今年話題となった映画が「THE COVE」。イルカの追い込み漁の様子を追いかけた「ドキュメンタリー映画」ということだが、その撮影手法、取り扱うテーマとその主張についてさまざまな物議を醸し、混乱を避けて上映を中止した映画館も出たという一連のニュースは記憶に新しい。・・・とはいうものの、映画自体は観たことないんだけどなあ・・・。
そのイルカ追い込み漁の舞台としてクローズアップされたのが、「くじらの町」として知られる和歌山の太地町である。
クジラ料理については捕鯨問題にそれなりの興味を持つ者として、例えば旅先であるとか、町の居酒屋でもクジラ料理があれば必ずといっても注文しているし、関西はクジラが身近な食材なのか、近所のスーパーでも比較的容易にクジラの刺身が手に入る。ただ、イルカとなるとどうしても水族館でショーをやる、どちらかといえば「愛玩動物」の部類に入るかなと思う。
イルカについてはそんなイメージを持つ人も多いだろうし、「イルカを食べる」といえば日本人でも抵抗を示す人が結構多いのではないだろうか。ただこれが、くじらの町である太地では昔から自然に食されてきた食材である。
『イルカを食べちゃダメですか? 科学者の追い込み漁体験記』(関口雄祐著 光文社新書)は、太地でのイルカ追い込み漁を追いかけた科学者のルポである。元々はイルカの行動学の研究目的で水産庁の調査員として太地にやってきたのが、イルカの漁師と接するうちに生活の中にイルカやクジラがある彼らの生き方に共感し、太地という町にハマっていく中で見聞きしたことを著したものである。
太地はクジラやイルカのいる町として町の観光資源となっているし、実は私もこの8月15日、盆休みではなく普通の日曜日の休みを利用して猛暑の中、クルマで太地を訪れた。そこで「くじらの博物館」や南氷洋の捕鯨船を見学し、クジラ料理満載の「くじら御膳」をいただいたりした。味は・・・・刺身の盛り合わせが冷凍庫からそのまま出してきたような感じで、本場にしてはもう少し調理のしようがあるのではないかというものだったが、まあクジラの町でクジラ料理を食べられたのはそれなりに意味があったと思う(土産は大和煮の缶詰)。ただ、イルカはメニューになかったな・・・。
そんな中だが、博物館を見ても今ひとつ昨今の捕鯨問題についての強いメッセージが伝わってこなかったように思う。イルカやクジラのショー目当ての家族連れが多い感じで、捕鯨の歴史のコーナーを見物していた人はほとんどいなかった。何だか消化不良の感じがしたのを覚えている(同じ太地にある、「落合博満野球記念館」のほうが私にはインパクトがあった)。
その太地の人たちのメッセージや生き方というのを、おそらく外部出身だからこそさまざまな観点で捉えることができたのだろう。本書では役所の出すような「正史」的な書物にはないナマの歴史を感じ取ることができる。太地の人たちのメッセージをわかりやすく代弁してくれているような。
もちろんイルカ漁や捕鯨問題における西洋諸国からのバッシングについても触れている。昨今の反捕鯨団体の暴力的な行動にもきっぱり反対の立場だ。ただその一方で、こと捕鯨になるとやけにナショナリズムになりがちな向きについても一定の抑えを効かせている。そのことがよく現われているなと思ったのが次の一節。
「コトバにこだわると、『日本には捕鯨文化がある』と『捕鯨は日本の文化である』との違いは大きい。(中略)多くの国に捕鯨をする文化があり、日本にもある。これが正しい。『捕鯨は日本の文化』とするのは、捕鯨は日本を代表する文化、あるいは日本固有の文化としたい思惑があるように感じる」
捕鯨に関する国際会議での日本の主張というのは、『捕鯨は日本の文化である』というトーンで行われているのではないだろうか。捕鯨を大切にしたいということはアピールすべきだし、強く主張しなければならないのはわかるが、これが逆の意味で他の国の態度を硬化させているのかもしれない。
ここは原点に立ち返り、捕鯨という、人間の営みの中で行われてきたものに対してそれを最低限の枠内で保護するとか、それぞれ異なるバージョンの文化を継承していこうとかいうトーンで語ることも必要ではないだろうか。でなければ、いつまで経っても解決策が見つからないのでは。
うーん、太地に行くならせめてこの一冊を読んでから出かければよかったかな。また、「くじらの博物館」をはじめ、観光客にも気軽に手にできるように並べてほしいところ。
一度、イルカを食べてみたいものだ。どんな味なんだろうか。