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【art】「歌川広重 名所江戸百景のすべて」鑑賞@東京藝術大学大学美術館

2007-07-22 16:40:12 | art
'07.07.14 「歌川広重 名所江戸百景のすべて」鑑賞@東京藝術大学大学美術館

「金刀比羅宮 書院の美」展のチケットでこちらの展示も見れた。藝大が所有している歌川広重のコレクション展。広重晩年のシリーズもので2代目も手がけているが、ほぼ初代の作品。1点1点はあまり大きくないけれども、とにかく点数がスゴイ。120点! もちろん有名どころもあるけれど、ほとんどは初めて見るものが多い。

江戸百景というわりに2点市川を描いたものが! 「鴻の台とね川風景」と「真間の紅葉手児那の社継ばし」がそれ。利根川とは江戸川のことで、鴻の台とは国府台のこと。崖が描かれているけれど、この辺りは国府台の高台か? ここは中学時代をすごした所。もう一枚の手児那というのは万葉集にも登場する伝説の美女、複数の求婚者の間で悩み身投げしてしまったという悲劇のヒロイン。今では手児那霊堂として安産祈願やほおずき市などで有名。この絵がすばらしいのは広重お得意の、手前に絵を象徴する何かを大きく描き、遠景に小さく主題を描くという手法を使い、手前に真間山こと弘法寺の大楓を描き、遠景に手児那霊堂を描いている点。実際はそんなに離れていない。でもこの美しい楓に目を奪われてから手児那霊堂に目を移すと、砂洲に浮かぶように描かれた霊堂がまるで天国のような幽玄な印象に見えること。

この手前に大きく何かを描く手法は確か、いわゆる西洋式の遠近法ではない独自の遠近法だったはず。「深川洲崎十万坪」では画上に大きく羽を広げた鷲を描いているし、「水道橋駿河台」では中央に鯉のぼりが描かれている。これは斬新。さんざんこの手法は見たけれど、この鯉のぼりの勢いと美しさがスゴイ。鷲の方はまるで夜景を包み込むように羽を広げて、むしろ西洋的な抽象的なイメージ。これはおもしろい。「浅草川大川端宮川」と「四ツ谷内藤新宿」は同じ手法でも変り種。「浅草~」は大山参の人々を描いているけど、参詣を終えた人々の頭のみを手前に描いていてなんともかわいらしい。「四ツ谷」はなんと馬のおしりがドアップ! しかもポロポロと馬糞まで(笑) これはかなりの遊び心?

構図もさることながら画全体として美しかったのが「亀戸天神境内」と「浅草金龍山」 「亀戸~」は手前に描かれたしだれる藤の美しさと、奥に描かれた太鼓橋の曲線と色合いが美しい。「浅草金龍山」は手前に今の雷門を描いている。右上に大きな提灯の下端が描かれている。当時はまだ「雷門」ではなかったようだ・・・。その後ろに雪景色の浅草寺。なんと仲見世がない。こういう変化も楽しい。そして雪景色が美しい。「上野山内月のまつ」も大胆。実際に上野にあったぐるっと円に枝が曲がっている松を描き、その円から向こうを覗く構図。これは確かに描いて見たくなる構図ではある。

そして有名な3枚。「猿わか町よるの景」はゴッホの「夜のカフェテラス」に影響を与えている。それまで西洋画には夜を描くという習慣がなかったが、この絵を見てゴッホが夜を描きたいと描いたらしい。「大はしあたけの夕立」「亀戸梅屋舗」もゴッホが模写したことで有名。「大はし~」の夕立の躍動感はすごい。その他直接的ではなくてもゴーガンにも影響を与えている。やっぱり広重はすごい! 北斎の方が好きだけど(笑)

図録によると藝大所蔵のものは初版ではないものが多いらしく、どこかの段階で簡略化されていき、やや劣るというような評があった。初版と見比べていないのでよく分からないけど、やっぱりこの点数を一挙に見られるのは貴重かも。


