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【cinema】『BALLAD 名もなき恋のうた』

2009-09-23 04:08:17 | cinema
'09.09.20 『BALLAD 名もなき恋のうた』@TOHOシネマズ市川コルトン

なんだかとっても気になったので、連休中だし地元のシネコンへ見に行ってきた。

*ごめんなさい! 辛口です

「小学生の川上真一は最近、毎日のように美しい姫が湖のほとりで祈る夢を見ていた。ある日"川上の大橡"と呼ばれる橡の木の根元で、箱に入った巻物を見つける。それを読んだ瞬間戦国時代にタイムスリップしてしまう。そこで真一はあの夢の姫に会うことになるが・・・」という話で、これは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』の実写化。クレヨンしんちゃんはマンガを読んだことないし、アニメも映画も見たことなかった。アニメ番組はしんちゃんの行動が下品だということで"子供に見せたくない番組"の1位になってしまったけれど、映画に関しては評判が良くて、この作品や『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』などは大人が見ても、感動して泣いてしまうと聞いていた。その辺りと、戦国時代の戦の仕方や、城の造りなどにこだわったという点が気になって見に行ったのだけど・・・。

うーん。おもしろかったんだけど・・・。正直に言ってしまうと劇場で見なくても良かったかなという感じ。上手く言えないんだけど、全体的に小粒という印象。現代人がタイムスリップしてしまうというのは数々描かれてきたわけで、文明の利器のおかげで昔の人を驚かせたり、助けたりするという設定もたくさん見てきた。戦国時代の戦に加勢するのは『戦国自衛隊』があるし(笑) もちろんパクリだと言っているわけではないです! 姫と家臣の身分違いの恋っていうのもたくさん見てきた。だから、多分もとのアニメ映画が見せたかったのは、しんちゃんが戦国時代に行くということであって、しんちゃんと武士、しんちゃんと姫の関係のおかしさみたいなことなんじゃないかと思う。大人になるといろんなしがらみとか、臆病になってしまった自分がじゃまして素直になれないことは多い。その辺りが、子供の無邪気さというには度を越した感のあるしんちゃんに引っ張られて、開放されることもある。あとは単純に完全に縦社会である戦国時代に、しんちゃんを投入するおかしさっていうか・・・。

でも実写であのしんちゃんのキャラを演じるのはちょっとムリだと思う。忠実に演じたからといっておもしろいかと言うと違うと思うし、見ていて辛いことになるのは間違いないと思う。だから野原しんのすけから川上真一の変更はありだと思う。でも、それだけに真一がタイムスリップしてきたことが、そんなに起爆剤になっていない気がした。真一が帰ってこないことを心配した両親は"川上の大橡"という名前が「川上真一とその一族の活躍」に由来することを知り、真一のタイムスリップを確信するけど、そんなに活躍してないし(笑)

戦国時代の戦を忠実に再現したとのことだけど、あまり伝わらなかった気がする。真一がタイムスリップしたのは天正2年の春日という国。もちろん架空の国で、かなり小さな国という設定らしい。真一の夢に出てきたのはこの国の姫君で廉姫。美人の誉れ高く、輿入れの申し入れがたくさんあり、真一的に言えばモテモテ。この姫が密かに恋するのが幼なじみの侍大将、井尻又兵衛。"鬼の井尻"と恐れられる人物。うーん。ガッキーはかわいいんだけど、ちょっと戦国時代の姫には見えないかなぁ。品がないってことではないんだけど、言葉遣いはともかく声のトーンなんかは、あえての大芝居というか時代劇調にしていないのは、他の人達もわりとそうなので、狙いなのかなとは思うんだけど・・・。ちょっと姫としての威厳はないかも。又兵衛の草彅剛は"鬼の井尻"って感じじゃなかったかなぁ。ちょっと線が細い感じ。ガッキーと並んだ時の画を考えれば、そんなにごつい感じの人じゃダメな気もするし、湖で姫を救うシーンなんかはかっこよかったんだけど・・・。

お目当てだった戦国時代の合戦シーンにしても、ちょっと伝わりにくかった気が・・・。合図が出ると戦が始まって、合図があると本日終了となり、それぞれの陣に戻って翌日また戦ったというのは、高校の日本史の先生が話してくれた気がする。だから知識としてはあった。その辺りは、城に攻め込まれた春日の兵士が、合図が鳴ったのを聞き、戦っていた敵に向かって「合図が鳴ったから帰れ」と言っていたし、見ていれば分かる。でも、例えば槍はつくのではなく、上から振り下ろしていたのだというのは、あんまり伝わらないかも。まるで踊っているかのように敵に向かっていく。何をしているんだろうと考えて、初めてなるほど当時はこんな風に形式的に戦っていたんだなと気づく。その試み自体は素晴らしいと思うんだけど、逆に戦の迫力をなくしてしまったかなという気がする。春日というのは小国なので、城も現在の私達が知っている姫路城のような立派なものではなく、とても小さい。その辺りは狙いなのは分かるけれど、迫力不足は否めず。土ぼこりの立つ山城、櫓、統率されて儀式的に進んでくる敵。圧倒的な兵力の差。それを迎え撃つ小国の兵士達の悲壮感。妻や子、母との別れなんかは、城壁に梯子をかけてよじ登るシーンを含めて『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』の"ヘルム砦の戦い"みたいなことがしたいのかなと思ったのだけど、気のせいかな? 全然パクリと言うつもりはないけれど、なんとなく既視があったのは事実。あくまで個人的な感想です!

物語の核となるのは廉姫と又兵衛の恋愛。いくら小国といっても姫君と家臣の恋愛は御法度。それが分かっているからこそ燃え上がる気持ち。これまた今までたくさん見てきた。それでもやっぱり感動しちゃうのは王道ゆえ。やっぱり秘めた恋って本人は苦しいけど、見ているぶんには切なくて素敵。姫はその竹を割ったような性格ゆえ、抑え切れない思いをチラチラと又兵衛にぶつけるけれど、家臣である又兵衛はそれに応えることが出来ない。そんな切ない男心がいい。だからこそ応えて欲しい姫の気持ちも分かる。でも、なんとなく中途半端になってしまった印象。さっきも書いたけど、原作は2人の切ない恋を中心として、そこにしんちゃんが加わることによる効果があるんだと思う。でも、しんちゃんを登場させられないのだとすると、ありふれた身分違いの恋になってしまうし・・・。

この映画を見た後、録画しておいた『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』を見てみた。野原一家から川上一家、原作にない又兵衛の家来の息子を登場させるという大きめな変更以外は、多少の変更はあるものの、ほぼ原作に忠実でセリフもけっこうそのまま。この家来の息子の登場は真一との交流部分は彼に置いて、姫との恋愛部分を強調させる狙いかもしれないし、まだ幼さの残る彼まで戦に出るという悲壮感を出そうということだと思う。妻子のない又兵衛としんちゃんが、親子のような関係を築くのも見どころではあったのだけど、まぁそれはOK。アニメ映画の方が戦闘シーンや恋愛シーンなんかはあっさりしているものの、大人が見ても楽しく感動できる仕上がり。でも、やっぱりいろんな場面にちりばめられたギャグ・シーンは、しんちゃんありきな気がする。そもそも井尻又兵衛という名前も、しんちゃんが「おまたのおじさん」と呼ぶことからも分かるように、股をいじるということなんだろうし(笑) その辺りがどうしても浮いた感じになってしまった気がする。いっそのこと恋愛を中心とした戦国時代モノに特化してしまった方が良かったかも・・・。と言ってしまうと身もフタもないか(笑)

さんざん辛口コメントを書いてしまったけれど、原作にはない出陣前夜の写真撮影は楽しく、そして切なくて良かった。戦闘シーンのCGは分かってしまったけれど、大倉井の城や又兵衛の屋敷のCGは自然。『ALWAYS三丁目の夕日』(未見)で、CGで昭和30年代の日本を再現した山崎貴監督は、この映画でもCGにこだわったのだそう。ハリウッドの大作モノを見てしまえば、その圧倒的なスケール感にはかなわないけど、こじんまりとした感じは小国春日には合っていた気がする。ホメてます!

