【tv】100分de名著「アルプスの少女ハイジ」(第3回)
小さな伝導者
1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。6月はヨハンナ・シュピリ(Wikipedia)著「アルプスの少女ハイジ」(Wikipedia)を読み解く。講師はドイツ文学者の松永美穂さん。今回はその第2回。第1回の記事はコチラ。第2回目の記事はコチラ。
ホームシックで衰弱したハイジはフランクフルトからスイスの山へ帰る。クララは悲しむがハイジのためを思いたくさんの贈り物でハイジを送り出す。クララが準備したお土産の中にはペーターのおばあさんお為の白いパンも! ハイジはまずおばあさんのいるペーターの小屋へ向かう。
朗読意訳:ハイジはデルフリからできるだけ急いで山道を登る。胸の高鳴りはどんどん大きくなり、小屋のドアを開けるのも体が震えて大変。ハイジが息を切らして部屋の中に立っていると、今入ってきたのは誰だい?という声。おばあさんわたしよハイジは叫びながら走り寄り、おばあさんの両手を握りしめた。
おばあさんはうれし涙を流し、2人は再会をよろこんだ。ハイジは白パンをおばあさんにあげる。
朗読意訳:なんてありがたいお土産だろう。でも、いちばんありがたいのはハイジが帰ってきてくれたことだよ。
ハイジは下着姿にショールだけ巻き、おじいさんのもとへ向かう。キレイな上着では誰だか気づいてもらえないと思ったため。
朗読意訳:アルムは一面夕焼けで、今まで夢でさえ見たこともない景色だった。喜びと歓喜のあまり明るい涙が頬に転がり落ちた。山の上に向かって駆けていくと、小屋の脇のベンチでおじいさんがパイプをふかしていた。おじいさん!おじいさん!おじいさん!
ハイジに抱きしめられたおじいさんは、何も話すことができないまま久しぶりに涙を流した。
伊集院光氏:うれしくて感動的。全部入りで良い。
この場面は夏の一番いい季節が選ばれていて、物語の冒頭を思い出す流れになっている。服を脱いで下着姿で登っていくのも同じ。繰り返しの表現で都会から戻って来たハイジがアルムの自然のすばらしさを改めて発見する。
伊集院光氏:帰って来たのだから元どおりの景色が見えてよいわけだが、例のやつだ!と思っていいけどそうではなく、初めて見る景色のように美しいのはちょっとポイントなんですね?
一度離れたのでもっとそれがしみる感じになっている。
この物語のよいところは嫌な人がいないということ。唯一の悪役ともいえるロッテンマイヤーさんですら、今見ると杓子定規な性格なだけで意地悪でやっているわけではないと思えるし。クララも足が悪くて外にも出られず、母を亡くして父親はめったに家にいないって病んでしまってもおかしくないのに、ハイジの幸せのために自分の寂しさをこらえてお土産を持たせてくれるって泣けてくる😢 でも、それもハイジの人柄なんだよね。ハイジの純粋で感受性豊かな性格が周りの人を優しくさせるんだろうな😌 ハイジのこのアルムの山を見て涙を流すシーンは本当にすばらしい✨
ハイジは都会で得たことを皆に還元していく。このことが教育者であったシュピリの伝えたいこと!
