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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:妙心寺」

2015-06-07 18:20:22 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:妙心寺」


毎週楽しみにしている京都と奈良を中心とした古寺を紹介する番組。毎回気になったことをtweetして、後からWikipediaなどで調べて追記したり、リンク貼ったりしている。ということで、今回もその形で行きます!( ・Θ・)ゞピヨッ


七堂伽藍:寺院の主要な7つの建物。三門・仏殿・法堂が一直線に並ぶのは典型的な禅宗の伽藍配置。禅宗では仏殿前の門を三門と呼ぶ。妙心寺の三門は桃山時代に建てられた。東福寺、大徳寺に続く古さ。三門=三解脱門、迷いや悩みから解き放たれて到達すべき3つの心 空・無相・無作

 

後ほど追記!


三門には空の教えを広める観音菩薩が祀られている。脇侍は善財童子と月蓋長者、その両脇に十六羅漢。天井には迦陵頻伽などの仏画。外気に触れないため当時の色彩が残っている。

 

仏殿には本尊釈迦如来。脇侍に阿難尊者と迦葉尊者を従えるのは禅宗の配置。釈迦如来の左手に金波羅華を持ち、右手を添える形は蓮華微笑(れんげみしょう)と呼ばれる禅宗の根幹に関わる話を表したもの。

 

修行に集まった者たちに何も言わず花を差し出した。迦葉尊者のみが意味を理解した。大切な教えを迦葉尊者に不立文字・教外別伝で伝えた。

 

言葉は危ういもの。禅宗=仏心宗 言葉や文字に頼らない釈迦の心そのものを伝える教え。師から弟子への直接的な導き=以心伝心が重要。

 

玉鳳院は第95代天皇花園法皇が宗峰妙超(大燈国師)に帰依し、離宮を禅寺へ改めた名残の建物。妙心寺発祥の地。妙心寺から臨済宗の流れが生まれた。1337年宗峰妙超は病に倒れる。法皇に関山慧玄を推挙。玉鳳院と渡り廊下で結ぶ開山堂(微笑院)に関山慧玄が眠る。

 

法堂の天井画は狩野探幽による雲龍図。龍は仏法を守護する存在のため、説法の場である法堂に描かれる。また水をつかさどるため、伽藍を火災から守る願いも込められている。探幽が構想3年、描くのに5年かけた傑作。←これ素晴らしい!さすが探幽!見たい!!

 

禅宗は日常生活も修行。大庫裏は室町時代末に建てられ江戸時代に改装。庫裏とは寺院の台所。仏事法要の際大人数の食事を整える場所。数十年前まで使用されていた。浴室は昭和2年まで使用。6~7人並んで入れる。明智風呂と呼ばれる。叔父密宗和尚が光秀の菩提を弔うために建てた。汚名洗い流す?

 

応永の乱。当時の住持が大内義弘と関係あり、足利義満の怒りを買い妙心寺は全てを没収されてしまう。変換されたのは33年後。日峰宗舜は塔頭養源院を建て、これを基盤に妙心寺を立て直した。

 

室町時代禅宗では京都五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)が力を持っており、五山は叢林と呼ばれ、これに対し幕府の保護を受けない禅宗寺院を林下と呼んだ。妙心寺は山隣派と呼ばれ地方の戦国大名と結びつきを強めた。戦国時代に入ると戦国大名と共に力を持った。

 

織田信長や武田信玄の供養塔があり、江戸時代には塔頭は100を超え、末寺は5000を超え、京都五山をしのぐ巨大な禅寺となった。

 

塔頭=寺から出た高僧の墓。その傍に弟子たちが小庵を立てて、墓を守っていたものが寺となった。塔頭が多いということは、弟子に慕われた高僧が多いということ。

 

国宝「瓢鮎図」 公案=禅問答 ぬるぬるしたナマズを、どうやって瓢箪に入れるか? 答えが大切なのではなく、そこに至るまでの自分の考えが重要。

 

世界遺産 臨済宗妙心寺派龍安寺。有名な庭園は庫裏に繋がる方丈にある。日常に楽しむにはあまりに厳格だと志賀直哉が評した。自分自身と向き合う場所。

 

毎年4月15日法堂で入制上堂が行われる。3ヶ月間にわたる修行の始まりの儀式。住持が説法を行う。インド4~7月が雨季で、釈迦の弟子たちは一カ所に集まり修行した。これが由来となり夏と冬の180日間修行に入る。入制上堂後仏殿に移り楞厳会を行う。楞厳呪は陀羅尼の一種。

 

古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

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