2020.09.21『82年生まれ、キム・ジヨン』鑑賞@オンライン試写
cocoオンライン試写に当選✨ いつもありがとうございます! 原作未読だけど、気になっているテーマだったので楽しみに視聴
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「結婚を機に退職し、専業主婦として家事や子育てに忙しい日々を送るキム・ジヨン。妻として、母として、そして嫁としての立場に悩みながらも頑張っていたが、ジヨンの心にはある異変が起きていた。」という感じかな🤔 原作は未読なので、どの程度忠実なのかは不明。なんとなく原作ではもう少し少女時代とか、キム・ジヨンの半生を描いている感じなのかなと思う。全く描かれないわけじゃないけど、映画としては主婦である現在にフォーカスしており、どうやら結末は原作とは違うらしい? とはいえ現代女性が抱える問題の提起にはなっていると思う。ジヨンと同じ境遇にいる、もしくはかつてそうだった人には、とても共感できるのではないかな。
毎度のWikipediaは、原作小説がメイン。映画はについては。小説を基にした同名タイトルの映画が、2019年10月23日に韓国で公開された。本作の製作会社である春風映画社の創設者キム・ドヨンの長編映画監督デビュー作。主演はチョン・ユミ、コン・ユ。韓国で観客動員数367万人を記録した。日本では2020年10月9日に公開された。オーストラリア、香港、台湾、フィリピン、シンガポール、マレーシア、ベトナム、ラオス、タイなど37の国と地域に先行販売された。という概要と、キャスト紹介があるのみ。
いろいろあって、見てから2ヶ月以上経ってしまった💦 細かい部分は覚えていないし、日常を描いているのでシーンごとに書いていくのではなく、割愛したり適当にまとめて書いていこうかと思う。なので順番が入り繰ることがあるかと思われる。毎度、どうでもいいかと思うけれど断り書きとして書いておく😌
キム・ジヨンという名前はタイトルにもある1982年生まれに多い名前なのだそう。要するにどこにでもいる普通の女性を描いているということ。まぁ、何をもって普通というのかという気はするし、普通の人の人生にだっていろいろあるとは思うけど、作者の意図としては描きたい問題を一番多く抱え込んでいるであろう世代の女性ということなのかなと思う。
キム・ジヨン(チョン・ユミ)は両親と姉、弟の5人家族の家庭で育った。母のミスク(キム・ミギョン)は、兄弟の中で誰より勉強ができ教師になりたいという夢があったが、男兄弟のために進学を諦め家族のために働き、結婚後はジヨンを含めた3人の子どもを育てながら食堂を経営している。ジヨンの母親と考えると60代くらい? その母の時点でこの状況であるということだよね。
後に、ミスクがジヨンのことで自分の夫ヨンス(イ・オル)に号泣しながら怒りを爆発させるシーンがある。おそらく全世界的に程度の差こそあれ、男尊女卑はあると思うけれど、韓国は超学歴社会で家長制度で長男に対する待遇が違うと聞いたことがある。このシーンでは如実にそれが現れている。
冒頭、夫の実家と思われるキッチンで所在なさげなジヨン。どうやら親戚の集まりのようで、後に夫の姉家族も加わる。義母は良く言えばチャキチャキしていて、悪く言えばガサツな人。初めこそジヨンも手をだすタイミングをためらうくらい仕切っていたのに、姉家族が来た頃には、団欒に加わってしまい、気づけばキッチンで働いているのはジヨンのみ。そんなジヨンを夫のデヒョン(コン・ユ)が気遣い、何かと手伝ったりフォローしたりしようとするけど、これがことごとく空回りしてジヨンの印象を悪くしてしまう😖
この辺り、なんか分かるなと思いながら見ている。自分は嫁になったことはないけど、親戚などの集まりに行くと、ある年齢になると女の子というだけで手伝わされたり、お酌させられたり。一方、弟含めて男の従兄弟たちは何もしなくてもホメられてた。男性だけでなく、女性の中にも台所仕事は女性がするものという決めつけがある。そして母親世代は自分のやり方を乱さないで欲しいと思う一方で、嫁が何も手伝わないことには不満を感じる傾向にあるように思う。
その辺りの嫁姑の微妙な感じを察知しつつも、上手く立ち回れないデヒョンが絡むことで事を悪化させてしまう。とはいえ、一体どうすればいいのか?🤔 個人的にはダンナさんは小姑である姉と連携して上手く立ち回るのがいいのかなと思うのだけど、どうかな?🤨 まぁ、義姉にも気を使うか~💦
一人で台所仕事をしていたジヨンに異変が起きる。突然、母親のミスクが憑依したように話し出す。「何故、娘ばかり働かせるのですか? 何故、私の所に来させてくれないのですか?」 義家族が呆然とする中、デヒョンが慌ててその場をとりつくろい、娘と3人で帰宅してしまう。どうやら、ジヨンがこの状態になったのは初めてではないらしい😲
原作未読なのでこの症状はビックリした! 多重人格ってこと? でも、実母という実在する人物になっちゃうことはあるのかな? この症状はこの後も度々出て来るのだけど、その都度違う人物になっていた。自分で対処できないことや、自分では言えない思いがある場合に、その人物に無意識下で代弁してもらっているということなのかな?
