毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
レフ・ランダル生誕111周年
すみません💦 どなたでしょう?
毎度のWikipediaによりますと・・・
レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウ
(ロシア語: Ле́в Дави́дович Ланда́уリェーフ・ダヴィーダヴィチ・ランダーウ、
ラテン文字転写: Lev Davidovich Landau、1908年1月22日 - 1968年4月1日)
絶対零度近くでのヘリウムの理論的研究によってノーベル物理学賞を授与された。
エフゲニー・リフシッツとの共著である『理論物理学教程』は、
多くの言語に訳され、世界的にも標準的な教科書としてよく知られている。
とのことなのだけど、論理物理学ってなんだ?🤔
ランダウは1908年、ダビッド・ルボヴィッチ・ランダウの第2子として、
父ダビッドは裕福な石油技術者であった。
母リュボフは貧しいユダヤ人家庭の出身だが、科学や教育に関し非凡な能力を発揮した。
14歳でバクー国立大学物理学科に入学。
16歳でレニングラード大学に移り、1927年に19歳で学位を取得。
同年、エネルギー密度行列の概念をフォン・ノイマンと並行する形で独自に発見した。
1932年から1937年にかけてハリコフのウクライナ物理工学研究所の理論物理部長を務めた。
ここで理論ミニマムと呼ばれるカリキュラムを作り、
ソ連における理論物理学者の育成を行った。
また、エフゲニー・リフシッツとの共同で理論物理学教程叢書の執筆を始めた。
1937年、モスクワの科学アカデミー物理問題研究所の理論物理部長に就任。
同研究所長に就任したピョートル・カピッツァが発見したヘリウム4の超流動現象の理論的解明に着手した。
1938年4月28日、ランダウは同僚のYuli B.Rumer、Moisey A Koretsと共に逮捕された。
罪状はスターリンを批判するビラを作成したことである。
投獄生活は1年に及んだが、上司であるカピッツァによる懸命な嘆願活動により釈放された。
1940年代から1950年代前半にかけて、
ランダウはソビエトの原子爆弾および水素爆弾開発プロジェクトに参加を余儀なくされた。
彼はこのプロジェクトに嫌悪感を示し、最小限の仕事に留めるよう努めた。
皮肉なことに、彼の考案した数値計算手法により水爆の核出力を算出することが可能になり、
結果的に水素爆弾開発に多大な貢献をした。
1950年代、量子フェルミ液体論を展開し、ヘリウム3の物性など、
多くの物性を予言し成果を挙げた。
これらの成果に対し、1962年ノーベル物理学賞が授与された。
1962年1月7日、自動車事故により瀕死の重傷を負った。
奇跡的に一命を取りとめたものの、1968年4月1日モスクワにて没した。
とのことで、スターリン政権下でかなり闘った人なのねと尊敬しかけたのだけど・・・
自由恋愛の信奉者であり、結婚後も複数の愛人がいた。
さらに愛人をもつことが結婚生活に安定をもたらすとして、妻や弟子たちにも不貞をすすめていた。
の部分に全く共感できない😣
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