【tv】100分de名著「ノートル=ダム・ド・パリ」(第2回)
25分×4回で1冊の本を読み解くという番組。「ノートル=ダム・ド・パリ」の2回目。1回目の記事はコチラ。備忘メモをTweetしておいたので、それに追記する形で記事を書く。
第2回:根源的な葛藤を描く
ここは特に追記はないかな? あーーー! エルメラルダってTweetしちゃってるよ💦 しかも撹乱要員って😩 これは要因だよね💦💦
調べてみると、カジモドはQuasimodoと書くけど、ラテン語のquasi modoは"あたかもそのような"という意味で、quasiは"ほぼ"という意味だそう。Quasimodoとなると"できそこない"という意味になるらしい。でもコチラによると、フロロがカジモドを拾った日が、カジモド・サンデー(白衣の主日)だからだということらしい?
カジモドはいわゆる奇形なのね。おそらくその容姿から親に捨てられ、禁欲主義者のフロロに救われ、大聖堂の中で世間と隔絶されて過ごす中で、フロロを崇拝する気持ちは分かる。それが犬と飼い主との関係の様だというのも分かる気がする。
フロロとカジモドがそれぞれの理由で社会から隔絶していることも理解できる。それゆえ大聖堂を愛しているというのがピンとこないのは、自分がキリスト教徒ではないからなのかもしれない。
カジモドは大聖堂の鐘番になったわけで、本人がどこまで意識しているのか分からないけれど、おそらくそれが"自分"であったのだと思う。家族から捨てられ、その容姿から人々から嫌われている彼にとって、大聖堂の鐘番であることが彼の中での自己であったというか・・・ ちょっと難しいことはよく分からないけれど。
それはフロロにとっても聖職者になることが人生の最大の目標であったわけで、その禁欲的で生真面目な性格から、聖職者として大聖堂を頑なに愛していたのだと思う。これも上手く書けないな💦 もちろん本心から愛していたと思うけれど、聖職者としては大聖堂を守らなければいけないというような思いというか・・・
鹿島先生によると当時捨て子はたくさんいたそうで、なのに何故醜いカジモドを拾ったのかということで、フロロにはもともと大きな愛情があって、それを全面的に注ぎたいという欲求があったのではないか? ということだった。うん。それは多分親の無償の愛とか、温かい愛情とは違って、もっと一方的な愛情なんじゃないかなと感じる。
禁欲的な生活をしているため抑圧されて膨張している部分もあるとは思うけれど、フロロはもともと欲望の強い人だったのでしょうね。もちろん性欲も含めて。鹿島先生によるとキリスト教の考えとして性欲が強い人の方が良い聖職者になれるというものがあるのだそう。そうなのかしらね?
エスメラルダを踊り子として設定したことがスゴイというのは、要するに彼女は現在のアイドルのような存在で、常に衆人の目に晒されているわけで、そんな彼女を自分のものにするには閉じ込めてしまうしかないということになるわけで、それがカジモドに誘拐命令をしてしまうことにつながるということ。
公開処刑というので、てっきりカジモドは死刑になってしまうのかと思ったら、鞭打ちとさらし者になるという刑だったらしい。エスメラルダという女性の行動は優しさというよりも、正しさという気がする。もちろん優しさもあるのだとは思うけれど。
この本文中の"この不幸な男が涙を流したのは初めてだろう"というのは泣けた💦 涙を流すのには"心"が必要ということだよね。カジモドは今まで誰からの愛も受けていなかった。フロロもカジモドを愛していないわけではないと思うけれど・・・
カジモドが目覚める過程は興味深かった。今までの自分をフロロに拒絶されたことと、エスメラルダに優しくされたことが同時に起きて、彼の中で自分は本当は人間なのではないかという感情が芽生えた。
エスメラルダは何故水を持ってきたのでしょうという津島アナウンサーの問いに対して、エスメラルダというのは正しいと思ったことを毅然とする人間であって、憐れな者は救わなければならないと考えている。これは本来キリスト教の教えだとのこと。となれば、司教であるフロロがそれを人々に説かなければならない立場なのに、彼はカジモドを見捨ててしまう。これはなかなか興味深い。
公開処刑が不気味だと語ったのは伊集院光氏の意見。正義であればいじめてOKというのは、常々集団心理として一番怖いと思っていたこと。正義ならば何をしてもいいというのはちょっと怖いのだけど、実は一番陥りがちな心理状態なんじゃないかと思う。この辺りのことは、『ハンナ・アーレント』を見ていて、彼女を糾弾するユダヤ人たちにも感じたこと。単純に彼らが間違っているとも言えないところに、根の深さを感じた。そういう集団心理の中で、ただ1人毅然とした行動をとれるエスメラルダはとても素敵な女性。
グレゴワールとTweetしてしまっているけど、正解はグランゴワール! ここでフロロが壁に彫ったのがΑΝΑΓΚΗで宿命。この文字は作者が大聖堂の壁に書かれているのを見つける冒頭につながっているのかな?
フェビュスは婚約者がいるのにエスメラルダと逢引したりするような不実な男(*`д´) エスメラルダは素敵な女性なのに、何故こんな男を? まぁ、恋は盲目というからねぇ😥 しかし、2人の逢引をのぞき見するなんてフロロ怖すぎる💦
なんだかスゴイ展開になってきた💦 しかも、ユゴーってそんなことになっていたのね💦💦 この物語は愛憎というか嫉妬について書かれているようだけれど、それはユゴー自身が持て余した感情だからなのね?
前述したとおり、踊り子というのは衆人の目に触れる存在なわけで、そのこと自体に嫉妬してしまうのであれば、もう閉じ込めてしまうしかないわけで、そのことについて伊集院光氏は理解できる気がするとのこと。鹿島先生も男性ならばフロロの中に自分を見るのではないかとのこと。なるほどね・・・
欲望が巨大な人は危険だが偉大なことが出来るというのは分かる気はする。それだけエネルギー過多ということだものね。
ということで、2回目も楽しかった! 既に3回目も見ているので、備忘メモをTweetした後、直ぐに記事にしたいと思う。
100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50
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