役者さんたちは、まぁ良かったと思う。廉姫の父で春日の殿様中村敦夫以外は、言葉遣いこそ時代劇のござる調だけど、わりとサラリと現代的な演技。まぁ、新垣結衣は正直狙いというよりは、素なんじゃないかという気もするけど、かわいいのでOK(笑) 真一の父親役の筒井道隆は、個人的には好みなのですが、いつもモゴモゴと滑舌が悪いのが気がかり(笑) 母親の夏川結衣は良かった。独特の雰囲気があって好きな女優さん。真一を思う母としての気持ちも良かったし、女として廉姫を気づかう感じも良かった。彼女が背中を押したからこそ廉姫は踏み出せた。真一の武井証くんはかわいいし上手。高虎に向かう又兵衛を止めるシーンでは、アニメ版のしんちゃんにかなわなかった気がするけど、いつも逃げていた真一が強くなっていくのは良かった。キャラ変更の理由の一つはここを描きたいからでもあると思うので、ここに説得力がないとダメだと思う。そういう意味ではよかったと思う。

又兵衛の草彅剛は切ない演技は良かったと思う。廉姫を愛する気持ちを、全力で彼女を守るという形に転化して抑えている感じは伝わったし、姫を見つめる姿は切なかった。湖で姫を救うシーンはかっこよかったし、高虎との対決シーンも良かった。ちょっと残念なのは"鬼の井尻"と呼ばれる迫力がなかったこと。命を懸ける気迫はあったんだけど、ちょっと武将というには線が細いかも。でも、やっぱり廉姫が恋する相手なので、そこはイケメンじゃないとダメなのは分かるし、このキャラ自体は草彅くんに合っているので全体的にはOK。

と、またしても辛口になってしまったけれど、明日出陣する又兵衛と廉姫が、許される限りお互いの思いを伝えるシーンが良かった。CMでも流れているので書いてしまうけれど、「自由にお生き下さい」と絞り出すように言う又兵衛のセリフが切ない。自分は自由に生きられないわけで、幸せにしてあげることはできない辛さが伝わってきた。女性としてはこんなに切なく思われているのはうれしいハズ。だからこそ廉姫は「お前と共に生きる」と応えるわけだし。10~20代前半くらいの女性たちが感動しているのはこの辺りかと。"歴女"なんて言葉ができるくらい、若い女性の間で歴史や戦国武将がブームらしい。それはやっぱり黙って自分を守ってくれる強い男性を求めているのかも。そういう意味では理想的。

個人的には"歴女"以前から歴史や時代劇が好きなので、何度も書いたとおり期待していた本当の戦国時代の戦風景がイマヒトツだったのは残念。でも、本来はあまり歴史に興味はなくても、2人の恋愛モノ目当てで見に来た女性たちには、逆にあまり残虐ではないのがいいかもしれない。戦国時代では戦で敵を殺すことは当たり前だったけれど、現代人である川上一家には殺人なわけで、彼らは人を殺さないし、彼らによって救われる命もある。その命はこの映画の方が救うべき命に描かれているのもいい。

というわけで、そんなに歴史に興味はなかったけれど、美しい姫と家臣との切ない恋愛モノなら見たいという人にはいいかも。娯楽作品としてはおもしろかった。ホメてます!

『BALLAD 名もなき恋のうた』Official site

追伸:クレヨンしんちゃん原作者である臼井儀人さんの御冥福をお祈りします。


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【cinema】『ワイルド・スピードMAX』(試写会)

2009-09-21 02:59:48 | cinema
'09.09.17 『ワイルド・スピードMAX』(試写会)@明治安田生命ホール

いつもお世話になってるNice one!!のrose_chocolatさんからのお誘いで試写会へ。シリーズモノだけど1本も見たことないので、今作も実は全くノーマークだった。実は作品自体よりも、rose_chocolatさん目当ての試写会だった(笑)

「南米で恋人のレティや仲間達とトレーラー強盗をするドミニク。彼はある事件をきっかけに、指名手配されているL.Aに戻ってくる。FBI捜査官ブライアンは麻薬組織に潜入するため、運び屋を決めるレースに参加する。そこにはドミニクの姿もあった・・・」という話。これはおもしろかった! とにかくスピード感がスゴイ。そしてホントにそれだけ(笑) もちろんホメてます! スピード感のみで約2時間一気に見せてしまう力技は素直にスゴイと思う。

『ワイルド・スピード』『ワイルド・スピード×2』『ワイルド・スピード×3 TOKYO DRIFT』に続く4作目。1本も見ていないので、ブライアンとドミニクの関係なんかが分かっていると、ニヤリとするところも多いんだろうなと思ったりしたけれど、その辺りは知らなくても楽しめる。そもそも、ドミニクは1作目にしか出ていないし、3作目に関しては高校生が主役の全く別の作品っぽい。1作目との繋がりや登場人物達との関係を、サラリと説明するようなセリフがあるので問題なし。そもそも、そんなに複雑な人間関係を描こうとしているわけではないし(笑)

冒頭のトレーラー強奪シーンからすごいスピード感。ここではドミニクの彼女レティが大活躍。その度胸も手際もスゴイとは思うけれど、こういう時やけに強気で、危険なことを無理にやりたがったあげく、やり過ぎて人を巻き込んでしまうようなタイプの人は男女問わず苦手・・・。でも、そういう人物がいないと成立しないのがアクション映画(笑) だからアクション映画が苦手とまでは言わないけれど、あまり見ない理由ではある。でも、この冒頭のやや暴走とも言えるレティの活躍には理由があった。アクションモノにありがちなストーリー性の希薄さ、ツッコミどころ満載の強引な展開は正直否めない。ドミニクに復讐させたいがために、あえてブライアンの同僚に失策させたりとか・・・。まぁ、その辺りはブライアンにやけにライバル意識を燃やしている描写など入れて伏線を張っているのでOK。それに麻薬組織のボスであるブラガの正体とか、それをブライアンとドミニクだけが見抜く感じなんかは王道だし。そういう意味では全体的に何度も見てきたような設定で、まさに王道。そして、だからこその安定感がある。

見せたいのはカーアクションなのであって、多分ストーリーはどうでもいいんでしょう(笑) その徹底した感じはいいかも。そもそもジャンルが違うのだから、人間ドラマを求めるのもおかしな話。麻薬組織もドミニクの復讐も、全てはL.Aの公道でもカーレースや、メキシコ国境でのトンネル疾走の舞台設定の理由づけに過ぎないんだと思う。そういう意味ではこんな事が可能なのかというツッコミは置いておいて、そこに至る展開にムリはない。その辺りは良かったと思う。

とにかく、何度も書くけどカーアクションがスゴイ! 車に詳しい人ならスゴイおもしろいんじゃないかと思う。正直、ブライアンの車が日本車であることも、よく見れば右ハンドルなのに「日本車じゃ勝てないよ」というセリフを言われるまで気づかなかったくらいなので、車を見ただけでワクワクするってことはなかったのだけど、ブライアンが大画面に何百台と映し出される押収車の中から車を選ぶシーンなんかは、車好きの人にはたまらないかも。同時にシリーズを見ている人はニヤリ場面なんだと思う。基本、レースに使用するのは改造車らしく、ドミニクもブライアンも自分で改造する。その辺りも何をしているのか分からなかったけど、カーマニアならおもしろいのかな。もうサッパリ分かりません(笑) なにしろ免許は持ってるけどオートマ限定で、しかもペーパー。ギアチェンジはDかRかPにしか動かしたことないし、クラッチなんて踏んだことない。そもそもないし(笑) だから、両足でパタパタと踏み込んでいるけど、何をしているんだろうという感じ(笑) なので、ドラテクがスゴイってことは分かるけど、どれだけスゴイのか説明できない・・・ 事故シーンなどはCGも使っているだろうけど、ほとんどの場面はドライバーが実際行っているんだと思う。素直に尊敬。こんな風に車を自在に操れたら楽しいだろうな。車をもてあましている身としてはホントにスゴイと思う。そしてやっぱり見ていて楽しい。スリルやドキドキ感がスゴイ。エンドクレジットで「道路を封鎖し、プロのドライバーが行っていますので、絶対にマネしないで下さい」と出てたけど、心配ご無用! ムリっす(笑)

役者さんたちに関しては、いわゆる人間ドラマ部分を描くことがメインではない作品なので、主人公達の内面を表現っていう意味では演技の見せ場はあまりない。ドミニクはかなり辛い目にあってしまうし、ブライアンも友情と仕事の間で苦悩するわりに、そういう描写はサラリとしている。それを、そんなに深く掘り下げる必要はないんだろうし、つもりもないわけで、だからドミニクのヴィン・ディーゼルも、ブライアンのポール・ウォーカーもサラリとしている。でも、伝わらないってことはない。坊主頭でゴリマッチョ系、低い声で寡黙なドミニクと、イケメン担当で細マッチョ系の熱い男ブライアン。この試写会、女性限定だったのだけど、正直なぜ女性限定なのか分からなかった。理由はこの辺りなのかもしれない(笑) うーん。個人的には性格はドミニクで外見はブライアンが良いかと・・・。って、そんなこと言ってるから嫁に行けないのか(笑)

とにかく、しつこいけどカーアクション! これしか見せるつもりはないという潔さがいい。だからネタバレを避けたからではなく、正直ストーリーについては書く必要もないかと思い、いつものようにクドクドと長文になることもなかった(笑) つまらなかったからではない。全体的にスピード感があってドキドキしっぱなし。カーアクションがカッコイイ! というわけで、とにかく楽しみたい! スカッとしたい! という人にはオススメ。


『ワイルド・スピードMAX』Official site

私信:rose_chocolatサマ。先日はありがとうございました! とっても楽しいひと時でした。また是非

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【cinema】『あの日、欲望の大地で』(試写会)

2009-09-17 02:48:01 | cinema
'09.09.09 『あの日、欲望の大地で』(試写会)@よみうりホール

yaplogで当選。また重めの作品(笑) 『バベル』『21グラム』の脚本家ギジェルモ・アリアガの初長編監督作品ってことで、ズッシリ重量級間違いなしながら、きっといいに違いないと応募。当選した。

