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【cinema / DVD】『街のあかり』

2008-05-31 01:06:53 | cinema / DVD
これも公開時気になって見逃していたのでDVD鑑賞。

「夜間警備員のコイスティネンは孤独な男。友人を求めながらも相手に敬遠されてしまう。そんな彼をホットドッグ・スタンドの女性がいつも見ていた。でもコイスティネンは気付かない。そして、ある事件に巻き込まれて・・・」という話。フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキ監督作品。カウリスマキ作品は『過去のない男』しか見ていない。2作とも人付き合いが苦手で上手く立ち回れず、社会の主流から少し外れてしまった人を観察しているような感じ。前作では主人公は暴漢に襲われ記憶を失くしてしまうし、今作の主人公は犯罪に巻き込まれてしまう。けっこう大変な事態なのに淡々と進む。登場人物たちも口数も少なく無表情。独特の間がありそこから何かをくみ取る感じ。チラシなどの著名人のコメントを見ると「カウリスマキの温かい眼差し」という意見が多いけど、私はむしろ突き放した感じに思えた。全てシニカルに感じたのは私がひねくれているから? でも、だからこそ、これは大人のおとぎ話なんだと思う。ベースは「青い鳥」 本当の幸せは身近なところにあるのですということ。そして、自分の身の丈を知れということ。

コイスティネンは嫌な人ではないし、心を閉ざしているわけでもない。同僚と打ち解けたいと思ってもいるようだ。でも、それが空回りしているように見える。それは多分「自分を受け入れて」と思っているから。上手く言えないけど、どんなに相手に受け入れて欲しくても、結局受け入れるのは相手。それは彼も分かっているから、心を開いているつもり。でも、受け入れるのを求められた方は重い。しかも、相手は重く感じていることすら意識していないから「変なヤツ」で終わってしまっている気がする。その感じを描くのが上手い。コイスティネンにはそれが腑に落ちていないようだけど、人に受け入れてもらえないことは分かっている。理由が自分にあることも。でも何故かは分かっていない。だから余計に辛い。だから、自分の話を聞いてくれるホットドッグ・スタンドの女性には自分を大きく見せてしまう。それは劣等感の裏返し。彼が虐待されている犬(パユ)が気になり、助けようとしたのは自分を犬に重ねているから。

コイスティネンは特別ダメ男ではない。ダメだけど(笑) 傷つきやすくて感情を表すのが苦手なだけ。人に対して少し自分を大きく見せてしまうなんて事は誰でもすると思う。ただ、そこをデフォルメしているだけ。だからこれは誰でも感じる悩みだし、感情だと思う。分かるだけにイラッとするけど(笑) そんなコイスティネンの前に現れたミルヤ。彼女は実はある使命を帯びて彼に近づく。初めて相手から近づいてきてくれた。しかも相手はゴージャス美女。いつも人に好かれないと思っていた自分が、相手にしてもらえないだろうと思うような女性に好かれたと思い、夢中になってしまう。でもホントは違う。このミルヤの配役は絶妙。彼には謎めいた美女に見えるミルヤは、オバちゃんにしか見えない。って、私だけかな? 狙いだと思うんだけどな。愛人であるマフィアの部屋を掃除してるシーン(このシーンは皮肉っぽくてよかった)は、幻想と現実ってことを意味してるんだと思う。要するに人は見たいものしか見ないということで、でも見たくないものも見ないと、物事の本質は見えないということ。自分の中で作り上げたミルヤに認められたと思い込んで、自分が大きくなった気持ちになっても、それは違うということ。そもそも自分の価値なんて決めることないし、人の評価を求めるものでもない。ということを描きたいんじゃないかと思う。

幻想の恋に夢中なコイスティネンは銀行の融資窓口でこてんぱんにされても腑に落ちない。そして事件が起きる。彼はミルヤの正体を知り、それを承知で彼女を庇おうとする。それは単にミルヤを愛しているだけじゃなくて、むしろ自分の愚かさを認めてしまうのが怖かったのかも。そしてヒロイズム。傷つきやすいのはプライドが高いから。そんなプライドの保ち方もあるのかも。他の人から見ればバカなことをしているように見えるけど、さんざん踏みつけられたプライドはこれ以上惨めなことには耐えられないのかも。そして、ミルヤもまた惨めな人生だと、彼女の立場を思いやったのかも。

そしてラスト。コイスティネンは2度、自ら相手に向かっていく。1度目は犬のためという言い訳(そんな描写はないけど・・・)があったけど、今度は本当に自分のために怒り、それを相手にぶつけた。結果としては同じくボコボコだけども全然違う。そして、彼は本当に求めていたものを手に入れた。

