【play】「ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート」鑑賞 @東急シアターオーブ
2019年の初演時にはチケット取って楽しみにしていたのに、台風19号が関東直撃で自分が見る予定だった日の公演のみ中止に😭 もちろん払戻となったけれど、ものすごく見たかったので悲しかった😭😭😭 そんな「ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート」が再演!🙌🙌🙌 ということで、もちろんチケットゲット! 東京公演千秋楽のこの日、見に行って来た~
見ます! #JCSコンサート #JCS pic.twitter.com/24Pw6kMMQB
— maru 𓆸 (@maru_a_gogo) July 27, 2021
なんとこの日も台風8号が関東直撃か?との予報が出る中で、ドキドキしながら迎えたわけだけれど、なんとか反れてくれて幕間にはすっかり晴れた🙌 本来のスーパー晴れ女を発揮!!
圧巻だった!ちょっと言葉にするのが難しい… もともと作品自体のエネルギーがすごいし、キャストの熱量がスゴイし、それに応える客席もスゴイ!! #JCSコン pic.twitter.com/YVjLNpgMy9
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「ジーザス・クライスト=スーパースター」(以下JCS Wikipedia)は、イエス・キリスト最後の7日間を描いたロック・ミュージカルで、1971年にブロードウェイで初演された。作曲者は「オペラ座の怪人」「キャッツ」でおなじみのアンドリュー・ロイド=ウェバー(Wikipedia)、作詞は「エビータ」のティム・ライス(Wikipedia)で、当時2人とも20代だった。
1971年という時代背景や作り手たちの若さや情熱が、ロックに乗せてガンガン来るものすごいパワーのある作品で、見る側にもかなりパワーのいる作品。でも、だからこそ良いカンパニーだった時の感動がハンパない。このカンパニーは圧巻だった!
コンサートではあるけど演技もしていていいとこ取り。25周年も斬新だったけど、この演出もいい。そういう意味でいろんなアレンジが効く作品なのかなと思う。 #JCSコン
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舞台上には工事現場などにある足場のようなものが天井近くまで組んである。かなり大きなセットで舞台上のほとんどを占めている。なので基本セットチェンジはなし。
その足場セットの所々に演奏者がいて、演者たちは彼らがいないものとして演じたり時にはからんだり。そしてセットの上に乗ったり、ヘロデ王にいたってはビックリな場所から登場。
衣装ではあるのでしょうが、いわゆる紀元前のイスラエルを思わせるものではない。例えばジーザスはTシャツに黒のレザーパンツだったりする。直近映像で見た40周年のアリーナツアー版と、ジョン・レジェンド版でも現代的な衣装で、無機質なセットというのは、JCSの定番になりつつあるのかな?
イエス・キリストの話ではあるけれど、本当に描きたいのはどの時代でも共通の問題だからなのかなと思う。なのでエルサレムでも、現代でも、それこそ劇団四季の歌舞伎バージョンでもハマる理由なのかなと思う。
アリーナツアー版も、ジョン・レジェンド版もコンサート形式だった。コンサートとはいっても役者たちは舞台を動き回り、時には踊ったりしながら歌うので、これはもうほぼミュージカル公演といえるのかも🤔
とにかく、芝居とコンサートのいいとこどりで、上述の演出も含めてアレンジがしやすい作品なのかもしれない。
とにかくキャスト全員歌が超絶上手くて声量もスゴイ。ロックというかメタルっぽい楽曲でシャウト系が多く、ハイトーンでのシャウトが響き渡って鳥肌✨そんな中でのセリンダの歌唱が優しくも力強い。とても大人なマリアですごく良かった。 #JCSコン
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メインキャスト全員について感想書きたいのだけれど、そうもいかないので何人かに絞って書くけど、とにかくキャスト全員超絶歌が上手い!