後に母方の祖母になって、母を兄弟の犠牲にしたことを詫び、母を号泣させるのだけど、この辺りジヨンの中で、母から聞いた記憶や、そのことに関して自分が抱いた思いが無意識下で出てしまっているということ? 疑問ばかりで申し訳ないけど、これは医学的にもある症状なのかしら?🤔 原作はジヨンの物語と共に、カルテや統計資料などが示される二重構造?らしいので、そういう症状はあるのでしょうかね? そして、それを昔の人は霊が乗り移ったとか、狐憑きとか言ってたのかしらね?
原作はジヨンが心療内科にかかり、その治療過程でジヨンの人生を振り返って行く形らしい。どうやら担当医は男性で、原因は過去に受けた女性差別にあることは診断できるのに、最後に衝撃的な発言をして読者をドンヨリさせるらしいのだけど、映画では担当医は女性で、基本ジヨンは治療を受けない。映画の早い段階で、デヒョンが病院を訪ねて相談するけど、本人が治療に来なければ何もできないと言われてしまう。まぁ、それはそうだよね。
さて、前述したとおりジヨンは5人家族で育った。母は3人をなるべく平等に育てようとしたようだけど、父親は違う。父は父なりにジヨンを愛しているらしいけれど、自然としみついた男尊女卑に気づいていない様子。多分、指摘されても悪いとも思わない感じ。突き詰めるとDVということになるのだろうけど、この父親は特別酷い人物ではなく、おそらく自分では"普通"という感覚。だから厄介。
さらに国全体が家長制度で長男を重視する風習があるため、意識的にそして無意識に弟を優先している。例えば、ジヨンが事あるごとに蒸し返すらしい父親の海外旅行のお土産の話は、自分と姉はノートで弟だけ万年筆を買って来たというもの。父親としては差別しているつもりはないのだろうけど、された方は辛い。笑い話の部分もあるとは思うけれど、ジヨンが何度も繰り返し言ってしまうのは、その時点で自分も同じように愛されているという実感が得られなかったから。子どもだから直ぐ忘れてしまうだろうと軽く考えがちだけど、子どもだからこそ敏感だし、傷はなかなか根深く残るものなんだよね。
この父親とジヨンのエピソードがもう1つ入る。塾帰りのジヨンがバスの中で痴漢に遭う。異変に気付いた女性がジヨンを助け、父親が迎えに来るまで付き添ってくれる。遅くなる時には迎えに来てくれているようなので、父親としては娘を心配しているわけで、それ故の発言だとは思うけれど、ジヨンに隙があるからだと言ってしまう。女の子なのだから気をつけろという意図なのだろうし、自衛は絶対に必要なのだと思うけれど、痴漢をした人間が一番悪いのだし、ジヨンが感じた恐怖や嫌な気持ちにもう少し寄り添って欲しかったと思う。
男の人の中には女性を性的に見ることを良いことのように思っている人もいるようだけれど、大部分の女性にとってそれは不快で怖いものなのだということを分かって欲しい。もちろん女性にも性欲はあるけど、それとこれとは違う。人にもよるけど、思春期の女の子にとって、自分が性的に見られたことは、自分が汚いものに感じてしまうのではないかな。少なくとも自分はそうだった。
女性は性的関係を持てば妊娠のリスクがある。だから本能的にストップがかかるようにできていると聞いたことがある。それが不快感であり、恐怖感なのだと思う。ジヨンがまさにそういう状態でいる時に、お前が悪いのだと受け取れるような言葉を掛けるのは、傷口に塩を塗るようなもの。