こうやって1つ1つ確認しながら感想を書いてみると、カウリスマキ監督の目線はやっぱり温かいのかもしれない(笑) 父親的な感じで見ているのかも。だから彼が上手くできないことも、間違った方向に行ってしまうのも、試練だと思って見守っているのかもしれない。躓かないと気付かないことってある。バカな事をするのは決して無駄じゃない。間違えないと見えないこともあるし、苦しんで乗り越えないと成長しないんだと。物事の本質を見抜く目を育てなさい、そして本当に大切なものを見つけなさいというメッセージなのだと勝手に解釈。

コイスティネンの部屋のどこかレトロなデザインが好き。あと、ホットドッグ・スタンドのある川べり、あれに似た風景『過去のない男』にも出てきた気が・・・。ミルヤが掃除機をかけるマフィアの部屋もどこかレトロな感じでいい。常に暗いヘルシンキ(?)の街並みもいい。

役者達は犬も含めてみんな良かった。見ている間はイラッとした場面もあったけど、見終わった後、考えさせられる映画だった。どこまでもピュアな男性が愛を信じ続けて、本当の愛を見つけたという話として見ても、ほんわかとした気持ちになれる。タイトルのように心の中に小さくて、ほんのり明るいあかりがともったような・・・。そんな気持ちになった。


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【cinema / DVD】『パンズ・ラビリンス』

2008-05-27 02:12:25 | cinema / DVD
これはホントに見たかった! 見逃していたのでDVDにて鑑賞。これは映画館で見たかった・・・(涙)

「1944年フランコ独裁政権下のスペイン。父を亡くしたオフェリアは、身重の母と共に継父ビダル大尉の元へ向かう。息子の誕生にしか興味のない大尉との辛い日々の中、オフェリアの前に牧神パンが現れ、彼女こそ地下にある迷宮(パンズ・ラビリンス)の王女であると告げるのだが・・・」という話。なんて悲しくて美しいんだろう! これは大人のファンタジー。

冒頭から美しい。美しい少女が血を流して倒れている。とっても不謹慎だけど死にゆく少女が本当に美しい。鼻から流れた血がゆっくり戻っていくと一気に地下の王宮へ。重厚なナレーションにより地上に憧れた王女が王宮を抜け出し、やがて自分が誰であるかを忘れてしまい死んでしまったが、王国では彼女が生まれ変わって戻ってくるのを待っていることが語られる。そして廃墟から現実の世界へ切換わる。この場面転回が美しい。少女は森の中で牧神パンの遺跡を見つけ、拾った欠片を元の位置に埋め込む。どこからともなく虫がやってくる。この虫のデザインがいい。

車は大尉の元へ。接収したと思われる森の中の屋敷で大勢の部下と共に出迎える。時間を気にする神経質そうな男。オフェリアへの態度や、臨月の妻を山道を長時間旅させることからも、彼が妻すら愛していない自己中心的な人物であることが分かる。おそらくビダルはフランコ政権、いや自己中心的で他人の事を思いやれないという根源的な「悪」を体現しているのだと思う。オフェリアは無垢なものの象徴。母は愚かさの象徴と言ったら少しかわいそうかな・・・。あの時代、子供を抱えた女性が1人で生きることは大変だっただろう。

ここからの現実はひたすら辛い。傍若無人にふるまう大尉だって決して幸せではないだろうし、楽しくもないはず。大尉はこの山中に潜む反政府組織を壊滅する任務に就いているらしい。大尉というのがどのくらい偉いのか分からないけど、罪もない農民をろくに調べもせず、口ごたえしたからといって虫けらのように殺し、何の罪悪感もなくいられるご身分なのか? でも、こんな人間はいくらでもいる。彼が顔に負った傷を自分で治療するシーンが彼の全てを現している。誰も信じない。おそらく自分のことも愛してはいない。おそらく息子も愛さないだろう。父親の呪縛に縛られて、手柄を立てることと、跡継ぎを残すことだけに生きている。

もう1人重要な人物メルセデス。家政婦長のような彼女は、実は反政府組織のリーダー格ペドロの姉でスパイ。彼女は正義と強さの象徴。そしてオフェリアの母とは別の母性の象徴。この映画は主要な人物が、それぞれの対比となっている。正義と悪。穢れと無垢。愚かさと賢さ。もちろん単純にバッサリ振り分けられるものでもないけど。共通するのは「そうでなければ生きられなかった」という事。ビダルですら政権側から見れば正義なのだし、愛を知らない彼はああ生きるしかなかったのだろう。だからといって許せないけど。医師は自らを殺して生きてきたけど、仲間や自分を欺くことに耐え切れず、結果的に死を選ぶことになる。メルセデスは彼女なりに闘うことで生きている。そしてメルセデスはオフェリアでもあるんだと思う。彼女が最後にビダルに向かって言う一言が重い。