*やや、ネタバレしてます! そして、熱く語ってます

「ポートランドの人気レストランでマネージャーとして働くシルビア。仕事は順調ながら満たされず、自傷行為を繰り返している。同僚との不倫も、行きずりの男たちと関係を重ねてしまうのも、心に抱えた傷のせいなのか。ある日、彼女の前に見知らぬメキシコ人男性が現れる。一人の少女を連れて…」という話で、これは一人の女性の半生と、再生の話。その半生は相変わらず重く、再生にしても兆しが見えたところまでで終わってしまう。見ている側としては何ともやり切れない感じだけど、何故か見ていてイヤではない。主要な人物で幸せな人は一人も出てこない。共感しているのとも違うと思うけど、主人公達の気持ちは分かる。例えその行動を正しいことだと思えなくても、それでも彼らの気持ちは分かってしまう。やっぱり脚本と見せ方が上手いんだと思う。そして演技がいい。

ポートランド、ニューメキシコ、メキシコと3都市を舞台に3つの話が交互に描かれる。唐突に場面は切り替わるけど、特に説明はない。でも、混乱することはない。それぞれの場面がリンクしているのはなんとなく分かる。『バベル』でもそうだったし(笑) ポートランドで空虚な生活を送るシルヴィア。ニューメキシコの乾いた大地で逢引する中年の男女。メキシコで農薬散布の仕事をする父娘。それらが初めは断片的に、そのうちにじわじわ広がって交わる。メキシコの父の飛行機が農薬散布中に墜落してしまう。父の友人カルロスは彼の頼みを受けて、娘を連れてその母親に会いに行くことになる。冒頭、ポートランドでストーカーのようにシルヴィアを追っていたのが実はカルロスだったことに気づく。似ていると思っていたけれど、メキシコの照りつけるような太陽の下、真面目に働く友人に比べ、だらだらやる気のなさそうなカルロスと、思い詰めたような表情でシルヴィアを見つめる男と一致するのに時間がかかる。その感じが上手い。そんな感じで、この3つ場面と、それぞれの登場人物達とシルヴィアの関係が見ている側にじわじわと分かるようになっている。それが上手い。この辺りはさすがにギジェエルモ・アリアガという感じ。

次第に映画の中心となっていくニューメキシコの男女。この2人にはそれぞれ家庭がある。話はこの2人が平原のトレーラーハウスで焼死した後、回想の形で始まる。だから回想シーンと語られている時点と、ここでは2つの時点を交互に描く。そして後にもう一つ別の視点がある事が分かるけど、多分それはうすうす分かると思う。でも、知らない方が絶対におもしろい。男の家庭についてはあまり描かれない。このエピソード自体は男の息子達が友人と、父親が焼死した現場を見に行くところから始まる。男のお葬式に女の家族がやって来て、その夫が「お前達の父親が、この子達の母親を奪った」と怒りをぶつける。見ている側としては、不倫ならお互い様だろうと思うけれど、後に彼には罪悪感があったことが分かる。これは多分その裏返し。そしてこの時、男の次男サンティアゴと女の長女マリアーナは初めてお互いを認識する。お互い心に深い傷を抱えている2人が強く惹かれあうこのシーンは好き。この時点ではまだ恋愛ではない。この後、2人はそれぞれ父と母を失った穴を埋めるかのように追体験し、やがて結ばれる。

この2人の姿が本当に痛々しい。特にマリアーナは母の心が自分達家族から離れ、男に向かっているのを敏感に感じ取っている。サンティアゴとの会話で以前は彼氏がいたと言っていたので、既に経験があるのかもしれない。この娘の心理描写がスゴイ。母には母でいて欲しい。それはもちろん娘である甘えもあるけれど、男女のことについて知っている、もしくは知りつつあるからこそ、母の女である部分を見たくないって気持ちは分かる。上手く言えないけれど、恋愛に強い憧れを持ちながら、大人の男女の関係を淫らで汚らわしいものに感じる。その思春期特有の潔癖さみたいな感じがすごく伝わってきた。この感じ女性ならよく分かるんじゃないかと思う。別にウチの母親はフツーの母親だったし、書いててちょっと恥ずかしいけど・・・(笑)

マリアーナの母ジーナは数年前に乳がんになり、乳房を切除した。最初のうち彼女は胸に触れさせない。見ている側は乳がんで胸が無いんだろうなとうすうす勘付いている。だから彼女が不倫に走ったんだということも何となく理解する。彼女との逢瀬のためトレーラハウスを用意した男の前で初めてその姿を見せる。この時のキム・ベイシンガーの演技はスゴイ。男はそれをも愛すると言う。それを彼女は大きな愛だと思う。でも、違うと思うんだけどな。これは単に欲情なのであって、こんなにこの女を愛するオレに酔ってるだけなんじゃ? って、言ってしまってはみもふたも無いのかな(笑) でも、本当に愛していたら家族のために別れるといったあの時、彼女のために身を引くんじゃないかな。そうでなければ、離婚して彼女との家庭を築くんじゃないだろうか。でも、乳房を失い女性として傷ついた彼女は、長距離トレーラーの運転手の夫とのセックスレスでより深く傷ついている。自分はもう女ではないのか? 私自身は妻になったことも、母になったこともないので、母親であっても女でいたいという感覚が本当には理解できていないけれど、女性であることを強烈に実感できるのは、やっぱり男性に身も心も愛されることなんでしょう。それは分かる(笑) でもなぁ・・・。愛情と欲情はとっても似てるし、愛情の重要要素ではあると思うけれど、やっぱり違うと思うんだけどなぁ。その辺りが人間の弱さなのかもしれない。

ジーナの乾いた感じはすごくよく分かる。それが、ニューメキシコの乾燥した空気と、何もない感じ、それでいて閉塞的な感じとともに画から伝わってくる。もちろん、それはキム・ベイシンガーの演技のおかげでもある。しだいに自分でも抑えきれなくなってくる感情。見えすいた嘘に気づきもしない夫。彼女の気持ちは理解できる。理解はできたけれど・・・。明らかに自分の不貞に気づき、攻撃してくる娘に「明日、話しましょう」と言う。その約束は果たせずに終わる。彼女は何を話そうとしたのだろうか・・・。真実か、それとも嘘を重ねたのか。そして悲劇は起こる。

マリアーナとサンティアゴが自らの腕に火をかざし、火傷をするシーンがある。これは真実を知った後から考えると辛い。画面の中で2人が傷をなめ合うように心を寄せ合う頃、シルヴィアの前にカルロスと少女マリアが現れる。マリアを見た瞬間逃げ出してしまうシルヴィア。それはずっと抱えてきた心の傷と正面から向き合わなくてはならなかったから。彼女は生後2日でマリアを捨てた。それは彼女が犯した罪ゆえ。これに関しては見ていれば何となく分かるし、勘のいい人ならこの拙い文章だけでも分かってしまうと思う。シルヴィアの愚行とも思える行動(例えば不倫相手と一夜を共にした朝、裸身を窓辺に晒し、通学中の親子に見せるとか・・・)も理解できる気はする。自分をずっと憎んできた。自分を愛せないのは辛い。だから自ら傷つける。自分は汚れたものと思っているから、行きずりの関係を重ねてしまう。レイプ被害者の女性に多い症状だと聞き、胸が痛んだ覚えがある。行為自体は嫌悪しているし恐怖なのに、自分は穢れていると見知らぬ男性との関係を結んでしまう。そして、より自分を傷つけてしまう。多分、本当は自分を愛したいし、自分を愛して欲しいと思っている。だから、自分を差し出してしまう。もちろん、心理学の知識も、精神科医でもないので間違っているかもしれないけれど・・・。でも、それはやっぱり愛じゃない。

シルヴィアは実は加害者であり被害者。直接、法に触れたり傷をつけられたりしてはいないけれど、精神的に傷つけられた。彼女の罪は許されることではないけれど、それを引き起こした人物は別にいる。女として傷ついたから、女として満たされたいから、だからといって娘にこんな人生を歩ませる母親って一体なんだよと思う。性(さが)というけれど、人の性は時に罪深い。シルヴィアは娘と向き合い、不器用ながら母になろうとする。そして夫である昏睡状態のサンティアゴに自分の罪を告白する。ずっと抱えてきた重荷をやっと彼に分けることが出来た。死を覚悟した彼がカルロスにシルヴィアを連れてきて欲しいと頼んだのは、娘を思ってのことだけじゃない。だったら娘を託せばいいだけのこと。多分、彼は知ってた。少年のあの日、少女だった彼女を一目見た瞬間に理解したんだと思う。彼女の立場だったら同じことをしたかもしれない。だから彼の方から彼女にコンタクトした。でも、若かったあの頃は若く不器用で彼女を救いきれなかった。彼女が告白したのはそれが分かったからなんじゃないだろうか。全てを受け入れてくれる人がいることが。

