るジョー。その時、氷が割れてエイミーは湖に落ちてしまう。ジョーとローリーが必死救出。そこでエイミーが謝罪して和解。ここはフローレンス・ピューも体を張ってホッコリするシーンなのでしょうが、とにかくエイミーのキャラがウザい💦

 

現在部分のことも考えてのキャスティングなのでしょうが、フローレンス・ピューに四女の幼さがないため、ただのワガママでイタイ女に見えてしまう。そういう意味ではミスキャストだったようにも思うのだけど、現在部分がとても良かったので相殺かな🤔

 

一方、長女のメグは愛を実らせ家庭教師のジョン・ブルックと結婚。貧乏人との結婚は苦労すると嫌味を言うマーチ伯母の予感は当たらるとも遠からず。伯母に本を読むアルバイトをしているジョーは、パリに連れて行ってもらくことを夢見ていたけれど、絵の才能を見込んでエイミーを連れて行くことになりガッカリ😞 このエイミーとのパリが現在のシーンにつながっている。

 

たしか、このメグの結婚式の帰りにローリーがジョーにプロポーズする。その気配を察知したジョーは言わないでと遮る。今まで何度も告白の機会をはぐらかされてきたローリーは一歩も引かない。このシーンはかなり熱い愛の告白シーンとなっているけれど、少女マンガ好きな人ならきっと好きでしょう😍

 

予想通りジョーはこのプロポーズを断ってしまう。そして傷心のローリーはパリへ旅立ってしまい、現在パートでエイミーと再会するという流れになっている。

 

さて、いよいよ現在! 今作終盤までは現在のジョー、現在のエイミー、回想シーで3つの視点と、時々現在のメグの視点も入ったりと意外に視点が飛ぶけど、分かりずらいのでまとめて書く。

 

まずは、パリのローリーとエイミー。要するにこの2人結婚するのだけど、パリで少し絡んだ後、恋人として公認の間柄だったヴォーンのプロポーズを断ってしまったエイミーが、ローリーに思いの丈をぶつけ、それにより自分の気持ちに気づいたローリーが愛を告白しキス。で、次の登場シーンでは、パリから帰国した2人は既に夫婦となっていて唐突! そしてフローレンス・ピューとティモシー・シャラメが姉弟感満載で、2人が夫婦であることが全くしくり来ない💦

 

イヤ別に主役はジョーなのでどうでもいいのだけど、いろいろ挫折して心が折れたジョーがローリーと結婚しようと考えて、愛の告白を書いた手紙を2人のポストに投函したのに、まさかのエイミーとの結婚で失恋してしまうわけなので、見ている側としては2人がお似合いでないと困るわけです。

 

えーと。エイミーがマーチ伯母と一緒に帰って来たのは、ベスが亡くなる前だよね? ジョーが結婚しない道を選択したのは自分なのにとっても寂しいと母に泣きながら言うのは、エイミー帰国後でベスが亡くなる前? ちょっと順番が怪しいけど、とにかくベスは亡くなってしまう。

 

この現在が「若草物語」から何年後なのか分からないけど、ベスはあの猩紅熱以来より体が弱ってしまっていた。誰のせいでもないけれど辛い。ベスがエイミーにお姉さんぶるシーンがあって、ちょっと切なかったのだけど、詳細は失念💦 

 

前述したジョーが泣きながら母に訴えたセリフが、監督グレタ・ガーウィグの気持ちを代弁しているのでは?と言われていたけど、グレタ・ガーウィグって結婚しているよね? まぁ、共同脚本の『フランシス・ハ』でも、理想と現実に悩む女性を描いていたし、今作のアプローチとしてもそんな感じなので、強調したい部分ではあるのでしょう。

 

ジョーの物言いは極端だけど、絶対に結婚しないというわけではなく、従来の「女性には結婚しか道がない」という生き方がイヤなのであって、共に対等な相手としてお互いやりたいことを犠牲にすることなく歩める結婚ならしたいということでしょう。それは現代にも続くテーマでもある。

 

見ている側が生きる21世紀の現代でも、共働きなのに家事全てを女性にさせダメ出しするモラハラ夫がいる始末💦 それも決して少なくないのが現実らしい。まあSNSの情報だからどこまで本当かは分からないけど🤔

 

そういう意味では望んだ相手との間に子供もでき、幸せな家庭を築いているかに見えるメグも貧しさから疲弊。そんな妻の姿に自己嫌悪から辛く当たってくる夫との関係に悩んでいるのも、現在に通じるものでもある。割とあっさり和解するけれども😅

 

ジョーがローリーに愛を告白しようとしたのも、仕事に行き詰まり先行きが不安になったから。でも、ローリーにも言われたとおり2人は上手くいかなかったかもと思う。あと、結婚を逃げ道にしたり、結婚することをゴールにしてしまうのは危険だと思う。

 

そんな中、ベアがジョーを訪ねて来る。カリフォルニアに行くことになったので、途中で立ち寄ったとのこと。明らかにジョーに未練があるわけなのだけど、興味津々の家族の前ではベアもジョーも表面的な話しかできない。結局ベアはジョーに思いを切りだせず、ジョーもその隙を与えることも出来ず、ベアは旅立ってしまう。これは家族が悪いわ😅

 

ベアがマーチ家を去ると、家族はジョーに追いかけるべきだと背中を押し、ジョーはベアを追いかける。駅で彼を見つけ2人はキスをする。どうやら続編はここで終わりらしい? どなたかの感想投稿で見かけた気がする。でも映画には続きがある。

 

タイミングは忘れてしまったけど、火がついたように自分たち家族をモデルにした作品を書き始めたジョー。作品は冒頭の出版社に送られるも、例の社長?は家に持ち帰り放置していたが、それを彼の娘たちが読んで夢中になり、早く続きが読みたいとねだられる。これはいけると社長に呼び出されたジョーは、今度はしっかり交渉する。 多少の妥協はあった気がするけど、きちんと交渉したことを描きたいのでしょう。

 

ジョーが自著が製本されていく様子を眺めているシーンがあるけど、この本が「若草物語」ということなのかな?

 

そして、ジョーは伯母から譲られた屋敷で学校を始めたようで、屋敷内を子供たちが自由に歩いまわるシーンが映って映画が終わったと思うのだけど・・・ 製本過程を眺めているシーンだったかも??

 

ジョーが学校を始めたことは確かで、これは夢だと伯母に話して呆れられているシーンがあったと思う。ジョーに屋敷を残したということは、伯母としてはジョーの夢を叶えたいと思ったのでしょう。前述のシーンにはベアも映ってたので、2人で学校をやっていくということかと思われる。

 

この当時のアメリカの学校経営事情がどんな感じなのか不明だけど、勝手に学校を始めたわけではないと思う。その辺りは描かれないし、ベアとジョーが結婚したのかも不明。続編がベアを追いかけた駅のシーンで終わりなのなら、この学校の部分は映画オリジナル? 今作の終わりとしては、このシーンがあった方が良かったと思う。

 

ジョーが女性1人で頑張るのではなく、自立した女性として夫?と対等に同じ夢を追うというのは、現代においても理想的かと思う。

 

役者たちは皆良かった。前述した理由で四女のフローレンス・ピューはややミスキャストだったかもしれない。とはいえ才能の限界を自覚し、ローリーを愛しく思いながらも、彼の不甲斐なさをたしなめられる女性となった現在パートは良かったと思う。逆にティモシー・シャラメはエイミーに惹かれている描写があまり描かれてなかったこともあるけど、夫婦となってフローレンス・ピューと並んだ時の似合わなさというか、子供っぽさが際立ってしまった気もする。とはいえ、こちらはジョーへの切ない思いがほとばしる告白シーンがとても良かったので相殺。

 

ベテラン勢では伯母のメリル・ストリープが余裕の演技。ミスター・ローレンスのクリス・クーパーが良かった。ミスター・ローレンスは偏屈という噂で皆が敬遠していたけれど、それは娘を亡くした辛い経験から心を閉ざしていたからで、ベスに注ぐ優しいまなざしが素敵✨ とはいえ、ベテラン勢の中で一番良かったのは母のローラ・ダーン。最近、母親役が定番だけど、優しいだけではない強さとユーモアのある母親を好演。

 

そして、この手の役がはまり役という感じのシアーシャ・ローナン。『レディ・バード』に引き続き主演とうことで息もピッタリ。とはいえ、少し役が被っちゃったかも💦

 

いろいろ盛り込み過ぎて、ちょっと散漫というか、ローリーとエイミーの件にしても、ジョーとベアにしても唐突で、とってつけた感があるエピソードも多い。原作未読なので何とも言えないけれど、昔の小説ってそういうちょっと強引というか、唐突なところがあるから、仕方がない部分もあるのかも。

 

とにかく全体的にポップだった。セットも映像もポップ。この感じが「若草物語」の原作の感じと、どの程度合っていて、どの程度違っているのか分からないし、正直に言うと自分の好みとは違っていたけど、これはこれで好きだった。

 

見てから1年以上経っているので、もうとっくに有料放送では放送されているので今更だけど、ポップで楽しく見れるのでオススメ!

 

『ストーリー・オブ・マイライフ / わたしの若草物語』公式サイト

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【cinema】『5月の花嫁学校』cocoオンライン試写

2021-08-06 00:05:00 | cinema

2021.5.14『5月の花嫁学校』cocoオンライン試写

 

久々当選! 直近で当選した作品も韓国映画が邦画が多かったので、久々の洋画。題材が面白そうと思い応募。楽しみに見てみた。

 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「1967年、フランスのアルザス地方。夫と義妹そして老修道女と花嫁学校を経営するポーレット。経営は楽ではないものの忙しく働いていた。しかし、夫の急死で事態が一変し・・・」という感じかなぁ🤔 あまりいいあらすじではないかも。タイトルには実は重要な意味が含まれているのだけど、日本人にはあまりピンとこない。そして意外にもドタバタコメディで思っていたのとは違ってた。内容的にはLGBTや性差別などを盛り込んだ現代的な感じで、最終的にそこを描きたいのだろうなという所に行きつくわけなのだけど、そこまでのドタバタが個人的には合わず😢 そしてラストのアレにビックリ!

 

マルタン・プロヴォ監督作品。監督作品としては『ルージュの手紙』を見ていて、良かった記憶がある。作品のWikipediaは見当たらない💦 なので、公式サイトの監督コメントから映画についてザックリと抜粋。監督の母親は家事と子育てを一人で行った、父親は一家の稼ぎ手であるというだけで、一切手伝わないばかりか、用意が出来たと呼ばれてから食卓につき、誰よりも先に食事が出されることを当然だと思っていた。母親はそういう父に怒っていた。一方で、夏休みになると、子どもたちの世話をするために若い女性たちが雇われた。この女性たちはたいてい農村出身だった。1960年代のフランスの農村は発展しておらず、娘たちは花嫁学校を出て裕福な家庭に嫁ぐか、家政婦になることが多かった。しかし1968年5月以降、花嫁学校が一切なくなった。女性たちは社会に出て、男性たちも家事を担うようになった。ところが最近、女性たちを再び家庭に戻そうという動きがあるのだそう。監督としては、新しい領域とまではいかなくても、女性の側から違った領域に足を踏み入れたいと考えたのだそう。なるほど、そういう思いがあったのね🤔

 

見てから2ヶ月以上経ってしまったし、個々のエピソード自体はホントに日常的なものだったりするので、そんなによく覚えていない💦 細かく描写せずにザックリと書くことにする。順番が前後する場合もあるかも? 毎度どうでもいいと思うけれど、断り書きとして書いておく😌

 

1967年、アルザス地方にあるヴァン・デル・ベック家政学校の校長であるポーレット(ジュリエット・ビノシュ)は、新入生を迎える準備に追われていた。経営者である年の離れた夫ローベル(フランソワ・ベルレアン)のことは、それなりに愛しているし頼りにもしているようではある。疲れたと言っているのにしつこく求められると、うんざりしながらも妻の務めと受け入れる感じは伏線でもあるのだろうけれど、後に発覚する夫の借金含め、彼のダメ男ぶりというか、夫の無自覚の横暴ぶりを表しているのかなと思う。

 

ヴァン・デル・ベック家政学校は、校長のポーレットと、義妹のジルベルト(ヨランド・モロー)、そして寮母でもある修道女のマリー=テレーズ(ノエミ・リヴォウスキー)の3人がそれぞれ花嫁修業を教える。生徒のほとんどが貧しい家庭の少女たち。この時代であってもフランスの地方の貧しい家庭の少女たちの将来は、誰かの妻になって誰かの母になることで、そのための学校が存在していたとのこと。なるほど🤔 

 

実際既に結婚相手が決まっている少女たちもいる。教えている内容が正しい紅茶の飲み方などで、背筋を伸ばして美しい所作でとても素敵ではあるのだけど、これは玉の輿に乗ることが狙いということかしら? じゃなきゃちょっとズレているような気も😅 そのせいなのか年々入学者の数も減っているらしい。

 

