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【cinema】『ロンドン・コーリング』

2007-09-30 23:30:05 | cinema
'07.09.26 『ロンドン・コーリング』@アミューズCQN

すごい見たかったコレ! 元THE CLASHのジョー・ストラマーの生涯を本人が語るラジオ音源や関係者、豪華著名人へのインタビューでつづった作品。THE CLASHは大好きだし、ストラマー本人にも興味があった。以前見た『レッツ・ロック・アゲイン』もかっこよかった。

THE CLASHは'70年代後半~'80年代にかけて活躍したイギリスのパンク・バンド。パンクはROCKのジャンルの1つで'60年代後半にニュー・ヨークで誕生。RAMONSのロンドン公演によりロンドン・パンク・ムーブメントが起こった。スリーコードの分かりやすく、コピーしやすい楽曲にアナーキー(反社会的)な歌詞を乗せたもの。ロック色の強かった他のバンドに比べると、THE CLASHはレゲエなども取り入れた。「pressure drop」も元はレゲエの曲のカバー。

パンク・ロッカー達の多くが労働者階級の出身なのに対して、ストラマーは中産階級出身。彼自身は中産階級であることや、パブリック・スクール(私立)出身であることをコンプレックスに思っていたようだ。ただ、父親が外交官だったので子供時代をいろんな国で過ごしたことで、違うジャンルの音楽を取り入れることに違和感がなかったのかも。勝手な想像だけど。

子供時代~退学になったアートスクール時代の話しは興味深いけれど、意外に淡々と進むので若干眠い。おそらく、このために作ったと思われる映像を、実際の写真や映像に混ぜてて、なかなか面白く作ってあったんだけど、お酒が入っていたせいか落ちてしまった(涙)でも、バンドを組んで音楽活動を始めた頃から楽しくなってきた。THE 101'ERS時代の音源も貴重。

音楽好きが集まってバンドができて、自分達の曲を作り、ライブをするようになる。だんだん人気が出て、デビューの話しが来る。しばらくは下積みだけど、ヒットが出て人気を得る。その人気に浮かれているうちに、バンド自体が一人歩きしだし、自分達の手に負えなくなる。歪みは個々のメンバー同士の軋轢を生み、会社の思惑も絡んで最悪の状態に。そして解散。そんなの何度も見てきた。でも、実際の映像や本人達の言葉で聞くとリアル。見ていて「やっぱりこうなるんだ」と納得。まぁ、結果を知ってるって事もあると思うけど…。

コメントを寄せる人達が豪華! U2のボノ、レッチリのフリーとアンソニーなどミュージシャンだけでなく、ジム・ジャームッシュや、ジョニー・デップ、ジョン・キューザックそしてスティーヴ・ブシェミ! 好きな人達ばっかりでうれしい(涙)やっぱり顔だけでファンになるわけじゃないから、その人の作品とか演技に受けてきた影響って絶対出てるはずで、そういうのって自然に自分の好きとリンクするんだと再認識。だから人は恋人になったり、友達になったりするんだし。とにかく彼らと好きな人や音楽が同じでうれしかった。

話しがそれたけど、個々にスゴイ人達がいかにジョーが好きで、彼やTHE CLASHから影響を受けたかってことを淡々と語るのがいい。ブルックリン・ブリッジを背景に焚火を囲んでジョーを語る演出がカッコイイ! このインタビューだけでも見る価値あり! 改めてジョーとTHE CLASHの偉大さを知る。当時の映像にはアンディ・ウォーホルの姿も!

もちろんジョー・ストラマーの映画なのだから、美化している部分も多いと思う。でも、バンド内での彼の振る舞いは決して品行方正ではなかった。そういう部分もきちんと描かれている。特にバンド内がガタガタになってジャンキーのトッパー・ヒードンを外し、仲たがいしたままミック・ジョーンズをも解雇したことは、本人達だけでなくジョー自身も生涯傷になったようだ。人は皆、いろんな局面で選択を迫られ、その時なりに判断を下して生きている。例えそれが焼肉定食なのか焼魚定食かの選択だとしても。2つを1度に食べられないのだとしたら、どちらかを選ぶしなかない。後から焼魚にしなかったことを後悔したとしても、その時は焼肉しか選べなかったのだから仕方がないのだ。変な例えだけど、失踪をでっちあげなければならないほどバンドの状態が悪いのなら、打開策を考えるのはリーダーの務め。いずれにせよバンドは終わっていた。でも、判断が正しかろうが間違っていようが、それぞれ傷を負ったことは間違いない。