キャストはみんな良かった。ジーナのキム・ベイシンガーは女として満たされない、乾いた心を見事に表現していた。だからこそ、ジーナが欲望のおもむくまま突き進んでしまう気持ちは理解できる。でも、それゆえ1人の女性が一生苦しむことになるわけだから、やっぱり罪深いものとして映らなくてはならない。そのさじ加減は良かったと思う。少年のサンティアゴも良かった。繊細で。だからこそマリアーナの辛さが分かったんだと思う。でも、彼もまた傷を負っていたし、全てを受けとめられるほど大人じゃない感じが痛々しくていい。カルロスのホセ・マリア・ヤスピクも良かった。事情を知らない彼は親友を思うあまり、シルヴィアを理解できず嫌悪するけど、しだいに受け入れる感じがいい。ジーナの夫役の人も良かった。お葬式でサンティアゴ達に怒りをぶつけた時にはイヤな男だと思っていたし、ジーナの見えすいた嘘にも気づかないダメなダンナだと思っていた。でも、今度は娘を失うと知りながら、すれ違ったサンティアゴをそのまま行かせたあの瞬間、彼がホントは全て知っていたのだと分かった。怒りの矛先をサンティアゴに向けたのも、妻の嘘にも気づかないフリをしたのも、妻に応えられなかった罪悪感。このシーンは良かった。

マリアーナのジェニファー・ローレンスがいい。思春期特有の潔癖さと、母に甘えたい母のままでいて欲しいという気持ちが伝わってきた。思いのほか大胆なのも、この時期の女の子の早熟な感じでいい。その思春期の潔癖さと好奇心が悲劇を招いてしまう感じもよく分かる。彼女の行動を詮索好きな子とも、生意気とも思わなかったのはジェニファー・ローレンスのおかげ。そして、早熟さゆえに結論を急いでしまい。娘を捨てることになる。サンティアゴは多分知ってた。もう少し頑張れば・・・。でも、きっとダメだっただろう。やっぱりお互い苦しんで、自分を受け入れられるようにならないと、相手も受け入れられない。そういう、痛々しい早熟だけど未熟な感じがすごく良かった。自分をコントロールできない感じ。

そしてシルヴィアのシャーリーズ・セロン。シャーリーズは好きな女優さん。美人女優の枠にとらわれず汚れ役にも挑戦している。よく女優がノーメイクで汚れ役を演じたりすると、体当たりの演技と言ってほめる傾向にあって、それだけで評価するのはまり好きじゃないけど、大袈裟に泣きわめいたりするわけではないのに、心の傷や、満たされず空虚な感じ、いつも何かが頭にあって離れない感じが伝わってきた。だから前半の行きずりの関係を続けてしまう辺りもイヤではない。店の客と去った彼女を追ってきた不倫相手との修羅場を演じた後、置き去りにされた彼女を見かねて送ってくれたカルロスを誘うシーンが痛々しい。多分、その行動自体も恥じている。そして、カルロスに拒絶され、より自分を恥じる。その表情がいい。映画の性質上、シルヴィアの部分はあまり触れなかったけど、主役はあくまでシルヴィア。それはシャーリーズ・セロンの演技あってこそだと思う。

とにかく、入り組んだ話を混乱せず、飽きさせもせず見せてしまう。しかも少しずつ見ている側が理解できるようにヒントを与えつつ、でも多くは語らず見るものに委ねる脚本が見事。そして画がいい。シルヴィアの住むポートランドは海辺の薄暗い町。実際、薄暗いのかは知らないけど(笑) 暗く青っぽい画と、しとしと降る雨がシルヴィアの冷え切った心を感じさせる。ニューメキシコは乾いている。それはジーナの心の乾き。そしてマリアーナの乾きでもある。そしてメキシコの鮮やかな色。輝く太陽。それは希望と再生の色。

と・・・。読み返すと恥ずかしくなるくらい熱く語ってしまった(笑) 相変わらず重い。でも、嫌いじゃない。それは希望のあるラストのおかげかも。監督作品としては初めてだけど、『バベル』『21グラム』『アモーレス・ペロス』『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』と脚本家としてのギジェルモ・アリアガ作品はけっこう見ている。『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』の次に好きかも。良かった。


『あの日、欲望の大地で』Official site

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【cinema】『TAJOMARU』(試写会)

2009-09-12 01:36:13 | cinema
'09.09.04 『TAJOMARU』(試写会)@東京厚生年金会館

yaplogで当選。いつもありがとうございます。わりと重めな作品が続いていたので、たまにはいいかもと応募、当選した。そして、たまには目の保養もしたかったので、イケメン枠ということで(笑)

*ややネタバレ。ちょっと(?)辛口です・・・

「室町時代。管領畠山家の次男、直光は幼なじみで大納言家の姫阿古と許婚どうし。兄と幼い頃に直光が救った桜丸と3人で何不自由なく暮らしていた。疫病で亡くなった阿古姫の父が隠したとされる金塊を狙った、御所様こと八代将軍足利義政の命により、兄弟のうち阿古姫と結婚した者が家督を継ぐこととなり、大きくその運命が狂いはじめる・・・」という話。うーん。娯楽作品としてはおもしろかった。でも、やたらと宣伝されている芥川龍之介×小栗旬っていうのは・・・。タイトルを『TAJOMARU』と英語表記しているように、時代劇っぽくない感じっていうか、アニメっぽいというか、外人が作った時代劇みたいな感じにしたいのかなと思っていたので、オフィシャル・サイトに行ってみて、萩原健一演じる御所様が東山文化を築き、応仁の乱のきっかけを作った東山殿こと、足利義政だと知っておどろいた。ちゃんと日本の時代劇だったんだ。イヤ! 決してバカにしてるわけでも、批判しているわけでもなくて素直な感想。表現が難しい・・・

セリフ廻しにしても、衣装やセット、主人公達の役職なども、もちろん戦国時代以前の日本であることに間違いはない感じだけど、なんとなく現代風でアニメ的な感じなので、てっきり架空の時代で、歴史上には存在しない日本なのかと思ってた。まぁ、ショーケンの御所様が足利義政である必要もあんまりなかったように思うので、架空じゃなかったからといってそんなに過剰反応する必要もないんだけど(笑) イヤ、でもそうじゃないと小栗旬=管領の息子みたいなことにあんまり説得力がない気がする・・・。って、どんどん深みにはまって行くな・・・。ハッキリ書いてしまえば、イケメン俳優主演の娯楽作なのであって、その観点からすると良かったんじゃないかと思う。そもそも芥川作品の映画化だと期待して見に行く人も少ないと思うし、私もそう思って見ていたわけじゃない。となれば、時代考証云々なんて言うのはヤボなんだと思う。アニメ的だとかマンガ原作みたいだと思うのも、娯楽作品としてはありなんだろうと思うし。

一応、元ネタは芥川龍之介の「薮の中」 wikiによると、この作品自体にも元ネタがあって「今昔物語 具妻行丹波国男於大江山被縛語」だそうで、薮の中で男が縛られたまま、自分の妻が盗人に襲われるのをただ見つめていた事をバカにした話だそう。これを薮の中で起こった殺人事件にしたのが芥川龍之介の作品。第一発見者、検非違使(当時の警官)、妻、盗人、そして殺された男の霊の証言が、全て食い違うというもので、この作品から話しが食い違って真相が見ないことを"薮の中"と言うようになったのだそう。コンセプトのみを使用したものを含めると、日本だけでなく海外でも多数映画化されているけれど、何と言っても有名なのは黒澤明監督の『羅生門』 1951年ヴェネチア国際映画祭グランプリ受賞作品。この映画は未見だけど「薮の中」は読んだ。おもしろくて引き込まれた。短編なので一気に読んだけど、もちろん真相は薮の中 この盗人が多襄丸。ちなみに『羅生門』で多襄丸を演じていたのは三船敏郎。まぁ、特に強調する意味はないけど(笑) この映画では多襄丸は継承しているらしく、多襄丸を倒したものが浪切の剣を受け継ぎ、次の多襄丸となる。

直光は都の管領畠山家の次男として生まれた。あまりよく知らなかったのだけど、管領というのは将軍に次ぐ地位にあるのだそう。兄としては幼い頃から何をしても弟にかなわず、思いを寄せる阿古姫の心も弟のものとあっては、自分は将来管領になるのだからということでバランスを取るしかなかったのは分かるし、弟が兄を立てれば立てるほど余計卑屈になる気持ちも分かる。でも、大納言家の金塊を手に入れたい御所様こと将軍足利義政は阿古姫と婚姻した者が家督を継げと命を下したことでバランスを失ってしまう。この将軍に入れ知恵したのかされたのか、疑心暗鬼になった兄の心に囁きかけ、阿古姫を奪わせたのは、幼い頃畠山家の芋を盗んで捕らえられたところを直光に救われた桜丸。直光にしては兄弟のように接したつもりでも、身分の違いが埋まるものでもなく、幼い頃から御所様の慰み者になっていた桜丸は、これを好機と暗躍する。なんとか兄の元から阿古姫を救い出した直光は森へ逃れ、薮の中で多襄丸と出会うことになる。ってことで、ここから「薮の中」の出来事が起こり、多襄丸を倒した直光が次の多襄丸となるのだけど、この「薮の中」の前後の話は映画オリジナル。でも、やっぱり一番おもしろかったのは「薮の中」の部分かなぁ・・・

