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【cinema】『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

2008-07-31 00:18:25 | cinema
'08.07.20 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』@丸の内ピカデリー

これは見たかった! 東劇でやってたのは知ってたけど見逃してた。再演決定ということでチケ予約して行ってきた。

「大酒飲みの芸者お園。吉原大火で江戸から流れ、横浜の岩亀楼の姐御的存在。吉原で顔見知りだった花魁、亀遊(きゆう)が病で寝込んでいると知り、せっせと世話を焼く。亀遊と岩亀楼の通訳、藤吉がひそかに思い合う仲と知り、力になろうとするが…」という話。面白かった! そして素晴らしかった! これはもうホントに見てよかった。本物の「芸」というものを堪能した。

シネマ歌舞伎というので、映画として撮られたものなのかと思ったけど、これは舞台をそのまま録画したもの。たまにテレビで舞台の録画放送を見たりすると、大袈裟過ぎてちょっと入り込めない気がする。多分、現実的じゃないからだと思うけど、歌舞伎ってもう何一つ現実的じゃないし(笑)そのせいもあってか、大袈裟な部分も楽しめた。

歌舞伎は高校生の時に授業で見たきり。今にして思えば市川団十郎主演と豪華だったのだけど『俊寛』という題材は難しいし辛い(涙)どうも歌舞伎というと難しいというイメージ。市川海老蔵や中村獅童など若手役者の人気で、だいぶ身近になったものの、なんとなく敷居が高い。でも、これは有吉佐和子原作ということで、幕末を舞台としながらも分かりやすくて面白かった。恋に殉じた花魁がいつの間にか「攘夷女郎」として祭り上げられていく。はからずもそれに一役買ってしまうお園。外国人相手に商売する商人や遊郭主人の思惑。ちょっといこじ過ぎないか?とさえ思う幕末の志士達。それらが、時代の大きな変化に飲み込まれて行く感じが切なくもおかしい。

主役お園は坂東玉三郎。チラシなどでは三味線を前に少し淋しげな表情で座っている。だからてっきり悲劇なんだと思っていた。唐人お吉など、外国人に引かされる遊女や芸者を「らしゃめん」という。タイトルやチラシなどから玉三郎がらしゃめんさんになる話だと思っていたけど違った。お園さんはチャキチャキの芸者。芸は売っても身は売らない。でも、お酒も殿方もかなりお好きな様子(笑)玉三郎のはかなげな美しさは薄幸な感じが合う気がしたけど、さすがに上手い! 人情に厚い粋な芸者のしたたかな生き方に、孤独や悲しみをにじませる。見事。

物語の核となるのは遊女亀遊と藤吉の悲恋。薬問屋の娘に生まれたものの、家が没落し吉原に売られた亀遊。はかなげな美女ながら、大人しい性格のためイマヒトツ華やがない。その上、体を病んでしまい日の当たらない座敷に押し込められ、見舞に来るのはお園さんのみ。そんな中見つけたひそかな恋。でも、相手はしがない通訳で、アメリカに渡るという夢を抱いている。前途のある身と、床に臥しているうちにかさんだ借金のある身。悲しいくらい薄幸なのだけど、こんな話しはいくらもあったんだろうなと思うとまた切ない。

亀遊の七之助がいい。玉三郎の美貌の前にいかがなものかと思ったけれど、なんとも色っぽい。上村松園の「娘深雪」という絵がある。私が一番好きな絵。心ひそかに思う相手からの手紙を読んでいる時、ふと人の気配に驚き、慌てて手紙を隠すその表情が素晴らしい。かわいらしくて、でもなまめかしい。七之助の亀遊には、そのはかないかわいさと、なまめかしさがあった。藤吉を見つめる目が色っぽい。

藤吉の中村獅童もよかったと思う。思う相手に良くなってほしいと願うけれど、治れば恋する女性が体を売るということ。亀遊は日本人しか相手にしない日本人口(にほんじんぐち)の遊女。藤吉は外人相手の唐人口(とうじんぐち)の通訳。会える機会はめったにないはずなのに、運命のいたずらで藤吉のお客イルムスが亀遊を見初めてしまう。その際の通訳の駆け引きはおかしい中にも、悲しみが感じられて切ない。藤吉は生真面目な男。その辺りはよかったと思うけど、ちょっと強面過ぎな気も…(笑)

亀遊がイルムスに見初められるシーンは前半の見せ場の一つ。この場にお園はいない。代わりに場を盛り上げるのが中村勘三郎。この作品、坂東三津五郎や中村橋之助など出演者も豪華だったけど、勘三郎はちょっと別格。商魂たくましい調子のいい遊郭の主人。だけど人情も感じさせる。とにかく見ていて面白い。狙って笑いを取っているのに、本当におかしい。ホントに軽快。なのに時々ホロリとさせる。素晴らしい。

でもやっぱり何と言っても玉三郎! 冒頭、暗いセットの中でセリフのみ聞こえる。深酒をして久しぶりに亀遊の元へやってきたお園。店の子の気が利かないのに文句を言いながら雨戸を空けると、照明がつき窓辺に玉三郎扮するお園が立っている。この始まりがいい。そして、玉三郎の存在感がすごい。例のイルムスのシーンでは、お園は遅れてくるのだけど、場面に登場すると、その場がピリッと締まる。お園さんはチャキチャキで姐御肌だけど、ちょっとちゃっかりしてるところもある。でも、そういうところがかわいいし、憎めない。世話好きだけど、ウザイ感じになってはいない。とにかく粋でかわいい。そしておかしい。でも、その中にお園さんが乗り越えてきた、悲しみがほのかに見える。このあたりが素晴らしい。しかも、お園さんはセリフが多い。そのセリフ廻しは見事。囁くように話す時でもきちんと聞き取れる。そして、その物腰や所作が素晴らしい。亀遊のなまめかしさとは別のなまめかしさがある。もう少し、肝の座った感じ。酸いも甘いもかみしめた色香が漂う。
この「なまめかしい」とか「色香」ってホントに日本女性特有のものだと思う。まるで歌麻呂の美人画のような美しさ。それを男性に表現されるとは…(笑)

以前見たドキュメンタリー番組によると、玉三郎は体があまり丈夫ではないので、舞台が終わると家に直行し、お抱えのマッサージ師さんに、完全メンテナンスしてもらい、後は寝るだけという毎日らしい。もちろん、お付き合いで食事したりする時もあるとは思うけど、舞台中はそのストイックな生活。その徹底した生活に頭が下がるとともに、凡人には決して見ることのできない世界を少しうらやましくも思う。

実はお園役は大女優杉村春子(ホントの大女優)の当たり役だったそうで、昭和63年から玉三郎が引き継いだのだそう。ただ、歌舞伎として上演されたのは平成19年12月が初めて。これはその時の収録。さすが歌舞伎だけあって、セットや衣装が素晴らしい。花魁の華やかな衣装もすごいけど、芸者お園の粋な着こなしが素敵。

とにかく全ていい! セットも衣装も、演奏も。もちろん役者の演技全て。「芸」とか「技」というものをしっかりと味わえた。本当に素晴らしかった。見てよかった!この「シネマ歌舞伎」シリーズはこれからも続くらしい。是非また見たい。次は『連獅子』で!