ただ、それがとても人間らしい姿だと思った。見ながら歯痒く思ったりしたけど、でも彼らはまだ若かったのだ。自分より年上の人のことは何故か、初めから大人だった気がしてしまうけど、みんな悩んだり苦しんだりしてきたし、時には間違ったことやバカなことをして後悔したり、傷を抱えて生きていたりするのだと再認識。そして、それを乗り越えて成長する。

THE CLASH解散後、試行錯誤しながら自分の道を見つけようとするジョー。その姿がカッコ悪くもカッコイイ。バンドがなくなってからもファンや周りはTHE CLASHのジョー・ストラマーを求める。ファンの心理としてはとっても分かる。でも、それが彼の足枷になる。苦しみながらも自分の道を見つけたのは、家族や友人の存在も大きかったはず。消防士のデモ集会でのミック・ジョーンズとの共演は感動的。

当然ながら音楽もすごくいいし、映像もカッコイイ。「LONDON CALLING」は最高! ミックやトッパーの話しも生々しい。そして、なによりジョーがカッコイイ! カッコ悪いところも含めてカッコイイ!

「THE FUTURE IS UNWRITTEN」ジョーの口癖。勇気を貰った。


『ロンドン・コーリング』Official site

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【MJ】「スライドショー10」

2007-09-27 00:33:31 | MJ
'07.09.25 スライドショー10@C.C.LEMONホール

あぁ! 幸せだった!! MJを尊敬して一体何年になるのだろう…。WOWOWに加入してから何本のスライドショーをブラウン管(今は液晶!)越しに見てきたのだろう。チケットはいつも直ぐに完売。やっとやっと見ることができた(感涙) それだけでもう胸がいっぱい(笑)

スライドショーというのはMJが全国各地で見つけたバカなものをスライドにして見せるというイベント。言葉にすると全く味気ない感じだけど、そこはMJ!スライドのネタのバカさ加減が素晴らしい☆ そしてSIこといとうせいこうのツッコミもスゴイ。今回は記念すべき10回目なので全国5ヵ所で開催。ネタもお土産も毎回違うらしい。東京のお土産MJが描いた泉麻人の絵皿(笑)過去のお土産もスゴくて前回は兜だった。しかもお持ち帰り袋なし!

仕事が終わらなくて渋谷に着いたのが19:00! 19:00開演なのに。タクシーに乗ってぎりぎり間に合った。オープニングのネタが始まったのが19:20ぐらいだったと思う。このネタは共通かもしれないので詳しくは書かないけど、MJ&SIが昔のCM風に撮った映像から始まり、ゆるキャラや話題のアノ人(ニセモノ)まで登場。バカなスライドも混ぜつつも、曲とか構成がカッコイイ。ここの構成&演出はSIによるもの。さすが。

2人登場。過去の感じとは違い2人共細身のスーツ。カッコイイ。早速、SIからMJの杖にツッコミが入る。ここでのトークも楽しかった。SIの「組閣はどうなの?」など事実ネタの矢継ぎ早のネタフリに独自の視点で切り返すMJ。最高です。MJは『ファンタスティックフォー』で泣いてしまったのだそう(笑) この2人のボケとツッコミの掛け合いはスライドショー鑑賞中にも生きてくる。MJが全国から集めたスライドがいわゆるボケで、それに対するSIのコメントがツッコミ。以前、SIが伊集院のラジオ番組で語っていたけど、スライドショー開催のきっかけは、まさにSIがMJのバカネタに思わずツッコミを入れたことだったそう。それまでもMJは自分が集めた面白グッズやネタを披露してきたけど、大概の司会者は対応が分からずにいたらしい。それを「死ね」とまでツッコミを入れてくれたSIに何かを感じたのではないかとの事だった(笑)

スライドショーの中身に関してはもう書きたいことがありすぎて・・・。今回は全てネタが違うということなので、ここで書いてしまってもネタバレにはならないと思う。面白かったネタはハッキリ言って全部(笑) でも全部書けば面白さが伝わるというものでもないしなぁ・・・。特に好きだったのは「脳内メーカー」「松山千春の実家」「神様」「KKC」など。「脳内メーカー」はMJ、SI、ニコラス・ケイジの脳内を紹介。ニコラス・ケイジの脳内が"秘"の真ん中に"食"1文字だったのが笑えた。「松山千春の家」は400m先から出ている特大看板が爆笑。

