まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第21回四国八十八所めぐり~第81番「白峰寺」

2018年10月17日 | 四国八十八ヶ所
白峰寺の山門前に立つ。18世紀に建てられたものだが、両側に仁王像が立つものではなく、高麗様式というものだそうである。山門をくぐると右手の客殿の門である御成門がある。寺というよりは屋敷の雰囲気である。

山門を入った突き当たりには護摩堂がある。本堂、大師堂はさらに石段を上ったところにあり、足腰の弱い人はここで代わりにお参りくださいとの立札もあるが、ここまで西行法師の道を上がって来たのだからもう何段かは上がらなければならないだろう。なお納経所は護摩堂の中に併設されているので、またここに戻ってくることになる。

急な石段が50段くらいあったか。上りきったところが本堂である。

白峰寺は弘法大師と智証大師の両方で創建されたと伝えられる。まず弘法大師が白峰山頂に如意宝珠を埋めて衆生救済の請願をしたとされる。また智証大師は山頂に輝く光を見て白峰山に上り、白峰大権現の神託を得て、瀬戸内海に浮かぶ不思議な光を放つ霊木に千手観音を刻んで安置したとされる。智証大師もこのところちょいちょい顔を出すようになっている。こちらの本堂は慶長4年(1599年)に再建されたもので、現存する寺の建物としては最も古いものである。なお、白峰という名前は、白峰、黒峰、黄峰、青峰、赤峰という五つの色の名前を冠した峰の一つで、「五色台」という名前はそれから来ている。

連休中のためかお参りをする人の姿も目立ち、次々に白衣、笈摺姿の人たちがやって来る。大師堂は本堂に向かって右手に並ぶ形で建っており、本堂でお参りするとそのまま横にずれて大師堂にも手を合わせる。まずはここまで来たこと、そしてこの先も無事に歩けるよう祈願する。

先ほど境内の石段を上って来たが、一番上の段に本堂、大師堂があり、さらには阿弥陀堂がある。脇を下りる石段もあり、中段には行者堂、下段には薬師堂があり、寺全体で十は二支の守り本尊が祀られているという。なお私の干支の丑年の守り本尊の虚空蔵菩薩は中段の行者堂に祀られており、こちらもしっかり拝んでおく。

石段を下りきったところにもう一つ門がある。この奥にあるのが頓証寺殿である。山門から入って来て護摩堂のところで曲がった突き当たりにあるので、最初はてっきりこちらが本堂なのかと思った。この頓証寺殿は崇徳上皇の御廟所である。室町時代に後小松天皇が崇徳上皇の成仏を願い扁額を奉納しており、現在の建物は江戸時代に再建されたものである。扉が閉められて見えないのだが、門の両脇には源為義、為朝親子の像が祀られているそうだ。ともに保元の乱で崇徳上皇側についたが敗れ、為義は同じ息子の義朝の手で斬首、為朝は八丈島に流刑となった。普通の仁王像ではなくこうした人物の像があるというのも、崇徳上皇ゆかりの地らしい。

この頓証寺殿のさらに奥には崇徳上皇白峰御陵の遥拝所があり、脇には西行法師の石像もある。四国の札所で、ここまで特定の年代の歴史上の人物が登場するところというのはあまりなかったのではないかと思う。御陵だけではなく後に御廟所や遥拝所まで設けられるとは、崇徳上皇の怨霊というものがどれだけ恐れられていたのかと思うが、一方で崇徳上皇は讃岐、四国の守り神として信仰を集めたという見方もあるそうだ。そうした歴史の一端がうかがえるのも面白い。

護摩堂まで戻り、奥に祀られている不動明王に手を合わせた後、ご朱印をいただく。時刻は10時半を回ったところだ。

次は根香寺を目指すが、ここからは昔ながらの遍路道が残るコースである。丁石があり、根香寺までは五十丁(一丁=約109メートル)だから5.5キロほどの距離である。ものの本では2時間ほどかかるという。ちょうど昼にかかるかなということだが、どのくらいの山歩きになるだろうか。車道との境界である鎖をまたいで遍路道に行く。
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第21回四国八十八所めぐり~崇徳上皇葬送の地へ

2018年10月16日 | 四国八十八ヶ所
独立リーググランドチャンピオンシップは15日に前橋で第4戦が行われ、4対2で群馬ダイヤモンドペガサスが勝利して、香川オリーブガイナーズに対して3勝1分で見事独立リーグ日本一となった。井野口、富田に本塁打が出て、第2戦で完封したトーレスが完投勝ちを収めた。「力」の群馬が「技」の香川を圧倒した形である。ペガサスナイン、そしてファンの皆様、おめでとうございます。

また一方で、今月25日にはNPBのドラフト会議が行われる。今年のドラフト会議は甲子園を沸かせた高校生たちに注目が集まっているが、私としては独立リーガーが何名指名を受けるのかも楽しみにするところである。

さて話を8日、八十八所めぐりの2日目に戻す。この日は81番の白峰寺、82番の根香寺を訪ねる。ルートとしては高松からいったん坂出に移動して、琴参バスで高屋というところまで乗る。ここからは歩いて2つの寺を回り、前日訪ねたレクザムスタジアム近くの根香口というバス停まで行く。そこから高松駅に戻るというものだ。途中五色台の山越えがあり、合計で12キロほどの歩きとなる。坂出からのバスは一日数本というレベルで、土日祝日ダイヤだと8時40分発の始発に合わせて動くことになる。これなら高松を極端に早い時間に出発することもない。

朝風呂にも入り、6時半からホテルのレストランでバイキング形式の朝食を取る。宿泊したセンチュリーホテルではバイキング形式の朝食の価格設定が2種類あり、パン、サラダ、ゆで玉子のビジネス型と、ごはんや和洋のおかずも含んだ一般型がある。受付で渡されるトレーの色で区別されており、後者ではお椀に入った一口サイズのうどんもあり、自分で湯通しして出汁をかけて味噌汁代わりに一杯いただく。

少し早いが、7時48分発のマリンライナー12号に乗ることにして、高松駅に向かう。そこに停まっていたのは寝台特急の「サンライズ瀬戸」。この日は琴平まで延長運転するようで、そのための長時間停車となっている。高松で下車したのか乗客はほとんどいないようだが、買い物をしたり、朝食をホームの「連絡船うどん」でとっているのかもしれない。大阪では見ることのない車両なだけに、より珍しく感じる。

マリンライナーで前日通った国分や八十場は一気に通過して、坂出に到着する。この駅も何度も通っているが、改札口を出るのは初めてである。8時40分発のバスの時間まで30分以上あるが、駅前のイオンが7時から開いており、この先の飲み物などを仕入れておく。またバスの路線図も見るが、瀬戸大橋を渡り、与島で乗り継いで児島まで行くローカルバスの便があるのを見つける。1日7~8便ほどだが、こういう四国の渡り方というのも面白いかと思う。

やって来たバスは王越線の木沢行きで、乗客は私ともう一人だけ。坂出の市街地を過ぎ、田園風景の中を行く。

20分近く揺られて9時に高屋というバス停に着く。これから目指す白峰寺への公共交通機関の最寄停留所で、道案内ではここから6キロとある。思っていたより長い距離だ。6キロだったら1時間半以上かかるかな。今回大阪への帰りは高速バスを予約しており、そこから逆算すると根香口15時42分発のバスに乗る必要があるのだが、果たして大丈夫だろうか。今回は笈摺の着用は省略して、金剛杖をカバーから取り出して歩き始める。

まずは緩やかな上り坂を歩く。500メートルほどでカーブになっているが、その角に神社の鳥居が見える。高家神社(血ノ宮)、観音寺とあるので立ち寄ってみる。鳥居の扁額には「高家神社」と「崇徳天皇」が併記されており、こちらも讃岐に流された崇徳上皇と関係がありそうだ。

崇徳上皇が讃岐で亡くなり、その遺体を清水に浸けていると光を発したことから八十場の地に白峰宮、そして天皇寺ができたことは先の記事でも触れた。その遺体を八十場から白峰山の頂上へ葬送していると、その途中この地で風雨雷鳴が起こった。葬送の列はしばらく棺をこの地に置いて一時待機したが、棺を休めた台の石に血が流れ出たという。これに恐れた人々はこの地に神社を建て、崇徳上皇の御霊を奉納したとされている。

また、高家神社の神宮寺なのか、境内には観音寺という寺院が併設されている。こちらは四国曼荼羅霊場の一つであり、崇徳上皇の念持仏だった十一面観音像を本尊としている。また奥には三面大黒天を祀るお堂もある。今回は国分寺、崇徳上皇と結構古い時代の歴史に接している形である。

高家神社の前から本格的な上りになる。ただ車道も広く、それほど急勾配というほどでもないので歩きやすい。斜面のみかん畑の向こうには田園地帯と瀬戸大橋を望むことができる。こういう角度から橋を眺めるのも初めてである。

左手に斜面を見ながら車道を行くうちに、白峰寺まで車道4キロ、歩道1キロという分岐の看板が現れた。高屋のバス停から2キロほど歩いたことになるが、なるほどこの差というのが、車道の道案内を見た時に当初思っていたのと比べて感じた差だったのか。それにしても、クルマで4キロかかるところを1キロで行くというのは近道だが、絶対何か裏がありそうだ。どうせ急な上り坂があるとか。

ここからは崇徳上皇と西行法師の和歌の石碑が道端に並ぶ。落語のネタ「崇徳院」に出てくる「瀬をはやみ~」の碑もあるだろうか。西行法師は崇徳上皇が亡くなって3年後に白峰山を訪ね、崇徳上皇の亡霊とも対面したとの言い伝えがある。それを記念してか、「西行法師の道」として2004年に整備した道だという。だから昔ながらの遍路道とは異なるが、白峰寺への徒歩ルートになっている。