シネマ歌舞伎:『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

原作読んでみたいと思ったけど絶版だった

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【cinema】『パンダフルライフ』(試写会)

2008-07-22 02:05:38 | cinema
'08.07.18 『パンダフルライフ』(試写会)@新宿ピカデリー

yaplogの試写会プレゼントで当選! これは映画の完成披露試写会だった。しかも会場は7/19リニューアルオープンの新宿ピカデリー。どちらも初披露ってことで取材がたくさん来ていた。

映画館すごいキレイ! 3Fのフロアがロビーになっている。チケットカウンターに並んで、フード&ドリンクカウンター。パン持参で行ってしまったけど、ここで買えばよかった。ベンチとテーブルがあるので、ここで飲食可能。床も、壁も天井も白で統一されていてスタイリッシュ。映画館というと、シネコンにしてもどちらかというと暗いトーンの印象。白一色のロビーはホテルのような印象。ちょっと素敵。パンを食べていたら、パンダちゃん達がやってきたので激写。

特別ゲストということで「まえだまえだ」の2人が漫才を披露。兄弟げんかをテーマにしたネタよりむしろ、TUTAYA ONLINEでおなじみの伊藤さとりさんの質問に対するきちんとした受け答えに感心。もちろんネタもかわいくてよかったけど(笑) パンダちゃんたちとのマスコミ向け撮影会の後、いよいよ上映。

映画はパンダについてのドキュメンタリー。四川省にある成都パンダ繁育研究基地と和歌山県のアドベンチャーワールドが舞台となっている。特に、成都パンダ繁育研究基地では世界で始めて産室の撮影を許可されたのだそうで、これはかなり貴重な映像。でも、語り口がとても優しく、ソフトなので、愛くるしいパンダの姿とあいまって、絶滅に瀕した彼らの現状も重くならずに見れる。残酷な映像はほとんどないので子供にも安心して見せられる。そのことが逆に物足りなく感じる人もいるかもしれないし、確かに危機感が伝わりにくい気がしないでもない。でも、パンダからイメージするのは「愛らしい」「のんびり」など。だから、これでいいんだと思う。核心が多少ぼやけたとしても、伝えたいだろうことはきちんと伝わった。

パンダは約800万年前に誕生した。本来は肉食獣。氷河期に獲物が取れなくなり、竹が主食になった。独特のツートンカラーは雪の中で目立たないように変化したと言われている。この辺りの説明はアニメーションで見せる。アニメーションもかわいらしくて分かりやすかった。現在の生態についてはそれぞれの場面で語られる。腸は肉食獣の名残で短く、主食の竹もほとんど消化できないそうで、1日に12~16kgの竹が必要なのだそう。本来は単独行動で暮らす動物で、広大なテリトリーが必要。繁殖期は年に1度で、しかも3日~1週間しかなく、相性が良くないとダメ。というかなり生きにくい生態。一時は野生のパンダは1000頭にまで減ってしまった。確かに森林伐採や温暖化などの自然破壊が一番の原因だとは思う。でも、パンダ自体おっとりしているようで、実はとってもデリケートで難しい動物なのだということが分かった。

現在60頭が飼育されている成都パンダ繁育研究基地。最初に紹介されるのは3歳のオス、ヨンヨン(勇勇)と3頭の仲良し「おとぼけカルテット」がいい。のんびりゴロゴロしていて、エサの時間だと呼ばれても全然出てこない。大好物の竹の子を前足で抱えるように食べる姿がかわいらしい。体はすっかり大人だけど3歳というとまだまだ子供なのだそう。「パンダ幼稚園」の1歳になったばかりの子パンダ達がかわいい! コロコロした体系にフカフカの毛皮。まだ竹は食べられないのでミルクをもらう。かわいい前足と内股の後ろ足を駆使して、木や遊戯施設を危なっかしく登る。意外に落ちない。活発で他のパンダにちょっかいを出すパンダや、コロコロ転がって遊ぶ子など、こんな小さなうちからきちんと個体差がある。カメラにぶつかってくる子もいる(笑)

産室では14歳のベテランママ、アルヤート(二Y頭)が子育て中。まだ目の開かないピンク色の赤ちゃんを、器用に前足と後ろ足を使って愛しおしそうに抱きしめる姿に感動。本当にかわいくて仕方がないというような仕草。でも、この後赤ちゃんは職員の手で取り上げられ、保育器の中へ。そして保育器の中からもう一頭の赤ちゃんがアルヤートのもとへ連れてこられる。何小言もなかったように、その子も愛しおしそうに抱く。実はパンダは双子を産むことが多いそう。でも、強い個体1匹しか育てない。なので交換方式で赤ちゃんを入れ替え、子育てをさせているのだそう。なるほど。いろんな意見があるとは思うけれど、これだけ繁殖が難しい動物なのであれば、絶滅に瀕している今、そういう手段はありなんだと思う。”野生”というけれど、人間に保護された時点で既に野生ではないでしょうし・・・。それに、それがパンダ自体の生態だとしても、あんなに愛らしく、今生きている命を見捨ててしまう気にはやっぱりなれない。