そんなに詳しいわけではないけど、ロックと一口にいってもいろんなジャンルがある。その中ではメタルっぽい印象。ギターがギュインギュイン鳴る曲が多くシャウト系。そのシャウトの力強さとハイトーンと声量で鳥肌。
そんな中、主要キャストで唯一女性のマグダラのマリア役のセリンダ・シューンマッカーはかなり大柄で、線の細いマイケル・K・リーのジーザスよりも大きい。この役以外で見たことがないので、この力強さが役作のみなのか分からないけど、受け身ではないマリアはなかなか新鮮で、ラミン・カリムルーのユダとガッツリ闘って間違いなく勝ったと思う😅
全員が追い詰められていく作品だけど、罪に問うことを疑問に思いながらも、群衆とそしてジーザスに追い詰められ、結局磔刑にする決断をしてしまうロベールピラトの葛藤と苦悩がすごかった!カテコのハートとの落差が好き🥰 #JCSコン
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ジーザスはもちろん彼を裏切るユダにしても、ジーザスを処刑したいカヤパにしても追いつめられている。こういう大きな流れの中にいると、どんどんテンションが上がってしまい、もう自分の考えしか見えなくなってしまう。
とはいえ、皆自分で責任を取りたくないから押し付け合って、ピラトが決断を迫られることになる。ピラトとしてはジーザスに罪はあるとしても、命を奪うほどのことではないと考えている。それは責任を負いたくないだけではないと思うし、見ている側も同じ思いでもある。
同時にジーザスが危険な存在だと感じる気持ちも分かる。自分はキリスト教徒ではないので、あくまで第三者的な目線で見ると、本人がどう思っていようと、教え自体に共感する部分があろうと、自分の立場が上になればなるほど扱いに困る相手だと思う。
ジーザスの教えや行動自体に問題がなくても、その言動で多くの人が動く状況は、秩序を乱す人物だと感じることは理解出来る。そして、それが政治的に"危険"であると言われることも。だからジーザスが"無罪"ではないと考えるのも分かる。
でも死刑となるほどの罪なのかといえば違うだろうと。人を殺したわけでもないし。だから鞭打つだけでいいではないかという、ピラトの判断は至極まっとうだと思う。
でも、群衆はそれを許さない。とにかく殺せ殺せの大合唱。ピラトは鞭打つ間にジーザスが罪を認めてくれればと願うけれど、ジーザスとしては既に自分の運命として死ぬことが分かっているし、罪を認めることは神を否定することになってしまう。群衆、ピラト、ジーザスと見ている次元が違っているので、全くかみ合わない。
ここで一番追いつめられているのは、裁かれているジーザスではなく裁いているピラトの方。間違っていることは分かっているのに磔刑を言い渡す羽目になる。こんな役回りは嫌だなぁ😣
そのピラトの苦悩をロベール・マリアンが熱演。素晴らしかった! もうピラトに共感しちゃって辛かった。正しく物事を見れている人が、間違った決断を迫られて、結局追い込まれて折れてしまう😭 これはスゴイ!
しかし、恐ろしいのは集団心理。ああなってしまうと自分たちの望んだ結末にならないと気が済まなくなり、自分と違う意見は悪(アンチ)だと決めつけ、相手が音を上げるまでしつこく粘着する。SNSでよく見かける構図。前述したとおり今作が初演されたのは1971年でSNSなどない時代。でも、作者たちが言いたかったのはここなのかなと思う。
そしてそれは21世紀になっても変わらず、さらに即時に反応できるツールを得てしまったため、よりこの傾向に拍車がかかってしまったように思う。
そしてまたジーザスを妄信していた人々が、自分たちの理想の存在でなくなったと感じた時、裏切られたと責める様子も現代にも通じるものがある。この傾向が強い人と、そうでない人はいるのだろうとは思うのだけど、多かれ少なかれ人間にはそういう部分があるのでしょうね。特に集団になってしまうと・・・
もちろん集団心理は良い方向に作用することもあって、それが大きなうねりとなり社会を動かすこともあるのだけど、それを悪用される場合もある。情報が溢れる時代、正しい情報を得て選べるように気をつけたい。
というようなことを考えながら見ていた。神の御心は計り知れないけれど、作り手たちの思いはここなのかなと思った。
日本人キャストも良かった。カッキーもかっこよかったし、宮原カヤパの低音も良かった!藤岡ヘロデ王も好き😃アンサンブルも良かった✨ #JCSコン
— maru 𓆸 (@maru_a_gogo) July 27, 2021
日本人キャストたちもとても良かった! 今公演は全て英語での歌唱。母国語ではない言葉の歌詞を覚えるのは大変だと思うし、さらにそこに感情を載せて行くのは難しいと思う。とても伝わって来たし、海外キャストに負けてなかったと思う。特にアンサンブルに躍動感があり、とてもカッコ良かった!