最初は石畳の道で、沿道の石碑も流し目で見ていたが、途中からはるか上まで上る石段となった。やっぱりな・・・。何段あるのか数えるのもうんざりなのでそのまま黙々と、しかし途中で休みながら上がる。「瀬をはやみ~」の碑があったかどうかはどうでもよくなった。

石段を上りきると、崇徳上皇の白峰御陵の案内の立札が出る。その方向には御陵に見られる柵があるが、その前にはまだ石段が・・・。石段はもういいやと、石段の下から手だけ合わせる。なお歴代の天皇陵で四国にあるのはここだけだという。

御陵を過ぎて20段ほどの石段を上ると白峰寺の駐車場に出た。結構多くのクルマが停められており、白衣や笈摺姿の人も目立つ。結局石段でショートカットした形になり、高屋のバス停からは高家神社のお参りなど含めても50分ほどで着いた。まず最初の上りを終えて、これで見込み通り、高松までのタイムリミットまで何とかつながりそうだ。白峰寺のお参りについてはまた次の記事にて・・・。
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第21回四国八十八所めぐり~観戦記・独立リーググランドチャンピオンシップ第1戦香川対群馬@高松

2018年10月14日 | 四国八十八ヶ所
独立リーググランドチャンピオンシップの第1戦・香川オリーブガイナーズ対群馬ダイヤモンドペガサスは、高松のレクザムスタジアムで7日の18時30分から行われた。

球団のホームページでシャトルバスの案内があり、1便は16時40分に高松駅発とある。ただ高松駅発とざっくり言われてもな・・・と思う。田舎の駅ではなく四国の玄関駅で、バス乗り場も多くあるのだが、どこから出るとは書かれていない。一応貸切バス扱いの12番乗り場に「ガイナーズシャトルバス」という文字があるので、ここかなと待ってみる。まあ、時間になれば地元ファンらしい人が来るだろうから、その流れに沿えばいいか。他にも2人バス待ちらしい人がいた。

そこへ、ガイナーズのレプリカシャツを着た人がやって来た。こういう人が来るのならバスはここで良かったのだなと思っていると、「すみません、スタジアムのバスはここですかね?」と逆に訊かれてしまった。これを機に、バスを待つ間少し言葉を交わす。「群馬って強いんですよねえ」「(愛媛に競り勝った)チャンピオンシップの戦いができれば大丈夫」と楽しみな様子である。大阪から来たというと「どちらを応援しますか」と尋ねられる。この試合に関してはオリーブガイナーズの勝利を期待している(だからというわけではないが、八十八所めぐりの金剛杖も持って来た)。まあ、前橋で同じことを訊かれたらダイヤモンドペガサスと答えるんだろうなあ・・・。

さてバスは・・・と思っていると、車体にオリーブガイナーズのロゴが入った定員20人ほどの「マイクロ」バスがやって来て、待っていたスペースとは別の路肩に停まった。慌てて移動する。ロゴを見て初めてバスに気付いた人が他にも何人か集まってきて、合わせて10人ほどが乗り合わせた。この後20分ほどかけてスタジアムに移動し、スタンドの入口の真ん前に横付けされた。

17時30分の開門に先立ち、ちょうどチケットの販売が始まったところで数十人の行列ができている。ガイナーズのチームカラーの緑をまとった人が多く、あちこちで常連ファン同士の挨拶が交わされる。その中でダイヤモンドペガサスの白地にスカイブルーのロゴが入ったレプリカユニフォーム姿の一団がいる。前橋から応援バスを仕立ててやって来た団体だろう。四国アイランドリーグとBCリーグの対戦は普段ないことで、これら応援団同士の挨拶も交わされている。

入場までの間には200人以上が列を作り、スタッフもチェーンで導線を作るのに大慌てである。独立リーグ日本一決定戦となると普段とは勝手が違うのだろう。

そして開門、一塁側のベンチ上の席に陣取る。また、コンコースではクイズに答えて抽選で香川の特産品が当たるというのをやっている。お題は「この日対戦するのは、『○○』ダイヤモンドペガサス」というもので、とりあえずエントリーしてくださいというものだ。

グラウンドではちょうど選手たちの試合前練習も終わりのところである。まずは腰を落ち着けたところで、早速今回の夜の八十八所として一杯やる。球場でゆったりと夜風を受けながらのビールというのもいいものだ。

18時すぎ、まずは両チームの監督がメンバー表の交換に出る。香川はアイランドリーグ創設時から長くチームを率いる元カープの西田真二監督、一方群馬は就任3年目で2回目のリーグチャンピオン、2年前は独立リーグ日本一にもなった元ドラゴンズ、ライオンズの平野謙監督。ともに独立リーグの指導者として申し分ない実績を残している。試合前の評価では、「力」の群馬、「技」の香川という見立てだった。

この後は両チームの監督、コーチ、選手がマウンド周辺に集まり、チャンピオンシップの記念撮影。そしてメンバーの紹介となる。香川の人たちは心優しく、群馬の選手たちにも大きな拍手を送り、特に主砲のカラバイヨの時は拍手も大きかったように思う。

さて試合開始。香川先発は今季6勝の畝。登場曲が名前(UNE)にちなんでか、DA PUMPの「U.S.A.」。これにはスタンドもあのポーズで盛り上がる。

初回、群馬先頭の青木がセンターへの当たりを放つ。青木は俊足を飛ばして二塁へ。続く藤井は四球で無死一・二塁と早くもチャンスを迎える。ここで登場するのはBCリーグ創設時からのベテラン・井野口。今季も70試合出場で23本塁打、84打点と長打力は健在だ。ここは外に逃げるボールで空振りの三振となる。

そして迎えるのはカラバイヨ。こちらは27本塁打、86打点とリーグの2冠王だ。センターに大きな当たりを飛ばすが追いついて凡退。

大砲2人を抑えて二死までこぎつけたが、続く富田がセンター前にタイムリーを放ち群馬が1点を先制する。

一方の群馬先発は5勝の柿田。ストレートは140キロを軽く超える。初回から地元香川の大きな声援が飛ぶがまずは三者凡退。

それでも2回裏、香川は2つの四球とエラーで無死満塁の絶好のチャンスを作る。一気に逆転と行きたいところだったが、続く白方が4-6-3と最悪の併殺打。この間に三塁ランナーが還って1対1の同点となるが惜しいチャンスを逃した。

直後の3回表、群馬先頭の青木がセンターの頭上を越す打球を放ち、一気に三塁まで行く。一死後にまた井野口、カラバイヨという大砲が登場で勝ち越し打がかかるところだが、ここも上手く打ち取って井野口は空振り三振、カラバイヨはショートゴロでピンチを脱する。

4回からは香川の投手は石田に交代。チャンピオンシップは7日、8日の次は13日なので、先発型投手でもどんどん中継ぎに注ぎ込むことができる。好守もあり無得点に抑える。

そして4回裏、加藤の四球の後、中村がチーム初安打となるレフトへのタイムリー二塁打を放つ。これで2対1と勝ち越し、スタンドも盛り上がる。

すると群馬ベンチは先発の柿田をあきらめ、今季12勝のセンテノを送り出す。こちらも150キロ前後のストレートで押しまくる。この投球の前にクリス三振、白方はバントを試みるもキャッチャーフライ、井戸川三振と後が続かない。

5回表には先頭の鹿沼がライトへの打球。ライトがもたつく間に一気に三塁に進む。青木が四球で続き、藤井にタイムリーが出て2対2の同点となる。なおも無死一・三塁で井野口、カラバイヨとなるが、ここは石田が連続三振でしのぐ。おそらくこの2人に対して香川は徹底的にマークしていたのだろうか、この後の打席も2人からはヒットは出なかった。

ただ香川打線もセンテノの前には沈黙で、4回2三振の後は、5回から6回にかけて4者連続三振。四国にはなかなかこうしたパワーピッチャーが少ないためか苦戦しているようだ。

5回終了時には先ほどのクイズの抽選会。なかなかこういう抽選に当たるものではない。ここまでで持参してきた「燃料」が切れたために、追加を購入する。お金を払うと、氷水の入ったケースから勝手にどうぞというスタイル。

7回表、香川は3人目の又吉が登板したが、先頭の鹿沼に二塁打、バントで一死三塁となって藤井にこの日2本目のタイムリーを許す。これで3対2、群馬が再び勝ち越した。

そして7回裏には緑のジェット風船が飛ぶ。何とか1点をというところだがセンテノの前にあっさりと三者凡退。

逆に8回表、香川4人目の箱島に対して、二死から途中出場の李がレフトへの本塁打を放ち、4対2と突き放す。試合の流れが徐々に群馬に向いて行った。

8回裏、香川打線がようやくセンテノを攻略する。先頭の途中出場の梶原がライト前ヒットを放ったのに続き、妹尾が三塁へのバントヒット。次の岡村のバントはセンテノが三塁に送球して封殺したが、それでも一死一・二塁。スタンドからはホテル・カリフォルニアのメロディに乗せたチャンステーマが続き、打者もファウルで粘るが結局無得点。9回表は香川の抑え・原田が群馬打線を退け、最後の攻撃に託す。

9回裏は群馬の抑え・荻野が登板し、難なく三者凡退。4対2、第1戦は群馬の勝利となった。勝利投手は中盤好投したセンテノ、荻野にセーブがつき、敗戦投手は3点目を許した又吉となった。3時間11分はなかなか内容の濃い試合で、香川が負けたのは残念だったが楽しませてもらった。なおこの試合の観客は870人ということで、もう少し入ってもよかったのではないかと思う。