成都パンダ繁育研究基地から2000年に来日したメイメイ(梅梅)は世界で初めて自らの手で双子を育てたお母さん。その双子がこの映画の一応の主役、シュウヒン(秋浜)とリュウヒン(隆浜)。4歳の男の子。シュウヒンはやんちゃで、リュウヒンはおっとりした性格。和歌山県のアドベンチャーワールドでのんびり暮らす。このアドベンチャーワールドは8頭のパンダの園内での誕生に成功し、映画の中で里帰りしたシュウヒン&リュウヒンを除くと現在6頭のパンダを飼育している。海外で6頭の飼育に成功しているのはここのみ。チーターや、ペンギンなど希少動物の繁殖研究に取り組み、成功している世界的な研究施設でもあるのだそう。繁殖の時期を迎えるシュウヒン&リュウヒンは成都パンダ繁育研究基地に里帰りすることになる。職員の人達との別れのシーンは泣けた。「個体への愛情はあるけれど、パンダ全体のことを考えて、2頭を送り出そう」という言葉に感動しつつも、やっぱりシュウヒンはシュウヒンだし、リュウヒンはリュウヒンじゃないの思ったりもする。でも、それが仕事だし・・・。複雑(涙)

産室では若いチョンジー(成積)が初めての子育てに奮闘中。彼女も交換方式で双子を育てている。そのうちの1頭ジーヨー(績優)は発育が悪く、黒のポイント部分は灰色になってしまった。手足の力が弱く、母親にしがみつけないジーヨーを不器用に抱くチョンジーが危なっかしくもかわいい。後ろ足が上手く動かせずにモゾモゾ動くジーヨーにちょこちょこ手出ししつつ、最後には2頭で添い寝する姿に感動。同じ頃、別の産室では妊娠の徴候のあったヤーヤーが、急に食欲を見せ始めた。パンダは出産が近づくと食欲が落ち、ほぼ絶食に近い状態で子供を生むのだそうで、この時期に食欲が戻るのはおかしいという。なんとヤーヤーは想像妊娠だったのだ。パンダにも想像妊娠があるなんてビックリ。でも、母親になりたかったのかと思うと、同じ女性として感じるものがある・・・(涙)

帰国したシュウヒンとリュウヒンにも節目の時がやってくる。ストレスから急に暴れだしたシュウヒン。彼をいたわるように添い寝した兄リュウヒン。そんな2頭にも大人になる時がくる。それは悲しいけれど仕方のないこと。この辺りがもう少ししっかり描かれると、子供達にも大人になるって事が伝わりやすかったのかと思うけど、残酷なシーンや交尾などはあえて避けた意図は分かる。それに、大人になってしまった者より、子供達の方が頭より心で理解するものかもしれない。

ジーヨー達、夏生まれの子供達も母親と別れる時期を迎える。子供と引き離された母親の嘆きは見ていて切ないけど、数日もすれば忘れてしまい次の恋へと向かう。あまりのアッサリさにビックリするけど、これも繁殖には必要なこと。そして動物の”本能”なのかも。人間も同じ”動物”なのだから、たまには”本能”で行動するものいいのかもしれないと、”頭”で考えて必要以上にブレーキをかけてしまいがちな自分を思ったりもしたけど、これは余談(笑) でも、確かに忘れてしまった方が楽なことは、さっさと忘れて次に進んだほうがいいと、かわいいパンダ達に教えられた(笑)

あくまでパンダが主役。もちろん人間も出てくるけれど、パンダをお世話するいわば脇役として。その視点が良かったと思う。時にシュウヒンの目線になったりしながら、パンダの生態や行動を語るナレーションは菅野美穂。菅野美穂は演技上手いと思うけど、少し滑舌が悪い気がして、ちょっぴり心配だったけど、それは全く気になかったし、感情過多になることもなく抑えた口調で良かったと思う。

全体としてパンダ達を優しく見守る目線で描く。成都パンダ繁育研究基地やアドベンチャーワールドの人達もパンダのために一生懸命。中国の人はちょっとパンダの扱いが乱暴な気がしたけど、悪気は全くないのは分かる(笑) とにかく目線はあくまでゆったりとしている。パンダの現状を語る時も決して糾弾するのではなく、あくまで穏やか。前述したように、もう少し掘り下げたり、突っ込んだ方がいいのではという気もしたけれど、でもそれは愛くるしいパンダの個性とは合わないように思う。声高に叫んでも聞こうとしない人の耳には届かないし、穏やかに多くを語らなくてもきちんと受け取ってくれる人はいる。自分は後者でありたいと思っているだけ。

難しいことを考えなくても愛らしいパンダの姿に癒される。そして、そんなパンダを守りたいと思える。パンダの個性同様ほんわかのんびりしたいい映画だと思う。もちろんパンダは本来肉食獣だから、時には獰猛になったり、のんびりしているだけではないとは思うけれど、あくまでパンダのイメージを壊すことなく描いたのは良かったと思う。

とにかくパンダがかわいい!


『パンダフルライフ』Official site



小冊子もらった。
かわいい



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【cinema】『たみおのしあわせ』(試写会)

2008-07-13 23:16:24 | cinema
'08.07.09 『たみおのしあわせ』(試写会)@TOKYO FM HALL

baruが当選。おこぼれにあずかって行ってきた。

この日はラジオの公開録音も兼ねて、監督である岩松了氏のトークイベント付き。TOKYO FM HALLって、いわゆるイベントホールに椅子を並べてある感じなので、段差がなくてチビッコには辛い。baruが1時間前から並んでくれたので、開場ギリギリになってしまったけど最前列で見れた。映画を見るにはちょっと辛いけど、岩松監督のほぼ目の前で見れた。熊本課長よりかっこよかった(笑)

岩松監督が"しあわせコンシェルジュ"となって、リスナーのお悩みに答えるという、このラジオ番組は映画の公式サイトでリスナー登録すると聞くことが可能。ブログを持っていればブログパーツが設置できるらしい。podcastも配信中。今回の公開録音は7/20(日)25:00~ TOKYO FMにて放送予定。なので詳細は避けるけれど、いきなり1人目から重めの質問にへこむ姿がステキだった(笑)

では、本題へ。「地方の町で息子と2人、亡き妻の実家で暮らす神崎信男。仕事も恋愛もほどほど。社長の紹介で見合いした息子の結婚を成功させようと奮闘するが…」というのは実はあんまり上手な粗筋紹介ではない。確かにそうなんだけど、この映画の面白さは、実はストーリーそのものではなくて、父と息子の暮らしぶりや、何気ない会話にある。そのあたりは日本のチェーホフこと岩松氏ならでわかもしれない。