思春期の少女たちが20人も集まれば、それなりにドタバタする。初日の寮では枕投げ状態の大騒ぎで、マリー=テレーズを困惑させる。そんな中、少女A(役名を失念💦 公式サイトにもないので分からない💦💦)は少女B(同じく)が気になっている様子で、おそらくそれは彼女に恋しているのだろうと思われる。先に書いてしまうとBはAの思いを知り、最初は拒絶して婚約してしまうけれど、次第にAに惹かれていき、最終的には2人でパリで暮らす約束をする。

 

そんな中、授業中にポーレットが窓の外を見ると、庭でロベールが胸を押さえて倒れてしまう。教室中がパニックになるが、次のシーンではロベールはすでに亡くなっている。夫というだけでなく、経営者を失って途方に暮れる。

 

しかし、ロベールが全財産をギャンブルにつぎ込み、多額の借金があることが発覚! 銀行に相談に行くと、担当者はなんと昔の恋人アンドレ(エドゥアール・ベール)だった。アンドレはポーレットとの再会を喜び、彼女が経営者となり立て直しを図ることを条件に融資を申し出る。うーん😅

 

ポーレットとしては同行したジルベルトの手前、他人を装っているけれど、アンドレはどんどん燃え上がり、ジルベルトが自分に一目ぼれしたことなど気づきもしない。この辺り多分笑わせるところ😅 ポーレットより年上で外見もかまわない感じのジルベルトがときめく感じも含め、中年の彼らがドタバタと恋愛ドラマを繰り広げるのをクスクス笑う感じ。役者たちもコミカルに演じているし、バカにしているわけではない。

 

その後もアンドレはポーレットに猛烈アタック! ロベールを亡くしたばかりだからと拒否していたポーレットもついにはその気になる。結構2人の恋のドタバタシーンが続く。アンドレはポーレットの部屋のベランダをよじ登る始末。しかし、雨どい的なモノが外れてしまい、危うく落ちそうになってしまう。この期に及んでアンドレの愛情を確かめるポーレットに、必死でつかまりながら料理のレシピをそらんじる。これは要するに家事は女性だけのものでなはいという描写なのかなと思うけれど、どうにもドタバタ過ぎる😵

 

さらに学校がテレビで紹介されることになり、やはりドタバタして女性レポーターを呆れさせるシーンなどがあるけれど割愛😌

 

えーと💦 ちょっと記憶があやふやどころじゃなく覚えていないのだけど、たしか意に沿わない結婚をすることになった女子生徒が家出しちゃったんだっけ? 何かがあって全員で逃げなきゃならくなったような??🤔 とにかく全員で歩いていると、平等を唱えるデモ行進に遭遇する。するとポーレットの中でずっと抑えていたものが爆発! 行進に加わって歩き出す。生徒たちもこれに続き、そのうち歌い踊り始める。まるで『ラ・ラ・ランド』(感想はコチラ)のオープニングを思わせる状態となり映画は終わる。

 

どうやらこの運動は五月革命もしくは五月危機(Wikipedia)と呼ばれるもので、フランスではタイトルだけで何を描こうとしているのか分かるらしい。まぁ、その辺りを知らなくてもポーレットたちが目覚めるのだろうことは想像がつく。学校の授業が今見たらあまりに時代錯誤なので。ただ、まさかのミュージカルになるとは思わなかったけど😅

 

正直、ドタバタが苦手で重いテーマを含んでいることは承知しつつも、これは合わなかったなーと思っていたけど、この『ラ・ラ・ランド』的なシーンでどうでもよくなった😅 終わりよければすべてよし的な。よく考えると何も解決していない気もするけど、でもきっと彼女たちは逞しく生きて行くのだろうという希望に満ちたラスト。かなり力技な気もするけれど😅

 

キャストは久々に見たジュリエット・ビノシュに勝手にいろいろ感慨深かった以外は特にないかな🤔 生徒たちの中でA役の子が良かったと思うのだけど、前述どおり公式サイトにも紹介がないので何も分からない。義妹のヨランド・モローのおとぼけぶりも良かった。

 

個人的にはちょっと合わない部分もあったけれど、なんとなく日本より進んでいるだろうと思い込んでいた欧米での男女平等。ほんの数十年前のフランスでもこんな感じだったのかという部分や、サラリとLGBTを入れ込んで来たり、ポーレットとアンドレの新たなカップルの在り方、そしてラストの目覚めなどをコミカルに描いていて重くなり過ぎずに見れる。

 

ポーレットの衣装の変化も興味深い。ピンク色のタイトスカートのスーツから、ゆったりしたパンツスタイルへ。ポーレットの心の変化を魅せるのも良かった。

 

ちょっと疲れた時など、重くないけどしっかりテーマがある作品を見たい時にオススメかも? 

 

『5月の花嫁学校』公式サイト

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【cinema】『ミッドサマー』

2021-05-24 00:54:28 | cinema

2020.02.22 『ミッドサマー』鑑賞@TOHOシネマズ錦糸町オリナス

 

公開を知ってからずっと待ってた。試写会応募したけどハズレ😢 ということで、公開翌日見に行ってきた〜

 



ネタバレありです! 結末にも触れています!



「不安症の治療を受けている女子大生のダニーは、両親と妹を亡くしてしまう。恋人のクリスチャンはダニーを持て余していたが、別れることも出来ず、友人たちと計画していた仲間のペレの故郷スウェーデンの村への旅にダニーを誘う。5人は90年に一度の祝祭の準備をする村人たちから歓迎されるが・・・」という話。ホラーということになっているけれど、監督も言ってたようにこれは失恋の話なんだと思う。かなりとんでもないことになってしまうので、ホラーであることは間違い無いけど、白夜の晴天下で繰り広げられる儀式が、不気味ながらどこかコミカルで、時々クスッと笑ってしまう。前作の方が好みだけど、今作も好き。



アリ・アスター監督作品。長編作品は2作目。見たかった理由は前作『ヘレデタリー 継承』(感想はコチラ)が好きだったからで、公開年のベストに入れた。



作品について毎度のWikipediaから引用。『ミッドサマー』(Midsommar)は、2019年公開のアメリカ合衆国スウェーデン合作のホラー映画。監督はアリ・アスター、主演はフローレンス・ピュー。原題は、スウェーデン語夏至祭(ミィドソンマル)を意味する。

 

2018年5月8日、A24がアリ・アスター監督の新作映画の製作を開始しており、全米配給をも手掛ける予定だと報じられた。製作サイドから「スウェーデンを舞台にしたホラー映画の監督を務めて欲しい」とのオファーを受け取ったとき、アスターは「ストーリーを思いつけそうにない」という理由で断ろうとした。しかし、何とかアイデアを閃くに至ったため、そのオファーを受けることにしたのだという。7月30日、フローレンス・ピュー、ジャック・レイナー、ウィル・ポールター、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、ヴィルヘルム・ブロングレンらがキャスト入りした

 

2019年3月5日、本作のティーザー・トレイラーが公開された。5月14日、本作のオフィシャル・トレイラーが公開された。6月18日、本作はニューヨークアラモ・ドラフトハウス・シネマでプレミア上映された。なお、アスター監督は現行版より30分以上長いエクステンデッド版を世に出すつもりだと述べている(元々、本作のファースト・カットは3時間45分にも及ぶ長大なものであった)。2019年8月17日、本作のディレクターズ・カット版(上映時間171分)が初めて上映された。日本では2020年2月21日からR15+指定で上映されたのち、ディレクターズ・カット版が同年3月13日からR18+指定で上映された。なお、本作の主要撮影ハンガリーブダペストで行われた

 

本作は『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』と同じ週に封切られ、公開初週末に700万ドル前後を稼ぎ出すと予想されていたが、その予想は的中した。2019年7月3日、本作は全米2707館で公開され、公開初週末に656万ドルを稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場6位となった。本作は批評家から絶賛されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには71件のレビューがあり、批評家支持率は89%、平均点は10点満点で7.93点となっている。また、Metacriticには23件のレビューがあり、加重平均値は72/100となっている。なお、本作のシネマスコアはC+となっている



さて今作、アメリカからスウェーデンまで移動しているものの、場面というか舞台となる場所はあまり変化しない。いくつかショッキングな出来事はあるし、後半に向けていろいろ動くけど、基本特別"何か"が起きるわけではないのに全体的にどうかしていて、それがものすごく不安で不気味。その感じをジワジワと味わう作品となっている。なのでシーンごとに詳細を書いても伝わらない。新型コロナウィルスのおかげで、なんとなく感想書く気が起きず、見てから2ヶ月以上経ってしまったため記憶も薄れがち。ということで、ザックリとした感想になるかと思われます。毎度どうでもいいと思うけれど断り書きとして書いておく😌

 

冒頭、主人公である女子大生のダニー(フローレンス・ピュー)が誰かと電話しているシーンから始まる。精神が不安定な妹のことを恋人のクリスチャン(ジャック・レイナー)に相談しているのだった。どうやら、こういう相談は毎度のことらしくクリスチャンは少々うんざりしている様子。ダニーはそれを敏感に感じ取っており電話を切った後、友人に彼に嫌われてしまうのではないかと相談している。その割に不安からか再びクリスチャンに電話をしてしまう。

 

クリスチャンは友人たちと一緒に飲食店におり、友人たちもダニーにうんざりしている様子で、特にマーク(ウィル・ポールター)は早く電話を切るように言ってくる。クリスチャンは彼らのことも気にしつつ、それでもダニーと別れる決心もつかないらしい。一度電話を切るも、直ぐに電話がかかって来る。うんざりしながら電話に出ると電話口でダニーが泣き叫んでいる。

 

実はダニーの妹が両親を巻き込んで自殺してしまったのだった。このシーンはたしか実行しようとしているところから見せていたように思ったけどどうだったかな? とにかく、カメラが両親の寝室に入ると両親がベッドの上で眠るように亡くなっており、その部屋から廊下に出て妹の部屋に行くと、ガスマスクのようなものを付けた妹が倒れている。たしかガレージからホースのようなものをつないで車の排気ガスを吸って亡くなったんじゃなかったかな? 

 

この導入部からダニーの情緒不安定さや、クリスチャンの煮え切らなさ、マーク以外の友人たちの無関心さと、マークの嫌なヤツ感にイライラされされていたところに、いきなりのショッキング映像でビックリする。この妹による両親を巻き込んだ心中については、見ていた通りなのか、これにも意味があるのか明言されないので不明なのだけど、個人的にはこれも全体の流れの一つなのだと思っている。

 

さて、不幸な出来事で家族を失ってしまったダニーといよいよ別れられなくなってしまったクリスチャン。彼はダニーをパーティーに誘うが、その席でクリスチャンがマークたちと友人で留学生のペレ(ヴィルヘルム・ブロングレン)の実家のあるスウェーデンのホルガに旅行する計画があることを知る。全く知らされていなかったダニーはショックを受けクリスチャンを責めるけれど、クリスチャンと口論になると、彼を責めてはいないと言って見ている側をイラ立たせる。

 

イヤ、旅行の計画があるのに話してくれなかったのはクリスチャンが悪いと思うので、そこは咎めていいと思う。でも彼に愛されている自信がないダニーは、卑屈な態度をとってしまい、それがクリスチャンにさらに罪悪感と面倒くささを感じさせてしまう。不幸があったダニーと別れられないのは分かる気がするけれど、何事もハッキリしないクリスチャンにもイライラする。そしてこれは伏線でもある。

 

結果、クリスチャンはあろうことかこの旅行にダニーを誘ってしまう。イヤ、たしかにマークたちは恋人クリスチャンの友人だけど、この短い間に見せられていた感じだと、ダニー自身がマークたちと友人づきあいをしていたようには見えない。そんな中に女1人で参加するかね?と思ったりする。

 

その辺りがクリスチャンの思惑で、結局ダニーは断るだろうと思っていたのに、まさかの参加で友人たちをげんなりさせる。特にマークはあからさまに態度に表す。ジョシュ(ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)はマークほどではないけれど、話しかけても素っ気ない態度。この辺りの人間関係の描き方が絶妙。こういう腹の探り合い的なことってアメリカ人でもあるのね。

 

そんな中、一人ペレだけは親切にしてくれる。ダニーの話を聞いてくれて、家族に起きた悲劇にも同情を寄せてくれる。そんなペレの言葉にこみ上げるものがあったダニーはトイレにこもってしまう。すると、そのトイレが飛行機内のトイレの映像になる。この見せ方はおもしろいのと同時に、時空の歪みのようなものを感じて不思議な気持ちになる。

 

どうやらダニーの家だったか、この時集まっていた部屋(クリスチャンの部屋?)だったかの壁に掛けられていた絵? タペストリー? にネタバレというか、その後を暗示する内容が描かれていたそうなのだけど、自分は全く気付いていなかった😅 タペストリーによるネタバレは後にもっと明確な形で示される。

 

スウェーデンに着いた5人は車でホルガへ向かう。この時、彼らの車が走るのを空から映した映像が逆さまになったりする。ここから不思議な世界への入り口ということなのだなと思ったりする。見ている側にそれを知らせるだけでなく、ぐるりと回転する映像を見ることで酔ったような感覚になる効果もあるのかも?🤔

 