試合終了の20分後には送迎バスが出発するというのでそうゆっくりもしていられないのだが、試合後は恒例のお見送りである。香川の試合は8月に観戦して何名かの選手のご朱印・・もといサインをいただいたのだが、西田監督のものがまだだった。せめて監督の分だけでもと思っているとちょうど選手の後に出てきたので、名鑑に書いてもらう。敗戦のショックという様子はなく、「明日頑張りますよ!」と力強い声だった。

もう一人意外だったのが、元スワローズ、ドラゴンズの川崎憲次郎投手コーチ。いつの間にここにいたのかという感じだった。

そろそろバスの時間も近いということで乗り込んだ。行きは3便に分かれての運転だったが帰りは2便ということで、行きよりも乗客の数は多く席はほぼ埋まった。15分くらいで高松駅に戻って来た時には10時を大きく回っていた。ホテルには5~6人入れる大浴場があり、一風呂浴びた後はブログ記事を書くこともなくそのままコテンと寝てしまった・・・。

四国八十八所めぐりの中で1県で1回は四国アイランドリーグの試合を観戦する・・・これを私なりのミッションの一つとして四国を回ってきた。球場に金剛杖を持ち込むという無茶ぶりでここまで鳴門、高知、宇和島、川之江、丸亀と来て、札所が80番台になって最後は高松、それも独立リーグ日本一決定戦という巡り合わせ。それぞれの地域の楽しみを一緒に味わえたということで、札所と合わせてよい思い出となった・・・。

・・・さて、今回の初めに「時系列で書きます」としたにも関わらずここで先回りする形になるが、チャンピオンシップのその先の結果にも触れておく。

第2戦は翌8日に丸亀で行われ、3対0で群馬が連勝した。この試合は群馬先発でリーグ最多勝(15勝)のトーレスの150キロ超の投球の前に香川が完全に沈黙して、ヒットはたった1本、17三振というものだった。また香川にはエラーでの失点やチャンスでの走塁死もあったようで、連敗と後がなくなった。

そして13日、前橋に舞台を移しての第3戦はシーソーゲームとなった。初回に香川が暴投で1点を先制したが、その裏に群馬青木の先頭打者本塁打で同点として、2回裏に2点追加。4回に三好のタイムリーなどで3対3と追いつくが、その裏にカラバイヨが2点タイムリーを放つ。その後5対4と群馬1点リードの8回に、香川白方の2点タイムリー二塁打で6対5と逆転。しかしその裏に群馬藤井のタイムリーで6対6となる。そのまま延長10回、規定により引き分けとなった。

群馬2勝1分と日本一に王手をかけた状態には変わりないが、香川としては首の皮1枚つながった形である。これから行われる第4戦以降、どのような試合になるだろうか・・・。
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第21回四国八十八所めぐり~香川「独立」の父

2018年10月13日 | 四国八十八ヶ所
予讃線で高松駅に戻って来た。球場に移動する前にホテルにチェックインしようと思うが時刻はまだ14時。それまで駅前をぶらつくことにする。

向かったのは高松城跡(玉藻公園)。天守台に上ったり、お堀の手漕ぎ舟を見下ろしたりする。高松城の堀は海水が使われており、鯛などの海の魚が泳いでいる。手漕ぎ舟から鯛にエサを撒くことができるので、舟の周りではバシャバシャと水しぶきが上がる。

海沿いにある月見櫓や、松平氏の庭園であった披雲閣庭園などを見て、東門から外に出る。

向かったのは香川県立ミュージアム。駅近くで時間をつぶすにはちょうどいいところだろう。このミュージアムは今年10周年ということで、「目からうろこのミュージアム!」という特別展示が行われていた。ちょっと昔の着物や家具、食器、小物など、ミュージアムの収蔵品である生活用品をさまざまに展示している。昔のブリキのおもちゃや懐かしいレコードなどもある。

常設展では20世紀初頭の絵画、彫刻を展示したコーナーがあるかと思えば、弘法大師空海の生涯について紹介するコーナーもある。展示室には後七日御修法が行われる空間が再現されており、五大明王図、両界曼荼羅図の模写が飾られている。

また別の展示室では、「明治150年」の関連企画として「高松藩の明治維新」という展示がされていた。高松藩は松平氏が治めており、藩主松平頼聰(よりとし)は井伊直弼の娘を正室に迎えていた。ただ高松の松平氏は水戸の徳川家からの分家で、幕末には尊王攘夷を唱えた徳川斉昭と井伊直弼が対立したが、その板挟みになった形である。結局鳥羽・伏見の戦いでは幕府側についたために朝敵となったが、後に許されて松平頼聰は伯爵に列せられた。

このコーナーに、香川「独立の父」という文字が見えた。別に、この後独立リーグのチャンピオンシップを観に行くからではない。中野武営(「たけなか」、または「ぶえい」)という人物の紹介だった。その横には、「香川がもし愛媛の一地方だったら、いや徳島だったら、現在の香川県はどうなっていただろうか」という文章がある。これはどういうことだろうか。

現在の四国4県は香川、徳島、高知、愛媛の4県で、ほぼかつての讃岐、阿波、土佐、伊予の4ヶ国と同じ区割りになっている。もっとも、明治の廃藩置県の当初は元の藩を県に移行するところが多く、讃岐でも高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩や天領はなぜかいったん倉敷県となり、その後合併して香川県となった。これが1871年~1872年のこと。まあ、こうした動きは他の地方でもあったことなので珍しくない。

しかし、こういう歴史があったとは知らなかったのだが、1873年には讃岐、阿波、淡路の3ヶ国のエリアが合併して「名東(みょうとう)県」という名前になった。名東というのは現在の徳島市の元の郡名で、今で言えば徳島県の中に香川県と淡路島が編入されたのと同じである。さすがにどうかと思ったのか、2年後の1875年には再び香川県として分離された。

ただ、その翌年の1876年、香川県は今度は愛媛県に編入された。政府が全国的に県の統合を進めていたとはいえ、香川というのは他県が編入したくなるほどの地域なのだろうか、それとも、単独ではやっていけない県だったのだろうか。ただ徳島、愛媛と地理的要因や文化的要因も異なることもあり、単独としての香川県の設置を望む声が高まり、政府への上申も行われた。

で、中野武営である。初めて聞く名前であるが、高松藩の勘定奉行の家に生まれ、本人も勘定奉行として藩に仕えた。明治維新後は高松県、後には農商務省や内務省の官吏を務めたが、国会開設後は大隈重信の立憲改進党に参加し、愛媛県議会議員となった。この愛媛県とは、香川県が編入された当時の愛媛県である。中野は県議会では議長も務める一方、水面下では「香川独立」の動きを展開した。そのアプローチはさまざまで、改進党ルートで大隈重信、農商務省ルートで黒田清隆、内務省ルートで松方正義、その他旧高松藩ルートで陸軍の大山巌といった大物たちに働きかけたとされている。その結果、愛媛県編入の12年後の1888年に香川県の再設置が認められ、「独立」ということになった。1888年といえば今からちょうど130年前のことだが、この「独立」が現在の四国4県の形となり、現在に至っている。もっといえば、この時までにはすでに他の県は現在の形になっており、香川県が最後に誕生、現在の47都道府県の形はこの時にできたことになる。

香川県といえば四国の玄関口のイメージがあるし、四国の行政機能や企業の四国支社などは今も高松に集まっていることが多い。それが徳島と愛媛の間で行ったり来たりした歴史があったとは勉強になった。

ただこの「47都道府県」も、現在ある意味では怪しくなってきている。例えば参議院選挙では、徳島と高知が2県で一つの選挙区となっている。これは「一票の格差」とかいうよくわからん縛りのせいで、議員定数と人口分布の兼ね合いで無理やりそうしたものだ。またこれから人口減少社会になって行く中、行政のあり方の見直しとなれば「県同士の合併」という話が出てこないとも限らないだろう。

中野武営は後に香川県議会議員、衆議院議員、東京市議会議長など行政に携わったほか、実業家としても活躍し、香川新報(現在の四国新聞)の設立や、百十四銀行、高松電灯(現在の四国電力)、高松琴平電気鉄道(ことでん)などへの支援、東京商業会議所の会頭なども務め、1918年に70歳で亡くなった。明治・大正期の香川における弘法大師のような人物だったと言えば言い過ぎかもしれないが、年譜を見てもさまざまな分野で才能を発揮したことがうかがえる。

今回香川県立ミュージアムでこの展示を行っていたのも、「明治150年」、「香川県独立130年」、そして「中野武営没後100年」という節目で、「郷里の近代化に決定的な役割を果たしながら、香川では永く『無名』に近い扱いを受けてきた人物」(パンフレットより)を顕彰しようというものだった。ちょうど訪ねた7日の翌日、10月8日は命日に当たるそうで、ミュージアムでは香川県知事や高松市長も参加してのシンポジウムが行われるとあった。翌日は札所めぐりの続きなので参加はできないが、こうしたパネル展を見てこの人物を知ることができただけよかった。

この後、別フロアで香川県の古代から現代までの歴史展示を見学する。全体を見て回ったら結構時間がかかる。

時刻は16時ということで、ホテルに向かう。この日宿泊するのは、駅から5分ほど歩いたところにある高松センチュリーホテル。最近リニューアルしたホテルのようである。

いったん荷物を置き、再び駅に戻る。さてこれからいよいよ本題の?野球観戦である・・・。
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第21回四国八十八所めぐり~第80番「国分寺」

2018年10月11日 | 四国八十八ヶ所
予讃線の国分駅で下車する。次に向かう国分寺は先程の天皇寺同様に駅から近い。道路沿いの駐車場にさしかかると、先ほど天皇寺の手前ですれ違った先達の団体が乗って来たであろう観光バスがちょうど出て行くところだった。