『たみおのしあわせ』となっているけど、主人公は多分父親の方。早くに妻を亡くしてから、妻の実家で2人暮らし。地方の町の会社に勤めながら出世も望まず、地道に生きているように見える。恋愛に関しては息子よりは積極的らしく、同じ会社の販売員宮地さんと公認の仲。以前にも販売員とお付き合いしていたらしい。この父親、信男がおかしい。といっても、特別おかしな人物ではない。いたって真面目な普通のおじさん。でも、何かおかしい。息子の留守に宮地さんを家に招いたはいいけれど、誰も吸わないはずのタバコの臭いや、台所のシンクが濡れていることが気になって、宮地さんをほったらかしにしてしまうシーンは最高! もちろん2人の仲がイマヒトツ進展しないのは、この日に限ったことではないし、根本は別にある。とにかく、息子がお見合い相手を連れて来るからと、掃除機をかけたり、お寿司を頼んだり、いそいそ待つのもかわいらしい。しかも、それが原田芳雄なのがいい。

民男は少しオタクっぽい男。年齢はよく分からないけど、父親があんなに心配するからには30代なのでしょう。こちらも特別変わってるわけではない。一度転職しているみたいだけど、会社にも行っているようだし、婚約者の趣味が囲碁だと知れば、マニュアル本を買って勉強したりもする。でも、少し物足りない気もする(笑) そしてものすごくダサイ。

登場人物たちはほぼ全員ヒトクセある人達。義弟の透(前述のタバコの臭いは伏線)、宮地さん、ご近所の老人達(これはスゴイ(笑))、会社の同僚、民男の婚約者の瞳もワケありな予感。ヒトクセあるけど、見せ方が上手いので悪趣味な感じにはなっていない。唯一、嫌なヤツと言える会社の同僚にしても、孤独な人物なんだろうなとか、多分、伸男の元カノことが好きだったんだろうなとか思えたりする。そういう伏線の張り方とか、セリフの行間を読ませるみたいなことがすごく上手い。役者達の演技もいいので、そういう感じが大袈裟にならずに絶妙な感じ。

とにかく親子の日常がいい! 民男が瞳からプロポーズされた時、全力疾走で帰ってきて父親に報告する。2人で大喜びするシーンのセリフが秀逸。その前のシーンで何でそんなに靴のことを気にするのかと思っていたけど、この場面で民男が「あんな走りやすい靴初めてだ!」と感動のあまり叫ぶと、それに対して反射的に「さっき見た!」と言う感じが最高! この時の原田芳雄の演技がスゴイ。後の焼肉屋さんでのケンカのセリフもいい。「何で自分の分しか傘持って来ないんだ!」とか(笑) とにかく、その会話がごく自然。だけどおかしい。セリフも演技も絶妙。多分、こんな文章では伝わらない。その、思わず言っちゃった感。だってそういうことってある。そういうのが上手い。お互いを気遣って言わないことが、逆にお互いのわだかまりになっちゃう感じも、あるよなぁと思ったりする。

原木という小さな町が舞台になっている。ほぼ、神崎家か伸男の会社が舞台になっている。2人の家はローカルな駅から畑などを通った住宅地にある古い民家。その感じがとってもいい。玄関を入ったら廊下を隠すように丸窓付きの壁みたいのがあったり、そういう昭和の香りのする家の構造がいい。安っぽいソファーの感じとか、柄あわせとかあまり考えていなそうなクッションの配置とか、畳にカーペット敷いて洋間にする感じとか。男所帯なのに意外に片付いているところもツボ。台所とかの小物や、観葉植物がさりげなく置かれていたり、生活観があるのがすごくいい。「幸福の木」(観葉植物)が置いてあったのが個人的にグッときた(笑)

一応のテーマは民男と瞳の結婚ということになっているけど、そこに義弟の透や、宮地さんなどが絡んできて、恋愛とか人間関係とかも含めた「しあわせ」とは何かということが真のテーマ。民男に向かって近所のオバちゃん(富士真奈美)が逆ギレするシーンがある。正直かなり自分勝手なキレっぷりだけど、実はこれが民男と伸男の恋愛観や人生観を言い当てている。そして、逆に2人以外の人達のそれも。もちろん、そんなに簡単に振り分けられるものではないけど・・・。でも、伸男と宮地さん、民男と瞳のそれぞれのカップル(?)にも当てはまる。奔放でちょっとわがままで俗っぽい宮地さんと、清楚な感じの瞳は一見違うタイプに見えるけれど多分同じ性(さが)を持っているのだと思う。ちょっと上手く言えないけど・・・。分かりやすいのは宮路さんだけど、瞳の方が根が深そう(笑) もっと分かりやすくした人達が富士真奈美達。いや、むしろ達観したと言うべき?

民男と瞳の結婚は意外な展開を迎える。それがスゴイ(笑) あの瞬間、2人の脳裏に浮かんだ映像は全く別のものだけど、でも本質は同じ。2人は恋愛に対しても、人生に対してもドロドロするのは避けたいのだと思う。ドロドロした部分も含めて人間関係なので、そういうものから逃げ続けるのは難しい。そして、2人は2人にとって「永遠の人」の後を追う。このラストは美しくて、ちょっとおかしい。自分の中のドロドロした部分を見つめて認めることで、他人のそういう部分を受け入れられたりもする。でも、出来る限り避けたいのであれば、それはそれでいいのかも。それも人生だから他人がとやかくいうものでもない。だけど、そんな人を愛してしまったらちょっと不幸な気もする。だって「結婚」ってそういうドロドロとの折り合いをつけていくことなんだと思うから。そこから逃げたいと思っている人にはムリなんだと思うし・・・。

オダジョーはホントにダサかった! 長袖のポロシャツ(もちろんノーブランド)のボタンを一番上までキッチリとめて、もちろんチノパンにインです。ベルト着用で、丈も微妙。態度もどこか自信無げな感じ。富士真奈美達にキレちゃう時もしどろもどろな感じでいい。オダジョー作品はオダジョーファンのbaruの影響で結構見てるけど、演技としては一番良かったかも。キャラもあわせると『時効警察』の霧山が一番好きだけど。麻生久美子も良かったと思う。瞳はちょっと複雑な人物らしい。「凧みたいに飛んでいっちゃう」という感じはあまりしなかったけれど、女の性(さが)のようなものは感じられた。

キーパーソンだけど登場の仕方が面白いので、あえて触れなかったけど透のキャラクターは面白い。でも、小林薫は少しはまり過ぎてちょっと違和感があった気がする。やや、浮いていたような・・・。宮地役の大竹しのぶはさすが! 奔放で自分勝手、でも何となく憎めない。ハマったらヤバそうだけど魅力的でもある。まさに魔性の女という感じ。伸男をさめた目で見る感じが素晴らしい。ホントに結婚式のシーンだけ現れる宗形役の石田えりもいい。すごい存在感(笑) カギ修理工の光石研とか、いろんな人がちょろっと出てて楽しい。もちろん岩松監督も出てます。