★7月7日(土)~9月9日(日)まで

東京藝術大学大学美術館HP

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【art】 「金刀比羅宮 書院の美」鑑賞@東京藝術大学大学美術館

2007-07-22 15:45:56 | art
'07.07.14 「金刀比羅宮 書院の美」鑑賞@東京藝術大学大学美術館

「こんぴらさん」こと香川県の金刀比羅宮の表書院、奥書院の襖絵約130点を展示。円山応挙、伊藤若冲の襖絵が見られるってことで雨の中出かける。雨なのであまり混んでなくてゆったりと見られる。表書院の展示から始まり、奥書院へと続く。実際に展示されているとおりに配置してありとても見やすい。

1点目は応挙の「芦丹頂図」 羽を休める鶴や羽ばたく鶴が精緻な筆と大胆な構図で描かれている。実際よりもやや小さめではあるけれどほぼ実物大に描かれた丹頂は迫力がすごい。畳の上に座した時に自分の周りを鶴が羽ばたいて見えるように配置してあるとのこと。素晴らしい。

2点目が「遊虎図」水呑みの虎、八方睨みの虎で有名な襖絵。この作品を描いた時、応挙は虎を見たことがなかったそうで、虎というよりはやや猫っぽい印象。でも、前足で踏ん張り頭を下げて水を飲む虎の姿はさすがの迫力。正面には八方睨みの虎がいる。こちらも猫っぽい丸みのある印象ながら眼光が鋭い。そしてどこから見てもこちらを睨んでいる。その描かれた動物に命を吹き込む筆力はさすが。

奥書院に進むと岸岱の襖絵が。大きな襖の上の小さな襖(何という部分なのか分からない・・・)に描かれた蝶が美しい! 実は奥書院には元々伊藤若冲の描いた襖絵が多数あったのだけど、奥書院を修復する際に痛みの激しかった若冲の襖絵をはずし、岸岱に依頼したという経緯があるのだそう。岸岱は若冲の意思から外れぬよう注意を払いつつ襖絵を描いたらしい。岸岱という人は知らなかった。岸岱の父は応挙とともに絵を学んだそうで、応挙以降衰退してしまった円山派に比べて岸派という流派を開いた人として有名だったらしい。岸岱は父から画力の無さを指摘されたことがあったらしいけれど、繊細な絵でとても素敵だった。2点目の「水辺柳樹白鷺図」では右奥から飛び立って、羽ばたき左奥で地面に降り立つ白鷺の姿が優美に描かれている。所々に緑青で配されている苔が美しい。

いよいよ伊藤若冲。「花丸図」がそれで若冲はこの1点のみ。さまざまな花が等間隔で描かれている。金地の襖に10個つづ描かれた花は色彩も鮮やか。全部が違う花なので襖にしてはやや過剰な気がしないでもないけど、作品として見るとさすが。白の花の中に赤の花を1点描いてみたり、葉のみで緑を強調して描いてみたりして、ばらばらなようでリズムをもたせている。若冲がすばらしいのは花は花として描いていること。葉の虫食いや枯れかかっている姿も美しいものとして描いている。自然のものは滅びるその瞬間ですら美しいのだという若冲の考えが感じられる。

後から分かったのだけど、実はかなりCanonの技術を使った複製が展示されているらしい。ちょっと残念な気持ちもするけど、複製にしてもこの迫力を感じられるというのは素晴らしい。