国分寺といえば奈良時代、聖武天皇の勅命で日本各地に建てられた寺院だが、奈良朝の衰えとともに多くの国分寺は廃れていった。ただ四国については阿波、土佐、伊予、そして讃岐の4ヶ国とも国分寺が残っており、いずれも四国八十八所の札所となっている。直接奈良時代から続いているわけではないにしても、少し場所を移したり別の寺が再興する形で今に至っている。なお、讃岐の国分寺は創建当時の伽藍と重複しており、またその跡地の保存状態も良いとして史跡に指定されている。

山門をくぐる。建物は後世のものだが、創建当時の中門の跡に建てられたとされている。

境内でまず出迎えるのは、参道の両側にあるミニ八十八所である。阿波(発心)、土佐(修行)、伊予(菩提)、讃岐(涅槃)と各札所の本尊像と真言のパネルが続き、それぞれの国の最初には修行姿の弘法大師像が立つ。お参りの前にまずこのミニ八十八所をめぐってみた。ちょうどこの国分寺で80番である。何だかここまで来たということで、これまで回ってきたことなども思い出したりする。

境内の中央には礎石が並んでいる。創建当時の国分寺の本堂である金堂の跡地だという。等間隔に並んでいるのが今に残るのも珍しいそうだ。

その奥が現在の本堂だが、こちらは創建当時は講堂があったところだ。中門~金堂~講堂が南北に一直線に並び、金堂の横、ちょうどミニ八十八所の後半が囲むエリアには七重塔も建てられていた。大官大寺の伽藍様式だそうで、その跡地がきちんと利用されている点は、四国の4つの国分寺の中でもっとも「国分寺らしい国分寺」と言えるだろう。なお、現在国分寺では大日如来像の修復に向けた寄付金の募集を行っている。

本堂でお勤めの後に大師堂に向かう。境内には金箔を貼られた弘法大師や「金箔縁結び」というのもある。金箔を貼りつけて願掛けをするそうだ。他にも弁財天を中心とした七福神像もあれば、願掛け不動明王像もある。古くからの歴史と現世利益が混在する寺に感じる。

で、大師堂はといえば、納経所の中にあるという。正しくは納経所の建物の中に祭壇を設けて、そこから大師堂の内陣を拝むというものだ。納経所の建物の中は撮影禁止なので画像はないが、建物の中には遍路用品やら御守、国分寺オリジナルのグッズなどがたくさん並び、その中央に燭台がある。一方、室内でロウソクや線香を使うのですすけた感じがする。「線香は一人3本まで」の貼り紙もあるが、団体が来た場合などごった返すのではないだろうか。こういう形でのお参りも珍しい。

先にも書いたように現在の国分寺の境内は創建当時の国分寺の伽藍と重複しているのだが、外も史跡公園として保存されているというので行ってみる。もう一つ別の寺が隣接するが、その奥は広場になっている。そこには創建当時の国分寺を石で再現した模型が置かれ、土塀の一部、僧坊の一部も復元されている。創建当時の規模は南北240メートル、東西220メートルという規模だったとある。

史跡公園の外に讃岐国分寺資料館がある。展示スペースは小ぶりだが、当時の金堂の復元模型や、国分寺跡地の発掘調査で出土した瓦や土器も展示されていて、国分寺の紹介映像を見ることもできる。この時は若狭から越後までの北陸各国の国分寺について紹介するコーナーがあったが、寺の形はほとんど残っておらず、わずかな遺跡を留めるに過ぎない。さまざまな歴史があったにせよ、四国に4つの国分寺が受け継がれているというのは、八十八所の信仰文化というのが何か関係しているのだろうと感じさせる。

門前に戻ると、国分寺から81番の白峰寺、82番の根香寺への道案内の看板が出ている。この2つは五色台シリーズとでも言おうか。国分寺から遍路ころがしの山道を上り、途中に十九丁という分岐点がある。それを西に行けば白峰寺、東に行けば根香寺に行くというコースで、国分寺からだといずれも所要2時間とある。ちょうど三角形の位置関係にあるが、その通りに歩くとなると結構ハードな感じだ。

その2ヶ所は翌日に回すとして、ここはいったん国分駅に戻り、貨物列車の通過も見た後で再び高松駅を目指す・・・。
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第21回四国八十八所めぐり~第79番「天皇寺」

2018年10月09日 | 四国八十八ヶ所
10時55分着の列車で八十場駅に降り立つ。駅舎もなく、対向式ホームのみの駅だ。昭和の時代にできた駅だが、当初は仮乗降場のような位置づけだったようで、普通列車でもほとんどが通過していたという。JR化以降はホームも伸ばして普通列車が停まる駅として地元の人も利用しやすくなったようだ。ただホームの幅は狭く、帰りの列車を待つ間に特急や快速が通過していったが、風圧が結構すごかった。

天皇寺に向かう。まず出迎えるのはこの方のポスターで、今回の札所めぐりの中で坂出市のエリアでは結構多く見かけた。国民民主党という全国支持率が1%あるかないかの政党ではあるが、それでも一応党の代表を務めるくらいだから地元ではそれなりの支持を集めているのだろう。

駅から少し上り坂を歩くと、横を大型バイクが3台、爆音を響かせながら横を過ぎていく。白い笈摺が見えたからバイク遍路というやつだ。ああおいう回り方も面白そうだ(二輪免許は持っていないが)。一方で、上下とも白衣をまとい、菅笠に錫杖(これを持てるのは先達資格のある方)という集団とすれ違う。その他の荷物はほとんど持っていないので、これは団体さんだろう。そういえば八十場駅の横の空き地に観光バスが停まっていたが、バスツアーで回る人たちだろう。回る姿もいろいろである。

通りの突き当りに朱色の鳥居が見え、「白峰宮」との看板がある。その横に「天皇寺」の石碑が立つ。元々は神社で、その中に神宮寺があるという神仏習合の歴史がありそうだ。それにしても寺に「天皇」という名前がつくとは由緒がありそうだ。

この「天皇」とは、平安時代の崇徳上皇を指す。平安の末期、武士が政治の舞台に出るようになったきっかけが保元・平治の乱だが、このうち保元の乱で敗れたのが崇徳上皇で、讃岐に流された。流された生活の末には自ら舌を噛みきってその血で写経に殴り書きをしたとか、髪や爪を伸ばし続けて夜叉、天狗の姿になったといわれている。また崩御後に勝者の後白河上皇に近い人物が相次いで亡くなったり、都での大火や鹿ヶ谷の陰謀事件が起こったが、人々は崇徳上皇の怨霊によるのではないかと思ったそうだ。崇徳上皇は怨霊のキャラクターとして後の世の物語でも描かれている。

怨霊とは少し違うが、「水曜日どうでしょう」の四国巡拝の2回目の時に、ここで「怪奇現象」が起こっている。内容はここでは省くが、改めて動画を見て、その時にディレクターが「崇徳上皇の怨霊か?」とでもナレーションすればより真実味が出たのではと思う(別に歴史番組ではないのでそれを求めるのは違うのだが)。

で、この白峰宮だが、上皇の遺体を当地の清水に浸していたところ、毎夜清水が光を放ったことから上皇を祀るために造営された。この神社と、行基が建てて弘法大師が再興したとされる摩尼珠院が崇徳上皇を祀る寺社として一体化され、神社は「崇徳天皇社」、摩尼珠院は「天皇寺」と呼ばれるようになり、全体で79番札所とされた。先に崇徳上皇の怨霊と書いたが、その後の長い歴史の中では、讃岐の守り神として多くの信仰を集めていた。ただ、明治の神仏分離、廃仏毀釈の中で崇徳天皇社は白峰宮、天皇寺は廃寺とされ、後に末寺の高照院が移転してきて79番札所を引き継いだ。

そうなると白峰宮からお参りとする。珍しい形の鳥居をくぐり、正面の拝殿に向かう。この日は秋祭りが行われるそうで、境内にも屋台が出始めていたり、大人たちが山車の準備を始めるところだった。

天皇寺高照院は鳥居をくぐった中の両脇が敷地である。左手の一角に十一面観音を祀る小ぶりな本堂と大師堂が密接して並んでいる。こう見ると神社の片隅に居候させてもらっている印象だ。

連休中のためか、先ほどの大型バイク遍路も含めて笈摺、輪袈裟姿の人も結構見かける。ただ、私の見る限りでは白峰宮の片隅の天皇寺だけお参りして、中央の白峰宮には手を合わせない人がほとんどだった。先ほどすれ違った先達の団体はどうだったか。

本堂、大師堂と反対側にある納経所で朱印をいただく。

この後、八十場名物のところてんを出す清水屋に向かう。このブログを書くよりも前に、会社の高松の先輩の方に連れてきてもらったのを思い出す。その時は八十八所めぐりは頭になく、讃岐のうどん屋めぐりの後で、変化球ということでところてんを味わった。崇徳上皇が流された地とは聞いたが、天皇寺にお参りしたわけではなかった。

八十場の清水の脇には地蔵堂があり、さらには江戸時代からところてんを商う清水屋がある。味付けの種類は辛口から甘口まで10種ほどある中で、最もシンプルで古くからの味という辛子酢醤油味をいただく。

この清水が、崇徳上皇の遺体が浸けられても光を放ったとされるのだが、古くは日本武尊の時代、魚の毒にやられた80人の兵士たちがここの水を飲むとたちまち蘇ったという伝説がある。それだけありがたい水というわけだ。普段ところてんを食べることはないのだが、由緒ある清水に縁があるということで美味しくいただく。個人的には、こういう風情のところでは豆腐(冷奴)なんかもいいかなと思う。