2つのエピソードは、父親の言葉だけ見ると、父親側とジヨン側では重さが全く違う。そして、それらの言動にはやっぱり無意識下の女性差別がある。悪気はないからこそ傷つくし、いつまでも残る。
ジヨンの夫デヒョンは、今でこそ彼女を気遣って家事や育児も参加しているけど、以前はそうではなかったらしい。家に帰れば脱いだものはそのまま。座ったまま何もしない。ジヨンは専業主婦だから、家事負担が多いのは分かるけど、自分の脱いだものくらいは自分で片づけて欲しい。主婦は女中さんではないのでね😥 まして子育てしているのだから。
全ての男の人がそうとは言わないし、脱いだ服を片づけないからDVだとも思わない。女性の中にもお世話をすることが好きな人もいると思う。でも、大方の女性は程度の差はあれど、いい気持ちはしていないと思う。人によっては見下されていると感じるかもしれない。
DV男性の多くは妻を躾けなければと考えているらしいけれど、あなたの妻はすでに両親から躾を受けた大人の女性なので、あなたに躾けられる必要はないし、その躾と称しているものは、たいてい自分の都合のよい妻になって欲しいということだよね? 逆に自分の脱いだ服を片づけられない人の方こそ躾が必要なのでは? 妻はお母さんではないし、母親であっても成人男性にしてあげる必要はないと思う。もちろんお互いが合意ならば問題はないですけども😌
かなり熱弁してしまったけど、夫も子供もいない自分でもジヨンの辛さが分かってしまうところに、夫婦関係の長年の歪みがあると思うし、これは洋の東西を問わずあって、その根本はやはり男尊女卑にあると思う。
現代女性が直面している女性差別問題のもう一つ大きなものとしては、やっぱり仕事なのかなと思う。ずいぶん変わってきていると思うけれど、女性の管理職はまだまだ少ないし、医学部入試の問題など女性というだけで不利になるケースはまだまだ多い。確かに力仕事では男性にはかなわないけど、全てにおいて男性の方が優れているというわけではないはず。
例えば、1970年代以降アメリカでは交響楽団ではカーテン越しに審査するようにしたのだそう。その結果、女性団員の割合が劇的に増えたのだとか(こちらの記事を参照 カーテン1枚で変わった男女差 無意識の偏り気づくには)この審査方法を導入する前は、あのレナード・バーンスタインも自分たちは公平に音で審査していると言っていたそうだけれど、結局は男性の方が優れているはずだという思い込みがあったということだよね😑
まぁ、どんなに平等であっても、女性にしか妊娠出産はできないわけで、体調面でのリスクを含め一定期間仕事を休まないわけにはいかず、その辺りのバックアップを受けられなければ、女性が仕事を諦めるか、夫婦間で子供を諦めるかって話になってしまうよね。出生率の低下にはいろいろな要因があると思うので一概には言えないけれど、やっぱり仕事か子供かとなった時に、仕事を選ぶもしくは選ばざるを無い状況になることが、一因となっている部分はあると思う。
その辺りのことは頭のいい人たちがいくら考えてもいい案が出ないのだから、普通のオバちゃんに解決策が見つけられるわけもないのだけど😅 でも、国は子供を産んで欲しいと言いながら、仕事もして欲しいと言うけど、両立するには様々なバックアップが必要なのに、その整理も整備もないまま、子どもを産め、仕事をしろじゃ女性の負担が増えるだけだよね?