オフェリアがいい。本ばかり読んでいる夢見がちな少女。パンズ・ラビリンスも、牧神パンも、そして他の妖精たちも彼女の想像の産物なのかもしれない。そうしなければ辛い現実を生きていけない少女の悲しい物語のようにも思える。母親は何度も彼女に空想はやめて大人になれと言う、でもそれは酷。昔は妖精を信じていたというメルセデスに後の自分を重ねて、おとぎの世界を捨てて辛い現実を生きるなら・・・。彼女はいつも母親の胎内にいる弟に語りかけていた。どんなに自分が愛しているか、この世界は辛いけど自分がいるから大丈夫。でも、出てくるときママを苦しめないで。健気で涙が出た。そして彼女がどれだけ孤独なのかが分かる。

オフェリアが王女に戻るためには3つの試練を乗り越えなくてはならない。第1の試練カエルの巣のシーンで、母が作ってくれた美しいドレスと新しい靴が泥まみれになる。それは無垢なものが汚されていく事を表しているんだと思う。第2の試練のクリーチャーのデザインがいい! ずっとボケーっとしてて動き出したらあんな(笑) 目玉を手に埋め込んで顔にあてて見るなんて、なんというデザイン! 素晴らしい。でも、これが彼女の想像の産物なのだとしたら、なんとも悲しい。王女になるにもこんな試練が必要だと思っているなんて切ない。でも、オフェリアはそんな想像をしそうな感受性豊かな少女なのだ。そして最後の試練・・・(涙)

オフェリア役のイバナ・バケロがいい。単純に虐待されたかわいそうな子にも、空想に逃避している子にもなっていない。彼女なりに必死に母や弟を守ろうとしている。辛い現実を見ようとしているからこそ、空想の世界を作らざるをえないのじゃないかと見ている側に思わせる。悲しげに潤んだ瞳が美しい。ビダル大尉のセルジ・ロペスも熱演。彼の演技あってこその映画ともいえる。医師役の人も、母親役の人も良かった。そしてメルセデスのマリベル・ベルドゥが素晴らしい。

終始これは少女の空想なのか、それとも本当にあるのか分からない描き方をしている。どちらを取ってもそれは見る人の感じたままでいいのだと思う。迷宮世界も決して甘い世界ではないのがいい。それがまた切ない。少女が主人公だけど、子供向けではない。『ロード・オブ・ザ・リング』にしても、決して楽しく美しいだけではない。どこか切なくて悲しくて深い。見る側も一緒に苦しむ。本当のファンタジーというのはそういうものなんだと思う。

とにかく映像が美しい。牧神パンをはじめとしたクリーチャーはもちろん。迷宮世界の妖しい美しさ。現実世界の古い屋敷内の暗い感じもいい。オフェリアが使う中世みたいなお風呂場とか。いちいちイイ! 反政府組織の戦闘シーンですら美しい。そしてラスト・・・。

このラストは間違いなく今まで見た中で3本の指に入る美しさ。メルセデスの哀しく美しい子守唄を聞きながら、少女は自分の身を犠牲にして信じた世界に行けたのだと信じたい。たとえ一瞬の夢だとしても・・・。

素晴らしい!


『パンズ・ラビリンス』Official site

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【cinema / DVD】『ブラッド』

2008-05-25 01:55:10 | cinema / DVD
公開時気になっていたのでDVDにて鑑賞。

「記者のセイディーが以前取材した少女が惨殺死体となって発見された。彼女が利用していた闇サイトを見つけたという知人宅を訪ねるが、彼の姿はなく部屋は荒らされていた。そこに現れた男に連行された彼女は・・・」という話で、これは吸血鬼の話。おもしろかった! 何より全体に漂うチープ感がいい。『スパイダーマン』シリーズでおなじみのサム・ライミの製作会社GOHST HOUSE PICTURESの作品。チラシ等では「サム・ライミの~」とクレジットされているけど本人は関わってはいない。でも、とってもライミっぽい仕上がりになっている気がする。といっても『スパイダーマン』シリーズと『ギフト』しか見ていないけど(笑)

闘う女性ヴァンパイアといえば『アンダーワールド』 あれはけっこう好き。ホラー系は怖くて見れないってことはないけど、好んでは見ない。だからかなり興味がないと食指が動かない。これを見ようと思ったのは『アンダーワールド』っぽい感じと、ルーシー・リューの評判が良かったこと。そしてやっぱりサム・ライミ(笑) 大雑把な感想を言ってしまうとチープな『アンダーワールド』という感じ。貶してはいない。褒めてます! あそこまでいろいろ大掛かりではないということで、そのチープさこそがこの映画の持ち味。だってセイディーが敵を倒す武器はボウガンだし。まぁ心臓に杭を打ち込むのは吸血鬼退治の鉄則ではあるけれど。