途中のキャンプ地のようなところでペレの兄たちと落ち合う。兄はイギリスに留学しているらしく、友人のサイモン(アーチー・マデクウィ)とその恋人のコニー(エローラ・トルキア)を連れていた。彼らはそこでドラッグを楽しむようで、ダニーにも勧める。ダニーが断るとマークが楽しい雰囲気がぶち壊しだというようなことを言う。仕方なくダニーも参加する。ここでダニーのトリップと共に映像が乱れて、見ている側も同じ感覚を味わう。

 

このダニーとクリスチャンの友人たちの距離感、特にマークとの関係が絶妙。ダニーのように自己主張は激しいのに人の顔色をうかがうところがあるタイプの人にとって、露骨に態度に表すマークのような存在が気になって仕方がない。マークに好かれたいと思っているわけではないと思うけど、誰だって嫌われるのはイヤだし相手が露骨に自分に対して不快感を見せていればいい気はしない。たいていの人はそういう人物は避けるものだけど、ダニーはあえて空気を読まずマークの領域に踏み込んでしまうところがあるのかなと。もちろんマークのような人を肯定しているわけではない。

 

さてホルガに到着。そこは広めの草原のような場所で、ロッジのような建物がある。民族衣装姿の老若男女が4人を歓迎してくれる。早速、野外ステージのような場所で、彼らを歓迎する儀式のようなものが始まる。どうやら今年は90年に一度の祝祭が行われるらしい。タイトルのミッドサマーはMidsummerではなくて、Midsommarでこれは夏至祭という意味。ペレはこの夏至祭にクリスチャンたちを誘ったわけで、ジョシュはこの地方の夏至祭をテーマにレポートを書こうとしているのだった。

 

90年に一度って結構長いターンで、前回体験した人が生きていたとしても子供だよね? タイミング的に一度も体験できずに亡くなる人もいるわけで、後から考えるとかなり重要なお祭りのようなのだけど、何故90年なのかしら?🤔 しかもこの後起きるショッキングな儀式によると、ますます90年という長さの意味が分からない😅 これ何か説明あったかな? 忘れてしまった💦

 

村人たちは揃いの民俗衣装を着ているだけでなくて食事も一緒で、寝る場所も一緒だった。上手く説明でいないけど、大きな楕円形の納屋のような建物の壁に沿ってベッドが並ぶ。バルコニー状の2階部分にもベッドが並び、そこに男女の区別なく全員で寝るということらしい。不思議。つまり彼らにはプライベートはないということ。トイレやお風呂の事は全くストーリーに関係ないためか出てこなかったように思う。飛行機につながってたトイレ描写はこの辺りのことも暗示してたのかな?

 

夏至祭のことがよく分かっていないのだけど、季節は夏なのかな? この辺りでは白夜らしい。夜のシーンもあったと思うけれど、昼間のように明るい時間が続く。あえてそういう演出になっているのだと思うけれど、見ている側の曜日の感覚がなくなっていく。前述したとおり、ショッキングな出来事もあるけれど、何かが変だというような事がジワジワと続く感じで、それがより異世界に迷い込んだような感じになっていく。その感覚がおもしろい。ただし、それらをキチキチ書くことが出来ないし、順番などが違っているかもしれない。

 

いきなり起きたショッキングな出来事は、全員での食事のシーンから始まる。屋外にテーブルを並べて全員で食事をとる。不思議な配列の食卓は、何か意味があるのかもしれない。この食事のシーンは何度か出て来るけれど、都度フォーメーションが違っていたと思う。

 

食事の後、老齢の男女が輿のようなもので運ばれて行く。村人たちもそれに続き、ダニーたちにもついて来るように指示する。この指示の仕方もジェスチャー的というかニュアンス的というか。強要しているわけではないけど、断れない雰囲気。

 

男女は数人の村人と崖の上にいた。見ている側もダニーたちと共に嫌な予感がする。老婆が崖の上から飛び降りる。彼女は上手く死ぬことが出来た。次に老人が飛び降りるも脚から落ちてしまい、重傷を負うものの即死とはいかなかった。すると村人たちが木槌のようなもので、老人の顔を叩き潰す。当然ながらダニーたちはパニック。見ている側もどうかしていると思いつつも、あまりのことに笑ってしまう。ちょっと顔作り物感あったし😅

 

何故こんなことをするのかと問うと、この村では70歳になるとこの儀式を執り行い命を終えるのだそう。スウェーデンの法律がどうなっているのか不明だけど、自殺を推奨してはいないと思うし、あきらかに殺人行為をしているので、これは儀式であって、自分たちにとって正しいことだと言われても、とうてい許されることではない。

 

この出来事だけで十分とんでもない所に来てしまったと思うし、帰りたくなって当然だと思うけれど、何故だかダニーたちは留まっている。一度も帰ろうとしなかったように思うけど違ったっけ? 

 

2021年5月24日から続きを記載

 

見てから1年以上経ってしまったけど、せっかく途中まで書いたので書き上げることにする! でも、もう詳細は覚えていないし、順番もあやふや。なので覚えていることを適当に書いておく😌 

 

老人が崖から身投げするという衝撃的な出来事の後、カップルの男性が行方不明になり、女性が半狂乱で探すも見つからず、彼女自身もいなくなる。彼女の方はその後どうなったか忘れてしまったけど、男性の方は後に小屋の中で両手両足を四方にくくり、うつぶせに吊るされた遺体で発見される。生きたまま背中を裂かれたり、目をえぐられたりしたようだけど、明るい日差しの中で発見された遺体はグロテスクという意味での怖さではなく、何かが狂っている。しかも、どこか陽気というか妙な明るさを感じて不気味。

 

その後も論文の取材のために禁断の所に触れようとしたジョシュや、聖なる木とは知らずにオシッコをかけてしまったマークが遺体で発見される。それぞれおかしな装飾がされていたと思う。まぁ、みんな殺されちゃうんだろうなと思って見ているから別に驚かないし、その殺され方もどこかコミカルというか、前述したとおり妙な明るさがあるので、いわゆるホラーの陰湿な怖さではなく、全く理解できないおそろしさがある。

 

この感じがダメだと今作は全くダメかもしれない。理解不能なものを楽しむというか・・・ 人が殺されてしまうので不謹慎なのだけど、アトラクションを楽しんでいるような感覚。

 

さて一方、ある少女がクリスチャンに熱い視線を送って来る。この少女がクリスチャンに恋しているのは間違いないようだけれど、美少女ではあるものの、どこか病的な執拗さを感じてクリスチャンと共に見ている側も薄気味悪さを感じる。

 

少女の行動はどんどんエスカレートしていき、隙あらばクリスチャンに迫ってくるようになる。そして、それを周りの女性たちが後押ししている様子。じわじわと取り囲まれていく感じが不気味。

 

そしてとうとうクリスチャンはある儀式に参加させられてしまう。祭壇のようなところの床に、円形に花(だっかな?)が飾られており、その中央にあの少女が裸で寝ており、クリスチャンに向かって足を開く。そして、全裸の様々な年齢の女性たちが呪文のようなものを唱えながら、クリスチャンを取り囲む。最初は抵抗していたクリスチャンも、彼女たちとともにトランス状態となり、結局少女と交わってしまう。

 

ダニーはその一部始終を見てしまう。ショックを受けたダニーを別の女性たちが取り囲む。ダニーが泣き出すと、女性たちも一緒に泣き始める。こちらもクリスチャンと同様に、女性たちとともにエスカレートしていき、ダニーと女性は泣き叫び始める。これは一体・・・ もうわけが分からない😣

 

クリスチャンのことは性的な儀式として説明がつくけれど、ダニーのことは一体なんなのかさっぱり訳がわからない。何を魅せられているのか? とにかく妙な明るさと不気味さが本当に気持ち悪い。

 

クリスチャンはその後、どこかに監禁されたんだっけ? とにかく、その後ダニーも加わり女性たちは「花の女王」を決めるダンス大会を始める。円形になってぐるぐる回り、倒れた者が脱落していく。これを何度も繰り返し、結局ダニーが女王になる。ハッキリそう描かれはいないけれど、おそらくこれはやらせでしょう。何故ならこの後、女王となったダニーは残酷な決断をするハメになるから。

 

どの段階で種明かしがあったか忘れてしまったのだけど、この村では何十年かに一度外の血を入れるため、使命を帯びた者が外の人間を村に連れて来て、村の物と交わる儀式をしていたのだった。この年がちょうどその儀式の年であり、その任務を担っていたのがペレであったということ。

 

ダニーたちはその目的のために村に連れてこられたのだった。ペレの使命としては村の少女と交わる男性を連れて帰ればOKだったのかな? ペレはクリスチャンとは友人関係だったけど、ダニーはあくまでクリスチャンの恋人というだけであって、半ば強引について来ただけだし。でも、情緒不安定なダニーに親切だったのはペレだけだったので、ダニーを女王候補にという計画もあったのかしら?🤔

 

とはいえ、村には結構な人数の男女がいるわけで、何年だか何十年だかに一度、村の少女が外の男性との間に子供をもうけたとしても、そんなことくらで血が薄まりますかね? さらにたった一度の儀式で妊娠するとは限らないよね? もちろん、そういう確率の高い日を選んで儀式を行うのだろうけれど、それにしたって絶対というわけではないし・・・ とか思ったり。

 

さて、この儀式にはまだ続きがあった。村に来て直ぐにダニーたちが気にしていたあの建物。あれは神に対する捧げものの建物だった。彼らの中では神の捧げものになることは大変良いことのようで、ペレの兄ともう一人の男性が自ら志願して捧げものとなることが決まっている。ただ、彼らだけでなくメインの捧げものが必要なようで、どうやらそれに選ばれたのがクリスチャンらしい。そして、その決定をするの花の女王の役目。

 

必死に懇願するクリスチャンの姿に、ダニーは泣きながら拒否しようとはするものの、最終的に彼女がどういう答えを出すのかは、見ている側には分かっている。怖い😱 

 

例の建物の中央には熊の毛皮を着せられたクリスチャンが座らされている。クリスチャンは既に体が麻痺する薬を与えられているようで、意識はあるものの、体を動かすどころか声も出せない。建物の中にはクリスチャンと共に捧げものとなるペレの兄と別の男性もおり、村の男性たちが彼らにこれからの手順などを説明している。意識はあるのでクリスチャンには聞こえている。ペレの兄たちは望んで死ぬわけだけど、クリスチャンは当然死にたくはないわけで、さらにどうやら生きたまま焼かれるらしい。怖すぎる😱 

 

ペレの兄と男性には儀式担当者から飲み薬のようなものを与えられる。これを飲めば炎の熱さは感じないというのだった。本当かしら? そんな薬聞いたことないけど🤔 と思うけれど、もうペレの兄たちはウキウキなわけです。

 

このペレの兄たちの心の動きが"信仰"なのか、何なのかよく分からないのだけど、現在の人生に辛いことや苦しいことがあるわけではないのに、実態のない"もの"に対しての捧げものになるため、焼け死ぬことを幸せと思う気持ちが全く理解できない。理解できないから怖い😱 怖いのだけど、これって自爆テロとか現実で起きていることでもあるわけで、その辺りのことも描きたいのかなと思った。深読みか?

 

とにかくペレの兄たちが幸せそうなのが怖いし、熱さを感じない薬を与える男性たちも怖い😱 それが本当に効果があるのか確かめたことはあるのか? 効果があると思い込んでいるのか? 効果がないことを知っているのに嘘をついているのか? 

 

クリスチャンがどんなに助けて欲しいと思っても、火はつけられてしまう。どんどん火が燃え上がり、建物内に広がっていく。最初はウキウキしていたペレの兄たちも、煙と熱さに耐えられなくなっていく。彼らの絶叫が響く中、建物は燃え落ちていく。やっぱりね・・・

 

映画はダニーのなんともいえない笑顔のアップで終わる。ダニーは一部始終を見ていて、泣き叫んでいたけれど、最後の表情を見ると、この村のあらゆることを受け入れたのだなと思った。ダニーが今後も村の花の女王として生きて行くのか、用済みとなったらクリスチャンたちのように殺されるのかは不明。

 

でも、ずっと家族に問題を抱えていて自分も精神的に病み、クリスチャンにも疎まれ、さらに妹に両親を殺され、さらにその妹にも自殺されたダニーには、失うものも帰る場所もないわけで。しかも、いくら恋人の裏切りを目撃してしまったとはいえ、結果的に彼を殺す決断を下したわけだから、もうこのどうかしている社会を受け入れるしか自分を保てないかもしれない。

 

とにかく、終始どうかしているし、舞台がアメリカだった時から人間の嫌な部分を魅せられてどんより。なのに村ではずっといい天気で、村人たちはガーリーな服装だし、花の女王となったダニーが文字通り花で埋め尽くされた姿など、色彩がポップで妙に明るいので、なんだかそんなに酷いことをしているわけじゃない気がしてくる。そしてそれがとても怖い😱 

 

でも最後のダニーの表情に何故かホッとしてしまうというか、晴れやかな気持ちになっている部分もある。なんだろうやっと終わったってことかも😅

 

キャストは皆良かったけど、なんだか作品自体が強烈過ぎてもうよく分からない💦 とにかくフローレンス・ピューがすごかったとだけ書いておく。そうそう! 崖から飛び降りた老人を演じたのは『ベニスに死す』の美少年役ビヨルン・アンドレセン。全く面影なくてビックリ😅

 

ディレクターズカット版だっけ? 長尺の方も見てみたい気がするけれど、また見る勇気がない😣

 

見てから1年以上経ってしまったので、DVDなどレンタルできるし、有料放送や配信サービスなどでも視聴可能。なんとも言えない嫌な気持ちになりたい人オススメ!