駅に戻り、11時59分発の高松行きに乗る。次に目指すのは予讃線の国分駅近くにある第80番の国分寺・・・。
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第21回四国八十八所めぐり~とりあえず時系列で書くことにします

2018年10月08日 | 四国八十八ヶ所
10月7日~8日の2日間で坂出~高松の札所めぐりを行った。何度も書いているように、この日程で札所めぐりに行ったのは独立リーグのグランドチャンピオンシップ第1戦・四国ラウンドが香川オリーブガイナーズ対群馬ダイヤモンドペガサスで行われ、四国八十八所めぐりと独立リーグ観戦という、私なりの八十八所めぐりの楽しみ方の「総決算」とも言える試合があるからだ。

野球の観戦記は早くに書いたほうがいいのだろうが、一応八十八所めぐりの中の楽しみという位置づけにして、紀行文は時系列で書くことにする。ただ結果だけ先に書くと、私が観戦した高松での第1戦は4対2で群馬の勝利。そして丸亀での第2戦も3対0で群馬の勝利。3戦先勝方式のため、群馬がアウェイで連勝して独立リーグ日本一に王手をかけたことになる。次週13日~15日は前橋で群馬のホームゲームとなる。このまま群馬が日本一ということになりそうだが、香川も精一杯意地を見せてほしい。

さて、話を7日の朝に戻す。今回は高松が目的地となるが、JR高速バスを選択する。第21回ともなると四国へのアクセス手段も多様になるが、大阪~高松は高速バスで3時間半の行程で、鉄道だと新幹線~快速マリンライナーよりは時間がかかるものの、価格では3900円という設定で鉄道の半額以下である。ちなみに鈍行乗り継ぎと高速バスだと、(青春18きっぷの時期でなければ)高速バスのほうが価格、時間の両方でJRに勝る。

それを表すかのようで、6時55分湊町バスターミナル発の高松行きはほぼ満席。また同じ高松行きでは、JRバスや阪急バスの系統と、たかなんフットバスの2系統があり、それぞれが結構な本数を走らせている。

連休の中日ということか、阪神高速も特に渋滞なく順調に走る。明石海峡大橋から淡路島に入り、定番の室津パーキングエリアでの休憩。

四国に入る。この路線は高松道の各バス停での降車も扱っている。それぞれの停留所で1人、2人と下車して行く。高松だけでなく香川東部と関西を結ぶ役割もあるようだ。阪神高速が順調に来たのが大きかったのか、定刻より早く進んでいる。

高松中央インターで高松道を降りて、インターバスターミナルやゆめタウン前、栗林公園前など、市内のいくつかの停留所でも下車がある。それでも定刻より15分ほど早い10時すぎに高松駅に到着した。

さてこの日の行程は、第79番の天皇寺、第80番の国分寺にお参りした後で、高松駅からレクザムスタジアムまでの送迎バスに乗るというもの。天皇寺、国分寺とも予讃線の八十場、国分の駅から歩いて数分のところにあり、列車もおよそ30分に1本はあるから移動にはそれほど苦労しない。ちなみに送迎バス(第1便)は高松駅16時40分発で、それまでに高松駅近くのホテルのチェックインを先に済ませるとしても、時間には余裕がある。

列車に乗る前に、早いが昼食ということにする。駅バスターミナルの向かいにあるセルフ式のうどん「味庄」に入る。いわゆる行列のできる有名店というわけでもないが、高松駅のすぐ近くというのと、朝5時から営業しているということで知る人ぞ知る店という感じである。注文の時はうどんの玉だけ丼に入れてもらい、だしは給湯器から自分で注ぐ。天ぷらなどと合わせてその後で会計をするのは讃岐方式だ。旅行の客でも駅前でお手軽にローカルな雰囲気を味わえる店という意味ではまずまずの店である。

食後、発車間際だった10時26分発の琴平行き普通列車に乗る。高速バスが定刻で走ったとして10時54分発の多度津行き普通列車に乗ろうかと思っていたが、これでなお早い時間での移動となった。香川県に入って何度も乗っているこの形式の車両に乗り、各駅に停まりながら移動する。

目指す天皇寺の最寄駅である八十場に到着する。直線の区間に簡易な対向式ホームが並ぶだけの駅だが、予讃線の多度津まではICカードが使用できるので、下車時に簡易のカード読み取り機にタッチする。ただ、他の客の動きを見ても四国ではICカードを利用する人はまだまだ少数派のようだ。

さてここから天皇寺に向かう。寺に向かうのは初めてだが、実はこの辺りには過去に一度連れてきてもらったことがあって・・・。
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第21回四国八十八所めぐり~何とか天気は大丈夫そうだ

2018年10月07日 | 四国八十八ヶ所
10月7日~8日にかけて八十八所めぐりである。

今回は先にも書いたように、高松で行われる独立リーググランドチャンピオンシップ、香川オリーブガイナーズ対群馬ダイヤモンドペガサスの第1戦観戦と合わせての札所めぐりである。

これについては気がかりなことが2つあるとした。その一つ目の球場へのアクセスは、行き帰りとも高松駅からシャトルバスが出るという。これはありがたい。群馬から来る人もいるだろうからどうするのかと、ダイヤモンドペガサスのホームページを見てみると、前橋から応援バスツアーが出るという。それも7日の早朝に出発して高松まで走り、7日夜の第1戦を観戦して高松宿泊。翌8日は日中自由行動の後に第2戦を観戦し、そのまま車中泊で前橋に戻る。えらい強行軍だ。私なら翌9日も有給で休むだろう。

またもう一つ気がかりだった台風25号は6日のうちに九州の北から日本海を通り、温帯低気圧に変わった。先月の台風のような大きな被害もなかったようでよかった。

さて私は7日は朝の高速バスで高松に向かう。今回は第79番の天皇寺、80番の国分寺を回った後に球場に向かう。翌日はどうしようと思っていたが、高松宿泊を利用して当初は予定していなかった81番の白峰寺、82番の根香寺も行くことにした。81~82番は山越え、旧遍路道のハードコースだが、雨も降らないようだし、今回で回ることにする。さてどのような2日間になるか・・・。
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独立リーグチャンピオンシップは香川対群馬

2018年10月03日 | 四国八十八ヶ所
四国アイランドリーグ、BCリーグの年間チャンピオンを決める戦いが行われ、四国アイランドリーグは香川オリーブガイナーズ、BCリーグは群馬ダイヤモンドペガサスがそれぞれ制覇した。

これで、10月7日から始まる独立リーグチャンピオンシップは、まずは四国ラウンドから開催され、7日は高松、8日は丸亀でそれぞれナイターで開催される。

ここまで何度か四国八十八所めぐりとアイランドリーグ観戦の個人的なコラボをして来たが、札所めぐりもちょうど香川の真ん中ということで、またとない巡り合わせになった。7日夜の第1戦に行くことにする。群馬といえば元バファローズのカラバイヨや、BCリーグ発足時からのベテラン・井野口も健在で、彼らの打撃も楽しみだ。

さて高松へのアクセスと宿はすでに押さえているのだが、気がかりなことが2つある。1つは、球場へのアクセス。レクザムスタジアムは高松の市街地から離れており、公共交通機関は路線バスとなる。行きは良いとしてもナイター終わりの時間にはバスはない。特別な試合だし、群馬から応援に来る人も少しはいるだろうからシャトルバスでも出してくれればありがたいのだが。まあ、これはレンタカーでも利用すればよい(球場でビール飲みながらの観戦というわけにはいかないが)

そしてもう1つは台風25号。先日の24号よりは北寄りのコースをたどる予報だが、7日は雨の影響も心配される。まだ何日かあるし、そうならないことを祈るだけだが。

札所めぐりは7日、8日でどう振り分けるかは現地で決めるとして、両チームの熱戦を期待したい・・・。
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四国アイランドリーグの年間チャンピオンシップの行方で八十八所めぐりのアクセスが変わる

2018年09月19日 | 四国八十八ヶ所
私の四国八十八所めぐりの中でちょくちょく登場する四国アイランドリーグ。現在の回るペースからすると、観戦と札所めぐりのリンクは今季が一応最後になるのかなと思う。来季に野球が始まる頃には88番までたどり着くのではという見通しなので。

現在、瀬戸大橋のたもと、宇多津にある78番の郷照寺まで回っていて、次は10月の7日、または8日にて、予讃線沿線の79番天皇寺、80番国分寺あたりを予定している。この7日、8日というのは、四国アイランドリーグとBCリーグの年間王者が対戦する日本独立リーグチャンピオンシップの四国ラウンドが行われることになっている。四国では前期が香川オリーブガイナーズが優勝し、また八十八所めぐりも香川県なので、ちょうど絡めることができると踏んでいた。球場が高松か丸亀かはわからないので、高松、そして宇多津のホテルを予約する。上の札所めぐりもそれに合わせて組んだようなものだ。

しかし、前期に圧倒的な強さを見せたオリーブガイナーズも後期は成績が上がらない。一方で快調だったのは徳島インディゴソックスで、8月の時点で早々とマジックも点灯させていた(8月のお盆時期の丸亀4連戦、香川が1勝3敗だったのも大きい)。前期と後期の優勝チームで争うチャンピオンシップは香川対徳島かなと思い、それならば10月は徳島での開催もあるかなと徳島のホテルも押さえる。もちろん、香川開催のほうが八十八所めぐりとのリンクと言えるのだが、最後に逆に徳島から宇多津に出るのもいいかなと思う。