何といっても原田芳雄が素晴らしい! 前にも書いたけど「さっき見た!」のセリフは最高。この一言の為だけにDVD買おうと決心するくらい素晴らしい。そして、宮地さんを家に連れてきた時のタバコや水が気になってしまうシーンも最高です。とにかく本当の父親にしか見えない。以前「タモリ倶楽部」の鉄道特集の時に、同じく鉄(鉄道オタク)である実の息子と出演してたけど、その時息子に「(電車に乗れて)よかったなぁ!」と言った言い方と、「さっき見た!」が全く同じ感じに聞こえた! これはスゴイことだと思う。

映像も良かった。前述した神崎家がいいし、ローカルな駅の感じもいい。宮地さんが住んでいるところが少しだけ都会的なのもいい。親子で選んだ服を着た民男と瞳が自転車で土手を走るシーンが美しい。伸男の会社の感じもいい。あと診療所も。冒頭の屋上での神崎親子もいい。子供とボール遊びしている母親が、伸男のことを意識していることに過剰反応する感じが、民男の人物像をよく表している。そういう細かいところが意外に伏線になっていたりする。

語り口はそんなに饒舌ではない。どちらかというと、セリフや見せ方、間の取り方なんかは舞台のお芝居を見ているような感覚もある。笑いを狙っているところもあるけれど、自然だし嫌味はない。淡々と進むけれど、役者の演技や画面からきちんと伝わってくるし、テンポもいいので飽きない。ただ、やっぱり行間を読むみたいなところもあるし、ラストが抽象的ではあるので、そういうのが苦手な人には向かないかもしれないけれど・・・。映画とか音楽とか、小説や絵画などいわゆる芸術的なものは、きっと作者の伝えたいことが込められている。そういう部分を少しでも拾えたら嬉しいし、それが映画を見る理由の1つでもある。なんて勝手に解釈しちゃってるだけかもしれないけど(笑)

もちろん映画の見方は1つではないし人それぞれ。この映画もそんなに深く考えなくても楽しめる。単純にオダジョー目当てだといつもと違うかもしれないけど(笑) そして、全編に流れる「勝手にしやがれ」の音楽がいい。エンドクレジットに流れる”ラスト・ダンス”が最高にカッコイイ!

イベント時に披露された岩松監督の格言:
「しあわせはとは、自分がほどよいバカだと知るべき時のことである。
おりこうな間は、不幸しか感じない。」

しあわせは心で感じるもの。頭で考えてもきっとしあわせは見つからない。納得です!


『たみおのしあわせ』Official site
岩松了の「しあわせコンシェルジュ」

「しあわせコンシェルジュ」のブログパーツが反映しない
・・・どうやら、自分のPCのみ見れないようだ


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【cinema】『近距離恋愛』(試写会)

2008-07-08 02:00:26 | cinema
'08.07.02 『近距離恋愛』 @東京厚生年金会館(試写会)

yalogの試写会に当選。決算処理中なので行けるか微妙だったけど、無事見れた。

「女性関係の話題が絶えないトムと、美人で真面目な絵画修復師のハンナ。2人はお互いの恋愛も詳細に語り合う大学以来の親友だった。ハンナがスコットランドに1ヶ月出張している間に彼女への気持ちに気づいたトム。しかし帰国した彼女から婚約者を紹介されて…」という話。ホントにこれだけ(笑)予想どおりに話が展開して、予想どおりの結末を迎える。あまりに予想どおりなので、途中まではハンナの仕組んだことかと思ってた(笑)正直、特に得るものはないけど楽しかった。

原題『MADE OF HONOR』は花嫁付添人の中でも筆頭の人のことらしい。結婚式が無事にすむまで花嫁の買い物に付き合ったり、スピーチを一緒に考えたり、パーティーを開いたり、ラジバンダリ!(ちょっと言いたくなった(笑)) 何かとお世話をする人らしい。なので普通は同性の友達に頼むものらしいけれど、それを男性のトムがするというところが見所。その立場を逆手に取って、なんとか結婚を阻止しようとするけれど、となるとハンナの信頼を失ってしまう。その板挟みを笑う感じ。見る前はメイド・オブ・オナーになってから、自分の気持ちに気付くのかと思っていたので、板挟みの中にも男女の違いとか、恋愛の機微的なものが見れるかなと思っていたのだけど… そういういわゆる恋愛モノを描きたいわけではなかったらしい。これはあくまでも恋愛コメディーだった。

だから多分、真面目なものを作ろうというつもりはないんだと思う。もちろん真面目に作っているとは思うけど、トムが傷ついたり悩んだりするところも笑いましょうという感じ。正直、パトリック・デンプシーは好みではないので、何故彼がモテモテ役なのか不思議だったけど、そういう感じも笑っちゃいましょうってことならスゴイかも。イヤほめてます! モテると言ってもモデルみたいなスタイルの美女だけど、会話は…(涙)って感じの女性達。彼女達がダメだと言うつもりはないけど、モテ男ぶってきちんとした恋愛を避けているけど、ホントに求めているのは違いますよってことでしょうか。

そういう意味ではハンナも同じ。「結婚」にこだわり過ぎて、理想のダンナ様になりそうな人物とあっという間に婚約してしまう。もちろん運命の恋なんていうものもあるかもしれないし、結婚は勢いだって話もよく聞く。私自身には運命も勢いも未だ訪れていないから良く分からないけれど、あんまり「結婚すること」にこだわっていると、これもまた大切なものを見落としたりするのでは? という教訓をかろうじて拾ってみたけど、そんなこと別に言いたくないのかも(笑)別の人と会話したりしていて、何かしっくりこないものを感じて、彼(彼女)とだったら楽しいのにと思って、自分の気持ちに気付くなんてことは、けっこう誰でも思い当たるふしがあるはず。王道だし(笑)

トムのモテ男ぶりだけじゃなく、ハンナの婚約者コリンだって手放しで魅力的とは言い難い(笑)スコットランド貴族で、イケメン(なのかな?)、優しくて、スポーツも得意。雨の中牛に囲まれたハンナの元へ馬に乗って颯爽と(?)現れるまさに王子様。っぽく見えないところがいい! 彼のことも、彼の家族もとんでもない田舎者のように描いているけど、スコットランド貴族から怒られないかしら(笑)ちなみに馬で駆け付けるのは後の伏線となっている。