 

『ミッドサマー』公式サイト

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【cinema】『ミアとホワイトライオン 奇跡の1300日』オンライン試写

2021-05-18 00:54:23 | cinema

2021.02.22 『ミアとホワイトライオン 奇跡の1300日』シネマカフェ オンライン試写

 

シネマカフェさんのオンライン試写に当選 いつもありがとうございます! チラシのホワイトライオンのかわいさに惹かれて応募。楽しみに見てみた。

 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「南アフリカでライオンファームを営む家族と暮らすミアは、家業を嫌い、以前住んでいたロンドンに帰りたがっていた。しかし、ファームで生まれたホワイトライオンの赤ちゃんと心を通わせて・・・」というあらすじは導入部で、実はかなり重い問題をテーマとした映画だった。一見、少女の成長と家族の再生を描いているように見せて、本当に描きたいのは別にある。そのため、軸になっている家族の物語部分がとってつけたようだったり、いろいろ強引だったりもするのだけど、子どもでも見やすい作品になっていると思う。是非、いろんな層の人に見て、ライオンや動物たちの現状を知ってもらいたいと思った。

 

ジル・ド・メストレ監督作品。正直、全く存じ上げなかったのだけど、どうやらドキュメンタリー作品を多く手掛けてきたそうで、なるほどドキュメンタリータッチではあった。映画について毎度のWikipediaから引用。

 

『ミアとホワイトライオン 奇跡の1300日』(原題: Mia et le lion blanc) は、ジル・ド・メストレ監督がメガホンをとり、ダニア・デ・ヴィラーズ、メラニー・ロラン、ラングレー・カークウッドが出演した。この映画は、2018年12月26日にフランスで公開され、2019年4月12日に米国で公開、日本では2021年2月26日に公開されることが決定した。この映画は、監督の妻であるプルーン・デ・メストレが南アフリカのライオン飼育場を訪れた後に書いたオリジナルの物語に基づいている。脚本はプルーン・デ・メストレとウィリアム・デイヴィスが担当している。

 

とのことで、後はあらすじとキャスト情報のみ。今作の情報として一番重要な部分が抜けているので、公式サイトから抜粋。

 

少女とライオンの関係性をリアルに描くため、ヨハネスブルグ近郊で野生動物保護区を所有・運営している動物研究家で保護活動家のケビン・リチャードソンが撮影に参加。実際に3年を超える年月をかけて撮影され、少女とライオンの友情はもちろん、南アフリカの大自然が映し出されたCGなしの圧巻の映像が完成した。

 

主人公・ミアには、300人以上から抜擢されたダニア・デ・ヴィラーズ。11歳だったオーディションの日の出会いから時間をかけて築き上げられた小さなホワイトライオンとの信頼関係を元に表現されるフレッシュかつ体当たりの演技で、多感な時期の少女の成長の機微が説得力を持ってフィルムに収められた。

 

とのこと😌 今作で一番伝えたいことについては、感想の中で書いていくことにする。

 

11歳のミア・オーウェン(ダニア・デ・ヴィラーズ)は、父親のジョン(ラングレー・カークウッド)、母親のアリス(メラニー・ロラン)、兄ミック(ライアン・マック・レナン)の4人家族。祖父が残したライオンファームを引き継ぐため、ロンドンから移住してきた。兄のミックは心に問題を抱えており、母親は彼にかかりきり。父親は仕事で忙しく、新しい環境に馴染めず友達のできないミアは孤独だった。

 

11歳というそろそろ思春期という時期に、ロンドンからいきなりアフリカの荒野への移住という環境変化はキツイ💦 兄が何故心に問題を抱えてしまったのかというのは、後に種明かしがされるのだけど、それなら何故戻って来たのかと思ったりするし、いろいろ粗い部分もある。反抗期でもあるミアもかわいくない😅 

 

一家が何故南アフリカに来たのかという詳しい説明はなかったように思う。後に唐突にミアの祖父が経営を始めたというセリフがあり、なるほど家業を継ぐために来たのかとも思うのだけど、ちょっと取って付けたようではある。でも、描きたいテーマが先ずあって、そこに持っていくための道筋として、少女とライオンの友情を描くことにしたのだろうから、取って付けた感は仕方がない。正直、前半は退屈だったりするけど、そこは我慢して欲しい😅

 

ライオンファームの仕事内容としては、ライオンを飼育して動物園などに売るというもの。この仕組みは知らなかった。なるほど、動物園にいる動物たちは、いきなり野生動物を捕まえて動物園に連れて来られたわけではなく、専用に育てているというわけなのね。などと呑気に考えていたら、後に衝撃的な事実が判明する。

 

ライオンファームでは現地の黒人スタッフも働いており、家では黒人の家政婦もいる。後に、両親たちよりも、この家政婦の方が正しい意見を言うのは、人種差別的な部分についての配慮もあったりするのかしらと、思うのは考え過ぎかな?🤔

 

さて、前述したとおり孤独感から反抗期に拍車がかかって、誰にでも突っかかっていくスタイルのミア。クリスマスの夜、父親がファームで生まれたホワイトライオンの赤ちゃんを連れて来る。ミックは喜びチャーリー(トール)と名付ける。ミアは興味がないという態度だけれど、チャーリーはミアに懐いてしまう。

 

チャーリーどんな時もミアから離れない。最初は迷惑がっていたものの、そのうちミアの方でも情が移り、かわいがるようになる。前述したとおり、今作は3年間かけて撮影し、チャーリーはじめ動物とのシーンはCGなしとのこと。チャーリーとミアの友情は実際に育まれたもの。とにかくチャーリーがかわいくて、次第にミアの表情もやわらかく、かわいくなっていく。

 

ホワイトライオンという珍しさからファームの人気者となったチャーリー。チャーリー目当てで観光客がやって来るようになる。とはいえ、いくらかわいくてもチャーリーはライオンなので、体大きくも力も強くなってしまう。チャーリーはじゃれているつもりでも、従業員にケガをさせてしまう事態も起き、両親の悩みの種でもあった。

 

学校の旅行の途中でチャーリーが心配で帰って来てしまったり、カギをかけ忘れてチャーリーが脱走してしまったりと、ミアの勝手な行動や不注意が問題視される中、決定的な出来事が起きてしまう。

 

ミアがこっそりチャーリーに会いに行くと、そこへミックがやって来る。ミアはミックにチャーリーに触れてみるように言うけど、ミックは消極的。それでも強引にミックを誘う。イヤな予感しかしない。案の定、じゃれようとしたチャーリーに怯えたミックが転倒し頭を強打してしまう。

 

チャーリーは悪くないとミックも庇うけれど、結果として両親はチャーリーをもう置いておけないと考えて、売ることにしてしまう。この売る相手が大問題!

 

このダークという人物は早い段階からチラチラ出て来る。タンクトップ姿のアリスをいやらしい目つきで見たりと、絵にかいたような嫌な奴。そして、彼のやっている商売については、父親もよく思っていないので、何度も彼にライオンを売ることを拒否してきた。しかし、ファームの経営は厳しく借金がかさんでいたこともあり、父親はこの人物にチャーリーを売ってしまう。

 

チャーリーをサーカスに売ると聞いたミアは、別のライオンを運ぶトラックの荷台に潜り込む。到着したのはダークが経営する施設。この施設では観光客相手に、囲いの中に放した動物を銃で撃たせる「缶詰狩り」を行っていたのだった。

 

実際にライオンが撃たれるシーンこそ映さないものの、人の手で育てられ人間を信じているライオンに向かって、白人女性がライフルを構えるシーンは衝撃的で、本当に腹が立った。野生動物を狩るハンティングも容認しがたいのに、自分たちの楽しみにのために育てた動物を撃ち殺せる神経が分からない! 

 

ミアはチャーリーを自然保護区に連れて行くことを決意。これにはミックと家政婦も協力してくれて、トラックで出発するが、道のりは遠い。

 

一方、事情を知ったマリアはジョンに激怒。実は一家がロンドンへ移住したのは、マリアと幼いミックが「缶詰狩り」を目撃してしまい、ミックが精神的に病んでしまったことが原因だった。家業を継ぐため南アフリカに戻って来る際に、絶対に「缶詰狩り」のために動物は売らないと約束したのに、借金返済のためとはいえジョンはその約束を破ってしまったのだった。

 

イヤ、借金しなきゃ家業が成り立たないなら辞める勇気を持とうよ。ロンドンで一家がどういう暮らしをしていたのか分からないし、そもそも息子が精神的に病んでしまっているのに、そのトラウマとなった家業を継ぐ気持ちが全然理解できない。まぁ「缶詰狩り」について問題提起するため、そこに結び付けようと強引な展開となってしまったのかも。

 

さて、トラックで出発したミアとチャーリーは、早速ガス欠になってしまい徒歩で保護区を目指す。たしか、保護地区に向かうように教えてくれたのはミックで、その際に距離なども教えてくれたように思うけど、徒歩で向かうとどのくらい時間がかかるのかは不明。そもそも少女とライオンが歩いて行ける距離なのか? 

 

いくら百獣の王ライオンと一緒とはいえ、夜の平原は危険なのではと思うけれど、木の上で寝たりとそれなりに危険回避はしていた。しかし、途中で水が無くなったりと大変そう。

 

さらに、ミアがホワイトライオンを逃がそうとしていることはニュースになり、チャーリーを射殺する命令を受けた警察?軍?が派遣されてしまう。当然、父のジョンもミアを探しに向かい、さらにチャーリーを撃てると客を連れたダークも2人を追う。こいつホントにムカつく😡

 

まんまとダークたちに見つかってしまうミアたち。必死に抵抗するミアを突き飛ばすダークにチャーリーが襲い掛かる。これダークとハンターは逃げたんだっけ? 忘れてしまった😅 もともとハンティング目的で追ってきているわけだし、襲われたなら射殺してしまう気がするので、このシーンは完全にハラハラさせる目的だと思うけど、必要なかったかも。

 

さらに、ミアたちを探しにきたジョンが現れる。当然ながらミアは「缶詰狩り」にチャーリーを売ろうとしていたことを責める。ジョンは祖父の頃からやっていたことであり、それが南アフリカの収入源でもあるという衝撃的な発言をする。まさかの合法。ミアは麻酔銃を撃ちジョンを眠らせ、再びチャーリーと保護地区を目指す。イヤ、そのまま放置は危険じゃない? というツッコミはしちゃダメですかね😅

 

さんざん、何もない平原を通って来たミアとチャーリーだけど、何故か急にショッピングセンターを通り抜けることになる。ショッピングセンターがあるということは、それなりの街があるということだと思うけれど、保護区の近くにそんな街が? とはいえ、これは人間たちに対するミアとチャーリーのデモ行進ということかも。深読みか?🤔

 

ショッピングセンターを通り抜けるなど無謀なことをしたら、その時点で特殊部隊に取り囲まれそうだけれど、ハラハラさせつつも無事に通り抜ける。ここもホワイトライオンのトールが演じていると思われるけれど、大勢の人間が見つめる中、おとなしく歩いていてスゴイ!

 

それなりにハラハラさせる展開がありつつも、ミアとチャーリーは保護地区に辿り着く。しかし、そこには特殊部隊が待ち構えていた。ミアが保護地区に入ることが出来ないのか不明なのだけど、手前でチャーリーを放し歩いて行くように促す。保護地区の入り口では民族衣装的な服装の老人が待っている。ゆっくりと歩き出すチャーリー。

 

チャーリーを射殺するよう命令を待つ特殊部隊。そこに現れたのは父のジョン。どうやって助かったんだっけ?🤔 この保護地区が撮影用なのか不明なのだけど、手前側が土手のような感じになっていて、横断歩道のように保護地区の入り口まで道が伸びている。その道をジョンがガードする中、悠然と進むチャーリー。

 

当然ながらチャーリーは保護地区に入り、これで人間のエゴに巻き込まれることはなくなった。王道過ぎる展開ながらも威厳あるチャーリーの姿に泣いてしまった😭 

 

数年後、保護地区で幸せに暮らすチャーリーの姿を、ミアたち家族が見ているシーンで終了。こんな事件を起こしてお咎めなしだったのか?とか、借金はどうなっているのか?とか思うけれど、これはミアたち家族を描く映画ではなく、あくまでも「缶詰狩り」について知らしめる作品なのだと思うことにしておく😌

動物がメインの作品にありがちな、物語自体や展開が取って付けたようになりがちで、俳優たちの演技も浮いた感じであるのは否めない。逆にミアのダニア・デ・ヴィラーズは変に演技をしていない分、自然だったかもしれない。それを引き出したのは3年間ライオンと一緒に過ごした経験だと思うので、そういう意味では良かったと思う。

 

少女とライオンの心温まる物語を想像していたので、前半部分は王道で目新しい感じもないと思っていた。中盤で驚愕の事実が分かってからは、これが伝えたいことなのだろうと思いながら見ていたのだけど、まさかのロードムービー的な感じになり、最後はおとぎ話的な感じで着地😅

 

正直に言うと全てがあまりかみ合っていないように思う。家族の再生にしても中途半端な感じだし、少女とライオンの逃避行についてもご都合主義的、ただこれは子供にも見やすい感じになっているとは思った。とにかく缶詰狩りについて広い層に知って欲しいというような。

 

父親のセリフにあったように、缶詰狩りを含めて野生動物を狩りすることは、南アフリカでは合法で観光収入となっており、現時点で止める手段がないため、これを問題視する声を広めていくしかない。現在、ライオンは絶滅危惧種となっている。間に合わないかもしれない。

 

動物を殺すなど残酷なシーンはないし、少女とライオンをメインとした物語も王道で見やすい。少しでも多くの人に見てもらい「缶詰狩り」について、そしてライオンを始めとした野生動物たちが置かれている現状を知って欲しいと思う。

 

見てから3ヶ月ほど経ってしまったので既に公開も終了してしまった😣 DVD化されているのか不明だけど、見れる機会があったら是非!