そんな感じで8月以降のアイランドリーグの試合結果をチェックしていたが、9月に入り、愛媛マンダリンパイレーツが勝ち星を伸ばしてきた。いつの間にか徳島のマジックは消えたが、それでも首位はキープしていた。16日以降は「優勝決定のパターン」がホームページでも知らされるようになった。それが最後までもつれ、徳島首位、1ゲーム差で愛媛が追う状況で、19日の新居浜での愛媛対徳島の直接最終対戦を迎えた。徳島が勝つか引き分けで徳島優勝、しかし愛媛が勝てば勝率の差で逆転して愛媛優勝である。

で、その試合は3対3の同点から終盤に愛媛が勝ち越し、7対3で愛媛が勝利した。その結果、後期の勝率は愛媛・600、徳島・593で、勝利数では徳島が1勝上回ったが、引き分けの差で勝率は愛媛が上というものである。実際に観戦したわけではないので何とも言えないが、スコアを見ると両チームとも必死の試合だったとうかがえる。

これで四国アイランドリーグの年間王者を決めるシリーズは香川対愛媛となった。となれば、10月7日~8日のシリーズが愛媛で行われる可能性も出てきた。何なら、勢いなら愛媛有利と言ってもいい・・となると、いったん松山(おそらく坊っちゃんスタジアムの試合なのだろう)まで行き、試合観戦の翌日に宇多津まで戻って八十八所めぐりとなる行程もありだ。私としては香川頑張れだが、松山からの「大返し」もネタになりそうで、徳島の宿をキャンセルして松山の宿を押さえにかかる。

さて、対戦するBCリーグのチャンピオンシップもこれからである。こちらは地区制と前後期制の併用で、東地区の年間王者は群馬ダイヤモンドペガサス(元バファローズのカラバイヨは今季も健在)、西地区の年間王者は福井ミラクルエレファンツである(滋賀ユナイテッドはいつになればこうしたチームになるのやら)。こちらも地力では群馬優勢だが、結果はいかに・・・?
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第20回四国八十八所めぐり~夜の八十八所山陽線

2018年09月13日 | 四国八十八ヶ所
やはり、ここで夜の八十八所をすることになったか。

岡山駅前のミシュラン居酒屋「鳥好」。2週間前に青春18日帰り旅の帰りに入ったばかりだが、その時「四国八十八所めぐりの帰りに入るのも面白そうだ」と思った。早速その通りにしたのは、今回が宇多津編だったこともある(まあ、ある意味狙っていたのだが)。これが高松で終わりとなった場合は高松で夜の八十八所となるか、そのままバスで直接大阪に戻ることになるだろう。

時刻は16時半を回ったところで前回とほぼ同じ時間の訪問だが、カウンター、テーブルともにすでにぎっしりである。入口には予約の名前が何組も書かれている。たまたま入口近くのカウンターが空いていたのでよかったが、すぐ後に来た予約なしの3人連れは断られていた。どれだけ人気があるのやら。この後も次々に客がやって来るが、たまたま勘定を済ませて客が帰るタイミングで来た人はラッキーにも通されたが、それ以外は断られていた。ランチのように並んでいればそのうち空くというものでもなく、客のほうもあきらめが早い。

この日は徳島産の岩ガキがあるという。夏の岩ガキも久しぶりなのでいただく。

この他には名物鳥酢やシャコ、さらには「のりくらっち」である。ビールもよく進む。

結構なひとときを過ごせたのでよかったが、もし次に来ることがあるとして、満席だったらどうするか。その時になってようやく新たな店を開拓しようとなるのかな。近くにも大衆酒場の店があるし、ホッピーにやきとんというのもある。「鳥好」にはホッピーはないのでそれもありかな。

そろそろ大阪に向けて帰ることにする。山陽線の姫路行きは19時17分発で、岡山始発だが混雑しそうなので早めに並ぶ。この線では最も長いであろう6両編成でやって来て、無事に座ることはできたが立ち客も結構いる。

夜なので外の様子はよく見えないが、駅ごとに少しずつ下車がある。岡山白陵高校がある熊山駅も過ぎる。一方で、午後には上がっていた雨がまた降りだして、山間部に近づくと窓ガラスにもはっきりと雨が叩きつける。姫路に着いても結構な量の雨だった。

さて、四国八十八所も残り10ヶ所となった。香川へどのような方法で往復するかも含めて、もう少し楽しみたいところである・・・。
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第20回四国八十八所めぐり~宇多津は意外なものが名物のようで

2018年09月12日 | 四国八十八ヶ所
第78番の郷照寺の参詣を終えて今回の札所めぐりはおしまいとなり、昼食とする。さぬきうどんの「おか泉」に行くのだが、その前に先ほど見かけた路地のうどん屋を覗いてみることにする。

宇夫階神社の鳥居に戻る。鳥居の向こう、境内の左手にのれんが見える。神社への寄付「金五拾萬圓」と記された石碑が並ぶ後ろにある。「うぶしな」という店で、検索すると「境内のうどん店」というのが特徴とある。これは郷照寺が、というよりは宇夫階神社の神の引き合わせだろうか。元々神社の納屋だった建物を改装したそうで、ご主人は宮司の息子さんだという。

奥のカウンターで注文して番号札をもらい、番号が呼ばれたら取りに行くシステムで、天ぷらやおでんは自分で取る。一押しと値札にかかれた肉ごぼうぶっかけを注文する。出てきたのはちょっと平べったい形の麺で、肉汁に絡ませていただく。汁は甘辛で、すき焼き鍋の中に入れて食べるうどんの味わいで、ご飯にも合いそうだ。神社の中で何だかありがたい気持ちになる。

続いて「おか泉」に向かう。有名店で少し待った後に入る。こちらは席で注文を取る。名物は冷天おろしだが、天ぷらは先ほどいただいたのでシンプルに生醤油にする。おか泉オリジナルの醤油に、すだちと大根おろしがつく。うどんについて語れるだけの知識があるわけではないが、のど越し、歯ごたえは上品に感じる。

うぶしな、おか泉、食べたものが違うこともあり単純に比較できないし、どちらも美味かったということで満足した。本当は、8月に七ヶ所まいりをした時もこういう感じで地元のうどんを食べ比べたかったのだが・・。

うどんを食べ終えると雨が上がっていた。駅に戻るがまだ時間はあるので、海のほうに向かう。駅周辺は再開発でさまざまなチェーン店も並ぶし、高層マンションも目立つ。そんな町のシンボル?と言えるのがゴールドタワー。瀬戸大橋の開業に合わせてオープンしたが、その後は閉鎖と再開を繰り返す。現在は展望台と子ども向けのプレイランドを備えているが、有料の展望台に上がるかどうか。雨は止んだが雲は広がっていて、眺望は期待できないだろう。

そのまま素通りして突き当たりにあるのが、道の駅でもあるうたづ臨海公園。何でも「恋人の聖地」の一つだそうで、そう言えば先ほど通ってきた歩道のへりにも、愛だの恋だのを詠み込んだ川柳のパネルが並んでいた。

宇多津はかつて製塩が栄えたところで、瀬戸内で開発された入浜式塩田が復元されている。塩作りの体験もできるそうだ。

ここから瀬戸大橋や塩飽の島々を見ることができる。ゴールドタワーに上らなくてもこれでいいかな。

海べりを歩くと、向こうから歩いてきた地元の人らしいお婆さんがすれ違いざま、「チョコレートやるわ」と包みを一つ私の手に滑らせる。さすが「恋人の聖地」・・・なわけないか。金剛杖も持っていないから札所めぐりとはわからないはずだが、まあお接待の一つと受け止める。

それはそうと、公園の中には若者のグループや子ども連れも多いが、皆一様にスマホに目を下ろしながら辺りをウロウロしている。何事かと様子を見るに、どうやらポケモンGoをやっているようだ。私はプレーしないので検索すると、このうたづ臨海公園は、香川県随一のポケモンのスポットなのだという。数もそうたが、なかなか出ないレアなポケモンもゲットできる確率が高いそうで、その筋の人たちには人気スポットなのだという。「恋人の聖地」ならぬ「ポケモンの聖地」なのか。まあ、ポケモン好きのカップルには間違いなく聖地だろう。

そろそろ本州に戻ることにする。いったん丸亀まで1駅乗って、丸亀15時16分発の普通岡山行きに乗る。マリンライナーとはまた違った車両で、宇多津側から瀬戸大橋を渡る。四国八十八所めぐりの中で四国滞在が最も短い行程になった。

児島でマリンライナーが先に発車するがそのまま鈍行に残る。瀬戸大橋線の各駅に停まり、16時半に岡山に到着した。頃合いとしてはちょうどいいだろう。「夜の八十八所」は香川の対岸の岡山にて・・・。
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第20回四国八十八所めぐり~第78番「郷照寺」

2018年09月11日 | 四国八十八ヶ所
高架の宇多津駅前に降り立つ。駅そのものは明治に讃岐鉄道が丸亀~高松間を開業した時にできたが、それまでは単に宇多津の町の駅でしかなかった。それが一変したのは瀬戸大橋の開通である。坂出と並んで瀬戸大橋の四国側の駅として新たに高架化されたとともに、駅前の再開発が進められた。駅からほど近いさぬき浜街道沿いにも大型店舗やチェーン店が並んでいる。

これから向かう郷照寺は海とは反対側だが、案内では徒歩15分とある。丸亀市との間にある青ノ山の麓に位置する。相変わらず雨が降っていて傘を差して歩く。ここまで触れていなかったのだが、実は今回、金剛杖は家にある。別に持つのを忘れたわけではないが、今回は終日雨の予報で、菅笠はかぶらないので傘を差す必要があるのと、駅からすぐの札所一つだけということで、特段躊躇することなく置いてきた。出で立ちは普段の鉄道旅行や西国などの日帰り札所めぐりと変わるところはなく、境内で四国の輪袈裟を掛けるだけだ。たまにはこういうスタイルもいいだろう。

