これも公開時気になって見逃していたのでDVD鑑賞。
「夜間警備員のコイスティネンは孤独な男。友人を求めながらも相手に敬遠されてしまう。そんな彼をホットドッグ・スタンドの女性がいつも見ていた。でもコイスティネンは気付かない。そして、ある事件に巻き込まれて・・・」という話。フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキ監督作品。カウリスマキ作品は『過去のない男』しか見ていない。2作とも人付き合いが苦手で上手く立ち回れず、社会の主流から少し外れてしまった人を観察しているような感じ。前作では主人公は暴漢に襲われ記憶を失くしてしまうし、今作の主人公は犯罪に巻き込まれてしまう。けっこう大変な事態なのに淡々と進む。登場人物たちも口数も少なく無表情。独特の間がありそこから何かをくみ取る感じ。チラシなどの著名人のコメントを見ると「カウリスマキの温かい眼差し」という意見が多いけど、私はむしろ突き放した感じに思えた。全てシニカルに感じたのは私がひねくれているから? でも、だからこそ、これは大人のおとぎ話なんだと思う。ベースは「青い鳥」 本当の幸せは身近なところにあるのですということ。そして、自分の身の丈を知れということ。
コイスティネンは嫌な人ではないし、心を閉ざしているわけでもない。同僚と打ち解けたいと思ってもいるようだ。でも、それが空回りしているように見える。それは多分「自分を受け入れて」と思っているから。上手く言えないけど、どんなに相手に受け入れて欲しくても、結局受け入れるのは相手。それは彼も分かっているから、心を開いているつもり。でも、受け入れるのを求められた方は重い。しかも、相手は重く感じていることすら意識していないから「変なヤツ」で終わってしまっている気がする。その感じを描くのが上手い。コイスティネンにはそれが腑に落ちていないようだけど、人に受け入れてもらえないことは分かっている。理由が自分にあることも。でも何故かは分かっていない。だから余計に辛い。だから、自分の話を聞いてくれるホットドッグ・スタンドの女性には自分を大きく見せてしまう。それは劣等感の裏返し。彼が虐待されている犬(パユ)が気になり、助けようとしたのは自分を犬に重ねているから。
コイスティネンは特別ダメ男ではない。ダメだけど(笑) 傷つきやすくて感情を表すのが苦手なだけ。人に対して少し自分を大きく見せてしまうなんて事は誰でもすると思う。ただ、そこをデフォルメしているだけ。だからこれは誰でも感じる悩みだし、感情だと思う。分かるだけにイラッとするけど(笑) そんなコイスティネンの前に現れたミルヤ。彼女は実はある使命を帯びて彼に近づく。初めて相手から近づいてきてくれた。しかも相手はゴージャス美女。いつも人に好かれないと思っていた自分が、相手にしてもらえないだろうと思うような女性に好かれたと思い、夢中になってしまう。でもホントは違う。このミルヤの配役は絶妙。彼には謎めいた美女に見えるミルヤは、オバちゃんにしか見えない。って、私だけかな? 狙いだと思うんだけどな。愛人であるマフィアの部屋を掃除してるシーン(このシーンは皮肉っぽくてよかった)は、幻想と現実ってことを意味してるんだと思う。要するに人は見たいものしか見ないということで、でも見たくないものも見ないと、物事の本質は見えないということ。自分の中で作り上げたミルヤに認められたと思い込んで、自分が大きくなった気持ちになっても、それは違うということ。そもそも自分の価値なんて決めることないし、人の評価を求めるものでもない。ということを描きたいんじゃないかと思う。