地下にも展示は続く。こちらは地元の漁師などが奉納した絵馬や船などが中心の展示。これはこれで興味深い。


★7月7日(土)~9月9日(日) まで

「金刀比羅宮 書院の美」Official site
東京藝術大学大学美術館HP

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【cinema / DVD】『天空の草原のナンサ』

2007-07-16 01:08:21 | cinema / DVD
『天空の草原のナンサ』DVD鑑賞

公開時少し気になっていたけど、なんとなくタイトルで食わず嫌いに。どうして邦題っていまひとつのものが多いんだろう・・・。実際のタイトルは「THE CAVE OF THE YELLOW DOG」で、映画の中で登場する犬にまつわる伝説とストーリー自体にかかっているので、見る前にこのタイトルではイメージしにくいのは分かる。日本人はどちらかというとイメージを大切にするタイプだから。でも「天空」はないと思うんだが・・・。全然天空じゃないし、モンゴルの遊牧民の暮らしをそのまま伝えたかったという監督の意図と違ってしまわないか?

「モンゴルの遊牧民の少女ナンサは、ある日洞窟で犬を見つける。家に連れて帰るが父親に元に戻してくるように言われる。どうしても離したくないナンサはツォーホルと名づけて飼うことにするが・・・」という話。監督はモンゴル出身の女性ビャンバスレン・ダバー。ダバー監督自身は都会で育ち、映画を学ぶためドイツへ留学。この映画もドイツの作品。ナンサのような遊牧民も時代の波におされて減少しているという。そういう現状を踏まえて今現在の遊牧民を描きたかったとのこと。リアリティーを重視したため俳優ではなく実際の遊牧民の一家が演じている。2週間かけていろいろな家族に会い、最後に会ったのがバットチュルーン一家。この一家がとってもいい。

父、母、ナンサ、妹、弟の5人家族。羊を放牧しその皮を町に売りに行き生活している。冒頭ナンサはバスで学校から帰ってくる。どうやら寄宿舎のような所があるらしく久しぶりに戻ってきた様子。有名なパオと呼ばれるテントでの生活。1部屋しかないみたいだけどかなり広くて、家具などは飾り彫りなどの装飾がほどこされていてかなり立派。長女のナンサは燃料の牛の糞拾いなどの手伝いをしたり、妹や弟の面倒をよく見ている。弟はやっと歩いているのでまだ2歳にはなっていない感じ。妹も小さいけど弟の面倒をよく見る。そして父親は厳しくも優しく、母親は家事をよくこなし子供達に愛情を注いでいる。その感じが押し付けがましくなくとても素直に淡々と描かれている。

よくある「自然派」な感じの生活を紹介するドキュメンタリーとは違い「自然の中で暮らすことこそ人間の真の姿!」というような主張がないのがいい。確かに、人間は自然と共存してきた。今だって自然から多くのものを享受している。都会で暮らしてストレスが溜まった時、自然の中に身をおくと癒されるのは確か。でも、みんなが自然回帰して自給自足の生活になろうとしたって今更ムリだろう。確かに理想の生き方なのかとも思うけど、東京近郊で育ち、東京でOLしている身としてはその生活は極端な気がする。いきなりモンゴルの遊牧民の生活はムリ。なので、もしこれこそが理想の生活という視点で描かれたらちょっと引くかも。それがないのがいい。

ドキュメンタリーではないし、ドキュメンタリータッチで撮ろうとしていないと思うけど、結果ドキュメンタリーのようになっている。特に子供達の演技などは多分演技ではないのだろうというくらい自然。弟が陶器の神様で遊び始めたら、妹が「神様で遊んじゃダメ」と嗜めるシーンがあるけど、そのシーンは偶然撮れたと監督が語っていた。モンゴル語が一つも分からないせいもあるのかも知れないけど、ホントに自然で素人の演技とは思えない。きっと監督やスタッフたちとバットチュルーン一家にいい関係が築けていたのでしょう。

道に迷ったナンサを助けてくれたおばあさんもとってもいい。最初はおじいさんかと思ったけど(笑) 黄色い犬の伝説については特に感動することは無かったけど、この話と引越し時の出来事がナンサがツォーホルを拾って来た時、反対する父親に母親が「あの犬はウチにくる運命だったのかも」というセリフに呼応している。そういう出来事も自然や信仰に添うように生きている人々の身に起きると自然に感じられる。針を使ってナンサに摂理を教えるのがいい。母親が手のひらを使って叶わないことがあることを教えるシーンもいい。こんな風に説明してあげれば子供も納得できるはず。素晴らしいと思う。

