スロージョギングと写真のブログ

ウォーキング、ジョギング、ママチャリで出あった季節の花や風景写真で日々の出来事・雑感をつづっていきます

最近心にとまった詩

2011年02月18日 | リタイアメントライフ

■ 先日、「柴田トヨ」さんの詩に感動しましたが、

次の「茨木のり子」さんの詩にも、なにかを感じますね。

<倚りかからず>  

      もはや

     できあいの思想には倚りかかりたくない

     もはや

     できあいの宗教には倚りかかりたくない

     もはや

     できあいの学問には倚りかかりたくない

     もはや

     いかなる権威にも倚りかかりたくない

     ながく生きて

     心底学んだのはそれぐらい

     じぶんの耳目

     じぶんの二本足のみで立っていて

     なに不都合のことやある

     倚りかかるとすれば

     それは

     椅子の背もたれだけ

 

<自分の感受性くらい>  

       ぱさぱさに乾いてゆく心を

     ひとのせいにはするな

     みずから水やりを怠っておいて

     

     気難しくなってきたのを

     友人のせいにはするな

     しなやかさを失ったのはどちらなのか

     

     苛立つのを

     近親のせいにはするな

     なにもかも下手だったのはわたくし

     

     初心消えかかるのを

     暮らしのせいにはするな

     そもそもが ひよわな志にすぎなかった

     

     駄目なことの一切を

     時代のせいにはするな

     わずかに光る尊厳の放棄

 

 

     自分の感受性くらい

     自分で守れ

     ばかものよ  

 

<わたしが一番きれいだったとき>

         わたしが一番きれいだったとき
        街々はがらがらと崩れていって
        とんでもないところから
        青空なんかが見えたりした

        わたしが一番きれいだったとき
        まわりの人達が沢山死んだ
        工場で 海で 名もない島で
        わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

        わたしが一番きれいだったとき
        誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
        男たちは挙手の礼しか知らなくて
        きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

        わたしが一番きれいだったとき
        わたしの頭はからっぽで
        わたしの心はかたくなで
        手足ばかりが栗色に光った

        わたしが一番きれいだったとき
        わたしの国は戦争で負けた
        そんな馬鹿なことってあるものか
        ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

        わたしが一番きれいだったとき
        ラジオからはジャズが溢れた
        禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
        わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

        わたしが一番きれいだったとき
        わたしはとてもふしあわせ
        わたしはとてもとんちんかん
        わたしはめっぽうさびしかった

        だから決めた できれば長生きすることに
        年とってから凄く美しい絵を描いた
        フランスのルオー爺さんのように ね

 

ラン&スイム      
          新習志野プール   1.5k   (来週は、プールのメンテナンスで一週間休館)

         当月 R=76k S=9.2  年間累計  R=318k S=19.9km 

コメント
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