うーん。チラシには「絶対、女を捨てない。己を曲げない。そして、どこまでも自由」となっていて、「こんな男に男は惚れる。女ならこんな男に惚れられたい。」となっているけど・・・。そうかなぁ(笑) イヤ、別に嫌な人でも、ダメ男でもないし、何不自由ない都のお坊ちゃま故の真っ直ぐな正義感や、甘さともとれる疑う心のなさとかを、物足りなく思うこともないし、ウソ臭くもない。でも、チラシに書いてあることは多分、直光の頃のことではなくて、多襄丸となってからのことなんでしょう。男だろうが女だろうが、惚れる惚れないは個人の好みによって違うでしょうから、そこはまぁいいとして、多襄丸になった瞬間から畠山直光という人物が持っていたもの全てを失ったわけで、それはある意味自由かもしれないけど、兄に裏切られ、家を追われ、この人のためならば何もいらないとまで思った女性から「あの男を殺して」と言われる。そして、ついに人を殺めてしまう。どん底に堕ちた人が苦悩するのは当然だと思うので、彼が生きる希望を失い彷徨いながらも、自分を取り戻そうとする姿を描くのはありだと思うし、そう描こうとしているんだと思うけど、何か物足りない。1人の男の成長物語を見せたいのか、恋愛なのか、両方なのか・・・。多分、両方なんだと思うけど、どちらにしても中途半端とまで言わないけれど、なんとなくグッとこない。まぁ、多襄丸や小栗旬くんよりかなり年上になってしまったせいもあるかもしれないけど(笑) なんとなく苦悩が伝わってこない。桜丸はともかく、多襄丸を頭と仰ぐ道兼の方が一枚上手だし。阿古姫に裏切られたと泣き叫んでいるけれど、真相を知れば阿古姫の方が男前(笑) まぁ、その決意が正しかったかは別として。ネタバレもなにも見ている側は、この真相に関してはなんとなく分かることであっても、傷ついてしまった心がきちんと真相を見抜けないのは仕方がないことかもしれないけれど。でも、少なくともチラシにある男の中の男的な人物ではない気がする。まぁ、真相を知ってからは確かに文字通り捨てなかったので、間違ってはいないけど。

なんとなくその辺りがサラリとしていて、個人的には乗り切れず。盗賊団の頭になっていく感じもイマヒトツ伝わらない。まぁ、実はそこにはからくりがあるので、謎解きの伏線なのであればいいんだと思うけれど、ここは逆にビックリさせる部分だと思うので、それを狙っているわけじゃないと思う。となると初めはぎこちないけど、頭として皆に慕われるようになる感じが伝わってこないとダメなんだと思う。まぁ、そう演じてはいるけれど、仲間と盛り上がっている姿も取ってつけた感じ。何より多襄丸に悲壮感が感じられない。それは一体何なんだろう。演技が下手というわけでもないんだけど・・・。とにかく御所様の萩原健一は相変わらずな感じではあるけれど、前多襄丸役の松方弘樹といい、桜丸を捕らえる役人本田博太郎といい、ベテラン俳優は演技が大袈裟。多襄丸(直光)にしてもやたらと大芝居だなと思っていると、アラッと思うほどサラリとした芝居になったりして肩透かしにあった気がする。変に笑いを入れようとする場面なんかが入ったりして、そういうのも浮いてしまっていた気がする。それは俳優の演技なのか、脚本なのか、監督の演出なのか・・・。全部か(笑) 家に帰ったら「トップランナー」をやってて、ちょうど『TAJOMARU』のことを話してた。それによると舞台のような感じでと言われて演じたとのことなので、コンセプトとしては大芝居で作りものな感じをやりたかったということなのでしょう。

そういう見方をすれば、お白洲の場面はおもしろかった。特にショーケンが現れてからの大芝居はいい。あくまでそういう見方をすればなので、そういうのが苦手な人はダメかもしれないけれど。この御所様は強欲エロジジイなのですが、彼のような立場になれば、何が正義なのか分からなくなることもあるし、間違ってないからといって全て正しいわけじゃないということもよく分かる。彼のその言葉には妙に説得力があってなるほどと思ってしまった。でも、全ては強欲エロジジイが悪いのですが(笑) その辺りは、相変わらずのショーケンの大芝居が逆にとっても効果的。この場面と最後のたちまわりシーンは、その直前の桜丸軍勢vs盗賊団(4~5人)の辺りから見どころ。多襄丸のために盗賊団が命を懸けるほどの絆が生まれるシーンが、取ってつけたようだったのは目をつぶり、桜丸vs多襄丸のシーンでは、今までさんざんいろんな剣を一撃で真っ二つにしてきた浪切りの剣が、桜丸の剣は全然折らないのも見なかったってことで(笑)

多襄丸の小栗旬はそんなに好みのタイプではないけど、やっぱりイケメンです。背も高いので見栄えもするし、モデルポーズするシーンもあったりするのでファンはうれしいと思う。ただ、そういうウケ狙いみたいなシーンの演技は・・・なので、シーン自体もとってつけたような感じだったりするので効果はイマヒトツ。でも、まぁ頑張っていたと思うし、阿古を兄から奪還するシーンの迫力はすごかった。たちまわりは迫力があった。左利きなのに右利きを演じたとのことで、どうして左じゃだめなのか良く分からないけど、すごかったと思う。ただなぁ・・・。全てを失った男の悲壮感がイマヒトツ感じられない。それは道兼のやべきょうすけや、その他の役者さんたちのキャラが立ってて、あえての大芝居がはまっていたので、彼の淡々とした部分が下手に見えてしまうという側面もあるかもしれないけれど。ベテラン俳優達はみな大芝居。ショーケンだけは素で大芝居という予感もするけど、強欲エロジジイなのに妙に説得力があったのは先ほども書いたとおり。

悪役の田中圭くんはわりと好きな役者さん。といってもそんなに作品見てるわけじゃないけど。がんばっていたけど悪人顔じゃないんだよなぁ(笑) あと、時代劇顔でもないかも。子役達はかわいかったけど、もう少し演技どうにかならなかったかな・・・。一番良かったのは阿古姫の柴本幸。彼女は時代劇顔。いちいちうるさいけど大事だと思う(笑) 演技も良かった。特に「薮の中」の演技が良かったと思う。ここの悪女っぷりが良かったからこそ、後の真相が生きてくるので、皆うすうす分かっていたこととはいえ、感動させなきゃ意味がないので。そして美女。

というわけで、気づくととっても辛口になってしまったけれど、娯楽作としてはいいと思う、もちろんバカにしてないです! あくまでジャンルとして娯楽時代劇があっていいと思う。文芸作品だけが映画だと言うつもりはない。そういう意味ではおもしろかった。ロールプレイングものというかゲームっぽい感じもあえて狙いだと思うし、そういう意味でCGを駆使したアニメっぽい映像なんだと思う。ただ、チラシなどによる宣伝サイドが見せたい方向と違う印象がしたのは間違いないので、芥川作品とか『羅生門』とかいうキーワードはあまり気にしない方がいいかも。人生に恋に苦悩するヒーロー誕生モノの娯楽作として見たらいいんじゃないかと思う。って、エラソウですが(笑)

あえてアニメ的に撮ったと思われる映像も、あざとい部分もなくはないけど、そういう意味ではおもしろかった。オープニングの自然の映像が美しかった。

挿入歌リンキン・パークのチェスター・ベニントンのソロ・プロジェクト、デッド・バイ・サンライズの"ファイヤー"がかっこよくて場面にも合ってた。でも主題歌が・・・


『TAJOMARU』Official site

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【voyage】吉祥寺散歩 第3弾

2009-09-07 02:26:37 | voyage
'09.08.23 吉祥寺TOUR 第3弾

色即ぜねれいしょん』を見るため吉祥寺へ。ということならば恒例になりつつあるTOURにしましょってことで決行。吉祥寺TOURといっても私がHanakoの吉祥寺特集号の中から行きたいお店を選んで、baruに連れて行ってもらっているだけだけど(笑)

最初は第1弾の時に買って帰って、そのおいしさにビックリした玄米ワッフルのお店「夕焼けこやけ」へ。お店といっても業務用自転車での移動販売。以前は、平日はジブリの森、土日は吉祥寺東急裏の雑貨屋さん「Wickey」前で販売していたのだけど、今は土日にジブリの森のみ。しかも、8月いっぱいで辞めてしまうのだそう(涙) 絶対にもう一度食べたいってことで、ここは必須。実は待ち合わせ前にbaruが下見に行ってくれて、列が出来ていたので並んで多めに買っておいてくれた。でも、一応行ってみようということで、トコトコ歩いてジブリの森へ。チャリを止めてお客さんとお話ししているおねえさんを発見! しかし残念 売り切れでした。ということで、baruの分からおすそ分け。って、私の方が多めにもらってしまった。豆乳で練った玄米のワッフルはとっても濃厚。でも、豆乳なのでしつこくない。しっかりモチモチ。そして生地自体がほんのり甘い。プレーンときなこにしたけど、プレーンは何もつけてなくてもホントおいしい。辞めてしまうなんてホントに悲しい