とにかく生活が素朴で質素。町に行った父親に母親がお土産に頼んだのはプラスチック製の手桶。100キンで買えそうな手桶をとってもうれしがる姿はかわいい。牛の乳を搾りチーズにしてパオの中につるして乾燥させるところとか、そういう素朴で質素な暮らしぶりは興味深い。その生活に憧れるということはないけれど、その姿は母親というものを体現している気がする。

ナンサ達の生活はとにかく生活=生きるということ。もちろんフツーのOLだって生活=生きるだけど、日々の生活そのものが生きることという生々しさはない。ナンサ達のような生活と生きることが密着していると自分の事を考えている暇はない。父親も母親も子供達も家族の生活の事だけを考える。だからとても「家族」という絆が感じられる。確かにこれは人間が本来あるべき姿なのかもしれない。文明の進化とはあらゆることが早く便利にできるようになるということ。いろんな事が早く便利に出来れば余暇ができるかと思うと実はそうではなく、逆にやる事が増えていったりする。そして人にかまっていられなくなっていってしまう。それも極端だとは思うけど、行き着く先はそうなのかも。とはいえ、いきなり自給自足の田舎暮らしをすればいいというものでもないと思う。それにはそれなりに知識や技術が必要だし。

つらつら書いてしまったけれど、とっても良かった。自然も美しい。ツォーホルもかわいい。引越しシーンで見たパオの解体作業も面白かった。あんな構造になっているとは! よく考えられているんだなと思った。とにかく素朴で温かい彼らの生活を見ているだけでも癒される。


『天空の草原のナンサ』Official Site

コメント (4)
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【cinema / DVD】『マーサの幸せレシピ』

2007-07-12 00:16:04 | cinema / DVD
『マーサの幸せレシピ』DVD鑑賞

公開時は全くノーマークだった。『サージェント・ペッパーぼくの友達』のスタッフがペッパー以前に作った映画ってことで気になったので見てみた。

「マーサは街で2番目の腕といわれる人気シェフ。生真面目で不器用な性格のため、理不尽に料理にケチをつける客を怒鳴りつけてしまうこともある。新しく入ったイタリア人シェフとは気が合わず、私生活では姉の事故死を悲しむ間もなく、傷つき心を閉ざした姪と暮らすことになり・・・」という話。あらすじを聞いただけでストーリー展開が全て見える。それぞれのキャラも想像できる。イタリア人シェフはやけに明るく人懐っこく皆に好かれているが、時間にルーズでいい加減な印象。常に全力投球のマーサにはイライラする存在。姪は愛おしいけれど扱いにくい。そんな感じもさんざん見てきた気がする。でもホロリとしてしまうのはやっぱり王道なのか?

マーサは一見頑なで人を寄せつけないようだけど、実は繊細で傷つきやすいため、人から拒絶されるのが怖いだけ。お客の難くせに過剰に反応してしまうのも自分を全否定された気がするから。傷つきやすい自分をガードするため殻を作ってしまう。そして攻撃的になってしまう。マーサほどの才能もないし、強くもないけどとっても自分に似ていると思った。マーサの行動や心の動きにいちいち思い当たるフシがある。マーサはイヤな人物ではない。女店主はやや持て余し気味だけど能力は買っているし、決して嫌っているわけではない。そう思えば自分も周りの人から受け入れてもらえているのかもしれない。