昔からの道しるべらしい石標識が出て、クルマも通れない路地を歩く。その途中の民家らしい軒先に「うどん」ののれんが掛かっている。これは讃岐ならではのセルフ式の怪しい?うどん屋かな。実はこの日の昼食は郷照寺にお参りした後で、有名店の「おか泉」がほど近いので行く予定にしていた。ただ、この細い通りにあるうどん屋も面白そうなので行ってみるのも面白そうだ。

宇夫階(うぶしな)神社というのに出る。大己貴神を祭神としており、平安初期の807年に社殿が建てられたという。その名前からして、この辺り一帯の産土神として古くから信仰を集めたようだ。

ここからは昔からある感じの町並みである。元々の宇多津の中心だったのだろうか。青ノ山に続く斜面を囲むようにいくつかの寺も建っている。郷照寺もその中の一つという趣で、山門をくぐり、最後は数十メートルのコンクリートの坂道を上って到着する。何かの案内では境内から瀬戸大橋が見えるとあったが、あいにくの雨天気のためか、瀬戸大橋へと続いていく高架橋しか見えない。何もこんな雨の日を選ばなくてもと苦笑する。

郷照寺は四国八十八所で唯一、時宗の寺である。いや八十八所で唯一というが、八十八所以外でも時宗の寺そのものが全国にどのくらいあるのやら。一遍上人、踊り念仏、総本山は神奈川藤沢の遊行寺だったかな(箱根駅伝の実況でコールされる)というくらいの知識しかない。

時宗の寺がなぜ弘法大師の八十八所の一つなのかだが、まず寺を開いたのは行基で、阿弥陀如来を本尊とした。宇多津は瀬戸内海に面した港町として古くから開けていたのだろう。その後弘法大師が伽藍を設け、伊予出身の一遍上人も遊行の時に逗留して踊り念仏の道場も開いた。ここも長宗我部元親の兵火で焼け(これで何ヶ所やねん)、江戸時代に高松藩主の松平氏により再興されたが、その時の住職が時宗を選んだそうである。

まあ、四国八十八所の寺院の本尊はさまざまで、阿弥陀如来もあれば薬師如来、釈迦如来、観音菩薩、その他いろいろある。弘法大師が大師堂にいれば八十八所のメンバーになり得るということかな。それはさておき、雨のためロウソクや線香の着火に手間取りながらも本堂でお勤め。大師堂は本堂奥の階段を上がったところにある。

大師堂は宇多津の厄除け大師として信仰を集めている。絵馬にも「厄」の文字があるし、厄除け祈願も随時受け付けている。寺としても踊り念仏よりは厄除け大師を前面に出したほうがより多くの信仰を集めるだろう。そこはおいとくとして、普通にお勤めする。

大師堂の奧は女性の神様である淡島明神を祀るお堂があり、さらには西国三十三所の観音石像も並ぶ。阿弥陀如来に弘法大師、さらには淡島明神に観音菩薩・・・とにかくあらゆる仏様が踊るように配置されている印象である。

大師堂のすぐ横に聖観音像が立ち、足元には地下へ続く階段がある。

万体観音洞、階段を下りたその先にはこれでもかと金色の観音像が並ぶ。ただお供え物にはお菓子やぬいぐるみ、おもちゃが目立ち、よくある永代供養とは趣が違うなと見ると、これらは水子供養なのだという。通路の内側のポイントには十三仏、外側のポイントには西国三十三所の本尊の像がまとめ役のように立っている。実際は全部が水子供養ではなく、先祖の永代供養も多いそうだが、観音菩薩は「地蔵菩薩が請け負うことが多い水子供養もきっちりやりまっせ」とかアピールしているのかな。

境内には他に江戸時代からの庭園もあるが、雨のために池の水も濁っている。まあここは庭園もあるよということで見たことにする。

厄除け祈願を随時受け付けるためか幅が広く取られている納経所で朱印をいただき、今回の八十八所の札所めぐりはこれで終わりとする。先の記事でも、次の79番天皇寺、80番国分寺は同じ予讃線沿線で、しかも駅から近いところに位置しているのでこの後に一気に回ることができると書いたが、あえて次以降に取っておく。次のタイミングはいつかというところだが、それは「ある要素」によって決まる・・・ということに止めておく。

ともかく今回訪ねることにしていた海岸寺と郷照寺を回り終えて、少し遅めの昼食とする。まずは先ほど見かけた路地の小さなうどん屋にでも行ってみようか・・・・。
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第20回四国八十八所めぐり~別格18番「海岸寺」

2018年09月10日 | 四国八十八ヶ所
雨の海岸寺駅に降り立つ。宇多津方面に戻る次の列車は10時47分発だから50分ほどの時間である。駅前の参道(という割に店があるわけでもないが)を3分ほど歩き、県道21号線(さぬき浜街道)に出る。クルマの交通量が多い道の向かい側に「屏風浦海岸寺」の看板がある。

山門に出る。通常なら門の両脇には阿吽の金剛力士像が立つところだが、何か様子が違う。力士は力士でもまげを結って廻しを締めた大相撲の力士像だ。お相撲さんが門の両脇を固める寺というのは全国でも唯一だそうだ。

力士はいずれも昭和30年代(時代で言えば栃若時代)に活躍しており、片や外から向かって右手が大関の琴ヶ濱である。観音寺出身で内掛けを得意とした。学生の時に大相撲力士の列伝で技能派として紹介されていたのを見て名前は知っていたが、香川出身だったのか。

こなた外から向かって左手に立つのは関脇の大豪。こちらは丸亀の出身とある。元は若三杉の名前で取っていて、平幕優勝も果たし、後に大豪と改めた。初代若乃花の妹と結婚したともある。

この寺に仁王像ではなく相撲の力士像を置いたのは、香川西部出身のヒーローを讃えようということからだろうが、本格的な金剛力士像を発注するだけのお金がなかったからとも言われている。いずれにしても、香川出身でもっとも出世した力士二人である。ついでに香川出身の力士をスマホで検索すると、古いところでは神風(私が子どもの頃のNHK相撲解説と言えばこの人だった)、現役の関取では琴勇輝や希善龍といったところだが、大関や幕内優勝となると琴ヶ濱、大豪の活躍が勝っている。現役の力士たちも頑張ってほしいものである。

雨の山門で相撲の歴史に触れてうなるところで、すぐ近くに本堂がある。他に参詣する人もいない外陣に入ってお勤めである。賽銭箱の周りにはさまざまな頒布品が揃っていて、弘法大師ゆかりの地であることも主張しているようだ。ちなみにここは聖観音が本尊である。

本堂の外べりが納経所で、先ほど上がった時は寺の方も居眠りだったが、気配を感じたのか起き上がる。まあ、こんな雨の中だし、別格二十霊場とはいいつつも四国八十八所と比べればマイナーだし・・と思っても不思議ではない。ただ起き上がった後はしっかりと筆を進めていただいた。別格二十霊場用の納経帳は持っていないので、四国用の空いているページに収まった。その海岸寺だが、本堂よりも奥の院のほうが重要なのだという。四国八十八所は本堂と大師堂をセットで拝むが、海岸寺では大師堂のあるエリアを奥の院としている。

その前に境内を歩く。十三仏や弁財天が祀られているが、雨のために境内の道にも雨水が浮いている。そこまでして海岸寺に来なくてもよかったのでは?ということも頭をよぎるが、ここはそこそこに歩いていく。

海岸に出た。海岸寺という名前なのだから海を見ないと。屏風浦という名前も寺の南に広がる弥谷寺から善通寺にかかる山並みが屏風のように連なっていることからつけられた名前だが、この雨ではその景色を望むべくもない。この後に奥の院に行くわけだが、この時点で海岸寺駅からの継ぎの列車をあきらめた。その次の11時44分発に焦点を定める。

さぬき浜街道を渡り、予讃線の踏切を過ぎると奥の院の山門に出る。こちらは仁王像でも大相撲の力士でもなく、門から少し離れて四天王の像が並ぶ。こちらのほうが先ほどの本堂がある境内と比べてゆったりとした造りだ。

弘法大師の産湯と伝えられる井戸を見た後、正面奥にある奥の院の大師堂(御影堂)に着く。先ほどの本堂よりも堂々とした造りで、これは先に訪ねた善通寺の立ち位置にも通じるかなと思う。本尊は弘法大師誕生仏。

お勤めの後、大師堂(御影堂)で、「弘法大師誕生仏」の朱印をいただく。やはりこの寺では、弘法大師が生物学的にこの地で生まれたということを後までの誇りにして続いたのだろう。本堂の奥には四国八十八所のお砂踏みがある。屏風浦新四国という形で並んでいる。乗る列車の時間を遅らせたのでどんなものかいくらか歩くことができる距離だ。所要時間は40~70分とある。

その道はどうだったか。舗装道で結ばれていて、札所の間には別格二十霊場の本尊の石像も立っている。ただそれらより目立つのは、どこかの講が四国満願のお礼か何かで建てた石碑である。もっともらしく漢字を並べた石碑もあるが、その漢語が何を意味するのかはよくわからない。舗装されているぶん道路は雨水の逃げ道がなく水たまり状になっているし、沿道の木々の手入れも不十分のようだ、最初はそれぞれの本尊の前で真言を唱えたりしてたが、中盤になると順路もぐちゃぐちゃになりどうでもよくなってきた。

丘の上に上がると文殊菩薩や不動明王のお堂もある。そこからは海岸寺近辺の海岸線がよく見えるというクチコミもあったが、この雨では景色を望むのは難しい。お堂の下のほうも草木が結構生えていし、連日の雨天のせいか、なかなか境内を維持するのが難しいのかもしれない。