吉祥寺に戻ってランチ。今回選んだのは炭火焼バーガーのお店「GONO burger & grill」 吉祥寺でバーガーといえば佐世保バーガーの「ZATS BURGER CAFE」だけど、いつも混んでいるというし、Hanakoに載ってたgrafの家具を使った店内の雰囲気が良かったのと、炭火で焼き上げたパテというのに惹かれてこちらにした。お店はB1。12:40頃到着してちょうど座れたけど、お客さんは途切れることがなかった。ソファー席なんかもある店内は写真の印象よりも広い。grafの華奢な脚のイスがかわいい。暗めの照明もいい。ちょっとミッドセンチュリーモダンな感じ。好き。この日は休日ということで、ランチはサラダバー&ドリンクバーつきで1200円。基本は炭火焼バーガー100gとレタス、トマト、玉ねぎなどの野菜。ピクルスとたっぷりのフレンチフライ。これにチーズやベーコンなどのトッピングが各150円で追加できる。私はスイス・グリエールチーズをトッピング。待っている間にサラダバー&ドリンクバーへ。サラダはそんなに種類は多くなかったけど、ニンジンサラダがおいしかった。ドリンクはグレープフルーツジュースと食後にコーヒー。これもおいしかった。特にコーヒーは酸味が無くておいしかった。そしてバーガー登場! カリッと焼かれたバンズに野菜とパテを挟んで上からギュッと押す。テーブル備え付けの紙袋に入れてかぶりつく。おいしー! 炭火焼の香りが口の中に広がる。炭火で焼いたことにより、余分な脂が落ちたパテはジューシーでありながら、肉汁で手がベタベタになってしまうことがなく、女子には食べやすくてうれしい。ほとんど手が汚れなかった。そしてグリエールチーズ正解。少しクセのあるチーズの塩気がパテに合う! おいしい。外はカリッと中はフワフワのバンズも絶品。フレンチフライもおしかったんだけど、何しろ量が多いので食べきれず。ホント満腹。そしてスタッフのおねえさんのキビキビとした対応もすごく良くて大満足。おいしかったー

色即ぜねれいしょん』は15:00から。整理券をもらっておいた方がいいよねってことで一度バウスシアターへ。バウスのこの昭和な感じが好き。'70~80年代っぽい。手前にクレープ屋さんがあったりする。整理券を無事ゲットしたので、伊勢丹近くの「TEA MARKET Glef」へ。こじんまりとしたかわいらしい紅茶専門店。だけど、この日のお目当てはHanakoに載ってたジャム。オーナーがロンドンのホテルで食べたジャムに感動。何年もかけて探し当てたのだそう。紹介されていたのは"Strawberry Preserve with Champagne" いちごジャム・シャンパン風味という感じ。ちょっと甘いけど食べた瞬間はいちごジャムで、後からほんのりシャンパンの香りが口に広がる。もちろん「夕焼けこやけ」のワッフルと一緒にいただいた。おいしい。しかもこれ最後の1個でした! 次は来年にならないと入手できないとのこと。よかった!

『色即ぜねれいしょん』を見た後、東急裏のフランス菓子のお店「A.K Labo」へ。五日市街道沿いの小さなお店。TOUR第1弾で行ったお蕎麦屋さん「中清」のちょっと先にある。1Fがお店で、2Fがセルフのカフェ。ちょっとヨーロッパっぽいレトロな感じのショーケースに並ぶのは、小さくてかわいいフランス菓子たち。手書きのタグもかわいい。店内で食べると言うと、お人形みたいにキレイなおねえさんが席の空き状況を見に行ってくれた。素敵。空席ありってことでお菓子と飲み物を選ぶ。私はエッグタルトのようなもの中に、甘く煮たプルーンの入った"ファー・ブルトン"(270円)と、スパイシー・オレンジティー(だったと思うんだけど・・・)にした。ちょっと甘くて中のプルーンの酸味がきいておいしい。小さいので食事前にはちょうどいい。baruの"アマンディーヌ・フランボワーズ"も味見。ドライ・フランボワーズの入ったタルトに、フランボワーズシロップ(?)の混ざった砂糖衣? 何ていうんだっけ・・・ マジパンじゃなくて・・・ まぁ、そんな感じのです。全然伝わらないと思うけれど、これスゴイおいしかった。白い壁と濃い茶色の床が印象的な2Fのカフェは、五日市街道を見下ろす窓際に2つのソファー席。革張りと布張りで色もそれぞれ黒と白と対照的。ギャラリー・カフェということで壁には小さな絵などが掛けられている。ウッディーなテーブル席もいい。こんなかわいらしいところでDT男子の煩悩映画について語ってしまった(笑) お土産にbaruが食べてた"アマンディーヌ・フランボワーズ"を買いたかったのだけど、売り切れていた(涙) 別のお菓子を買って帰ったけど、これもおいしかった。

17:00から東急裏のDocomo ショップ前で同じくチャリで移動販売している、ブラウニーのお店「こいのぼり」のおにいさんが販売してるってことで、行く予定だったのだけど、映画の話で盛り上がってしまい既に18:30過ぎ・・・ 一応、行ってみたけどもちろん居ない。残念・・・ まだ、食べたこと無いので、次回は是非食べてみたい。仕方がないので、次の目的地PARCO裏のネイル&化粧品のお店「MARIS LAUREN」へ。ネイル大好き。OPIやessieが30%OFFで買える。お気に入りのカラーがなくなってしまったので買いに行く。無事ゲット。30%OFFは大きい(笑)

PARCOをチラ見してから、そろそろご飯食べましょってことで「アムリタ食堂」へ。店内のインテリアがかわいいアジア料理のお店。1組待っていたので、向かいのアジアン・インテリア雑貨のお店「Kaja」へ。「アムリタ食堂」のソファーなどもこのお店のもの。1月に行ったバリ島の黒っぽい木を使ったシンプルだけどかわいい家具がとっても気に入った。このお店に置かれているのは少し日本向けにサイズなどをアレンジしているとのこと。薄い円形の貝殻を使ったくす玉のような照明器具がかわいい! スゴイ気に入ったけど貝殻を何十枚と重ねているので、掃除が大変そう アジアンな部屋にしたいと思いつつも、ヨーロッパ的なものも好きだし、ポップなものも好きなので、気づくとゴチャゴチャに・・・(涙) 何とかしたいものだ。

「Kaja」を見ているうちに「アムリタ食堂」はより列ができてしまったので、もう一箇所行きたかったお店「Sukhohai」へ。吉祥寺初のタイ料理のお店は25年目とのこと。お店はB1。階段を下りて正面のところに小栗旬くんとお店のスタッフさん達が一緒に写った写真が! 最近、来店したとのことだけど、店内はそんなに広くないので、他のお客さん達ビックリしたと思う。入口を入って右手に掛けられた蓮の葉が描かれた簾(?)が涼しげでいい。大好きな青パパイヤのサラダ ソムタム(1155円)、鶏肉のハーブ炒めパッド・バイガオ・チキン(1155円)、焼きビーフン パッド・シィーユ(924円)、そしてシンハー・ビールをオーダー。ソムタム辛い! でもおいしい。青パパイヤは太めに切られているお店もあるけど、ここのは千切り。個人的には千切りのシャキシャキ感が好き。パッド・バイガオはハーブがきいていて、オイスターソースの味付けがいい。鶏とよく合う。ちなみにこれ豚、エビ、イカもあり。イカが気になる(笑) パッド・シィーユは甘い味付け。まぶされたクランチ・ピーナツの甘さと合って、これは後ひく味。食後のデザートはバナナをココナッツミルクで煮たもの。名前は失念 なんとも素朴なおいしさ。ココナッツミルクとバナナのほのかな甘さがいい。スタッフのタイ人のおねえさんはまだ日本語があまり上手じゃなかったけど、一生懸命だしニコやかだし良かった。さすが名店です。

というわけで、今回も大満足なのでした。次回はぜひFちゃんも一緒に!