幻想の恋に夢中なコイスティネンは銀行の融資窓口でこてんぱんにされても腑に落ちない。そして事件が起きる。彼はミルヤの正体を知り、それを承知で彼女を庇おうとする。それは単にミルヤを愛しているだけじゃなくて、むしろ自分の愚かさを認めてしまうのが怖かったのかも。そしてヒロイズム。傷つきやすいのはプライドが高いから。そんなプライドの保ち方もあるのかも。他の人から見ればバカなことをしているように見えるけど、さんざん踏みつけられたプライドはこれ以上惨めなことには耐えられないのかも。そして、ミルヤもまた惨めな人生だと、彼女の立場を思いやったのかも。
そしてラスト。コイスティネンは2度、自ら相手に向かっていく。1度目は犬のためという言い訳(そんな描写はないけど・・・)があったけど、今度は本当に自分のために怒り、それを相手にぶつけた。結果としては同じくボコボコだけども全然違う。そして、彼は本当に求めていたものを手に入れた。
こうやって1つ1つ確認しながら感想を書いてみると、カウリスマキ監督の目線はやっぱり温かいのかもしれない(笑) 父親的な感じで見ているのかも。だから彼が上手くできないことも、間違った方向に行ってしまうのも、試練だと思って見守っているのかもしれない。躓かないと気付かないことってある。バカな事をするのは決して無駄じゃない。間違えないと見えないこともあるし、苦しんで乗り越えないと成長しないんだと。物事の本質を見抜く目を育てなさい、そして本当に大切なものを見つけなさいというメッセージなのだと勝手に解釈。
コイスティネンの部屋のどこかレトロなデザインが好き。あと、ホットドッグ・スタンドのある川べり、あれに似た風景『過去のない男』にも出てきた気が・・・。ミルヤが掃除機をかけるマフィアの部屋もどこかレトロな感じでいい。常に暗いヘルシンキ(?)の街並みもいい。
役者達は犬も含めてみんな良かった。見ている間はイラッとした場面もあったけど、見終わった後、考えさせられる映画だった。どこまでもピュアな男性が愛を信じ続けて、本当の愛を見つけたという話として見ても、ほんわかとした気持ちになれる。タイトルのように心の中に小さくて、ほんのり明るいあかりがともったような・・・。そんな気持ちになった。
「夜間警備員のコイスティネンは孤独な男。友人を求めながらも相手に敬遠されてしまう。そんな彼をホットドッグ・スタンドの女性がいつも見ていた。でもコイスティネンは気付かない。そして、ある事件に巻き込まれて・・・」という話。フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキ監督作品。カウリスマキ作品は『過去のない男』しか見ていない。2作とも人付き合いが苦手で上手く立ち回れず、社会の主流から少し外れてしまった人を観察しているような感じ。前作では主人公は暴漢に襲われ記憶を失くしてしまうし、今作の主人公は犯罪に巻き込まれてしまう。けっこう大変な事態なのに淡々と進む。登場人物たちも口数も少なく無表情。独特の間がありそこから何かをくみ取る感じ。チラシなどの著名人のコメントを見ると「カウリスマキの温かい眼差し」という意見が多いけど、私はむしろ突き放した感じに思えた。全てシニカルに感じたのは私がひねくれているから? でも、だからこそ、これは大人のおとぎ話なんだと思う。ベースは「青い鳥」 本当の幸せは身近なところにあるのですということ。そして、自分の身の丈を知れということ。
コイスティネンは嫌な人ではないし、心を閉ざしているわけでもない。同僚と打ち解けたいと思ってもいるようだ。でも、それが空回りしているように見える。それは多分「自分を受け入れて」と思っているから。上手く言えないけど、どんなに相手に受け入れて欲しくても、結局受け入れるのは相手。それは彼も分かっているから、心を開いているつもり。でも、受け入れるのを求められた方は重い。しかも、相手は重く感じていることすら意識していないから「変なヤツ」で終わってしまっている気がする。その感じを描くのが上手い。コイスティネンにはそれが腑に落ちていないようだけど、人に受け入れてもらえないことは分かっている。理由が自分にあることも。でも何故かは分かっていない。だから余計に辛い。だから、自分の話を聞いてくれるホットドッグ・スタンドの女性には自分を大きく見せてしまう。それは劣等感の裏返し。彼が虐待されている犬(パユ)が気になり、助けようとしたのは自分を犬に重ねているから。