よく「大人になりなさい」って言うけど、30代後半以上と思われるマーサは立派な大人。そんな大人が大人になるのは難しい。要するに丸くなりなさいということだと思うし、丸くなった方が生き方としては楽だ。人に受け入れてもらうには人を受け入れなくてはならない。人を受け入れるということもなかなか難しい。そういうことを頭で考えず難なくできる人をうらやましくも思う。でも、生き方が不器用である人は感受性が豊かで繊細であったりもするのだ。そういう人は普通の人には見れない世界が見えたりもする。街で2番目の腕(オーナーの皮肉だけども)を持つシェフのマーサはやはり芸術家なのだと思う。

姪のリナもマーサと似たタイプ。だからマーサはリナをとても理解できる。多分、マーサの姉は自然に人を受け入れるタイプの女性だったのではないか。姉との電話の会話で姉とリナに食事を作るというマーサに「ピザでも取りましょう」と答える姉。マーサの職業を考えて気遣っているのかもしれないが、マーサにとっては自分を受け入れてもらえない気がするのではないか。そして姉の物事にこだわらない様子も感じられる。なので子供の頃から姉にコンプレックスがあったような気がする。だから自分と似ているリナをとても心配でたまらないし、愛しく感じるのだろう。

一見世辺り上手でいい加減なタイプに見えるマリオも、そういう風に自分を装うことで他人との距離を縮めているのかもしれない。始めは大袈裟なくらいおどけてみせて、次第にホントの自分を見せていくタイプの人もいる。それが器用なのかどうなのかは良く分からない。でも映画では心を閉ざしたリナと、子供のように純粋で不器用なマーサの心を「大人」なマリオがほぐして行く。マリオと2人は真逆に見えて一周回って似ているでしょう。多分、実際はみんなそんなに器用ではないし「大人」でもないのだ。きっとマーサのように何かしらの殻のようなもので自分を守っているのだと思う。「大人」という殻だってあるのではないか・・・。

家族愛、恋愛、友情など王道なストーリーだけを見ても良く出来ていると思う。でも、マーサと自分を重ね合わせて見て行くと、意外にいろんなことを考えさせられて感動していた。ドイツの街も素敵だし、最後に出てくるイタリアの太陽輝く感じも素敵。厨房での人間模様もいい。マーサがかっとなると文字通り頭を冷やしに冷凍庫に入るのもツボ。そして何より料理がおいしそう!

マーサ役のマルティナ・ゲデックが良かった。厨房を取り仕切っている時でも、お客に啖呵切っている時でも、取り乱している時でも女性らしい。頑ななマーサも魅力的に演じている。彼女の演技がいいのでマーサにすんなり自分を重ねられたのだと思う。頑なな理由にも説得力があるから。マリオ役のセルジョ・カステリットも良かった。ステレオタイプなイタリア男として登場して鼻持ちならなかったのに、気付くとマーサとリナを包み込んで温かく見守っていた。こんな風に見守られたいものだ(笑)

なかなか良い映画だった。大切なものを持ったマーサがとっても魅力的になっていく感じもいい。最初の威厳のある感じも嫌いではないけど、でもそれはマーサの装いだからね(笑)


『マーサの幸せレシピ』Official Site

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【cinema】『図鑑に載ってない虫』

2007-07-12 00:08:42 | cinema
'07.07.06 『図鑑に載ってない虫』@テアトル新宿

最近まで放送してた「帰ってきた時効警察」が好きだった。時効になった事件を趣味で調査するという謎解きもさることながら、小ネタやおかしなセリフなどが満載。全編に漂うゆるい感じ、そしてなにより登場人物の不思議なキャラがおかしかった。特に好きだったのが熊本課長(岩松了)と又来(ふせえり)のコンビ。実はこの2人この映画の監督三木聡作品の常連で、トークショーをすると満席になるほど人気らしい。ということでこの2人目当てで見に行った。