★GONO burger&grill:武蔵野市吉祥寺本町2-10-12 B1 Tel:0422-23-7050
★Glef:武蔵野市吉祥寺本町1-8-14 Tel:0422-29-7229
★A.K Labo:武蔵野市吉祥寺本町4-25-9 Tel:0422-20-6117
★Sukhothai:武蔵野市吉祥寺本町2-2-10 B1 Tel:0422-20-2600


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【cinema】『色即ぜねれいしょん』

2009-09-02 01:34:58 | cinema
'09.08.23 『色即ぜねれいしょん』@吉祥寺バウスシアター

これは絶対見なくてはならない作品。なぜならMJことみうらじゅんの青春時代を描いた自伝的小説が原作の映画だから。私の誕生日プレゼントということで、baruから前売券+MJイラスト入りビーサンを頂いた。しかも前売券はMJ達が映画の見どころを語ったカセットテープ付き。チケットの半券はそのままカセットレーベルになるというもの。かわいい。他の映画館でもこの前売券があったのか不明だけど、baruのプレゼントは吉祥寺バウスシアター限定。ということで吉祥寺TOURを兼ねて行ってきた。

*ネタバレあり! 下ネタあり そして長編・・・

「京都の仏教高校に通う純はROCKな人生に憧れつつ、優しすぎる両親のもと、不良にも優等生にもなれずにいる。小学生の頃から片思いしている相手にも告白できず、当然モテない。ある日、親友の池山と伊部から夏休みに隠岐島のユースホステルに行こうと誘われる。そこはフリーセックスの島だという・・・」という、これは文系男子の青春の話。純に劇的な変化もドラマも起こらない。結局DT(童貞)のままだし(笑) でも、切なくて、そしてかわいい。MJが高校1年生だった1974年を舞台にしているけれど、これは現役高校生にも共感できると思う。特に文系DT男子。

イケてない文系男子だからといって、何も考えてないわけでも、何もしてないわけでもなくて、純は純なりに妄想しつつ、その妄想のはけ口として曲を作ったり、ラジオのDJ青春兄貴宛に悩みを投稿したりしている。その曲自体は当時の狭い世界観で書かれたものだから、今となってはDS(どーかしてる)ってことで、それをネタに番組「みうらじゅんDS」が出来るほど。だから体育会系でスポーツに汗を流している子達ほど評価されないとは思う(笑) むしろ将来の妨げになると思われてしまうに違いない。でも、純の両親は絶対に純を否定しない。吉田拓郎の"人間なんてララララララララ・・・"(タイトルが分からない)をパクッたと思われる節回しで"セックスだけが全てじゃない"と、部屋の天井から吊るしたマイクに向かいギターを弾きながら歌っていても「あんたはすごいなぁ~」と大絶賛。それは多分"ほめて育てる"というのとは違うと思う。純のことを本当に信じているんだと思うし、ホントにスゴイと思っているんだと思う。これはスゴイことだと思う。でも、だから純は反抗できない。別にどうしても反抗する必要はないし、友達の伊部のようにいきなりヤンキーになってしまうのもどうかと思うけれど、変わることってエネルギーがいる。「僕の悩みは幸せ過ぎること」という純のセリフがあるけれど、確かにそうなのかもしれない。もちろんMJのご両親を否定しているわけじゃない。だって、このご両親あってのMJなのだから!

そんなモヤモヤとした高校1年の夏休み。純達は隠岐島のユースホステルに行く計画をする。ユースホステルに来る人達はフリーセックス主義だという。ユースホステル世代ではないので、どういうシステムなのかよく知らないし、フリーセックス主義っていうのがちょっとよく分からない。スウェーデン=フリーセックスというのはMJがよく言っているけれど、真相は不明。一応Wikiなどで調べてみたけどよく分からず。でも、多分純たちが考えているようなセックスし放題っていうことではないんじゃないかと・・・。純たちが泊まったユースホステルのお世話係りヒゲゴジラが違うと説明しようとしていたし。まぁ、本人達がどこまで理解して、どこまで信じてたのか謎だけど、それを信じて突き進んじゃう感じはバカでいい!

とにかく文系男子のモヤモヤ感が切ないし、かわいい。私自身は文系女子なので、思春期男子のヤリたいってだけで頭が一杯という感覚は分からないけど、ROCKな生き方をしたいのに出来ないって感じは分かる。この映画では分かりやすくヤンキー=ROCKとしているけれど、それは単純に比較対象としてなわけで、別に純もヤンキーになりたいわけではない。彼らがやりたい事をし、言いたい事を言えてるように思っているだけ。朝礼中に校長先生に向かって「話長いんじゃ!」と叫ぶことや、文系男子をからかうことが本当にやりたい事かは別として・・・。最近人気の『ROOKIES』や『クローズZERO』は見ていないけど、ヤンキー映画が作られ続けているということは、ヤンキーにはヤンキーなりのモヤモヤや悩みはあるのでしょう。当たり前だけど(笑) 仮に長い話に文句を言うのがヤンキーで、言えずに飲み込むのが文系なのだとしても、イライラするのはどちらも同じ。それにそもそもROCKって社会とか体制とかへの反発やモヤモヤに対するイラ立ちを歌っているんだと思うし。多分、純はモヤモヤをもっとかっこよく表現したかったのだし、自分の中にあるものをもう少し自由に出したかったのでしょう。そういう意味ではラストで少しROCKな感じになる。

この映画の重要アイテムであるユースホステル。そもそもはドイツ発祥。若者に安い宿を提供するのが目的で、基本的に相部屋。多分、いろいろセルフなんでしょう。ユースホステルに泊まったことのあるbaruによると、お皿を洗ったりするそうで、この映画でも描かれているとおり、宿泊者参加のキャンプファイヤーは必須。知らない人と友達になろうというコンセプトらしい。・・・苦手かも(笑) ちなみにユースホステルは現在、国内で280あるそうで、相部屋はイヤなどのニーズに応えてくれるところもあるらしい。相部屋はイヤというならユースホステルに行くのは違うような気がしないでもないけど(笑) と、ちょっとユースホステルの説明が長引いてしまった とにかく、この旅に向かう3人がホントにいい。土地勘がないので、京都から隠岐島までどのくらい時間がかかるのか分からないけれど、電車やら船やらを乗り継いで行く。地元駅での待ち合わせから、オリーブに会うまではほとんどセリフもなく、はしゃぐ3人をちょっと引いた画で見せる。そのはしゃぎっぷりがかわいくて、3人の胸の高鳴りが伝わってくる。もちろんフリーセックスへの期待感ではなくて(笑) 初めて学校行事でもなく、友達と自分達だけで旅しているということに対してのワクワク感とか、特別なことをしているのが楽しくて仕方がないって感じが伝わってきて、見ている側も楽しくなってくる。このシーンは好き。結局、予想通り純達はDTのまま夏を終えるので、ユースホステルに行った本来の目的は達せられなかったわけだけど、これは自分達だけで旅をしたということが重要なんだと思う。大人になると何でもないことが、本当に新鮮でいちいち楽しいって感覚は確かにあった。

この旅で純はヒゲゴジラとオリーブに出会う。ヒゲゴジラはユースホステルのお世話係。お世話係というのがイマヒトツ分からないのだけど、まぁお世話するのでしょう(笑) 学生運動で仲間を亡くしたという彼は20代半ば~後半くらいなのかな。ヒゲゴジラは純たちにデカ過ぎる夢の話をする。彼より大人になってしまった身としては、それはムリだろうと思ってしまうけど、青春とお酒に酔った純にはヒゲゴジラが青春リーダーに見える。その感じがいい。ヒゲゴジラも含めてかわいいなと思う。多分、純も友達もヒゲゴジラの夢がデカ過ぎることは分かっている。だから、夢の実現のためにと出された自主制作レコードを、池山と伊部は買わない。シングル・レコードが1,000円以下だった当時、3,000円というビックリプライスだったせいだけではない。でも、純は買う。ヒゲゴジラを気遣う感じが、バカだなぁと思いつつ、いいなぁと思う。「ヒゲゴジラにならダマされてもいいと思った」と語る気持ちも分かる気がする。純が誰からもかわいがられるのは、こういうところにあるんだろうと思う。島を去る朝、輪になって歌う。ヒゲゴジラは純にギターを一緒に弾いてくれと言う。その時の純の笑顔がいい。認められた感じ。純たちを見送るヒゲゴジラとの熱いお別れは笑ってしまうけれど、本人達にとってすごくドラマチックだったことは分かる。上手く言えないけれど、人生には後から考えると恥ずかしくなってしまうような熱い瞬間があってもいいと思う。

純にはもう1人青春兄貴がいる。正確には2人。家庭教師のヒッピーが登場するまでは、ラジオのパーソナリティーが青春兄貴だった。このDJ青春兄貴はある人がカメオ出演してます。小学生の頃から片思いしている足立恭子への想いを綴って番組に投稿。採用され青春兄貴からの助言どおり、ハガキに一言「好きだ」と書いてポストに出し見事玉砕。このシーンはいい。ハガキがメールに代わっても、好きだという気持ちを相手に伝えるドキドキ感は同じだと思う。ポストにハガキを投函する際の出す、出さないは、ケータイの送信ボタンを押す瞬間にも感じてるはず。だからきっと誰でも共感するし、キュンとなるんじゃないかと思う。古い住宅街の赤いポストの画ごと、このシーンは好き。