ちょっと熱くなってまた話が反れちゃった💦 ジヨンは結婚前に広告代理店で働いていたようで、特別優秀でも特別ダメでもない普通の社員だった。女性の上司は社内で唯一の女性管理職。この方仕事もできて頭が良くて冷静。男性上司のイヤミもスルリとかわすスマートさなのだけど、やっぱり女性ということで、男性社員たちから煙たがられている印象。
ジヨンはその状況でも自分たちを引っ張ってくれるこの上司に憧れており、任された仕事を頑張って評価される。でも、結局ジヨンは結婚のため仕事を辞めたんだよね。その際のことは描かれてなかったように思うし、少なくとも映画ではジヨンが仕事にやりがいを感じ始めているっぽい描写はあるものの、苦渋の選択でやめたという描写はなかったと思う。
ただ、このジヨンの社会人時代を描いているということは、彼女には別の人生もあったけれど、その道を選ばなかったもしくは選べなかったということを描きたいのかなと思った。そして、この上司はジヨンに大きな変化をもたらす。
元同僚とランチをした際に、この元上司が退職し、新しい会社を立ち上げたことを聞く。ジヨンは元上司に会いに行き、是非入社して欲しいと言われる。デヒョンに相談すると喜んでくれるけれど、では娘はどうするのかという話になり、ジヨンは話し合う前に既に諦めてしまっている。ジヨンには自分が我慢すれば丸く収まるという対処法?が染みついてしまっているし、諦めることが普通になっている。これって、自分という人格を封じ込めてしまっているわけで、これが続くと精神を病むよねきっと。
これに対しデヒョンは自分が育休を取るというけれど、これを聞きつけた義母からジヨンは激しく非難されてしまう。たしか、ジヨンはこのことがきっかけで娘を連れて家に帰ったと思う。電車内で娘ちゃんが💩をしてしまったりと、これまた道中いろいろある💦 で、実家で父親に怒られたんだったかな? きっかけは忘れたけれど、とにかく実家で母親の母親、つまり祖母の人格になってしまう。祖母にとっての娘である母を家族の犠牲にして夢を奪って悪かったと詫びる。この言葉と娘の姿に母は号泣する。
この時、母の怒りは夫である父親に向けられる。どうして息子ばかりかわいがるのか? どうして娘のことを考えてあげないのか? それは母自身の心の叫び。資金がなく姉弟(もしくは兄妹)のうち1人しか大学に通えないのであれば、どんなに女性の方が優秀であっても、我慢するのは女性だし、どんなに仕事ができても会社内では様々な格差があるし、夫婦どちらかが会社を辞めなければならないならば、やっぱり女性が会社を辞めることになる場合が多い。
専業主婦であっても育児は妻だけのものというわけでもないのに、妻にかかる負担が大きい。まして、共働きなのに家事も育児も女性がするものという考えの男性がまだまだ多い。ならば仕事を辞めればいいと言う男性も多いけど、女性にも仕事で活躍したい、やりがいを得たいという夢や思いがあることも分かって欲しい。
TwitterのTLに流れて来たあるツイートが興味深かった。フォローしている方ではないので、どなたなのかも不明だし、正確な言葉も覚えていない。主旨としては、同僚の男性たちが女性が結婚後も仕事を続けることに対して、あまり良く思っていない発言をしていたので、ではあなたたちは仕事を辞められるのかと問うと、それは無理だと答えた。なので、もしかしたらあなたたちの奥さんは仕事を諦めたのかもしれないと話すと、何か感じるところがあったようだというもの。
この男性たちの思考の根底にあるのが「男が働き妻はそれを支える者」という昔からの固定観念。もちろん、その関係をよろこんで受け入れている女性もいると思うので、全否定するつもりはないけれど、自分が気になるのは男性側のみ無条件で支えてもらえると思っていること。奥さんはあなたのお母さんではなく、夫婦なのだから立場は対等なはずで、妻の支えを求めるならば、夫も妻を支えるべき。そして、それは働いてお給料を得ることだけではないはず。その視点がいつまでも平行線なのかなと思う。
話を映画に戻す! この騒動の後、弟は姉の家を訪ねるのにジヨンの好物を買って行きたいと考える。でも、何が好きなのか分からないので父親に電話で聞く。すると父親はあんぱんが好きだと断言する。でも、実はジヨンはあんぱんが苦手だったというオチ。これはコミカル要素なのかもしれないけれど、父親も弟もジヨンの好物を知らないし、それまで知ろうともしなかったと言えるのかもしれない。まぁ、父親はキーワードは合っていたし、弟も姉を気遣おうという気持ちが芽生えたわけで、それは少し希望が持てるのかなと思う。事実、弟はあの万年筆をジヨンにくれたのだった。
一方、ジヨンは夫のデヒョンから時々自分の人格が変わっているという事実を聞かされる。にわかには信じられないジヨンに、デヒョンは動画を見せる。ここに至りジヨンは自分の中に溜まっていた思いが、とても大きく重いものであったこと、それをため込んでいたことが、自分をいかに蝕んでいたかを知る。このシーンは泣いてしまった😭 デヒョンも辛かったと思う。
ジヨンは心療内科に行き、治療を始めることになる。帰りにカフェに立ち寄ると、女性1人を含む男女3人のサラリーマンがジヨンをママ虫と揶揄する。夫が働いたお金で優雅にお茶しているという状況が、夫に寄生しているということらしい? 例えそうであっても人の事は放っておけよと思っていると、ジヨンが反撃! 何故あなたはそんなに私をバカにするのか?