ストーリーとしては秘密を知ってしまった主人公が、敵の手に落ち吸血鬼にされてしまうというもの。その悲しい運命をルーシー・リューが上手く表現していたと思う。彼女の映画は『チャーリズ・エンジェル』と『キル・ビル』しか見てない。どちらもセクシー美女の役どころで、若干違和感・・・。美女・・・かな? この映画でも美女役だったけど、全体のいい意味でのチープ感と相まって、悲しい美しさを放っておりました。特に吸血鬼としての欲望と葛藤し、それに負けてしまって慟哭するシーンがいい。チープな感じの画と合っている。上手く言えないけど・・・。そして、人間に戻ることも、死ぬこともできない悲しい運命が、ルーシーの気が強そうで幸薄そうな顔立ちと合っている。

敵役となる人々(人間じゃないけど)もチープでいい。マコ岩松は何故かいまどき人民服みたいな給仕服を着ているし(笑) 大ボス、ビショップにしてもワイン片手に美女を相手に「セックスと殺人だけが、人間に唯一残された快楽だ」と発言してみたところで妖しくはない。そして再び彼の手に落ちるセイディー。全然怖くない。でも、それがいい! この映画の良さはそこ。そしてあくまでセイディーの悲しみと葛藤を描く映画だから。

中途半端にイケメンのビショップには孤高な感じも、悲しさも怖さもないけど、そういう感じは全てルーシー・リューが引き受けている。この映画の見所は前述のセクシー・シーンからの慟哭と、初めて血を吸うシーン。このシーンはちと衝撃。吸うというかむしろ・・・。ここのルーシーはSEXY。

とにかく、画も話も何もかもチープでいい! ホントに褒めてます。『ジャケット』を思わせる、銀色のメタル感のある死体安置室の引出しがいい。ここパクリかな? それとも海外のってあんななのかな? スゴイ狭い引き出し状のものがロッカーみたいに上下左右に何個も並んでいるんだけど、その物扱いの感じとか、それを蹴飛ばしてガーンと出てくるところがグッときた(笑)

というわけで、チープなことが全てダメなわけではないというよい例ではないかと思う。

追記:カメオ出演でマリリン・マンソン出てます! 後から知ったので全く分からなかった。素顔だし(笑)


『ブラッド』Official site

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【cinema】『ナルニア国物語 / 第2章 カスピアン王子の角笛』(試写会)

2008-05-20 02:55:57 | cinema
'08.05.18 『ナルニア国物語 / 第2章 カスピアン王子の角笛』(試写会)@ウォルト・ディズニー試写室

これは見たいと思っていたけど、もしかすると劇場には行かずに終わってしまうかもなぁ・・・と思っていた。公認ブロガーをさせていただいているシネトレさんから試写会のお知らせが来たので即効応募。見事当選!

「ペベンシー兄弟がナルニアから戦時下のイギリスへ戻って1年。ナルニアでは1300年が過ぎていた。異国からやってきた人間テルマール人が支配し、ナルニアは滅びた。テルマールの王子カスピアンは王位を狙う叔父の追跡から逃れ、伝説の4人の王を呼ぶ角笛を吹くが・・・」という話。これはおもしろかった! 冒頭からスピード感たっぷりでぐいぐい引き込まれた。第1章ではお伽話的な要素が多く、子役達も小さかったこともあり、どちらかと言うと子供向けという意味でのファンタジーという仕上がりだったけれど、今回は大人が見ても十分楽しめる出来になっている。

原作はだいぶ前に読んだので意外に忘れてしまっている。冒頭は荘厳な城の一室での出産シーン。カスピアン王子の叔父で摂政のミラース待望の男児誕生。その知らせを受けて、カスピアン暗殺の指令が下される。そして間一髪での逃走劇。馬を駆っての森の中でのチェイスは緊迫感がありながらも美しい。そして窮地に追い込まれたカスピアンは角笛を吹く。

一転、戦時下のロンドン。美しいナルニアから灰色の大都会。ペベンシー兄弟大きくなっている! 彼らが地下鉄の駅のホームからナルニアへ呼び戻されるシーンは感動的。ちょっと鳥肌が立った。人工的都市から一気にナルニアの美しい海岸へ。彼らは自分達の身に起きようとしている事が分かっている。もちろん私達も(笑) だからそのワクワク感を共有する。4人がナルニアに着いてから原作ではけっこう長めに冒険した後、廃墟となったケア・パラベル城を発見したけど、この辺りはさらりと描いている。オチ・カ(小さい人:トランプキン)とのやり取りもアッサリめ。廃墟になったケア・パラベルもオチ・カもイメージどおり。