とにかく「馬に乗った王子様」からなにから、全てお笑い要素。これを深刻な恋愛映画だと思って見る人はいないと思うけど、恋愛物でもない気がする。これは多分コメディーなんでしょう。ラブコメというよりも… そう思って見ると、意図的に笑わそうとしているシーンよりも、見てる側にはそうは見えないのに、ハンナには王子に見えてるみたいな部分の方が笑える。って深読みしすぎかな? 失意のトムがスコットランドの美しい自然の中でRANGE ROVERに乗っている時、やたら大音量で仰々しくかかるoasisの「Stop Crying Your Heart Out」がいい! 『バタフライ・エフェクト』の時とは全然違う印象。こういうところも狙いならニヤリ。

役者達は無難。パトリック・デンプシーはイヤな男にならず、適度に情けない感じに演じていてよかったと思う。ハンナのミッシェル・モナハンがかわいい。多分『ナルニア国…』のルーシー役の子って将来ああいう感じになる気がする。余談ですが(笑)ハンナも一歩間違うと変な人なので、そうならない程度壊れていたのはよかった。トムの父親役で先日亡くなったシドニー・ポラックが出演。自由奔放に生きながらも息子を思いやる父親を好演。ありがちな設定とセリフではあったけれど感動。とぼけた感じもよかった。ご冥福をお祈りします。

全体的に確信犯なのか、そういう意図はないのか分からないところが面白かった。oasisとか、主人公達のキャラが誰一人大人になれてない感じとか… まぁ、そう難しく考えなくても楽しめる。ベタなシーンも笑えた。あと、字幕は高名なあの方ですが「ビョーキ」「あれっきゃない」など古過ぎます(笑) そのあたりは既にちょっと楽しくなってきた。決してバカにしていない! あくまで楽しみ方の一つとして…

まぁ正直、何も残らないけど、たまにはあまり深刻にならずに楽しめる映画もいい。けっこう楽しかった! NYの街並みの感じもいいし、スコットランドの自然と古城が素敵! 女の子同士で見るのにいいかもしれない。


『近距離恋愛』Official site



会場でもれなくコレいただいた。
独特の歯ごたえで美味しかった!
(Lieta シリアルバー メープルフルーツ)


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【cinema】『クライマーズ・ハイ』(試写会)

2008-07-04 01:40:16 | cinema
'08.06.25『クライマーズ・ハイ』(試写会)@一ツ橋ホール

Mッスが当選! おこぼれにあずかって行ってきた。

「1985年8月12日群馬県御巣鷹山の山中に乗客乗員524人を乗せた日航機が墜落した。北関東新聞社の遊軍記者悠木はこの世界最大の航空機事故の全権デスクに任命されるが…」という話。『半落ち』の横山秀夫原作の映画化。原作は未読だけど、何年か前にNHKでドラマ化された時前編だけ見た。何故か後編は見忘れた。これはなかなかおもしろかった。

遊軍記者で全権デスクというのはどういう立場なのかがイマヒトツ分からないのだけど、多分普段は部署に属さない記者なのだと思う。自由な半面おそらく出世コースからははずれている。全権デスクっていうのはその事件に関しての記事、写真のレイアウトなど編集の決定権を持ち、全責任を負うことなんだと思われる。悠木は以前大きな事件を扱い(この事件がよく分からなかった)社の伝説となった3人の上司達と共に事件を追っていたようだ。この辺りもちょとよく分からない。全体に皆早口だしほとんど怒鳴っているか囁いている(笑) 試写会場の音響のせいもあるのか聞き取りにくかった。小声で早口だとほとんど聞こえなかった(涙)

悠木が親友安西との登山に向かうため社を出ようとした時、日航機がレーダーから消えたというニュースが飛び込んでくる。一気に色めき立つ社内。被害者のことを思えば本当に不謹慎だけど、こういうシーンはやっぱりゾクゾクする。みなが一斉に戦闘モードに入る感じ。こういう瞬間って別に大スクープを狙う新聞記者達じゃなくたって経験あるはず。例えば決算処理が終わらなくて総掛かりでやる感じとか。その時は夢中でハイになっていて感覚がマヒして疲れとか、終わらないかもしれない恐怖とか、考えているヒマもない。タイトルの『クライマーズ・ハイ』とは、登山中にまさにそんな状態になることを言うらしい。

北関東新聞は群馬県の地方新聞。隣の長野に墜落したのと、地元に墜落したのとでは読者の関心が違う。墜落現場が群馬であるよう祈ったりと、正直524人の命をなんだと思っているのかと思うシーンも多々ある。若い記者が決死の覚悟で取ってきた記事を、悠木の足を引っ張りたいだけのために締め切り時間を伝えなったり。そんな場合か!と思ったりもする。でも、これは事故そのものを伝える作品ではなく、記者達が何を思い伝えたかったのかを描く映画。それに社会人になってしばらくすれば、自分のやりたいことと、やるべきことが必ずしも一致しないことは分かる。だから自分が夢中になれる仕事に色めき立つ気持ちは分かる。ただ、それが多数の犠牲者の出た事故なので複雑ではあるけれど… 墜落のニュースから悠木が全権デスクに任命され、記者達が一斉に動き出す。自ら志願して現場へ向かった佐山達から連絡が入るまでの流れは、スピード感があってぐいぐい引き込まれた。

原作は未読なので、どこまで忠実なのか分からないけど、映画としてはちょっといろんなエピソードを盛り込み過ぎな気がした。例えば、元社長秘書のセクハラの件とか… 親友安西が過労で倒れた理由や、社長の横暴ぶりも他のシーンだけで十分伝わる。そのわり安西が結局どうなったのかは伝わりにくい。そういう、あの人はなんだったの?とか結局どうなったの?というのが意外に多い。見ている側に判断を委ねるっていうのはありだと思うけど、それが有効なのは1回じゃないかな…

小説だと画を見せられない代わりに説明的な部分も必要になるし、単調にならないように場面転回も必要だと思う。ただ映画だと時間の経過って意外に伝わりにくい。夜がきて、朝になってはいるけど、何日たったのかって意識してなかったりする。だから、緊迫した状態が続く中、責任者の悠木が安西のお見舞はともかく、元社長秘書に会いに行き告白されているのは…。緩急ということなのかもしれないけど、そのわり安西はその後ほったらかしだし。