 

『ミアとホワイトライオン 奇跡の1300日』公式サイト

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【cinema】『砕け散るところを見せてあげる』cocoオンライン試写

2021-03-19 01:18:43 | cinema

2021.02.10『砕け散るところを見せてあげる』cocoオンライン試写

 

cocoオンライン試写に当選 いつもありがとうございます。久々新作の鑑賞なので楽しみに見てみた~

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「高校3年生の濱田清澄は、偶然1年生の蔵本玻璃がいじめにあっているのを見かける。それ以来、彼女のことを気にかけていたが、ある日トイレに閉じ込めれているところを救出。それがきっかけで2人は惹かれあっていく。しかし彼女は大きな問題を抱えていた。」という話。予備知識はほとんどなく見たので、いじめ問題をからめた青春恋愛映画だと思って見ていた。中盤からのまさかの展開にビックリ😲 これはなかなかの衝撃的な作品だった。

 

SABU監督作品。お名前は存じ上げていたけど、作品を拝見するのは初めて。作品についても毎度のWikipediaは原作の小説の方がメインで、映画の方は簡単な説明とキャスト情報が載っているのみ。竹宮ゆゆこ氏の同名小説が原作で、未読。鑑賞後に原作の感想を書かれたブログ記事をいくつか読ませていただいた感じだと、ほぼ原作通りに映画化されているっぽい。

 

今作、実は少し仕掛けがある。といっても、映像のない小説だとそのトリックはより効果的で、映画ではそれをそのまま使えないので、変則的な感じになっているのだけど、自分としては小説と似たような衝撃があった。とはいえ、最初から見破る人もいると思うし、仕掛けと気づかなくても見れてもしまう。うーん💦 これどう書こうかな? とりあえず、そのまま書いておく。

 

冒頭、自室で勉強?している青年(北村匠海)のシーンから始まる。真っ赤な嵐という役名になっているけど、何か言及あったっけ? 見逃しているかもしれない🤔 彼のナレーションで父親のことが語られる。父親は彼が生まれた日に亡くなった。車で病院に向かっていた父親は自動車ごと川に落ちた事故に遭遇する。皆が手をこまねいている中、父親は川に飛び込み次々に救出。しかし、最後の一人である少女を助けた後、力尽き流されてしまった。遺体は傷だらけの状態で数キロ先で発見された。真っ赤な嵐にとって父はヒーローだった。と語った後で立ち上がってヒーローの変身ポーズをする。二階に上がって来た母(原田知世)はそれを何とも言えない表情で見つめている。この後、2人の間に会話があったか忘れてしまった💦

 

場面変わって朝、学校へ走って来る男子生徒。高校3年生の濱田清澄(中川大志)で、全校朝礼に遅刻して1年生の列に並ぶ。しばらくすると、数人前の女子生徒に対して皆がゴミを投げていることに気づく。長い髪はボサバサで、制服もシワが目立つ女子生徒は、うつむいたままで、皆はますます彼女に対して物を投げている。どんどんエスカレートし清澄の前の男子生徒は上履きを投げようとする。とっさに清澄はこれを止め、朝礼が終わった後、女子生徒に声を掛けて方に触れる。すると彼女は絶叫する。かなりビックリなオープニング。

 

よく考えると、ここで初めて主人公が登場したわけで、冒頭の青年の語りからの続きがこのシーンなわけだから、清澄が誰なのか気づくと思うし、自分もそのように見ていた気がするのだけど、何故か見ている間にそのことを忘れてしまっていた。そして、エンディングで驚くことになった。特段、ひねりをきかせているわけでもないように思うけど、錯覚したのは脚本や演出の上手さかもしれない🤔

 

さて、話を戻す! 清澄はあの女子生徒のことが気になってクラスに訪ねて行く。イマドキの高校生がどんな感じなのか、高校を卒業して長い年月が経ち、子どももいない身としてはよく分からないのだけど、3年生が教室に来ているにもかかわらず、女子生徒に対するいじめをやめるわけでもなく、逆に清澄を挑発するような態度。清澄の親友である田丸玄悟(井之脇海)も、今年の1年生は生意気らしいなどと言っていたけど、ホントやな感じ🤨

 

清澄が介入したとしても素直に止めるわけもないし、辞めたとしても一時のことで、いじめ自体が終わるわけもない。清澄は何回か教室に行っていたように思うけど、女子生徒はいつも1人で下を向いたまま顔も見せずにじっと座っていた。彼女の名前は蔵本玻璃(石井杏奈)で、学校一の嫌われ者とのこと。

 

ある日、同じクラスの尾崎(松井愛莉)という女子生徒が、清澄が1年のクラスでヒマ先(ヒマな先輩)と呼ばれていると言ってくる。あの女子生徒と同じクラスに妹がいて、いろいろ話を聞いているのだった。この尾崎姉は清澄をオマエ呼ばわりして、単語でしか話さず、毎回ちゃんと話してと清澄に言われて笑える場面となっている。そして、この尾崎姉妹は後のキーマンでもある。

 

清澄は高校デビューを狙うも、いわゆるイケてる男子生徒たちからは相手にされなかった。とはいえ、田丸など仲のいい友人もおり、それなりに楽しい高校生活を送っている。なので、玻璃を放っておけなかったのだと思われる。さすがに毎日玻璃のクラスに行くわけにもいかないので、せめてとボロボロにされた靴箱をキレイにして、毎日放り出された靴を戻してあげたりしていた。

 

清澄のこの行動が何かを生み出したわけではないけど、少なくとも玻璃の心には届いていた。とはいえ、それが分かるのはもう少し先になってから。

 

ある日の放課後、ショッピングセンター?のカフェ?で田丸たちと過ごした後、清澄はトイレに行きたくなり戻ることになる。用を足して出て来ると、女子トイレの前に清掃中の看板があるが、掃除している様子がないのが気にかかる。声を掛けながら入ってみると、掃除用具入れに玻璃が閉じ込められていた。

 

どうやら閉じ込められただけでなく、上からバケツで4杯も水をかけられてしまい、父親を心配させないために服が渇くまで帰れずにじっと待っていたらしい。この辺りのやり取りは玻璃の少し天然っぽい発言と、それを少し戸惑いながらも真面目に受ける清澄という感じで、結構続く。

 

玻璃から投げ込まれていた清掃用具入れのカギを受け取り、救出した清澄は、とりあえず近所のクリーニング店に打て行き、店主のおばちゃん(木野花)に事情を説明。玻璃の制服を乾かしてもらう。その間、居間で2人で話をしていると、玻璃は実はとても明るくて素直な女の子であることが分かり、清澄は彼女に興味を持つ。

 

仕事から帰って来た母親(矢田亜希子)が、食事をしていくように言うと、玻璃は父親が時間に厳しいからと頑なに拒否する。トイレの時と二度繰り返されることで、見ている側も違和感を覚える。

 

それでも帰り際に明るく、また明日という玻璃に清澄はホッとすると同時に、おそらく彼女に恋し始めている。この辺りまでは玻璃の父親の虐待を疑いつつも、青春恋愛モノだと思っていた。

 

翌日、おばちゃんから玻璃に渡してほしいと、タッパーに入ったおはぎを託された清澄は、通学路で玻璃を待っている。するとそこに、尾崎の妹(清原果耶)から声を掛けられる。昨日、玻璃をトイレに閉じ込めたとクラス中に連絡があった。さすがにやり過ぎだと思い、友人たちと見に行ったが、既に救出された後だった。助けてくれたのは清澄だろう。今後は、自分はいじめには加担しないと言う。

 

そこへ玻璃がやって来たので、尾崎妹は彼女にも同じ主旨のことを言う。清澄は玻璃におはぎを渡すと、玻璃は尾崎妹と一緒に登校していく。少し明るい兆しに見ている側もうれしくなるが、そんなに単純ではなかった。

 

玻璃のクラスで騒ぎがあり、清澄が駆けつけると、数人の男子生徒が、おばちゃんのおはぎを床に投げ捨てて潰し、玻璃に投げつけていた。止めに入った尾崎妹にも投げつけようとする始末。清澄が割って入ると、その背中におはぎがぶつかる。この騒動がどう終わったかあまりよく覚えていない。多分、清澄の背中におはぎがぶつかって切り替わったんじゃないかな?🤔 

 

いつも一方的にいじめを受け止めていた玻璃が、おばちゃんのおはぎを返してと言っているのに、おはぎを踏みつけたり笑ったりしている姿は、本当に醜い。いじめ生徒役の子たちの演技が上手くて、本当に憎らしくなる😠

 

えーと💦 ちょっと記憶が飛んでしまって、何故そういうことになったのか忘れてしまったのだけど、清澄の母親が車で玻璃を送ることになった。ちょうど田んぼのあぜ道のような所を走っていると、前からスゴイ勢いで車がやって来る。何なのこれ?と慌ててバックする母親。結局、車は止まるのだけど、降りて来たのは玻璃の父親(堤真一)で、清澄のことも清澄の母親のことも目に入らないという様子で、帰りが遅いと玻璃を叱る。何時なのか不明だけど、玻璃の父親の態度は異様。

 

清澄の母親が自分が引き留めてしまったからと詫びると、初めて存在に気付いたかのような態度で、一応世話になったとお礼は言うものの、心ここにあらずという感じ。清澄の母親は玻璃たちが祖母と3人で暮らしているのかなどと、いろいろ質問する。玻璃の父親が、祖母は病院に入院していると言うと、清澄の母親はどの病院なのかと聞く。イライラしながら答える玻璃の父親。

 

ちょっと清澄の母親もしつこいなと思うけど、ここで玻璃の父親の怪しさを見せているのだろうし、原作では清澄が母親に頼んで、探ってもらう設定になっているらしい。

 

この玻璃の父親登場で、映画のトーンがガラリと変わる。顔を上げて清澄たちと明るく話すようになった玻璃は、再び長い髪で顔を隠し、うつむいたままの元の玻璃に戻ってしまう。清澄にも自分には構わないで欲しいと言う。訳が分からない清澄は困惑する。

 

清澄は母子家庭なので、総合病院で看護師をしている母親が夜勤の時は、家には清澄一人になる。ある夜、玻璃が訪ねて来る。玻璃は清澄が危険だから逃げろと言う。そんな事を言われても、分かったとばかり逃げる人はいない。もちろん清澄もどういうことかと尋ねる。すると、自分の父親は本当に危険なのだ、自分を見れば分かるだろうと被っていたフードを外す。唇は切れて血が出ており、目が腫れ、顔にも痣があった。

 

玻璃はさらに衝撃的な告白をする。入院していることになっている祖母は、実は父親が殺害して家の前の沼に沈めた。しかも、玻璃もそれを手伝わされたと言うのだった。なんと😱 

 

そんな状況ならば警察、せめてクリーニング店のおばちゃんに相談しろと思うけれど、証拠を見つけようと2人で沼に向かい、スーツケースを発見する。しかし、それは玻璃が手伝って沈めたものではなかった。玻璃は母親は家を出て行ったと聞かされていたが、おそらくこのスーツケースには母の遺体が入っているんだろうと。なんと!😲 そんな事件に発展するのね

 

警察に連絡しようとするけれど、父親が出かけた隙に急いで抜け出した玻璃は、ケータイを忘れており、電話を掛けるために家の中に入る。すると父親が戻って来てしまう。本性を隠さない父親は、もう完全におかしくて、無表情のまま玻璃を殴り、清澄のこともゴルフクラブで殴り倒す。完全に殺すつもりで何度も頭を殴る。

 

マジか まさか主人公が殺害される設定 と見ている側が驚いていると、清澄にとどめを刺そうとしていた父親を玻璃が殴り倒す😱😱😱

 

実は2人が沼に向かう前に、田丸の家に寄り何か(失念💦)を借りるシーンがあった。その際に田丸は、清澄が玻璃に入れ込み過ぎていることを心配し、こちら側にいてくれという主旨のことを言う。田丸が玻璃の父親のことをどの程度知っていたのか不明だけど、清澄と玻璃の行く末に不穏なものを感じたということなのだと思う。