【ハイジが都会で得たもの】
①お金:ゼーゼマンさんはことの顛末を書いた手紙と、まとまったお金を持たせてハイジを帰した。ハイジはペーターのおばあさんに毎日白パンを買えることが分かり、自分のためでなく他人のために使うことにする。
⇨ハイジの成長、お金は悪いものではないというシュピリの考え。いい人がいい目的のために使えばいいことであるという考え。
②教養:ハイジはペーターのおばあさんに古い賛美歌集から詩を読んであげる。家族誰も読んであげられる人がおらず、その朗読を聞き久しぶりに賛美歌に触れたおばあさんは感動する。
⇨「お日さまの歌」17世紀ドイツのルター派の牧師/詩人パウル・ゲルハルトによる「朝の恵み」の一部を朗読した。
この後、物語はキリスト教的要素が強まるが、押しつけがましくなく子供にも分かるシンプルな内容。
伊集院光氏:すごくベタな信仰の文章ではない。自分たちのようにキリスト教徒でなくても普通に取り入れられる話。主よとかキリストがとか入っているわけではない。
神を自然になぞらえていて、皆の上に平等に恵が降り注ぐという内容になっている。
この詩も紹介されていたのだけど、ちょっとめんどうだからメモ取らず😅 検索したら出て来ると思うのでここでも割愛。ゼーゼマンさんがお金を持たせたというのは、ハイジのお給金なのかしら? それとも善意? ハイジは本当にペーターのおばあさんのことが好きなんだね。おじいさんは父方で、おばあさんにあたる人については全く不明。母方の祖父母はどうなっているのだろう? デーテはハイジの母の妹なわけだから、その両親のもとにハイジを連れて行かなかったからには亡くなっているのか?🤔 長々何が言いたいかというと、ハイジにとってペーターのおばあさんは、自分のおばあさんのような存在なのかなということ。
ハイジがフランクフルトで学んできたお祈りについておじいさんに話す。
もし神様がわたしが強くお願いしたことをすぐにかなえてくださっていたら、こんなにすてきなことは起こらなかったわ。わたしはただ直ぐに家に帰って来ただけで、おばあさんに少ししかパンを持ってこれなかったし、本を読んで元気にしてあげることもできなかった。
おじいさんは直ぐにはそう考えられず、神様に忘れられた者は一生そのままなんだと言うと、ハイジはクララのおばあさまからもらった絵本「放蕩息子のたとえ」を読んであげる。
ハイジがおじいさんに読んだのは放蕩息子が父親に優しく迎え入れられるという聖書のエピソード。いい話だと言うものの、おじいさんは真面目な顔で何かを考え込むばかり。しかし、その晩眠るハイジの姿を見ておじいさんは自分の心の変化に気づく。
朗読意訳:ハイジは両手を組んで寝ていた。お祈りを忘れていなかった。バラ色の顔に平穏と信頼感が表れており、おじいさんの心に語りかけた。おじいさんは長いことそこに立ち、眠っているハイジから目をそらさなかった。おじいさんも両手を組み、頭を垂れ小さな声で言った。自分は天に対してもあなたに対しても罪を犯した。もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません。大きな涙がおじいさんのほほを転がり落ちて行った。
翌朝、晴れ着を着たおじいさんから一緒に教会に行こうと言われ、ハイジはよろこぶ。村人たちは驚きながらもおじいさんを歓迎した。ハイジへの優しい態度から噂ほど悪い人ではないと思うようになっていた。
朗読意訳:集まっていた人たちはみなおじいさんの方へ行き、一番に手を差し出そうとした。たくさんの手が一度に伸ばされたので、どれを一番に握ったらいいのか分からないほどだった。
これまでの非礼を詫びるおじいさんを牧師さんも歓迎する。2人は何度も固い握手を交わした。帰り道ハイジはうれしそうに言う。今日はどんどんすてきになっていく。これまでとはまるで違う。
朗読意訳:そうだね。今日は自分でもわからないが、こんなことがあっていいのかと思うくらいすばらしいことばかりだよ。神様や人間と仲良くすることが、こんなにいい気分だなんて! 神様はわたしによくしようとしてお前をアルムに送ってくださったんだよ。
伊集院光氏:こうして解説してもらうとハイジの天使感が際立つ。神様や人間と仲良くすることがこんなにいい気分だなんて! おじいさんの言葉に驚き。
大人になって改心するのは簡単なことではない。おじさんはとてもプライドの高い人だったと思うけれど、みなから握手の手を差し伸べられて、その後は牧師さんお助言どおり冬は山のふもとに住み、ハイジを学校に通わせるという約束をする。
それまでさんざん村人たちはおじいさんを悪く言っていた。何度もそういうことがあって、最後はみんな本当はいい人だったんだということを受け入れる。
伊集院光氏:ここもハイジは媒体となりおじいさんの本当の性格を伝導しに行く。
まぁ最初に悪いうわさが立った時の村人たちの気持ちも分からなくはない。得体のしれない人付き合いの悪い傭兵帰りの人がいたら不安な気持ちにはなると思う。でも、ハイジのお父さんはおじいさんに育てられていい大人になって誰からも愛されていたんだよね? だったらその時点でおじいさんへの評価が変わってもよかったのでは? というツッコミはしちゃダメか😅 イヤ、ここのポイントはおじいさんの側が変わったということがハッキリと示されていたことが大きかったんでしょうね。晴着を着ているということは、キリスト教徒にとっては一目瞭然のことだったのでしょう。ハイジという愛すべき存在を得たおじいさんが、今まで自分は受け入れられないと思っていた神様が、自分にもういちどチャンスを与えてくれたのだと思ったということなのでしょう。そして、それはクララのおばあさまの言葉を借りれば、おじいさんにとって今がその時であり、そのために遣わされたのがハイジなのでしょう。そういう意味では天使として描かれているのかも😌
安部みちこアナウンサー:「放蕩息子のたとえ」がおじいさんの心に響いたのは何故?