「KKC」というのは"かかし"のこと。どこかの田んぼで多分かかしコンテストのようなものがあったのだと思うけど、いろんなかかしが展示(?)されている。それがもう! 中国のアノ遊園地の事を言えない様な仕上がりのキャラクターかかしが次々登場。ドラえもん、ミニー&ミッキーはまだ分かる。でもクレヨンしんちゃんにいたっては表示を見ないとただの横分けのサラリーマンにしか見えない! さらに"休日のサラリーマン""おすもうさん(朝青龍)"等どんどんシュールになっていく。KKCとは関係ないけど「熊半額」とかシロウトのセンスってすごいな(笑) そんな名も無きアーティストが好き。

「KKC」コーナーもスゴイけどMJのセンスを1番表現しているのは「神様」だと思う。MJは最近、街の中のいろんな所で"神様"を発見しているのだそう。つまりは例えば自販機わきの空き缶入れが神様に見えちゃうってこと。この写真が1番好き。何かで読んだけど人間は他人とコミュニケーションを取るということが生きてく上で重要なので、顔を認識するという能力が発達しているため、例えば∵←こんなのが"顔"に見えちゃうのはそのせいらしい。だからMJが特別不思議な人ではないんだけど、それをさらに"神様"として絞り込むところがMJだなぁと思う。

ラストは「アウトドア般若心経」を一気に見せる。これは以前からMJが取り組んでいた般若心経の全278文字を看板などから探し出し写真に撮るというもの。既に集まっていてタモリ倶楽部でも披露していたけど、その後もずっと手を入れていてこれが完成版らしい。ホントにバカといえばバカだけど、バカも突き詰めれば芸術。サブカルチャーというのはそういうことだと思うし、MJというのはそういう人。そしてSIはそのよき理解者なのだと思う。もちろんサブカルな人なんだと思うけど、もう少し俯瞰で見ている気がするので・・・。

というワケでたっぷり2時間ちょい。まさに至福の時でありました。最近、公私ともに沈みがちだった私。とっても救われた。以前はTMGEのLIVEで救われていたけど、彼ら亡き後、心の隙間を生めてくれるのはMJなんだと再確認。



↑東京公演お土産

購入した物販↑

追記:猫ひろしが普通に見に来てた(笑)

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【cinema】『エアギターエピソードゼロ』

2007-09-24 20:29:44 | cinema
'07.09.21 『エアギター エピソードゼロ』@テアトルタイムズスクエア(試写会)

エアギターっていうのはギターを持たずにギタープレイをすること。古くはプレスリーが行っていたことでも有名らしいけど、メタル系の長いギターソロの間、間がもたないヴォーカリストが行うことが多い。なのでメタル系の曲を使ってプレイすることが多い。1996年フィンランドの学生がオウルの街で国際大会を開いたのをきっかけに、エアギターという新たなジャンルが生まれた。日本からは2004、05年と2年連続で金剛地武志が4位入賞。2006、07年とダイノジおおちが優勝して話題に。『かもめ食堂』のもたいまさこ扮するマサコがフィンランドに来ようと思ったきっかけでもある。この日は金剛地武志の生エアギター・プレイ&トーク付き。生エアはやっぱりおかしい。プレイ時間はそんな長くなかったのに、かなり息が上がっていたのはお年のせいだけではないはず(笑)

映画は2003年大会に向けてのアメリカ大会から始まり、2人のライバルを中心に大会終了までを描く。最初はNY大会から。会場のライブハウスには入り切れない観客が300人も出るほどの人気だったらしい。この大会で優勝したのが韓国系アメリカ人のC・ディーディー。キティーちゃんの胸当てに赤い着物といういで立ちのディーディーのエアはすごい。ただ役者志望という彼の過剰な感じはあまり好きになれなかった。普段の彼のことに言及してしまうと、素の部分の彼個人の批判になってしまうので微妙なのだけど、とにかくカメラが廻っている時の彼のテンションとか語り口が、映画で見掛けるアジア人のテンション過剰な感じに重なる。自然じゃない感じ。彼はエアに「アジアの怒り」を込めたと言うけど、アジアの怒りって一体何? エアを披露する前も彼一人だけMCしたりして何となく好きになれない。The BIRTHDAYのイマイアキノブのギタープレイが好きになれないのと同じで、余りに「俺」を前面に押し出す感じは好きになれない。まぁ、あくまで個人的な好み。彼のエアは他の出演者に比べると群を抜いていたことは間違いない。