4人はオチ・カから彼らが呼び戻されたいきさつを聞き、カスピアンの元を目指し旅立つ。途中ルーシーはアスランの姿を見るが、他の者には見えない。ここも原作どおりだけど後の伏線であり、アスランの神秘性を感じさせる。その夜、ルーシーが見た夢のシーンが美しい。第1章でも出てきたけど花びらが舞い人の形となりルーシーを導く映像がいい。CGの進化もさることながら、自然の美しさがいい。これは映画全体に言えることだけど、まず自然の美しさがあり、そこに全く違和感のない形でCGが使われているので、どこまで本物なのか分からない。でも、どこかお伽的というか、ファンタジーを感じさせる映像になっている。それが素晴らしい。森の中にドワーフや言葉を話すアナグマがいることが不思議じゃない。というか何もいない茂みにもその存在を感じる。ルーシーが見た夢は平和だった頃のナルニア。だから光に満ちあふれている。でも、目覚めた森の木々は心を閉ざしたまま。なので晴れた朝でもトーンは暗い。そういうのが上手い。

この間、カスピアンは隠れて暮らしてきたナルニアの人々と合流している。半人半馬のセントールやミノタウロスなど様々な種族。このデザインはディズニーだけにそんなにグロくない。子供には怖いかもしれないけど・・・。『ロード・オブ・ザ・リング』のウルク・ハイやオークに比べたら全然平気(笑) このデザインは前作同様『ロード・・・』も手がけたWETA。恐ろしい中にもどこか愛らしさや気高さのあるデザインがいい。そしてリーピチープ! 誇り高きネズミの騎士。これもイメージどおり。

そして物語は合流した4人とカスピアン、城で策略をめぐらすミラースと家臣たちの腹の探りあいとが並行して描かれる。初めは3つだった話は一気に1つに集束する。この辺りのテンポもいい。同年代だけに意地の張り合いでギクシャクしながらもピーターの意見を入れ城へ攻撃をしかけるナルニア軍。この戦闘シーンはいい。「ヘルム砦の戦い」には及ばないけど、必死に戦う動物達(ナルニア人だけど・・・)が健気でいとおしい。滅びの美学ってある。この戦いはカスピアンとピーターの息が合わなかったことで退却することになる。その際、城に取り残されたナルニア人たちの悲壮感ただよう覚悟がいい。ここで戦闘シーンが入ったことは盛り上がるとともに、ピーターとカスピアンの挫折を見ることになる。人の意見を聞けず独りよがりになってしまったピーター。個人的な気持ちにとらわれ役目を果たせなかったカスピアン。これは2人に対する試練。そしてこの後、もう1つの試練が。こんなチョイ役で?という感じでアカデミー助演賞のあの人が・・・。これらは全てラストへ向けての伏線。大人になるということは"個"をいかにコントロールできるかということ。

今回良かった事は4人が成長したので自分達が何をすべきで、どこへ向かうべきか模索しつつも分かっていたこと。人間の権力への欲望や大人の汚い部分も描かれている。子供のうちはそれに抵抗を感じるかもしれないけど、大人になったらこういう世界で生きていく。まぁ、ここまで極端ではないけれど・・・。そういう部分をきちんと描いているのもいい。

ピーターとミラースの決闘から一気に合戦へなだれ込むのがいい。「ペレンノール野の戦い」にはかなわないけど、ピーターとカスピアンの掛け声とともにナルニア軍が突撃していく姿は感動! だってチーターみたいのが一生懸命走っているんだもの・・・。猫を飼っているので猫科には弱い(笑)

主役4人は成長していた分だけ演技も成長。なかなか良かった。ひねくれエドマンドが頼もしい子になっていたのはちょっぴり物足りないけど・・・(笑) 今回の主役カスピアンのベン・バーンズ。マスコミがかなりフィーチャーしていたので注目してみたけど良かった。憧れの王子様って実はつまらなくなりがちだけど、苦悩して成長する王子を上手く演じていたし、立派な王になった姿にもウソ臭さや違和感はなかった。彼がピーターからその命運を託された叔父ミラースと対峙するシーンは良かったと思う。ティルダ・スウィントンはわずかな出演シーンながらさすがの存在感。アスランのリーアム・ニーソンがいい。深くて大きく包み込む声が素晴らしい。

実は最終的に勝ったのはナルニア人を含めた"自然"。結局そこかと思う人もいるかもしれないけど、自然をおろそかにしてはいけないというメッセージは、こんな風に見せられたら子供達の心に響くかも。そして4人、特に今回節目を迎えたピーターとスーザンの姿を通して大人になることが学べると思う。大人になる事は困難や挫折を経験して、苦しんだ中から何かを学び取り一歩ずつ成長すること。それは何もナルニア国の危機を救うことじゃない。日々、どんなことでも自分で考えて答えを出していけば、例え目に見えなくても確実に進歩しているハズ!

というわけで、かなり良かった。ニュージーランド・チェコ・ポーランド・スロベニアなど各地で撮影された映像も見事。オススメ!