おじいさんは殺人のうわさもあり、家の財産を使い果たすといった暗い過去が「放蕩息子」と重なった。
実はここまでが第1部の「ハイジの修業時代と遍歴時代」 このヒットをうけて続編が書かれる。匿名だったシュピリが実名で作家活動を配目る。このことを考えても作品全体としてとても重要なところ。
伊集院光氏:これはスゴイ! クララ立ってない! 「アルプスの少女ハイジ」の1番のクライマックスは何ですか?と聞かれたら、クララが立ったですと答える。でも「おじいさんが笑った」ですもんね。一部の段階では。
しかも戻って来たハイジから聞くというタイミングだったからこそよかった。復活しているという意味ではハイジもおじいさんも復活している。二段構えの流れになっている。
伊集院光氏:よくできてる! ハイジに対してもおじいさんは一度あきらめている。それが帰って来るという奇跡をまざまざと見せられた直後であり。よくできてる。
これはビックリ! 第1回でハイジは2部構成と言われていたけど、「ハイジの修業時代と遍歴時代」がヒットしなかったらクララが立ったはなかったということ? ここで完結した可能性もあったということは、シュピリとしてはハイジとおじいさんの物語を書くことで、キリスト教的な考え方や教えを描きたかったということなのかな?
第2部は「ハイジは習ったことを役立てることができる」というもの。引き続きハイジが自分が学んだことを周りの人に還元していく。ビルドゥングスロマン(人格形成小説)として成長が見えて来る。例えば朝起きると部屋を掃除するようになったという記述があり、おじいさんがそれを感心して見ている。
読み書きをフランクフルトで習ってきたので、それを16歳のペーターに教える。
【その際に使用した本の内容】
A・B・Cが今日できないと 明日はみんなの前で叱られる
D・E・F・Gすらすら書けなきゃ たちまち不幸がやってくる
H・I・J・K忘れたら いよいよ罪が下される
Wという字がわからなければ 壁にかかっている鞭を見る
またXを忘れていたら きょうはなんにも食べられない
原文は印を踏んでいてリズム感のある言葉だが、罰を与えるとかそういう言葉ばかり。
伊集院光氏:ちょっとおかしみはある。かわいいハイジが教えるのに残酷な気はするが、クスっとくる。で、スパルタ。ペーターはマスターできたんですか?
脅し文句がきいて文字を覚えることができ家族を感動させて、文字を覚えたペーターがおばあさんに賛美歌の詩を読んであげる。
この本の内容もさることながら、これ出てこないアルファベット半分くらいあるよね? 全文は紹介しなかったってことかな? でも、ペーターが文字を読めるようになってよかった😌 っていうかペーター16歳なの 今後の展開を考えるとちょっとヤバイね😅
クララがアルムの山に来る予定だったが、具合がよくないので延期になる。代わりに下見を兼ねてクララの主治医クラッセン先生がやって来る。ゼーゼマンさんの友達でもあるクララの主治医クラッセン先生は妻に先立たれ、数ヶ月前に生きがいだったひとり娘を亡くしている。クラッセン先生のエピソードはアニメや絵本では割愛されてしまうが、是非大人の方に読んで欲しい。
突然やって来たクラッセン先生にハイジはよろこぶ。
朗読意訳:こんにちは先生! そして本当にありがとうございました。こんにちはハイジ。でも何にお礼を言っているのかな? わたしがまたうちに帰れたことです。先生の顔が明るくなった。アルムで歓迎されるとは思っていなかった。
翌朝、ハイジは先生をお気に入りの場所へ案内した。ところが美しい景色を目にしても先生は物憂げな表情を見せる。励まそうとするとハイジに先生は言う。
朗読意訳:いいかいハイジ。目の上に大きな影がかかっている人がいるとしよう。その人は影のせいで周りの美しい物がぜんぜん見えないんだ。そうしたらその人は悲しくなるんじゃないかな。まわりが美しいからよけいに悲しいんだ。ハイジの明るい心にさっと痛みが差し込んできた。わかります。そういう時にはおばあさんの賛美歌の歌詞を言ってみるの。
先生のためにペーターのおばあさんにも聞かせた賛美歌の一節を唱える。
朗読意訳:神様に委ねましょう。神様は賢い君主。あなたを驚かせるようなこともなさるでしょう。
手で目をおおっているのでハイジには眠っているようにも見えたが・・・