NY大会2位のビョルン・トゥロックが彼のライバル。個人的にはルックス含めて彼のプレイの方が好み。ちと下腹が出てはいたけど細身で、プレイもスタイリッシュ。でも「エア」ってことだけを考えると、ディーディーに比べて面白みはないかも。これまた彼個人のことに言及して個人批判になってしまうかもしれないけど、あの粘ばりを不屈の精神と取るか、粘着質な負け犬と取るかも微妙。私は何となく後者に感じてしまった。映画としてもそう描いていたし。

個人的にはちょっと滑稽なことを真剣にやるってことに面白さを感じてて、エアギターはまさにそんな感じを楽しんでいた。ディーディーのスタンスはそれに近いかもしれない。LA大会ではレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロが審査員をつとめている。ブライアン・メイがメッセージをよせたりとそんな感じはちょっと笑える。もちろん真面目でありつつクスッとくる感じ。

選手権会場であるオウルに着くとなんと合宿も開催されている! 前大会優勝者のザック・モンロー中心にエアのレッスンが真剣に行われる。そんな感じもクスリ(笑)でも、映画としては笑う視点では描いていないと思う。個人的な好みなので笑う視点じゃなくてもいいんだけど。ただ、やっぱり本来は楽器があって成り立つギタープレイを、なしでやるということの滑稽さってあると思う。そもそもヴォーカリストのやるエアをカッコイイと思ったことは一度もない。だって変だし(笑)

そして、アメリカ大会や世界選手権を通じて参加者が口々に言うのは「本物のギターではヒーローになれないから」という感じもいい。いわゆるギターには挫折しているけどエアならっていうのが何とも庶民的で泣ける(笑) そういう中からエアのヒーローが生まれて、その先にはギターヒーローがいる感じ。

とりあえずエアギターなどバカなことを真剣にやっているのを見るのは好きなので楽しくはあった。でもドキュメンタリーとしてはCディーディーの私生活とかは正直いらなかった。彼は確かにヒーローになったけど、その対比としてビョルンを惨めな人物として描こうという意図みたいのも感じたのは気のせいかな? それよりもっと選手権に集まった各国代表のプレーを見たかったし、それぞれのこだわりなんかが知りたかった。まぁ、これはアメリカ人監督が撮ったアメリカ映画なので他の国のことなんて関係ないのか。しかし、アメリカはヨーロッパでは嫌われている。その感じをきちんと描いていたのはエライ。でも、結局アメリカ万歳なのだけど(笑)

想像していたより全然バカ映画ではない。エアギターに好きな人にはちょっと違うと感じる面もあるかも。でも、大会でのエアのシーンはかっこよく仕上がっていると思う。


『エアギター エピソードゼロ』Official site
AIR GUITAR JAPAN Official site
金剛地武志Official site

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【cinema】『ミス・ポター』

2007-09-17 19:45:58 | cinema
'07.09.15 『ミス・ポター』@TOHOシネマズ市川コルトン

水色ジャケットの世界一有名なうさぎピーター・ラビット。その作者ビアトリクス・ポターの人生を描いた映画。ピーター・ラビットとイギリス湖水地方が大好きなので見る。

「ロンドンの上流家庭に生まれたビアトリクス。意に沿わない結婚より、自分の絵本を出版して自立したいと考えていたが、20世紀初頭は女性が職業を持つことは難しかった。そんな時、彼女の本を出版しようという人物が現れ…」という話。映画では詳しく描かれてはいなかったけど、上流家庭の習慣として学校には通わず家からほとんど出ない生活だったため、友達と遊ぶ代わりに様々な動物を観察しスケッチして少女時代を過ごしたらしい。

ビアトリクスの生涯を通して特に言いたいことはないようだ。彼女の生きた時代に女性が自分の考えを通すのは大変なことだったと思うし、それは意外に現代の女性だって抱えている悩みでもある。もちろん制約は比べものにならないけど、自由だからといって何でも出来るわけでもない。現代でも数年前に「負け犬」なんて言葉が流行るくらい女性が結婚しないのは肩身が狭かったりする。そういう面では共感出来る。ただ、なんとなくビアトリクスに感情移入しきれない…。彼女は才能豊かなベストセラー作家であり、その潤沢な資金を使って湖水地方の自然を守った素晴らしい女性だったはず。でも、なぜかそこがあまり伝わってこない。彼女が初めて結婚を考えた相手との恋愛を中心に描いているからかもしれない。