「フリーライターの俺は臨死体験できる"死にモドキ"を探し出し、体験ルポを書くようにという無謀な指令を受ける。親友のエンドーを巻き込み"死にモドキ"探しに乗り出すが・・・」というそもそも荒唐無稽な話。なのでその感じがダメだと全然ダメだと思う。そんな感じを求めて行っているので私は楽しかった。ただ、荒唐無稽な話で小ネタ満載でゆるい感じっていうのは、とっても俳優の比重が大きいんだと実感。演技力もそうだけどキャラとか佇まいとかがとっても重要。正直、冒頭の俺(伊勢谷友介)と編集長(水野美紀)の掛け合いは笑えなかった。特に編集長・・・。美人なのに下品ってキャラが浮いてる。別に下手ではないと思うんだけど全然しっくりこない。キャラが合わないのか、キャラが合わなくても自分のものにするのが力量なのか・・・ 実際、高橋惠子は不思議な役で、不思議感を漂わせながらも違和感はなかった。

冒頭はちと辛かったけど松尾スズキが出てから楽しくなってきた。「帰ってきた・・・」最終回にも出てきたキャラ。オルゴール職人という設定だけどオルゴール職人らしさ皆無。無表情でバカなことばっかりしているのがおかしい。ここからは一体誰がどんな役で出てくるのかが楽しみでしょうがない(笑) お目当ての熊本さんは鯉のぼり柄のシャツ着用のヤクザ「目玉のおっちゃん」として登場。その舎弟チョロリが又来! やっぱり最高。こんなおかしなキャラなのに違和感がないし、そして普通にいるだけでおかしい。もう1人重要人物の元SM嬢でリストカッターのサエコが菊地凛子。芸達者たちの中ではやや見劣りするけどOKなのではないかと。彼女の幸薄そうな個性的な感じと合っている。

その他、中華屋の店主笹野高史、SM店の経営者片桐はいりが最高! 笹野高史もいるだけでおかしい。2人ともあんな芝居をあんなにも自然にできるのはやっぱりすごいと思う。片桐はいりの「それじゃ、あげられるものは何もないわっ!」がおかしくて仕方ない(笑) 村松利史はちょっとやり過ぎな感じがしてちと苦手だけども、地面にいるとこがおかしかった。「時効警察」のオーディオコメンタリーによると事務所の社長にやり過ぎだと演技のダメ出しをされてるらしい(笑) 主演の伊勢谷友介はいい加減に見えて実は真面目な俺を頑張って演じていたとは思うけど、正直かなり周りに助けられた感じは否めない。伊勢谷と松尾スズキが親友っていうアンバランス感もおかしいポイントなのに、そこがグッとこない感じは自然じゃないから。荒唐無稽だとか、小ネタがおかしいとか言っておきながら自然な感じっていうのは矛盾してるようだけど、荒唐無稽なことほど違和感なくやらないといけないんだと思う。一切リアリティーがないと見ている方は置いてきぼりになってしまう。まぁ、実際は俺が一番まともって設定だから浮いてることもありなのかもしれないけど。でも少なくとも菊地凛子にはリアリティーがあった気がする。あんな種田師匠にもリアリティーをもたせた三谷昇とか、多分それはかなりの作品の理解と計算があるのだと思うけど、それらを感じさせない佇まいがすごい。

監督の三木聡は元々は「ごっつええ感じ」や「タモリ倶楽部」の構成作家だったのだそう。なるほど好きなわけだと納得(笑) バカなこと満載なくせにホロリさせられたりする。友情なんて真正面から見せられたら照れくさいけど、こんな感じだとジーンときたりする。その感じもツボ。そもそも三木監督やその常連さん達の関係などについて詳しいわけではないので、彼らのことが好きな人にはもっとツボがたくさんあるんだと思う。ホント自分がおもしろかったポイントをいちいち書いてたら終わらないのでここで終わりにしておく(笑)

岩松了、ふせえり、松尾スズキ、笹野高史、片桐はいりを見るだけでも見る価値あり!