緩急ということであれば、現在の悠木が安西の息子と、あの日安西と登るはずだった山に登ってる映像が度々入る。その風景が美しい。2人が山に登る感じと、記者達の盛り上がりがリンクしていていい。山の映像がスゴイ。日本の山とは思えない迫力。その美しい山と事故現場の悲惨さの対比。現場の惨状を映像で見せるのではなく、佐山の記事で伝えるのもいいと思う。あまりにむごい現状を自身の中に沸き上がった怒りや悲しみをぶつけた記事が胸を打つ。

おそらく描きたいのは記者や編集部員達の濃密な人間関係と、あの日原作者自身が体験した感情。当時、横山氏は記者としてあの現場を取材したのだそう。だから、この映画の主人公は悠木だけど、作者の目線は多分佐山にあるのだと思う。この2人の関係が山を登っている2人にリンクしている。嫉妬から足の引っ張り合いをする男くさい感じがやや辛いけど、そんなぶつかり合いから昔の熱さを思い出し、手を結ぶ感じは面白い。上司3人の扱いはおもしろい。

役者達はよかった。悠木役は堤真一。確かドラマでは佐藤浩市だった気がする。個人的には佐藤浩市の方が合っている気がするけど、強い正義感と内に秘めた熱さと、それを上手く表現できないために人と上手く付き合えない人物を好演していたと思う。

上司の1人部長の遠藤憲一がよかった。プライドが高く嫌なヤツかと思わせて、実は悠木が気になって仕方がない感じがよかった。それは嫉妬もあるけれど、もう一度悠木とという感情もあるのかもしれない。その感じが自分でも分かっていなかったけれど、酒席でのぶつかり合いで腑に落ちた気がする。背も高いしスタイルがいいので、気取った感じも合っている。同期の田口トモロヲも飄々としていていい(笑) 役者さんの名前が分からないのだけど、局長達にさらりと苦言を呈したりする亀嶋役の人も良かった。 あまりの惨状に精神のバランスを崩してしまう神沢役の人も熱演。彼と社長役の山崎努は少々やり過ぎな気がしないでもないけれど・・・。

でも、今回一番良かったのは佐山役の堺雅人。あの笑ってるみたいな形の目が、実は笑ってない感じが気になっていたけれど、本格的に演技しているところを見たのは実は初めて。この映画、誰が味方で誰が敵なのか分からない感じも見所なので、彼のあのいい意味で得体の知れない感じが合っている。もしかしたら佐山は悠木を裏切るのかもしれないという緊迫感が生まれる。実際どうなのかは書かずにおくけれど、かなり重要な人物であることは間違いない。現場を駆けずり回る姿もいいけれど、ボロボロになって送った情報が、ある手違いで朝刊に間に合わなかったと知り、悠木を睨みつける目が素晴らしい! ちょっとゾクゾクしました(笑)

事故から23年。奇跡的に救出された生存者の少女がマスコミで取り上げられたり、被害者の方が機内で必死で書かれた遺書など、あの事故は当時まだ子供だったけれど鮮明に覚えている。せいぜいポケベルしかなかった時代、記者達が足で取材し、何度も近くの民家で電話を借り社に情報を送って伝えていたのだと思うと、少年犯罪者の顔写真があっという間にネット上に上がる現代、言葉や映像の持つ意味も全然違ってきているように思う。しかし、あの事故当時、首相だった中曽根氏は靖国神社を公式参拝していたんだね。今だったら問題になったんじゃないだろうか・・・。そういう意味でもおおらかだったのかも。

事故を追っているシーンはすごく面白かった、前にも書いたけれど現在の登山シーンとリンクしているのもいい。それだけにラストがちょっと・・・。悠木親子のことは何度か挿入されているけれど、あまり詳しく語られていなかっただけに、あのシーンで終わるのは。その直前、見ている側に判断を委ねるシーンを入れておいて、さらにかぶせるのはどうだろうか・・・。

と文句が多いけれども、やっぱり男は真剣に仕事している姿が一番かっこいい!と思わせてくれる映画だった。


『クライマーズ・ハイ』Official site



今回、とんかつ和幸主催の試写会ということで、アンケートに答えると500円分のお食事券がもらえた! 素敵です


コメント (6)
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【cinema】『善き人のためのソナタ』

2008-07-02 01:42:03 | cinema
これも見たかった。以前WOWOWで放送していたのを録画していたので見る。

「1984年旧東ドイツ国家保安省(シュタージ)の大尉ヴィースラーはヘムプフ大臣の依頼を受け、劇作家ドライマンの監視をするが、彼を通して芸術を知り・・・」という話。これは、しっとりとした良作だった。そして、どこか演劇を見ているような感じ。

見る前はもう少し前の時代の話なのかと思っていたけど、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊する5年前の話だった。社会主義については実はあまりきちんと理解していない。まず国家ありきで国民は国家の為に奉仕するということでいいのかな? ヴィースラーが所属するシュタージというのは国家にとっての危険分子の取り締まりといったところでしょうか・・・。冒頭ヴィースラーが尋問するシーンから始まる。表情を変えずに声を荒げることもなく進むその尋問自体よりも、その音源が教材として使われ、それを淡々と解説している感じが彼を上手く表現している。生真面目で有能、自分の能力に自信と誇りを持ち、感情をコントロールできる。でも、人間味のない男。

彼はキャリア志向の高い上司に連れられて芝居を見に行く。上司はそこでヘムプフ大臣から劇作家ドライマンを監視するように指令を受ける。そしてヴィースラーがその任務を担当することになる。見ている側としては結果として社会主義は崩壊し、東ドイツという国は無くなった事を知っているわけだから、この任務は"悪"という見方をするけれど、シュタージにとって見れば西側的な思想をする人物は危険なわけで、監視し取り締まるのは"正義"なはずだった。だから、その"正義"どうしのせめぎ合いならもう少し良かった気もするのだけど・・・。

この指令自体はシュタージ側から見れば決して的はずれではないのだけれど、大臣の私情が絡んでいる。この感じがちょっと余計だった気も・・・。要するに幹部の腐敗を描きたいんだろうし、後にドライマンが言う「こんなクズが国を動かしていたのか」という感じではあるけれど、いわゆるセクハラでパワハラなわけで、それは資本主義の国にだってあるわけだし・・・。大臣の悪人ぶりとしては少し弱い気もする。まぁ、後のシーンで彼は彼なりにクリスタを愛していたのかもと思えるシーンがあるけれど。なんとなく正義VS正義としてぶつかり合って、芸術に触れたヴィースラーの中で何かが変わるという感じの方がスッキリした気がする。シュタージの冷徹ぶりの描き方も少し弱い気もした。