もう1人の青春兄貴は家庭教師のヒッピー。あまりにストレートな役名が笑える。純を心配して家庭教師を雇うことにしたわりに、長髪に絞り染め柄のシャツを着た男を採用してしまうのはどうかと思う(笑) でも、このヒッピーから純は勉強ではなく、生活していくには特に必要なくても、生きていくにはあった方がいい、余白みたいな部分を学ぶことになる。一人っ子の純にはホントに兄貴みたいな存在なんだと思う。ヒゲゴジラのように熱くはないヒッピーは、無理なく自由に生きているように見えたのかも。ダラッと純のベッドに横になり、タバコを吸いながら「ぼん、音楽は武器やで」などと言う。上から押し付けるのではなく、あくまでサラリと自分の考えを言う。だから重過ぎない。この感じはいいと思った。彼女がデキちゃったかもなんてDTの純には刺激的過ぎる事を言ったりするのも、純を生徒だとか少年だとか全く考えてないらしいのがいい。対等に扱ってくれてる感じ。2人がロックバーへ行くシーンがすごく好き。そんなに多くは語らず「ディランはいい」みたいな話をしている感じがすごくいい。男同士っていいなと思った。純がヒッピーに憧れていたのか分からないけれど、純にとってヒッピーの存在は大きかったように思う。純にしてみれば一大決心である学園祭のライブ出演も「ええやん」と言われると気が楽になる気がする。そいう感じがすごくいいし、うらやましかった。豆知識として、2人が次にロックバーに行くと潰れてしまっているシーンで、壁に貼ってあるフライヤーの中にヒッピーを演じた岸田繁のくるりと、純役渡辺大知の黒猫チェルシーのフライヤーがあるのだそう。前売特典のテープで渡辺大知くんが見どころとして語っていたので、がんばって見たけど確認できず・・・

そしてもう1人、重要人物がユースホステルで出会ったオリーブ。1人でやって来た女子大生。ちょっと年上。そしてノーブラ(笑) 男子校に通う純達には刺激的。3~5歳くらいの年の差は大人になってしまえば大したことはないけれど、この頃はずいぶん大人に見えた。オリーブの年齢をとっくに過ぎている身からすれば、実はそんなに大人でもないのだけれど。確かに彼女は奔放なところはあるけれど、見せているほどじゃない。ヒゲゴジラに片思いしている彼女は奔放な女の子に見られたいんだと思うし、彼の気を惹きたくて別の男の人にベタベタしてしまうんだと思う。女子がよく使ってしまうその作戦は、実は逆効果なんだけど(笑) でも、純に対しては余裕があるので、素直になれたんだと思う。キャンプファイヤーでオリーブのために曲を作る約束をする時の指切りシーンがいい。オリーブは多分ドキドキさせてやろうという気持ちがあったと思う。そして、まんまとドキドキする純がおずおず小指を出すのがいい。キャンプファイヤー越しのこの画はいい。そして、オリーブが島を去る日、必死で走る純。何とか出航に間に合い、手を振るオリーブに向かい「叫べ! オレ!」と心の中で言うのがいい。この感覚分かるなぁと思う(笑) そういう事が何の迷いも屈託もなくできる人っていると思うけど、1歩踏み出すことが苦手なタイプの人間としては、この気持ちスゴイ分かる。そしてカワイイ! 純が叫んだのは「オリーブ!」だけだけど、その結果得たものはオリーブの連絡先だけじゃない(笑) この時の一歩が、また次の一歩に繋がる。

数ヵ月後、オリーブと純は京都で再会する。このエピソードは少し切ない。そして丸ごと好き。部屋にやって来たオリーブとのぎこちない会話と、ドキドキした空気感がいい。きっと純はずっと心臓がバクバクしてて、地に足がついてないと思う(笑) オリーブが純をもて遊んでいるように感じる人もいるかもしれないけれど、彼女の気持ちは良く分かる。自分が辛いから誰かに頼りたい気持ちも、恋愛で開いた穴は恋愛で埋めたくなる気持ちも、そして純みたいなタイプにすがっちゃう気持ちも・・・。でも、それは違う。このオリーブの強がり方とかは少し痛々しい。「食事してからラブホテルにでも行ったらええやん」とか言ってしまう。たぶん純とそうなってもいいと思っている。でも、本当にそれをしてしまうと2人とも傷つく気がする。この時の両親の対応もいい。オトンは黙って1万円を差し出し「これで食事して彼女をちゃんと帰せ」とだけ言う。食事と家に帰す間に何かが起こるかもしれない。でも、こう言われてしまったら何もできない(笑) これはスゴイ。この時のリリー・フランキーは良かったと思う。渡辺大知くんのぎこちなさはいいとして、オリーブ役の臼田あさ美はもう少し大胆に抱きつけと思ったりもするけれど、逆にそれが見せているより純情である感じが伝わっていいかも。鴨川沿いのデートコースもいいし、伊部と会う街並みの感じも好き。そしてこの時のオリーブのワンピースがスゴイかわいい! これ今着ても全然かわいい。

体はDTのままだけど、心は少し成長した純。でも、その変化は他人から見れば小さなこと。相変わらずイケてない日常。そんな中、仏教の授業で色即是空の意味を習う。その真意は難しくて教師自身も理解しきれないとのことだけど、「確かなものは何もない。だから今を生きろ」と教えられる。そして純は学祭でのライブ出演を決意する。もちろん、ここで純が熱唱するのは当時MJが作った「エロチシズム・ブルー」 名曲です(笑) このライブ・シーンからラストにかけてはキレイにまとめすぎな気がしないでもないし、実際のMJの体験とは違うのだけど、映画的には良かったと思う。映画としてはやっぱり純がヒーローになる瞬間がないと(笑)

この映画の中で純より年上の人達は、誰も純を否定しない。これはスゴイと思う。だから純はとっても素直。だから憎めない。まぁ、別に悪いことをしたわけでもないんだから、憎まれる覚えはないけど(笑) でも、人に好かれるというか、かわいがられるというか、どこか人の中にするりと入り込める才能があるんだと思う。それは純の悩みでもあるけれど、素直で屈託がないということ。育ちがいい。それはセレブとかいうことではなく、ちゃんと育ったということ。そして、この誰も純を否定しないってことが、重要なんだと思う。ヒゲゴジラ役の峯田和伸のブログで、「惨めだったあの頃の自分を肯定できた」という、記者会見でのリリー・フランキーの言葉が紹介されていた。全編通して感じるのはこの感覚。多分、かつて青春時代に自分を惨めだと思った人も、今現在感じている青春ノイローゼ達も、きっと同じ感覚を持つと思う。多分、田口トモロヲ監督も同じ気持ちだったに違いない。だから純たちに対する視線が優しい。

キャストはトモロヲ監督がとっても悩んだそうで、皆モデルとなった実在の人達に似ているのだそう。ヒゲゴジラの峯田和伸やヒッピーの岸田繁など、役者ではない人を使うことによって演技自体は多少拙い感じになってしまったかもしれないけれど、文系男子の感覚を知っていること、そしてミュージシャンであることが、前作『アイデン&ティティ』ほどではないけれど、音楽が重要アイテムの一つである作品に説得力があったかも。くるりはほとんど聴いたことないけど、岸田は「タモリ倶楽部」の電車特集で見たことがあった。メガネかけてないせいか全く別人に見えてビックリ。役柄的にはこっちのルックスがあってると思うけど、個人的には鉄の時の方がいいと思う。私の好みはどうでもいいけど(笑)

純役の渡辺大知が自然で良かったと思う。演技経験もないし、当時バンド黒猫チェルシーのヴォーカルとして「音燃え!」に出演していたとはいえ、全く素人の高校生だった。トモロヲ監督には君のままでいいと言われたそうで、本人も純=MJを演じるというよりも、自分として出演していたのだそう。その感じはすごく良かったんじゃないかと思う。純の頭の中ではぐるぐる考えが巡っているのに、それを上手く出せないばっかりに、少し遅れて反応が返ってくる感じとか、何となくおかしくないのに笑ってしまう感じとか、とっても分かる気がした。何よりMJ本人が言っているとおり、当時のMJにそっくり(笑)

街並みとか喫茶店とか、純の部屋とかレトロな感じがしたりもするけれど、その昭和な感じは確かに自分の中にもあって、懐かしいと同時になんだか自然で古くない。ケータイもパソコンもないし、音楽聴くのもレコードやラジカセ。でも、多分狙いなんだと思うけど、ノスタルジックというよりも、確かに'70年代なんだけど、どことなく現代っぽい。だからこれは、現在青春ノイローゼの人達にも入りやすいと思うし、純のこのモヤモヤ感はとっても共感できると思う。

とにかく、MJ好きにはMJの原点なので見なくてはならない作品だと思う! MJはこの両親に見守られて素直に育ったんだなと思うし、素直ゆえに周囲の人達に受け入れられて、否定されず生きてきたことにより、今でも自分の好きなことに迷いなく進んでいけてるんだなと納得。そして、同じく50歳を過ぎてもやりたい事があり過ぎる田口トモロヲ監督だから、この原作とっても好きなんだろうなぁと思う。大切に撮られた感じが伝わってくる。まぁでも、MJも実際は否定されたり、悔しかったり、悲しかったり、惨めだったことはたくさんあったと思う。そういう部分を温かい目線で描いているから、MJファンじゃなくても"普通"の人の青春映画として、とっても良い作品だと思う。ちょっと切なくて、ちょっと恥ずかしいあの頃が、とっても愛おしくなると思う。

青春ノイローゼだった人、今患っている人に見てほしい。


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コメント (4)
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