『ナルニア国物語 / 第2章 カスピアン王子の角笛』Official site


↑ コレもらった。かなり充実した内容。

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【art】「国宝 薬師寺展」鑑賞@東京国立博物館 平成館

2008-05-18 03:17:01 | art
08.05.09 国宝薬師寺展@東京国立博物館 平成館

絶対見に行こうと思って全然行けなかった。毎週金曜日は20時まで開館。土日より空いているかと思ったけどやっぱり混んでいる。

もちろん一番のお目当ては日光・月光菩薩立像。建物中央のエントランスからエスカレーターで2Fに上がると左右に第1会場と第2会場がある。日光・月光は第1会場のクライマックス(笑) イヤホンガイドを借りる。市原悦子の語りが分かりやすく心地よい。

全体を4つの章にテーマ分けして展示。第1会場は日光・月光を含めて「第一章 薬師寺伽藍を行く」となっている。入口を入ると休ヶ岡八幡の境内が再現されている。朱色も鮮やか。両脇の阿吽の狛犬がかわいい。ここでの見モノは「国宝 八幡三神坐像」仲津姫命・僧形八幡神・神功皇后の木像。3人とも片ヒザをわずかに立てて座している。あまり大きくない。仲津姫命と神功皇后は奈良時代のゆったりとした衣装を着ておられる。細かな花柄が描かれていて、今も残る色からは色鮮やかな彩色が感じられる。

次の部屋に進むと薬師寺のシンボル東塔をイメージで再現。休ヶ岡八幡の再現に比べると・・・ではあるけれど、屋根の上の装飾の土台部分「東塔伏鉢」の大きさにビックリ。さらに「東塔水煙」がある。まさに塔先端にある飾りで、透かし彫りが見事。インドの影響を感じる。天女の衣のやわかいドレープと唐草模様が美しい。しかし、塔のさらに上、人の目に触れない所にまで手を抜かないのが素晴らしい。「仏足石」も興味深い。これは巨大な足。たしか清水寺にも釈迦の足型の石があるけど、古代インドでは釈迦の姿を表現することは不可能ということで、足型を信仰していたのだそう。そういう人々の考え方が愛おしい。

さらに進むと「聖観音菩薩立像」がある。かなり大きい立派なお姿。謀反の疑いをかけられ処刑された悲劇の皇子、有馬皇子を模していると言われるそのお姿は穏やかで美しい。前姿は堂々とした立ち姿だけど、後姿は優しく女性的でもある。背中のラインが美しい。そして横は意外とふくよか。この後、日光・月光だけどお2人は別格なので、後ほどゆっくり語るとして、第2会場へ。

「第二章 草創期の薬師寺」では、「唐草文軒丸瓦」や「塑像残欠」が見られる。皇后(後の持統天皇)の病気平癒のため、天武天皇が薬師寺建立を発願されたのは680年。天皇は志半ばで崩御されたが、持統天皇が遺志を引き継ぎ藤原京に建立。一応の完成を見たのは7世紀末。「唐草文軒丸瓦」「唐草文軒平瓦」のほとんどは、この藤原京の本薬師寺跡から出土している。唐草模様が素朴でかわいらしい。「塑像残欠」は現在の薬師寺西塔跡から出土したもので、木製の人型に藁と土を混ぜたものを貼り付けた像で、これらを使って仏教の成り立ちを教えたらしい。いわゆる人形劇か? そのわり直立で表情どころか目鼻もないけど(笑)

「第三章 玄奘三蔵と慈恩大師」では、「西遊記」でおなじみの玄奘三蔵の像や、三蔵法師の弟子で法相宗を開いた慈恩大師の像や、彼らが伝えた「大般若経」などが見られる。三蔵法師がガンダーラへ向かって出発してから、サンスクリット語の経典を翻訳し、長安へ戻ったのは17年後。「玄奘三蔵坐像」がいつのお姿を想定して彫られたのか不明だけど、これは・・・。ちょっと桜金造似・・・。弟子の「慈恩大師坐像」がいい。どっしりとした徳のあるお顔。法相宗とは”心のありようで世界は変わる。心を見つめよう”という教えだそう。たしかにそのとおりだと思う。「紺紙金字成唯議論」は美しい金文字でちょっとポップ。「大般若経」の印刷のような字の美しさと乱れのなさに感心。

「第四章 国宝吉祥天像」では、この展覧会もう一つの目玉。「吉祥天像」が見られる。というか「吉祥天像」しか展示物はない。各パーツの拡大コピーで細部を確認した後、ガラスの向こうに展示された「吉祥天像」を見る。小さい・・・。そして保護の為最小限の明かりのため暗い・・・。しかしそのふくよかなお顔や印を結んだ手の美しさ、身につけた衣のドレープと描き込まれた模様と彩色の美しさは素晴らしい。なんでも経典には”吉祥天を描く際には15歳の少女をモデルにすると良い”と書かれているとのことで、確かにその頬のふくよかなみずみずしさは少女のよう。太い眉が印象的で、小さくてふくよかな唇は少し微笑まれている。髪の生え際も美しい。そしてうっすらとした後光。これは素晴らしかった。