別に仕事をしているから偉いわけじゃないし、例え偉かったとしても見ず知らずの人をバカにしていいことにはならない。その人にどんな事情があるかも知らないで、勝手に決めつけるべきではない。このシーンのお店がファストフード系で、決して贅沢しているわけじゃないのも狙いなんだと思う。そして、理不尽なことには女性も声を上げることが出来るのだということを表しているんだと思う。
映画はデヒョンが娘の面倒を見ていて、ジヨンがパソコンで小説?を書いているシーンで終わる。全て丸く収まった的な終わりに少し物足りなさを感じるものの、見ている側が何かを感じたならば、このラストをお手本にするのではなく、ここから先の未来を自分たちで作らなきゃならないということなんだと思う。
役者たちは皆良かった。自らも男性優位社会の犠牲になり、娘たちを憂いながらも、思うようにしてあげられずに悩む母のキム・ミギョンがとても良かった。特に祖母の人格になってしまったジヨンに涙するところ。娘を思う気持ちと共に、娘を通した母の言葉に心振るわす感じが素晴らしかった
夫デヒョンのコン・ユも良かった。このダンナさんいい人なんだよね。でも、実はジヨンを絶望させた過去がある。一番身近にいながら彼女の思いに気づけず、ついには心の病を抱えさせてしまう。それに気づいてからは彼も苦しかっただろうし、デヒョンなりに頑張っているのだけど、ほとんどが空回り💦 でも、それがこの問題の根深さを表している。夫が悪役になってしまうのは違うと思うし、理想の夫になってしまうのも違うのだと思う。彼の存在が社会全体の差別とも思われていない差別を明らかにし、それをデヒョンが気づくことで根深さを表していいるのだと思うので、そういう意味で良い人イメージのコン・ユのキャスティングは絶妙だと思う。
そして、ジヨンのチョン・ユミが素晴らしい。全ての女性の代表というわけではないけど、意図されているのは平均的な女性。全く自己主張しないわけでも、主張し過ぎるわけでもない。でも、社会の男性 > 女性という空気や、積み重ねられた女性だから、姉だから、妻だから、母だからという押しつけに自信を失い、声を奪われていく感じ。諦めが日常になっていて、もはや自分でも諦めていることに気づかず、明るく振る舞いながらも、ビックリするほど空虚な感じが絶妙で、人格が変わってしまう演技もやり過ぎず、病んでしまっている人になっていない。イヤ、病んでいるのだけど、病んでいる人の話ではなくて、何故病んでしまったのかを見せる作品なので。その辺り素晴らしかったと思う
ちょっと調べてみたところによると、1982年頃というのは女の子だと分かると堕胎されることが多かったそうで、原作ではジヨンの母も堕胎しているのだそう。それは行き過ぎ。1982年ってそんなに大昔じゃないのに。これはちょっと絶句した。
男性には男性のプレッシャーや生き辛さがあると思う。でも、やっぱり女性は産む性というだけで理不尽な目に遭うことが多いと思う。知識が不足していて、子どもができない嫁は離縁されていた昔ならばまだしも、現代でも子供ができない、産まないことでいろいろ言われるのは圧倒的に女性の方が多いと思う。男性側に原因がある場合もあるのに、そこに思い至らないのは昔からの刷り込みがあるからなのかなと思う。ましてや性別の産み分けまで女性のせいにされたのではたまったものではなく、挙句に働け家事もしろではねぇ😒
また熱くなっちゃったけど、ラストに希望がある分原作よりマイルドになったと感じる方が多いようで、まぁその辺りは大人の事情もあるのかなと思いつつ、問題提起にはなっているかなと思う。女性は共感しちゃって苦しいかも? 男性に是非見て欲しい。
『82年生まれ、キム・ジヨン』公式サイト