彼女の作品を担当した編集者ノーマン・ウォーンがその相手。誰も理解してくれなかった彼女の作品とその才能を認めてくれた。少年のように真っ直ぐで純粋な男性。好みは人それぞれだけど、誰かに理解される、誰かと考えや感覚を共感し合えるというのは嬉しいこと。そんな相手との恋愛は楽しい。その感じはとっても分かるし、2人の恋愛は見ていて幸せになる。この恋は悲劇的な出来事により結ばれずに終わる。その痛みを必死で乗り越えようとするビアトリクスの姿には涙が出てしまったけど、それは単に自分の体験や記憶を刺激されただけの気がする。まぁ、映画でなくても自分も追体験するから感動するのだし、追体験するには自分の中に経験があった方が分かりやすいのだけど。

彼女はこの体験から本格的に自立を決意し、昔から愛していた湖水地方で一人暮らしを始める。湖水地方は作品の想像力の源だった。その湖水地方に開発の手が伸びようとしている事を知り、この自然を守ろうと決意する。この辺りもちゃんと描いているし、詳細に語っていないから伝わらないという事はない。ビアトリクスは自立した素晴らしい女性だけどスカーレット・オハラではない。スカーレットのように困難に真っ向から立ち向かい、その都度分かりやすくパワーアップする姿を見せられなくても(『風と共に去りぬ』は大好きだけど…(笑))ビアトリクスなりの強さや成長は伝わる。でも何故か物足りない…。

レニー・ゼルウィガーはとても良かったと思うけど、かわいく演じすぎな気も・・・。32才という設定だけど、当時は大年増だったはずで、箱入りではあってもそれなりの居住まいがあったはず。いつまでも子供扱いする両親に反発しつつも、とっても子供っぽい印象。子供の頃から持ち続けた想像力というのは、純粋な心ではあるけれど子供っぽいわけではない。その感じは恋人を失って自立してからも、何となく残っていた気がして少し説得力に欠けた気もする。逆にノーマン役のユアン・マクレガーは純心で子供っぽいところを前面に押し出していてよかった。実際のノーマンがどんな人だったのか分からないけど、お伽話のような恋愛のまま終わってしまう感じの方が映画的にはいい。

全体として「一人の女性の自立」を描きたいんだとは思うし、ちゃんと自立していく過程も見せている。ビアトリクス・ポターの人生を考えて見れば、しなやかに控えめに、でもしっかり自分の考えを持って生きた女性であったことは分かる。ただ、度々ピーター・ラビットや他の絵たちが動き出す演出が過剰だった気がする。要するに彼女の空想なわけだから、頻繁に使うとただのお伽話になってしまう。ベストセラー作家になっていく過程も伝わらない。彼女の人生の中で重要だったのは絵本とナショナル・トラストの活動だったと思うのだけど、そこがあまり伝わらない。

数年前訪れた湖水地方は本当に美しかった。ビアトリクスが暮らしたヒル・トップ農場も尋ねた。本当に小さくてつつましい家だった。そこに向かうまでの道も狭く、私たちのバスは対向車を除けようとして出っ張っていた石で脇をこすってしまった。でも、この道幅も彼女の遺言で直せないのだそう。ある点では不便で融通がきかないけれど、それだけ意志を通さなければこの自然は守れないと、開発でズタズタになった日本を思ったりもした。

彼女のしたことはとっても意義のあることだったと思う。知人が立ち上げたばかりのナショナル・トラストに買い上げた土地を次々寄附した。元の持ち主には以前と同じ生活をさせることを条件としてそのまま住まわせ、自然の維持に尽力した。それは使命というより愛情だったはず。映画でも描かれているけど、さらりした印象なのが残念。ある程度ビアトリクス・ポターやナショナル・トラストに関して予備知識がないと分かりにくいかも。

けなしてばかりいるようだけど、湖水地方の映像は美しいし、衣装や調度類なども素敵。掘り下げが足りない気がしたけど人物像も伝わってはくる。そしてピーター・ラビットはかわいい! 20世紀初頭のイギリスに興味がある人にはいいかも知れない。その頃を舞台にしたラブストーリーとしては楽しめる。


『ミス・ポター』Official Site


こんなパネルが・・・

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【cinema / DVD】『ナオミ・ワッツ プレイズ エリー・パーカー』

2007-09-15 23:30:26 | cinema / DVD
副題:ハリウッド女優になる方法、教えます!!