 

でも、正義の味方でありたいと思う清澄は、ひるむことなく自転車で二人乗りして沼に向かう。玻璃が笑っていることが俺の幸せなんだと言う姿は、自分に酔っている部分もあるのだろうけど、中川大志の爽やかな演技と、目の周りを赤くはらしながも笑顔の玻璃を見ると、こんなシーンではあるけれど、なんとも爽やかで応援したくなってしまう。それだけに、まさかの展開にビックリ😣

 

図らずも田丸が心配した状況になってしまったわけで、見ている側としては清澄が亡くなってしまったのかと思うけれど、彼の口癖であるヒーローは死なずの言葉通り、重傷を負ったものの後遺症などもなく生還する。あれだけ頭殴られたのに?😳と思うけど、そこはOK

 

清澄が入院している間に、玻璃は保護され名前を変えて他の土地で別人として生きることになったと、清澄のナレーションで説明される。そしてなんと! その後、2人は偶然再会し結婚したこと、玻璃が子を宿したことも語られる。なるほどそんな展開に!などと思っていると・・・

 

あの冒頭の転落事故の映像が流れて来る。今日は初めての子の出産予定日なのに、何故こんなことにと思いながらも、正義のヒーロー清澄は必死で家族を救出する。最後の一人である少女は車の中で意識を失っていた。体力の限界を感じながらも必死で車の中に潜る。清澄の心の声は「嫌だなもう」「やりたくないな」と思っている。それでも体は動いてしまう。

 

うん。きっとそいういうものなのかもしれない。非日常的なことが起きた時に、体が動かなくなってしまうのも、勝手に体が反応してしまうのも、表裏一体であるものなのかなと思う。どちらであっても理屈じゃないのじゃないのかも。誰もが自分を犠牲にしてまで人を助けようと意識しているわけでもなくて、思わず体が動いてしまって、頭ではもう無理だとか、何故自分がこんなことをとか思いながらも、体が動いてしまうのかも🤔 とはいえ、なかなか出来ることではないけど。

 

結果、人の子を助けて自分の子からは父親を奪ってしまったんだよね。切ないしやるせない。でも、どこか爽やかでもある。そして、冒頭で語られていた"父親"とは清澄であることが分かってビックリ!

 

そして冒頭のあの母親が玻璃であり、真っ赤な嵐という役名の青年こそ清澄との息子なのだということも分かる。イヤ、普通に見てたら、冒頭の僕の父親はの下りから、次に現れた高校生は冒頭の人物と違うのだから、これから語れるのはその父親の話だと思うハズなのだけど、何故か真っ赤な嵐が語っていた父親とは、清澄の父親のことだと錯覚していた😅

 

どうやら原作では、真っ赤な嵐が清澄であるように錯覚させるよう仕掛けてあるそうなので、今作でも例えが意図的に清澄の父親がいないことに触れないなど、ミスリードさせる演出はしていると思う。でも、文章では"僕"とか"俺"という一人称を使えば、実は語り手が変わっていることに気づかせないトリックは使えるけど、映像では役者が変わっている時点で別人であることはバレてしまうわけで・・・

 

とはいえ、例えば北村匠海の後ろ姿しか見せないとか、原田知世は登場させないとか、方法もあるとは思うけれど、特段小細工はしていないのは前述したとおり。なかなか大胆だと思うけれど、それでも少なくとも自分は不思議な感覚になったので、ここは狙い通りなのかもしれない🤔

 

そして、後から考えると清澄や尾崎姉妹など、制服の感じとか、首に巻いているマフラーなど微妙に時代がズレていること、そして一度もスマホが登場していなかったことに気づく。この辺りも上手い。途中で気づいても面白いし、全部分かってから気づいても興味深い。

 

キャストは皆良かった。清澄や玻璃の友人を演じた井之脇海や、尾崎妹の清原果耶、尾崎姉の松井愛莉も、見せ場は少ないながらも印象を残した。若い俳優たちを支えるベテラン俳優たちも良かった。堤真一の狂気が凄かった! 普通の会話をしている時でも漂う狂気。ホント怖かった😱

 

主演2人も良かったと思う。玻璃の石井杏奈は父親から虐待され、学校ではいじめを受けながらも、素直な明るさを失わない姿に希望が持てたし、玻璃にはさらに試練が待っているわけだけど、それもをも乗り越える強さが感じられた。

 

清澄の中川大志は、下手をすると熱血が空回りして見えてしまう役を、正義感の強い、そして自分の気持ちに正直な好青年にしていたと思う。原作のイメージは不明だけど、中川大志のイケメンだけど、どこかほんわかした容姿が大いにアシストしているように思うので、このキャスティングは良かったのではないかと思う。

 

なかなか不穏なタイトルだなと思いつつ、青春恋愛モノとして見ていたら、後半堤真一が登場してからはホラーとなり、最後は少しファンタジックに終わる。前述のトリック含めて見応えがあった。内容的に面白いと言ってしまうのは少し気が引けるけど、良い言葉が見つからないので面白かったと素直に書いておく🙂

 

後半ホラーっぽくなって苦手な人はちょっと怖いかもしれないけど、そこも含めて面白いのでオススメ。石井杏奈ファンの方はちょっと辛いかな? でも、とても良いので是非。中川大志ファンの方必見です🤗

 

映画『砕け散るところを見せてあげる』公式サイト (kudakechiru.jp)

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【cinema】『記憶の技法』cocoオンライン試写

2021-02-12 00:23:04 | cinema

2020年11月21日 『記憶の技法』@cocoオンライン試写

 

cocoオンライン試写に当選。いつもありがとうございます! 久々日本映画の試写。楽しみに見てみた🤗

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「韓国への修学旅行のためにパスポート申請した鹿角華蓮は、自分が養女で幼くして亡くなった姉がいたことを知る。同じ高校の穂刈怜の協力を得て、ルーツである福岡に向かうが・・・」という話で、これは吉野朔美の同名マンガの実写映画化。うーん💦 悪くはないのだけど、ちょっといろいろ設定が気になってしまった。原作マンガが出版されてから20年経っているので、その間いろいろ変化しているわけで、その辺りを無視したままで現代の話としてしまうと無理があるような😅

 

原作は未読。吉野朔美作品は読んだことがないかも🤔人並みにマンガは読んできたけれど、何故吉野作品を読まなかったのかは自分でもよく分からず。 Wikipediaによると2016年に亡くなっているのね。

 

映画についても原作についても毎度のWikipediaは見つからず。池田千尋監督作品。黒沢清監督の愛弟子とのことで『クリーピー 偽りの隣人』などで共同脚本を務められたのだそう。2008年の『東南角部屋二階の女』で長編デビュー、劇場公開作品は今作が5作目なのかな? 今作で初めて拝見した。

 

見てから2ヶ月以上経ってしまったし、細かい部分は忘れてしまったので、ザックリした感想になります。毎度、どうでもいいと思うけれど、断り書きとして書いておく😌

 

高校生の鹿角華蓮(石井杏奈)は、父親の正(小市慢太郎)と母親の由加子(戸田菜穂)と3人暮らし。時々、酢豚のパイナップルが苦手なのに、大好物だと言われるなど不審なこともあるけれど、両親に愛され友人にも恵まれ幸せに暮らしている。

 

同じ学年には穂刈怜(栗原吾郎)という男子生徒がおり、いつも女子学生と恋愛トラブルを起こしていた。何故か華蓮は彼が気になってしまう。友人たちにそんなに見るなと言われるのに、トラブルの一部始終をガン見してしまい、怜本人に気づかれてしまう。この辺り少女マンガにありがちな、純粋でおっとりした、ちょっとドジな子という感じでニヤリ。とはいえ、ちょっとイライラするかも😅

 

意外にこの怜の恋愛トラブルシーンや、華蓮が彼を気にする様子がチラチラ出て来たり、友人たちのうちの男子生徒が華蓮に好意を持っているらしい描写が続く。怜の件はともかく、男子学生は後にある役割があるための伏線だと思われるけど、特段彼でなくてもよいので、他の役に振ってもう少しスッキリさせても良かったかも。とはいえ、それは全体的に言えることだったりするのだけど😅

 

さて、華蓮は修学旅行で韓国に行くことになる。そこでパスポート申請に必要な書類として戸籍抄本を母親から渡される。この母も華蓮に養子であることを隠しているのならば迂闊だなと思うけれど、ここで華蓮が疑問を持たなきゃ始まらないのでOK。

 

当然ながら戸籍を見てみると見慣れない文言が。気になって役所に行き戸籍謄本を取ると、華蓮は自分が養子であり、由という姉がいたことが分かる。華蓮が呆然としていると、偶然来ていた怜の姿が。華蓮は怜にこれはどういうことなのかと聞く。怜が何と答えたのか忘れてしまったけど、ここで重要なのは怜が華蓮の秘密を共有したということ。

 

さて、ここからかなりビックリな展開になる。一応、事前情報として華蓮が修学旅行には行かず、福岡に自分のルーツを探しに行くことは知っていたのだけど、華蓮はその福岡行について何をすればいいのか全く分からないから、怜に手助けをお願いしたいと頼むわけです。え 怜とは役所で初めて会話した程度の仲なのに 

 

わざわざ彼のクラスに訪ねて行ったり、放課後に待ち伏せしたり、後をつけてバイト先まで押しかけたりと、何度断ってもしつこく彼に頼むわけです。え なんで イヤ原作どおりなのだとしても、20年前ならまだしもイマドキこんな子いますかね? パソコンもスマホもないのかと 

 

怜と一緒に福岡に向かうのが原作通りなのだとしたら、そこはもう華蓮と怜は恋人同士だという設定にしちゃうとかやりようがなかったのかな? それともオバちゃんだからそう思うのかな? イヤ、中学生が主人公でもスマホもしくはパソコン使えよと思うけどな~💦 とにかく怜は手数料をもらうという条件で手配を引き受ける。

 

友人たちには祖母の具合が悪いから修学旅行には行かないと嘘をつく。これは後の伏線になっている。学校にはどう届けたのかしら? 修学旅行に行かないなら保護者から連絡が必要なのではないのかね?🤔 というツッコミはもういいか😅

 

福岡行きの当日、怜からチケットを受け取り高速バスに乗り込むと、なんと怜が隣の席に座る。修学旅行よりこっちの方が楽しそうだからというのだった。この怜は家庭の事情が複雑で、生まれつき瞳が青いことから父親に疎まれており、一人暮らしなんだっけ? 兄と暮らしてるんだっけ? ちょっと忘れてしまった💦 とにかく、辛い生い立ちではあるものの、自由のきく身であるということ。

 

福岡に到着した2人。華蓮の資金ではビジネスホテルのシングルルーム1室しか取れないとのことで、2人で泊まることになるというビックリ展開でどうしたものかと思うけれど、これはコミカル要素ということなのかな。まぁ2人で同じ部屋に泊まるという設定が、全く生かされていなかったわけでもないのだけど、特段この設定にしなくてもよかったかな🤔

 

2人は役所へ行き華蓮の本当の家族の戸籍謄本を取る。その際、職員の女性は何か言いたげな感じだったけど、結局何も言わなかったように思う。ちょっと忘れた💦

 

2人は以前華蓮たち一家が暮らしていた地域を訪ね、近所の人々に聞き込みを行う。すると何故か皆口が重く避けているような感じ。その流れで金魚屋の青年(柄本時生)を訪ねる。自分は最近越してきたばかりだから何も知らないと言うが、何か隠している様子。柄本時生が出て来た時点で、彼が何か重要な役割を果たすことは分かっているので、ちょっとまどろっこしくもあるけど、この辺りは謎解き要素があるのでおもしく見れた。

 

さらに聞き込みを続けると、華蓮以外の家族は全員殺害されたことが分かる。なんとビックリ展開。この段階でどこまで事件の真相が判明したか忘れてしまったけど、華蓮の父親と大家さんとの間にトラブルがあったことが初老の男性から語られているので、その辺りのことで事件が起きたのかなと考える。

 

えーと、ちょっと詳細が分からなくなってしまったのだけど、華蓮が怖くなってもう調査を止めると言うので、怜は別行動して図書館に行き、新聞のバックナンバーから華蓮の家族の事件と思われる記事を発見する。ここまでの段階でもスマホで調べるか、せめて図書館に行きなよと思っていたので、せっかくの怜の行動が機転を利かせたと感じられないのが残念ではある。

 

華蓮一家の事件の詳細を書いてしまうと、事件当時一家は大家さん敷地内の借家に暮らしていた。先代の大家さんが亡くなると息子(二階堂智)は、マンション用地として土地を売るため立ち退くよう言ってきた。しかし、華蓮の父親は頑なに拒んでいた。大家の息子は次第に精神を病み、ある日とうとうキレて凶行に及んだのだった。

 

一方、華蓮の記憶も少しずつ戻って来る。たしか再度金魚屋を訪ねたと思うけれど、どのタイミングか忘れた💦 とにかく、重要なのは金魚屋が華蓮の幼馴染みであり、華蓮の家族を殺した大家の息子の息子だということ。

 