朗読意訳:先生は何も言わなかったが眠っているわけではなく、昔に引き戻されていた。そこでは小さな男の子の自分が、やさしいお母さんの椅子のそばに立っている。お母さんは男の子の首を抱き寄せて、この賛美歌を口ずさんでいた。今ハイジが聞かせてくれた。長い間耳にしていなかった歌。ようやく顔を上げるとハイジが不思議そうに自分を眺めているのに気づく。先生はハイジの手をとって言った。君の賛美歌はすばらしかった。また一緒にここに来よう。そうしたらまた聞かせてくれるね。
伊集院光氏:いいシーンですね。専門家の方が鬱病になると、やり方を全部知っている分、なかなか治すことが難しいと聞いたことがある。その上をハイジが行く。ハイジがその瞬間母親になってクラッセン先生が子供になっちゃうんだからスゴイ。
伊集院さんは本当に鋭く言い当ててくださっている。クラッセン先生は自分のことをハイジが覚えていてくれるか自信がなかった。あんなに歓迎されてうれしかったと思うし、たくさんのお土産も持って来たけど、どんなお土産よりも先生に会えたことが一番うれしかったとハイジが言ったことがスゴイ。
伊集院光氏:人の優しさが共鳴していく。ハイジの言ったことはペーターのおばあさんがハイジに、一番ありがたいのはハイジが帰って来てくれたことだよと言ったことと同じ。優しさが絡み合っている。芸術。
クラッセン先生のエピソードがアニメや絵本から割愛されたことは理解出来る。子供には難しいしちょっと暗い。クラッセン先生がハイジの詩の朗読で子供の頃に引き戻されて、母親のことを思い出すというのはとても良いシーン。クラッセン先生は医師という立場で人から尊敬される人物。しかも娘もいた父親でもあった。そういう人物が打ちのめされるような辛い出来事があって、そこから抜け出せないでいる時に、母親という自分を守ってくれる頼るべき存在を思い出すことで、少し救われた部分があったんじゃないかな? 上手く言えないけど😅 そうそう! 自分もハイジがクラッセン先生に言ったことは、ペーターのおばあさんから言われたことだと思った! ハイジはそれがとてもうれしかったから、無意識のうちにクラッセン先生にも言ったのだろうし、シュピリとしては優しさの連鎖を描いているのでしょう。
そして、クラッセン先生はハイジと仲良くなるだけでなく、おじいさんととても仲良くなっている。一緒に山歩きをしておじいさんがこの地域の薬草は生き物に詳しい知識を持っていることに驚き、おじいさんを尊敬する。クラッセン先生がスイスの山でたくさんの物を与えられて、おじいさんと対等の関係になる。後半のポイント。
伊集院光氏:フランクフルトが上でも、アルムが上でもなくて、お互いがいいとこ同士で交流できるという。そういう話なんだ。
安部みちこアナウンサー:クラッセン先生がだんだん癒されていく姿に読者も元気になっていく。
大人として読むと、とてもそこに励まされるというのがあるし、ハイジが第1部では病むが、大人も辛いことがあって、ハイジの言葉で変えられていく。
ハイジが主役の物語のはずで、第1部の前半はハイジが成長する物語だったのだけど、後半から第2部のここまではハイジにより周りの人たちが変化していく物語なんだね。クラッセン先生とおいじさんが仲良くなったというのもその1つ。クラッセン先生が癒されていくのはもちろん、友達のいなかったおじいさんに親友となるべき人物が現れたというのは大人の読者としてはホッとする部分でもある😌
伊集院光氏:もともと深い世界観があって作られているから、こんなに良くできた部分が書けているのか、後から足したのとは違う気がする。
登場人物が急に増えるわけでもないし、上手くつながっている。
伊集院光氏:ちょっと第3夜は泣くのをがまんしていた。
シュピリとしては描きたい世界観はあったんだろうなと思う。どこまで考えていたのかは分からないけど、第1部のヒットを受けて続編を書くにあたり考えたエピソードだったとしても、根幹となる世界観は変わっていないということなのかなと思う。イヤ、思っていたより深い話でビックリ😲 ヨーロッパの話だからキリスト教が重要なテーマなのだろうとは思うけれど、思っていた以上にキリスト教がベースなんだね。賛美歌の詩という分かりやすいことだけでなく、もっと根っこの部分にキリスト教がある。なかなか興味深い。
残り1回。すでにメモ取りながら見たので、あとは記事にするだけ。自分の記憶違いが発覚して驚愕しているけど、頑張って直ぐ記事書く!
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