『図鑑に載ってない虫』Official Site

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【art】「モネ大回顧展」鑑賞@国立新美術館

2007-07-01 16:58:13 | art
'07.06.22 「モネ大回顧展」鑑賞@国立新美術館

大好きなモネの大回顧展に行く。話題の国立新美術館でだいぶ前から開催してたけど、例によってギリギリにならないと行動しないため、こんな時期に・・・。土日は混んでるだろうってことで20時までやってる金曜の夜にしたけど混んでた。

大回顧展ということでいわゆる印象派としてのモネ以前の絵画もあり興味深いけど、混んでいたのであまり近づけないのと、通常の展覧会のようにタイトルの他にちょっとした説明などがないので良く分からない。説明があると立ち止まって読んでしまうから、流れを意識してのことかもしれないけど少し物足りない。イヤホンガイド(小泉今日子)を借りたけど、対象の点数もあまり多くはないし・・・。あと順路が分かりにくい。モネ以外の作品も関連付けて展示してあって、そこは別区画になっているんだけど、その区分けも分かりにくかった。展示の順番も次の部屋に入った際に左右どちらから見ればいいのか分からない。まぁ、別にどっちから見てもいいのだろうけど・・・。

ポーラ美術館など日本の美術館が所属している作品も多いので、見覚えのあるものも結構ある。「サン・ラザール駅」や「モントルグイユ街、1878年パリ万博の祝祭」そして「睡蓮」「積みわら」などの連作が有名なところ。それらに共通するキーワードは『光』 そして淡い色使い。点描の技法を取り入れたタッチで描かれた上記代表作など多くの作品はこの感じ。「ジヴェルニーのモネの庭、アイリス」は全体と、そして一部に光が当たる表現が美しい。太陽の光を感じる。

モネも浮世絵の影響を受けた1人。ゴッホ展の時にヨーロッパ絵画では夜を描くことはなく、浮世絵で描かれているのに感動し、有名な「夜のカフェテラス」を描いたと紹介されていたけど、モネは雪景色を描くことを学んだらしい。雪もヨーロッパ絵画では描かれなかったテーマとのこと。淡いグレーやピンクなど様々な色のコントラストで雪を表現していて美しい。また、多くの画家が真似たように従来の奥行きを出す遠近法ではなく、手前に木などを大きく描き、その向こうに人や風景を描くことで遠近をつけるという浮世絵の手法を用いた作品も多く見られた。「アンティーブ岬」などがその例。浮世絵と出会う前の「ルエルの眺め」も光や色が美しいけど、とっても写実的。美しいけれど個性はない。試行錯誤してあの世界を手に入れたことが分かる。

有名な「ルーアン大聖堂」の連作。同じアングルから光の変化により表情を変える大聖堂を描く。連作というわりに2点しか展示されていないのが残念。むしろこれを題材としたロイ・リキテンスタインの連作が良かった。ポップな色使いで、無数の黒の点は全て手描きとのこと。これは良かった。リキテンスタインは好き。

晩年、白内障を患いながらも記憶を頼りに描くことはしなかったらしい。あくまで目に見えたままに描くことにこだわったその絵がすごい。「モネの家」などは何が描かれているのか分からない。そしてすさまじい色。前衛画家の作品かと思うほどに塗りたくられている。でも、逆にそれがすさまじいほどの絵への情熱であることが伝わって、胸が苦しくなるくらい感動する。

最後に絵の大きさも、モチーフ自体の大きさも色も様々な睡蓮が8点続く。好きだったのはNo.91の小さな睡蓮。淡く美しい色と配置が素晴らしい。No.93の睡蓮も余白と睡蓮の色、そして緑の美しさがいい。晩年の作品から強烈に感じた絵への熱い情熱があってこそ、この穏やかで清らかな美しさが表現できるのだろう。

混んでいるし、前述したようにちょっと見ずらかったりするけど約100点の展示は見ごたえがあった。


MONET大回顧展 Official site

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