DVDにて鑑賞。「売れない女優エリー・パーカーはオーディションに励む日々。同棲中の恋人、友達との人間関係もなかなか思うようにいかなくて・・・」という話。特に内容はない。エリー・パーカーという売れない女優の生活をドキュメンタリーのように撮っている。映画の中で知り合ったカメラマン志望の男性クリス役のスコット・コフィが監督。『マルホランド・ドライブ』の共演で意気投合した2人が短編として撮り溜めた映像を長編にまとめたもの。制作費も出ない状況で2人でこつこつ頑張ったらしい。

率直な感想としては特別おもしろくはなかった。エリー・パーカーという売れない女優のさえない日常を見せられるだけ。エリーは才能が全くないわけではない。美人だしスタイルもいい。でも、売れる気配はまったくない。見ていても売れる気は全くしない(笑) でも、映画の主題としてはそれでいい。副題として「ハリウッド女優になる方法、教えます!!」なんてビックリマークつきで書いてしまっているからおかしいわけで、これはハリウッド女優になれない女優志願の女性の話。描きたいのは「ハリウッド女優」ではない。30歳を過ぎて仕事も、恋愛も、人間関係も、将来の展望も何もかもに煮詰まっている女性の話。そういう観点から見るとエリーのあまりの不器用さと、思い通りに行かない感じに共感したりする。ハリウッド女優を目指すという野望を抱いていなくても、フツーのOLだって人生は思い通りに行かないものだ・・・(涙)

友人サムとの感じもいい。お互い真剣に別々の事を同時に話していたり。女の子の会話って時々こんな感じだったりする。自分の話は聞いて欲しいけど相手の話には興味が無い、みたいな・・・。わがままといえばそうだけど、特別人間関係が希薄とも思わない。心が通じ合ってるとも思えないけど・・・。でも、特別希薄とも思わない時点で少しヤバイのかも(笑) いい加減な彼氏とも別れ、仕事にも行き詰まり、サム以外の友達もいないことに気付いた時の感じとかもすごく分かる。私も人間関係を築くのは苦手。ある日急に同じような気持ちになって不安になることがある。

とはいえ、そういう悩みはおそらく誰もが感じていること。だからこそ、いろんな映画でいろんな描き方で登場している。映画のエリーの人生は結局報われない。他の登場人物たちも特に魅力的ではない。冒頭に特別おもしろくなかったと書いたこの映画で、それでもエリーの悩みに自分を重ねることが出来たのは、ナオミ・ワッツの演技のおかげ。彼女自身、30歳を過ぎてから「ハリウッド女優」になった。エリー=ナオミではないにしても、オーディションの日々だったことは間違いないだろうし・・・。エリーは特別魅力的な人物ではない。エリーの悩みには共感できるし、嫌な人間でもない。でも、映画として1時間半以上見せるほどの話でもない気がする。でも、どこかいい加減でだらしのない部分もある普通の女性のエリーを、特別魅力的にすることもなく、特別惨めにすることもなく、自然に「どこにでもいる女性」として演じたナオミ・ワッツの演技のおかげで共感できたのだと思う。

オーディションのシーンや、次のオーディションに向かう途中、車の中で着替えたりメイクしたり、セリフの練習をしたりする姿は興味深い。ハリウッドにはこんな女優の卵がそれこそ星の数ほどいるんだと思う。そう考えると女優というのはタフな職業なんだとあらためて思う。精神的にも肉体的にも。エリーが結局「女優」を諦め切れないのは未練なのか惰性なのか・・・。判断は難しいけど。こんな生活の中から這い上がってきた女優達がキラキラ輝いているのは当然なのかと思う。

まぁ、こんな映画もたまにはいいかと思ったり・・・。


『ナオミ・ワッツ プレイズ エリー・パーカー』Official site

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【cinema / DVD】『モーツァルトとクジラ』

2007-09-06 22:24:49 | cinema / DVD
DVDにて鑑賞。

「アスペルガー症候群のドナルドは同じ症状に悩む人々が集うサークルを主宰している。ある日イザベルという女性が参加し、2人は恋に落ちるが・・・」という話。これすごくかわいかった。

アスペルガー症候群については全く知らなかった。調べてみたところ知的障害のない自閉症とのことで、自閉症とは社会や他者とのコミュニケーション能力の発達障害とのこと。アスペルガー症候群と自閉症の違いを医学的に考えるともっと難しいのでしょうが、比較的社会生活しやすいのがアスペルガー症候群と理解した。勝手な判断なので違っているかも。自閉症を題材にした映画といえば『レインマン』があまりにも有名。この映画の脚本ロナルド・バスは『レインマン』の脚本家。『レインマン』はずっしり重い映画だったけど、これはとってもかわいい恋愛映画。