マイケルジーザスは登場時はわりと軽めでアレ?と思っていたけど、自分の運命や存在意義への疑問に苦悩を深め、残していく者たちのままならなさに苛立ちながら、どんどん悟りの境地に向かうのがスゴイ!最後は昇華して発光してるみたいだった✨ #JCSコン
— maru 𓆸 (@maru_a_gogo) July 27, 2021
今回、初めて見たマイケル・K・リー。韓国系アメリカ人とのこと。韓国人は喉がとても強い印象だけれど、登場した時にはとても線が細かったので若干心配に。そして、群衆にもてはやされてまんざらでもない様子で、腰を動かしてのノリノリぶりにビックリ! 居酒屋で飲んでる若者のようだ!😲
でも、一見はしゃいでいるジーザスは、自分の運命を知っているジーザスでもあって、その時に進むにつれて苦悩を深めて行く。もちろん、死ぬことが怖いこともあるけれど、何故に自分は死ななければならいのか、ならば何故自分を創造したのかと苦しむ。
教えを説いたけれども真理を理解した者はほとんどなく、自分の周りにいるのは自分が起こす奇跡を求める者ばかり。心ゆるした者が自分を裏切っていく。それも神の決めた運命。
イエス・キリストの話だと思って見てるから、これも試練だなどと思ってしまうけど、例えばプロジェクトリーダーだと仮定して、期日が迫っているのに、裏切る者が出て来たり、人任せで何も考えようとしない人ばかり、助けを求めても自分をリーダーにした上司は何の助言もくれない状況。普通に辛いかも😅
一度は民衆にキレてしまったジーザスだけど、ゲッセマネで神に思いの丈をぶつけ、そして運命を受け入れる決意をする。そこからはもう変な言い方だけど悟りを開いたかのように穏やかに、そしてどんどん神がかっていく。その感じがスゴイ!
上手く言えないけど、どんどん全体が白くなっていく感じで、最後には発光しているみたいだった😭😭😭
歌も超絶上手くて、そして華奢な体型からは想像がつかない声量! 素晴らしかった
お目当てのラミンはロック調の歌唱で、声も発声もいつもと全然違ってた。ジーザスへの複雑な思いが切ない🥲ユダが裏切ることも神の決めた運命であって、しかもそれはユダがジーザスを愛するが故。道が違ってしまい理解が出来ず混乱したまま逝ってしまうの泣いた😭やっぱりスゴイわラミン #JCSコン
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そして、お目当てのラミン。絶対に合うと思っていたイスカリオテのユダ。いつもの声とは違うややダミ声っぽい感じの発声で、歌い方もロック調だった。
そもそもラミンがミュージカル俳優を目指したのは、学校の行事で「オペラ座の怪人」トロント公演を見て感動。その時の主演がミュージカル界の神様ことコルム・ウィルキンソンさん! 出待ちをしてコルムさんに、あなたのようになるにはどうしたらいかと尋ねると、コルムさんは特別なレッスンは受けておらず、バンドで歌っていたと答えたそうで、それで早速バンドを組んだじゃなかったかな?🤔
親友のハドリー・フレイザーと一緒にSheytoonsというバンドもやっているし、バンド編成で「The Broadway to Bluegrass」としてツアーをしていたこともあったけど、どちらもロックという感じではない。メタルっぽい曲調なので、わりとハードな歌唱。いつもの艶のある声とは違うけどこの歌唱もいい。
ユダがジーザスを裏切ることは知っているので、複雑な思いで見ているわけなのだけど、今回じっくり見て初めてユダがジーザスを裏切るに至った理由がスッと降りて来た。もちろん今までも分かっていたし、感動もしていたのだけど、ああそういうことなのかとスッキリした。
冒頭からユダはジーザスに何度も、何故計画的に進めなかったのかと言う。なるほど! ユダの言いたいことがとてもよく分かった! ユダはジーザスの教えをとても良いものとして理解して、ジーザスを崇拝していたけれど、来るもの拒まずで行き当たりばったり的に見える布教活動を歯がゆく見ていたということなのね?