でも多分、この映画が描きたかった事は"芸術"と"自由"なんだと思う。監視を始めたヴィースラーは、ドライマンの生活を通して芸術的なものや考え方に触れて変わっていく。孤独で味気ない彼の生活に文学や音楽が入ってくる。ある日、盗聴をしているとドライマンが恋人であるクリスタにベートーベンのソナタを弾いて聴かせ「これを聴くと革命ができない。この曲を聴いた人は悪人にはなれないから」とレーニンが語ったというエピソードを語るのを聞く。この曲と言葉がヴィースラーの心に響く。"芸術"好きだからといって悪い人間ではないということにはならい。あのヒトラーだって若い頃は画家を目指していたんだし。でも、ヴィースラーは間違いなく芸術に心打たれて人間的な気持ちを取り戻す。

芸術というのは感動しよう、感動させようとしても心を動かせるものではない。ある時、ある瞬間に心をつかむ。東ドイツでは思想的な芝居や本などを規制していたようだ。演出家のイェルスカは要職からはずされ失業してしまう。シュタージに目をつけられた彼に話しかける人も少ない。その孤独と絶望の中で自ら命を断つ。その事件に憤りを感じたドライマンはある決心をする。ドイツ語の硬くあまり抑揚のない感じで語られる決意や計画は、自由な社会に生まれた者にとっては普通の事なのに、彼らにとっては命がけのことなのだ。国家を批判したといえば確かにそうだけれど・・・。彼らが発したメッセージはなにも自由を闇雲に叫ぶというものではない。きちんとしたデータをもとにした正しい主張。それが逆に胸を打つ。正しいことを正しく発言している。一度はそんな彼らの行動を阻止しようとしながらも、気持ちを変えたヴィースラーの心の変化は何だったのか?

社会主義が間違いで、資本主義が絶対に正しいというつもりはないけれど、感じたまま、考えたままを自由に発言したり行動したりできないというのはやはりおかしい。自分の中にある言葉や気持ちをただ人に伝えたいだけなのに。ドライマンは劇作家でクリスタは女優。芸術家の2人の会話はヴィースラーの孤独な心を刺激する。自信に満ち知的で正義感にあふれ、美しい恋人や仲間に恵まれた彼の生活に"自由"を感じたのかもしれない。そして彼はクリスタに恋したのかもしれない。あの日彼が見た舞台では堂々と主役を演じていた女優は、自分に自信が持てずドラッグ中毒になってしまっている。ドライマンを社会主義に立ち向かう強い人物として描き、彼女を社会主義の犠牲になった弱い存在として描いている。彼は彼女の中の弱さに人間的な脆さを見たのかもしれない。そして彼が本当に守りたかったものは・・・。

役者達が良かった。多分ヴィースラーの設定は45歳くらい? ドライマンとクリスタは30代後半くらいかな? 「40目前で・・・」というセリフがあった気がする。なのでこれはとっても大人な映画。盗聴がカギとなっているけど、彼らはベラベラと喋ったり激したりはしない。だからわりと淡々としている。社会主義国からイメージする密告・尋問・拷問などのシーンもハッキリと描いてはいない。主人公達の心の葛藤がハッキリと分かるセリフも少ない。そういう面では少し物足りなさを感じるけれど、これは声高に自由を叫ぶ映画ではない。だから俳優達の演技も大仰ではない。

クリスタのマルティナ・ゲデックがいい。見た事あると思ったら『マーサの幸せレシピ』の人だった。『マーサ・・・』の時も雰囲気のある素敵な人だと思ったけど、今回も良かった。クリスタはその境遇や弱さから悲劇的な間違いを犯す。でも、それがすごく良く分かる。彼女がしてしまった事はドラッグを含めて決して良い事とは思わない。ただ、彼女が自分に自信が持てずにいる気持ちは分かる。そしてヘムプフとの事で自分を蔑んでいるのも、尊敬すべき恋人に対しての負い目も、そして彼に嫉妬する感じも分かる気がする。それはやっぱり彼女の演技によるものだと思う。ただ嫌な女にもダメな女にもなっていない。ドライマンのセバスチャン・コッホも良かった。才能も地位もあり、友人も多く容姿にも恵まれている。そんなちょっとイヤミもしくはウソくさいキャラになりがちな役を大人の男として演じていたと思う。

そしてヴィースラーのウルリッヒ・ミューエがいい。旧東ドイツ出身。ヴィースラーは表情もほとんど変えず任務を完璧にこなすことだけに生きてきたようだ。家族も友人もいない。そんな彼が芸術家の自由な考えに触れ、憧れの女優の人間的な部分に触れ、2人を通じて芸術の素晴らしさ、自由の素晴らしさを知る。そして、それを守りたいという感情に突き動かされる。それは彼が求めた自由。初めて自らの意思で行動した。結果、閑職に追いやられ、統一後の生活も決して恵まれたものではなさそう。でも、壁崩壊のニュースを聞いた時、初めて感情を爆発させる。それはきっと表面上の豊かさではなく、心の豊かさを求めたから。本当の自由は自分がしたいと思った事が出来ること。それは、人に迷惑を掛けて、やりたい放題する身勝手のことではない。そういう感じが硬い表情や少ないセリフからもきちんと伝わってくる。

きれいにまとめられていて、逆に少し物足りなさを感じる部分もあるけれど、描きたいのは旧東ドイツの腐敗でも、人々を締め付けた圧制でもないし、ドライマンの告発でもない。ヴィースラーが守ったのは本当はドライマンではない。彼が守りたかったのは芸術と自由。自分の中に芽生えた自由。それが分かっているからドライマンも彼に会わずにHGWXX7への献辞としたのだろう。かつての彼のコードネームだったそれは、ドライマンからの暗号になっている。ちょっと象徴的ではある。

盗聴に使うレトロな機械や、旧東ドイツの暗く沈んだ街並みもいい。なかなか良かった。こういう映画は家のテレビで見るのではなく、こじんまりとした映画館でじっくり見るべきだったかもしれない。


『善き人のためのソナタ』Official Site

コメント (4)
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