さて、いよいよ「日光菩薩立像」と「月光菩薩立像」について。「聖観音菩薩立像」を見た後、スロープを上って角を曲がると、そこが展望台のようになっており、正面にお2人が立っておられる。この演出はいい。どーんとお2人が眼前に現れて感動的。そしてデカイ! 3m超というそのお姿は圧巻。まさにスーパースターだ! 展望台からだとあまり見上げることなくお顔が見れる。穏やかな表情。月光菩薩の方がほんの少しふっくらされている。向かって右が日光菩薩で左が月光菩薩。お互いの方へほんのわずか首を傾けている。腰をひねり片足に重心を置き、ヒザを少し曲げた立ち方を三曲法というのだそうで、そのお姿がなんとも優美。そしてSEXY(笑) 全体的に対称になっているようだけど、装飾や衣のドレープの感じなどがほんの少し違う。体型もほんのわずか月光菩薩の方が華奢でどこか女性的。肩から垂らして反対側の手にかけられた衣のドレープには確か意味があったように思うけど忘れてしまった(涙)

スロープを下りて間近で拝見する。やっぱり大きい。この迫力はスゴイ。今回最大の目玉はいつもつけていらっしゃる光背がはずされ、その後姿が見られるということ。後ろに廻ってみる。その優美さにウットリ。しなやかな筋肉、背骨の表現、そして優美な腕のライン。肩に掛けられた花紋の装身具も美しい。いちいちイイ! どこを見ても何一つ手を抜いていない。いつもは見られないその後姿までこんなに美しいなんて本当に素晴らしい。

NHKの特番で寺を出られるお2人のお清めをしていた僧侶が「普段こんなに間近にお仕えすることはないのでありがたいこと」と話すのが印象的だった。薬師寺管主安田瑛胤師がお顔を清めた時「耳元で”東京に行かれるんですね”と話しかけた」と語っておられたのも感動だった。信仰というのはそういうものなんだと漠然と思った。私は無宗教だけど、お2人のお姿には感動した。本当にありがたい。それは単なる像ではないから。造った人々や、守ってきた人々、そして信仰してきた多くの名もない人々の気持ちを受け止めてきたその重みも感じられた。

本当に素晴らしかった。もう一度お2人に会いたい。


★国宝 薬師寺展:6月8日(日)まで
「平安遷都1300年記念 国宝 薬師寺展」Official site

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【cinema】『ファクトリー・ガール』

2008-05-09 01:54:49 | cinema
'08.05.05 『ファクトリー・ガール』@シネマライズ

アンディー・ウォーホルのミューズであり、ボブ・ディランの恋人でもあったイーディ・セジウィック。旧家の令嬢で美女。BETSEY JOHNSON初代モデルで、黒タイツを流行させたのは彼女。ピクシー・カットと大きなイヤリングで'60年代のファッション・アイコンとなった彼女をウォーホルは”スーパースター”と称した。そんな彼女の栄光と挫折を描いた映画。これはギラギラと宝石のように輝いて、そして辛く悲しい映画だった。そして芸術家というものを知るにはとても良い映画だと思った。

イーディは一見何もかも持っている恵まれた人物に見える。でも、本当は違う。家庭に問題があり、そのことで彼女はずっと傷ついてきた。自分の意にそわなければ我が子でも簡単に切り捨てる父親。自分を押し殺し、娘を犠牲にしても何かを守ろうとする母親。表面上は紳士でも最低の人間。そういうのを見せるのが上手い。事前にウォーホルの映画撮影シーンで自殺した兄と父との関係を語らせて伏線を張り(実際の映画でも語っているのかもしれないけど・・・)、ウォーホルとの食事会での父の傍若無人ぶりで、彼女がどんな家庭で育ったのか見せる。そっと父が彼女の腕を触る感じで、2人の間に何があったのか分かる。母親も彼女の部屋で快活に話し、芸術的センスを見せていたのに、ここでの態度には全くそれが感じられない。娘とその友人をかばうこともしない。そういう感じを見せるのが上手い。

ウォーホル主宰のファクトリーに集う人々は個性的、もしくは個性的でありたいと思っている人々。そして、そう思われることで自分の価値を見出そうとしているように感じる。だからどんどん過激になり、過剰になる。ただ、そこに居るだけで人を惹きつけるイーディに憧れつつも嫉妬しているよう。ファクトリーについてもそこにいた人々についても、あまり良く知らないので、本当はどうなのか分からないけれど・・・。でも、凡人がカリスマ性を持つ人物に憧れと嫉妬心を抱くのは当然の事だし、本当は世の中凡人だらけなのだ。でも、実際に社会を支えているのは多くの凡人なのも事実。もちろん私もその1人。だからよく分かる。