奥の院のミニ八十八所めぐりも一応終えた形となり、境内に戻る。海岸寺は前回回った讃岐の七ヶ所まいりの別格として、始めまたは終わりに参詣する人が多かったそうだが、この日は大雨のせいか、他にお参りする人の姿はほとんど見なかった。奥の院でのお砂踏みに挑戦したのも私くらいのものである。

11時44分の列車まで30分以上あるが、雨の中を歩いて海岸寺駅に戻る。もちろん無人駅で、駅舎の中もガランとしているが、幸いだったのがこの日の最高気温が30度を下回っていること。駅舎内のベンチに腰かけてこれからのプランニングをしたり、足元が先ほどの寺の水たまりなどでグジュグジュになったので靴下を履き替えたりする。

やってきた高松行きは、先ほどの逆で多度津まではワンマン運転で運行する。1駅東の多度津に着くと、これまで締切扱いだった後部の2両目も開放される。多度津から新たに乗る人や、ここまで乗って来た人たちが後部車両になだれ込む。乗客が2両に適度に散らばったところで多度津を出発し、今回の目的地である78番の郷照寺の最寄駅である宇多津に到着した・・・。
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第20回四国八十八所めぐり~台風と地震の最中で

2018年09月09日 | 四国八十八ヶ所
2018年の夏は猛暑、豪雨で厳しいものだったが、その総仕上げとも言えるのが9月4日に日本に上陸した台風21号。この日は交通機関の計画運休も発表されていたから自宅待機となり、終日テレビでその様子を見ていたのだが、関西で大きな被害を受けたのは皆さんもご存知の通り。幸い、私の住むところでは報道されるほどの大きなダメージはなかったが、勤務先は6日夜まで停電が続いた。いったん出社したが仕事にならないのでパソコンだけ持ち出して自宅で仕事をした。社員の中には7日になっても自宅が停電し、その影響で水道も使えない人もいた。

そこに来て6日未明には北海道での大地震である。「平成最後の夏」は異常気象、また災害が多かった年として記憶されるのだろう。というか、「平成」という元号の名前とは裏腹に阪神淡路、東日本の二つの大震災に代表される天変地異、猛暑、豪雨、豪雪、そしてテロ事件などに見舞われた時代として記憶されることになるのだろう。

改めて台風21号、そして北海道地震で被災された方のお見舞いを申し上げます。

さて、そんな最中ではあるが第20回の四国八十八所めぐりである。くどいようだが、20巡目ではなく、区切り、ぶつ切りの20切れ目である。今回は瀬戸大橋を渡った宇多津にある第78番の郷照寺が目的地で、1回残っている青春18きっぷを活用した日帰りである。四国めぐりに日帰りで行くのは第5回(第20番鶴林寺、第21番太龍寺)以来のことで、それだけまた関西に近いエリアに近づいてきたことを感じる。

鉄道で行くなら郷照寺だけでなく、同じ予讃線の沿線にある79番天皇寺(八十場駅下車)、80番国分寺(国分駅下車)も一気に回れるが、思惑があってこれらは10月に回ることにする(その理由はまたその時に)。この先も1~2ヶ所ずつであれば日帰りで訪ねることができそうだが、どうせなら高松あたりでも1泊したいし、他の要素と絡めて少しずつ訪ねてみたい思いもある。残りが11ヶ所となってそろそろ最後を意識し始めるところだ。

79番や80番に行かない代わりに、少し道順を戻すが別のところにお参りする。それは多度津にある海岸寺。弘法大師の母親である玉依御前の出身地で、さらに弘法大師はここの奥の院で生まれたとされている。弘法大師の出身地は善通寺ではないのかという向きもあるが、「出身地」という言葉には母親のお腹から出た場所と、その後幼少期に育った場所という二つのニュアンスがあることを踏まえればいずれもゆかりの地ということになるだろう。母親が里帰り出産することだってあるわけだから。現在は四国番外二十霊場の第18番であり、私も番外霊場は必須で回っているわけではないが、そうしたいわれがあるのなら行っておこうと思う。アクセスも予讃線の海岸寺駅からすぐのところにある。

ただ、海岸寺と郷照寺なら、8月の七ヶ所まいりの時に行こうと思えば行けたところで、それだけの日程的余裕もあった。それが3日間猛暑の中にさらされてノックアウトされてしまったものだからそこまでの気力がなかった。1ヶ月近く経ち多少はマシになってきたところである。ということで、青春18きっぷの使用期間ぎりぎりの9月8日に出かける。

あいくにこの日の天気予報は雨。しかも明け方には関西で大雨となり、大阪、兵庫、京都の一部にも記録的短時間大雨警報が出た。一瞬、行くのを止めようかとも思ったが時間の経過で回復しそうとの見込みもあり、とにかく出発する。途中で本当にヤバそうになったら打ち切るだけのことだ。

ということで、新大阪6時25分発のさくら541号に乗る。あれ?青春18きっぷの旅なのに何で新幹線やねん?と思われるだろうが、これは私のチョンボによるもの。もともと大阪6時25分発の姫路行き快速(早朝大阪から西に行く時の定番列車)に乗るつもりで家を出たが、この列車は大阪始発ではなく野洲から来る列車である。今回ふと、青春18のシーズンで確実に座ろうと1つ前の新大阪から乗ることにした。そのために地下鉄で新大阪まで行き、朝食の買い物でもしてからその快速に乗ろうと動いたのだが、新大阪の発車時刻を勘違いしていた。時刻表で確認しておけば何ということもなかったのだが、在来線のホームに行くとちょうどその快速列車のドアが閉まり、出発するところだった。そこで勘違いに気づいたわけである。

これを乗り過ごすとその後の列車の接続の関係で1時間遅れとなる。後から思えば、この日の行程には余裕があるのだし1時間遅れたところで大勢には影響ないわけだが、場所が新大阪駅だったこともあるのだろう、ふと新幹線で先回りしようという気になった。とは言え岡山まで行かず、姫路まで行くことにする。乗車券プラス新幹線特急券で変な出費となり、せっかく青春18きっぷで乗って来たぶんの普通運賃との差額分の「貯金」を取り崩すことになった。

さくらの車内で時刻表を広げてその先の時間を確認する。姫路まで行けば7時05分発の三原行きに乗り継ぐことができ、当初の予定では姫路発が8時01分だったから逆に1時間の余裕ができる。それをもって良しとするか。

姫路~岡山間は列車の本数も少なく、時間帯によっては特に青春18の時期はラッシュ並みの混雑となる。ちょうど2年前のこの時期、青春18きっぷを持って瀬戸大橋を渡り、阿波池田を経由して徳島線の鴨島まで行ったのだが、その時も1時間以上立ちっぱなしだった。7時すぎだとさすがに京阪神方面からの乗り継ぎ客もいないためか席は余裕で座れた。制服姿の高校生も目立つが、竜野とか相生辺りで下車するのだろう。

雨の中、山陽線を西に進む。貨物列車ともすれ違う。西日本豪雨の影響で広島県内の山陽線の寸断はいまだに続いており、貨物列車もトラック、貨物船での代行輸送や、伯備線~山陰線~山口線経由の迂回運転が続く。そこに来て台風21号の影響で関西空港も大きなダメージを受けた。好調と言われる関西経済の「潮目」が悪い方に変わるかもしれない出来事である。

そういうことを考えるうちに竜野や相生を過ぎるが、周りの高校生はまだ結構残っている。上郡を過ぎると岡山県に入るがそのまま乗っており、岡山まで越境通学する生徒がいるのかなと思う。彼らが下車したのは岡山県に入り4つ目の駅の熊山。近くに高校でもあるのかなとスマホで調べると、地図に出てきたのは岡山白陵という私立の中高一貫校である。1976年に開校した学校で、当初は厳しい校則やスパルタ教育を掲げていたそうである。最近は時代の流れでそこまででもないようだが、それでも進路実績を観ると東大、京大、国公立の医大、早稲田、慶応といったところに多くの現役合格者を出している。姫路あたりの子どもたちの中にも、大学への進路を考えて神戸方面ではなくてあえて岡山の山の中の高校を選ぶ生徒がいるということだろう(さらにネット記事をたどって行くと、楽天の三木谷浩史社長も岡山白陵中学校に入ったが、スパルタ教育のためにノイローゼになり途中で退学、地元の中学に転校したとあった。三木谷社長はその経験をバネにしたと述懐しているそうだが)。

列車は岡山に到着。8時40分発のマリンライナー13号に乗り継ぐ。駅の案内放送では、大雨のため土讃線の阿波池田~土佐山田間の運転見合わせを伝えている。特急も阿波池田までの運転、その先の代行輸送も行わないとある。四国山地のもっと奥深いところでもともと雨の多いところである。私もあえてそんな時に出て来なくてもと思ったが、瀬戸大橋線は通常運転とのことでそのまま乗り込む。外は列車の窓越しでもはっきり見えるくらいの雨である。

瀬戸大橋を渡る。四国めぐりの中であと何回この橋を渡るのかなと思う。

坂出に到着して、9時32分発の琴平行きに乗り継ぐ。先に海岸寺に行くことにして、郷照寺の最寄り駅である宇多津はいったん素通りする。前回ベースキャンプ地とした丸亀も過ぎ、前回訪ねたエリアに再び入る。

多度津では、高松から先に到着していた伊予西条行きが待っていてこれに乗り継ぐ。多度津から先はワンマン運転とあるが、2両編成の後ろの車両を回送扱いとして完全に締め切るという独特の運用である。ひとまずこれに乗って次が海岸寺である。雨の中、島式ホームに降り立ったのは私一人だった・・・。
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