教えのことなど理解せず、ジーザスが起こす奇跡ばかりを求める人たちを従えて何になるのか? 本当にもてはやされるべきは奇跡ではないだろう! 来る者拒まずで誰でも受け入れるけれど、誰でも彼でも受け入れるのはどうなのか? そして、娼婦を身近に置くのは誤解を招くのではないか?
娼婦というのはマグダラのマリアのことで、かの有名な「罪のない者だけが石を投げよ」という発言になるわけで、それはとても正しくて差別はいけないことだと思う。キリスト教徒ではないので、ジーザスを通して神が何を人間に伝えたかったのか、どのような世界を作ろうとしていたのか不明なのだけど、娼婦だからという理由で仲間に加えないという世界ではないのでしょう。
ただ、ユダの言い分もとても分かる。経営的な視点からいえばターゲットを絞った方がいいというのはあるし、評判を落とすようなことをすべきでないというのも理解できる。ユダは別にビジネスと考えていたわけではないと思うけれど、ビジネス的に考えるととても理にかなっている。
ユダの見ている世界と、ジーザスの見てる世界が違い過ぎて、ユダはジーザスをとても愛しているのに全く理解が出来なくなってしまう。その理解が出来ないこと、自分よりもマリアを傍に置くことによる疎外感と嫉妬、そういうもので混乱しきって、とうとうカヤパたちにジーザスの居場所を密告してしまう。
その結果ジーザスがどうなるかは分かっているけれど、もう自分でも止められない運命に突き動かされていることにも気づいている。だから、神になぜ自分を選んだのかと言う場面は涙が止まらなくなった😢 ユダもまた選ばれてしまった人であったのだったら、それは何故ユダなのだろう。
そして、最期にジーザスと対峙する。もう何が何だか分からない、全く理解ができないと泣き叫ぶラミンユダがかわいそうでかわいそうで😭 混乱の中で命を絶つシーンも特にセットがあるわけではなく、跪いて首をだらりと倒すことで、彼が亡くなったことが分かる。その直前までの混乱と、唐突な死がよりユダの哀しさを際立たせている。ラミンの演技がスゴイ!
この壮絶な死があって、逆のテンションの「スーパースター」は、だからこそこんな感じなのかと思ったりする。上手く言えないけど、この世の苦悩から解き放たれて、俯瞰で物事を見た場合に、あの曲というのは作り手の上手さだなと思う。見ている側もこの曲でノリノリになることで、辛過ぎる話を少し忘れることができて緩急になっている。
この曲のラミンのロック調の歌唱が素晴らしく、立ち上がって手拍子で盛り上がるお客さんもいて楽しい。自分がノリノリになるかは別として、こういう熱さのようなものが生の舞台の醍醐味なのだと再認識。
ライブ配信はコロナ禍というだけでなく、普段なかなか劇場へ行けない方々にとっても有難いことだし、映像であっても演者の熱量は伝わって来るけれど、やっぱり同じ空間で体感するというのは、全然違うものだなと改めて思う。
前回は台風による公演中止で見れなかった🥲今回も関係者のコロナ感染で5公演中止、さらに台風8号の接近など、また見れないかもと不安だった。見れて本当に良かった!出演者やスタッフ、劇場関係者、主催者、関係各所の皆様!ありがとうございました🙏🏻 #JCSコン pic.twitter.com/BCXrdTTSvh
— maru 𓆸 (@maru_a_gogo) July 27, 2021
カーテンコールは何回あったんだろう? とにかく出演者はもちろん観客も熱かった! 全てが熱く素晴らしい公演だった
コロナ陽性者が出て5公演が中止、さらに台風8号が関東直撃か?という状況で、また2019年に引き続きまた見れないのか?と不安でいっぱいだった。本当に見れて良かった!
困難な状況の中、上演して下さった主催者、劇場関係者、関係各所、出演者、スタッフの皆さんに感謝です!🙏🙏🙏
ラミンのInstagram
また来てね~✋😃