事件当日、華蓮は外出しており家に戻って来たところを、父親の異変を感じた金魚屋が機転をきかせて華蓮を連れ出し、難を逃れたのだった。しかし、実は大家の息子は華蓮が戻るまで、事件現場にとどまりソファに寝転んで華蓮を待っていたのだった。

 

実は福岡に来る直前、リビングのソファから父親がむくりと起き上がり、華蓮の中で同じ構図の別の家のイメージがフラッシュバックする場面があった。それがこの場面だと分かりゾッとした😱 これはとても上手いと思った。

 

華蓮は必死で逃げる。これ家の中でもかなり追いかけられていて、二階堂智の演技が迫真に迫っていて、子役の子ホントに怖かったんじゃないかな? さらに外に逃げても追いかけて来る。そこにたまたま通りかかったのが由加子。幼い娘を亡くしたばかりの由加子は、とっさに華蓮を庇う。すると大家の息子は車にはねられてしまう。

 

きちんとした顛末が語られていたか忘れてしまったけど、そもそも金魚屋や他の人も大家の息子は既に亡くなっている前提で話していたように思うので、この時の事故が原因で亡くなったのでしょう。運転手さん気の毒😢

 

その後、港のような所で金魚屋と再会する。思えば金魚屋は加害者の息子だけど、ある意味被害者だよね。金魚屋はずっと自分が父親を止められなかったことを悔やんでいたと語る。華蓮が自分の命を救ってくれたとお礼を言ったので、金魚屋は少し救われたかもしれない。実際まだ小学生だった金魚屋が父親を止められたかは分からない。

 

何故、嫌な思い出がある土地に戻って来たのかと聞くと金魚屋は、やっぱり自分の生まれ育った場所だからという主旨のことを語っていた。そんなものなのかな。私自身は狭い範囲内での移動をしただけで、同じ市内にずっと暮らしているから故郷という感覚がよく分からない🤔

 

金魚屋はあの事件の後、華蓮の家から家族のアルバムを持ち出しており、それを華蓮に返してくれた。本当の家族の唯一の形見。そして、これから記憶がよみがえる手掛かりとなるかもしれない。

 

自分の出自を調べるという華蓮の旅の目的が終わり、怜とはここで解散となる。怜は父親とちゃんと向き合いたいと考える。華蓮は父親と約束したお土産を買うためにフェリーで釜山に渡る。パスポート持ってきてたんかーい? とか、そんなお金あるんかーい?とか思うし、わざわざ釜山に行ったからといっても、ただ街を歩くだけで特段何かがあるわけでもなくバーターを感じるものの、まぁ華蓮が一人立ちできたということなのでしょう。

 

華蓮は母の由加子に電話を掛ける。実は華蓮に好意を寄せている男子生徒が修学旅行中に電話をかけているので、母親は華蓮が嘘をついて修学旅行に行っていないことを知っていた。両親は当然心配したけれど、華蓮の意志を尊重して見守ることにしたのだったと思う。電話では本当の家族を探したことについては、お互いに何も語らなかったように思うけど、お互いを思いやって演技をするこのシーンは良かったと思う。

 

映画は華蓮と怜が華蓮の家の前で別れるシーンで終わる。もう一度家族と向き合ってみるという怜を華蓮が抱きしめて終わりだったかな? ちょっと曖昧な記憶🤔 2人がこれから恋人になるのかは不明だけど、この抱擁は同志のような感じだった。中途半端に恋愛モノにしなかったのはよかったと思う。

 

でもねぇ。ちょっとツッコミどころが多過ぎるよね😅 だって華蓮はスマホ持ってるわけだから、いくら少し世間ずれしていない女の子って設定にしても、全くスマホで調べないのは無理がある。いくら友人たちにも秘密だからって、ほとんど話したこともない男子生徒のバイト先まで押しかけて諸々手配してもらうよりスマホで調べた方がいいでしょうに。

 

さらに事件についてもわざわざ図書館に行かなくてもスマホで出て来るだろうと。母親に華蓮が修学旅行に行っていないことを知らせるための設定とはいえ、友人の男子生徒が自宅に電話を掛けるのも不自然。イマドキLINEでしょう。小学生とか高齢者となから分かるけど、高校生だからね🤔

 

例えば松本清張とかの昔の小説を映像化する場合、その原案の時代を変えずに作った方がいいんじゃ? それだとセットや衣装などお金がかかるのか😅 だったら現代に合わせて設定もアップグレードするか、スマホを使えない状況にするかしないと、ちょっと興ざめしてしまうかなぁ。予算など難しい部分もあるとは思うのだけど。

 

若手2人を支えるキャストたちはわずかなシーンで印象を残したと思う。犯人役の二階堂智の狂気は本当に怖かったし、父親役の小市萬太郎もホッコリとなごませた。金魚屋の柄本時生が良かった。華蓮の記憶のカギを握る謎の人物として登場し、結果本人も少し救われるという役どころ。その辺り的確に演じていたし、主演2人をサポートしていた。

 

母親の戸田菜穂は子供を心配する不幸を背負った母親役多いけど、今回もはまり役。とても良かったのでもう少しこの母親を生かせなかったかなと思う。怜の栗原吾郎は初めて見た。ミステリアスな感じは良かったと思うし、この役イケメンでないと成立しないのでそこは良かったと思う。華蓮の石井杏奈はいやゆる少女マンガのドジで天然な主人公をうんざりさせることなく演じていたと思う。

 

正直、主演2人については特別下手とも上手いとも思わなかったけど、若い役者さんの必死な演技が役とリンクして、それがいい緊張感となっていたと思う。

 

ちょっとダメ出しが多くても申し訳ないけど、決してつまらなかったわけではないし、ダメな作品というわけでもない。ただちょっと謎解きミステリーなのか、主人子の成長物語なのか中途半端になってしまった印象で、同級生などの放りっぱなしの登場人物がいたりと散漫な感じが残念だった。映像は良かったと思う。

 

公開はされたよね? 書くのが遅くなり過ぎたので、とっくに公開終わってると思うけど💧 同世代の人にはいいかも?

 

『記憶の技法』公式サイト

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【cinema】『詩人の恋』cocoオンライン試写

2021-01-10 01:53:46 | cinema

2020.10.30 『詩人の恋』cocoオンライン試写

 

cocoオンライン試写に当選✨ いつもありがとうございます! 韓国映画には珍しい感じがして応募。楽しみに見てみた😃

 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「詩人のテッキは、以前賞を取ったこともあるが、現在は妻の収入で生活している。それなりに平和な暮らしだったが、妻が妊活を始めて生活のリズムが崩れ始める。そんな時、ドーナツショップで働く青年が気になって・・・」という話で、これは結構重いテーマであるにもかかわらず、主人公のふわふわと定まらなさが不思議な作用となっていて、じんわりしみる作品となっていた。

 

キム・ヤンヒ監督作品。長編初監督とのことで、当然ながら作品を見るのは初めて。女性監督ならでわの細やかさが感じられる作品だと思う。作品について毎度のWikipediaは見つからなかった😢

 

今作の主人公は詩人で、基本家の中か、ドーナツ屋か、友人の店くらいしか行動しないし、何か大きな事件が起きるわけでない。なので、シーンごとに細かく描写するのではなく、適当に割愛したり順番を入れ替えたりする。毎度どうでもいいと思うけれど、断り書きとして書いておく😌

 

冒頭、バスでどこかに向かう主人公テッキ(ヤン・イクチュン)の姿に、彼の声で朗読する詩が流れる。どうやら詩の朗読会?のようなものが定期的に居酒屋のようなところで開催されているらしく、テッキはそこで新作をお披露目したらしい。不勉強で詩はよく分からない😢 なので、テッキの詩が良いのか悪いのか分からない。正直、何を言いたいのか分からなかった😅 とはいえ、これは後の伏線でもあるので、難解な感じでいいのだと思う。

 

その辺り、居酒屋の人々にとっても同じなのか、皆なんとなく良いんじゃないか的な雰囲気。そんな中、1人の女性が異議を唱え、皆一気にそちらに同意する方向へ。帰り道、テッキは独り言で彼女の悪口を言うけれど、その場で強く主張することはできない。このシーンだけでテッキの性格を見せちゃうの上手い。人前で自己主張するのは苦手だけど、本当はプライドが高く、自分の主義主張は曲げない感じ。

 

詩人など創作活動をする人は、自分のカラーを出さなきゃならないだろうし、自分の中の思いを表現したくて、その職業を選んだのだと思う。なので、作品において自己主張強めで個性的であってもいいとは思うのだけど、伝わらなければ意味がない😅 特に詩人とか小説家とかって、何か資格があるわけではないので、認められなければ自称でしかない。

 

テッキは10年以上前に賞を受賞したらしいので、自称詩人ではないとは思うけど、それでお金を稼げていない以上、自称詩人に限りなく近いと言えるのかも。

 

テッキは済州島で育ち、現在も同じ場所に住んでいる。後からチラリとセリフの中で語られるけれど、どうやら実家はみかん農家で、テッキとしては家業を継ぐのは嫌だったらしい。こんな言い方はなんだけど、みかん農家をやりながら詩を書くことはできるはずなので、これは単純に農家が嫌だったのでしょう。

 

とはいえ、実家の敷地内の離れのようなところで暮らしているっぽい? 小学校で詩を教えているようだけれど、いわゆる非常勤講師のようで、家計は妻のガンスン(チョン・ヘジン)が支えている。この妻との馴れ初めがよく分からないのだけど、後にはテッキの母親が意味深なことを言うので、テッキとしては妻に恋して結婚したわけではないのかな? 妻はテッキを愛しているようなので、この状況は彼女にとって辛いと思う。

 

とにかく、テッキは大人になり切れていないというか、大人になりたくない人なのだと思う。本人がどこまで意識ているかは別として。おそらくテッキはこれまでの人生で積極的に何かをしたことはなく、流されるままに生きてきたのではないかな。詩についてはやりたいことなのだとは思うけれど、それもたまたま賞をもらったからという印象。

 

仕事をせずに生きていける財力がある、もしくは妻が自分が働き家計を運営することを積極的に行っている関係ならば、それもテッキの人生だから別にいいとは思う。でも、どちらでもないらしい中でのこの感じは見ている側にもモヤモヤとしたものを感じさせる。

 

そんな中、妻のガンスンが妊活に乗り出す。2人の年齢に言及があったか忘れてしまったけど30代後半っぽい。この年齢、男性はどう感じるのか分からないけど、女性は出産のリミットをかなり感じている。最近では40代で出産する人もいるけど、やっぱりいろいろリスクが高い。男の人って出産は大変そうだというイメージはあるかもしれないけれど、母体にどのくらダメージがあるか分かっている人は少ないと思う。単純に出産時に命を落とすリスクは、現代だって結構高い。何も問題なく出産した人でも元の体には戻らないのだそう。そう考えれば高齢出産は非常にリスクが高いことが分かる。

 

ガンスンはテッキが乏精子症であることを、テッキの親友に話してしまったりとデリカシーに欠けるし、ちょっとガサツな部分があるのは事実で、自己主張するのが苦手なテッキにとっては荷が重い部分もあるかもしれないとは思う。ただ、前半のテッキの感じについ奥さん目線で見てしまった部分があった。

 

後のシーンで夫婦で参加した飲み会で、ガンスンは酔った勢いでかなり辛辣にテッキの不満点をまくしたてていたので、当然ながら不満やストレスはあるのだと思うけれど、それを見せずに明るく振る舞っていることに気づかず、逆に重荷に感じているテッキにイライラしてしまう。

 

テッキが妊活に乗り気でないのは妻が働けなくなってしまうということだけでなく、父親になる自信がないのだと思う。妊活について詳しくないけど、精神的にも肉体的にもキツイと聞くし、確かに妻のそれや精子採取の感じもゲンナリしてしまう気持ちも分からなくもない。まして、親になることに積極的でない状態ならば余計に。でもねぇ・・・

 

前述通りテッキは乏精子症と診断される。ガンスンの方は全く問題ないどころか良好。ここでも妻の方が優秀な気がしてものすごく自信を失ってしまったのでしょう。テッキが妻を愛しているのかがイマヒトツ伝わってこなかったのだけど、全く好きでもないのに生活のために結婚をしたわけではないと思う。

 

こちらも前述したガンスンが愚痴りまくる飲み会に同席していた友人たちは、ガンスンの言葉に誘われるように口々にテッキにダメ出しをする。親友からは常々言われているけれど、子どもを作るべきだ、そもそも詩人なんてやめて定職に就くべきだ。友人たちの温度はそれぞれで、親友は本当に心配しているからついつい踏み込んでしまう部分はあるけど愛がある。

 

でも、中には特に関心もないので、流れに乗っかって適当にテッキを否定する人もいる。見ている側にはその違いは分かるのだけど、総攻撃を受けているテッキには一方的に上から目線で自分を否定されている状況。これは辛い💦 言っている方はそうは思ってないかもしれないけれど、人にダメ出しするってもう立場が上だからね。愛がない人が言ってはダメだよね。このシーンはさすがにテッキに同情した。

 