コイスティネンは特別ダメ男ではない。ダメだけど(笑) 傷つきやすくて感情を表すのが苦手なだけ。人に対して少し自分を大きく見せてしまうなんて事は誰でもすると思う。ただ、そこをデフォルメしているだけ。だからこれは誰でも感じる悩みだし、感情だと思う。分かるだけにイラッとするけど(笑) そんなコイスティネンの前に現れたミルヤ。彼女は実はある使命を帯びて彼に近づく。初めて相手から近づいてきてくれた。しかも相手はゴージャス美女。いつも人に好かれないと思っていた自分が、相手にしてもらえないだろうと思うような女性に好かれたと思い、夢中になってしまう。でもホントは違う。このミルヤの配役は絶妙。彼には謎めいた美女に見えるミルヤは、オバちゃんにしか見えない。って、私だけかな? 狙いだと思うんだけどな。愛人であるマフィアの部屋を掃除してるシーン(このシーンは皮肉っぽくてよかった)は、幻想と現実ってことを意味してるんだと思う。要するに人は見たいものしか見ないということで、でも見たくないものも見ないと、物事の本質は見えないということ。自分の中で作り上げたミルヤに認められたと思い込んで、自分が大きくなった気持ちになっても、それは違うということ。そもそも自分の価値なんて決めることないし、人の評価を求めるものでもない。ということを描きたいんじゃないかと思う。
幻想の恋に夢中なコイスティネンは銀行の融資窓口でこてんぱんにされても腑に落ちない。そして事件が起きる。彼はミルヤの正体を知り、それを承知で彼女を庇おうとする。それは単にミルヤを愛しているだけじゃなくて、むしろ自分の愚かさを認めてしまうのが怖かったのかも。そしてヒロイズム。傷つきやすいのはプライドが高いから。そんなプライドの保ち方もあるのかも。他の人から見ればバカなことをしているように見えるけど、さんざん踏みつけられたプライドはこれ以上惨めなことには耐えられないのかも。そして、ミルヤもまた惨めな人生だと、彼女の立場を思いやったのかも。
そしてラスト。コイスティネンは2度、自ら相手に向かっていく。1度目は犬のためという言い訳(そんな描写はないけど・・・)があったけど、今度は本当に自分のために怒り、それを相手にぶつけた。結果としては同じくボコボコだけども全然違う。そして、彼は本当に求めていたものを手に入れた。
こうやって1つ1つ確認しながら感想を書いてみると、カウリスマキ監督の目線はやっぱり温かいのかもしれない(笑) 父親的な感じで見ているのかも。だから彼が上手くできないことも、間違った方向に行ってしまうのも、試練だと思って見守っているのかもしれない。躓かないと気付かないことってある。バカな事をするのは決して無駄じゃない。間違えないと見えないこともあるし、苦しんで乗り越えないと成長しないんだと。物事の本質を見抜く目を育てなさい、そして本当に大切なものを見つけなさいというメッセージなのだと勝手に解釈。
コイスティネンの部屋のどこかレトロなデザインが好き。あと、ホットドッグ・スタンドのある川べり、あれに似た風景『過去のない男』にも出てきた気が・・・。ミルヤが掃除機をかけるマフィアの部屋もどこかレトロな感じでいい。常に暗いヘルシンキ(?)の街並みもいい。
役者達は犬も含めてみんな良かった。見ている間はイラッとした場面もあったけど、見終わった後、考えさせられる映画だった。どこまでもピュアな男性が愛を信じ続けて、本当の愛を見つけたという話として見ても、ほんわかとした気持ちになれる。タイトルのように心の中に小さくて、ほんのり明るいあかりがともったような・・・。そんな気持ちになった。