アスペルガー症候群の人はある分野に強い関心を示すそうで、ドナルドは数字に、イザベルは音楽と絵画に強い関心と才能を持っている。ドナルドは気持ちが落ち着かなくなると数字の計算を始めるし、イザベルは心が浮き立つと左手で絵を描き、右手で採譜をする。そういう姿を見るとやはり彼らは特異な存在なのかと思ったりもするけれど、恋愛や仕事のことで悩む姿は健常者と変わらず、とっても共感できる。

確かに2人は突然取り乱したりするし、感情表現が上手くできない。ドナルドは何か言おうとすればするほど言葉が出なくなってしまう。それはドナルドの症状でもあるんだと思うけど、ドナルドは「普通」でありたいと願っているからかも。勝手な推測だけど普通に話そうと思うあまり余計に上手くできないのではないか。イザベルは逆にストレートに言い過ぎてしまう。彼女は逆に「普通」じゃなくていいと思っている。彼女のその感じは一見純粋で奔放な魅力になっているけれど、その結果傷つくこともあるかもしれない。

そんな2人が恋をする。お互いを大切に思いながらも、相手の気持ちを推し量ったり、思いやったりすることが少し苦手な2人。性格も症状も逆。恋した直後は楽しくて、相手が何をしてもかわいく見えて、一緒にいるだけで幸せ。でも、しばらくしてお互いが少しずつ生活の一部になってくると、相手に対しての不満や不安が出てくる。そして、そこから先に進もうとするには、お互いの気持ちやタイミングが一緒の方向でなくてはならない。でも、それは別にフツーのOLだって同じ。相手の本当の気持ちを推し量ることなんてフツーのOLにだって難しい。自分の本当の気持ちを伝える事もそう。だからこれは普通の恋愛の話。でも、多分この話を20代後半~30代前半の普通の男女の恋愛モノとして見てたらつまらなかったと思う。言い方は悪いけれど障害というフィルターを通して見ると、とてもいとおしく感じる。ちょっとひねくれてるかな? でも、正直な気持ち。

普通の恋愛の話しだから、アスペルガー症候群についての掘り下げは浅いかもしれない。でも、語りたかったのはそこではないと思うので別にいいんだと思う。2人が上手く伝えられなくてもどかしく思ってる感じや、孤独を感じていることはちゃんと伝わってくる。何よりドナルドがサークルを主宰している理由はそこにあるのだし。

ジョシュ・ハートネットは繊細な感じが良かったと思う。レストランでイザベルに上手く伝えられなくて取り乱している感じとか切なかった。イザベル役のラダ・ミッチェルは『ネバーランド』と『メリンダとメリンダ』しか見ていないけれど、とても雰囲気があって好きな女優。『メリンダとメリンダ』のメリンダ役も一癖ある役でしかも2役だったけど、今回もなかなか難しい役だったと思う。障害を持ってなくてもこういう感じの女性、もしくは「奔放な女と思わせたい」女性っている。前者はともかく後者はとっても鼻につく。イザベルの場合は症状でもあるのかもしれないけれど、やっかいな女ではあるかもしれない。でもとっても魅力的だった。まるで子供みたいに「アハッ!」って笑うところがとってもかわいい。奔放でありながら傷つきやすくて、感情のままに行動するわりに、急にひねくれた行動をする。かなりやっかい(笑)でも、彼女が演じるとかわいい。

映像と音楽も良かった。ドナルドがイザベルに素数の計算を説明するところでは、数字を映像化して割り切れないと跳ね返されたりする。音楽は普通BGMとして使われることが多いけど、この映画では歌詞がそのまま2人の気持ちを表現する詩になっている。そういうのも嫌味がなくて良かった。

見終わった後、とってもふんわりした気持ちになった。


『モーツァルトとクジラ』Official Site

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【cinema / DVD】『ヨコハマメリー』

2007-09-03 23:29:47 | cinema / DVD
これも公開時気になっていた作品。DVDにて鑑賞。

伊勢崎町に戦後ずっと立ち続けた伝説の娼婦メリーさんについてのドキュメンタリー映画。描きたいのはメリーさんだけではなく、要するに「戦後」、そして「生きる」ということ。