とはいえ、彼らの言葉の中には正論もあるわけで、それがやっぱりズッシリ来ちゃうのだと思う。テッキはおそらく子供のころから自己主張しない子だったのではないかな? なので、日常的に周囲からこういう扱いを受けて来たのではないかと思う。そうなると、ますます自己主張しなくなるし、ますます鬱屈して自信を失ってしまう。そういう状態の方が芸術を生み出せる人もいるかもしれないけれど、そんな状況でいい詩が書けるとも思えない。

 

この飲み会のシーンは中盤以降に出て来たので、ある人物に既に出会っており、ガンスンがくだを巻いたのもその辺りのことがあったからなのだけど、前述したとおり恒常的にこういう状況があり、テッキはずっと自信を持てずに生きていたことが、今回のテーマとなる部分に大きく作用していると思うので、先に書いてみた😌

 

さて、いよいよ本題です! そんなテッキはガンスンが買ってきたドーナツを気に入り、ドーナツショップに行ってみる。テッキはその店員の青年がつぶやいた一言から詩が浮かぶ。それ以来ドーナツショップに通い、そこで詩を書くようになる。

 

ある日、その店員セユン(チョン・ガラム)がトイレで女性とキスしているところを偶然見てしまう。激しく絡み合う2人の姿に刺激を受けたのか、その時のことを思い出し精子を採取すると、なんとビックリな量が取れてしまう😅 これには本人もビックリで、しかも自分はセユンと女性とどちらに興奮したのか分からなくなってしまい、それからテッキはセユンのことが気になってしまう。この辺りはコミカルではあるけれど、韓国映画にありがちなドタバタにはなっていなくて、そこは良かったと思う。

 

ある夜、セユンが泥酔してドーナツショップの前で寝ているのを発見したテッキは、彼を自宅へ連れて帰る。するとこには病気で寝たきりの父親がいた。父親が倒れてから家計は母親が働いて支えており、セユンは父親の世話をしながらアルバイトをしているのだった。

 

それ以来、テッキはセユンの世話を焼き始める。それはどんどんエスカレートして行き、実家の物置きを探してセユンの父のために床ずれシートを持って行ったりする。人に親切にするのは良いことだけど、そこまでの仲でもないテッキの親切にセユンの母親は不信感を持ったりしている。もしかしたら母親はテッキの下心のようなものを感じているのかもしれないけれど、たしかにちょっとお節介。

 

一度はセユンにまで気持ち悪いと言われてしまい、あからさまに動揺してしまう。セユンが言い過ぎたと謝ると、テッキは明日は暇かと聞く。翌日、2人は森に行き、いろいろな事を話す。何か重要なことを言っていた気もしたけど忘れた💦 セユンとしては家庭の問題があり、ここから出ていけないということを寂しそうに言っていて、それが後の伏線になっている。

 

この会話がされたのはプールサイドに座ってのシーンだったかも?🤔 これ、どのタイミングで、何故プールサイドに行ったんだっけ? このシーンでテッキがセユンをなぐさめながら、彼の太腿に手を置くシーンがあった。この時点では見ている側には分かっているけど、テッキがセユンに恋していることを自覚している描写はなかったと思うので、このシーンは無意識下のテッキの思いを表してるのかな?

 

これに対しセユンが何も反応しなかったというのは、セユンにもそういう思いがあったということなのかな? 個人的にはちょっと生々しくてざわついた😅

 

そんなテッキに妻ガンスンも不信感を抱き、好きな人が出来たのかと聞いてくる。テッキはかわいそうな男の子の手助けをしているだけだと答えるけれど、ガンスンはテッキの本心を見抜いたのか、彼を罵ってしまう。これ結構辛らつに罵ってた。鏡を見てみろ的なことを言ってた気がする😅 そんなガンスンにゲンナリしつつも、自分の本当の気持ちが分からず戸惑ってしまう。

 

うーん💦 まぁ奥さんとしては文句の一つも言いたくなるよね。さんざん家計を支えて来て、いつまでたっても芽が出ず、さらに自分や仕事をそっちのけで、誰かに夢中になっているなんて、そりゃ頭にも来るでしょ。ガンスンの少しデリカシーに欠ける部分が、テッキをより内向的にさせている部分はあるとは思うけど、奥さんとしては少しおどけてまでも明るく振る舞うしかないと思う。

 

その辺りをチョン・ヘジンが絶妙なさじ加減で演じていて、こういう場合に悪役になりがちな妻を、とても人間味のある人にしていたと思う。そして、女性監督ならでわの視点で、妻の葛藤をやり過ぎない形で上手く見せていたと思う。妊活をやめたい、もううんざりだというテッキに、背を向けて寝転びながら、あなたにそれを言う資格はないというシーンがある。このシーン見る人によって感じ方はいろいろだと思うけれど、個人的には妻の目線で見ていた。

 

テッキの気持ちも分からなくはないし、食事の支度など家事協力はしているけれど、ほぼフリーター状態の夫を支えつつけて30代後半。子供を産むにもリミットがある。妊娠すれば仕事ができなくなる時期もあるわけで、これは単純に子供が欲しいってだけで妊活したわけではないのではないかな? テッキにしっかりして欲しかったわけでしょう。それを全く理解しないかのようなこの発言は絶望したと思う。

 

えーと。たしかこのタイミングでドーナツショップに向かいセユンにもう会えないと伝えたんだっけ? この時点までセユンのテッキに対する思いがよく分からなかったのだけど、セユンが弄ぶなと怒ったことから、彼としてもテッキの自分に対する思いが、単純に同情だけではないことを感じて揺れたのだということが分かる。

 

テッキはこの日を境にドーナツショップに行くのをやめる。たしかこの頃に前述した居酒屋でのテッキ総攻撃があったんだと思う。これは辛い😣 テッキがセユンに惹かれた理由の中には、自信を失っていた自分を必要としてくれる存在だからというのは絶対あったと思うので。

 

しばらく会わずにいた2人だけど、セユンからテッキに電話がかかって来る。父親が亡くなったのだった。この父親の葬儀にはテッキの妻も出席していたと思う。この時テッキがセユンに君には守ってくれる人が必要だと言ったのだと思うけど、違うシーンだったかな🤔 

 

参列者が乗るマイクロバスの中で、母親はお香典を数え始める。セユンが今することじゃないと言うと、母親は口答えをする親不孝な息子だというようなことを、大声で喚き散らし周りをゲンナリとさせる。寝たきりの父親の代わりに家計を支えていた母親にとっては、単純に😢という感情だけではないのだろうし、この行動全てに複雑な思いがあるのかもしれない。とはいえ、セユンにしてみれば母への嫌悪感しかないと思うけれど。

 

この葬儀の日に言い争いになった流れで、テッキはガンスンは文句ばかりで、こんな関係は夫婦とは言えないというようなことを言い、家を出て行こうとする。ガンスンは必死でテッキを引き留めるけれど、結局出て行ってしまう。

 

セユンのことがあろうとなかろうと、テッキがガンスンに対して愛情が持てないのであれば、結婚生活を続けるのは無理だと思うので、別居や離婚を求める権利はあるとは思うけど、前述したとおりガンスンはストレート過ぎる部分はあるものの、前半では気立ての良いいい奥さんに見えていた。

 

ガンスンが文句を言うようになったのは、テッキの様子が変わったからだし、テッキが自分の気持ちに戸惑っていようがいいまいが、浮気には違いないわけで、その部分を棚上げしてガンスンの文句が多いから別れたいと言うのは勝手だなと思った。

 

たしかにガンスンは言ってはいけないことを言ったりすることもあったけど、さんざん支えてきたのに、青年に恋したら詩が書けるようになって、その辺り邪推して文句ばかり言うから出て行くって言われたら、ガンスンの立つ瀬がないよね?

 

冷たいようだけど芸術家を支えるのも限度があるしね。まぁでも2人が結婚に至った経緯が分からないので、ガンスンもテッキ自身ではなく、彼の作品も愛してのことならば話は違ってくるかもしれないけれども。

 

ガンスンはセユンを呼び出す。自分にはテッキが必要だと言うと、セユンも自分にも守ってくれる人が必要だと言う。彼が未成年でなければ盗人猛々しいと思うけれど、この時のセユンの真意は分かりにくい。本心もあるだろうけど、まさかテッキと一緒に生きる決意までしていたわけではないと思うので。この話し合いはガンスンが激高したところでシーンが切り替わった気がするけど、実は続きがあったことが後に分かる。

 

セユンが友人たちとカフェにいるとテッキがやって来る。どうして自分を避けるのかと言うテッキに冷たい態度を取るセユン。周りの友人たちもテッキのただならぬ様子に、初めてゲイを見たなどと囃し立てる始末。そんなことはお構いなしにセユンには守るべき人が必要だと言うテッキ。一度は帰ろうとするけれど諦めない。突き飛ばされても手を差し伸べ、自分がセユンを養うから一緒に行こうと言う。初めて見るテッキの強い意志表示に見ている側も並々ならぬ思いを感じる。でも、セユンに拒絶されてしまう。

 

シーン変わってジャケット姿でシュッとしたテッキが、数人のスタッフらしき人々と打ち合わせをしている。どうやらあれから1年ほど経ってテッキは人気詩人となったらしく、何かの打ち合わせ中の様子。そこにバイク便がやって来る。なんとセユンだった。軽く挨拶をして別れるが、セユンがやっぱり一緒に居たいと声を掛ける。ビックリ😲

 

どう言い訳したのか2人は屋上に移動したらしい。セユンはテッキと一緒に居たいというけれど、テッキはそれは出来ないと言い、あの日何故拒絶したのかと聞く。するとセユンは奥さんから妊娠したと言われたからだと答える。なるほど。ガンスンとしてもセユンに対する切り札にしようと妊娠したわけではないだろうけど、父親を亡くしたばかりのセユンとしては、生まれて来る子どもから父親を奪うことはできなかったのでしょう。そして、それはガンスン側にも言えるのかも。

 

シーン変わってセユンがソウルと思われる街にやって来る。そこにテッキの声が被る。手紙を読んでいる感じなのかな? どうやらテッキはかなりまとまった額のお金をセユンに贈ったらしい。詩集の収益なのかな? セユンのおかげで書けた詩だからということだったような🤔 君はここから出て新しい世界を見るべきだと助言している。セユンの希望に満ちが顔が印象的。

 

一方、テッキの家では民族衣装を着けた幼い女の子の姿が。その子を抱いて座るのは、こちらも民族衣装姿のテッキ。この時点までガンスンの妊娠が本当なのか少し疑っていたけど、どうやら本当だったらしい。テッキと娘の周りにガンスンや両親らも並び記念撮影となり映画は終わる。なるほどテッキは家に戻り、娘も生まれ、やっと本当の意味で家族を作ったということなのでしょうかね。

 

正直、セユンからテッキへの思いがあまり伝わって来ず、テッキの一方的な思いなのかと思っていたので、最後のセユンの告白は取ってつけたようにも感じた。とはいえ、テッキ自身の思いも恋というよりは、自信を失い尊厳を失った彼が、自分を必要とした人を求めたとも取れるのかなと思ったりする。

 

なので見終わった感想はこれは恋なのかな? だった。で、原題を調べてみるとやっぱり「詩人の恋」だった。これはシューマンの曲と絡めているのかな? ハイネの詩に曲をつけたんだよね? まぁ、でも恋だとテッキは思ったのだろうし、そこで波風立ったおかげで詩が書けたわけだから、そういう意味ではこのタイトルでいいのか🤔

 

キャストは皆良かった。出演者はそれなりにいるけど、ほぼ3人芝居という印象。とはいえ、寝たきりとなり息子を心配する父親役の人も良かった。ガンスンのチョン・ヘジンが良かった。この役下手をするとわがままで気の強い嫁というように見てしまう。でも、夫の気持ちが自分に向いている自信がない中、必死に支えて来たのに、若い男性に奪われそうになる状況は相当辛い💦 その中で葛藤し焦りもがく姿を、みっともないと感じさせてはダメなのだと思う。その辺り絶妙だった。

 

セユンのチョン・ガラムは繊細な感じが良かったと思う。ミステリアスな感じにしたいのか演出の方向が定まらない気もしたけど、その辺りも青年期へ向かう迷いや、家族のこと、将来のことへの不安とも取れる感じになっていた。主人公が恋する相手なのだから、危うさも感じさせて良かったと思う。

 

テッキのヤン・イクチェンが本当に良かった 自分が見た出演作で一番印象に残っていたのはNHKのBSプレミアムで放送された、池松壮亮と共演した金田一耕助シリーズの刑事役。この役のややワイルド感のあった風貌が、小太りの内向的な中年という全くの別人になっていてビックリ😲 テッキの行動には前半のヒモ状態の時からイライラさせられることが多かったけど、それでも彼が迷走しつつ自己主張を始める姿から目が離せなかった。そしてラストでスッキリと大人の男性になった姿にじんわりときた。

 

済州島の海辺の田舎町っぽい感じが、のんびりしつつも閉塞感があってよかった。テッキとセユンが行った森の美しさも印象的。それぞれの心情を映像で見せる部分も多いので、その辺りの感じも良かったと思う。

 

感想書くの遅くなり過ぎて公開もとっくに終わっていると思う💦 とはいえ、じんわり来る作品なので、お家でじっくり見るのもオススメ。

 

『詩人の恋』公式サイト

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