ウォーホルについてはもちろん知ってたし「エリザベス・テイラー」は大好き。チェコ移民という事も、イーディとの事も少しだけ知識はあった。ハッキリ認識していたわけじゃないけどゲイだろうと思っていた。映画の中でも明確には言ってないけどにおわせてはいる。芸術家にありがちな気難しさ。でも、それは繊細で傷つきやすい心と、劣等感からくるもの。自分の容姿や、貧しい移民の子であることにも劣等感がある。その裏返しで旧家の令嬢で美貌、天真爛漫(に見える)イーディに惹かれた。でも、それはカリスマに対する憧れだけではない。芸術家として彼女から何かを得たいと思ったからだし、利用しようと思ったからだと思う。どこまで意識していたかは謎だけど。それをエゴと取るか、芸術の糧と取るか・・・。利用されるだけなら気の毒だけど、お互い得るところがあるなら決して悪い関係ではない気がする。

ウォーホルはイーディを切り捨てるけど、彼にしてみれば裏切ったのは彼女の方なのだろう。彼のように過度の劣等感を持つ人物は、裏切られた事は赦しがたいことなのだと思う。劣等感を隠す為プライドの高さで武装する。そのプライドを傷つけられたのだから赦さない。ウォーホルのそんな態度を正しいとは思わないし、そのことが彼女を追い込んだのだとしたらひどい気もするけど、彼の孤高な感じは分かる気がした。そして、そんな人生も辛いだろうと思う。

ボブ・ディラン(映画ではボビー)との出会いのシーンがいい。尊敬するMJが大ファンなのにディランについては詳しくない。でも、この映画のボビーはかっこよかった。ウォーホルとは別の繊細さと、自分の信念は絶対曲げない強さがある。少しシャイな感じも母性本能をくすぐられる(笑) 彼は彼できっと難しいタイプだろう。彼の求める自分でいるのは大変かもしれない・・・。

イーディは2人の強烈な個性に引き裂かれてしまったように思う。彼女がもう少し自信を持てていたら・・・。彼女を知る人は「彼女は弱すぎた」と語るけど、その弱さの裏返しの大胆さが彼女の輝きだったとも言える。強く人を惹きつける人というのは相反する2面性を持っているのかもしれない。強さと弱さ、善と悪・・・。本人は大変だと思うけど。そして芸術的な何かを生み出す人は感受性が豊かなのだ。そんな人は凡人が見えない世界が見える反面、見なくてもよい世界も見てしまう。きっとすごく振り幅が大きい。そして、心に傷を負って生きてきた彼女"It Girl"になることで自分を愛して欲しかったし、自分を愛したかったかのも。どん底でファクトリーの仲間からボロボロにされた時、友人シッドが彼女を救ってくれる。シッドがボロボロの彼女を抱きしめた時、涙が止まらなくなった。ちゃんと見ている人はいるよと言ってあげたかった。

映画は半ドキュメンタリー形式で進む。彼女がインタビューに答えているようなシーンが何度も差し込まれる。穏やかな表情の彼女に"It Girl"の面影はない。見ている側としては少し物足りなさも感じるものの、楽になれてよかったとも思う。どこか諦めてしまったようでもある。結局overdoseでこの世を去る。28歳だった。彼女より年上になってしまった私は、彼女がかわいそうでならなかった。哀れみとも違う。

俳優達はみな素晴らしかった。シエナ・ミラー熱演。スーパースターとしてキラキラ輝いている時も、どこか所在なさ気な感じがいい。そして病院での穏やかな、でも何かを諦めたような表情。'60年代ファッションが華奢な体に合って素敵。時々久本雅美似だけど(笑) ボビーのヘイデン・クリステンセンも良かった。ファクトリーの人達よりややダサめな感じもいい。ボビーとウォーホルのカメラテストのシーンが素晴らしい! ボビーがウォーホルを叩きのめしているようだけど、ウォーホルは間違いなくボビーに惹かれている。その感じがエロティック。このシーンでウォーホルがゲイであることを確信。このシーンの2人の演技は見事。直後エレベーターでイーディに手を差し伸べるシーンがいい。彼の手を取っても上手くいかなかった気もするけど・・・。ウォーホルのガイ・ピアースが素晴らしい。ウォーホルに成りきって立ち位置までこだわったそうだけど、ウォーホルその人より1人の芸術家を見ているよう。まぁ、優れた俳優も芸術家ではあるけど。彼の演技は必見。

1人の女性の話としては哀しい。でも、あの時代の持つギラギラとした感じと、閉塞感からくる爆発力みたいなものを感じた。'60年代ファッションやシーンの感じがいい。The Velvet Undergroundにもニヤリ。


『ファクトリー・ガール』Official site

コメント (4)
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