描きたいことは大体分かったし、メリーさんと親しかった元次郎さんという末期ガンのシャンソン歌手の人も、描きたいことの主軸としたい感じも分かった。でも、それだけにメリーさん本人の事がぼやけてしまった気がする。見終わって覚えているのは元次郎さんの事の方が多い気がする。メリーさん本人はほとんど画面には登場せず、いろんな人のインタビューで構成されているので、オネエさん(であろう)元次郎さんの強烈なキャラが印象に残ってしまうのは仕方がないのかもしれないけど・・・。

かつて横浜には根岸家という料理屋さんがあって、そこには接待役の娼婦達がいた。彼女達はパンパンと呼ばれ、中でも米軍相手の娼婦を洋パンと呼んでいたらしい。洋パンでも白人専門、黒人専門と分かれていたとのこと。当時の根岸家の店内の写真も写っていたけど、今の居酒屋よりも明るい感じで、とても夜の商売が行われている感じには見えない。でも、やはり彼女達は娼婦なのだ・・・。

メリーさんは1995年に忽然と姿を消すまで、まるで歌舞伎のような白塗りに真っ黒な目元、そして真っ赤な口紅、真っ白なドレスという姿で通した。若い頃から上品な仕草と言葉遣いや、そのいでたちから「皇后様」と呼ばれていたらしい。不思議と人を惹きつける人だったようで、年を取ってからは何かと世話を焼いてくれる人がいたようだ。でも、やはり娼婦。行きつけの喫茶店や美容院の他のお客達から敬遠され、美容院の店主は申し訳なく思いつつもお断りせざるを得なかったり、喫茶店では彼女専用のカップを用意したりもしたらしい。20世紀も近くなっても娼婦とはそういう存在だったのだ。最近は特に話題にもならなくなったけど、未だに援交などは日常茶飯事に行われているだろう。メリーさんも、あの時代の娼婦たちも「お金」の為に身を売っていたのは、援交女子高生と同じ。でも重みが違う。彼女達は「生きる」ためにしていたのだ。根岸外人墓地には広い空地にぽつんと十字架が立っている場所があるらしい。それは、彼女達が生んだ、もしくは生めなかった混血児達のお墓。900体はあるらしい・・・。

五木田京子さんという元娼婦だった方がインタビューで語っていた。「世間はいろいろなことを言う。でも、誰が食べさせてくれるというのだ。生きてかなくちゃならなかった。」と。その言葉に潔さを感じる。彼女をフィーチャーしたチャリティー・ライブの映像もあった。三味線を鳴らしながら歌い、若い客を煽る姿は単純にカッコイイ。きっと辛い思いや悔しい思いをたくさんしただろう。でも、全てを飲み込んで貫いた人は素敵だ。

メリーさんも貫いた人生ではあった1995年までは。GMビルというビルの廊下にパイプ椅子を2つ並べて眠る。夜になると白塗り、白ドレスで着飾って夜の町に出て行く。1995年に74歳だったメリーさんを買う男性はほぼいなかったのでしょう。雑居ビルのエレベーター前に立ち、居酒屋に来た客の為エレベーターを呼ぶ。中にはチップをくれる人がいたらしい。施しは受けない、自分で稼ぐという事なのでしょう。不思議と憐れは感じない。これもまた五木田さんとは別の潔さ。ただ、五木田さんという強烈な存在があったため、メリーさんの存在感が少し薄れてしまった。

メリーさんに対して親身になってくれたのは、元次郎さんとクリーニング店白新舎のご夫婦。彼らには少しずつ身上を話していたらしい。彼らが実際どこまで知っているのかは分からないけど、結局メリーさんの本当の姿は分からなかった。伝説の娼婦ヨコハマ・メリーなのだから謎のままの方が確かにいい。なら、謎のままの方がよかったのではないか? 最後にメリーさんは意外な姿で現れる。別に意外でもないのだけれど・・・。なんだか、伝説にしたかったのか、メリーさんの実像に迫りたかったのかよく分からない。

正直、メリーさんの白塗り姿にはインパクトを受けたし、74歳まで娼婦として街に立っていたという逸話からは、何だか物凄く異様なくらいの強烈な人なのかと思っていた。確かに、あの生活を送ってきたからには並大抵の覚悟ではなかったのかもしれない。上手く言えないけど普通の人だなという印象。確かに、強い人ではあったと思う。それは五木田さんのように表に出る強さではない。内に秘めた強さ。表面はむしろ儚げ。それは実際そういう人だったのか、それともそういう演出のせいなのか?

興味深かったけれど、結局メリーさんという人自体は掴みきれなかった。「戦後」についても「生きる」ということについても、そんなに深々と考えてしまうまでには至らず。


『ヨコハマメリー』Official site

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